« マンガ傑作選 その139 | メイン | お知らせひとつ »

キロロ風

2016年05月12日

web%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%95.jpg


「こうじ、キロロっていうのはよかよー」と母が言った。
聞き慣れぬ名前だったので「何ねそい?」と尋ねると、仕事帰り、車のラジオをつけたらすっごくいい歌が流れてて、それがキロロっていう人の歌だったのだと教えてくれた。
ずいぶんとむかしのはなしだ。

さて、その時、自分の描く絵もこんな風だったらいいよなあ、と思った。
つまり、路上にただ歌だけがあって、聴く人の胸を打つ。
作者もタイトルもわからぬ、歌のみがある。

絵も、路上や辻にぽつんと、絵だけが落っこちていて、それを見た人が立ち止まって、「誰が描いたのか知らないけど、ああ、これはいい絵だなあ...」っていうのがいいように思う。

美術館や画廊なんかに”アートです”って展示されてれば、あるいは、有名な人の名が付してあれば、人は「ああ、これはいい絵なのだなあ」と思って見てしまう。
けれど、路上であれば、無名であれば、人が見るのは描かれた絵、そのものだけだ。

まあ、そんなわけで、自分が絵を展示する時は、路上や辻に比較的近い場所が多い。
なるだけ”権威”から遠いとこが多い。
(カフェや倉庫、美容室の通路や雑貨屋の屋根裏など...)
「額をつけりゃあ、ぐんと”見栄え”が良くなるのに」としばしば言われるけれど、それもしない。

だって、見栄えが良くなったら困るのだ。
それが商品であれば、売る場所やパッケージは大事だろう。
けれど、絵は商品ではない、絵だ。
描いてるのは商売人ではない、絵描きだ。
よい絵を描こうと欲するなら、絵そのものだけを見てもらって、良し悪しを判断してもらうのがいい。

むろん上等の絵描きなら、美術館だろうが駅の構内だろうが、どこへどのように出したって、そんなこたぁどうでもいい、びくともしやしない。
すでに上等だから。
でも、自分を含め、上等でないものなら、修行の場はなるだけ路上がいいように思える、”荒野”がふさわしいように感じる。
(このことを、己が身に即して言えば”日暮れて道遠し”ということになる。だけど、道行たのしいから、万事オッケー!)

とかなんとか、かっちょいいこと言ってるけれど、絵を描く者は絵を描くしか能がない。
それしか能がなけりゃ、それで食べて行くより仕方がない。
いきがってはみるものの、路上の電柱やブロック塀に絵を飾っているようでは生活が成り立たぬ。
それで、まあ、いろいろ試してみる。

今回は本屋さんでの展示だ。
本屋さん併設のギャラリーでの展示っていうのは、以前何回かやったことあるけど、本屋の店内っていうのは初めてだ。
本棚の上や隙間など、あちこちの空いたスペースに展示する。
わざわざ絵を見に来る人もあろうが、大半は本を目当てに来る人だ。
絵を見るのが目的ではないひとに、絵を見てもらうっていうのがいい。

と、だらだら書きながら、個展の宣伝をしている。
絵を商品としてる。
悲しいかな、資本主義・消費社会に生きている。

あ、でも、友人知人には言ってるし、実際に行ってもいるんですけど、金銭を介さない物々交換もやってます。
玄米その他の食べ物とか、搬入搬出の手伝いとか、作品の写真撮影とか、個展で歌ってくれるかわりに、絵を引き取ってもらっています。
まあ、そこそこ気は遣いますが、心地いいもんです。

で、明日からの展示の詳細は以下の通りです。

あと、福岡大学独語学科教授の堺さん(カラオケ行くと、武田鉄矢と井上陽水と谷村新司とさだまさしと玉置浩二のものまねをしながらシューベルトの魔王をドイツ語で歌う)が今回の個展について一筆、気品あふれる文章を書いてくださったので、ぜひ!
「コラム錆猫洞」

アジサカコウジ初夏個展’16
「NANA SAUVAGE」
5月13日(金)~5月22日(日)
(福岡)「フタバ図書パルコ新館店」
福岡市中央区天神2丁目11-1 福岡パルコ新館6F
TEL 092-235-7488
営業時間 10:00~20:30
定休日 なし

azisakakoji

 
厳選リンク集サイトサーチ