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クールミントな誕生日

2010年05月20日

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去年の春のことだ。いつものように誕生日がやってきた。日頃世話になっている手前、何かとびきりいかしたプレゼントを自分に贈ろうと思った。けどプレゼントといっても、靴や本といった物でもなけりゃ、フランス料理とか温泉旅行などの娯楽でもない。そんな、もらったら心がうきうきするようなものではなく、どちらかというと反対にずんと沈んでしまうようなやつだ。つまり漢字の書き取りノート十冊!だとか、素振り千回!とか言った類いのけっこうきびしい試練、それを自分に贈ろうと思った。(”贈る”というより、”お見舞いしてやるぜ!”ってのが近いかな。)
でもまた、なんでなん?というと、自分ができるかできんかわからんくらいの難題を課してそれをやり遂げた瞬間の、あのとびっきりすがすがしい気分を味わいたかったからだ。久しく遠のいていたけど、そりゃあなんてったって気持ちがいい。生きてる手応えみたいなものがギラリきらめき、年をしっかり重ねたという最上の証しとなるだろう。(たぶん...)

そんなわけで、仕事場兼住処のある長崎市内から実家のある佐世保まで歩いて帰ってみることにした。60キロくらい離れてる。その前の年、自転車で帰ってみたら半日かかった。徒歩なら一日あれば大丈夫だろう、夜明けに出発し日没くらいには着くだろう。マサイクッションのついたMBTサンダル(「何なん、それ?」という人は自分で調べてみよう)ですたすた行けるとこまで行き、しんどくなったら自身にもっとも快適なニューバランス1700に履き替える作戦だ。リュックにその1700、途中で食べるおにぎり、手ぬぐいと靴下を詰めて10時には寝た。

5時ちょうどに出発した。なんてったってしだいに明るくなっていく景色の中を風切って歩くほど心地いいことはない。もしそれがちょっとした冒険の始まりであったのならなおさらだ。このはじめの数キロの、でっかいわくわく感を味わうために60キロを歩くのだと言えるくらいだ。さて、履いたことある人はわかると思うがMBTで歩くのは気持ちがいい。タンタンタタタンと太鼓たたいてるような軽快なリズムで身体が前に進んで行く。

「おお、なんっちゅうすがすがしさやあ...」といい気分で歩を重ねていたけれど、そこは所詮サンダル、平和公園の近くまで来たあたり、まだ5キロさえ満たないのに足の甲と踵のとこが擦れて痛くなってきた。それで1700に履き替えた。「かつがつ暮らしの風来坊ごときが、そんな高いスニーカー買うのはけしからん」と母にひどく腹を立てられたことのある一足だ。たしかにスニーカーにしちゃあたいそう高価だ。高価だが、足の甲が高くそんじょそこいらのスニーカーではピタリ合わぬので多大な出費も仕方ない。「1700、1700、おまえはおれの最強の味方、頼りになるぜ、かっこいいぜ、おれら供に地の果てまでも駆けていく~ラララ~」と鼻歌うたいながらまたすたすた歩き始めた。

快晴!しかし快晴過ぎる。五月晴れというやつらしいが、泳ぐのじゃあるまいし、あんまり過ぎると延々歩く定めの身にとっては不快晴になってくる。強い陽射しで腕や首が焼けてヒリヒリ、空気の乾燥で目と鼻はシパシパ、真夏みたいな熱さで汗がダバダバダーだ。しかし、それはいい、曇った日に歩くよりか数段いい。問題は、まだ20キロそこそこなのに強烈に痛くなってきた足の裏だ。地面に触れる度に、じぐぐっと図太い釘で突かれたような痛みがはしる。どうやらあちこちに豆ができてるらしい。なんとか早急に溜まった水を出さないと、じきに歩行が困難になるだろう。それで、豆に穴空けるための尖ったものを探し始める。こんな時、小学生だったら名札のピン、OLであれば裁縫セット、パンクロッカーだったらピアスやピンズを持ってるのであろうが、絵描きなのでそんなの携帯していない。まったくもってサバイバルな状況では女子供以下の役立たずだ。

さて、困ったぜ。上り下りの続く海沿いの道にはしばらくコンビニや商店らしきものもなさそうだ...その時、しゃららららんと閃いた。そうだ、あれだ!クリスマスのケーキなんかによく広げて挿してあるギザギザの葉っぱだ。名はなんと言うか知らないが、あの葉の尖り様なら豆に穴を空けるなんて造作ないだろう。それで、キョロキョロ探しながら歩きはじめた。だけどしかし、こんな肝心要の時にかぎって見あたらない。ちっちゃいとき、人差し指と親指の間に挟みヒュウと吹いてくるくる回して遊んでた時にはどこにだってあったのに...ちくしょう、ううう...
それでギザギザ葉っぱはあきらめ今度は、針金かなにか尖ったものがひょっこり落ちてやしまいかと、足元をさがしてみることにした。けれど「そんなもの拾って刺したらバイ菌入って犬塚信乃みたいに破傷風になるぞ」と、坂本九ちゃんがが天の上からいうのですぐやめにした。(ここんとこ、若者には意味不明ですまん)

足を踏み出すごとに、足裏から脳天めがけて逆さに激痛の雷鳴がとどろく。いつもの一歩が3ボルトなら、今の一歩は1万ボルトの激しさはあるだろう。普段夕食の買いものに行く時のステップがラン、ララ、ラララ、タリラリラーなら、今の状況はぐっ、ぎょえっ、うが、はあっ、もぐぁあ、といった有様だ。しかも、足の痛みに心を奪われうっかりないがしろにしていたが、気がつくと手がミシュランの人形みたいに膨れ上がっている。ずっと下に下げて振り続けていたからだろうが、このふくらみっぷりは四つ星だ。足ばっかり労って、すまん手よ...

と、その時ひょんと気が付いた。何もクリスマスギザギザ葉に頼ることはない。日本には古来から松という立派な鋭い葉を持つ植物があるではないか。しかも竹や梅より一段偉いたいへん尊い葉っぱだ。見るとちょうど「いったいどんな悪事はたらいたらこんな豪邸建つんだよ、おい!」と痛みも忘れて言いがかりをつけたくなるようなでかい家のでかい庭から通りにおりゃあとはみだしてる松がある。舞踏家の腕のように力強くしなったその枝から松葉の何本かをぶちりと引きちぎった。でもって、さすがに天下の公道で素足をひょろんとさらすのは気が引けたのでちょいと脇道に逸れ、靴脱いで足にむぎゅうと貼り付いた靴下ひっぺがして足の裏を見た。赤くて白くて筋が入ってちょっと透き通ってて、ぱっと見は何となくフランスの砂糖菓子みたいだった。「おお、ガトーシュクレアラフランボワーズやん!」
しかしフランス菓子ならば、ほんのちょっとつついただけで甘い香りにすっという微かな音たて松葉がすんなり突き刺さろうが、足の裏の皮は鏡餅みたいに固くって、あわれ松葉はくにゅっと曲がってしまった。

それであきらめて、桃白の足にまた靴下かぶせ、「お、おい、またこのまんまで歩くんかよぉ」と嘆くのを、すまんと心で言いつつ知らぬふりして、そっと靴の中に置いた。そして、きちんと人の手によって作られた先の尖った工業製品をどっかで調達せんことには、この苦しみは未来永劫続くらしい、ということに遅まきながら気がついた。しかし、時は平成、おれはモダンなイラストレーター。元禄や明治の行商人みたいに通りすがりの家の戸がらっと開けて「ちょいと、針を一本貸してくんないかい?」というわけには簡単にいかぬ。それで、白桃色フランス菓子にはもう一踏ん張り地獄の試練に耐えてもらうことにした。しかし、それにしてもこの痛み、足裏の皮と肉の間に5ミリくらいの高温に熱したネジ釘が数本詰まっててギュリギュリ回転してるみたいだ。

黒布被って修学旅行の記念写真を撮影する写真技師のような腰の角度でよたよたと、それでもなんとか前へ進み続けていたらまずは大きなゴルフ場入り口の看板、そしてそのはす向かいにコンビニが見えてきた。店舗の10倍くらいの広さの駐車場を構える堂々とした田舎のコンビニだ。国道から店へ入るまでが気が遠くなるくらい長い。よろめきながら入店し、鋭利かつ安価なものを求め、まずは裁縫針をさがす。が、予想どおり針は単独では売ってはおらず、裁縫セットが480円。うわ、高っ!あきらめて今度は文房具コーナーへ。画鋲一箱258円、安全ピン50本入り255円、カラークリップ30本入り298円。うひゃあ、人の弱みにつけこんで、ぼったくりの値段やん!それで今度は菓子コーナーへ。おまけにバッジが付いてるキャンディとかがあるかもしれない...

結局、そんな気のきいたお菓子なんてなかったので随分迷ったあげく、先の尖り方を優先し安全ピンセットを買い求めた。そうしてもったいないが、がちゃがちゃ音立ててうるさいし、少しでも重量を減らしたいので5本だけ抜き取って、箱と45本はゴミ箱に残した。ゴルフ場の入り口付近が芝生がきれいに手入れされちょっとした公園みたいになっていたので、踏み入って木陰に腰を下ろした。何という名前かさえわからないので申し訳ないのだが、いきなり身体を寄りかからせてきた男に、木は木漏れ日と冷たく澄んだ空気の心地よさを恵んでくれた。

安全ピンひとつ取り出して、足裏の豆にブスブスブスブス突き刺し、ぎゅっと押さえ水を出していく。手や顔に比べて足の裏なんてのは日頃めったに表舞台に立つことないので、水ぶくれした上に刺されてさぞや痛かろうが「ぎょっ」「あたたっ」とか叫びながらも何となくうれしそうだ。しかし、この豆の中にたくさん溜まってる液体はいったいどんな成分でできてるんだろう?涙と汗ならどっちに近いんだろうか?無駄な知識はたくさんあるのに、草木の名前にしろ、自分の身体のことにしろ、ちっとも知らんよな、と思った。

両足とも、豆をぜんぶ潰してしまったら随分と楽になった。しかし足裏の状況は改善したものの足の甲やスネ、膝やふくらはぎなどその他の部分は揉んだりさすったりしても痛みはとれない。まあ、なんとか耐えていくしかないなと、またやおら歩き始めた。
しばらく進んで峠道にさしかかったら先の方に湯気があがってて近づくと酒饅頭屋さんだった。ほんとうは4個くらい買いたかったが、1gだって重量を増やしたくなかったので2個にした。5月の峠で饅頭を売る女というのはこうあるべきだという見本のような、化粧っけのない30半ば、深い二重で鼻筋のとおった姉さんだった。こういう酷な旅の道中でなければ「そのエプロン、いかしてますね」とかなんとか話しかけ、いったいどんな声と言葉遣いと表情で話したものか見てみたかったのだけど、「ぎょえーっ、饅頭2個分も重くなるんかよぉ」と不満の声をあげる足腰の手前、そんな勝手なことはしておられなかった。それで、万感の思いを込めて「さよならぁ」と言うとまた歩きはじめた。

しばらく行くと陽が空のてっぺんまで登って12時になって、お腹がすいてオランダ村に着いた。それで、かつてオランダの町並みを模したテーマパークがあったその場所で昼食をとることにした。家を出て6時間で約30キロ、やっとこさ半分だ。素敵な木陰を見つけて座るやおにぎりを食べはじめた。すると草むしりのおばちゃんが通りかかったので挨拶をすると、「あらあ、おいしかごたるねぇ」と近づいてくるので「ひゃ、まずいっ」とあせった。日没までに実家にたどり着かんがため数分でも惜しいのに、こちらの素性をとことん聞かれたあげく、孫や持病や老人会のことを延々聞かされるはめになるだろうと思ったからだ。ところが予想に反し、徒歩で帰省してるという話しを聞くと「そりゃあ、すごか!」と言って麦わら帽子の陰の目を一瞬強く光らせただけで、天下の大義のじゃまをしてはいかんとばかりに立ち去った。ただ、別れ際に作業着のポケットをまさぐるとガムを取り出し「クールミントガム」とつぶやいて一枚くれた。

またおにぎり食べ始めてると、かつてベルギーの田舎町に遊びに行った時のことを思い出した。友人の家に泊まった朝、ひとり早起きして散歩してたら畑仕事をしてるじいさんと出くわしたのだが、そのとき彼からミントキャンディーをもらったことがあったのだ。労働をする人々のポケットの中には万国共通、ミント味の何かがしのばせてあるのだなあ、と感心した。同時になんでか笑みがこぼれ、疲労が20%くらい消し飛んだ。けど、ガムは苦手なので後で誰かにあげようとポケットに仕舞った。

おにぎり平らげ饅頭2個食べたら、とびきりうまかったので(饅頭類の味にはうるさい)さらに元気がでてきた。それでまた歩きはじめた。太陽同様西へ西へと進む。相手が地平線に沈むのが早いかおれが実家に帰り着くのが早いか男と男の勝負だ。(フランス語で太陽は男性名詞なのでここでは勝手に男にしときますが、女だったらすまん太陽)競争相手はでかいほどいい。しかし、おれは独り黙って歩くのに、野郎ときたら頭上からまばゆい光と灼熱で攻撃だ。ひきょうだぜ、まったく。と、ぶつくさ言いながらもなんとか、ゴールに次ぐ最大の目標地点である西海橋にたどり着いた。眼下のうず潮と大怪獣ラドンの衝撃波に破壊されたことで有名なアーチ橋だ。3時ちょうどだった。家をでてから40と数キロ。マラソンの距離くらいをやっとのことで歩きおおせたことになるが、手はトムとジェリーのトムがドアにはさんでギャーッと叫ぶときのように腫れ上がり、足はぶつかり稽古半日やった新米力士のように真っ赤でパンパンだ。体力は幸いまだあるけど、四肢の痛みに最後まで耐えきれるかどうか...ひと休みするべく欄干のそばのベンチに腰を下ろしたものの、果たしてもう一度立ち上がることができるのかと不安になる。

それにしても、てくてく呑気に歩いてさえこうなのだから、この距離を走った時のしんどさっていったら、そりゃあメガトン級だろうと思った。タイムはどうであれマラソンを完走する人達への畏敬の念が眼下のうず潮のようにぐるぐる心に湧き上ってきた。それで、ビキニ着て肢体くねらすグラビアアイドルだろうが、まったく面白くない冗談大声でわめき散らすお笑い芸人だろうが、マラソンを完走したと知るならばテレビの前に背筋をただし黙礼するくらいのことはせねばならぬと思った。思ったとたん、傍らの観光土産屋の店先に宮崎県産品のポスターが貼ってあり、知事がはっぴ姿で写ってたのでこくんと礼をした。

十分ばかりそのままベンチでぼおっとしてたら陽の光が和らいだ気配がしたので、あわてて出発した。もはや歩くというより上半身が下半身を引きずっていると言ったほうが適切で、スタスタではなくズズッズズッといった趣だ。それでも何とか先へは進み、少し行くと鯛焼き屋さんがあった。ちらり見やると、きちんと白い調理衣着た兄さんが焼いていた。酒饅頭は色っぽい女だが鯛焼きは仕事熱心な男のバイト学生がいいよなと思った。ついでに言うなら、今川焼ならやはり深沢七郎(今時あまり人は読まないが読んだ方がいい)みたいな一風変わった初老の男が似合う。ところで、甘いものは欲しないが喉がすごく乾いていることに気がついた。昼食時にお茶を飲んだだけで何ぶん水分ずいぶん長いこと補給してないので、あたりまえだ。しかしもう後ちょっとだけ我慢することにした。なぜなら、こんなにしっかり照らされて動いて汗かいて、どこに出しても恥ずかしくないくらい立派に乾ききっているのに、自販のジュースごときを流し込んだのでは身体に申しわけないと思ったからだ。数キロ行くと農産物の直売所みたいなとこがあり、そこにたしか自家農園でとれたブルーベリーの果汁100%ジュースが売ってあったはずだ。いつぞやドライブ途中に立ち寄った時はその高価な値段に断念したが、今回なら買って飲んでも誰も文句は言うまい。

その甘酸っぱく芳醇な濃い紫の液体が五臓六腑に浸透していく様を想像する喜びだけを力として、乾燥してるのに重たいピラミッドの石みたいな身体をえんやこら押して進ませた。そうして到着し店へ入り500mlのやつ一本つかみレジへと向かった。向かいながら念のために値段を見た。「ううっく...」高くとも600円くらいだとあなどっていたが1500円だった。180mlが500円だけど、これでは乾きがとうてい癒えぬ。どうりで前回見送ったわけだ...絶望し店内に立ちすくむ姿に向かい「こうじ、ずばんといっちまえよ!今いかんでいついくんや!」と誰かが叫ぶ。しかし、やはり今回もやめにした。”高級”すぎると感じたからだ。たとえば、仁義に反した組長たたき切って入れられた刑務所から15年ぶりに娑婆に出てくる兄貴分にフランス料理のフルコースをふるまうようなものだし、あるいは、昼間は一家を支えんがために重労働、夜になると夜間で勉強、そんな苦労をしてやっと受けた国立大学に合格した青年にフェラーリを褒美にやるようなものだ。前者にはすき焼き定食、後者には自転車くらいがちょうどいいし、彼らにしたってその方がありがたかろう。それで結局、店先の自販のジャスミン茶を買って飲んだ。うまかった。

また歩きはじめる。まるで40女を背負ってるように足取りが重い。甲やスネ、膝やふくらはぎはこれ以上ないほど固く腫れあがり、足裏は豆だらけでもう何回安全ピン突き刺したかわからない。一歩一歩が重要だ。普通の一歩が30円くらいなら今の一歩は2千円くらいの値打ちがあると思った。50キロを過ぎるころになると、もはや数百メートルごとに休みをとらないことには膝から下が言うことをきかなくなってきた。一歩踏み出すごとにロシアのコサック兵士の強者がやってきて、膝下をぎりりと力の限り絞り上げるみたいだ。人目がないのなら、這うか逆立ちして進んで行くほうがはるかに楽だろうと思ったし、陸地ではなく海ならばすいすい泳いでいけるのだがと幾度も嘆いた。

しかし、意外なことにコサック兵のことを思いついたおかげで状況が一変した。つまり、おれの荷物はちっちゃなリュックひとつだが、行軍の兵士や難民の人々なんかは武器や家財をたくさん抱えて飲まず喰わずで何百キロも歩くのだということに気がついた。そしたら、「こんなことでぶつくさ文句言ってたらダサいぜ」と(兵士や難民の人たちには勝手に利用してすまないが)なんとなく元気になってきた。歩む速度を何時間かぶりに速め、うなだれていた顔をあげた。すると山間から見える西海が夕陽に染まり紅く輝いている。なんちゅう美しさやぁ...
ここにきて太陽はおれの競争相手から、互いにはげましあって歩く同伴者になった。この土地、西海は父と母が生まれ育った場所であり、祖先は何代もこの落日の光に照らされ育まれて生きてきた。つまりおれの中に脈打つ血はこの夕陽の紅でできている。夕陽に身体が呼応して、力が湧いてくる。
憔悴しきってるのに今朝出発した時と似た晴れやかな心地になった。紅から茜色へと変わる光の中、足の痛みをすっかり忘れ、このままずうっと歩き続けていたいよなぁとさえ思った。

「ただいまーっす!」7時過ぎに家に着いた。すっかり暗くなっていた。「あらぁ歩いて来たん?電話すれば駅まで迎えに行ったのに」「いや、駅からじゃなく長崎からずっと歩いてきた」「あん?」
それからさんざん「あきれてものも言えん...」「身体壊す!」「いい年こいて何者や」などと小言をいわれた。

いたるところ、じんじんひりひりがくがくする身をそおっと湯船にしばらく浸けたあと、やさしく撫でるように洗い、赤ん坊拭くように拭いて、着替えて食卓に着くと、なかなか豪華な刺し盛りが用意されていた。「やっぱ、こんな時は刺身やろっ?」風呂にはいってる間に買いに行ってきたらしい。ありがたくたらふく食わせてもらった。酒は、もうほんとのほんとうにうまかった。こんなにうまい酒が飲めるんなら60キロでも70キロでもいつでも歩いてやるぜと思った。やはり、この充足感や達成感は誕生日のプレゼントとしては最上級だ。
食べたら歯を磨いて二階に上がり布団のなかにぶったおれた。身体が大きな瓶で中にぎっしりにしんの酢漬けがはいってるように重たかった。布団の中に沈んでいって畳も天井も通り抜け階下にどさりと落ちてしまいそうだった。とても深い眠り...ミシシッピーとかメコンとかそんな大河流域の、この世で最も肥沃な土に厚く厚く覆われてるみたいだった。

翌朝目覚めると、がくんがくんだった。昨晩は疲れて朦朧としていたので痛みを感じる気力もなかったのだが、それが回復したためいたるところが疼いた。水を飲まんがため一階へ行こうとするものの階段は立っては下りれず、腰掛けて一段づつそおっと下りた。壁をつたいながら台所に向かってると洗面所の方から母の声がした。「あんたぁ、洗濯物出すときは気をつけなさいよー」「ポケットにガム入っとったよー」
ああ、そうだ、クールミントガムのこと忘れてた。

さて、今年の誕生日には何を自分に贈ったのかというと、それは”引っ越し”だ。
4月半ばから長崎を離れて福岡に移り住んでいる。筥崎宮の近くだ。一月たってようやくどこの店の野菜が安くてうまいか、どこにいい酒が売ってあるのかがわかり始めてきた。

今回の曲
Ultra Orange & Emmanuelle 「Don't Kiss Me Goodbye」

長崎から佐世保まで歩いてる間、もっとも鼻歌に登場したのがこの曲だ。なんでだろう?

azisakakoji

 
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