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お知らせ

2010年12月26日

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絵箱屋は、年内は12月19日までで終了しました。
しばらくお休みして年が明けての1月は15日の土曜日より、またはじめます。
年末年始、実家で10点ばかり新作を作ってこようと思っています。
今年はありがとうございました。
ひきつづきよろしくお願いいたします。

投稿者 azisaka : 06:07

11月18日、ミゾグ。

2010年12月14日

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 いつものように朝から絵を描いてると、胸ポケットの携帯が震えた。取り出してみると連載仕事一緒にやってる仲良しの編集者だったので「いよーっっす!」と勢いよく出た。が、返事がない。あれ?切れちゃったかなと思ってると受話器からとぎれとぎれに黒くてバサバサした固まりが耳の中に入り込んできた。
「う、わ、何だこりゃあ」と不意をつかれてまぬけ顔で突っ立ってると、やがてそれらはゆっくりと脳の中の言語を司る部分あたりにたどり着き、パラパラと崩れ落ちてことばになった。
ことばを解するに、「ミゾグが昨晩、事故で死んだ」らしい。

ミゾグはイラスト仕事をしはじめた時からのむかしなじみだ。耳の先でボロボロ泣いてる彼女にとっては仕事仲間、姉貴分にあたる。そんな内容の知らせをやっとのことで引き渡すと、彼女は耳元からすぐに消え去った。そりゃあそうだろう、とっとと自分のなみだに専念せねばならないからだ。

仕事場から四畳半の小さな畳敷きの部屋の真ん中に場所を移すとその場にへたり込んだ。30秒ばかしたつと両の目からぽたんぽたん温かな雫がこぼれ落ちてきた。正座して拳を膝の上にのせ肩を震わす。窓の外のカラスの目には、でかい幼稚園児が障子破いてしかられていると映っていることだろう。やがて、ひっくひっく、えーんえーんと声をあげて泣きはじめた。音声ありの涙にびっくりした。ドラマや映画を見てのことなら4、5年に一回くらいはあるが、現実のことでは相当にひさしぶりだと思った。たぶん小学校以来だ。

そういう具合にしばらくの間メレメレと濡れそぼっていた。しかし8分ぐらい経過すると、ぴたりとやめていきなり立ち上がった。ずっと様子を見ていたカラスは、のぞいてるのがばれちまった!とギクリとし、カーと一声叫んで飛び去った。

立ち上がったのは、「こうしちゃおれん」と思ったからだ。
40数年生きながらえてきた甲斐あって、たいていどんな別れの痛みも、やがて当初の激しさをやわらげ形を変え、こころのどっかに納まるものだとはわかっている。
時の経過、時間っていうのは、たまにじれったくて文句もいいたくなるが、それでも信頼できるただ唯一の処方箋だ。
しかし今回はそういうわけにはいかなかった。どうしてかっていうと四畳半で震えてる背中に誰かの声が届いたからだ。声は「時間に頼らんで、自分で何とかやってみなよーっ」と言っている。
カラスにしてはやわらかいな...おお、ミゾグの声だ!

そんなわけで取り急ぎ立ち上がってみた。けれど、「いったいどうしろっていうんだ?」と途方に暮れた。しかしそれもつかの間のこと。絵描きなので絵を描くことにした。そうだ、ミゾグ、あいつのポートレートを描いてみよう。写真、どっかにあったっけ?デジタルになる前とった写真が何枚かあるがあれは実家だ。パソコンの中に最近のは入ってない。共通の友人にメールで送ってもらおうかとも思ったが、今は誰とも彼女について話したくない。ううむ、しまったなあ。
それでネットの画像検索に彼女の名を入れてみた。そうするとすぐに酒場で笑ってる小さな画像がほんの数枚見つかった。それ見たらまた四畳半で正座したくなったがこらえた。残念なことに写真が見つかったはいいが小さすぎるし求める表情ではなかったのでパソコンをぱたんと閉じた。そしたら、そのぱたんという音でひらめくものがあった。
そうだ、なにも新たにミゾグの絵を描く必要はない。今描いてる絵をミゾグ化しよう。

この場にたまに書きなぐってる文章読んでる方々はご存知の通り2年前から大きな長い連作を描いている。今はその21枚目で、下描きが終わり濃淡をつけはじめたところだ。画面には近未来風の高層ビルが立ち並びその真ん中に高速道路、道路の上では祭りかなにかの行進がおこなわれている。
午前中の仕事場である台所(昼前はここが一番陽がさすのでここで絵を描く)に立ってるイーゼルの前に復帰すると下地用の白絵の具をとりだし、描かれてるビル群をさっさと塗りつぶした。
そうしてぽっかりあいたその真ん中に鉛筆で大輪の花の形をした建物を描き、その図太い茎に当たる部分に彼女の命日と名を書き込んだ。まわりにはやはり、蓮やマーガレットなど花の形のビルを並べた。すると少しだけ安心した。
だいたいこの大きさのキャンバスだと完成するのにひと月半くらいかかるだろう。そのくらいの期間、毎日彼女と向き合っておれば、それなりに生きてた頃とは別の関係が育まれ始めるだろう。

昼を過ぎたので仕事場を居間(西南向きで日没寸前まで明るい)に移しそのままずっと描き続けた。携帯が5、6回鳴ったようだった。やがてすっかり陽が落ち手元が暗くなった。少しだけお腹がすいたのでバナナとりんごを食べ、豆乳を温めて飲んだ。普段なら自然光が費えた時点で筆を置くのだけど、その日はデスクライトを側に運んできて夜中も描き続けた。そうやって10時を過ぎるころ、疲れて眠くなった。それで歯をみがいて布団をしいて横になった。すぐ眠りにおちた。

夢には誰も出てこなくて深く寝て目が覚めてトイレに行った。ついでに炊飯器に付いてる時計見たら5時だった。「おお、朝か」と暖房のスイッチを入れ部屋が暖まるまでと布団に舞い戻ったとたん昨日のことを思い出した。そうしたらぎゅっと切なくなってきたので、それをバネとし起き上がり布団をたたんで、パソコン開いてメールを見た。すると週一回連載のマンガの原稿が送られてきていた。「こんな心持ちのときにお笑い考え出さんといかんのかよぉ」と嘆いた。しかし仕事とあらば仕方がないのでとりあえず読んだ。ところが読み終わる頃にはなかなか面白く笑えるマンガのネタが頭に浮かんできていたのでびっくりした。脳のしくみはいったいどうなってるんやろう?まったくチンプンカンプンだ。
せっかくなので忘れないうち、さっさとノートに下描きを描きつけた。描いてて自分が情のない人間のような気がした。終わると陽がのぼり光が射してきたので、悪事をもみ消すようにそそくさと台所へ行き、新しい水を汲みまた昨日の絵の続きを描きはじめた。

数時間くらい描いてるとトイレに行きたくなった。行ったついでに炊飯器見るとすでに12時を過ぎていたので、何か食べようと思ったがいっこうに腹がすいてない。たいていは何があっても食欲だけはあるのに、身体はきちんと悲しんでいるのだなぁと感心した。まあいいや、「エーゲ海」でも食べよう。「エーゲ海」というのはトーストにオリーブオイルぐるりと垂らして上から摩った岩塩ふりかけて食べる、最近慣れ親しんでいる食べもののひとつだ。なんとなく地中海っぽいのでそう勝手に名付けた。
エーゲ海2枚食べて温めた豆乳飲んだら今日はプールへ行く日だったことに気がついた。それで歯を磨き風呂場の窓際に干してある水着や水泳帽をとりに行った。洗濯バサミからはずしながら、ああこいつらを夕陽に向かって干したときには、まだミゾグは生きていたのだなと思った。
とことこ歩いてプールへ向かった。素足にサンダルはもはや冷たかった。

あいかわらず人はまばらで、コースがひとつぽかんと空いていた。泳ぎ始めて驚いたことに、水を掻く腕も蹴る足も軽くしなやかに動き、泳いでるっていうより誰かに引っ張られてるような気分がした。身体がまるで名うての船頭さんに操られる川船みたいにすーっと進んでく。とってもいい気分だ。しかしどうしてだろう?ああ、そうだ昨日からほとんど何にも食べてないからだ。それで身体が軽いのだ。しかし、ということは最初の数百はいいがじきにへたばるな...
思った通り、普段だったら調子が上がってくる千メートル越したあたりで手足のキレがどろんと鈍くなってきた。でれでれカップルに足で漕がれるアヒルボートになったみたいだ。それでも今年は一回に3千と決めているのでアヒルのままガァガァと最後まで泳いだ。
中華料理店の店先にぶらさがってる北京ダックみたいな態でプールから上がり、よろよろとシャワー室に向かった。途中、見慣れぬインストラクターの人が「お疲れさまでしたーっ」と笑いかけてきた。整った容姿の女の人で素敵な笑顔だったので、ちょっとドキドキした。ドキドキとしたあと、昨日人が死んだのに不謹慎だなあと思った。

そのあと最寄りのディスカウントスーパーへ行った。香典袋を買うためだ。朝メールを見た時、今晩のお通夜、明日の葬儀の案内がきていた。ふたつとも彼女の実家のある大分でおこなわれる。お通夜には行かないことにした。自分がお通夜に出るほど近しい友人ではなかったような気がしたからだ。葬儀の後ろの方にこそっと座るのがよかろうと思った。
店に入るとあいかわらずいろんな国の言葉が飛び交っていた。今住んでる辺は留学生や海外からの出稼ぎ人が多く暮らしてるのだが、この安売り店は彼らの一番人気なのだ。独特の活気があって、買いものに来る度むかし住んでたパリの移民街を思い出す。真っ直ぐに文房具コーナーへ行ってみると、黒いひもで巻いた封筒はいくつか種類があった。何しろはじめてのことなのでどれが葬儀用にふさわしいのかわかんなかった。けど見るとそれぞれ裏にちゃんと説明がなされていたので、相応のものひとつとって買いものかごの隅に置いた。
その後食品売り場へ行った。ピーマンと挽き肉を買うためだ。泳いでる時ふと、今晩はミゾグとゆかりのあるものを食べようと思い立ったのだが、それが生のピーマンに炒めた挽き肉を詰めたものだった。彼女が博多にいる時分よく行ってた居酒屋、定番の品だ。シャキッとした肉厚のピーマンなかったし肉の種類も味付けも適当だが、それなりの感じは出るだろう。
他の雑多な買いものもついでに済ませ、いつものごとく混んでるレジへと進み列のしんがりにならんだ。やがて順番がまわってくると、つい最近までお姉さんだったようなおばさんがいた。置いたカゴからてきぱきと品物をとりあげるとピッピッとバーコード読んでとなりのカゴへ移していく。最後に底に香典袋がのこった。それを見つけると少しうごきがゆるやかになり、後方から取り出した小さなビニール袋の中にいれた。そのあとコクンとほんの微かにおじぎをするとかごの上にそっとおいた。「ああ、この国のこういったとこは、ほんとうにいいよなぁ」とそんなふるまいを見てしみじみ思った。
帰ると水着洗って干して、また絵の続きをはじめた。日暮れまで描いて風呂に入り肉詰めピーマン作って食べた。意外にうまかった。

ミゾグに最初会ったのはパリから帰って福岡に住みはじめた頃だ。彼女は大学出たてのタウン誌の編集者、こっちはかけだしのイラストレーターで、他の二人の編集者とともに北九州へ街の取材に行った。京都の大学を出たというがなんとも不器用で、田舎にずっといたような純朴さがあった。それに惹かれ見ていると、格好つけで弁ばかりたつパリジャンに慣らされ固くなってた眼が、ほぐれていくみたいだった。
それから彼女は熱心に働き経験を積み、10年ほど前、福岡から大阪へとその編集の仕事の場を移した。

さて、明日の葬儀、せっかく彼女の生まれ育った町へ行くのだから、その片鱗にだけでも触れようと、町を取材し絵地図を描く心持ちで臨もうと思った。つまり車で一緒に行こうとの誘いを断り、ひとり始発電車で行くことにした。着いたら葬儀のある午後までカメラ片手に彼女の故郷をめぐるのだ。ダンボールの奥から、絵地図の仕事やってた当時いつも着てたジャケットも引っ張り出してきた。気合い十分だ。一張羅のスーツとネクタイのセットをリュックに詰めると安心し、シャワーを浴びて早々に寝た。

朝起きて駅へ行くと、彼の地へと向かう特急列車「ゆふの森号」は始発も次も、その次も予約で満席だった。「え、あの、立ったままでもいいんですけど」と食い下がったけれど、それはダメだと断られた。鈍行で行くと遠回りになり葬儀には間に合わない。秋の真ん中の晴れた土曜日なのだから、由布院行きの特急が満席であるのは仕方ないことなのだろうが、行楽客ごときに進路をふさがれようとは。ううう...ちくしょう...とうなだれてしまった。うなだれてる背中に「うひゃはははーっ、感傷旅行やろうと自分に酔ってたのが覚めたやろーっ、ちゃんと取材は前もって準備しとかんとね!」とミゾグの声がつきささった。

あわてて昨日誘ってくれた友達に電話すると、こころよく同行を了解してくれた。ほっとし、待ち合わせまでだいぶ間があるのでとぼとぼ家へ舞い戻った。しばらくお茶飲んでぼおっとした。それから、車で行くんならはなから着用やなと、スーツを袋から取り出してみたらしわくちゃだった。着る機会2年もなくて畳んだままにしといたのでもっともなことなのだが、困った。ひとつしかもってないネクタイさえ折れ曲がっている。ひゃあ、そのまま電車で行ってたらたいそう礼を欠くところやった。やばかったぁ。
近所の友達に電話してアイロンを借りることにした。ありがたいことにすぐに持ってきてくれた。ほんとうは彼にやってもらいたかったのだが、忙しそうだったので自分でやることにした。小学校の家庭科以来で、思い出の中の古いやつと違ってすぐに熱くなったのでびっくりした。熱くなった後たくさん種類がある目盛りにたじろいだけど、どうにかめぼしをつけカチリと合わせ、ぐいと手に持ちスーッとアイロン走らせた。が、ぜんぜん走んなかった。家庭科でやったのは真っ平らのハンカチ、スーツの造形は立体だ。なんとか苦心してアイロンあてるものの返って強いしわができてしまう。肩や袖の部分なんて実に微妙な曲線で、ピンと張らせるのは不可能に思えた。そしたらクリーニング店をやっているいとこのことを思い出した。訪れるとニコニコ話しながらも、手は休まず次々と軽快に、まるで花に水撒くようにアイロンがけをしている。すばらしく高い技術だったのだなと感心した。
けっしてピンとはしないが、なんとかしわがそんなに目立たないようにはなった。汗だくになったのでシャワー浴びてたらすでに待ち合わせの時間になってたのでいそいで家を出た。

乗っけてってくれたのは、ミゾグと初対面の時の北九州取材を仕切っていた編集者で、その大先輩に当たる人だった。彼女に最初に会ったときも最後に会うときも、同じく彼の車に乗っているということがたまらなく不思議だった。高速を走りながら、とぎれとぎれに思い出話をした。2時間かそこらで彼女の町の名の標識が見えてきたので高速を出た。少し下ると、ぱあっと視界がひらけた。どちらともなく「いいとこやぁ」とため息がもれた。小春日和のこの上ない演出差し引いても、なだらかな山々に抱かれたその土地のたたずまいは美しかった。
道の駅があったので、おにぎりかなんか食っていこうということになり駐車場へとはいった。するとすぐさま、ひげもじゃで赤黒くて斜めに帽子かぶったおじちゃんが跳ねるようにやってきて、満車だからしばらく待ってるようにと言った。山丈がいたらきっとこんな風だと思った。見てるとだだっ広い駐車場、方々から次々入ってくる車に跳ねてって、おなじことを繰り返してる。あんな味わい深い顔と動きの人は自分が今住んでる街にはいない。いいなあ、と思った。結局とめる場所がないのであきらめて葬儀場へと向かった。

彼女が横たわる建物は盆地の真ん中、川沿いの田んぼの中にちょこんとあった。少しだけ時間に余裕があったのでいったん前を通り過ぎ、川向こうへ出てみたら天然酵母のパン屋さんがあったのでそこに車を入れた。引き戸を開けて中へはいると小麦のいい香りがする。くるみパンとと抹茶あんパンを買った。彼はくるみパンだけだった。店の裏手にまわり川辺に出ると前方、晩秋の山の景色が広がる。樹々も果実も家も人も陽光に溶け、黄金色に塗られた一枚の大きな絵を見ているようだった。その一色で塗られた絵の底、中ほどに小さな長方形の穴がぽっかり空いていて、それが葬儀場だった。そんな絵の前で立ったままむしゃむしゃパンをかじった。ふたりとも何も話さなかった。やがて食べ終わりお腹は満ちたが、四角い穴はくっきり黒く空いたままだった。

到着するとみんなすでに着席し、式がはじまろうとしてるところだった。末席に腰を下ろすと、目前にたくさんの喪服でできた大きな灰色の固まりがあった。そのてっぺんにちょこんと遺影が乗っかっている。その顔はなんだか会ったことない知らない人みたいだった。やがて誰かが低い声で何か言ってるのが遠くの方で聞こえ、お坊さんらしき人がお経を唱えはじめた。けれどその音声は耳の中に入り込む重さをもたず、頭上をすらすら通り過ぎると田んぼの上へ散っていった。なんだかすべてが絵空事のよう、歯医者の待合室のテレビで芸能人の葬式でも見てるみたいだった。
と、突然耳に聞いたことのある名が流れ込んできた。我に帰り身をのりだして見ると、弔辞を読むべく立ち上がる一個の背中が見える。ミゾグの訃報を最初に知らせてくれたなじみの編集者だった。その時、その彼女の背中だけが自分とミゾグを繋ぐ生身の具体的な存在であった。なのでそれをよすがとし両の目はいきなり涙を生産しはじめた。こういう場所では泰然としとくもんだと構えていた心がぐにゃぐにゃになった。
とてもいい弔辞だった。

式が終わりぱらぱらと外にでた。たくさんのなつかしい顔に、あいさつするでもなく少しだけ頭をさげ続けた。それぞれの顔の、額に落ちた深い影を見ながら、絵を描かぬ彼らはこの二日間をいったいどのようにして乗り切ったのだろうかと思った。許されるのならば個々に聞いてみたいと思った。
なんとなく立ち去りかねていたら「彼女が最後にやりとげた仕事です。この本、たったひとりで編集したんです。」といって本をもらった。”お惣菜とおつまみ”という題名だった。

家へ帰り着くと、筆箱の中から油性マジックを取り出し、イーゼルの支柱の突端に”ミゾグ”と名を刻んだ。絵を描くことを自分の仕事だと決めて以来、大切な人が死ぬとそうするのが習わしとなっているからだ。彼女は5人目。一昨年亡くなった伯父のとなりだ。

絵を描いてると、話し声が聞こえる。

ミゾグ「こんにちはーっ、はじめまして」
伯父「おお、こんにちは。いらっしゃい」
ミゾグ「うわあ、牡蠣と日本酒ですかぁ」
伯父「癌が見つかってから酒類は絶っとったけん、こっちへ来てまたこうして飲めるのは幸せですばい...」
ミゾグ「しかも小粒で濃厚な九十九島の牡蠣と波佐見の純米酒!」
伯父「あなたも、いっしょにいかがです?」
ミゾグ「あ、どうも...」

「くーっ、うまい!」

投稿者 azisaka : 07:34