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きびなご

2018年02月04日

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四十を少しばかり過ぎた頃、長崎で一人暮らしをしていた。
長崎くんちで名高い諏訪神社のすぐそばの、とってもいい”気”が流れてる場所にある一軒家で、一階には大家さん、二階部分に住まわせてもらっていた。

お諏訪さんの参道の長い階段降りてくと、新大工町っていう商店街があった。
日がな一日中絵を描いて、暮れてきたら晩ご飯の買い出しに下りていくっていうのが日課だった。

下りてくと商店街の真ん中あたり、左手に天満市場っていう小さな市場があった。
大きな屋根の下、ちょっと薄暗くて、むかしはいろんな店がひしめき合っていただろうに、当時すでに半分以上の店が閉じていた。
肉屋と魚屋が数件に八百屋さんと果物屋さんに乾物屋さん...うら寂しい感じがした。
うら寂しいんだけど、そこに身を置くとなんだかほっとした。

市場の北の一番端に小さな魚屋さんがあった。
一畳ばかりの台の上、緑色のプラスチックの笊に乗せられて、いろんな魚が売られていた。
たいていは近海でとれたような小ぶりの魚で、おっきな魚や切り身なんかは奥の冷蔵ケースに並べられていた。
店が端っこにあるせいでそこだけは西日が当たり、一畳間の魚の群れはキラキラ光って、まるで小さな海原みたいだった。

冬場行くとだいたいいつもキビナゴがあった。
笊からあふれんばかりに山盛りで100円。
サファイヤみたいに輝いて、瞳に映るなり一日の目の疲れが癒えるようだった。
その見事さといったらカルティエの宝飾品も顔負けだけど、値段は一万分の一くらいだ。

そんな見てるだけでうっとりするものを手のひらにのせる。
「すまん...」と心中であやまりながら首をぶちっと引きちぎってはらわたを出す。
爪で開いて背骨をとって一番好きな平皿に並べる。
その時の、あたたかくぬるぬるした、そいでもって同時に、冷たくしゃきっとした、手の感触のなんとも言えぬ心地よさ。
さらにはそれを酢ぬたにつけて食らう時のこの上ない美味さといったら、マッコウクジラ並み、メガトン級の威力で、鯛も鮪も鰹も鰤も鮭も一発でKOだ。

そんなわけで、しょっちゅうキビナゴばかりを買っていた。
そうしたら、そのうち魚屋の兄さん(作家の中上健次に似てたので、一人勝手に”中上さん”と呼んでいた)から、会えば「おう、”キビ”の兄さん」と声をかけられるようになった。

いつもいつもキビナゴばかりで申し訳なくて「今夕こそは別の魚を」と心して行くんだけど、小さくて細長くて眩く光ってるあいつらを目にしたらその誘惑には逆らえない、勝てやしない。つうか”中上さん”、人の顔見るなりもうすでにキビナゴがのった笊に手が伸びるので、その期待には答えなくてはならない。

と、そんなたわいもない日常がたらたら続いてたある日、野暮用でしばらくの間ベルギーに行くことになった。
二ヶ月ばかり滞在し、戻ってきて時差ぼけでぼけっとしてたら、歯医者の友人から電話があった。
なんでも久しぶりに会うので「お帰りなさい持ち寄り飲み会」を開いてくれるという。
「おお、ありがたいことだ。よし、ここはいっちょう”鯛のエスニック風カルパッチョ”を作って持って行こう。」
ベルギーで友達に連れてってもらったカンボジア料理の店で食べたのがそりゃあ美味かったので、真似して作ってみようと思いたったのだ。

持ち寄り会の前日、夕暮れ時になるといつものように諏訪神社の階段降りて買い出しに行った。

最初、いつもの八百屋さんに顔を出して、パクチーを仕入れといてもらうように頼んだ。
スーパーやデパチカへ行けば、いつだって置いてあるけど、パックの中、四十女の後れ毛みたいなやつがはらっと入ってて198円とかだ、それではやってられない。
パクチーはいつだってこれでもかっつうくらい山盛りがいい。
ついでに一緒に刻んでのっけるネギとかいわれ大根、彩りにと赤と黄色のパプリカも買った。

これでよし...あとは主役の鯛だ。
うふふふ...魚屋の中上さん、びっくりするだろうなあ...なにしろ、鯛を一匹注文するのだ。
今日ばかりは”キビ”の兄さんではなく、”鯛”の兄さんと呼んでもらおう。
へへへ、中上さんってば、どんな顔するかなあ、楽しみだなあ、うふふふ...

さて、行ってみたら店は閉まっていた。
あれ、平日はいつだって開いてるはずなのに...と、思って気付いたら貼り紙がしてあった。

「永らくお世話になりました。◯月◯日をもって閉店致しました。中村鮮魚店」

ああ、あの兄さんは中村っていう名だったのか...中上とは一字違いだ...

それから10年くらいたった。
今は福岡に暮らしてる。
時々スーパーでパックに入ったキビナゴを買う。
「おさしみ用」ってシールが貼ってあるけど、煮付けか焼くかどっちかだ。

やっぱりさしみにするなら、中上さんとこの、西日を受けてキラキラ光ってるやつがいい。

今回の曲 
フィッシュマンズ「むらさきの空から」
冬になれば口ずさむ。彼らの歌で、この曲が一番好きだ。


azisakakoji

 
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