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不毛地帯

2010年03月04日

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今は現代美術館なんてものに変わり果ててしまったけど、むかし熊本は上通りアーケードの入り口に、”いきなり団子”(熊本名物)屋さんがあった。いつだってもうもうと湯気をあげており、すぐれた絵画や彫刻に劣らず人の心を豊かにしていた。先月、個展の搬入のためひさしぶりに大学時代を過ごした熊本へ行った。街をふらついてたらその団子屋さんがあった場所に行き着き、そうしたら思いだしたことがあるので書きます。話しの都合上、出だしがちょっと荒々しいですが勘弁してください。

大学受験ってのはでかい鉄のポンプみたいなやつだ。朝取り大根のようにみずみずしい若者の水分、すっからかんに吸い取って茶色の切り干しにしてしまう。逃れる術を知らずただ生真面目に勉強するしかなかった高校最後の半年は、潤いのないまるでタクラマカン砂漠みたいな生活だった。そんなわけだったので大学入ったら、軽いサークル掛け持ちし女の子らとはしゃぎ、勉強は適当にやって気楽に暮らしてゆこうと計画していた。ところが、新歓コンパなんかで実際そういう風に気楽にやってる先輩見たら、こんなだらっとした人間にはなりたかないよなあ、と強く思った。強く思ったまさにその隙を付け込まれ、勧誘され、気がついた時には道着きて帯びしめて、中国拳法の練習に励んでいた。
励んではいたがあんまり他の部員にはなじめなかった。一言で言うと汗臭く野暮ったい人間ばっかりだったからだ。だから部活が終わるとミーティングもそこそこに、すきっとシャワーを浴び夜の街へバイトへ出かけた。だからといって、学部にいる流行りのポストモダン本読んでるお洒落連中とは仲良かったのかというとそんなこともなく、彼らにはもっとなじめなかった。ひ弱でいかんと思った。(あ、どっちとも少し言い過ぎなので、もし誰か読んでたらすまん)
無理して一言でいうのなら、”フランス製のワークウェア粋に着て畑を耕し(あるいは魚を捕り)、その合間に分厚いロシア文学読んで「人とは何か」と自答してるような若者”たることを自分にも他人にも強く欲していた。
が、そりゃあ無理ってもんだろう。
ないものねだりで、どの場所に身を置こうともけっして深くは溶け込めず、独りぼっちだった。それで大学時代はあんまし幸福ではなかった。形は違えど、高校時代のタクラマカン砂漠同様、草木も生えねば花も咲かぬ不毛の時代だった。
 
さて、そんな大学生活3年目のある夜のことだ、部活の忘年会か新年会だったか忘れたが、全員しこたま飲んだ。たいそう酔っぱらって血の気が増し熊本のアーケードいっぱい横に広がり皆で肩いからせメンチきりながら歩いた。上通りの入り口にはいったとこで前方から同じくらいの年格好と人数の一団がやってきたので、これ幸いと真っ直ぐ進んでって身近なやつにごつんと肩をぶつけた。「気いつけろよぉ」と言い残しそのまま何歩か歩いたのだが、どうしたことかいきなり目の前が真っ暗になった。数十秒して気がついたら地べたに這いつくばっていて、顔上げてみたら大乱闘が繰り広げられていた。
 早速立ち上がろうとする姿を皆が変な顔で見てるのでわかったのだが、あごの下からぼたぼたと血が流れ落ちていた。「ひゃあ、凶器攻撃受けたプロレスラーみたいやん」とおかしかったが、それより頭にきて「どわぁれやあぁあ!(誰だ、おれを後ろから殴った野郎は!)」とわめいた。「こうじ、こいつやぁあ!」と間髪入れずに誰かが叫んだが、それをかき消すようにパトカーのサイレンが鳴るのと「逃げろー!」「おい、兄ちゃん、こっち来い!」と腕を引っ張られるのがほぼ同時で、ありゃりゃりゃあーという感じだった。

「学生が警察の厄介になったらいかんやろ」とその男は言って、入ったことない裏通りのビル一階奥のスナックに連れて行った。なじみの店なのだろう。「ちょっと隠してやっとって」とママさんに告げるとすぐにどこかへ出て行った。ママさんに言われるがままカウンターの後ろに屈んで座ってるとパチンパチンパチンとビニール裂いて「傷口に当てときっ」とおしぼり3枚手渡してくれた。ふつうは「いらっしゃい、どうぞ」っと、1枚きりなので、特別扱いでうれしかった。他にお客さんいなさそうだし、わりと好みのタイプなので何か話しかけようとしたら「警察回ってくるかもしれんけん、しばらくじっとしとき」とやさしく強く言われた。それで黙って、やることないのでママさんの足を見ていた。1万ちょっとくらいの鶴屋(熊本にある百貨店)の1階に売ってありそうな靴だった。女の人の足をこんなに長い間見るのはそれがはじめてだった。なんでハイヒールなんて履くんやろうとか、サイズは24くらいかなとか、かけっこはそんなに速くなさそうだ、とかいろいろ考えた。まだ考えつくさぬうちに、さっきの兄さんがもどってきた。そしてカウンターごしにひょいとこちらをのぞきこんで「おい、病院いくぞ」と言った。間近で見るその顔は、腕の立つ左官屋さんのようだと思った。
「ありゃ、けっこう深かねえ、骨の見えとる...」と夜勤の医者が言った。続けて「麻酔する?」と聞かれたが、たいそう酔ってて全然痛みを感じてなかったので「あ、いいっす」と断って5針ほど縫ってもらった。

翌朝目覚めたら周囲が真っ白で、一瞬雪の中かと思ったが、真夏の病室のベッドの上だった。めちゃめちゃな二日酔いで脳みそがまるでひからびたレモンみたいになっていた。そんなパサパサ脳ミソから昨晩の記憶を最初から順番に絞り出してたら、飲み会が終わりアーケードをわがもの顔で歩き出したところ、まだその登場場面までたどり着かないうちに「よう!」とあの兄さんがはいってきた。
誰だか思い出すまで、2秒くらいかかった。あわてて、「おはようございます」と挨拶をし、続けて「きのうは、ありがとうございます」とお礼をいった。しらふで見ると彼がその筋の人間であることがアホな大学生にでもはっきりとわかった。それでひょったしたら、たくさんお金とか請求されるんじゃあなかろうかとびびった。びびってたら「ほら、アイス」といってアイスクリームをくれた。
いっしょにアイスを食べながら10分くらい話しをしたけど、アイスの種類も話しの内容もすっかり忘れてしまった。「ここ、おれの顔きくけん、心配せんでよか」と言うと名も告げぬまま去って行ってしまった。

そんなことがあったので、あごの左下のとこには傷跡が残っている。そこだけ白く細長い線が引かれていて髭が生えてこない。あんまりいいことがなかった大学時代を象徴するような不毛の場所だ。仕事柄、一週間に一回くらいしか髭をそらないし鏡もめったに見ないので、その不毛地帯を意識することなんてめったにない。めったにないんだけど、今やそれなくしては顔も人生も成り立たぬ、大切なものだ。

今回の曲
Grace Jones 「La vie en rose」

エディット・ピアフの原曲を聞く前にこっちを聞いた。「人生はばら色だ!」と何度も繰り返し絶唱するのを聞いてたら、なぜかしらん自分の未来をぎゅうと抱きしめたくなった。そのことが大学卒業後パリに行くきっかけのうちのひとつとなった。


azisakakoji

 
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