« マンガ傑作選その19 | メイン | 新・今日の絵(その5) »

マンガ傑作選その20

2012年11月23日

webugo05.jpg

な、な、なんて、いびつな顔と身体なんだ。
と、そう思った。
フランスの俳優ジェラール・ドパルデューを最初にスクリーンの中で見た時だ。
その印象ってのは奈良は興福寺にある仏像、竜燈鬼を最初見たときの印象に似ていた。
いつもは四天王とかに踏まれて「うぎゃあ」と悲鳴をあげてる邪鬼、その邪鬼がすっくと立って燈籠を頭に乗せてる一風変わった鎌倉時代の仏像だ。
いいやつなのか悪いやつなのか勇ましいのかひ弱なのか、怒ってんのか笑ってんのか、よくわからない。
が、ただただ、とてつもない存在感がる。
「おおー・れぇー・は・こ・こ・にぃー・いー・るうっ!」って光を放っている。

彼が出てたその映画っていうのは、大学時代に見に行った、「愛と宿命の泉」(うう、なんちゅう邦題...)というフランス映画だ。
大河ロマンと銘打ち街に貼られたポスター、その中にすっくと立つエマニュエル・ベアールの可憐さに惹かれてチケットを買った。

前後編あわせて、4時間にもおよぶ超大作だったが、見応え充分でまったく退屈しなかった。
イヴ・モンタンにダニエル・オートゥイユ、蒼々たる役者たちが好演し、エマニュエルはため息がでるほど美しかった。
が、どうしたことか見終わったならば、鼻がでかくてずんぐりむっくりの、ひとりの俳優の姿ばかりが眼に焼き付いてしまった。

縁あってそれから数年してパリに住み始めることになり、以降、この人が出る映画をいくつも見た。
出演作が多いので、それとは知らずブラウン管やスクリーンの前に座ってても、ぬうっと彼が登場するのだ。

どんな映画でどんな役をしてもよかった。
浮浪者でも大金持ちでも、もてない男でもジゴロでも、殺し屋でも酪農家でも、被り物したマンガのキャラクターでも、何やっても足に地がしかと着いていた。
ハリウッドの演技派といわれる名優たちの、「どぉーですぅ、うまいでしょーっ、わたし」ていうもったいぶった立ち回りがとても苦手なんだけど、この人のはそんなんではなかった。
”演技してる”っていう感じが微塵もなく、そこにそんな人が現にいるみたいなのだ。

たぶん、ほんとうの”役者バカ”なんだろうと思う。
年がら年中、寝ても覚めても頭の中にあるのはそのことばかり。
酒場でチンピラにからまれ殴られ鼻血を出した上、なおも袋だたきにあいながら、「おお、こいつの罵倒の仕方、蹴り方はいいな」とか「さっきの俺のゴミ箱つかんでひっくり返る倒れる方、これは良かった、次の芝居の時につかえるぞ」とか、あばら骨の2.3本にヒビが入ってそうなのにもかかわらず、役作りのアイディアが浮かび喜んでニヤリとするようなタイプだ。

ケンカも女も家庭も、何でもかんでも芸の肥やしにするような、本邦でいうところの勝新太郎みたいなとんでもない男だ。

観客として見てる分にはそんな芸能人がいたらありがたいが、そんなのを自分の父として持ったらいささか大変だ。

いささかどころか、たぶんとっても大変だ。


ある日、カラックス待望の新作が封切られたのでさっそく見に行ったら、なんとそのドパルデューの息子っていうのが出ていた。
カトリーヌ・ドヌーブと親と子を演じたんだけど、若いのに浮ついた感じがなく、しっとり繊細で、一目で好きになった。

とりわけ、陰影のある額と少し曇った声色がよかった。

フランス人なら誰でも知ってる芸能人(それもとんでもない)である父親(さらに母も女優)の元に生まれたおかげで(むろん皆がそうとはかぎらないけど)、窃盗やドラッグなど非行にはしり、しばしば警察のやっかいになるなど、なかなか大変な少年期を送ったみたいだ。
その味わった苦渋が、存在にある種の深みを醸していたのだろう。

それ以来、彼、ギョーム・ドパルデューの映画を注意して見ることになった。

後で知ったんだけど、彼は俳優としてデビューして間もなく24歳頃にバイク事故にあっている。
さらその入院中、黄色ブドウ球菌による院内感染に見舞われた。

何回も手術して懸命にリハビリやりながら俳優業を続けてたそうで、カラックスの映画「ポーラX」に出たのはそんな時分だ。

数年後、32歳の時には治療の甲斐なく右足を切断することになってしまう。

なってしまうが、それでも義足を着け、彼は俳優業を続ける。
映画で見ても義足っていうのはちっともわからない、
ますます、顔つきに、声に、演技に味がでてくる。
すごいなあ、父親にぜんぜん負けとらんぞ、と思った。


日本に帰って来てしばらくして在日のフランス人友達と飲んでたら、たまたま彼の話になった。
「ギョーム、いいよねー、俺、あいつ好きっちゃんねーっ」
と話してたら、その友人が「死んじゃったけどなー」と言ったので、びっくりした。

2008年、撮影中のルーマニアで急性肺炎にかかってしまったのだ。
37歳だった。

ドパルデュー親子の間には相当に大きな確執があったという。
世界的に知名度のあがった「ポーラX」の頃は、それがしばしばマスコミに取りざたされていた。

ギョームは子供時代、仕事でほとんど家にいなかった父について
「とにかく、必要な時そばにいてほしかった」とコメントしてる。


必要な時そばにいなかった父親のジェラール、
彼は息子の葬儀のとき、以下の文章を読み上げた。
「星の王子さま」の一節だ。

Cette nuit-là je ne le vis pas se mettre en route.
Il s'était évadé sans bruit.
Quand je réussis à le rejoindre il marchait décidé, d'un pas rapide.
Il me dit seulement: Ah! tu es là...
Et il me prit par la main. Mais il se tourmenta encore

Tu comprends. C'est trop loin.
Je ne peux pas emporter ce corps-là.
C'est trop lourd.

その夜、私は彼が出発したことに気がつかなかった。
彼は物音ひとつたてずに去っていった。
私がようやく追いついた時、彼は毅然とした表情で足早に歩いていた。
彼は、私にこう言っただけだった。
「あぁ!来てくれたんだ…」 
彼は私の手を取った。だが、それでもまだ不安げだった。

わかってくれるよね。遠すぎるんだ。
ぼく、とてもこのからだを持ってけないよ。
重すぎるんだもの。

今回の曲
Julie Depardieu「Born To Be Alive」

ギョームは妹を後に残した。
女優のジュリー・ドパルデューだ。
今も現役で活躍している。
彼女が「ポルターゲイ」っていう映画の中でうたった歌が、とってもいい。
勝手ながら、この冬のテーマ曲だ。

azisakakoji

 
厳選リンク集サイトサーチ