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ふぶきのなか
2010年01月12日
こんなにとてつもなく寒い冬は50年ぶりだというベルギーに年末から来ている。着いた日がちょうどその極寒の始まりの日だった。
先の晩秋、長崎はとってもあたたかで11月末だというのに南東向きの仕事場は、お陽様キラキラ空気ほかほか、暖房なしのスウェット一枚で作業をすることができた。このまま年末までどこにもいかず淡々と仕事をこなし、正月は前の年と同様、実家でこたつで猫とごろんして読書三昧だ、ふふふ。と思ってたらひょんなことから急遽ベルギーに行くことになった。冬のヨーロッパはだいっきらいで叶うことなら関わりあいになりたくなかったのだが、仕方がないので腹をくくってホッカイロをたくさん買って飛行機に乗った。
機内食を食べる度おなかの調子が変になるので、今回はたわむれに生野菜のベジタリアンメニューを頼んでみておいた。そしたら出てきたのはほんとのほんとに生野菜を切ったのとパンが一個だけだった。その野菜もサラダボールにいっぱいというわけでは無論なくって小さなトレイに落ちた花びらみたい、はらりとほんの少しだけ盛られてる。ちょっと悲しくなった。けれども、まあそりゃあそうだよなと納得して栄養素をあらんかぎり体内に取り込もうと、これ以上ないくらいゆっくり噛んで食べた。そうしてたら、坊主頭と生野菜と妙にゆったりとした動作がほんとの坊主に見えたのか、かしこまった口調でスチュワーデスさんの一人が、「それではあまりに少ないのでご飯をお持ちしましょう」とささやくように言った。
しばらくしてレトルトご飯を運んでくると「このままじゃあなんですので空いたトレイによそいましょう」と腰を低くするので、あわてて「私、自分でやります、結構です」と辞退した。”私”なんて日常で使うの生まれて初めてだったので、レタスをおかずにご飯たべながら独り笑った。そいでもってせっかくなのでこの機会にこの機内の中では、ほんとうの坊さんみたいに振る舞うことにした。つまり食べ終わったトレイをきちんと片付け、歯を磨き顔を洗い、身の回りをスッキリ整頓し靴を脱いできれいに揃えた後、毛布をきっちり半分に折って膝から下にかけ、背筋をしゃんとして目を閉じた。
ふふっ、誰がどうみても修行僧の佇まいだな,,,とひとりごちてると、まだ早い時間なのにえらくすんなり眠気が訪れてきた。不思議に思いながらもまどろんでてはっと気がついた。それもそのはず、野菜食べながらワインの小ビンおかわりして4本も空けたのだった。酔った坊主じゃあ話しにならん。ぐーすか寝て起きた時には毛布がだらしなく床に落ちていた。
そんなささやかな事件がモンゴルかロシアの上空であった後、経由地であるアムステルダムに到着した。乗り継ぎの時間が少ししかなかったので足早に入管ゲートに行くとすごい人の数だ。近所のスーパーだろうが郵便局だろうが、最も進むのが遅い列に吸い寄せられるように並んでしまうという難儀な習性をもっているので、この非常時に選んだ列も、動作が緩慢で無駄話の多い間の抜けたような管理官が担当している列だった。遅い、とにかく遅い。となりの列の先頭ではずいぶん後からきて並んだブルーネットの娘がもうすでに笑顔でパスポート出している。こんちくしょう、あっのいんちき売女野郎めが...はなはだ理不尽なことではあるが、こんなときには他の列の人たちがなんだか嘘つきで卑怯なやつに見えてしまう。でもって、自分の列の人々は正直で誠実な人間に見える。ううう、あと搭乗時間まで10分しかない...
それでもなんとか入管を通過して数分遅れで搭乗ゲートにたどり着いた。が、あたふたと駆け込んだというのにまだ手続きは始まっていなかった。どうやら出発が遅れているみたいだ。いったいどうしたんだろう?しかし、あわてて損しちまったよなあ、とため息をついてなにげに窓の外をみて驚いた。
吹雪だ。それも、古いロシア映画でしか見たことないような正真正銘の、ビュウウウぅうううーっ、っていうすごいやつだ。うひゃあ、これじゃあ飛行機、飛ばんやろう。しかし、どうなるんだろ?
と、責任者らしき人が前に進み出てきた。美しい青のオランダ航空の制服着た、太ったシャーロット・ランプリングみたいな女の人だった。なかなか頼りになりそうで安心した。彼女は手をあげ「えっとー、バスでブリュッセルまで行く人は私について来てくださーい」といった。うひゃあ、12時間飛行のあと4時間半、バスに乗るんかよぉ、荷物はどうすんだろ?飛行機なら数十分でひとっ飛びなのに何てこったい...
背中に容量80リットルのリュック、肩に10キロのショルダーバック、右手に20キロのトランク引いて、その吹雪の中をバス乗り場まで歩いた。(なんで乗り場が外にあってしかも離れてるんだよ!と全霊をかけて呪った)とにもかくにも寒い。薄いセーターにパーカーだけの身体は何とか凍るまいと全力で対応するのだけど、いきなりの氷点下にパニック状態、鼻汁と涙があふれ、手足がしびれ、はげしい悪寒にかがみ込んでしまいそうになる。ようやくバスに乗り席に着いても、氷でできた服を着てるような寒気はなかなかとれなかった。
まもなく分厚いコート着たシャーロットが乗ってきて名簿と人員を照らし合わせた後、サンドイッチが配られた。パサパサのパンにチーズが挟んであるだけのかなしいやつだった。「こんなことになって、ごめんなさい。では、みなさんお元気で」と言い残すと彼女は職場へともどっていった。
吹雪の中を高速バスが走る。
ようやくあたたかくなって丸めた身体をのばしてふと見ると、通路を隔てた向こう側、黒人の少年がひとり電灯に照らされている。彼以外はそれぞれの長旅に憔悴し消灯し寝息をたて始めているというのに、彼だけが窓を覆う雪の真白を背景に黒く浮かび上がっている。雪の世界をそこだけ深くえぐったみたいにくっきりと力強い。背筋をしゃんと伸ばし、本とノートを脇に広げ何やら勉強をしている。そういえばベルギーではクリスマス前に期末テストがあるはずだ。まだ12、3歳くらいだろうに一人旅。故郷のコンゴへ帰省した帰りだろうか...それにしても、疲れてるだろうに、偉いなあ...と感心してたらいつのまにかうとうとしてしまった。数十分は寝たと思うが、目を覚まし見やるとまだ勉強を続けている。
たいしたもんだ...そう強く感じ思わず「よく勉強するなあ、すごいなあ君は」とフランス語で話しかけた。すると顔をあげてにこっと笑ったが、本の表紙の文字はオランダ語だった。それで英語で同じこと繰り返すと、またにこっと笑った。こちらも笑顔を返して彼の手元をよく見たら持ってるのはポケモンの柄の着いた鉛筆だった。ポケモンはドラゴンボールなどと同様、ここヨーロッパでも大人気なんだけど、それを見たら急に親しみが湧いてきて、彼に何か自国のものを無性にあげたくなった。
それで、リュックの中に何かマンガキャラクターのついたものがなかっただろうかと思い返してはみたものの、筆箱もお菓子もキーホルダーもこれといったものは何にもない。ちくしょう、こんな肝心な時にあげるものがなんにもないなんて情けない。何かないかなあ何か...とさらに頭をひねってようやっと見つけた。
「ちょっと待っててくれ」と言ってリュックからホッカイロひとつとって袋をやぶいてシールをはがし、おなかのとこに貼って見せた。そうして彼にも同様にするようにと手渡した。手渡すと勝手に安心して、また眠気がずうんとおそってきた。今度のは本格的だった。
周囲のざわめきに目を覚ますと、バスはすでに到着地点であるブリュッセルの空港の敷地内に入っていた。まもなく停車すると、前の人から順に下り始めた。
先に立ち上がった少年はまだ座ってるぼくのほうに少し近づくと、お腹のとこをぽんぽんとたたいて「ホット、ホット!サンキュー!」と言って笑った。それでこちらも笑って「ヤァー、グッドラック!」といって握手した。
ほんとうに、グッドラックよ彼に訪れよ!だ。
深夜吹雪のバスの中、とぼしい明かりで勉学にはげむ、こんな少年こそ幸せにならんといかん。
そうでなきゃあ、世界がうまく立ちいかんだろう、と思った。
今回の曲
Ersatz Musica「winter 19...」
ブリュッセルのCD屋さんで試聴し惚れて買った今年最初のCD。その9番目にはいってた曲。
Ersatz Musicaはベルリンへ亡命してきたロシア人からなる楽団で、東欧やジプシーの音楽専門のドイツのレーベル“Asphalt Tango”から数枚CDを出している。
この曲は冬を歌ったものだろうけど、ボーカルIrinaさんの何とも味わいのあるロシア語の歌声が大地踏みしめゆったり歩く馬の蹄みたい。ポッカポッカと響いて耳の穴からしみ込んで身体全体をあっためてくれる。