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ミューズ

2018年01月20日

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「人の心というものは小説や芝居以上でございますから、出来上がる小説、芝居よりも深い心で皆さんも読まれたり観たりなさいます」(石牟礼道子)ってのは、何も小説や芝居にかぎったことではなく、音楽だとか絵だとかも同様で、まったく、そのとおりだと思う。

何年か前の夏、着てる服や乗り物なんかにドクロマークを掲げた「ドクローズ団」という連中が跋扈する絵の連作を数カ所で展示した。

長崎の出島近くの古いビルでやってた時のこと、ある日、60歳前後の女の人が5、6人静かに入ってきた。互いに話もせず黙ったままそれぞれの作品を見ている。と、その中の一人がこちらにそっと近づいてきて、神妙な顔つきでこんな風に問いかけてきた。
「髑髏がところどころに描かれていますけど、これはやはり原爆で亡くなった方々を表現されているのでしょうか?」

その数週間後、熊本はカフェの屋根裏部屋みたいなとこでやった時には、女子高生がぺちゃくちゃがやがやどたんばたん上がってきて、こんな風にはしゃいでいた。
「きゃああ、ドクロいっぱーい、かわいいーっ!」「ナイトメアー(ティム・バートンの骸骨男が主人公のアニメ)見ましたー?」「写メ撮っていいですかーっ」「あたしたち、ドクロ大好きなんですー!」

さて、「ドクローズ団」を描いてる最中もその前後も、原爆のこともナイトメアーのこともこれっぽっちも考えなかった。
それじゃあ、あちこちに描かれたドクロは何を意味してるんだい?と聞かれても、自分にもよくわからない。なんとなく「ああ、ドクロでも描こうかな...」といった感じで描いてたら、そんな作品がいっぱいたまってきたので「ドクローズ団」と名付けてひとまとめにして個展をすることにしたわけだ。

自分ではなんとなく、”浅い心”で描いたもの。それを、他人がそれぞれの”深い心”で見、そしてあれこれ自由に想像をめぐらしてくれる。
その思い描いたものを語り聞かせてもらう。
これは絵描きとしてたいへんな冥利だと思う。
「ああ、そんな風に見てくれたのか、感じてくださったのか、ありがたいなあ...」と心底思う。
そう思うと同時に、人の心の多様さ、その深さに安堵する。

さて、毎年作ってる熊本の友人がやってるセレクトショップのカレンダー、今年は女の子がずらっと居並ぶ大きなもの描いてみようと思い立った。
画面に収まりがいいようにいろんなポーズの全身像を描いていく。
描き終わってためしに数えてみたら9人だった。
ちょっと中途半端な数だけど、前方に5人、後方に4人で、バランスがいい。

カレンダーが刷り上がってきたので、知り合いなどに配って回った。

「おお、女神ですね...」

カレンダーを手にとってしばらく眺めてたドイツ語教えてる友人が言った。

「は?」

「だって9人。ギリシャ神話に出てくるゼウスの娘、9人姉妹の女神たちでしょ?」

「え?」

「だって、ほら、このコがたぶん歴史の神のクレイオ。で、こっちが天文の神のウラニア...」

「おおお...」

話の続きは→「コラム錆猫洞」

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