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かきなおし

2010年03月23日

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ひょんなことから、今年は春に旧作を中心とした個展をやることになった。一月末にベルギーから帰国するとすぐさまその準備にとりかかった。展示する作品を選出すべく実家の押し入れからむかし描いたやつ引っ張りだして畳の上に並べる。ひさしぶりに古い絵(といっても4、5年前だけど)を手に取る。なつかしい...
ってなことなんかは全くなくって「あれ?」「なに、これ?」という感じだ。頭の上にははてなマークがいっぱい。その姿を誰かが見てたなら「こうじさんは、その時きょとんとしてました」と報告したくなるような状態だ。

つまり、絵を見てたしかに自分が描いたものだというのはわかるんだけど、いったいなんでそんなもの描いたのか、こんな色つけたのか、あんな形にしたのかがわからない。ぎくしゃくしてバランスが悪いし、手を抜いてて粗雑に見える、しょぼいったらありゃあしない。しかし同時に、それらを描いたその時々こと、誠心誠意全力出し切って描いたこと、はしっかり覚えてるので、注いだもの(時間やエネルギー)と眼前の作品のはげしい格差にあっけにとられてしまう。

あっけにとられてたって仕様がないので、手当り次第に描き直してゆく。描き直し方は様々だ。人物の表情をほんの少し変えるだけのこともあれば、微かにしか原型をとどめぬほど手を加えたり、時には全部塗りつぶして最初っから描き直すこともある。で、変な話しだが(当人は全くそうは思わないけど、聞いた人が大方そう言うので...)これがとっても楽しい。

雑誌広告なんかの気取ったモデルの顔に髭や変な衣装を落書きしてるような感じでもあるし、冷蔵庫の中の余りものをつかって料理してるようでもある。あるいは、昔の彼女と歩いたのと同じ街を新しい彼女と歩いてるような心地もする。なんというか、この絵は一回ちゃんと日の目を見てそれなりの生をまっとうしているので、失敗したっていいやっ、という安心感が筆をすいすいと進ませる。かといって、軽快なだけでもない。なぜなら白く塗りつぶしたとはいえそこは絵画。消去したらほんとの無になっちまうデジタルイラストとは異なり、その下には幾重にも絵の具が重なっている。それらの色や形の層が筆を下からぐいと引っぱる。そりゃあ強い抵抗力で、その手応えがまた心地いい。真夏のプール、図太い陽光が何百も降り込んで水が黄金色に濃くなるんだけど、それをざっぱざっぱと掻いて泳いでるみたいだ。

とはいっても、絵を描きだしたはなっからそんな具合に”描き直し”を楽しんでいたわけではない。当初は一応描き終わったのならそれはそれとして遠ざけて見ないようにし、次々に新しい作品を描き連ねていた。一回描き終わった作品に関わってたってあんまし学ぶことはないだろうと決めつけていたからだ。
しかし、あることがきっかけでそんな態度が変わった。今回はそれについて書きます。以前、ある新聞にエッセイを連載してた時に書いた話しの”書き直し”です。「話し」も「絵」と同じで、ひさしぶりに読むと「なに、これ?」で、書き直したくなります。つまり、以下は「描き直し」のはなしの「書き直し」というわけです。

5年前、ベルギーに住んでた頃のはなしだ。パリでの個展が決まりそれに向けて懸命に絵を描いてたら、ニューヨークで編集業に携わっているという女の人から突然連絡があった。なんでも今度ファッションイラストの画集を出すので作品を掲載させてくれないかという。初めてだというのにヘイとかヨォとかたいへん気さくだし、エクセレントとかスパースターとか持ち上げることはなはだしい。アメリカの人にはこういった感じの人が比較的多いと経験的に知ってはいたけど、それにしても軽率でなんとなくうさんくさい感じがした。ファッションなんてのに関わってる人ってのはちゃらちゃらしていかんよなあと思った。それでその時は適当に気のない返事をしておいた。すると間もなく、当時ちょっぴり世話になっていたパリのイラストエージェントの人から電話がかかってきた。彼が言うには彼女、VOGUEアメリカの編集部の人でその業界(ファッションイラストの業界というものがあるらしい)では有名なのだという。そりゃあ断ったりしたらもったいないと、掲載を承諾した。当時は(というか今でも)注文の来るイラストっていったら、ひとコママンガや食べ歩き文章の挿絵なんてのが主だったので、奇妙な感じがした。
するとしばらくして今度は「絵を買いたい、原画を見るのは困難なのであんたのHPに掲載されてるものから選ぶのでよろしく頼む」という連絡があった。

一方、そんなメールが来た時点でパリの個展まであますところあと2日になっていた。その時まで39枚の新作を描いていたのだけれど、告知していた枚数まであと1枚仕上げなければならない。しかし、買い置きのキャンバスが底をついてしまった。買いに行く時間さえ惜しいので仕方なく前回展示した絵に手を加えて出品することにした。物置から適当な大きさのやつを1枚選んで持って来て数ヶ月ぶりに見てみる。「ううむ、つまらん絵やぁ」「なんでこんなの展示したんだろう...」とため息が出る。しかしため息着いてる間も時はいっちまうので、あれこれ考えず感じるままにさっさと描き直しを始める。色や形なんて意識してる暇なんてないので、手の中に脳みそがある状態。ここをこうしようと思うのと筆を動かすのが同時だ。
さて、そうやってしばらく休むことなく筆を動かしていたら”ここをこうしよう”というのが尽きて見当たらなくなったので筆を置いた。そうやって目の前の絵を改めて見たら、髪型や背景などをほんの少し変えただけなのに、ぜんぜん違った印象を与える絵と成り代わっていた。さらにびっくりおったまげたことに新作40枚の中でも最も良い絵になっていた。  

もともとの絵を描いたのは一年前である。その時に髪型や背景変えたらもっと良くなるなんてこと、まあぁーっったく気付きはしなかった。したがって、その”ほんの少し”の変更ができるようになるために1年もかかったということになる。ありゃー、何てこったい。求めるものは足もとに転がっていたのに、そこに辿り着くまであちこち迷い、遠回りをし、こんなに長い道のりを要してしまった。しばしの間ずしんと落ち込んでしまった。

しかし、それじゃあその遠回りがあんた辛かったのかい?というと、そうではない。それどころか、その道程こそが生きているという確かな実感を与えてくれる唯一のものだ。そういえば三國連太郎扮した阪田三吉が浜辺に這いつくばって「将棋の神様よぉ、お願ぇだーっ、おれを日本一の将棋さしにしておくんなせーっ」と咆哮する伊藤大輔かだれかの映画があった。それを見た時、「三吉さん、ひょいと願いが叶って苦もなく日本一になったりしても楽しかあないだろうに、なんで願いごとなんてするんだろう」と不思議に思った。
高度なナビシステムついた自動車でさあーっと目的地に辿り着いたとしてもあんまり楽しくはない。長い道、自分の足でてくてく汗かいて歩いていくのが楽しい。目的地にある名勝の景色より以上、通りすがりに見る路傍の草花が美しいし人の心を豊かにする。したがって目的地は遠ければ遠いほど、道のりは長けりゃ長いほどいい。
と、そんなことあえて望まなくったって、この描き直して今は輝いてる絵だって数年後には「あれ?なんでこんな絵描いたん?」と感じられるようなしょぼい絵に立派に成り下がっているだろう。そうしたらまた描き直す。終わりはない。

さて、話しがいささか大業になったが、こういう風にして40枚目の絵が完成したので、さっそく写真にとってサイトにアップした。

しばらくして先のニューヨークの人から連絡があった。買いたい絵が決まったという。彼女が数十枚ある中から選んだのは驚いたことにその描き直した絵だった。ぼくは背筋がぞっとした。さすがプロだ、なんという目の確かさだと畏れをなした。そして彼女のこと、ファッションかぶれのお調子者だとあなどっていた自分を深く恥じた。

と、まあ以上が前に書いたはなしの書き直しだ。

ところで、今回この春の個展には100点近くの作品を展示したのだけど、それらは大きく4つのカテゴリーに分類される。
1)全くの新作
2)旧作の中で「しょぼいぜ」と思い描き直したもの
3)旧作の中で「けっこういかすぜ」と思いそのまま出品したもの
4)旧作の中で「しょぼいぜ」と思ったけど描き直さず出品したもの

さて、4)は全然期待してなかったのに、1)~3)と変わりなく好いてくれる人がおり、それどころか中には一番気に入って買ってくださる方もいた。
ということは、おれの”しょぼい”は誰かの”いかす”になり得るということだ。
だとするとおれは、たくさんの誰かにとっての”いかす”を自分の楽しみだけのために描き直すことによって”しょぼい”にしてしまってるのかもしれない。
だれかにとっての菜の花畑を勝手にコンクートで埋めてしまい、そこに今流行りのカフェかなんか立ててるのかもしれない。
いったん描き終えたやつは誰かの花畑たることをそっと祈り、野に放っておいたほうがいいのだろうか...それともそれこそ身勝手な余計なお世話なんだろうか...うう、わからん。
しかし、わからんからこそこの世はいかしてるってのだけははっきりわかる気がする。
そのおかげで、おれのようなものの立つ瀬がある。

今回の曲
Metric「Sick muse」
ここ数年、絵を描きながらほとんど毎日聞いてるのが彼らMetricの曲で、なんで聞き飽きないのかとても不思議だ。ブリュッセルでのライブをうっかり行きそびれたのが今でもたいそう悔やまれる。

投稿者 azisaka : 20:14

不毛地帯

2010年03月04日

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今は現代美術館なんてものに変わり果ててしまったけど、むかし熊本は上通りアーケードの入り口に、”いきなり団子”(熊本名物)屋さんがあった。いつだってもうもうと湯気をあげており、すぐれた絵画や彫刻に劣らず人の心を豊かにしていた。先月、個展の搬入のためひさしぶりに大学時代を過ごした熊本へ行った。街をふらついてたらその団子屋さんがあった場所に行き着き、そうしたら思いだしたことがあるので書きます。話しの都合上、出だしがちょっと荒々しいですが勘弁してください。

大学受験ってのはでかい鉄のポンプみたいなやつだ。朝取り大根のようにみずみずしい若者の水分、すっからかんに吸い取って茶色の切り干しにしてしまう。逃れる術を知らずただ生真面目に勉強するしかなかった高校最後の半年は、潤いのないまるでタクラマカン砂漠みたいな生活だった。そんなわけだったので大学入ったら、軽いサークル掛け持ちし女の子らとはしゃぎ、勉強は適当にやって気楽に暮らしてゆこうと計画していた。ところが、新歓コンパなんかで実際そういう風に気楽にやってる先輩見たら、こんなだらっとした人間にはなりたかないよなあ、と強く思った。強く思ったまさにその隙を付け込まれ、勧誘され、気がついた時には道着きて帯びしめて、中国拳法の練習に励んでいた。
励んではいたがあんまり他の部員にはなじめなかった。一言で言うと汗臭く野暮ったい人間ばっかりだったからだ。だから部活が終わるとミーティングもそこそこに、すきっとシャワーを浴び夜の街へバイトへ出かけた。だからといって、学部にいる流行りのポストモダン本読んでるお洒落連中とは仲良かったのかというとそんなこともなく、彼らにはもっとなじめなかった。ひ弱でいかんと思った。(あ、どっちとも少し言い過ぎなので、もし誰か読んでたらすまん)
無理して一言でいうのなら、”フランス製のワークウェア粋に着て畑を耕し(あるいは魚を捕り)、その合間に分厚いロシア文学読んで「人とは何か」と自答してるような若者”たることを自分にも他人にも強く欲していた。
が、そりゃあ無理ってもんだろう。
ないものねだりで、どの場所に身を置こうともけっして深くは溶け込めず、独りぼっちだった。それで大学時代はあんまし幸福ではなかった。形は違えど、高校時代のタクラマカン砂漠同様、草木も生えねば花も咲かぬ不毛の時代だった。
 
さて、そんな大学生活3年目のある夜のことだ、部活の忘年会か新年会だったか忘れたが、全員しこたま飲んだ。たいそう酔っぱらって血の気が増し熊本のアーケードいっぱい横に広がり皆で肩いからせメンチきりながら歩いた。上通りの入り口にはいったとこで前方から同じくらいの年格好と人数の一団がやってきたので、これ幸いと真っ直ぐ進んでって身近なやつにごつんと肩をぶつけた。「気いつけろよぉ」と言い残しそのまま何歩か歩いたのだが、どうしたことかいきなり目の前が真っ暗になった。数十秒して気がついたら地べたに這いつくばっていて、顔上げてみたら大乱闘が繰り広げられていた。
 早速立ち上がろうとする姿を皆が変な顔で見てるのでわかったのだが、あごの下からぼたぼたと血が流れ落ちていた。「ひゃあ、凶器攻撃受けたプロレスラーみたいやん」とおかしかったが、それより頭にきて「どわぁれやあぁあ!(誰だ、おれを後ろから殴った野郎は!)」とわめいた。「こうじ、こいつやぁあ!」と間髪入れずに誰かが叫んだが、それをかき消すようにパトカーのサイレンが鳴るのと「逃げろー!」「おい、兄ちゃん、こっち来い!」と腕を引っ張られるのがほぼ同時で、ありゃりゃりゃあーという感じだった。

「学生が警察の厄介になったらいかんやろ」とその男は言って、入ったことない裏通りのビル一階奥のスナックに連れて行った。なじみの店なのだろう。「ちょっと隠してやっとって」とママさんに告げるとすぐにどこかへ出て行った。ママさんに言われるがままカウンターの後ろに屈んで座ってるとパチンパチンパチンとビニール裂いて「傷口に当てときっ」とおしぼり3枚手渡してくれた。ふつうは「いらっしゃい、どうぞ」っと、1枚きりなので、特別扱いでうれしかった。他にお客さんいなさそうだし、わりと好みのタイプなので何か話しかけようとしたら「警察回ってくるかもしれんけん、しばらくじっとしとき」とやさしく強く言われた。それで黙って、やることないのでママさんの足を見ていた。1万ちょっとくらいの鶴屋(熊本にある百貨店)の1階に売ってありそうな靴だった。女の人の足をこんなに長い間見るのはそれがはじめてだった。なんでハイヒールなんて履くんやろうとか、サイズは24くらいかなとか、かけっこはそんなに速くなさそうだ、とかいろいろ考えた。まだ考えつくさぬうちに、さっきの兄さんがもどってきた。そしてカウンターごしにひょいとこちらをのぞきこんで「おい、病院いくぞ」と言った。間近で見るその顔は、腕の立つ左官屋さんのようだと思った。
「ありゃ、けっこう深かねえ、骨の見えとる...」と夜勤の医者が言った。続けて「麻酔する?」と聞かれたが、たいそう酔ってて全然痛みを感じてなかったので「あ、いいっす」と断って5針ほど縫ってもらった。

翌朝目覚めたら周囲が真っ白で、一瞬雪の中かと思ったが、真夏の病室のベッドの上だった。めちゃめちゃな二日酔いで脳みそがまるでひからびたレモンみたいになっていた。そんなパサパサ脳ミソから昨晩の記憶を最初から順番に絞り出してたら、飲み会が終わりアーケードをわがもの顔で歩き出したところ、まだその登場場面までたどり着かないうちに「よう!」とあの兄さんがはいってきた。
誰だか思い出すまで、2秒くらいかかった。あわてて、「おはようございます」と挨拶をし、続けて「きのうは、ありがとうございます」とお礼をいった。しらふで見ると彼がその筋の人間であることがアホな大学生にでもはっきりとわかった。それでひょったしたら、たくさんお金とか請求されるんじゃあなかろうかとびびった。びびってたら「ほら、アイス」といってアイスクリームをくれた。
いっしょにアイスを食べながら10分くらい話しをしたけど、アイスの種類も話しの内容もすっかり忘れてしまった。「ここ、おれの顔きくけん、心配せんでよか」と言うと名も告げぬまま去って行ってしまった。

そんなことがあったので、あごの左下のとこには傷跡が残っている。そこだけ白く細長い線が引かれていて髭が生えてこない。あんまりいいことがなかった大学時代を象徴するような不毛の場所だ。仕事柄、一週間に一回くらいしか髭をそらないし鏡もめったに見ないので、その不毛地帯を意識することなんてめったにない。めったにないんだけど、今やそれなくしては顔も人生も成り立たぬ、大切なものだ。

今回の曲
Grace Jones 「La vie en rose」

エディット・ピアフの原曲を聞く前にこっちを聞いた。「人生はばら色だ!」と何度も繰り返し絶唱するのを聞いてたら、なぜかしらん自分の未来をぎゅうと抱きしめたくなった。そのことが大学卒業後パリに行くきっかけのうちのひとつとなった。


投稿者 azisaka : 15:55