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西郷さんシリーズ その5
2017年10月03日
この夏、実家に帰省した時のこと。
父「こうじ、おまえ西郷さんの絵ば描きよっとってな?」
アジサカ(以下”ア”)「あ、うん...」
父「お前んとこはテレビなかけん知らんかもしれんばって、来年の大河ドラマは西郷さんぞ」
ア「あぁ、そうなん...」
父「いっちょ、おいが録画ばしとってやろうか?」
ア「え?...ああ、よかよ、せんで...」
父「ん?なんでや?』
ア「べつに、見らんでよかもん...」
父「え?見らんでよかって...お前、西郷さん好きやなかとかい?」
ア「好いとー、好いとー。やけん、いっぱい絵ば描きよるっちゃもん...」
父「なら、なんで見らんとか?」
ア「ううん,,,なんちゅうかさあ、大河ドラマとか小説とか、そんなんに出てくる西郷さんと、おれなんかが好きな西郷さん、なんかちょっと違うっちゃもん...」
父「はあ?」
ア「ほら、坂本龍馬とどうしたーとか、勝海舟とどうしたーとか、明治維新なんかで活躍さすやん」
父「うん」
ア「あんなん、あんまし興味なかっちゃんね...」
父「はあ...」
ア「なんかさぁ、表舞台でばしばし活躍しとらすとことか、みんなから”西郷どんのためならおれは死ねるぞ...”とか崇拝されらすとことか、あんまし見らんでもよかっちゃん」
父「はぁ?...おいは、ようわからんぞ」
ア「ああ、ごめん、ごめん、わからんよねぇ...お父さんは見りいよ、たぶん面白かよ」
父「...」
と、こんな具合に息子が説明めんどくさがったせいで、せっかくの父と子の(ひょっとしたら互いに実り多かったかもしれぬ)会話がぶち壊れてしまった。
すまん、父。
だけど、暑かったんだからしょうがない。
秋になって涼しくなってきたら、ああ、しまったなあ...とちょっぴり反省だ。
ぶちこわれちまった親子会話のこと思い出してたら、別の会話、つうか対談のこと思い出した。
西郷さんにまつわるもので、ひどく心に残ってる。つうか最も大事だと感じるもののひとつだ。
思い出したついでに以下にのっけるばい。
1975年のもので、当時、奄美大島は名瀬に住んでた島尾敏雄と、橋川文三の対談からの抜粋です。
島尾「ぼくはまあ、西郷はやりませんけど、西郷を書くとしたら、西郷と島の問題をやります。彼が島から受けた開眼というか、島でなにをみたか、ということですね。もう明らかに、本土とは違うんですから。生活、風習、言葉...すべてがね。西郷はそこから、きっとなにかを学んでいると思います。」
橋川「ぼくはまだ、デッサン以前の段階ですけど、わかりそうなのは、こういうことなんです。西郷が島から何を学んだか、なにをみたか、ということは、西郷が他の維新の連中と、違うことでわかるんです。それでは、西郷をして、他の連中と異ならしめたものはなにか。それはいまのところ、ぼくには規定ができない。たとえば、内村鑑三の場合は、西郷はなにかをみたにちがいない、というある確信をもって、西郷論を書いている。内村がプロットとしたもの、そのあたりへんが、解けてくるんです。内村鑑三と西郷を結びつけるという、意味ではなくてね。つまり、西郷が島でみたものは。日本の政治家が昔から、そして、いまもなお、みなかったものなんです。」
島尾「そうです。みなかった」
橋川「といっていいわけね。その逆に、事実を知らなかった内村鑑三は、勘でとらえた。で、西郷は偉大な先覚者である。西郷は神のインスピレーションを受けたんだって、ことになるわけ。そこの感じは掴めたみたいです。」
島尾「西郷が島でみたもの、それを具体的に指摘するのは難しいけれど、たしかに彼はみたはずなんです」
(「西郷隆盛紀行」橋川文三より)
おおお、ううう、西郷さんはいったい、何みたんやー!
”日本の政治家が昔から、そして、いまもなお、みなかったもの”ってなんなんだー...?
それをしっかりみることができたのなら、政治家ってのは、あんなんじゃなくって、もっとましになるのかー?
って、こちとら、なりますよね...
と、まあこんな感じを懐に抱きつつ、その日その日でふらふらゆらゆら適当に描いてる西郷さんシリーズ、今回はその第5回目、
「手前勝手好き放題に踊ろうぜ!」の図です。