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いっちょん

2015年06月10日

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”いっちょん”っていうのは、九州の西のあたりの言葉で、「まったく」とか「全然」とかいう意味に近い。
「うちん孫は野球ばっかいして、いっちょん勉強せん」とか「おいは安倍のやつぁ、いっちょん好かん」とかいう風に使う。

自分のまわりの人間で、この”いっちょん”をとりわけ強靭に用いる女がいる。
長崎は諫早出身のレイコだ。
思わずレイコと呼び捨てにしたが、齢(よわい)八十のばあさんだ。

縁あって仲良くなって、年に数回酒を飲む。
うっかりばあさんといったが、見た目は六十くらいで、中身は三十くらいの勢いを持っている。
若い時分に惚れたフランス男とパリに渡って以来、ずっとパリ暮らし。

そいでもって花の都で、恋愛以外は何やって暮らしてたのかというと、特殊メイクだ。
3Dなんてちゃらいものがなかった頃(あ、それに携わってる人、すまん)、独自の技術で俳優たちを綺麗にしたり醜くしたり、老人にしたり怪物にしたり...
この分野のパイオニアだ。
ヘルツォークの「ノスフェラトゥ」も、ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」も、彼女のメイクに依っている。
ひゃあ、すごい...

さて、彼女が数年前、「赤とんぼ」という本を出版した。
”赤とんぼ”とは旧日本海軍の練習機のことで、その飛行場が彼女の生まれ育った地にあった。
長年生きてるので、原爆の被災者の手当もすれば、特攻兵を見送りもする。
そんな自らの戦争体験を綴った作品で、少女の目線からの徹底した描写はとても読み応えがある。
聞くところによると、映画化の予定だってあるらしい。

酔いが回ってくると彼女の口(レイコ・ルージュという、ゲランかロレアルに特別に作ってもらった口紅が塗ってある)から、そりゃあ耳障りのよい、つうか、耳応えのある長崎(諫早)弁が飛び出してくる。

「ここん鯖は五島んにきでとれたとやろ、うまかねーっ、よそじゃ食べれんばい」
「あたしはさあ、諫早ん潟の、栄養たっぷりの泥ん中から生まれてきた人間やけんね、地力が違うとばい」
「近頃の映画はつまらんとの多かー、コンピューターばっか使ってさ、人ん手のぬくもりみたいなんがなかたい...」

そして、時にこう言うのだ。

「こうちゃん、あのさぁ、あたしゃ、戦争はいっちょん好かん!」

この”いっちょん”が、なんとも力強く心に響く。

おそらくは、何十年も遠い異国に暮らしたせいだろう。
フランス語(たまに日本の標準語)しか、話す機会がなかったせいだろう。
幼少期に用いていた故郷のことばが、当時と変らず冷凍保存され、純朴な強さを持ったまま、身の内に存在しているのだ。

むかし読んだ、石牟礼道子だったか森崎和江だったかの文章に、フィリピンに”からゆきさん”を訪ねていく話しがあった。
九州の農山漁村から遥か見知らぬ地に売られていった少女たち(二度と再び故郷には帰れぬまま、今はおばあちゃんになってしまった)に、戦後しばらくして会いに行くはなしだ。
作中、彼女らが語る言葉が、”今では誰も話すことのなくなってしまった、むかしの美しい天草なまり”であったので、それを聞いた作者が胸を打たれ涙するというくだりがある。
むろん、”からゆき”と”パリゆき”ではなにもかもが大きく異なる。
いっしょに並べてはいけないのだろうと思う。

しかし、レイコさんの、”いっちょん”には、数秒だけなら同じ土俵にあげてもいいような強さを感じる。
その言葉の響きだけで彼女の思いのたけが伝わるのだ。

”いっちょん好かん”戦争なんて、
金輪際、何があっても、絶対に、まっぴらごめん!
イヤなのだ、反対なのだ、やってほしくないのだ。


(今回の曲)
Boris Vian「Le déserteur」

こがんご時世やけん、訳もつけとくばい。
(こんなご時世なので、訳もつけときます)

ボリス・ヴィアン「脱走兵」

大統領閣下
お便りを差しあげます
もしお時間があるなら
お読みいただけますでしょうか

私は、ちょうど今、
召集令状を受け取ったところです
水曜の晩までに
戦争に出発せよとの命令です

大統領閣下
私は戦争をしたくありません
哀れな人々を殺すために
この世に生まれてきたわけではないのです

あなたを怒らせるつもりなどありません
しかし言わせていただきます
私は決めました
脱走します

私は生まれてこのかた
父が死ぬのを見ました
兄達が出征して行くのを見ました
子供達が泣く姿も見ました

母はずいぶん苦しみました
今は墓の中で眠っています
爆弾ももう平気です
うじ虫だって大丈夫です

私は捕虜だったとき
妻を奪われました
魂も奪われました
愛しい過去さえも奪われました

明日の朝早く
死んでしまった年月にきっぱり別れを告げ
扉を閉め
放浪の旅へと出るつもりです

ブルターニュからプロヴァンスへと
フランス街道沿いに
物乞いをして生きるでしょう
そうして私は人々にこう云います

服従することを拒否せよ
戦争することを拒め
戦争へ行ってはいけない
出征を拒否するのだ、と

もし血をながさねばならぬのなら
どうぞあなたの血をお流しください
あなたは偽善者です
大統領閣下

もし私に追っ手を放つのなら
部下の憲兵たちには、こう云えばいいでしょう
奴は武器をもっていない
発砲してもよろしい、と

(訳:アジサカ)

この歌、勝手な望みを言わせてもらうのなら、
江戸アケミに歌ってほしかったなぁ。

azisakakoji

 
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