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西郷さんシリーズ その1
2017年09月20日
だめもとで申し込んだら住宅金融公庫の融資に受かっちゃったので、それならばと、まだ30歳そこそこだったうちの両親はがんばって青い屋根瓦の小さな平屋を建てた。
玄関入ったらすぐに居間があって、細かく模様の入った赤い絨毯が敷かれ(その模様に沿ってミニカー走らせてよく遊んだ)、奥の壁には飾り棚がしつらえてあった。
その棚の左下半分、ガラスの引き戸がついてる何やら聖域みたいな感じの場所に、父がその当時大切していたであろうものが整然と並べられていた。
洋酒の瓶と金ピカの水割りセット、会社の卓球大会準優勝の盾に有田焼の絵皿、出張土産の民芸品....そんなのだ。
別府土産の風呂桶担いで腰に手ぬぐい巻いた上半身は裸の女の人形(当時、我ら幼い兄妹はそれを”エッチさん”と呼んでいた)のとなりには、写真のフィルムが入ってる丸筒とちょうど同じ背格好のちっぽけな木の人形が置いてあった。
紺色の柔道着みたいなのを着ていて、頭は坊主、やたらとでかいまん丸の目玉と真っ黒で図太い眉毛が付いていた。
ちょうど同じ様に太眉で目が大きな郷ひろみが登場して人気が出てた頃だったので、妹とその小さな人形指差しながら、「こいつ、ぶさいくな郷ひろみやん!」と言ってギャハハハ...と笑い転げていた。
笑い転げてると父が「笑ったらいかん。西郷さんは偉か人とばい」と少し真顔でたしなめた。
そんなに”偉か人”なら、こんな手も足もないこけしのできそこないみたいなやつじゃなくて、上野にある犬連れて仁王立ちしてるようなもっと立派な銅像かなんかを買ってくりゃあ良かったのに...とそう思ったけど、拳固をもらいそうだったので口には出さなかった。
さて、実は偉いらしいちっぽけでぶさいくな郷ひろみが、敬愛する”西郷さん”となったきっかけは高校の時、内村鑑三の「代表的日本人」を読んでからだ。
事の最初は、先輩に勧められてたまたま読んだクリスチャン作家といわれる三浦綾子の「氷点」に感動したからで、彼女の作品読み漁るうち、そこに描かれる”原罪”だとか”赦し”とかいったキリストの教えの世界に惹かれていった。
ああ、若いっていいよなあ...
それでさらにキリスト教関係(つっても高校の図書室にあるくらいの)の本手当り次第読んでたら、内村鑑三の伝記みたいなやつにでくわした。
いわずとしれた、思想も行動もそりゃあ立派なキリスト教の信者で思想家だ。
そんなとっても耶蘇耶蘇した彼が、日本人の代表として、ぶさいくなヒロミ郷のことを語っている。
イエスほどもあろうお方にも愛される西郷さんって一体全体どんな人だったん?
と、まあそんな感じで、「代表的日本人」を読み、そこに描かれてる西郷さんの姿に親しみを覚え、大学入ってからぼちぼち彼について書かれた本を読むようになった。
そしたら、ますます好きになった。
特に惹かれたのは、彼のその素朴で純真なでかい目玉、まなざしが、常に上ではなく下の方に注がれていることだ。
私利私欲にまみれた権威を嫌い、底辺で暮らす貧しいものたちを慈しむ、一言でいうならば”強きを挫き弱気を助ける”、そんな心情と、それをなんとか実現しようとする高い理想を持っていることだ。
そうであればこそ、道半ばで敗れ朽ち果てた後でさえ、「永遠の維新者」(by葦津珍彦)として、思想的に右であろうが左であろうが多様な人が敬愛してやまなかったのだろうし、その描いた夢は、それが途方もなく大きいゆえに、今もなお、権力に抗い力なきものに寄り添い行動するような人々にとって、そのゆく道を照らす光明となっているのだろう。
勝った官軍の上の面々、その末裔たちが今やってることの卑小さを見るにつけ、その偉大さを切なく思う。(ちなみに青地晨の名著「反骨の系譜」では、その筆頭に西郷隆盛を置き、田中正造、内村鑑三、大杉栄、河上肇、北一輝、石原莞爾、松本治一郎、正木ひろし、と続いていくぞ)
あ、すまん、ちょっぴり力んでしまった。
さて、そんなこんなで、絵を描いて生業を立てるようになってからは、いつの日か”西郷さんシリーズ”をやりたいなあ、と思うようになった。
思うようになったけど、その願いは懐にしまって別のことにかまけてた。
かまけててずいぶんたったころ、東北で震災がおこった。
できうるかぎりのことを見たり聞いたり読んだりした。
そうしてるうち、それぞれの問題は言わずもがな、何よりも、この国を牛耳って偉そうにふんぞりかえってる連中の言動、厚顔無恥なありさまに、もう、めちゃくちゃ腹が立ち、吐き気がするようになった。(今もさらに続行中)
それでちょっぴり気が変になりそうになった。
気が変になったら困るので、なんとかせんといかん...そうだ今こそ西郷さんを描こう!
そうすりゃあいくらか”心も晴れる”(byフィッシュマンズ)だろう。
こんな風にして6年くらい前から、まるで精神安定剤を飲むように、焼酎をかっくらうように、西郷さんの絵を描くようになった。
とはいっても、近所の兄貴分(長きにわたって新聞の文芸部にいて皆から生き字引と呼ばれてる)が言うように、”人物があまりにもでかすぎて、何人をしてもとらえきれず、未だに彼について書かれた決定本というものがない”西郷さんのこと、場末の絵描き風情が形に表すといっても、たかがしれている。
小坊がアニメのヒーロー描くように、「こんなクソみたいな世の中、西郷さんみたいな人がおったらいいのになあ...」と、坊主頭の男が飛んだり跳ねたりする様子を描くだけのたわいないものだ。
「西郷どんは死んで星にならしたとばい」っといって火星のことを西郷星と呼ぶ肥後の老婆や、出張の土産にと鹿児島の駅で彼のちっぽけな人形をそっと手におさめる父親と変わらない。
彼への親愛の情が自然と沸くので、それをただ筆の先から出しているにすぎない。
そうして自身の憂さ晴らし(by高田渡)をしてるのだ。
そんな絵が、気がついたら大小おりまぜ100枚くらいになっていた。
果たして絵なのか、飲んだ薬の包装紙なのか焼酎の空き瓶なのかわからないけど、できたからには人には見て欲しい。
なのでそろそろ展示発表とかとかせんといかんけど、個展はこの夏やったばっかりだ。
あんまし頻繁だとうざがられるだろうし、第一、絵を描くのと違って個展やるのって、とおっーっても面倒だ...
と、いうことで個展やるまでこの場で手軽に少しずつ取り上げていくことにした。
年代も大きさも手当り次第ばらばらで、今日はその第一回目、
「奄美に流された西郷さん、ノロの娘に恋をする」の図だぜ。