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マンガ傑作選その33

2013年01月04日

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”その時”にちゃんと気がつかないとだめですよねっ!

さて去年の暮れ、友達(仲間内では”姉御”と呼ばれてる装丁家)から電話があった。
「ねえ、あんた福島菊治郎って知っとる?」」
「あー、なんか聞いたことあるような...」
「なんねー、知らんとねー、今、写真展あっとるけん、ぜひ見に行きいよ」
「あ、は、はい、行きます」
と、いって見に行った写真展はとてもよくって強く心を打たれた。
以前雑誌なんかで見たことある写真がいくつかあったけど、写真家のことはぜーんぜん気にしたことがなかった。
あいかわらずの世間知らず、迂闊のうっちゃんで、遅まきながらそこに置いてあった彼の著作を買って帰った。

ここ5、6年、年末年始は実家へ帰省し両親と静かに過ごす。
この時ばかりは絵は休み、親の買い物につき合ったり日頃見ないテレビ見たり、裏山走ったりする。(プール休みで泳げないので)

それ以外はひたすら本を読む。
去年はなんでか、リルケの小説やセザンヌの書簡集、ブラッサイがピカソについて綴ったものなどヨーロッパ近代のはなしが多かった。
一昨年はというと「ドクトル・ジバコ」(長いっ!)で、すっごく面白く夢中で読んだ。
(なんで絶版で新書で手に入らないのかがわからん)
今年はというと、最初手にとったのが先述の菊治郎さん、彼が日本の戦後を切り取った作品(ぐいぐい読んでしまう)だったせいか、期せずしてそんな風な本が多くなってしまった。

どれもこれもとてもよかったので、大きなお世話だと知りつつも「読んでない人は読んだらいいのにな」と思って、読んだ順番に以下に記します。

「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘」福島菊治郎
「写らなかった戦後2 菊次郎の夏」福島菊治郎
「戦後史の正体」孫崎享
「写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな」福島菊治郎
「社会を変えるには」小熊英二
「日本は悪くないー悪いのはアメリカだ」下村 治
「3月のライオン8巻」羽海野 チカ
「狼煙(のろし)を見よ」松下竜一
「私たちはいまどこにいるのか」小熊英二

「ひゃあ、なんか硬い本が多いなー」って思われるのもっともですけど、そんな気分だったんだからしょうがない。
寒いと自然にあったかい鍋料理が食べたくなるのとおんなじです。

「あんたみたいな絵描き風情やったら、正月にのんびり読書でもできようが、こっちはサラリーマンで、そんな悠長なことやっとられんぜ」って、不平言われる方もいらっしゃると思います。
うう、それはもっとも...
けどせめて孫崎さんの「戦後史の正体」だけでも
読んだらいいのになあ、と思います。
手に汗にぎりまくりましたもん、ほんとに。

けれど全部の中で一番「ううむ...」とうなった文章はっていうと、それは「私たちはいまどこにいるのか」に載ってた、小熊英二が渋谷陽一のインタビューに答えた以下の部分です。

”普通”の市民が”保守”に吸収されていってしまってる、という話しにつづいて...

渋谷「だから今の時代においては、やっぱり何がしかの明確なメッセージ性、求心力のある強いコピーを打ち出すことが必要だと思うんです。」

小熊「コピーというのは、いまはどうかと思いますね。消費速度が早いから、あっという間に捨てられてしまう。それに”わかりやすいコピー”なんて、ほんとうに欲されてるのかな。たとえば、全共闘のときのマルクスなんてちっともわかりやすくない。むしろわかりやすくないから、みな一生懸命読んだ。」

渋谷「そうですね。」

小熊「必ずしもわかりやすいものを求めているわけではない。さっきもいったように、人間は強欲だから、自分で努力したり、参加したり創造したりする余地のあるものでないと、本当は満足できない。全共闘運動のときは、既存の政党やセクトを拒否して自分でビラを書いたりグループをつくるのがはやりましたが、いまのブログやホームページの氾濫をみても、人は与えられるだけでは満足できなくて自分でつくったり参加してみたいのだなと思います。だから明確なキャッチコピーを与えて客を惹きつけるという、その発想が限界にきていると思うんです。(略)
 あえてマーケティング的な言い方をすれば、消費者が成熟しているから、もはや新商品を提示されただけで喜んで買う状態ではない。どういうコピーを提示したらいいかという発想自体を、考えなおしたほうがいい。」

渋谷「だけど、それだとなかなか次が見えにくいと思うんですよ。現実がどんどん変わっていってるいまだから、僕はもうちょっと明確で具体的なものが欲しいな、と思うんですよね。」

小熊「だから、”明確なものを提示してほしい”という、その発想を疑ったほうがいいと思う(笑)。(略)
 “明確なもの”なんて、人から提示してもらうものじゃない。しかも一行かそこらのキャッチコピーで(笑)。
そもそもいまの人は、本当は”これだ答えだ、こうしろ”というふうに言われたいと思っていないでしょう。」

渋谷「うーん、なるほど。」

以上は2003年のインタビューだけど、2012の夏に出した本の中で小熊英二は、500ページを越えるその大書の最後のしめくくりの言葉としてこう記している。

 運動とは、広い意味での、人間の表現行為です。仕事も、政治も、芸術も、言論も、研究も、家事も、恋愛も、人間の表現行為であり、社会を作る行為です。それが思ったように行えないと、人間は枯渇します。
「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいましたが、それはある意味至言です。「対話をして何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。
(「社会を変えるには」)


あ、ところで年末のこと、
新聞にユニクロの大きな折り込みチラシが入っていた。
こたつに入って本読んでたら、炊事終った母がやってきて「あらぁ、またユニクロの広告がはいっとる」と手に取りパンっとこたつの上に広げ、「あといっちょヒーテックば欲しかっちゃんね、安なっとらんかね」とか何とか言いながら熱心に見ていた。
と、いきなり不平を言いはじめた。

母「”あたたかくてカワイイ!”って書いてあるばってんさ、 ”カワイイ”って書いとったら、わたしらおばちゃんは引くっちゃんね...」
僕「ふーん、でもさ、どがん書いてあったらいいん?」
母「あたたかくて、誰にでも似合う!」
僕「ひゃはははは...」

azisakakoji

 
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