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西郷さんシリーズ その19
2017年10月31日
牡丹と、鹿と、雉と、白帽男と、黄帽男と、小鳥と、それから私、みんな変で、みんないい。
投稿者 azisaka : 08:04
西郷さんシリーズ その18
2017年10月29日
「爆裂サンダー号で狂い咲け!」
そんな西郷のライバル→
そんな西郷の先生→
投稿者 azisaka : 07:39
西郷さんシリーズ その17
2017年10月27日
西郷いかさまことわざ(その1)
「人間万事西郷が馬の耳に念仏」
「人の幸不幸なんて予測つかないんだから、あれこれ気に病まず今この時を大切に生きなよ」って君に言っても無駄だよなぁ...
投稿者 azisaka : 21:05
西郷さんシリーズ その16
2017年10月25日
「紅い葉、白い虎、黄色い人」
投稿者 azisaka : 07:46
西郷さんシリーズ その15
2017年10月23日
西郷孤憤
投稿者 azisaka : 07:19
西郷さんシリーズ その14
2017年10月21日
「小姐!小姐!柳眉逆立てだれを撃つ?」
投稿者 azisaka : 07:39
西郷さんシリーズ その13
2017年10月19日
「蓮月老人、恋草のかまえ」
投稿者 azisaka : 07:45
西郷さんシリーズ その12
2017年10月17日
「花剣」
投稿者 azisaka : 08:56
西郷さんシリーズ その11
2017年10月15日
今回の絵のタイトルは「赤くきれいな捨て実の蘇鉄」
西郷と愛加那を描いたものです。
愛加那というのは、西郷が安政の大獄により奄美大島に流罪となった時の島妻です。
約3年間を西郷といっしょに過ごしたそうで、その間に子供も生まれてます。
つうか、島妻って何やねん?
もうちょっとばかし掘り下げて説明してくんないかな...
おお、すまん、こんなんではどうだろう。
「藩政時代に、奄美に支配者として赴任して来た薩摩役人に対して、その赴任期間中のみの「島妻」を「あんご」と言う。この「あんご」は、いまでも奄美のひとびとにとっては、語るに躊躇を覚える存在であろう。つまりおおらかに語られる名辞ではないということである。島側にとっては、女性の性を薩摩役人に提供することで、支配者に対して、その統治を緩和させることが期待された。また、役人との間に産まれた子どもが将来島の統治者(島役人)になるという「あんご」を差し出した一族の恩恵も付帯していた。
(「小説『あんご愛加那』を読む」大橋愛由等ブログ”島唄まれまれ”より)
うむ...まあ、西郷さんは島人に圧政強いる他の役人などと異なり、尊敬できる立派な人ではあったろうけど...愛加那さん、叶うことなら”期間限定の妻”とかには、いくらなんだってなりたくはなかっただろうなぁ...同郷の人と契り、末長く平穏に暮らしたほうが幸せだったろうになぁ...
投稿者 azisaka : 07:21
西郷さんシリーズ その10
2017年10月13日
「無言でうなずきデヴィッド・クロケットをフリーダ・カーロに引き渡す西郷」の図
投稿者 azisaka : 08:19
西郷さんシリーズ その9
2017年10月11日
京へのぼる道すがら博多で知りあった娘とかしいかえんで遊ぶ西郷
投稿者 azisaka : 08:09
西郷さんシリーズ その8
2017年10月09日
「浪花節だよ人生は!」と疾呼しながら宮崎滔天ポール牧あらわるの図
投稿者 azisaka : 07:25
西郷さんシリーズ その7
2017年10月07日
「青寅に変身した西郷、族長の娘リリィを背にご満悦」の図
投稿者 azisaka : 07:21
西郷さんシリーズ その6
2017年10月05日
「西郷アロマNo.KTIJ2000の威力を見よ」
投稿者 azisaka : 10:51
西郷さんシリーズ その5
2017年10月03日
この夏、実家に帰省した時のこと。
父「こうじ、おまえ西郷さんの絵ば描きよっとってな?」
アジサカ(以下”ア”)「あ、うん...」
父「お前んとこはテレビなかけん知らんかもしれんばって、来年の大河ドラマは西郷さんぞ」
ア「あぁ、そうなん...」
父「いっちょ、おいが録画ばしとってやろうか?」
ア「え?...ああ、よかよ、せんで...」
父「ん?なんでや?』
ア「べつに、見らんでよかもん...」
父「え?見らんでよかって...お前、西郷さん好きやなかとかい?」
ア「好いとー、好いとー。やけん、いっぱい絵ば描きよるっちゃもん...」
父「なら、なんで見らんとか?」
ア「ううん,,,なんちゅうかさあ、大河ドラマとか小説とか、そんなんに出てくる西郷さんと、おれなんかが好きな西郷さん、なんかちょっと違うっちゃもん...」
父「はあ?」
ア「ほら、坂本龍馬とどうしたーとか、勝海舟とどうしたーとか、明治維新なんかで活躍さすやん」
父「うん」
ア「あんなん、あんまし興味なかっちゃんね...」
父「はあ...」
ア「なんかさぁ、表舞台でばしばし活躍しとらすとことか、みんなから”西郷どんのためならおれは死ねるぞ...”とか崇拝されらすとことか、あんまし見らんでもよかっちゃん」
父「はぁ?...おいは、ようわからんぞ」
ア「ああ、ごめん、ごめん、わからんよねぇ...お父さんは見りいよ、たぶん面白かよ」
父「...」
と、こんな具合に息子が説明めんどくさがったせいで、せっかくの父と子の(ひょっとしたら互いに実り多かったかもしれぬ)会話がぶち壊れてしまった。
すまん、父。
だけど、暑かったんだからしょうがない。
秋になって涼しくなってきたら、ああ、しまったなあ...とちょっぴり反省だ。
ぶちこわれちまった親子会話のこと思い出してたら、別の会話、つうか対談のこと思い出した。
西郷さんにまつわるもので、ひどく心に残ってる。つうか最も大事だと感じるもののひとつだ。
思い出したついでに以下にのっけるばい。
1975年のもので、当時、奄美大島は名瀬に住んでた島尾敏雄と、橋川文三の対談からの抜粋です。
島尾「ぼくはまあ、西郷はやりませんけど、西郷を書くとしたら、西郷と島の問題をやります。彼が島から受けた開眼というか、島でなにをみたか、ということですね。もう明らかに、本土とは違うんですから。生活、風習、言葉...すべてがね。西郷はそこから、きっとなにかを学んでいると思います。」
橋川「ぼくはまだ、デッサン以前の段階ですけど、わかりそうなのは、こういうことなんです。西郷が島から何を学んだか、なにをみたか、ということは、西郷が他の維新の連中と、違うことでわかるんです。それでは、西郷をして、他の連中と異ならしめたものはなにか。それはいまのところ、ぼくには規定ができない。たとえば、内村鑑三の場合は、西郷はなにかをみたにちがいない、というある確信をもって、西郷論を書いている。内村がプロットとしたもの、そのあたりへんが、解けてくるんです。内村鑑三と西郷を結びつけるという、意味ではなくてね。つまり、西郷が島でみたものは。日本の政治家が昔から、そして、いまもなお、みなかったものなんです。」
島尾「そうです。みなかった」
橋川「といっていいわけね。その逆に、事実を知らなかった内村鑑三は、勘でとらえた。で、西郷は偉大な先覚者である。西郷は神のインスピレーションを受けたんだって、ことになるわけ。そこの感じは掴めたみたいです。」
島尾「西郷が島でみたもの、それを具体的に指摘するのは難しいけれど、たしかに彼はみたはずなんです」
(「西郷隆盛紀行」橋川文三より)
おおお、ううう、西郷さんはいったい、何みたんやー!
”日本の政治家が昔から、そして、いまもなお、みなかったもの”ってなんなんだー...?
それをしっかりみることができたのなら、政治家ってのは、あんなんじゃなくって、もっとましになるのかー?
って、こちとら、なりますよね...
と、まあこんな感じを懐に抱きつつ、その日その日でふらふらゆらゆら適当に描いてる西郷さんシリーズ、今回はその第5回目、
「手前勝手好き放題に踊ろうぜ!」の図です。
投稿者 azisaka : 07:42
西郷さんシリーズ その4
2017年10月01日
「信心深い農民兵」
投稿者 azisaka : 09:13