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ちひろ、あずさ、リルケ
2016年10月03日
うちの奥さんの仕事は学校の事務員だ。
3年くらい前からは特別支援学校に通ってる。
特別支援学校っていうのは何でか辺鄙なとこにあるので通勤が大変だ。
まずは駅へ歩いて15分、電車に乗って10分、地下鉄に乗り換え30分、最寄りの駅で降りたら、そこからさらに自転車漕いで15分。
通勤だけでも一苦労、毎日なかなかのもんだ。
それで夕刻へとへとになって帰ってくる。
へとへとだけど疲れたらなぜか気分が高揚するタイプの人間(かつおしゃべり好き)なので、晩御飯食べながら、その日学校であった出来事なんかを、怒涛のごとくにはなす。
校庭にでかいヘビがいたとか、事務室に蟹が入ってきたとか、パソコン紛失したとか、不審者対策の訓練あったとか、教頭が京都に出張で生八つ橋買ってきたとか、中等部の~ちゃんが行方不明になったとか、車椅子の種類の豊富さ、生徒の微妙な表情を読み取る先生のすごさ、~ちゃんのしぐさの可愛さ、~くんの癇癪のはげしさ、お気にいりの子の様子、苦手な子の様子、学習発表会やクリスマス会の様子、~ちゃんのお母さんの服のセンスのよさ、~ちゃんのお父さんの元気さ、別のお父さんのイライラ具合、掃除のおばさんの関西弁のおかしさ、用務員のおじさんの何でも修繕できるすばらしさ...
で、生徒たちが授業の一環で作ったり、卒業した生徒が働く作業所で作ったりした陶器だとか、コースターだとか洗濯バサミ、パンやクッキーや饅頭なんかを事あるごとに買ってくる。
それで家の食器棚には、ちひろだとか、しんやだとか裏に刻まれた器が少なからず並んでて、「きょうのカレーはどの皿にする?」「あ、ちひろにしよう」というような具合だ。
さて先日は、重度の障害を持つ生徒の一人が指談で書いて自主出版したという詩集を買ってきた。
「なんか、とてもいいんよ」と言ってぐっと差し出すので、ぱらぱらと読んだ。
うん、いい。
作者は松田梓さん。
こんな詩だ。
『大きなお世話』
「大きなお世話だなあ」
と思うときがある
私は動物が苦手なのに
「可愛いでしょう?」って
犬を触らせられるとき
生まれてから何度もある
母は犬が好きだから
「可愛い可愛い」って喜ぶけど、
私は、早くあっちへ行って欲しい
怖くて内心ビクビク
障害児は犬が好きだって
だれが言ったのかなあ?
『バラの花』
自己顕示欲の強い花
「私きれいでしょ?」って
ツンとすましてる
「キレイキレイ」って人から言われる度に
「そうでしょ、そうでしょ」
と言っている
この傲慢さが私は好き
いかにも花らしい
綺麗だから花なのに
「私、大したことないの」って
言ってる花はつまらない
私もバラに負けない花でいたい
『邪魔者とお客様』
同じ私なのに
邪魔者だったり
お客様だったり
飛行機でも
レストランでも
空いてる時には大事なお客様
混んでる時には
迷惑な邪魔者
言葉じゃなくて
じわっと空気で伝わってくる
混んでる時には家にいて
空いてる時には出かける
それがうちのルール
学校をサボってばかり
先生ごめんなさい
読みながら、数年前に読んだ本のことを思い出した。
熊本に住む思想家の渡辺京二が東京から来た女子大生たちの質問に答えるというものだ。
こんなことが書いてあった。
~自分が生きていくということ、これが一番大事で、なぜそうなのかというと、この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
リルケという詩人がいますが、彼は人間はなんのために存在しているんだろうと考えたのね。人間は一番罪深い存在だという見方も当然一面ではありますが、ごく自然に言って、人間はあらゆる意味で、進化の頂点に立っている。人間は神様が作ったものじゃない。ビッグバンから始まった宇宙の進化が創り出したのが人間という存在である。
ではなんのために、この全宇宙は、この世界という全存在は、人間というものを生み出したのであろうか。
その時に彼は世界が美しいからだじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい、誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいために人間を作ったんだというふうに考えたんだねえ。これは科学的根拠なんか何もない話で、学問的に考えると、とくに理科系の人は、そんなのは自然の目的論的解釈で、非科学的な哲学だというわけだね。でも哲学でけっこうなんだ。これは哲学なんだから。人間は、この全宇宙、全自然存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さというものに感動する。人間がいなけりゃ、美しく咲いてる花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか、だから自然が自分自身を認識して感動するために、人間を創り出したんだ。
そう思ったら、この世に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。全人間がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球に旅人としてごく僅かの間、何十年か滞在する。その間、毎年毎年花は咲いてくれる、これはすごいことでありまして、たとえばうちの庭の梅の花も、多少時間は何十日か遅れることがあっても、必ず約束したように、毎年毎年咲いてくれます。そういうふうに毎年毎年花を見る。毎年毎年、ああ、暑かった、ああ、寒かったと言って一年を送る、それだけで人間の存在意義はあるんです。この社会に出て行って、立派な社会貢献をしたり、あるいは自分の才能を持って名前を輝かしたりしなくても、ごく平凡な人間として一生を終わって、それで生まれてきたかいは十分にあるわけです。(以上)