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東松照明展

2016年06月27日

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絵描きという職業柄、どこに住んだってかまわないし、かまわれない。
どこに住んだってかまわない気楽さはあるが、どこに住んだってかまわれない悲しさというものもある。

4年住んだブリュセルを離れる際、こちらは少なからず感傷にひたってるのに、ブリュッセルという街の方は、その顔色ひとつ変えはしなかった。

くやしかったので、次に住むことにした長崎には、軽くあしらわれぬよう、しょっぱな、まずは仁義を切ることにした。

仁義の口上となるのは長崎の街並みを描いた絵だ。
その絵をもって個展をし、この街にしばし身を置かせてもらうための挨拶とするのだ。
街並みだけではつまらないので、つうか、心もとないので、真ん中に人物を入れることにした。

引っ越しがすんだら、すぐさまカメラ片手に通りへと出た。
風景を写真におさめ、絵の材料とするのだ。
気が向くままずんずん歩き回った。

材料探しの眼で見る長崎の街並みは、以前何度も観光の眼で見た街並みとは異なっていた。
相変わらず美しいのだけれど、ただ単に”美しい”のではなく、”奇妙で美しい”という具合に変わっていたのだ。

例えて言うなら、それはシュールレアリストやダダイストが手近にあるものや拾ったもので作った「オブジェ」のようであり、彼らが好んだアフリカや南米の原始的な彫像の類のようだった。

路地や建物はその土地土地の地形に合わせて不規則にひねり曲がっていた。
塀や階段は下の河原で拾ってきた石を用い、民家や商店は裏の山で切ってきた木を使い、金物やトタンは向かいの商店街で手に入れたもののようだった。
つまり、そこに住まう人たちが自分たちの身近にあるものをうまくかき集め、ついだりはいだり工夫して自らの手で作ったものであるかのような印象をうけた。

それはどこか他所から来た業者が、図面に描いた車道やマンションの都合にあわせて地形を無残にえぐり、わざわざ遠方から取り寄せた資材を用い、どこでも似たように作るような街並みとは大いに異なっていた。

料理でいうなら、前者が冷蔵庫をぱかっと開けて中に入ってるものだけで作ったような街並み、後者は料理研究家かなんかが書いたレシピどおりの材料と分量で作って、見た目きれいに盛り合わせたようなような街並みだ。

ときに、後者より、前者のほうがはるかに美味い(美しい)。

ところでこの時、自分の顔についていた”材料さがしの眼”は、同時に”ブリュッセルの眼”でもあった。
つまり、それはベルギーに4年あって、日常的にマグリットやブルトンの作品を映し、ドゴン族の仮面やロビ族の彫像を映し、それらの形や色の味わいに慣れ親しんでいた眼だ。
そんな眼が別の土地にあっても、それらと似たような味わいのものを好んで見つけようとするのは自然なことのような気がする。
多くの人が言うように、ひとは自分が見たいものしか見ようとはしない。

ともかく、久しぶりに歩いた長崎の街には、その時自分が味わいたい(見たい)もの、それも、とびきり上等なものがあふれんばかりにあった。
両の眼は喜んで、龍踊りみたいにくるくるジャランジャラン舞い踊った。

そのようにして眼を向け、撮り集めた写真を並べ、それを見ながら1年くらいかけて30点ばかりの絵を描いた。
「長崎」という字を分解し「奇長山」というタイトルをつけて個展をやった。
「こんな感じの絵の連作です」

さて前置きが随分と長くなっちまったが、ここに別の”眼”がある。
たいへん特別な眼だ。
自分を含めた常人のものより、直径も輝きもはるかに大きく、何倍ものスピードでギョロギョロ動いている。
東松照明という写真家の眼だ。

その眼が映し出した長崎が、今、広島にある。
広島市の南部、比治山の丘陵にある現代美術館で「東松照明ー長崎ー」と題する展覧会が開かれている。
先週末、見に行った。

写真はなんと350点。大群だ。1階と地下にずらり掲げられている。
順番に見ていく。
東松照明という眼玉が何に引き寄せられ、それらをどのように映したのかを見ていく。
「ううむ」、「ううむ」とうなりながら、一点一点じっくり見ていく。

5、60点見たくらいに、集中力がだんだんなくなってきて、中央のソファーで一休み。
またやおら立ち上がって「ううむ」、「ううむ...」

ああ、やはり、東松の写真はいい。
尋常ならざる好感を抱いてしまう。
なんでかっていうと、それは多分、彼が”見たもの”をそのままとっているからだ。
なかなかそうはいかない。
だってふつう写真家は”見たもの”ではなく”見せたいもの”をとってしまう。
自分の眼玉ではなくカメラのレンズに映ったものをとってしまう。

さて、やっと半分見終わって地下への階段降りる頃には、へとへとだ。
それでもまだ写真の群れは連なっている...
連なって一個の街みたいだ。

やっとこさ見終わる。
出口近くのソファーにどすんと腰を下ろす。
「ふう、疲れた...」
「でも、なんていい散歩だったのだろう!!」

これは、東松照明という眼玉が広島の丘陵に落っこちて開けた、長崎という名のでっかい穴だ。

来る人はその穴の中に飲み込まれ、引きずり回されたあげくに、ぷうっと吐き出される。
気がついたら自分の眼玉が磨かれている。
磨かれて、より多くの小さなものたちを映し出すことができるようになっている。

ああ、低気圧でふらふらの身体を引きずり見に行った甲斐があった。
みんなもぜひ、見に行ったほうがいいぞ!

さて、美術館のあとは宮島へ渡って穴子飯を食べた。
こんなにうまいもの食ったのは、10年前、別府の冷麺を食べて以来だった。

そして、おっと、うっかり言い忘れてた。
冒頭の駄菓子屋さんの写真は2006年、アジサカが長崎でとったものだ。
その6年前の2000年に同じ場所を東松もとっており、今回展示されていた。

東松の写真には店の主人が映ってるが、上の写真にはいない。
呼んでみたけれど、誰も出てこなかったのだ。

それから10年後、広島でひょっこり会うことになろうとは思わなかった...

「東松照明ー長崎ー」
2016年5月28日(土)〜7月18日(月・祝)
広島市現代美術館

詳細は以下の特設サイトで!
東松照明ー長崎ー


azisakakoji

 
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