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まなざし

2011年10月01日

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「あずみ」っていうマンガがある。
主人公の女の子らは生まれた時から人里離れた山奥で共同生活、
忍術や武術、剣術なんかの特訓をひたすら受ける。
そしてしかるべき年齢になったとき山を下り、殺しを命じられるのだが、敵が相当な使い手なのにもかかわらず、あっけなく斬り殺してしまう。
山の中の閉じた世界、その忍術仲間の内においては、獣よりも素早く駆けたり、飛んでくる矢を紙一重でかわしたり、猪を一刀両断にしたりするのは、他のどの仲間でもできるごく普通の当然のことだった。
しかし、そこから一歩出てみたらそれは人間離れした特別な能力で、対する剣客の動きがやたらとのろい。
まるでスローモーションでも見ているようなのだ。
自分の強さはごく当たり前と思っているので、相対した敵の弱さのほどに主人公のあずみはただただあきれ驚いてしまう。そのくだりが面白い。
 
さて、むろん、彼女らなんかとはまるっきり桁が違うのだけれど、ちょっぴり似たような経験がある。
大学に進学し、中国拳法の部活をはじめて間もなくの頃だ。
他の連中はほとんどが武術は未経験だったけど、こちらは中高あわせて5年間、週末だけとはいえ空手の道場に通っていた。
そこではまあ、強くもなけりゃあ、かといって負けてばかりというわけでもない、普通の空手やってる兄ちゃんだった。
しかし、大学の部活ではけっこう強い兄ちゃんになっていたのだ。
寸止めではなくグローブはめて実際に殴っていい、ってのが性に合っていたのかもしれないが、とにかく楽に勝ててしまう。
パンチパーマのケンカでならしたというやつ(なんでこんな輩が国立大学に通るのか不思議だったけど)も、見た目は非常に怖いが、組み手やると突き蹴りはぜんぜんしょぼくって、その弱さ加減にびっくりした。

そんなわけなので、さしてまじめに練習したわけでもないんだけど、最初の大きな大会(つまり新人戦)は一回戦、二回戦と勝ち上がり、いつのまにやら準決勝まで勝ち上っていた。
「ほう、これは優勝するかな...」とちょっとだけ思った。
それで「よっしゃあ」といつになく気合いを入れて試合に臨んだ。
ところが、「おりゃーっ」と放った拳はいとも簡単にかわされ、代わりに見たこともない早さでパンチが飛んできた。
しかも重い。
ズバーン。
なんだあこりゃあ!?いってえーっ、頭ぐらぐらやん、ひゃあ!
と、あっけにとられてるうち、さらにズバーン。
たちまち2本とられあえなく敗退。

後で聞くとそいつは高校時代ボクシングで鳴らした強者だった。
まるっきり格が違ったのだ。
まあ、それでも三位決定戦には勝ち入賞を果たしたので、その後しばらくはクラスや同郷の仲間内ではちょっとしたヒーローだった。

しかし良かったのはそれっきり。
その後ずっと華々しいものはなかった。
せいぜいが小さな大会で2、3回勝ち、準々決勝に進むくらい。
高校までの武道貯金はすぐに使い果たしたし、大学での生活に慣れ夜のバイトをはじめ、練習あんまりまじめにやんなくなったからだ。

さて、そんな風に生きてたら若い3年間なんてのはすぐに過ぎ、大学最後の大きな大会が数ヶ月後に迫ってきた。
するとなぜだか無性に、このまま卒業してしまうのは良くない、という思いが強く湧きあがってきた。
一花咲かせなければ、いろんなものに対して申し訳がたたない。
いろんなものって何やねん?っていうと、かつて通ってた道場の先生や、生んでくれた親や、お天道様とか、そんなもんだ。

その頃、部の実権はとうに後輩に移って半分引退の身であったし、卒論や就職活動で忙しい時期だったので、部活には行っても行かなくてもよかった。
けど、そんなわけ(申し訳がたたぬ身の上)なので他の部員が不思議がる中、毎日真剣に練習した。
部活のない日は自主特訓と謳い裏山を走り込んだ。

”別に誰かに頼まれたわけでもないのに、勝手に自分を追い込み、ただひとつのことだけにひたすら打ち込む”のが非常に心地いい!
ってのはこれはかつてむさぼり読んだスポ根マンガ、とりわけ梶原一騎の強い影響だ。(たぶん)
人生の端々でちょこっとは生活を”ジョー化”しないことには生きているという実感がわかないのだ。

だんだんと、なまってた身体がひきしまり、心身が野性的になってくるのがわかった。

そうこうするうち日は流れ、最後の大会がやってきた。
身体がとっても軽い。
なんにしても同じだと思うんだけど、調子がいい時っていうのは、その実感があまりないもんだ。
つまりうまくやってるときには、うまくやってるというという意識がない。
事に当たって計画だとか戦略だとかをたてる前から身体が勝手に動いて、気がついた時にはすでに事は終わってしまっている。
したがって、自分でやったっていうより、誰かにやってもらったみたいな感じで、充実感はあんまし得られない。
たとえば、ふと顔を上げたら、眼前にいつの間にか素敵な絵が出来あがっていたりとか(時々ある)、はっと気がついたら想っていた女の子が隣で眠っていたりとか
(ほとんどない...)

さて、その時、つまり先ほど話してた大学最後の大きな組み手の大会の時は、すぅーごーっく!調子がよかった。
したがって、(笑っちゃうけど)はっとわれに返ったら決勝戦の舞台に立っていた。
いつの間にやら4、5人に勝っていたというわけだ。
(なんとその中には驚いたことに、その頃負け知らずの現主将の後輩や、よく練習試合やる隣の大学随一の猛者なんかもいた。)

でもって今、対峙してんのは、なんと伝説のあの人だった。
学生時代、無敗の天才として九州中にその名を馳せた人だ。
かつて彼のライバルといわれた人で、うちの部にときどき指導にやってくる、これまた名うてのすさまじく強い先輩がいるのだが、
その先輩といえど、ただの一度も彼に勝てなかった。

今は社会人になってるそんなレジェンドな人が、なんでまたこの大会に出てるのか不思議だったんだけど、彼には彼の理由があったのだろう。
むろん、彼が出場すると決まった時点でその優勝は約束されてんのと同じだった。

さて、伝説の彼の、そのライバルであった先輩とは何度か拳を交えていた。
交えたっていうか、あんまり桁外れに強いので、交える以前にたちまち突き蹴り入れられて完敗した。

そんな先輩より彼は数段強いっていうんだから、あれこれ考えてもまあ無駄なことだろう。
第一、目の前に立つそのたたずまいの、深い森のような静けさが「ここは頭を使うとこではありません」ってこちらに告げているではないか。

頭を閉め、こころをすっかり身体にゆだねる。
”はじめ”のかけ声があがる。
それとともに、すーっと前に出て行く。
気負いなんてものはなく、無防備でふてぶてしいことこの上ない。
皇室に招かれて、やおらパンツ一丁、縁側に寝そべって池のでかい錦鯉見ながらアイス食べ食べマンガ読んでるみたいだ。

スパーン!と伝説男の左の胴、きれいに蹴りがはいった。
さして重くはなく、実践であるならば痛手なんてのはほとんどなかろう...
が、タイミングが良かった。
審判は三人とも即座に旗をあげ、一本となった。
会場はみんなびっくり仰天、すさまじい歓声。

伝説は「あれ?こんなので一本?」と少し眉をあげ、驚いた風な顔をした。
が、それももつかの間、その眉間のとこが、ぴかーんと輝いた。
わあ、本気になったのだ。
すっと、構え直すのだが、ほうとため息をもらすほど、かっちょいい。
今まで実際に対峙したことのある立ち姿の中で、最も美しいものだった。

見とれていたら、左の脇腹のとこが、ちょこっとだけむずっとした。
そのむずっとしたところが、相手の右足をすさまじく大きな吸引力で引き寄せる。
びゅううううううーっ!

ど、す、ん!
それは明らかに、部活で武道やってる学生の蹴りではなく、武道家の蹴りだった。
胴を巻いておらねば、あばらが数本折れていたであろう気がした。

ほわあ、こんな人、こんな世界もあるのだなぁ、とすっかりぼんやり夢心地になった。

そうやってて数十秒たち夢からさめると、伝説の男がさらに一本とって勝ち名乗りをあげているところだった。

閉じてた耳が開き、そこに拍手が鳴り響く。
わあーっ!
拍手はこちらに向けられたものが多いような気がした。
なぜなら、聞いたこともないやつが決勝まで勝ち上がり、さらには伝説の男から、へなちょこ蹴りだとしても一本とったからだ。

と、前置きがずいぶん長くなってしまったが、以上はちょっと格好つけた自慢話で、別にあえて語るほどのことでもない。
語りたかったのは以下のことである。

勝っても顔色一つ変えぬ伝説男と主審に礼をして自分の大学が陣取ってる場所へもどると、拍手と歓声が出迎えてくれた。
ふうと、腰を下ろし気がつくと汗びっしょり。思わず声が漏れた。
「誰かタオル...」
するとすぐさま、斜め前から「押忍!」といってタオルが差し出された。

差し出した男の、その瞳を見てびっくりした...

彼は同じ大学の人間ではない。時々練習試合をする近くの私立大学の2年か3年で、何となく顔を覚えてる程度の目立たぬ存在だ。
その彼が向けるまなざしの質が、それまで経験したことのないものであった。
それが、たいへん好意的なものであるというのはわかった。
しかしそれは、お乳飲ませてくれる母の目でもなければ、チョコレート渡す女の子の眼でも、口づけ交わす恋人の瞳でもなかった。

ああ、これは”尊敬”のまなざしだ!

生まれてはじめて向けられる、「あなたは、ほんとうに立派です、すごいです!」という声明だ。

彼の瞳にはいっさいの曇りなくガラス玉のようにピッカピカで、
ほんとの真心だけから生じる光を放っている。
まったくもって信ずるに値するものなので、その輝きが望むのであれば、たいていの規則は犯すことができるであろうし、己が腕の一本や二本くれてやってもまったく惜しくはないという心地がした。
あるいは、その輝きのエネルギーによってどんなことでもできそうな気がした...

さて、それから二十数年が経つ。
不思議なはなしだが、四年間の大学生活の中でもっとも繰り返し思い出されるのは、というより絶えず身近にあり、ときおり強く感じるのは、
他でもないこの名も知らぬひとりの青年の、一回限りのまなざしだ。

例えば、パリ暮らしの時代、貧しい身なりの黄色いアジア人というので邪険に扱われた時、福岡へ帰ったもののイラスト仕事がなく途方にくれてしまった時、ベルギーに住み始めたけれど人付き合いがいやになり孤立した時、自信をなくし冷えた心を暖めてくれたのは、
他ならぬ彼の瞳に灯るあかり、つまり”こんな自分でもかつて一度はたしかに人に尊敬されたことがある”という経験の小さな輝きであった。

そしてまた、それ以上に驚くべきことには、絵を描きはじめてしばらくしてからは、彼のそのまなざしが、最も信頼のおける批評家となったことだ。
どういうことかというと...

大学出てバイトしながら絵ばっかりひたすら描いてたら、しだいに、他の絵描きのことは気にならなくなってきた。
どのみち自分よりはるかに優れてるので、比べてみたって己のふがいなさに嘆くだけだし、あんまし為にはならないからだ。
さらにはだんだんと他人の評価というのもそれほど大切なものではなくなってきた。

問題は自分だ、他人は関係ない、と思うようになった。
周りがどうであろうと、自分が充分に力を尽くしたと納得したならそれでよい。
そうしてできた作品の横に並べて比較するとするならば、それはただ唯一、自分の過去の作品だ。
今描き上がったものが、昨日描いたものよりもちょっとでも良くなっている、と、そう自分が思えばそれでいいんだ。
(以上、大仰な言い回しで恐縮です。)

ところがしかし、それだけでは、何かが足りない...

”自分”だけではなんだか不十分なのだ。
自分以外の別の何かが”良し”と言ってくれないことには、納得し先へ進むことができない。

その”何か”に、彼のまなざしがなったのである。

つまり、「うむ、今日はけっこういい絵が描けた」と筆を置くとする。
その時、ほんとうに力を尽くし良くやったのであれば必ずや彼が登場し「押忍!」と言ってあのまなざしを向け、タオルを差し出す。
しかし、自分が良くやったと思ってても、実際に(どんな実際かまったく謎だけど...)そうでなけりゃあ、彼は現れない。

このように、自分以外のもので、現実にはいないのにもかかわらず、その行いを、何がしか尊いものとして承認してくれる存在、そんなものに、もはや彼と、その瞳はなっちまったのである。
ひゃあ、びっくりだ...

先に話した最後の大会の時、その時は、誰がどう見たって主人公は準優勝した人間の方で、2回戦かそこらで敗退しタオル差し出した人間の方ではない。
しかし、その後の人生ではなんとすっかり立場は大逆転してしまった。

タオルは、準優勝のことなどすっかり忘れ去ってしまっているだろうが、準優勝にとってタオルは今や、その生活を時に励まし、時に律する、輝けるヒーローみたいな存在となっている。

まったく人の世のしくみというのはちんぷんかんぷんだ。

彼は、映画とか小説とかそいうった芸術作品をつくったわけでもなければ、講演や論文で自説を説いたわけでもない。
もちろん権勢を笠に大きな声で命令したわけではさらさらない。
他人を一度、ほんとうに敬っただけである。

人を動かすには、真心から生じた敬意のまなざしを向ける、ただそれだけで事足りる。

他の人はどうか知らないけど、少なくとも、ぼくの経験はそう物語っている。


と、書いて、けっこう満足して筆を置く。
「押忍!」と言って彼がタオル差し出す。

おお、やったーっ!
でも、彼について書いたものだからなあ、点数が甘いのは当然やもんね...

今回の曲
小川美潮「夜店の男」

パリに暮らしてた頃、ベルヴィルっていう移民街のぼろアパート、中庭挟んだはす向かいの住人はファンキー野郎だった。
しょっちゅうバカでかい音で、J.Bやスライやパーラメントを聞いていた。
それに対抗して負けじと大音量で聞いてたのが、ちょうどその頃友人に送ってもらった小川美潮のCDです。
パリを舞台に日米戦!(笑)
なので、この曲聞くと、なんでか屋根裏の窓からほんのすこし見えるモンマルトルの丘のことを思い出す。
彼女の歌声はあの街の長い夕暮れによく似合ってた。

azisakakoji

 
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