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梅ハワイ

2012年11月06日

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肌寒くなってくるといつも思い出すことが36個くらいある。
そのうちのひとつが梅おばちゃんのことだ。
親戚に梅という名の叔母がいるというわけではなく、梅の花を売る名も知らぬ初老の女のことだ。

まだ長崎は諏訪神社の脇に住んでいた時分のこと。

その年の冬はいつになく寒いうえ、ゲームソフト2本分の大量デジタルイラスト仕事(のちのち”コナミ地獄”という名で語りつがれる)で体調を著しく損ない、全く調子が悪かった。
身体はぞくぞく、頭はふらふら、眼はしぱしぱ、これっぽっちもいけてなかった。

むかしから冬には強い方だった。
そんな風に言うとまるで冬が敵みたいだけど、その逆で、この季節はいつだって頼りになる味方だった。
冷たい風で叱咤し、澄んだ青空で激励してくれる、鬼コーチみたいな存在だ。

しかしどうしたことかその年の冬は違った。
ひたすら遠ざけ、その仕打ちから身を守らねばならない、ただただ寒いだけの冬だった。
鬼コーチがいつもどおり力強く鼓舞してくれてるというのに、選手の方は心身ともに萎え、縮こまってしまっていた。

「寒い、寒い、ああ、寒い」と力なく繰り返すばかり...
絵筆がいっこうに振るわない。

こういう時、たいていの人だったら、寒い中を辛抱して働き続けなければならない。
会社や工場、学校や畑なんかがあるので、自分勝手に今いる場所を離れるわけにはいかないからだ。

しかし、こちらはひとまずは絵描きだ。
なので、望めば暖かさを求め、どこへだっていくことができる。
ロシアだろうがコンゴだろうがパナマだろうが、絵の生産地はどこであっても、誰も気にしない。

なにも、今いるとこにとどまっておる必要はないわけだ。
幸いにコナミ仕事のおかげでちょっとした貯えもある。

それで暖かさを求め、しばし南方へ逃れる事にした。
友達のいるハワイにしよう。


まずは街へガイド本を買いに行くことにした。
一番厚いコートを羽織り、でかいマフラーぐるぐる巻いて家を出る。

ひゅううううう...
「な、なんちゅう寒さやあー」
と、言おうとしたが寒さで「な、な、な..」としか出てこない。
こんな時、遠出をするもんじゃない。

神社の長い階段を下りて行くと、中島川があり、それを越えた先に商店街が広がっている。
そこにある小さな本屋さんに行くことにした。

とことことこ、石の階段を下りてゆく。
下りきると横断歩道。
横断歩道を渡るとすぐに橋。

橋の欄干に人。
ほっかむりをしたおばちゃんがひとり。

真冬というのに浅黒い頰に数本の深い皺、子犬みたいな眼、白のゴム長に野良着みたいなものを着込んでいる。
その傍ら、水色のプラスチッックのバケツの中、つぼみのついた梅の枝が約十本。
朝、山でひきちぎってきたような枝だ。
それだけを売っている。

「おばちゃん寒かとに、ようがんばらすな...(寒いのによくがんばってるなぁ)」と感心しながら通り過ぎた。


手頃なガイド本を手に入れ、夕飯の買いものして、昼ご飯にと豚まん二個買った。

もどり道、また橋にさしかかったら、さっきのおばちゃんがひざまずき、通行人に背を向けて何かごそごそやっている。
通り過ぎる時に横目でちらりと見た。
昼の弁当を食い始めているところだった。

国語辞書くらいの大きさの薄緑色のタッパー。
中には白ご飯ときんぴらごぼう。

白いご飯ときんぴらごぼうだけが同じ分量、ぎっしりと詰まっている。

と、奇妙なことが起こった,,,
弁当箱が唐突にとても強い光を放ち、周りの景色をすべて吸い込んでしまったのだ。

わわわ....

続いて畏れおののいている男の眼に、白ごはんときんぴらごぼうが一直線に飛び込んできた。
そうして一気に身体のずっと奥までもぐって行くと、あれよあれよと言う間に真っ赤な炎たてながら燃えはじめた。

おおーっ

身体、そして心がたちまちのうちに熱くなる...


「...うむ、そうだ、たらたらやってる場合ではない、
さっさと帰って豚まん食べて、ぐいぐいと絵を描こう。」

とっても不思議なんだけど、この一瞬のできごとで、冬はいつもの冬となった。

すっかり調子が良くなり、
それから春が来るまで、たくさん絵を描いた。

ハワイのガイド本は押し入れに放り込んだっきり、
開くことさえなかった。


「えーっ、アジサカさん、うそやーん、そんなことだけで一気に調子が良くなるわけないやーん!」

と、いぶかる人は、寒風に吹かれ橋の上で梅の枝を売る山から来たおばちゃん、
彼女が食べる弁当、
その白飯ときんぴらごぼうが放つ光の威力というものを知らない。

azisakakoji

 
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