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新米の季節

2009年09月12日

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 その日は9月に入ったというのに真夏みたい、ぐらぐらたぎりに暑かった。家で絵を描いてるとだらだら汗が出てかなわないので、市民プールへ行った。休み明けでがらがらだろうとの予想どおり、子供用にはまばらに人がいたが50メートルはぼくだけだった。聞くと最終日で、明日から来夏まで長い休みに入るという。飛び込むと、真夏になりすましていようとそこはやはり9月、水は思いがけずひんやりとしていた。泳ぐのにはうってつけで、心地良さにどうしようもなく笑みがこぼれ、ゴボゴボゴボ...最初のうち、息つぎするのに苦労した。
 500メートルくらいすると、今年の夏もお天道様の下で泳ぐのは今日限りやなあ、とため息がこぼれた。1000になると、死ぬまでにあと何回、こうやって夏泳ぐことができるやろかと儚く思い、涙がこぼれそうになった。
 ところが1500になると打って変わって何やら力があふれてきて、ようし今日は5000泳いでやるぞ、と気合いが入りはじめた。普通は2000、調子が良くてもせいぜいが3000なので、5000というのは尋常ではない。高校以来、今世紀では初の試みだ。 
 夏の果のでかいプールにただの独り。3時間近くかかって、なんとか5000泳ぎきった。泳ぎはきったが予想の通り、身体が若干変になった。脱衣場によろよろと向かってると、風がやさしく身体をなでるのだが、それを感じる皮膚は十七娘の頬みたいに張ってピンピンなのに、その内側にある肉は太った50女の乳房のよう。垂れ下がりブテブテしている。そいでもって身体の中を通ってるいろんな管は、90ばあさんの白髪を編んでできたみたいにパサパサだ。
 そんな身体に服を着せ、どうにか車のシートにたどり着く。エンジンかけると、母の小さなポンコツ車が「ドドドドド...そんな身体にはジェット豆乳しかないぜ」とつぶやいた。コンビニに並んでる調整したまがいものでも、スーパーで売ってる大豆100%無調整でもない、豆腐屋さんが朝しぼった、勝手に名付けてジェット豆乳。200mlで168円ととても高級だが、こんな時に贅沢しないで、いつするのだ。
 ポンコツに言われるがまま、二本買って飲んだ。なんちゅう、うまさだ。いっきに全身が潤う。まあ、イメージとしては、あめ玉になってエリザベス・テイラーかソフィア・ローレンの口の中で舐め回されてる感じだ。するとどうしたことか、もうずいぶん前に買って読んだ本の、ある文章が無性に読みたくなった。たしか、実家の二階にあるはずだ。
 さっそく帰って、探してみると、二階の隅の押し入れの奥のダンボールの底にその本は貼り付いていた。ドキュメンタリー映画監督、小川紳介の「映画を穫る」という本だ。その中に記録文学作家である上野英信が、彼に話してきかせたという実話が紹介されている。以下がその文章です。
*残すはなし*
 江戸時代が終わる頃、筑前で起こった一揆の指導者が、刑場に送られる道中のことと思って下さい。刑場への往還最後の峠には一軒の茶店があり、急坂を登ってきた護送の一行はここで休むことになりました。常より厳重に警護されている唐丸の内の人を、先頃の一揆の指導者と知った茶店の老夫婦は、ものものしく取り囲んでいる武士らの制止をものともせず、その囚われびとに一杯の渋茶を振るまいました。すると、それを押し頂いた囚われびとは「この一杯のお茶は、私の全身にしみわたりました。これを末期の水にできたいま、私は安らかな気持ちで刑場に立てます。私自身でお返しできないこのご恩に必ず報いるよう、私は、あなた方が今日ここで私にして下さったことを、しっかりと子孫に伝えていきます」といいました。
 現在、峠の老夫婦の子孫は福岡市内で小さなタバコ店を営んでいますが、毎年秋になると、その店先にはあの一揆の指導者の子孫から新米が一俵届きます。百数十年の間、一度も違わずに。それはつづいているということです。

うくうっっ、ほんとうにいいはなしや...
今回の曲。
松倉如子「セミ」

azisakakoji

 
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