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山本作兵衛さん その2(衝動)

2016年11月20日

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「作兵衛さんのことは、菊畑さんが言いつくしちゃってんだよなぁ...」と、日本の近現代史が専門の知り合い(市立博物館の館長もやってる)が飲み会の席で天井見ながらつぶやいた。
彼とはかつて一緒に奄美にノロの祭事(平瀬マンカイ)見に行ったり、何度か飲み食いしたりしてて、そのようなことに関してはなかなか信頼の置ける人と感じていた。
なので、「おお、そうなのか...」と心手帳に心赤ペンでしっかりくっきりメモしておいた。
菊畑さんってのは、画家の菊畑モクマのことだろう。

それから間もなく、作兵衛さんの絵がユネスコの世界文化遺産とかに登録された。
福岡でユネスコの偉い人を海外から招いて記念のシンポジウムみたいなのが開かれることになった。
何気にチラシを手に取ると講演者にその菊畑さんの名を見つけた。
そんなもの滅多にいかないが、「おお、よっしゃあ」と聞きに行くことにした。

会が始まって、何人かの挨拶みたいなのがあって、うとうとしそうになってたら菊畑さんの話がはじまった。
開口一番、「作兵衛さんは、こんなもの(世界文化遺産に登録されたこと)、屁とも思ってないないだろう」みたいなことを(ユネスコの人がいる前で)言ったので、場の空気がかなり凍りついた。

けれど、こっちときたらおかげで目が冴えカッと熱くなり、「ううう、きて良かった...」と身を乗り出しながら耳を傾けた。

話の中で、もっとも強く心に突き刺さったのは、作兵衛さんが炭鉱の絵を描き始めた動機についてのものだ。
一般的には、その自伝からとった「孫たちにヤマの生活やヤマの作業や人情を書き残しておこうと思いたった」という説明がなされてる。

しかし菊畑さん曰く、「人ってのは、そういうんもんでは絵は描かない...」

作兵衛さんは太平洋戦争の前からずっと炭鉱で働いていた。
しかし、戦後間もなく石油へのエネルギー転換の波が押し寄せ、炭鉱は閉山、解雇された彼は夜警宿直員(16時間勤務)として働き始める。

戦争中、彼は息子を亡くした。
長男の光さんは招集され軍艦羽黒に乗艦、マラッカ海峡で英艦船から集中砲火を浴び戦死したのだ。
享年23。

夜警の間、真夜中に一人、夜の闇の中いて、彼は戦死した我が子のことを強く思ったに違いない。
戦争や、この世の中の理不尽さ悲惨さを、強く思ったに違いない。
死んだ我が子に何とか近づきたい、対話したい、なにか表現したい、具体的な形にしたい...

とりあえず、彼はむかしから絵が好きだった、上手であった。
宿直室には紙と墨があった。
その衝動に駆られるまま、日常、見慣れた炭鉱の生活を描いていった。

笛を吹くのが得意であれば笛を吹いたであろう。
文章がうまいのなら、歌を詠み、詩を書いたかもしれない。
喧嘩好きなら人を殴ったのかもしれない。

紙がなけりゃあ、壁に、墨がなけりゃあ木の枝で描いただろう。
漁師なら魚獲りの、大工なら大工仕事を描いたであろう。
描くことさえできれば、題材は何だっていい。

ひとは、”記録”などのために、”絵”は描かない。
ひとが何かを表現するのは、やむにやまれぬ衝動があるからだ。
まず、”衝動”ありき。

と、まあ、菊畑さんの話を、自分の言葉で勝手に要約するなら、こんな具合に聞こえた。

作兵衛さんの画集を開いて、人がまず息を飲むのは、圧倒されるのは、その描写の緻密さや克明さ、”記録”的な素晴らしさ、などではない。
それは一枚一枚にどす黒くうごめき燃え盛る、名付けようのない一個の衝迫、衝動だ。


azisakakoji

 
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