首
2011年06月01日
みなさんご存知のように、にがつ如月というのははひじょうにすばやい。
脱兎のごとく、瞬きする間に眼前を駆け抜ける。
毎年何も手につかぬまましてやられるので、今年は用心してなまけ心をおこさず、家にこもって黙々と絵を描いた。
その甲斐あってさんがつ弥生ねえさんが、レモン色の薄手のカーディガン着て「一緒にたけのこ掘りに行きません?」ってやってくる前に、2年がかりのおっきな作品(24枚の連作)を仕上げることができた。
ブラボーだ、よくやったぞ。
あとは、春の間のんびりと連載のイラスト仕事こなしたり、個展の会場やオープニングで歌ってくれる人なんかをさがしつつ、ちょっと高いブルゴーニュの赤とか飲みながら、一枚一枚取り出してはうきうきとタイトルをつけていくのだ。
ああ、安くんぞこれ以上の幸せがあろうか、いやない。
と、いうようにいささか浮かれていたら、地震と津波がやってきた。
九州に暮らしてるので直接ではないが、やってきた。
3月いっぱい、ぼうっとしていた。
4月になったらずいぶん前からチケット買ってたので父とふたりベルギーへ行った。
しばらくいて帰って来て、たまってたイラスト仕事を時差ボケ頭でぬめっとやって、ふうってけっこう重たい溜め息をついた。
その後、おお、そうだった絵のタイトルをつけようと、押し入れから絵を取り出して並べてみた。
見てみたら、まあ、ちょっぴり予想はしてたんだけど、まるっきりだめだった。
だめになってしまっていた。
「は?いきなり、そう言われてもなんのことやら、わかりませんよーっ私たち」って皆さんおっしゃるに違いない。
それはもっともなので説明をします。
二年と半年くらい前、一枚の絵を描いた。
近未来の高速道路みたいなとこを、二人乗りの車ともオートバイともつかぬ一台が疾走してるっていうものだ。
座席には、あんまり幸せそうではない男女が座ってる。
さて、その絵を描いてしばらくしたら、ある朝ふいに、この道路の先を描いてみたくなった。
いったい彼らの行く手にはどんな風景が広がってるんだろうか、と興味が湧いたからだ。
それで、左側に同じ大きさのキャンバスを置き、道を繋げ、心の向くまま別の登場人物や背景のビルを描いた。
これがやってみるとなかなか楽しかった。
それと同時に苦労も多く、得るものも大きかった。したがって、しばらくの間続けてみることにした。
一枚描いたら、また次の一枚、それが終わるとまた新しいやつ、という具合だ。
他の仕事もやりながらなので、だいたい一枚にひと月くらいかかった。
その時々の心や身体や周囲の状況によって描きたいものを、しりとりみたいに描いていく。
今描いてる最中の絵の先ににどんな絵がくるのかは、今の絵が終わってみなけりゃあわからない。
テーマや伝えたいものが明確にあってそれに従って描いていくわけではない、従うと言えばただ、筆をもったその時々の正直な感情だ。
そういう風に描いてったので、道はずっと続いており、それなりの統一感はあるものの、一枚一枚の雰囲気が異なっている。
限りなくモノトーンに近い墨絵のようなものもあるかと思えば、色彩豊富なまるで縁日みたいなやつもある。
湿った感じのもあれば乾いたやつもあるし、人が少なく寂しいものが2、3枚続いたかと思うと唐突にたくさんの人が登場しにぎやかになったりする。
描いてる時には意識なんてしなかったけど、後から見ると不思議なことに、人と別れたり失恋して悲しい時にはにぎやかな絵、満ち足りて幸せな時にはモノクロで硬質な画面になっている。
ううむ、自分で言うのもなんだが奥が深いぜ。
まあ、とにかく一枚一枚ががてんでばらばらで、独立した小さな世界が、数本の道を介しなんとなく繋がっているという趣だ。
そんなわけなので、これを大きな一枚の絵として見れないことはないけれど、申し訳ないがそうしたときの完成度は低い。
きちんとした作品(商品)とする気持ちがあったのなら、ぱきっと一貫したリズムやメロディを奏でておかなくちゃならないのだろうが、それらをないがしろにしてでも即興演奏をやりたかった。
しかし同じ人間の手からでてきたものだから、その人特有のこころの響き、ハーモニーみたいなものは終始あるはずだ。
そのおかげでなんとかぎりぎりセーフ、一枚の大きな絵としてだって成り立つだろう。(たぶん)
おおっと、前置きがたらたらたいそう長くなっちまったぜ、すまん。
さて、そのように、その時々の”今”に誠実に(ちょっと大げさだけど)描いていった24枚なのだが、それを”今”見ると、どうにも良くないのだ。
なかんずく、描かれたほとんどの人の顔がだめになってしまった。
こういうことは、7年も8年もむかしに描いた絵を取り出してみるときにはちょくちょくあるのだけど、わずか1、2年前、それどころか数ヶ月前に描いたものさえも唐突に力を失ってしまった。
3月を境に。
去年描いた笑顔は今の笑顔ではないし、二月の悲しい顔は今の悲しい顔ではない。
おどけた顔、夢見る顔、無表情もおんなじだ、以前のものはずいぶんと古くなってしまった。
描きなおさなくちゃならないな...
情けないが、宮崎駿が製作中の新作について「震災の前と後とで内容が変わるようなことは一切ない」とコメントしてたのとは大違いだ。
(比べたりしてすまん、駿ファン...)
それで身勝手なことこの上ないが、人物の首から上だけ、あらかた描き直すことにした。
手始めに、もっともしっくりこない頭を下地塗り用の白絵の具で塗りつぶし、乾いたらその上にまた絵の具をのせていった。
が、絵の具がうまくのっかんない。
そりゃあそうだ。今となってはしっくりこないその頭も、それを描いた時には精一杯苦心して絵の具を何度も塗り重ねてる。
その上にさらに下地剤を塗ったものだから、キャンバスの目がすっかりつぶれてしまったのだ。
もちろん、描いて描けぬことはない。が、細部の表現はままならなくて単純な表現になってしまう。
つまり頭部だけがルオーが描いたみたい(たとえにつかってはなはだ恐縮だけど)になる。
これでは身体は井上雄彦だが頭は赤塚不二夫みたいな人物ができあがってしまう。
それじゃあ、いくらなんでも変過ぎだ。(それも時には良かろうが...)
うう、どうしたものか...と頭を抱えこんでしまおうとしたとたん、ああそうだ、こんな風に困っているのは世の中おれひとりではないはずだ、きっと苦難を同じくする仲間がいるに違いない、ということに気がついた。
そこでこういう時こそ便利なインターネットで探したら、「アクリル絵の具剥離剤」なるものが見つかった。アクリル用の液体消しゴムだ。
鉛筆は手にしたとたん消しゴムがついてくるが、アクリル絵の具は手にしてから四半世紀くらいたってようやく消しゴムの登場だ。
(他の人はもっと早い時期と察するけど...独学なので仕方ない)
さっそく画材屋さんから買って帰りキャップを回すととっても強いシンナーみたいな匂いがした。
窓をちゃんと開けとかないと自分の頭が消されてしまいそうだ。
ためしに、画中のひとりを選んでその頭の上にぽたぽた剥離剤を垂らし、布でこすったら、べろっとあっけなくはがれ落ちた。
液が飛び散ったとこもまだらにはがれてしまった。
この感じ、どっかで経験したことあるよなと思ったら、陽に焼けた皮膚を剥がすのによく似ていた。
さらに、跡形もなく引き剥がされる様は、まるで津波のようだとも思った。
そこだけが、瞬きする間もなく何もない真っ白な場所になってしまう。
画面の中、道の上にうごめくひとびとのその首を次から次に手当たり次第、液体ギロチンで刈っていった。
刈ってはまた新たに首を描いていく。
そういう、昼間は死刑執行人、夜はお産婆さんというような作業をしばらくやっていた。
やりながら、何かこんな作業に意味があるんだろうか、と自分に問うた。
で、はっと、”道”という漢字の語源を思い出した。
「~道は人が識られざる神霊に挑むことを意味している。道の古い字形は、首を携えて進む形であり、いまの字形からいえば、導と釈すべき字である。
識られざる神霊の支配する世界に入るためには、もっとも強力な呪的力能によって、身を守ることが必要であった。
そのためには、虜囚の首を携えていくのである。道とは、その俘馘(ふかく)の呪能によって導かれ、うち開かれるところの血路である。」
(「道字論」白川静)
おお、そうだったのか、道(の絵)を(描き)進むのだから、そのためには誰かの首が必要であったのである。
ということは、24枚の異なる絵(世界)に次々進むのだから、少なくとも24個以上の首が必要だったのだろうか?
それとも一首持ち回しで3つくらいの神霊に対抗できるんだろうか?
どっちにしろ、30くらいの頭を捧げたから大丈夫だろう。
さて、はなしは若干おどろおどろしくなったが、ともかく描き直した絵を並べて見てみた。
とっても奇妙だ。
首を無理矢理すげ替えてしまったのだから無理もない。
消えてしまった顔のほうがつきあい長い分なじみが深く、新しい顔の上にぼおっと立ち現れてはこちらにまなざしを向ける。
悪かったなあ、すまんなあ、とこころのなかで手を合わせる。
首を半分くらい描き変えたら、24枚目、つまり最後の絵が今あるものではふさわしくないという気が強くしてきた。
消されてどっかにいった首と、生まれ出てきた首が、みな口をあわせて「それが結末じゃ、ちょっとなあ...描き直さんといかんやろう」と言っている。
それで最後の絵だけは全部新たに別のカンバスに描き直すことにした。
うひゃあ、夏の個展に果たして間に合うのか?
ちょっとやばいぜ...
さてしかし、描いてる絵についてだらだらと話したところで、そんなこたぁ他人が知ったことじゃない。
見る人は、見えるものがすべてだ。
あいかわらず成りはでかいがマンガみたいな絵で、「あらまあ、けっこうお考えになって苦労して描き直しとかされてるみたいですけど、できあがったものは、へなちょこですよねえ、おほほほ...」って言われたって、ただうつむいて苦笑いするより術がない。
個展は来る8月27日から4週間、九州日仏学館で行うことに決定いたしました。
27日はオープニングパーティとすごくいかしたライブです。
詳細はおってまた連絡いたします。
ところで、ここのところずっと、枕元には生首が置いてある。
もちろん本物ではなくって、辺見庸の詩集「生首」だ。
(昨年の中原中也賞受賞作)
読むと、その言葉に身がひきしまる。
西の街に住まう自分が、ほんの少しだけ、テレビや新聞に映し出されることのない死者の姿を見たような心地になる。
その最後に納められた一編。
「世界消滅五分前」
懺悔するな。
祈るな。
もう影を舐めるな。
影をかたづけよ。
自分の影をたたみ、
売れのこった影は、海苔のように
食んで消せ。
生きてきた痕跡を消せ。
殺してきた証拠を消却せよ。
しずやかに、無心に、滑らかに、
それらをなすこと。
いまさらけっして詫びるな。
告解を求めるな。
じきに終わることを、ただ
てみじかに言祝げ。
消失を泣くな。
悼むな。
賛美歌をうたうな。
すべての声を消せ。
最後の夕焼けを黙って一瞥せよ。
折りもおり、五分前に誕生した赤子を
心から祝福せよ。
もしもまだ時間があったら、
もっとも罪に縁遠い顔をした
あの幸せな老詩人を
ぶち殺しに行け。
なーに構うことはない。
やつが真犯人(ほんぼし)なのだ。
次のことどもが
まもなく証されよう。
──生と死の両岸のあわいには、
川も海も、じつは、
溺れいたる時の
真っ白い浜辺さえもない事実が。
なのに、高い通行税を払いつづけてきた滑稽が。
十万年の不可逆的変化が、
水蛸一ぱいがへらへら笑ってなしとげる
吸盤の脱皮ほどの
意味すらもちえてないことが。
愛でも慈しみでも謀反でもない、
ただ資本の甘い酖毒(ちんどく)に
酔いしれていただけのことが。
この百年の
始値と終値の差が、たんに
雲脂(ふけ)のひとかけらであることが──。
だから、神に詫びるな。
母に詫びるな。
赦しを乞うな。
さあ五分前、
無表情に一発、放屁せよ。
このおならの”ぶりっ”という大きな音で毎日目が覚める。
かすかに希望の匂いがする...