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リルケ

2012年03月19日

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「リルケはいいよ」とひとこと言い残しその友だちは去って行った。
「いいよ」ってったって、~洋菓子店の抹茶ロールが”いいよ”ってんなら買って食べてみりゃあすぐに確認できるんだけど、リルケって読んだことないけどたしか詩人だ。
どんなにいいのか説明とかしてくんなきゃ、それだけじゃあ...と、とまどってしまった。

とまどい抱えたまま、家に帰ってパソコン立ち上げた。
「♪リールケー、リールケー、どんな人やねーん、あんたはさー♪」と鼻歌うたいながらウキペディアで引いてみた。
うん、うん、なかなかまじめで良さそうな人だ...
たたずまいもなんとなく、好きなゴッホに似た感じでとっても好感が持てる。
(”人柄は必ずその風貌に現われる”と実感することが経験的に多い)

と、そこに彼が自らの墓碑銘として書き残したとされる三行詩が紹介されていた。

読んで、
ピカッ!がががーん!
ひさびさに雷鳴が轟いた。
なんて、いい詩なんだーっ。

それで、さっそく近所のまあまあ大きな本屋さんに自転車飛ばして行った。
岩波文庫に「リルケ詩集」があったので、さっそく買い求めた。
帰って開いてまずは、その墓碑銘をさがした。

あった。
しかし、訳が異なっていて、この訳では悲しいかなぜんぜんグッと来なかった。
元は同じドイツ語の詩句だってのに、不思議なもんだ。
こと、この詩に限っては、訳者が異なれば雷どころか小さな鐘さえ鳴らぬ。

なんとしてでも、ウキペディアで紹介されてた墓碑銘、それを訳した人の手によるリルケ詩集を読みたいと思った。
そこには訳者の名も出典も記されていないので、自力でさがすしかない。
古本の検索で見つけ、注文して、さらに三つの異なるリルケ詩集を手に入れた。

その三つの詩集にも、むろん墓碑銘は訳され載っけてあった。
しかし、残念ながらそのどれもが最初に読んだものとは異なっていた。
そして悲しいかな最初の訳に比べ、なぜか三つともたいして心に響かなかった。

一番初めに読んだものだから、それが一番良いと思えるんかなあ...
もし最初に出会ったのが別の四つのうちのどれかだったのなら、
その訳が同様に雷鳴轟かしたんだろうか...

まあ、とにかく、その素敵な訳をした訳者のことはわかんなかったけど(あきらめるの早っ...)
おかげで、この年末から年始にかけては絶賛リルケ特集だった。
小説や評論、書簡集、たてつづけに集中して読んだ。
そうしたらいつの間にやら彼が世界でもっとも身近な存在となっていた。
なんだか彼とふたり、19世紀末はパリの、寒くて湿気ったぼろアパートに片寄せ座ってるみたいな冬だった。

ロダンやセザンヌについて書かれたものなどは、同じく(たいそう隔たりはあるけど)ものを作る人間として、「おおおおおーっ」と感嘆しまくりながら読んだ。
そして友だちが勧めたのは、こういうことだったのかーっと、感謝した。

「マルテの手記」とかは、学生時代に読んだんなら「なんやこれわけわからん」とおっぽりだしそうな小説だけど、今はなんでかとっても面白かった。
(つまり、ちょうどそういう時期だったわけだ。)

とにもかくにも、リルケの”たとえ”がすばらしい。
あるものを、別の言葉で言いかえる、その見事さに心がぐっとくる。
ああ、こんなのが詩的っつうんだろうなあ、とため息が出る。

たとえば、当時離れて暮らしていた妻クララ宛の書簡、ロダンに初めて会った日の感動を伝える次の文章...

「...昨日、月曜日の午後三時、初めてロダンのところにいった。ユニヴェルシテ街182番地のアトリエにね、セーヌを渡っていったのだ。モデルがいた。それは少女だった。ロダンは、小さな石膏像を手にして、あちこち掻きとっていた。仕事をやめると、ぼくに椅子をすすめ、ぼくたちは話し合うことになった。人の好い、優しい人だった。もう、前からの知り合いといったような気がして、また会っただけのことといった感じ。ぼくには、思ったよりも小柄に思えたが、ずっと逞しく、いかにも思いやりのある、上品な人だった。あの額といえば、鼻との関係からすると、ちょうど港から一隻の船が出て行くように、そこから鼻が出て行くといった具合の額、...それがまことに特徴的なのだ...」

どうですーっ!ねーっ!
額を港にたとえてんのが、すてきやろーっ、すごいやろーっ?

これだけで、F4サイズの絵がたちどころに10枚くらい描ける分のエネルギーになるもんなあ。
(あ、他の人は、「ふーん、そうなん?あたしは別に...」かもしらんけど...)

と、最後にここで問題です。
リルケの墓碑銘、アジサカに雷鳴轟かしたのは次の五つのうち、どの訳でしょう?

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.(これは原文)

1)
薔薇よ、おお純粋なる矛盾、
それだけ多くのまぶたの下に、誰の眠りも宿さぬことの
喜びよ

2)
薔薇、おお純粋な矛盾の花、
そのようにも多くのまぶたを重ねて
なんびとの眠りでもない、よろこび。

3)
ばらよ、おお 純粋な矛盾、
おびただしい瞼の奥で、だれの眠りでもないという
よろこび。

4)
ばらよ、おお、きよらかな矛盾よ、
あまたの瞼のしたで、だれの眠りでもないという
よろこびよ

5)
薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ
このようにおびただしい瞼の奥で なにびとのねむりでもない
という

(答え)
1)です。

(今回の曲)
Honey and the Bees Band 「Psychedelic Woman」

この冬、読むのはドイツの詩人だったが、聞くのはアフロビートだった。
両者、ぜーんぜん、合わない...(笑)
たぶん、それで心のバランスとってたのに違いない。

何はともあれ、リルケの孤独や苦悩も、この曲のあっけらかんとした生命力も、どちらも心を熱くする。

azisakakoji

 
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