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ラルフ

2011年12月03日

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ちょうど日本がバブルっていう名の好景気に湧いていたのと同時期、幸か不幸かパリに暮らしていた。
大学出たあとすぐに職に就くのもためらわれ、縁あって住み始めたんだけど、何か特別な目的があるわけでもなかった。
絵で食べていく自信なんてなかったし、他に特技もなかったが、まあなるようになるさと思っていた。
(この時分、たくさん親に心配かけたので今はせっせとその償い最中)
ガイドや家庭教師、服の買い付けの手伝いや皿洗いなんかをして食いつなぎながら、ひとり絵を描いていた。
そうじゃなけりゃあ、あてどもなく散歩し映画を見た。
お金はないが、やたらと時間がたくさんあった。

住んでたのはむかしから移民が多く住み着いてるベルヴィルっていう名の街のおんぼろアパートだった。
エレベーターなし6階の屋根裏部屋で、バイトから疲れて帰った時など、上り始めるのに覚悟がいった。
緑の手すりが天へと螺旋に伸びていて、下から見上げるとまるで「ジャックと豆の木」の大木のようだった。

部屋へ入ると斜めになった小さな窓から北の方、モンマルトルの丘がほんの少しだけ見えた。
石を敷いただけの中庭にはいつも子供の遊び声や、夫婦のののしり合う声がこだましており、ときどき何かの割れる音が高く響いた。

通りに出るならば、そこにはフランス語よりかアラビア語や中国語の看板が多いくらいで、マロニエの枯れ葉の代わりに野菜のくずや鶏の頭なんかが落っこちていた。
もちろん日本の雑誌で紹介されるみたいな(栗毛の可愛いリセエンヌが寝ぼけまなこで手伝ってる)おいしいパン屋なんてのもなく、ひげのやたらと濃い男衆がやってるケバブの店がいたるところにあって、大きな串に刺さった羊肉の固まりが強い臭いを周囲に放っていた。
この臭いに、コリアンダー、ゴロワーズとペルノーの臭いを合わせるとこの街の香水ができあがる。

食事といったら朝はいつも固いバゲットパンにジャムつけたのをカフェオレで流し込み、(日曜だけ贅沢してクロワッサンやショコラパン買って食べるのがとても楽しみだった)昼は食べないか、サンドイッチみたいなやつ、晩はにはよくメルゲーズ(羊肉のピリ辛ソーセージ)を焼いて食べていた。

着る服はたいていが蚤の市か近所のアラブ人がやってる古着屋で買ったもので、山と積まれた中から良い品をさがしだすのが楽しみだった。
しかし、持ち込まれたものをそのまま放り出してあるだけなので、しみ込んだ強い体臭がにおい立ち、時々気分が悪くなった。

年に2回、プレタポルテのサロンの時、日本から人がやってきた。
彼らからちょっと高いレストランにつれていってもらうのがすごく楽しみだった。
同じくらいの歳の日本の若者がほんもののロレックスやヴィトンをもってるのでとてもびっくりした。
さっき買ってはじめて身につけたようなまっさらの服を着ていて、まるで金ぴかのおとぎの国からやってきた人みたいに思えた。

さてそんなパリ暮らしが2年くらいたったあと、妹の結婚式で東京へ行った。
この都会へ行くのはそれがはじめてだった。
着いた翌日、商社で働く旧友と5年ぶりくらいに再会することになった。
待ち合わせの場所に立ってたら、ガンメタのBMWがすーっと目の前に来てとまった。
窓が下り「よお、こうじ、ひさしぶり!」と笑いかけるのが、ちょっぴり太ったその友人で、そのまま高そうなフランス料理店に連れて行ってもらった。
「今日はおれがおごるから心配するなよ」
動揺してるのをさとられたのか、店に入る前にそう耳打ちされた。
(三千円くらいしか持ってなかったのでほっとした)

フレンチのコース料理というものを食べるの、それが初めてだった。
そわそわしてたらいきなり、いかにも高そうなラベルのワインが出てきた。
パリでいつも飲んでる一本300円くらいのワインが優に50本は買えそうだ。
「これ、この前、接待で飲んだんだけど、うまかったんだよね」
と、いつのまにか東京言葉を身につけた彼から注がれるままに飲んだ。

飲んだんだけど、何か変な味がした。
「ああ、こりゃあブショネだ..,」とそう思った。
(ブショネっていったら、コルク栓の臭いがワインに移っちまってる状態で、毎日ワイン飲んでたらたまに出くわす)
でも、飲めないほどきつくはなかったので、口には出さず「やっぱりおいしいよね、これ」って言ってる彼と最後まで空けた。

食べものはうまかった。
うまかったんだけど、特別ってほどでもなくって(だって”フランス直輸入”の鴨のロースト、ここで食べたってなあ...)、ああ、寿司食べたいと言っときゃあよかったと悔やんだ。

そのあと、またまた高そうなバーに連れていってもらった。
そこで、投資で儲けてるという話をたくさん聞かされた。
「こうじもやれよ、簡単に稼げるぜ、ふふふ」と勧められたんだけど、聞いてもさっぱりわからないし何となく気が進まないので「おお、すごかねー」と相づちだけ打って聞いてるふりをしていた。

東京には3日間くらいいた。
友人知人に会うのは楽しかったけど、ここはただただほんとうに騒々しく、その上道行く人の風貌がのっぺり魅力がなくて悲しくなった。パリにとっとと帰ってしまいたくなった。

そのあと実家のある長崎に行った。
そこは相変わらずのんびりしてたのでほっとした。近所のいつも米をわけてくれるじいさんの「やあ、帰っとったとね」と笑う自然な表情に安心した。

さて、パリではパリ生まれでパリ育ちのベルギー人の女の子と一緒に暮らしていた。
彼女は昼間大学に通い、夜はディスコでバイトしていた。
バイトの日は晩ご飯食べたあと出かけていって朝まで帰らなかった。
ピガールはムーランルージュの隣にあるでかい箱で、ときどきくっついて行ってただで入れてもらった。
踊るでもなし、ジンリッキー飲みながらぼさっと人が踊るのをながめていた。

ある晩それとは気がつかずに入ったらゲイナイトだった。
厚化粧で女装したおっさん、黒革ビチビチマッチョ兄さん、性別判別できないただきれいな人、普通のサラリーマンみたいな人、いろんなタイプのひとが、ひしめいていた。
メインホールの大きなスクリーンには、そういった類いのポルノ映画が映し出されていたんだけど、むろん映倫とおってないので、とっても迫力があった。
アジアの人間はめずらしいのか、独り飲んでるとあとからあとから声をかけられた。
中には、「こんなきれいな人となら一度くらい...」と思うような美しい顔立ちの人もいた。

ところで、何回かそのディスコに通ってるうち、ドイツ人の男と仲良くなった。
バーを仕切ってて名はラルフ、年は自分より10くらい、体重は20キロほど上で、髪の長さは30センチほど長かった。
真ん中分けの髪の下、狭い額はさながら固い岩場で、そこからびよーんと長く太い鼻の茎が生え垂れ下がっていた。
その先に分厚く赤い二枚の弁からなる花が咲いていて、ほとんど閉じたまんまだったけど、開くと酒とタバコと男と女の臭いがした。
目玉は...目玉はって言うと太い茎の両側にしがみつく一対の南洋の昆虫みたいだった。
背中が深緑色に濡れて光ってるんだけど、そいつときたら人喰い虫で、油断してるといきなり羽ばたき飛びかかってきそうだった。

と、やけに描写が長くなったが、誰かにたとえるなら映画監督のエミール・クストリッツァと原田芳雄を足したのにイギー・ポップをかけてミッキー・ロークで割ったような風貌だった。
とにかくまあ、このように尋常ならざるたずまいであったので、最初のうちはできるだけ近づかないようにしていた。

けど、それはシラフの時で、酔っちゃったら当然のごとく恐れよりか好奇心が勝る。
いつのまにか話を交わすようになった。
(とはいってもつたないフランス語で、あいさつに毛の生えたくらいの短い会話だったんだけど)

ちょっとばかし親しくなるとラルフは、すさまじく存在感があると同時に、そこに存在していない様でもあった。
なんとなく仕方なく、他に行くとこがないのでそこにいるという感じだ。
何やってても話してても真剣な感じがしなくって、同じホールで働くグラマー美人の彼女にしても、周りで一番いかしてるから、それじゃあそばに置いとこうかっていう風だった。
まあ、そんな所在無さげな、「この人いったい何考えてんだろう?」ってとこが彼の一番の魅力といえばいえた。

さて、フランスにはずいぶんむかしからLOTOという宝くじがある。
ある日アパートにもどると、奥から同居人が「ねえ、聞いてよー」と叫んでやってきた。
ラルフが”大当たり”を出したんだそうだ。

「おおそりゃあ、よかった」と軽くよろこんでたら、たいへん驚いたことに日本円にして1億円近くの金額だった。
来週末、セーヌに浮かぶ船を貸し切ってお祝いパーティを開くという。

パーティはドイツから呼び寄せた親戚や友人知人いりみだれ大盛況だった。
彼の母親が、「息子は辛抱してまじめに働いてきたのでその酬いがあったのだ」と泣いて挨拶したのが、失礼だけどおかしかった。
乾杯の音頭はラルフの兄ちゃんがとった。
紹介されて前に出てきたら何度かテレビで見たことあるお笑い芸人だったのでびっくりした。
実兄というのにぜんぜん似てなくて、わずかに残った後髪だけをポニーテールにした禿頭の下の顔は、古くなって捨てられた風呂場のマットみたいだった。
「いつ何時、彼らの面貌に違いが出始めたんだろう...?」
幼少の頃の二人並んだ写真を見てみたいなぁ、とそう強く思った。

そのあと高いシャンパン飲んでいい気分でいたら、日本の歌をと請われたので 「À bout de souffle!」と叫んで、ジュリーの「勝手にしやがれ」を歌った。
 
彼は、バーの仕事はとっととやめ、けっこう山盛りになっていた借金をさらっと返して、彼女にシャネルやヴィトンをどっさり贈って、ドイツの実家にまとまった送金して、おっきなメルセデスを手に入れた。
そうして最後にホンダのバイクを2台買い、バイクレースのチームをつくった。(知らなかったけど、かつてレーサーだったのだ!)
それで、「ははん、彼のほんとの居場所というのはサーキットを疾走するオートバイの背中だったのだな。」とひとり合点した。

それまで彼が乗ってたおんぼろフィアットは、ぼくがもらいうけることになった。
パリ市中を颯爽と駆け抜ける己が姿を想像し、うきうきとなった。
車をとりに行くと、彼らの郊外のうちは小さくみすぼらしかった。
大金あるんだからもっといいとこに引っ越せばいいのにさ、と思いながら中に入ると、金持ち連中がホテルの大部屋貸し切って乱痴気騒ぎやったみたいな散らかりようだった。
ソファーにふたつも女物のちっちゃな下着が脱ぎ捨てられててどきりとした。

車は、エンジンかけるにも、クラッチ踏むのでも、なんでもかんでもひとくせあって、そりゃあ運転しにくかった。
(今でさえ、ギアチェンジする時のコキンコキンしたシフトノブの感触が右手にしっかり残ってる)
しかも不慣れな左側走行でパリジャンの運転は傍若無人、さらには、車で出たはいいものの駐車する場所をさがすのに一苦労した。
(パリやベルギーではたいていが車は路上駐車)

車がないときは、行きたい時どこへでも地下鉄乗り継ぎささっと行って帰って来れたのが、ガソリン高いし、渋滞あるし、車持ったばかりに気苦労が多くなってしまった。
それで、だんだんと通りに置きっぱなしにして乗らなくなった。
廃車にしたり、貰い手さがすのは、ああ面倒だよなあと思ってたら、ある日駐車しといた場所に行って見るとそこには別の車が停めてあった。
ありがたいことに誰かが盗んでくれたのだ。
失って楽になった、よかったなぁと、しみじみ思った。
そしてもう一生、よほどのことがないかぎり車は所有しないことに決めた。

さて、そんなある日のこと、ラルフがディスコにまた舞い戻ってきた。
レースですっかりお金を使い果たしたそうで、何もかもすっからかんになり、またもとのバーテンダー生活に返ったのだ。
(お金、”運用”する道知らなかったのだ、ははは...)
グラマー彼女はというと、彼女はどこかに去って行ってしまっていた。

「よう、ひさしぶり、元気」と話しかけたら「おう、元気元気」と笑って返した。
肩にかかるほどだった髪がすっきり短かくなっていて、初めてその首筋が見えた。
そこだけ妙に線が細く華奢で、金色のうぶ毛がもにょもにょ波打っていた。
とても可愛らしくて、なでてやりたくなった。

いつもみたいにジンリッキーを頼むと、作りながら「ああ、そういえばフィアットどうした?」と聞いてきた。
「道に置いてたら盗まれちまった」って答えると、
「ありゃあー、知ってたらおれのメルセデス一台やるんだったのに、ざんねんだったな」と言うので、ギャハハハ...とふたり大笑いした。


今回の曲
豊田道倫with昆虫キッズ「ゴッホの手紙、オレの手紙」
豊田道倫「ギター」

ふたつとも、てっきり関根勤がふざけて誰かのまねをしてんだろうと思うかもしれませんが、豊田道倫が自分の歌を自分で真剣にうたってます。

azisakakoji

 
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