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野球と水泳

2011年10月22日

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今回、ちょっと身上話ですみません。
 
幼い頃から祭り事が苦手で、文化祭や運動会が近づくと暗澹となった。
カウントダウンなどのイヴェントの類いも可能な限り避けつづけた。
ものづくりもスポーツも好きだが、みんなでやるとなると、とたんに楽しめなくなるのだ。
他人と同調したいという気持ちは人一倍強いと思うのだが、いざ隣の人間が自分ととおんなじ身振り手振りをしてるとなると、身体がそうするのを拒もうとする。

高校生になったとき、中学まで(皆がやるので)しぶしぶぎくしゃくやっていたソフトボールとおさらばして、部員わずかな水泳部に入った。
独りばしゃんと飛び込んで自由気ままにスイスイ泳ぐのがほんとうに気持ちよかった。

さて、数年前まだ長崎に住んでた時分のはなしだ。
友人に会うためひさしぶりに福岡へ行った。

日曜の天神(福岡の繁華街)は、まるでお祭りみたいな人混みだった。
やっとこさ約束場所に着いて、ほっと一息ついてると、携帯が鳴った。
友人、急用で2時間ほど遅れるという。
な、なんてこったい...

私事で恐縮だが、こんな風に少々まとまった時間が空いたら、どこであろうと迷わずプールへ行くことにしている。
それでたいてい遠出するときには、携帯の電話は忘れても水泳道具一式は携帯している。
東京でもパリでもバリでもウランバートルでもそうしてる。
(ウランバートルにはいったことないけど)
が、うかつにも今日に限って持って来てない。
それで、一式、新たに購入することにした。
知り合いが、天神の地下街に水泳用具の専門店ができたと言っていたのを思い出した。
案内板を頼りに、その店へと向かった。

わけなく着いた。
「ど、どひゃあああーっ」
着いたはいいが、びっくり仰天、小さなその店内や店のまわり、めっちゃくちゃな人だかりだ。

「ぬ、ぬぁんだあ、この大勢さんは....!」
バーゲンにしてもこの数は尋常ではない...
「あああ..なんと!」
見ると、店内奥の壁とショウウインドウの横に大きな画面があって、WBCの決勝戦、日本対キューバの9回裏が放送されている。
集まった100人くらいの人たちはみんな、日本のピッチャーがストライクとるたび一斉に大歓声だ。

「いつだっておれは”お祭りさわぎ”に行動をじゃまされる」
と、頭(こうべ)を垂れ苦笑いした。
 
野球がほんとうに好きなら、街に出てこないで、家でしっかり正座して気合いを入れて見ればいい。
あるいは、野球にあんまし興味がなくて、天神にショッピングに来てんのなら、買い物だけに集中すればいい。
この、中途半端な烏合の衆は一体なんなのだろう?と思った。
 
思ったが、そんなこと憤ってても時間がもったいないので、店内に押し入った。
人垣かき分け前進する。
場の空気を乱す乱入者に、ひとびとは眉をしかめる...

やっとこさどうにか男水着のコーナーにたどりついた。

が、あろうことかその場所は、ちょうど、野球中継映像の真下だった。
テレビ画面の下、それと同じ幅のハンガーラックがあって、そこにずらりメンズスイムウェアーが並んでいる。

何が悲しくて、100人の視線にさらされながら海パンを選ばなくてはならないんだろう...
しかも、「あー、見えなーい!」とか、「何ーっ、あの人ーっ!」とか、「ありゃあ、あの人イチローに似とらんかい?(時々何でか年寄りにだけそう云われる)」とか、罵声みたいなもの浴びながら、だ。

もちろん、(と、いうまでもなく、もちろん)その時買い物してるのはおれひとり。
一体全体どういうわけで、水泳道具屋さんで水泳道具を買う人間が、水泳道具屋で野球見てる人間にその行動をじゃまをされなければならないんだろう。

こっちはただ単に水着買って泳ぎに行きたいだけなのに...
 
そうぼやきながらも、くじけてはならんと吟味して、やっと自分サイズの素敵な柄を見つけた。
「うむ、これでよし」

と、ちょうどその時、ワアアアアアッと大歓声、続けてすっごい大拍手。
日本が勝ったらしい...

その時点で、「だめだ、これは」と、水着を買うのはあきらめることにした。
この轟々ざわめく人だかりの中から店員をさがしてたら、泳ぐ前からへたばってしまう。
運良く店員見つけたとしても「何だいあんたは!この感動をじゃまするなよ」と、迷惑がられるだけだろう。
抱き合ったり小躍りして、喜びを分かち合ってる人たちの波間をなんとか泳ぎきって店を脱出した。

そう、
もちろん誰がどう見ても、こんなとき水着買う男のほうが異常だ。
偏り屈折してんのはこちらのほうである。
それはよくわかる。

そりゃあ、自分の生まれ育った国のひとたちが活躍すんのはうれしい。
そして、その活躍に目を細める同胞達の姿を見るのも、きもちがいい。
でもそれがいったん、大勢で大声になったとたん、(心はいっしょに抱き合うことを欲していようと)
身体がどうしても彼から離れようとする。

クリスマスの晩に図書館で古今和歌集読みふけってたり、空港到着ロビーにダライ・ラマ出てくるのを尻目に、売店で土産物熱心に選んでたり、戦時中、敵国の音楽夢中に聞いてたりするひとたちなんかとも、ちょっぴり人間の質が似通っているのかもしんない。

「そら、あんた単なるあまのじゃくやろう!」
まあ、簡単に言うとそうかもしれない。
けど、繰り返すけど決して好き好んでそうあるわけではない。
そんな質(たち)なのだから仕方がないのだ。

小学校の3、4年の時だったろうか、部屋でマンガを読んでいた。
とっても面白くって夢中でページをめくっていた。
と、母が庭の方からおっきな声で呼ぶので、しょうがなくマンガ置いて出て行ってみた。
指差す方を見ると眼下の街の一角、もうもうと黒い煙が立っている。
「こうじ、火事よ!」
「うん...」
「なかな大きかよ!」
「うん...大きかねえ...」
そう言うと、とっとと部屋へもどってまたさっきの続きを読みはじめた。
そしたら母がすごい剣幕でやってきて、
「あんたーっ、なにたらたらやっとっとね、火事があっとるとよ!さっさと見に行かんねーっ!」
とどなった。

とっても、びっくりした。
(まあ母が声を荒げたのにはいろんな理由があったのだろうが...)

それで、「こういう時」には、きちんとおろおろやあたふたやそわそわをしなくちゃならないんだ、っていうのを学んだ。
以来、見せかけだけはできるだけ周りと歩調を合わせるようにこころがけている。

けど、もちろんそれは見せかけだけで、悲しいかな持って生まれた中身は変わろうはずがない。
あまのじゃくチックな難儀な性質は今もそのままつづいている。
それでけっこうしんどいことも時にはある。

でも一方、そのおかげで(おそらくは)人よりちょっとだけうまく絵が描け、こうしてどうにか生計をたてることができているのではなかろうかとも思う。

先日、個展やったとき取材を受けた。
インタビュアーの人から「あなたの絵は何が描いてあっても、見る人を突き放すような感じがしない」
と言われた。
「ああ。そうなのか」とたいへんうれしかった。
人と繋がりたい(でもうまくできない)という心が、無意識のうちに手からカンバスの上にこぼれ落ち、絵を比較的親密なものにするのかもしれない。なぁ、とそうと思った。


さて、ここで気っ風のいい詩をひとつ。

 富岡多恵子 「身上話」

 おやじもおふくろも
 とりあげばあさんも
 予想屋という予想屋は
 みんな男の子だと賭けたので
 どうしても女の子として胞衣をやぶった
 
 すると
 みんなが残念がったので
 男の子になってやった
 すると
 みんながほめてくれたので
 女の子になってやった
 すると
 みんながいじめるので
 男の子になってやった
 
 年頃になって
 恋人が男の子なので
 仕方なく女の子になった
 すると
 恋人の他のみんなが
 女の子になったというので
 恋人の他のものには
 男の子になってやった
 恋人にも残念なので
 男の子になったら
 一緒に寝ないというので
 女の子になってやった

 そのうち幾世紀かが済んでしまった
 今度は
 貧乏人が血の革命を起して
 一片のパンだけで支配されていた
 そこで中世の教会になった
 愛だ愛だと
 古着とおにぎりを横丁にくばって歩いた

 そのうち幾世紀かが済んでしまった
 今度は
 神の国が来たと
 金持と貧乏人が大の仲良しになっていた
 そこで
 自家用のヘリコプターでアジビラをまいた

 そのうちに幾世紀かが済んでしまった
 今度は
 血の革命家連中が
 さびた十字架にひざまずいていた
 無秩序の中に秩序の火がみえた
 そこで
 穴ぐらの飲み屋で
 バイロンやミュッセや
 ヴィヨンやボードレールや
 ヘミングウェイや黒ズボンの少女達と
 カルタをしたり飲んだり
 東洋の日本という国の
 かの国独特のリベルタンとかについて
 しみじみ議論した
 そして
 専ら愛の同時性とかについて
 茶化し合った

 おやじもおふくろも
 とりあげばあさんも
 みんな神童だというので
 低能児であった
 馬鹿者だというので
 インテリとなり後の方に住家をつくった
 体力をもてあましていた

 後の方のインテリという
 評判が高くなると
 前に出て歩き出した
 その歩道は
 おやじとおふくろの歩道だった
 あまのじゃくは当惑した
 あまのじゃくの名誉にかけて煩悶した
 そこで
 立派な女の子になってやった
 恋人には男の子になり
 文句を言わせなかった
  


azisakakoji

 
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