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ça, beau, tendre
2014年07月26日
「さぼってんじゃないよ、おれは!」
サボテン畑の真ん中で男が叫んだ。
「だって君はただぼおっと立ってるだけで、何も労働じみたことをしていないではないか」
私がそういうと、男は「何いっ!」とドアを開け、運転席から力ずくで私を引きずり下ろした。
「この野郎!いばりくさりやがって!」と言いながら、持っていた棒で私を殴りはじめる。
サンチアゴというのが私の通り名だ。
本名は別にあるが、この名で反政府のゲリラ活動をしている。
長年実践を積んできたので、腕っ節だけの若輩者を叩きのめすのは容易い。
しかし私は何もせず、ただこの男の好きなようにさせておいた。
ひとしきり棒を振るうと男は息を切らせながら言った。
「どうだ!おれはさぼってるわけではなかったのだぞ!
サボテン畑に侵入した不信なやつを見つけ、こうして叩きのめすのがおれの仕事なのだ!」
「ほう、そうか...」
額からはどくどくと鮮血が流れ落ちていた。
男は正面、眼を見開き立ち尽くしている。
私は、流れる血を手のひらで拭うと、男の白いシャツに擦り付けていった。
男は気が抜けてしまったかのようにされるがままだ。
シャツは見る見るうちに真っ赤に染まり、その背後にあるトゲの生えた異様な植物の緑をひときわ鮮やかにした。
しばらくそうしてると血が、流れるのに飽きたのか不意に止まった。
「お前は真面目に働いていたのだな...」
「私はお前の父だ...」
そう言うと、私は20年ぶりに会う息子を抱きしめた。
夏は暑い。
血は赤く、サボテンは緑だ。
ふたりはコーヒーを入れて飲んだ。
濃くて真っ黒いやつだ。
投稿者 azisaka : 08:15
マンガ傑作選その129
2014年07月22日
投稿者 azisaka : 09:57
神社とプール
2014年07月10日
引っ越しをしようと思っていた。
それでいろんな物件をさがしていた。
住まいをさがすときに最も大切なものがふたつある。
1)神社の近く
2)プールの近く
まず、神社ってのは、昔から”気”がいいとこを選んで建てられ、さらにそこに人の手で樹々が植えられているので、辺りがひじょうに心地よい。
過去を振り返るに、長崎は諏訪神社も、博多は筥崎宮も、その近所は住んでてとっても気持ちがよかった。
それで今回も、過去十年ばかりの暮らしの経験に従ったというわけだ。
続いてプールだが、プールには週に3回行くというのが習わしだ。
これも長年続いてる。
そうしないと、絵をうまく描けないし(”うまい絵”を描くというのとは違うぜ)、毎晩飲む酒がうまくないからだ。
3千メートルを続けて泳ぐと、けっこう身体がへとへとになる。
絵をうまく描いたり、ご飯をうまく食ったりするのには、この”身体がへとへとになる”ってのが肝要だ。
漁師や大工さんみたい、自らの身体を動かして仕事をする人の生活に、ちょっぴり近くなることができる。
さて、前置きが長くなっちまったが、思いが叶って、先月なんとか引っ越すことができた。
けど、引っ越し先の近所には神社もプールもない。
「えーっ、何なん?今までの書いてきたのと、話しが違うやん、わけわからん...」
まあ、そんな風に皆さんが思われるのもいたしかたがない。
そう、もちろん、お聞きいただいたように、神社とプールってのは家を探す時の大切さでは二大巨頭、最も頂点に立つものだ。
決してないがしろにできる代物ではない。
けれど皆さん忘れちゃあいけない、そのふたつの下には、たくさんの”まあまあ大切なこと”が存在しているのだ。
つまり、交通や買い物の便だとか、物件自体の日当りだとか間取りとか...普通一般のことだけど...
そういうものにも、人は従わなくちゃあならない、従わざるをえなかったりもする。
凡庸なものの数を増やさんがため、大切だが特異な少数をあきらめねばならぬということもある。
そんなわけで悲しいかな、新しく住まい始めたとこは神社もプールも持たぬとこだった。
しかるに神社はさておき、泳ぐのは日々の生活に必要だ、なくてはならないことだ。
それで、当初は仕方なく遠方のプールに自転車で通っていた。
「え、当初?」
そう、な、な、なんと、聞いておくれよおっ母さん。
いつも利用する駅やスーパーのある場所とは反対側、山の手を散歩していたらたまたま出くわした。
でっかいスポーツジムが建っていたのだ!
突如眼前に現れた時には、びっくり仰天して「おおーっ」と叫んだ。
家から歩いて8分くらいのとこにプールがあったのだ。
もう、そりゃあ、飛び上がって喜んだ。
そのジム、新しくてネットの検索にうまくひっかからず、家探しの時には見落としていたのだ。
しかも、今まで通ってたジムより数段環境が良くって泳ぎやすい。
うひょーっ、やったーっ!と、ここ数年で一番うれしかった。
(まあ、こう言っても他人にはうまく実感できんやろうけど,,,)
それにしたって世の中は不思議だ。
昔っからいろんな人が言ってるように、
大切だ大切だと思って懸命にさがしてたら見つからないのに、
それにとりあわなくなかった途端、目の前に現れる。
欲望ってのはそれが強ければ強いほど、表に出してはいけないみたいだ。
一旦強く思ったのなら、あとは懐(ふところ)深くしまって、知らんぷりをしてるほうがいいみたい。
探しものっていうのは、探せば探すほどみつかんない。
バスは待てば待つほど来ない。
猫はさわろうとするとさわらせてくんないし、恋人は好きというほど遠ざかる。
強い欲望びしばし叶えて、絵を描くのも、恋人見つけるのも、たぶんバス待つのも猫さわるのも上手かったであろう、ピカソも言っている。
「Je ne cherche pas, je trouve. 」
(私は探さない、ただ見つける)
と、まあそういうことで、とりあわないでいたならば、神社もそのうちひょっこり現れるやろう...
投稿者 azisaka : 07:02
マンガ傑作選その128
2014年07月07日
投稿者 azisaka : 06:52