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神社とプール
2014年07月10日
引っ越しをしようと思っていた。
それでいろんな物件をさがしていた。
住まいをさがすときに最も大切なものがふたつある。
1)神社の近く
2)プールの近く
まず、神社ってのは、昔から”気”がいいとこを選んで建てられ、さらにそこに人の手で樹々が植えられているので、辺りがひじょうに心地よい。
過去を振り返るに、長崎は諏訪神社も、博多は筥崎宮も、その近所は住んでてとっても気持ちがよかった。
それで今回も、過去十年ばかりの暮らしの経験に従ったというわけだ。
続いてプールだが、プールには週に3回行くというのが習わしだ。
これも長年続いてる。
そうしないと、絵をうまく描けないし(”うまい絵”を描くというのとは違うぜ)、毎晩飲む酒がうまくないからだ。
3千メートルを続けて泳ぐと、けっこう身体がへとへとになる。
絵をうまく描いたり、ご飯をうまく食ったりするのには、この”身体がへとへとになる”ってのが肝要だ。
漁師や大工さんみたい、自らの身体を動かして仕事をする人の生活に、ちょっぴり近くなることができる。
さて、前置きが長くなっちまったが、思いが叶って、先月なんとか引っ越すことができた。
けど、引っ越し先の近所には神社もプールもない。
「えーっ、何なん?今までの書いてきたのと、話しが違うやん、わけわからん...」
まあ、そんな風に皆さんが思われるのもいたしかたがない。
そう、もちろん、お聞きいただいたように、神社とプールってのは家を探す時の大切さでは二大巨頭、最も頂点に立つものだ。
決してないがしろにできる代物ではない。
けれど皆さん忘れちゃあいけない、そのふたつの下には、たくさんの”まあまあ大切なこと”が存在しているのだ。
つまり、交通や買い物の便だとか、物件自体の日当りだとか間取りとか...普通一般のことだけど...
そういうものにも、人は従わなくちゃあならない、従わざるをえなかったりもする。
凡庸なものの数を増やさんがため、大切だが特異な少数をあきらめねばならぬということもある。
そんなわけで悲しいかな、新しく住まい始めたとこは神社もプールも持たぬとこだった。
しかるに神社はさておき、泳ぐのは日々の生活に必要だ、なくてはならないことだ。
それで、当初は仕方なく遠方のプールに自転車で通っていた。
「え、当初?」
そう、な、な、なんと、聞いておくれよおっ母さん。
いつも利用する駅やスーパーのある場所とは反対側、山の手を散歩していたらたまたま出くわした。
でっかいスポーツジムが建っていたのだ!
突如眼前に現れた時には、びっくり仰天して「おおーっ」と叫んだ。
家から歩いて8分くらいのとこにプールがあったのだ。
もう、そりゃあ、飛び上がって喜んだ。
そのジム、新しくてネットの検索にうまくひっかからず、家探しの時には見落としていたのだ。
しかも、今まで通ってたジムより数段環境が良くって泳ぎやすい。
うひょーっ、やったーっ!と、ここ数年で一番うれしかった。
(まあ、こう言っても他人にはうまく実感できんやろうけど,,,)
それにしたって世の中は不思議だ。
昔っからいろんな人が言ってるように、
大切だ大切だと思って懸命にさがしてたら見つからないのに、
それにとりあわなくなかった途端、目の前に現れる。
欲望ってのはそれが強ければ強いほど、表に出してはいけないみたいだ。
一旦強く思ったのなら、あとは懐(ふところ)深くしまって、知らんぷりをしてるほうがいいみたい。
探しものっていうのは、探せば探すほどみつかんない。
バスは待てば待つほど来ない。
猫はさわろうとするとさわらせてくんないし、恋人は好きというほど遠ざかる。
強い欲望びしばし叶えて、絵を描くのも、恋人見つけるのも、たぶんバス待つのも猫さわるのも上手かったであろう、ピカソも言っている。
「Je ne cherche pas, je trouve. 」
(私は探さない、ただ見つける)
と、まあそういうことで、とりあわないでいたならば、神社もそのうちひょっこり現れるやろう...