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道化師団

2011年11月18日

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三年くらい前のこと、初夏の陽光降り注ぐ五月の長崎を飛びたち数年ぶりにベルギーへ舞い戻った。
降り立つとそこは案の定、まだ冬で灰色で寒かった。
天気がもうちょっとましであれば十年でも住めたものを、絵を描く者にとって光のとぼしい国はつらい。
当時は三年暮らすのがやっとだった。

着いて二日目、友人に誘われるまま馴染みのない行き先の路面電車に乗った。
ガタンゴトンという心地よい調べに身をゆだねてると、時差ぼけもあって、いったいここが長崎なのかブリュッセルなのかわからなくなってくる。
 
しかし、心地よくまどろんでる身体をつつかれ開いた目に映ったものは、三菱の造船所ではなく、シトロエンの自動車工場だった。
いつのまにか北部の工業地帯のはじっこまで来ていたのだ。

埃っぽい通りをいくつか越え、連れていかれたところは大型トラックが百台も詰まりそうな大倉庫だった。
入ると真ん中に青紫の大きなテントが張ってある。
 
ベルギーにはフランスの名高いNGO団体「国境なき医師団」の着想を模した「国境なき道化師団」というのがある。
今日はそのブリュッセルでの公演日なのだ。
彼らはこうやって”豊かな国”で稼いだ資金を元手に世界各地の”貧しい国”へと赴き、道化や手品を無料奉仕する。
医師は医療を、道化師は笑いや感動を、彼の地の人々に届けるのだ。

テントの周りでは入場を待つ人々が飲み物片手に談笑している。
みんな顔見知りみたいで和気あいあいとした雰囲気だ。
よく見ると集まって来た人たちには何とはなしに共通性があるように思える。
ヴィトンさげて香水臭い金持ち連中がいない代わり、目つきがするどく汗臭い貧乏人もいない。
白人が多くて、有色はぼくもふくめわずか。
一言でいうとエコロジストとかニューヒッピーとかそんな風に呼ぶのだろうか...
さっきからこちらに微笑みかけてるマダムなど、当の男の好物が鯨だと知ると金切り声をあげそうだ。

開演時間がせまり入場して席に着こうとしてしていたら、いきなり大きく重たい声で「ノン!ムッシュ!」と注意された。

何の事やら訳がわかんなかったが、どうやら神聖な場を踏みにじってしまったらしい。
それとは知らず、舞台代わりに敷かれたシートの上を歩いていたのだ。

「あんな真顔で怒らんでもいいのになあ...」
と思いながら腰掛けるとまもなく暗くなり拍手喝采。
スポットライトに照らされて大柄で銀の長髪、五十歳半ばの団長とおぼしき人物が出て来た。
パイロットみたいな耳掛けマイクをつけている。
ゆっくりと180度、18秒くらいかけて客席を見渡した後、両手を天に高らかに広げた。
そうして「我々は国境なき道化師団!」と自分らを紹介した。

非常に誇らしげだった。

そのあと長い挨拶が続いた。
やっと終わって、さあ演目が始まると思ったいたら垂れ幕が下りてきて、途上国で彼らとたわむれる子供たちの映像が流れ始めた。
一組の男女が現れ、それを背に団の歴史や活動内容、見せ物の普遍性とかについて熱っぽく語った。

彼らが退いた後、ガラスの玉をもった男の人がでてきて、その玉を操る芸をした。
ガラス玉は男の手から手へ、背中から足に、頭上に宙へと動き回り、まるで生きているようだった。
すばらしい芸で、その後の出し物に期待がもてた。

二番目に登場の三つ編みの女の人はフラフープを上手にまわしてみせた。

三番目の二人の道化師はコミックショーをやった。

帽子をつかって芸をする人や風船手品のムッシュも出てきた。

そのどれについても会場は驚くほど湧いていたが、ガラス玉以外はぼくにとってはあんまし面白くなく、見続けるのがしんどかった。

休憩がはいったので眠気覚ましに外へ出て倉庫の周りを散歩した。
そこは場所柄、移民や低所得者の居住地で、アラブやアフリカからやって来た人がカフェのテラスや歩道にたむろしていた。
すっかり暗くなっていたんだけれど、子供らも通りのあちこちでおしゃべりしたり、街灯の明かりでボール遊びしたりしている。

ふつうの家を開け放しただけみたいなカフェに入ってビールを注文した。
ぼく以外はみんなアラブ人だった。
傍らの男の足が臭いし、ざわざわ話し声がするんだけれど、なぜだか落ち着いた。
入り口のとこに、ついさっきまで見ていた公演のポスターが無造作に貼られている。

休憩の終わりを告げる友人からの電話が鳴るまで、グラス片手にぼおっとしていた。
ぼおっとしながら、「私は他人(ひと)のために良い事をしてる」と胸を張っている人を見るというのは、あんまし気分がよくないものだなあ、と思った。

今回の曲
asa feat.NOBU & RUMI「白地図」

まだベルギーに住んでた6年前くらい、友達から「ECDが絶賛してる若いラッパーがいる」というので取り寄せて聞いたのがRUMIの「Hell Me TIGHT」というCDだった。
ヒップホップなんてなじみがなく、ほとんど聞いた事なかったんだけど、これはとっても良かった。
それで、生まれてはじめてファンレター(メールだけど)というものをだした。
そしたら数日して、RUMIさんから丁寧で飾らぬ、すてきなお礼の返事をもらった。

雪の降る季節のことで、こころがポカポカになりうれしかった。

投稿者 azisaka : 00:19

金物屋さん

2011年11月01日

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長崎に住んでた3年くらい前のある日のこと、近くの画材屋さんで幸いにも、棚卸しのキャンバスを安く大量に譲ってもらった。
いえーい、よほほいとうかれつつ、よく見るとしかし裏面、布地のとこがみんなめくれてる。
それで、それを固定するための釘を買い求めようと数件先の金物屋に立ち寄った。

木造二階建てで日本が鎖国してた時代からあるような古い店だ。
入ると中はまるで金物でできた雑木林みたいだった。
四方八方から、柄杓(ひしゃく)や鎌やじょうろなんかが樹の枝みたいに突き出している。
中には錆びたものや袋がすっかり色褪せ文字が読めぬものもあり、果たして売ってるのかどうかさえ定かではない。
店は開いてるが商いしてる様子はないし、客が入ってきたというのに人の気配もない。
それでさっさと立ち去ろうとすると、金もの薮の中からぬっと黒い影がでてきた。
イタチかなにかと思ったら、くしゃくしゃで血色の悪いちっちゃなおじいさんだった。

「何かおさがしですか」とうつむいたまま顔も見ず細くかすれた声で聞くので、”小さな釘”だと答えた。
三秒半くらい反応がなかったので、もう一度言おうとしたら、「釘はこっちですばい」と言ってそろそろと歩き出した。
ついてくと奥の暗がりに傾いた棚があり、釘の入ったとおぼしき箱が無造作に並んでいる。
じいさんはよろよろ危なっかしげに箱を取り出すと、何通りか見せてくれた。
一番小さなものを選んだ。

勘定をすませようとした時、「こがん細(こま)かとば何に使うとですか?」とぼそぼそ独り言のように聞くので、手に提げてた袋の中のキャンバスを見せて説明した。

話し終わらぬうち、
「はあ、絵描きさんですかっ!」
いきなり大きな声を出すのでびっくりした。

見るとじいさん、マンガみたい、瞳に星がきらめいている。
そして口の中で三連水車が回ってるような、かたかたせわしい且つじんわりのどかな感じで話し始めた。

彼には生まれた時からずっといっしょに暮らす今春高三になる孫がひとりいるのだという。
その孫というのが、絵描きになるべく芸大をめざしているのだが、親をはじめ周囲はみんな反対してるのだそうだ。

けれども、自分だけは彼にはなかなか才能があると思っている。(なんとなれば、長年金物屋をやっており職人さんをたくさん見てきてるので、他人より少しばかり見る目がある)

それで、ひそかに(「見ての通りのおいぼれなので、大きな声じゃあ言えんですもんなぁ...」)彼のことを応援しているのだが、どうにもこうにも心配でならない。

とまあこんな訳なので、ひとつ兄さんあんたに、彼にはたして才能があるのかどうか見てもらいたいという。

唐突にそう言われて困ってしまったが、客が絵描きだと知るや、よぼよぼじいさんだったのが磨いた金(かな)だらいみたいにピカピカ生気をみなぎらせてにじり寄って来る。
それに圧倒されてしまった。
「たいした絵を描いてるわけじゃないですが、ぼくでよかったら」と生返事をした。
すると「しろうと絵描きは、そがんいっぱいカンバスは買わん!」といいながらさっさと店の奥に手招きをした。
住居に連なっているらしい。

じいさんの後について上がった家は古い町家で、中は昼なのに薄暗く、廊下だけが黒く鈍く光っていた。
そして、良いとも悪いともいえぬ、ただ単に懐かしい香りがした。
変なとこに段や出っ張りがあるのでそろりそろり注意しながら進んでいくと、暗闇をついて出てきたのは、別の世界だった。

本棚にはコミックと、けばけばしい色のミニチュアやプラモデル。
床には足の踏み場がないくらい雑誌やゲームソフトが散乱し、壁には知らないサッカー選手とアイドルのポスター。
汗と芳香剤の混じったいやな臭い。
絵に描いたような男若者の住処(すみか)だ。

「高校生の部屋に入るのって何年振りやろう,,,」その空間のあちこちからたちこめる青っぽさに頭がくらくらした。
くらくらしてると「これですばい」といって、最近美術教室でやったという石膏デッサンやクロッキーを取り出しぐいと差し出した。

ゆっくり丁寧に見ていく。

途中顔を上げると、少し離れたとこでじいさん正座している。
見て、はっとなった。
小さな身体のあちらこちらから、ここ十五年ばかりは奥に引っ込んでいたと思わしき”そわそわ”だとか”ドキドキ”といった感情が湧いて出て
うねって、じいちゃんを微かに震わしている。

ひととおり見終わった。
部屋の様子からして「じいさんにゃあ悪いがダメだコイツは..」と予想してたのとはうらはらに、どう見ても、ぼくなんかより上手だった。
びっくりした。

それで、そのように感じたままを告げた。
神妙に聞いてたじいさんは話しが終わるやいなや、一回大きく頭を垂れた。
”事切れたのかっ”って思うくらい見事な垂れ様だったので一瞬たじろいだ。
けれどすぐにその後、ひょっこり顔を上げ隙っ歯で微笑んだ。

そうして、「そうですかそうですか、ほお、そうですか、ほお、ほお、そがんですか...」と言いながら何度もうなずいていた。

青臭い部屋を出て、かび臭い暗闇を通り、錆くれた金物屋に裏の方からたどり着いて靴をはいた。
紐を結んでると、先に草履つっかけてニコニコ逆光の中突っ立ってたじいさんが「何かいっちょ持って行かんね」と松鶴家千とせみたいな身振りで言った。
(ここんとこ、わかりづらくてすまん)
はじめ何のことやらちんぷんかんぷんだったが、どうやら店のものを何かひとつプレゼントしたいらしい。
せっかくなんで、「じゃあ、これ」と言ってレジ近くにかけてあった灯油入れポンプを指差した。
すると、「千円くらいんとにしとかんね!」とどこか得意気にいった。
それで、金色の中くらいのヤカンをもらって帰った。

それから3年。
毎年季節が寒くなると仕事の合間、そのヤカンで湯をわかし、お茶を飲む。

お茶の熱さが、孫を語る時のじいさんの顔の火照(ほて)りを思い出させる。

情愛というものが自然に溢れ出てくる美しい様子がよみがえる。


今回の曲
Michael Nyman「Molly」

今の時期、お茶飲みながらM・ウィンターボトムの映画「ひかりのまち」のサントラを聞いてると、切なくなると同時になにやら不思議とやる気が湧いてくる。
あの映画はいい映画やった。
ときどきふっと、しとしと雨の寒い夜バスに乗る、そのためだけにロンドンに行きたくなる。

投稿者 azisaka : 22:35