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「具体性の哲学」
2016年01月24日
「それじゃあ、九大の箱崎キャンパス、博物館の分室の前で会いましょう」と約束して、当日そこに行ってみたら、友人から紹介された初対面のその男は20代後半。背が高く、長髪を後ろで結んで丸眼鏡をかけ、煙草ふかしながら階段の手すりに寄りかかって何やら英語で書かれた本を読んでいた。
何も知らないで通りかかったのなら「何かっこつけてるんや、こいつ」ぺっ、と唾でも吐き捨てたくなるような感じだ。
(ひどいこといってすまん)
しかし、その男、生業としているのが哲学とだということを聞いていた。
今時、実に微笑ましいはなしだ。
なので、その佇まいはこちらの期待どおり。
一目見て「うひゃひゃーっ」っとうれしくなって、いきなり声をかけた。
「よーっす!」
「あ...ども...アジサカさん?」
そうやって顔をあげたのが、上に掲げたチラシに名がある森元斎だ。
それから4、5年、背は伸びも縮みもしてないし禁煙もしてないが、床屋行く金がもったいないそうで、頭は今は丸坊主。
時々いっしょに飲みに行ったり、海水浴ではしゃいだり、バーベキューで腹一杯になったりするようになった。
さて、その彼が最近、本を出した。
「具体性の哲学」というタイトルだ。
けっこう難しいことが書いてある。
時々うまくわかんないところもある。
うまくわかんないんだけども、読み進めてしまう。
うまくわかんなくても読み進めてしまうのは、彼がなんとしても伝えたいことがあり、その熱意が伝わってくるからだろう。
あるいは、どんなことを語っていようと、それが彼自身の具体的な生活を足場として書かれているからだろう。
”具体性が大切だ”と語る、その彼の具体性が文字となって蠢き、放つ匂いや音が読む人の心を捉えるのだろう。
たとえば、その専門であるホワイトヘッドについて述べた以下の文章はこんな感じだ。
「〜現実の具体的で複雑な様は、純粋な理念だけでは捉えきれない。しかしその現実の具体的で複雑な、いわば、神秘的な様を哲学は、純粋な理念を武器にしつつも、複雑で具体的な様に寄り添いながら、じっと思考していくことがホワイトヘッドにとっての哲学なのである。〜」
あるいは「知恵と生」名付けられた文章の最後の部分はこんな感じだ。
「~人間の抽象的な知性など破壊すべき事柄である、ということだ。私たちは人間であるとともに、自然である、生である。曖昧で何が悪い。この世界は曖昧にしかできていない。複雑にしかできていない。明晰判明であればあるほど信用ならない。抽象的なものは信用ならない。~」
なんか、ざわざわ生き生きしてはいないだろうか。
ちょっぴり高いけど、買って読んでけっして損はしないぞ。
最寄りの本屋に注文しよう!
ところで、まあ、そんなこんなで、出版記念のイヴェントをやろうということになった。
「あのさ元斎、誰か対談したい人、おる?」と聞いて、すぐさま出てきたのが栗原の康さん。
きっと、すっごく面白い対談になるはずだ。
今度の土曜日、30日、19時半から!
さして重要な用事がない方、つうか用事あっても変更して、聴きに行こう!
ふたりともけっこうイイ男(+なんか変)なので、見てるだけでも楽しいぞ。
イヴェントの詳細や彼らのいかした自己紹介文は下記のとおりです。
(イヴェントの詳細)
「具体性の哲学」(森元斎著・以文社2015年12月刊)刊行記念
森元斎氏×栗原康氏ライブトーク
「アナキズムのほうへ、おもむろに」
日時:2015年1 月30日(土)19:30~21:30
場所:福岡パルコ新館6F タマリバ6
参加費:無料(定員30名)。電話予約可。
問い合わせ電話番号:092-235-7488
主催:フタバ図書福岡パルコ新館店 担当:神谷
(プロフィール)
■森 元斎(もり・もとなお)
1983年東京生まれ、ヒップホップ育ち、賢そうな奴はだいたい友達。
九州産業大学・龍谷大学非常勤講師。専門は哲学・思想史。
自称D'Angeloの生まれ変わり。
ローリン・ヒル、そしてシルヴィ・ギエムと一緒に合コンしたい。
■栗原康(くりはら・やすし)
1979年埼玉県生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。
著書に『G8サミット体制とはなにか』(以文社)、『大杉栄伝―永遠のアナキズム』(夜光社)、『学生に賃金を』(新評論)、『はたらかないで、たらふく食べたい』(タバブックス)、『現代暴力論』(角川新書)がある。
趣味は、ビール、ドラマ観賞、詩吟。
あと、錦糸町の河内音頭が大好きだ。
「踊ること野馬のごとく、騒がしきこと山猿に異ならず」。それが人生の目標だ。