くじらとボニーとクライド
2009年10月05日
6月、よんどころない事情で実家に帰ってて何日目かの朝、新聞とりにでた庭で飼い猫よしよし撫でながら、ふと気づいたのは今日が父の誕生日だということだ。十中八九、父も母も忘れてるはず(老いるとはだいたいこんな感じだ)と思い朝食の時きりだすと、案の定「あー、そういえばそうやった」と無頓着だった。けれどもせっかく何十年ぶりかに夏休みでもないこの日に親子がそろってるので、3人で誕生会をしようということになった。「うわあ、ひさしぶりやあ」と父が喜ぶ。
母と買い物にでかけた。街一番の洋菓子屋さんでピスタチオ味15センチのケーキを、酒屋でちょこっと高い芋焼酎を買った。さて、夕食の献立は何にしようかと相談した結果「もう長いことくじらを食べさせとらんけん、ふんぱつしてくじらにしよう」ということになった。それで、冷凍の赤身と、おばいけ(尾びれの薄切り)を買った。ベーコンはさすがに高級すぎて手が出ず、次回の祝いの席にとっておくことにした。
くじら食べながら、いろんな話に花が咲き蝶が舞い鳥が歌った、つまり、ひどく楽しかった。ただ単に、こうやって自分の親と宴を囲むのがなんでそんなに心地いいんかいなと、不思議で仕様がなかった。こんな風な時も訪れるのであれば、年をとるのもそう悪くはない、皆に勧めようと思った。
ふつうは9時には床に着く父が11時過ぎまで飲んでいた。遅く寝たのに、翌朝はやはり6時に起き、散歩にでかけた。散歩といっても、3キロ歩く。毎朝だ。
そんな彼が数年前亡くなった幼なじみの秀やんの話しをしてくれた。なんでも、秀やんは80過ぎてもすごく元気で毎日野良仕事をやってたそうだ。けどある朝「じゃあ、いってくるけん」と畑に出て行ったっきりもどってこない。それで、家人がさがしにいったら、畑に行く途中の路傍にころんと倒れて死んでいた。
「秀やんみたいにすっきり逝くには、元気でおらんといかんけんね!」ということで、父は毎朝歩く。良く死ぬために歩く。こんな気の持ちようは一風変わってるが、とてもいいなあと思った。おれも見習おうと思った。
ところで、くじらといえば、パリに暮らしてた20代の頃、フランス人に「くじらって相当うまいっちゃんねーっ」とぽろっといってしまおうもんなら、一様に目を見開いてびっくりされ「うわあ、かわいそーっ」とか「おそろしい、なんてやつだ」などとしっちゃかめっちゃか言われ野蛮人あつかいされた。あるいは、インテリムッシュには「そりゃあ食文化の違いは尊重せんといかんけど、他の動物と違って知能が高いし数が少ないので、やめたがいい」風なことを言われた。
それで、「そーんなん、くじらだろうとあんたら好物のうさぎだろうと、ほかの生きものだろうと、いのちはいのちやろう。あんたら勝手に区別つけるんかい」「他のいのちを、うまいうまいと喰らわんことにはうまく生きれん、おれらみな悪人やろう」「そんな業を苦しく思って心のどっかでいつも頭を垂れるんが精一杯やん」「しかも、おれらちゃんと”いただきます”(あなたのいのちを頂きます)って手を合わせて食べるけど、あんたら”Bonappetit"(よい食欲を!)って叫ぶだけやん!」と、怒濤のごとくまくしたてようと思ったが、言い争っても勝ち目はないのでやめにした。なんでかというと、彼らはとにかく何にしても、自分が知らない事についてさえ、弁が立つからだ。仏語圏に計7年あまり暮らしたが、彼らの誰かと議論して「こうじ、おれの考えが間違ってた、ごめん」というようなことを言われたためしがない。しかも、おれが何かで「すまんかった」とあやまったりすると、「ほんとはそう思ってないから簡単に謝るんだろう」と咎められたりする。うひゃあ、だ。
それで、在仏中なかなか苦労した。ということはすなわち、非常にためになった。きっぱりと歯切れはいいが、口先だけで中身のあんましない人間というものが、意外とうまく見分けられるようになった。たいてい、国や人種がどうであれ、人間の格がほんとに高い人は静かだ。けっして多くは語らず、すっと黙って行動する。
まあ、ブログなんてものはやらないないだろう。
*今回の曲
「ボニーとクライド」
年をとるのも、こんな風にだったらちょっぴりやだなと思う動物愛護運動家ブリジッド・バルドーさんが、まだ女優やってた時、当時愛人だったセルジュ・ゲンズブールと歌ってる曲です。声も姿も匂い立つよな恋する女の艶やかさ。セルジュの醸し出す色気も尋常じゃない。ふたりとも、なんちゅうかっこよさだ。でも、ブリジッド、そのベレー帽、アザラシの毛皮じゃないよな。