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ハーモニーさん
2012年02月20日
8年前の冬、どうしたものか縁あって沖縄で個展をやることになった。
あんましお金がなかったのか、それとも味気ないビジネスホテルがいやだったのか(もはや忘れちまったけど)、その期間中はトイレや洗面所が共同の一泊数千円の安宿に連泊した。
コンクリート打ちっぱなし南向きのやたらと明るいシャワー室、類を見ない独特な寝心地のでこぼこベッド、自分では買わぬ類いのマンガ本並ぶ湿気た談話室...それらすべてがその時分の自分の気分に随分合っていて、心が和んだ。
宿をしきってるロン毛の兄さんは、やたら「寒い、寒い」とぼやいていたけれど、前年まで3回続けてベルギーの冬を越した身体だったので、薄手のセーター1枚で事足りる気候はすこぶる快適だった。
滞在して3日ほどが経った。
観察してると、泊まり客は冬場ということで少なく、それもたいていが一泊きりですぐに入れ替わった。
ところが、一週間以上も泊まるのは自分くらい、と思ってたら一番奥の部屋、そこにすでに一ヶ月前から滞在しているという人がいた。
4日目、朝起きて洗面所へ立つと、それを息をひそめて待ってたかのように奥の扉がすっと開き、中からめがねの男が出てきた。
スラックス(パンツでもズボンでもない)に白シャツを入れ、ベルトをしっかり締めている。
男は隣の洗面台のとこまでくると無言で歯ブラシに磨き粉をつけ、それを口にくわえた。
ああ、何か挨拶しなくちゃ、と思ってたら、突然、踊り始めた。
自分同様、ただ単に歯を磨くものと思っていたのでびっくりした。
すすすすすーっと、軽快なスッテップで、数歩ごとに身体をひねりながら廊下を進んで行く。
突き当たりまで行くとそこでくるっと回転、またすすすすすーっと洗面台のある方にもどってくる。
眼前を通り過ぎ、もう一方の突き当たりへ、またそこでくるっと回転。
それを2、3度繰り返す。
那覇の安宿二階の廊下、ブラシは口にしたまま、ときにシャシャっと歯を磨き、ときにひゅんと身体をひねり、ときにピンと足を宙高くあげる。
うひゃあああー、なんやー、この人.....!
見てて、もうめちめちゃ奇妙でおかしい。
ところが、眼鏡の奥の瞳ときたら本気そのもの。
なので笑うことができない。
すさまじく滑稽なのだが、その滑稽さのレベルを、はるかにその真剣さが凌いでいる。
笑いの方が、有無を言わせず封じ込められてしまう...
そんなことがその日を最初に何回か続いた。
朝や夜、洗面所へ立つとその気配を察知して彼が登場し、歯を磨きながら踊るのだ。
あまりにも変だったので、関わるのはやめとこうと、はじめのうちは見て見ぬ振りをしたり、またはあいさつだけして部屋に逃げ帰っていた。
けど、何回も続くとさすがに声をかけずにはおれなくなった。
「あの、ここにはもう長く滞在してらっしゃるんですか?」とある晩、話しかけてみた。
するとそれまで全くの無表情だったのが、もう何年も前から心待ちにしてたかのように、にっこり花咲くよう笑って、「ええ、ここにはピアノがありますから。」と答えた。(その宿にはなぜか古いピアノがあった)
そうして彼は自分のことを語った。
歳は三十八。それまで音楽史や音響学、楽器やその演奏法、歌や舞踊、とにかくいろんな音楽にまつわることをずっと研究してきたらしい。
で、今は数年前からバーやクラブでピアノを弾いて生計をたてながらあちこちを放浪し、自分の理想とする音楽を追求しているのだという。
それはどんなものかと聞くと、一言で云うならば、”ハーモニー”なんだそうである。
とにかく音楽にはハーモニーこそが大切で、自分はそれを極めんがため、修行をしているのだという。
話しを聞いてると繰り返し取り憑かれでもしたかのように、その言葉が口をついて出てくる。
(内容は残念ながらすっかり忘れちまった...)
知識も経験もたくさんあって、大学に残って適当に研究したり生徒に教えてれば楽な人生だろうに、折れたのをセロハンテープで補強した眼鏡をかけ、くたびれたトランク一つを道連れに、安宿で暮らしている。
「いつも踊ってるのはなんですか?」と尋ねた。
「タンゴです」とおしえてくれた。
「ちょっと立ってみて」といわれたので立つと、頼みもしないのにじゃあ基本のステップだけおしえましょうと手を取った。
真夜中の廊下を行ったり来たり。
端までくるときゅっといさましく回転、向きを変える。
何回もくりかえす。
彼は大真面目。
他人に教えながら、自分も何かを学ぼうとしている様子だ。
しかし、折れたメガネに七三にきっちり撫で付けた髪、ぷりぷりしたお尻、見れば見るほどこっけいだ。
それが眉間にしわ寄せタンゴを踊っているのだからなおさらおかしい。
けれどもやっぱり、別にこらえてるわけではないのに笑うことができない。
彼がほんとうに真剣で、おのが人生をかけて何かを求めようとしている、その切実さがひしひしと伝わってくるからだ。
タン、タン、タタターッ、タン、タン、タタターッと彼が口で調子をとる。
合わさった手、自分の指か彼の指かわかんなくなってくる。
いつのまにやら、ぼくの心は頭上高く舞い上がり、眼下で踊る坊主と七三の奇妙な二人組を見てる。
ひとつになった身体が、すいすい動いててとっても気持ち良さげだ...
その時、この人を”ハーモニーさん”と名付けようと思った。
「大切な人」と記された心の中の箱、そこに入れて死ぬまで保管しておこう、と思った。
それから何年も立った去年の夏、人がたくさん登場する長い絵を描いて展示した。
個展会場にいたら、絵を見た人のひとりが、こんなことを言った。
「描かれてる人、めちゃくちゃ面白いかっこうで踊ったり、ポーズつけたりしてるんですけど、顔っていったらみんな真剣で、
それが不思議な感じでいいですよね」
それを聞いて、「おお、ハーモニーさんが...」と思った。
気付かぬうち、いつのまにやら心の箱からとび出し、踊っていたのだ。
(今回の曲)
どんと「トンネル抜けて」