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パトリックのワイン
2012年06月07日
パトリックはベルギーに住んでた頃、一番仲の良かった友人のいとこだ。
友人によるとこのパトリック、十代の中頃にはすでに一生の伴侶となる女性を見いだした。
高校1年のときつき合い始めると、大学に入ってからも、ずっとその関係は続いた。
誰が見てもお似合いで仲睦まじく、大学出たならば互いに職を得てしばらくしたら結婚して...という幸福な階段を登ってくはずだった。
が、卒業間際にお釈迦になってしまった。
彼女に別の男ができちまったからだ。
彼はたいへん傷付き、傷付いた者の特権として旅に出た。
インドや東南アジアやアフリカなど、いろんなとこをまわった。
そうして3年後、ベルギーに舞い戻ってくるとワイン作りを学び始めた。
5年前のある日、友人が「おまえワイン好きだろ?いとこがワイン作ってるんで会いに行こう」と言いだした時、パトリックはすでに36歳、南仏はプロヴァンス地方で葡萄畑をもちワインの製造業を営んでいた。
その数日後、まだ日が明けぬうちブリュッセルを出ると、友人と代わりばんこに運転しながら高速を南へ南へとひた走った。
なかなか遠い道のりだった。
もうあとしばらくで到着という道すがら、サント・ヴィクトワール山を見た。
初めて見るその名高い山は、初春の澄んだ空気の中に佇み、そりゃあすばらしい紫色に輝いていた。
垣間見るだけで、運転の疲れが一息に癒された。
10数時間かかってやっとこさ到着。
ブリュッセルは時として雪が舞う肌寒さだったのに、高速から下り田舎道をしばらく進んだその場所はすでに花の季節だった。
見渡す限りの田園地帯に降り立ち、ひさしぶりにコンクリートじゃなく土を踏む。
頭上からキラキラまばゆい陽光が降りそそいだかと思うと、ひたひたとゆっくり身体に染み込んでいく。
こんなにすばらしい光と空気と自然がありゃあ、葡萄じゃなくったってよく育つやろうなあ、と思われた。
鳥だって人間だって画家だって,,,
この土地に生まれさえすれば、なにもセザンヌじゃなくったって訳なくセザンヌに育ちそうだった。
“小さなワイナリー”と伝え聞いていた葡萄畑は想像よりかずいぶんと広大で、作業場や貯蔵庫も大きく、住居なんて立派なお屋敷だった。
うちのばあちゃん(急な山の斜面にいくばくかの田畑持っていた)なんかかが見たら腰を抜かすぞ、と思った。
パトリックは深みのあるよい声をもった大きな男で、握手をすると、それはしばらくぶりで触れる農民の手だった。
同じ歳の妻と4歳になる子供がいた。
その妻とは彼女が田舎暮らしが性に合わなかったせいで、一度離婚したんだけど1年前にまた寄りを戻したらしい。
子供はやんちゃ、というかいかにも甘やかせて育てられたという風なわがまま小僧で、苦手なタイプだった。
それが他人ではなく、自分のいとこの息子だったら2、3回、泣かしてやるところだった。
夕食の前に葡萄畑を散歩した。
畑仕事など無縁なものから見てもその土地はまるまるに肥えていて、靴の底通り越して土の養分が身体に浸透してきそうだった。
流れる空気にしても、evianとかvolvicのミネラルウォーターをでっかい加湿器で撒いてるみたい、とっても濃くて潤っている。
そして嗅いだことのない、言いようもなく心地よい臭いがした。
とてつもなく多様で複雑、でも同時にきっぱりと単純。
大げさだけど、”地球の臭い”とでも言いたくなるような臭いだった。
そんな精気に身を浸し、しばらくぼおっとしてたら日が暮れ始めてきた。
うっとり半開きにしてた視覚を前方に向けると、落陽に照らされた風景がまるで横たわる大きな葡萄の一房のよう、赤紫に染まる。
長旅の疲れが農作業の疲れに代わり、うつむいて眼を閉じるとどこからか鐘の音が響いてくる。
おおーっ、なんつーか、これって「ミレーの晩鐘」やぁーん!
彼が絵にしたかったのはこの感じなのだなぁ、とそう思った。
屋敷にもどったら晩餐。
晩餐...と呼べるような豪華な料理をその外見の暮らしぶりから勝手に想像してたんだけど、食事は意外に簡素なものだった。
パスタとサラダとパンにチーズ...
明後日、農場でワインの試飲会を開くのでその準備に追われているのか、久しぶりに合う従兄弟とその友人をもてなすものにしてはあっさりしていた。(横着な感想だけど...)
けど、献立がどうであれ食事は楽しかった。
妻はその子供同様、始終そわそわテーブルを出たり入ったりで、話すのはもっぱらパトリック、しかもそのほとんどがワインについてのものだったんだけど、これが面白かった。
彼は実にこの仕事が好きでたまらない様子で、おそらくはもう何百回も聞かれたであろう素人の質問にも、まるで初めてであるかのように答え、聞かぬことまで身ぶり手ぶりをまじえて熱っぽく語った。
聞きながら、「ああ、この男は幸か不幸かほんとうの”ワインばか”なのだな...」と思った。
いつだって頭の中はワインのことだけ、奥さんや子供のことは悲しいかな二の次だ。
そんな彼のワインはすばらしくうまかった。
ほんとうにうまかった。
うまかったが、初対面でもそれとわかる夫婦間のぎこちなさと、歳のこと差し引いても落ち着きのなさ過ぎる子供の有様を見るにつけ、彼のワインのうまさが、その家庭の不安定さ、によって醸し出されたものであるように思えた。
それでなんだか、自分だけおいしい思いをして悪い感じがした...
翌朝、若干二日酔いの頭でまだベッドの中にいると、クスクスっと笑いながら子供がぼくらが泊まってる部屋へ乱入してきた。
見知らぬ泊まり客に興奮したのか朝っぱらからテンション上がりまくってて、友人のベッドからぼくのベッドへと飛び移ってはしゃぎはじめる。
それを面白がって、よせばいいのに友人がはやしたてる。
と、何の拍子か、飛び上がったものの身体をひねり頭の方からダイビングするような格好でベッドの中にめりこんだ。
「わわーん!ひいいーっ...」狂ったように泣き始める。
どうも左腕をどうにかしたようだ、不自然に引きつらせている。
あわてて両親を呼びに行った。
パトリックは大股にやってくると息子を抱き上げ、なだめはじめた。
なだめながら「こいつよくやるんよ...この前も遊んでて足をひねっちゃってさ...」とぼくらに苦笑いをした。
それを隣で見てた妻が「何云ってんのよ、骨、折れてるかもしれないじゃない!」とヒステリックに叫んだ。
この朝、パトリックはラジオのローカル番組への出演がきまっていた。
明日のワインの試飲会を番組の中で宣伝するためだ。
それは決してはずせないので、子供は妻が最寄りの病院へ連れて行くことになった。
彼女はぐずんぐずん泣き止まぬ、4歳にしては大きな身体を抱きかかえると、まるでその痛手がぼくらのせいであるかのようにこちらには一瞥もくれず、キキキーっとタイヤ鳴らして出て行った。
それを見送ると「すまんなぁ...おれは準備したらラジオ局行かんといかんので朝ご飯はふたりで勝手に食べてくれ」とパトリックがいった。
食後にコーヒーを入れてると、風邪気味で鼻声になってるのを気にしながら彼がやってきた。
二口三口相伴すると、「ようし目一杯宣伝してくるぞーっ」と意気込んで出かけて行った。
さて、結局彼のインタヴューは放送されなかった。ローマ教皇が亡くなり、特番が組まれたからだ。
「随分当てにしてたんだけど、弱ったなあ...」とパトリックはちょっぴり顔を曇らせていた。
その晩はピザをとって食べた。
息子の左手は軽い脱臼で、夕食の時はすっかり復活、ピザをむしゃむしゃうまそうに食べていた。
妻はぼくらとあんまし話そうとしなかった。
さて翌日の試飲会は幸いよい天気に恵まれた。
それでも、人ちゃんと来てくれるんだろうかと心配だったが、昼過ぎに散歩から帰ってみると何十台もの車がとまっていたので安心した。
試飲会をやるということしか聞いておらず、集まったきた人たちにワインを飲んでもらうだけだと思っていたので中庭に出てみた時にはびっくりした。
大きなテーブルにはぎっしりといろんなオードブルが並べられている上、ボロンボロンパッパカパーとジャズバンドの演奏が催されていたからだ。
うわあ、こりゃあちょっとしたお祭り騒ぎだな...と思った。
見慣れたブリュッセルやパリの都会人らとは異なる、はしょって言えば”田舎の小金持”みたいな連中がワイン片手にあちこちで談笑している。
自分一人が唯一の黄色い東洋人だからか、やたらと視線を感じる。
「日本人はたくさんワイナリーを買収してるが、君たちほんとうにワインの味がわかるのかね?」とか話しかけられそうなので、できるだけ眼を合わせぬようオードブルに手をのばす。
と、グオオオオオ...ギュルンギュルン...ドギャギャギャギャ,,,
楽器の音とは違う、けたたましいエンジン音が耳にはいってきた。
見ると葡萄畑の方、ひとり乗りの四輪駆動のバギーが数台、畑の周りをまわってる。
個人的に、この四輪バギーとかジェットスキーとかが大嫌いだ。
でかい音たてて自然を傷つけてるという感じが強くしてしまう。
海泳いでるときジェットスキーが現れようもんなら、大きなサメになって体当たりしたくなるし、バギーなら、もぐらのバケモノになって土の中に引きずり込んでやりたくなる。
海は手で掻き、大地は足で蹴って進んでいくもんやろう、とその首根っこつかまえて凄みたくなる...
「ミレーの畑を...あのバギー野郎めがぁ...」
いわれない罵倒を心の中であびせつつあからさまに眉をひそめてると、それに気付いた友人がいった。
「こうじ、そんな顔すんなよ、あのバギーはパトリックが用意したものなんだ。最近こんな試飲会では人にたくさん来てもらうため、”葡萄畑をバギーで見学”というアトラクションが流行りなのさ。」
「いくら流行ったって、おれだったら、手塩にかけた自分の畑にあんな乗り物はいれないぜ!」
それを聞くなり、そう思わずつぶやいた。
「そりゃあお前、他人事だからそうも言える。あんなことまでしないとこの頃はお客がついてくれないんだ...」
友人がたしなめるようにいった。
南米やアフリカなどのワインに押され、彼のように小さな醸造業者の立場は日増しに苦しくなっているのだ。