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レギュマン

2009年09月24日

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 ひさしぶりに会って飲んだ友人が「いいぜーっ、こうちゃん、絶対いいけん、燃えるばーい、読んでみなよー」と何回も連発するので、貸本屋でそのマンガ本、3冊だけ借りて読んだ。そしたら、止まらなくなって既刊の39巻、数日で読んでしまった。「頭文字(イニシャル)D」は、公道で最速を目指す走り屋の若者たちを描いたマンガだ。その場面のほとんどが深夜の峠でのカーバトルで、闇夜を疾走する2台の車と、”ギャン”とかギャギャギャ”とか”グオングオン”とかの擬音語が、ページから飛び出さんばかりに炸裂する。読み続けてたら、身体がだんだんページに呼応して、直線では背中が壁ににおしつけられ、ヘアピンカーブでは上半身が揺さぶられ、急ブレーキの時には下半身にぐいと力がはいってしまう。それが非常にここちよい。
 さてこの物語、主人公は豆腐店を営む父を持つ18歳の青年だ。父親はかつて名うての走り屋で、息子である彼は中学生の頃から峠を越えた先の旅館へ豆腐の配達を命じられる。毎朝毎朝、雨の日も風の日も来る日も来る日もだ。そうやって彼はいつのまにか神業的なテクニックを身につけ、ふとしたきっかけで公道バトルをするようになると、どうみても圧倒的に速いやろうという車と勝負し、勝ち続ける。
 そんな様を目にしたまわりの皆が、「すごい!なんでそんなに速く走れるんだ?おまえは天才だ!」と驚嘆するのを前に、きょとんとした彼が発する言葉というのがとてもいい。曰く「走る事は顔を洗うのと同じ日常なんだ」
 つまり、彼の天才たる所以が「どれだけ長い期間、弛まずに毎日それをしつづけけたか」というただ一事によって説明されている。
 365日あったら、365日、峠を走る。
あるいは別の天才であれば、365日バットを振る。写真を撮る。歌をうたう。鮨を握るだろう。
 要するに毎日の積み重ねが大切だということだ。しかし、これが単純だけどなかなか難しい。
 うわわわっ、おれ、マンガなんか読んでる場合やないやーん、絵を描かんといけんんっ。
 
 と、思ったが、夏休みだし実家にいるので、常々気になっていた押し入れのマンガ本の整理をすることにした。ほんとうに大切なものだけとっといて後は売りに出し、得たお金でぱーっと鯉のあらいでも食べに行こうと思った。
 岡田史子や永島慎二、真崎守、あるいは、手塚治虫や白土三平などの作品は大切なのでとっとくことにした。かたづけ途中でうっかり「がんばれ元気」第一巻のページを開いてしまって、はっと気がつくとたちまち5巻まで読んでた。こんなことじゃあいかん、いつまでたっても終わらんと気をとり直し、集中して売り払うやつを選んでいく。しかし、どれもこれもが繰り返し読んだもので愛着があり、選別に心が痛む。
 そんなんなら、別に場所あるし、とっときゃあいいやん!うむ、たしかにそうだ。しかし、人は何かとふいにきっぱり決別せんといけんくなる時というものがある。それでやっとこさ200冊くらい選り分けダンボールに詰め古本屋さんに持って行った。査定に一時間ばかりかかるというので、近くの新しくできた古着屋さんに行った。そこで、いかしたシャツを二枚買った。もどると、おれのマンガたちは3950円に成り代わっていた。シャツが合わせて3800円だったので、ちょうど同じくらいだ。
 そんないきさつがあって、帰りしな、この二枚のシャツに”マンガシャツ”という名を与えた。大切なマンガ本たちの生まれ変わりなのだから、生涯大事に着ようと心に誓った。
 
 ところで、マンガ本の整理をしていたら他の本もいっぱいでてきたのだけど、その中にパリにいる時、シュールレアリストの出版物を蒐集してる友人にもらった、ローラン・トポールの画集が数冊あった。さがしてたのが見つかってうれしかった。「でも誰やねん?そいつ」うーん...フランスやベルギーではけっこう名が通ってて今でも信奉者が多いんだけど、日本では知ってる人はそういないという気がする。かつて澁澤龍彦がちょこっと紹介して、ポランスキーの映画の原作にもなった小説の翻訳本「幻の下宿人」が今はでてるくらいじゃなかろうか。画風はルネ・マグリットを拙くしたみたい。主に鉛筆を使い、自虐的でブラックユーモアに満ちた絵を描く。たとえば、「涼しげな顔をして自身の太股に刺繍をする女」とか「口に当てたラッパから自分の内蔵が飛び出ている男」、「プールの飛び込み台からプールと反対のコンクリートに向かって飛び込もうとする男」っていった具合だ。
 さて、いらん前置きがながくなってすまんが、そんな彼が、1980年代、子供向けにつくったテレビ番組(全20話)というのが相当におもしろい。
 タイトルは「レギュマン」!
でも、”レギュラー満タン”の略ではなくて、フランス語で”léguman "と書く。”légume”が野菜なので、翻訳すると”野菜仮面”といった感じだろう。主人公のヒーローが子供が嫌いな野菜でできてるっていうのが、いかにもトポールらしい。そんなレギュマンが、毎回登場して悪事をはたらく怪人をこらしめるのだけど、その怪人達も奇妙奇天烈なことこの上ない。「泥靴の足跡つけてまわる運動靴怪人」とか、「ドアやシャッターなど開いてるものはなんでも閉めてしまう真っ暗怪人」なんかだ。しかも、レギュマンが登場する時、かならず毎回「にんじんは煮えたか?」「ノン!」と入るのも、わけがわからずぶっとんでいる。主題歌だって、そうとうにへんてこで、一度聞こうものならしばらくは耳から離れない。(アジサカ訳す)

レギュマン、レギュマン!
君は大地の子
太陽は君の父
悪いことするやつをこらしめる
レギュマン、レギュマン!

友達のフランス人が懐かしんで言うのには、幼い時、毎回見てたんだけど、見るたびになんか恐ろしくなって見なきゃ良かったと後悔してたそうだ。

レギュマン

投稿者 TJ : 21:17

新米の季節

2009年09月12日

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 その日は9月に入ったというのに真夏みたい、ぐらぐらたぎりに暑かった。家で絵を描いてるとだらだら汗が出てかなわないので、市民プールへ行った。休み明けでがらがらだろうとの予想どおり、子供用にはまばらに人がいたが50メートルはぼくだけだった。聞くと最終日で、明日から来夏まで長い休みに入るという。飛び込むと、真夏になりすましていようとそこはやはり9月、水は思いがけずひんやりとしていた。泳ぐのにはうってつけで、心地良さにどうしようもなく笑みがこぼれ、ゴボゴボゴボ...最初のうち、息つぎするのに苦労した。
 500メートルくらいすると、今年の夏もお天道様の下で泳ぐのは今日限りやなあ、とため息がこぼれた。1000になると、死ぬまでにあと何回、こうやって夏泳ぐことができるやろかと儚く思い、涙がこぼれそうになった。
 ところが1500になると打って変わって何やら力があふれてきて、ようし今日は5000泳いでやるぞ、と気合いが入りはじめた。普通は2000、調子が良くてもせいぜいが3000なので、5000というのは尋常ではない。高校以来、今世紀では初の試みだ。 
 夏の果のでかいプールにただの独り。3時間近くかかって、なんとか5000泳ぎきった。泳ぎはきったが予想の通り、身体が若干変になった。脱衣場によろよろと向かってると、風がやさしく身体をなでるのだが、それを感じる皮膚は十七娘の頬みたいに張ってピンピンなのに、その内側にある肉は太った50女の乳房のよう。垂れ下がりブテブテしている。そいでもって身体の中を通ってるいろんな管は、90ばあさんの白髪を編んでできたみたいにパサパサだ。
 そんな身体に服を着せ、どうにか車のシートにたどり着く。エンジンかけると、母の小さなポンコツ車が「ドドドドド...そんな身体にはジェット豆乳しかないぜ」とつぶやいた。コンビニに並んでる調整したまがいものでも、スーパーで売ってる大豆100%無調整でもない、豆腐屋さんが朝しぼった、勝手に名付けてジェット豆乳。200mlで168円ととても高級だが、こんな時に贅沢しないで、いつするのだ。
 ポンコツに言われるがまま、二本買って飲んだ。なんちゅう、うまさだ。いっきに全身が潤う。まあ、イメージとしては、あめ玉になってエリザベス・テイラーかソフィア・ローレンの口の中で舐め回されてる感じだ。するとどうしたことか、もうずいぶん前に買って読んだ本の、ある文章が無性に読みたくなった。たしか、実家の二階にあるはずだ。
 さっそく帰って、探してみると、二階の隅の押し入れの奥のダンボールの底にその本は貼り付いていた。ドキュメンタリー映画監督、小川紳介の「映画を穫る」という本だ。その中に記録文学作家である上野英信が、彼に話してきかせたという実話が紹介されている。以下がその文章です。
*残すはなし*
 江戸時代が終わる頃、筑前で起こった一揆の指導者が、刑場に送られる道中のことと思って下さい。刑場への往還最後の峠には一軒の茶店があり、急坂を登ってきた護送の一行はここで休むことになりました。常より厳重に警護されている唐丸の内の人を、先頃の一揆の指導者と知った茶店の老夫婦は、ものものしく取り囲んでいる武士らの制止をものともせず、その囚われびとに一杯の渋茶を振るまいました。すると、それを押し頂いた囚われびとは「この一杯のお茶は、私の全身にしみわたりました。これを末期の水にできたいま、私は安らかな気持ちで刑場に立てます。私自身でお返しできないこのご恩に必ず報いるよう、私は、あなた方が今日ここで私にして下さったことを、しっかりと子孫に伝えていきます」といいました。
 現在、峠の老夫婦の子孫は福岡市内で小さなタバコ店を営んでいますが、毎年秋になると、その店先にはあの一揆の指導者の子孫から新米が一俵届きます。百数十年の間、一度も違わずに。それはつづいているということです。

うくうっっ、ほんとうにいいはなしや...
今回の曲。
松倉如子「セミ」

投稿者 azisaka : 11:18

晩夏。「ドクロのマーク」

2009年09月01日

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 数年前、パリはサンマルタン運河沿いのギャラリーで個展をやった時、おっきな眼鏡でいかにも賢そうなそこのオーナーに、「君は好んで、ロボットだとか、近未来風の建物、乗り物を描くけど、なんでだい?」と尋ねられた。そんなこと聞かれても困るが、パリジャンつうやつはうやむやな返事を好まんので、とっさに「そりゃあ、それがおれのサント・ビクトワール山だからさ。」と答えた。「はん?」と眉間にしわよせる彼につけ加えたのは、つまり南仏のこの山が、19世紀の画家セザンヌが慣れ親しんだ「自然」であるなら、ロボットやスーパーカーは、20世紀末の日本に生まれ、アニメやマンガに浸って育ったぼくの「自然」だ、ということだ。したがって、形とか色なんか、そんなに苦にならずに出てくるし、描いていて楽しい。野山を描くより、ロケット描く方が心地いいのだ。小学校のスケッチ大会のとき、もらった画用紙にれんげ畑をさっさと描いた後、その裏に、ドガーン、ババババーッって飛び回るロボット軍団嬉々として描いてたのを思い出す。
 
 3年前、ベルギーより帰国してちょうど一年経った頃、このように自分にとって身近であるロボットを中心に据えて作品を作ろうと思い立った。ロボットものにはやっぱり、秘密組織みたいなものが必要だろう。秘密組織にはかっこいいシンボルマークがないとはじまらん。ううん、何にしようかな。そういえば昨日の飲み会のとき、解剖学やってる友人が、おれの頭蓋骨見て、すごく形がいいと褒めてくれたな、ようし、マークは骸骨にしよう。組織の名前はドクローズ団で決まりだ。
 こういう具合にはじまって、ドクロマークがあちこち散らばった絵を8ヶ月で50枚ほど描き上げた。そしてその夏、九州の各地で個展をして回った。
 長崎は、出島のすぐそばに建ってる築60数年のとても古いビルの一室を借り、そこに展示した。ビルは軍艦島にあるのを引っこ抜いてきてそこに据えたみたい、外も内も異彩を放ち、熟れたまま腐らず乾燥した巨大な果実のようだった。表に看板を出してたら、観光客のひとたちもちらほら見に来てくれた。時は8月はじめ、おりしも反核反戦運動の団体の集会が市内各地で行われていた。
 展示しはじめて何日目だったろうか、おばちゃん(と、おばあちゃんの中間くらいかな...)数人が上ってきた。イラストだとか現代美術なんかとはあんまり関わりがなさそうな感じだ。身ぎれいで学校の先生とか町内会の役員みたいなたたずまいをしてる。彼女らは最初とまどった風だったけど、にっこりあいさつするとそれぞれ静かに一枚一枚ていねいに眺めていった。そうやってひととおり見終わった後も、小声で話したり指を差したりしながら行ったり来たりしている。こんなに真剣に見てくれてありがたいよなあと思ってると、その中のひとりがすっとそばに寄ってきて尋ねた。「あの...しゃれこうべが、いっぱい描かれてますけど...これはやはり原爆で犠牲になった方々を象徴されてるんでしょうか?追悼の気持ちが表現されているんでしょうか?」「えっ...?」意外で不意な問いかけに、絶句しかけた。けれど、口はなんとか動いて「ま、まあ...そんな感じでもあります...」とひどくあいまいな返事をかえした。おばちゃんは、何回か黙ってうなずいたきり、それ以上はなにも聞かなかった。
 それからまた数分、彼女らはそれぞれ静かに絵をながめ、「どうも、いいもの見せていただいて...ありがとうございました。」とお辞儀をして去ってっいった。まるでこの世でない彼岸の人といたみたいだった。夢心地からはっと我にかえると、蝉がジミヘン百人ギターかき鳴らすみたいに叫んで、太陽が窓ガラスぶち破りそうな勢いで燃えていた。
  
 その夏、長崎につづいて個展をやったのは、学生時代を過ごした熊本だった。雑貨屋とカフェがいっしょになった店の2階(といっても屋根裏みたいなとこ)に展示させてもらった。この店でやるのはもう3回目。あいかわらず、キュートな雑貨目当ての女子学生から、本好きの主人を慕う中年おじさん、おいしいランチを求める奥様連中と、やってくる人はさまざまだ。さいわいな事に、作品をひいきにして毎年個展を心待ちにしてくれているお客さんも少なからずいる。
 始まって最初の日曜日。休日にしては、人があんまし来ないよなあとぼおっとしてたら、がちゃがちゃと話し声が階下から聞こえ、ぎしぎし階段を上ってくる音がして、きゃあきゃあと女子高生が3人はいってきた。見ると全員、服やアクセサリーの色が白と黒と赤の3色しかない。3色しかないがギザギザフリフリクルクルと複雑な形をしてる。そいでもって、服の模様やバッグのアップリケ、鈴なりのキーホルダーは、ドクロ尽くしだ。なんでも、表に貼ったチラシの絵を見て駆け込んできたらしい。「こんにちはー、おじゃましまーす!」「わあ、いーっぱいドクロ!きゃあー!」「わたしたち、ガイコツ好きなんですー、ドクロもの集めてるんですぅ」「ナイトメアー見ましたーっ?!」「絵の前で写真とってもいいですかー?」「ドクロってかわいいですよねーっ?」と、たて続けの連射攻撃に、なごんでた心は蜂の巣だ。くうぅ、いかん、押されっぱなしじゃ...こっちも何か話さんと。と思ってたら、リーダー格の娘が「ドクロ、好きなんですかぁ?いつも描いてるんですかぁ?」とニコニコ顔で聞いてきた。ぼくは「あ、そ、そうです、なかなか好きです」と答えた。
 答えた後、長崎で会ったあのおばちゃんたちを思い出し、これを聞いたらさぞかしがっかりするだろなと、彼女らになんだか申し訳ない気持ちになった。その気持ちのせいで、そのあと何十秒か女子高生の言葉が耳にはいらなくなった。
 写真を何枚かとって、ノートに感想書いて握手して、「次回の個展、楽しみにしてまーす!」と彼女らは下のカフェに下りていった。残されてひとり絵に囲まれてると「ねえー、何飲むー?」「こないだ学校の帰りにさー」と階下から話し声が聞こえてくる。話題はもうドクロからすっかり遠ざかっている。
 そんな会話を聞きながら、さらにおばちゃんたちのことを考えた。「うん、でも、まてよ...」あのおばちゃんたち、長崎に反核運動しに来てる最中、朽ちかけたようなビルでおれの絵を見たのではないとしたら、どうだろう?熊本に観光で来て、阿蘇で温泉はいって馬刺食べてカラオケ熱唱した翌日、街中のかわいらしいカフェの屋根裏で見たとしたら、どんな風に感じるだろう?
 「ひゃあ、兄ちゃん、あんたのガイコツ、目がクリクリして、可愛いかなあ、うちのじいちゃんにそっくりばい。」って、もしかしたら言うかもしれん。熊本の女の子にしたって、修学旅行で長崎に来てたとしたら、どうだろう?その口は「きゃあ、かわいい!」とは別の言葉を発したかもしれない。そう思うと、不思議とこころがやわらいだ。
 すると「みゃあ」といってそこの飼い猫が入ってきた。おお、よし、なでてやろうと手をのばしたけれど、何かを確認するとさっさと出て行ってしまった。

投稿者 azisaka : 11:16