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晩夏。「ドクロのマーク」

2009年09月01日

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 数年前、パリはサンマルタン運河沿いのギャラリーで個展をやった時、おっきな眼鏡でいかにも賢そうなそこのオーナーに、「君は好んで、ロボットだとか、近未来風の建物、乗り物を描くけど、なんでだい?」と尋ねられた。そんなこと聞かれても困るが、パリジャンつうやつはうやむやな返事を好まんので、とっさに「そりゃあ、それがおれのサント・ビクトワール山だからさ。」と答えた。「はん?」と眉間にしわよせる彼につけ加えたのは、つまり南仏のこの山が、19世紀の画家セザンヌが慣れ親しんだ「自然」であるなら、ロボットやスーパーカーは、20世紀末の日本に生まれ、アニメやマンガに浸って育ったぼくの「自然」だ、ということだ。したがって、形とか色なんか、そんなに苦にならずに出てくるし、描いていて楽しい。野山を描くより、ロケット描く方が心地いいのだ。小学校のスケッチ大会のとき、もらった画用紙にれんげ畑をさっさと描いた後、その裏に、ドガーン、ババババーッって飛び回るロボット軍団嬉々として描いてたのを思い出す。
 
 3年前、ベルギーより帰国してちょうど一年経った頃、このように自分にとって身近であるロボットを中心に据えて作品を作ろうと思い立った。ロボットものにはやっぱり、秘密組織みたいなものが必要だろう。秘密組織にはかっこいいシンボルマークがないとはじまらん。ううん、何にしようかな。そういえば昨日の飲み会のとき、解剖学やってる友人が、おれの頭蓋骨見て、すごく形がいいと褒めてくれたな、ようし、マークは骸骨にしよう。組織の名前はドクローズ団で決まりだ。
 こういう具合にはじまって、ドクロマークがあちこち散らばった絵を8ヶ月で50枚ほど描き上げた。そしてその夏、九州の各地で個展をして回った。
 長崎は、出島のすぐそばに建ってる築60数年のとても古いビルの一室を借り、そこに展示した。ビルは軍艦島にあるのを引っこ抜いてきてそこに据えたみたい、外も内も異彩を放ち、熟れたまま腐らず乾燥した巨大な果実のようだった。表に看板を出してたら、観光客のひとたちもちらほら見に来てくれた。時は8月はじめ、おりしも反核反戦運動の団体の集会が市内各地で行われていた。
 展示しはじめて何日目だったろうか、おばちゃん(と、おばあちゃんの中間くらいかな...)数人が上ってきた。イラストだとか現代美術なんかとはあんまり関わりがなさそうな感じだ。身ぎれいで学校の先生とか町内会の役員みたいなたたずまいをしてる。彼女らは最初とまどった風だったけど、にっこりあいさつするとそれぞれ静かに一枚一枚ていねいに眺めていった。そうやってひととおり見終わった後も、小声で話したり指を差したりしながら行ったり来たりしている。こんなに真剣に見てくれてありがたいよなあと思ってると、その中のひとりがすっとそばに寄ってきて尋ねた。「あの...しゃれこうべが、いっぱい描かれてますけど...これはやはり原爆で犠牲になった方々を象徴されてるんでしょうか?追悼の気持ちが表現されているんでしょうか?」「えっ...?」意外で不意な問いかけに、絶句しかけた。けれど、口はなんとか動いて「ま、まあ...そんな感じでもあります...」とひどくあいまいな返事をかえした。おばちゃんは、何回か黙ってうなずいたきり、それ以上はなにも聞かなかった。
 それからまた数分、彼女らはそれぞれ静かに絵をながめ、「どうも、いいもの見せていただいて...ありがとうございました。」とお辞儀をして去ってっいった。まるでこの世でない彼岸の人といたみたいだった。夢心地からはっと我にかえると、蝉がジミヘン百人ギターかき鳴らすみたいに叫んで、太陽が窓ガラスぶち破りそうな勢いで燃えていた。
  
 その夏、長崎につづいて個展をやったのは、学生時代を過ごした熊本だった。雑貨屋とカフェがいっしょになった店の2階(といっても屋根裏みたいなとこ)に展示させてもらった。この店でやるのはもう3回目。あいかわらず、キュートな雑貨目当ての女子学生から、本好きの主人を慕う中年おじさん、おいしいランチを求める奥様連中と、やってくる人はさまざまだ。さいわいな事に、作品をひいきにして毎年個展を心待ちにしてくれているお客さんも少なからずいる。
 始まって最初の日曜日。休日にしては、人があんまし来ないよなあとぼおっとしてたら、がちゃがちゃと話し声が階下から聞こえ、ぎしぎし階段を上ってくる音がして、きゃあきゃあと女子高生が3人はいってきた。見ると全員、服やアクセサリーの色が白と黒と赤の3色しかない。3色しかないがギザギザフリフリクルクルと複雑な形をしてる。そいでもって、服の模様やバッグのアップリケ、鈴なりのキーホルダーは、ドクロ尽くしだ。なんでも、表に貼ったチラシの絵を見て駆け込んできたらしい。「こんにちはー、おじゃましまーす!」「わあ、いーっぱいドクロ!きゃあー!」「わたしたち、ガイコツ好きなんですー、ドクロもの集めてるんですぅ」「ナイトメアー見ましたーっ?!」「絵の前で写真とってもいいですかー?」「ドクロってかわいいですよねーっ?」と、たて続けの連射攻撃に、なごんでた心は蜂の巣だ。くうぅ、いかん、押されっぱなしじゃ...こっちも何か話さんと。と思ってたら、リーダー格の娘が「ドクロ、好きなんですかぁ?いつも描いてるんですかぁ?」とニコニコ顔で聞いてきた。ぼくは「あ、そ、そうです、なかなか好きです」と答えた。
 答えた後、長崎で会ったあのおばちゃんたちを思い出し、これを聞いたらさぞかしがっかりするだろなと、彼女らになんだか申し訳ない気持ちになった。その気持ちのせいで、そのあと何十秒か女子高生の言葉が耳にはいらなくなった。
 写真を何枚かとって、ノートに感想書いて握手して、「次回の個展、楽しみにしてまーす!」と彼女らは下のカフェに下りていった。残されてひとり絵に囲まれてると「ねえー、何飲むー?」「こないだ学校の帰りにさー」と階下から話し声が聞こえてくる。話題はもうドクロからすっかり遠ざかっている。
 そんな会話を聞きながら、さらにおばちゃんたちのことを考えた。「うん、でも、まてよ...」あのおばちゃんたち、長崎に反核運動しに来てる最中、朽ちかけたようなビルでおれの絵を見たのではないとしたら、どうだろう?熊本に観光で来て、阿蘇で温泉はいって馬刺食べてカラオケ熱唱した翌日、街中のかわいらしいカフェの屋根裏で見たとしたら、どんな風に感じるだろう?
 「ひゃあ、兄ちゃん、あんたのガイコツ、目がクリクリして、可愛いかなあ、うちのじいちゃんにそっくりばい。」って、もしかしたら言うかもしれん。熊本の女の子にしたって、修学旅行で長崎に来てたとしたら、どうだろう?その口は「きゃあ、かわいい!」とは別の言葉を発したかもしれない。そう思うと、不思議とこころがやわらいだ。
 すると「みゃあ」といってそこの飼い猫が入ってきた。おお、よし、なでてやろうと手をのばしたけれど、何かを確認するとさっさと出て行ってしまった。

azisakakoji

 
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