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マンガ傑作選その31
2012年12月30日
うちの実家の猫はモロっていう名の15歳、なかなかのばあちゃんだ。
けど、田舎でのびのびと暮らしてるので、まだまだ若いもんと喧嘩しても負けないし、小鳥やネズミもときどきつかまえてくる。
ところでこのモロ、とってもやさしい猫でぼくなんぞはただの一度もひっかかれたことがない。
8歳になるまでは一緒に暮らしてたし、その後も帰省するたび遊ぶんだが、ほんとうに、ただの一度もだ。
それはなにもぼくだけではなく他の人に対しても同様だ。
実家に帰ってモロを抱くたび、その青く光る眼を見るたび、高校のとき読んだ松下竜一の「豆腐屋の四季」を思い出す。
以下はその中の文章で、「眼施」と題されたものだ。
「眼施(げんせ)」
病弱で、やせてっぽちで、非力で、臆病で、こんな自分がどうして世の役に立てようと、ひとり寂しい思いで殻にこもっていたある日、ぼくはこの一語に出会いました。眼施ーげんせ。仏教の経典にある無財の七施のひとつだそうです。財力もなにもない者でも、世に施すことの出来る七つのものを持っているという教えです。
七つの中でも、ぼくには眼施がいちばん心に沁みて救いでした。眼施とは柔和な目で人を見るということです。やさしさのあふれた目で人に対するということです。そんな目にあうと、人はほのぼのと心をぬくめられるはずです。つまり、ほんの少し世にいいことをしたわけです。
これなら病弱で臆病なぼくにもできるのではないか。やさしさが目にあふれるには、心にやさしさがあふれていなければなるまい。思いっきりやさしい心になろう。それ以外、ぼくなんか世の役に立てないのだから。懸命にやさしい心でいようと願いました。心がやさしさであふれてくれば、きっと目にも柔和な光がたたえられ、眼施にかなうだろうと思ったのです。
そしてぼくはハッとしました。ああ、これはすでに幼い日々、母が教えてくれようとしたことではないか。体が弱く、目に白いホシがあって、みんなから白眼となぶられ、いじめられた泣き虫のぼくに、母は一度も強い子になれとはいわず、やさしいやさしい子になれというのでした。目の星は、やさしさのしるしみたいなものなんだよ、竜一ちゃんの心がやさしければ、目の星がとても美しく光るんだよと語った、あの幼い日々の母の教えこそ眼施だったのではないか。
無学のうえ、信仰もなかった母が、眼施の教えをひとりでに会得していたのは、母自身のこのうえもなくやさしい心といつくしみの目を持っていたからでしょう。母はたぶん知っていたのです。やさしさに徹することでしか、ぼくは強くなれないのだと。
でもほんとうにやさしくなることは、なんと至難なことでしょう。ぼくは今日も、つい些細なことで妻を怒ってしまいました。ぼくより小さく弱い妻を。
(松下竜一「豆腐屋の四季」)
高校卒業し進学すると、文学部の社会学科というとこに身を置いた。
ある日、研究室の本棚の一冊(各地の市民運動を紹介した本)を手に取るとその中に、豆腐屋をやめて数十年経った”竜一ちゃん”がいた。
「おお」と思いその日から、手当たりしだいに彼の本を読んだ。
読むと彼はその若かりし頃の文章の中、「なんて至難なことでしょう」と述べたことに己が人生を捧げていた。
豊前火力発電所建設反対運動を代表とする市民運動に身を投じ、「風成の女たち」、「砦に拠る」など、”時流に屈することなく生きた誇り高き人々”をテーマとした著作を世に問うていた。
つまり、”やさしさに徹し強くなること”で、しっかりと世の中の役に立っていた。
2004年に亡くなるまでずうっとそうだった。
それは傍から見るならば、(本人はあっけらかんとしてようと)じつに身を削るような生き方で、すごいなあと心の底から思う。ほんとうに頭が下がる。
というわけで彼には勝手ながら飼い猫のモロ同様、生きるよすがのひとつとなってもらっている。