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今日の絵(その8)
2011年12月28日
でぶっちょ少年、描いてはみたものの、期待してたほど心はぬくもらなかった。
それで今度はもっと光を!とゲーテ度を高くして、コート・ダジュールの浜辺に立つ女の子を描いたのが今回の絵です。
ちょっと見ると、ナタリーとかマチルダとか名のついた西洋人みたいですが、八重山地方は竹富島の出身です。
幼少の頃より泳ぎに長け、なんと素潜りを30分間することができます。
石垣島の高校を卒業したあとは家の漁業を手伝っていたのですが、ある日、その人間離れした潜水能力に目をつけた謎の組織に連れて行かれてしまいました。
最初は生まれた島から引き剥がされ泣いてばかりいたのですが、しだいに他の団員にも仕事にも慣れていきました。
でもって、2年間ずっと休みなしにとってもよく働いたので、組織より功労賞が贈られました。
それが二週間の南仏でのバカンスだったのです。
生まれてはじめてパスポートとって、まずはあこがれのジャンボジェットに、それからTGVへと乗り継いで、迎えにきたリムジンで昨晩おそくニースの高級ホテルに到着。
時差ボケもなくぐっすり寝て目覚めるとすぐに、朝日の照らすテラスで焼きたてクロワッサンを「こんなにおいしいパンが世の中にあったなんて!」と感激しながら12個も食べ、カフェオレは3回おかわりしました。
そのあと、歯を磨いたらさっそく水着に着替え、まだ人気のないビーチに走り出ました。
ところが、「さあ、南仏の海とやらで、思う存分泳いでやるわ!」と海に飛び込もうとした矢先、団員の証である右手中指のでっかい指輪がピカンと光ったのでした。
それは招集の合図で、何をさておいても直ちに帰還せねばなりません。
ああ無情!8個もパンを食べたのがいけなかったのか!
と、端から見るとすごくかわいそうな気がするのですが、本人はけっこう大丈夫です。
それでこの絵は、「あちゃあ、呼び出しくらっちゃったあ...でも飛行機はじめて乗って機内食おいしかったし、ふかふかベッドで眠れたし、短い間だったけどけっこうた楽しかったわよね...」と、その非情な仕打ちを受け入れたときの様子です。
さて、実はこの後帰りの飛行機の中でへんてこな髭のムッシュと同じ席になるのですが、その彼からブルターニュ地方で語り継がれる伝説の剣の話しを聞くことでにわかに彼女の人生が変わりはじめます。
そして、たちまちのうちにヨーロッパ全土の命運を左右するような歴史的事件の渦中に巻き込まれることになるのですが、そんなことこの時点では知る由もありません。
そんな彼女の心に鳴り響くのは、たぶんこんな曲。
四人囃子「ヴァイオレット・ストーム 」
投稿者 azisaka : 09:43
今日の絵(その7)
2011年12月26日
11月も後半になり、なかなか寒くなってきたので、「三月のライオン」の二階堂くんみたいな、ぽっちゃりあったかそうな人物を描こうとしてできあがったのが今回の絵です。
窓から射す陽に人や物が溶けこんで、ぼんやりまどろむような風にしたかったんですが、描いてるうちパキッと硬質な感じになってしまいました。
しかし、少年よ、何を想う...
投稿者 azisaka : 14:34
今日の絵(その6)
2011年12月24日
さて、"今日の絵その2”のとこで書いたように、最初にカレンダー用に描いた絵は、「人も色もごちゃごちゃしてにぎやか過ぎっ!」とはねつけられてしまったので、2回目はその真反対に、ひとりぼっちの女の子をほとんど色を使わずに描いてやる...と意地悪くたくらんで描いたのが上の絵です。
「うわあ、なんよー、今度はさみし過ぎやーん!」とまたまた却下されると思いきや、「うん、いい、ばっちグー!」と大丈夫だったので、ふうと安心しました。
けれど、実は内緒のことだけど、その六分の一くらいはがっかりした。
なんでかっていうと、この2回目に描いた絵もだめだったら、もうほとんど期日の猶予がないということで、そしたら”切羽つまる”ことができたからだ。
経験的に、この”切羽つまる”っていう状態は、絵を描くにはけっこう都合がいい。
「火事場のくそ力」とおなじで、日頃眠ってた感覚が突如目覚めるというか、新たな力が急に湧き上がるというか、とにかく能力が一時的に高まって、予想とかけはなれた、良いものが出来上がることが多いからだ。
そいじゃあ、わざと時間あるのにのんびりして、いつもギリギリの状態をつくるようにしといたらいいじゃん。
とそう思う方もおられようが、そこが難しくって、意図的に”切羽つまら”せても、お天道様はちゃんと見てて、すてきな力は授けてくんない。
ちゃんと外からもたらされた”土壇場”でなけりゃあ、うまくいかない。
とはいっても、ちょいとばかし長く絵を描いてると、あら不思議、絵をうまく描かんがため、”無意識に土壇場ギリギリを呼び寄せる”という術が知らないうちに身についてくる。
カレンダーに早いとことりかからねばならぬとわかってるのに、”じいさん”や”タコ漁師”や”女版ジョー”が無性に描きたくなるのは、そういうわけだ。
おそらく、たぶん。
今回の曲
Lisa Germano「Cry Wolf」
Lisa germane & OP8「If I think of love」
10年くらい前、ブリュッセルのFNAC(タワレコみたいなとこ)の試聴コーナーでたまたま出会ってときめいて以来ずうっと、いつだって聞いてるLISAねえさんです。
長らくデヴィッド・ボワイとかイギー・ポップなんかのアルバムやライブでギタリストとして活躍してて、ソロでのデビューは1991年、33歳になった時。
性に合うのか、8枚出してるアルバムのほとんどの曲が大好きで聞き飽きることがないです。
投稿者 azisaka : 23:35
今日の絵(5)
2011年12月22日
カレンダーについにとりかかって、描いてる途中にちょっと休憩して雑誌ぱらぱらめくってたら、ピクニックに興じる若者たちの写真が目に留まった。
その中の、ひとりの女の子の立姿(寝転んだ男の子を見下ろしてる)が、なんとなくジョーをアッパーでKOして「終わった...何もかも...」って言ってる力石徹を思い出させた。
それで、ああ「女版・あしたのジョー」ってのはいいなあと思って描いたのが今回の絵です。
舞台は未来の女子少年院でヒロインはスケバン、風吹サチ。
カツアゲの現行犯で連行中のダチを救出すべくマッポ8人を殴ってケガさせムショ送りに。
その彼女が、長きにわたってそこに君臨していた身の丈2メートルはある”ヒマラヤ”と呼ばれた大女をいとも簡単にやっつけて、「ふんっ」ってしてる様子です。
額の絆創膏は少年院の若き東大出の院長・白鷹葉二郎からの思われニキビがでっかくなってつぶしてしまったので貼ってます。
で、彼女のその尋常ならざる強さを聞きつけ、目下開発中の巨大ロボット(マリアンヌロボ)の操縦士に抜擢しようとやってきた人たちが上空の円盤形ジェットに乗ってます。
この場面の後、ビビーッて光線が下りてきて、女の子はヒュルヒュルヒュルって円盤にすい込まれていくというわけです。
今回の曲
Dengue Fever 「1000 Tears of a Tarantula」
スイス住んでる友達が、「こうじ、これいいぜっ!」て教えてくれたカンボジアのグループ。
たしかに、いいっ!かあーっっちょいい!
サチが、ドヤ街の屋根から屋根、追ってくる大勢の警官から逃げ回ってるシーンで使いたいもんだ。
しかし、どんな歌詞なんだろう、”タランチュラの千の涙”って...
投稿者 azisaka : 10:12
今日の絵(その4)
2011年12月20日
11月になり、もういいかげんカレンダーの制作にとりかからないと去年の二の舞になっちまうと焦っていたとき、イタリア帰りの友達からタコの缶詰をもらった。オリーブオイルに漬けたやつだ。
これ幸いとちょっとばかし高い白ワイン買って、日が暮れたらアンチョビもケッパーもあったのでプッタネスカを作った。
それ食べた後、ゆっくりタコつつきながらワイン飲んでると「地中海あたりでタコ獲ってる漁師ってのはどんなんだろう」?と思いはじめた。
それで、酔っぱらいながら資料集めて安心して寝て、陽が明けたらさっそく描きはじめ、数日してでできたのが上の絵です。
頭の鉢巻きはシルク100%で、ぜんぜん陽に焼けてなくてひ弱な感じですが、実はそうでもなくて彼独りで家族6人を養ってます。
腕の入れ墨は自分で彫ったもので、中世の人なので変な髪型。
「あ、そういえばあさって一番下の妹の誕生日やった...何贈ろうかな...」と船の上で思案してる状態です。
ところで、タコ漁師といって思い出すのは土本典昭の映画「水俣ー患者さんとその世界ー」だ。
大学2年のとき、視聴覚室で”勉強”のため見せられたんだけど、映画そのものにまったくもって魅せられてしまった。
その一本で、いきなり映画の見方が変わってしまった。というか豊かになった。
(それまでは、”お茶漬けの味”がわかんなかった小暮実千代みたいなもんだ。)
何かがきっと性に合ってたのだろうが、さっそく教授に頼み込み、研究室にあったその他の土本作品のビデオも借りて立て続けに見たんだけど、そのどれもにとても強く心を揺さぶられた。
それがきっかけで20代、映画をたくさん見るはめになった。
「水俣ー患者さんとその世界ー」には、タコそっくりの風貌のタコ漁師が登場する。
彼が、獲ったタコを腰に巻いた金具にひっかけ海の中をゆらゆら歩くんだけど、その時の映像、キラキラ輝く不知火海のひかりがすばらしい。
その後、けっこう映画見たけど、これ以上に美しいひかりには出会えなかった。
今回の曲
Boris Kovac 「Winter Song」
最初に彼のCD聞いたときにはバルカン半島の伝統音楽かなんかと思ったけど、大学で教鞭もとるセルビアの作曲家で、自分のバンド率いてサックス、キュルキュル吹きまくったりもしてます。
この曲はめずらしく静かな曲で、しんみりとなります。
投稿者 azisaka : 11:22
今日の絵(その3)
2011年12月18日
仁王立ちで立ってるじいさんのイメージがある日なぜだか不意に湧いて出てきて、頭の中に貼っついて離れないようになった。
それでほんとうなら、来年のカレンダーのために女の子の絵を描かねばならぬ時期だったのに、じいさんのポートレートをひとつ、ものにせねばならぬはめになった。
小林秀雄(おお!)風にいうなら、じいさんの絵を一枚”やっつけ”なければどうにも落ち着かなかったわけだ。
絵を描くっていうのは、ご飯食べたり、トイレ行ったりすんのと同じ生理的な行いで、その欲求は常にあってどうしようもないんだけど、うなぎが食べたいとかチキンラーメンすすりたいとか、食欲の矛先が変わるように、描きたいものも時によって変化する。
三つ編みおさげだったり、ヘッドライトだったり、葉っぱだったり...
そうやって、無性に描きたいものを描きたいように描くのというは、冬の寒さに打たれた夜、よく味の染みたおでんの大根食べたくてたまらない時、はふはふ食べるのと、同じくらいに快い。
したがって健康には気を使う。
病気になったら、食欲が失せるように絵を描く気力や集中力も萎えるからだ。
つまりものを喰らうことができるかぎりは絵を描ける、終わるときは両方同時ということだ。
そういう風にして描いたものを人に見てもらうんは、どんなもんだろうか?と、ときどき思ったりするし、ましてそれを買ってもらったりするのは何となくわるい感じがするときもある。
また、個展を見に来た人などに、しばしば「この絵にはどんなテーマがあるのですか?」とか「意味は?コンセプトは?」はたまた「どんなメーッセージがこめられてるのですか?」とか聞かれたりすると、ドキっとしてしまう。
そして、「おお、世の中には“そういう風に”して作品を作る人もいるのか」と気づかされる。
そんなときは、たいていまず「兄さんはどがん思うですか?」ってこっちが逆に尋ねるんだけど、その返事を聞くのが、そりゃあワクワク楽しみだ。
で、「おお、まさしくその通りです!」と答えることが多い。
だって、ほんとに、まさしくその通りでもあるからだ。
「ああ、あの時、これが無性に描きたくて描いたのには、こういう訳があったのだなあ」とわかって、うれしくなる。
ただ、そんな勝手気ままに何の制約もなしに描いてるのに、出来上がったやつはご覧の通り、悲しいかなうすっぺらだ。
ほんとうに申し訳ないといつも思う。
(だって、”あつあつの大根食う”ことで、まがりなりにも身過ぎ世過ぎができてるんだから...世間に顔向けが...)
けれど唯一の救いがあって、それは、ほんのちょっとづつだけど以前よりかは”まし”になっていると感じられることだ。
少しばかりでもいい絵だったら、それを見たひとも”うまい大根のおでん”食べた気になるんじゃないかと期待するからだ。
さて、今回描いたじいさんですが、手には出刃包丁を握りしめています。
捌いてる魚を横取りにした猫を追って飛び出してきたにしてはスニーカーちゃんとはいてるし、誰か人を刺してきたにしては、返り血なんての浴びてません、また、包丁売りの行商人にしては表情がなにやら険しいです。
いったい、何してんねん?このじいさん...
今回の曲
Louis Johnson 「bass lesson 1」
見て聞いてるだけで、こんなに”うわあおぉ”なんだから、やってる本人はいったいどれだけ”うわあおぉ”なんだろうかと、非常にうらやましくなります。
投稿者 azisaka : 15:46
今日の絵(その2)
2011年12月16日
まだ熊本で大学生の頃、恋人へのプレゼントさがしに街へ出て、たまたま入ったブティックで小さなきりんのピアスを買った。
以来ちょくちょく顔出すようになり、そこの女主人と仲良しになった。
その彼女が一番最初にイラストの仕事を注文してくれた人物で、以来20年近くDMを描く仕事をしている。
ここ数年はカレンダーも作るようになったんだけど、いつもぼんやりしてて師走ギリギリの仕上がりになるので、今年は奮起して早くも10月にそれ用の絵を描きあげた。
それが上の絵で、学生時代いつも買い物してた熊大近くにある子飼商店街、近未来予想図だ。
(年配の人がいないのは大切な集会があってるからです)
出来上がり喜び勇んで写真にとり見てもらった。
しかし、悲しいことに「こーちゃん、なんよー、ごちゃごちゃピンクピンクしとって、うちの店に合わんけーん」と無下につっぱねられてしまった。
それで、うううちくしょうと嘆きくやしがった。
くやしがったんだけど、あらためてよく見ると、たしかにカレンダーとして一年中壁に貼っておくには何やらさわがしいという気もする。
それで結局描きなおすことにした。
投稿者 azisaka : 09:42
お知らせふたつと今日の絵(その1)
2011年12月14日
夏の個展が終わり、またやおら新しい作品を描き始めました。
ここ数年、おっきなものに取り組んでいたので、今度はちょっと休憩という感じで、小さな作品をちょこまか一年くらい描いていくつもりです。
さて、絵を描いて見てもらうようになってから今までは、数ヶ月にわたって密かに描きためたものを年に一回の個展の時、おりゃあー、といっきに公に(ぷっ、おおげさな...)展示しするという方法をとっていたんですが、今度からは、絵日記みたいに、描き上がったはなから「今日はこんな絵描きました」という具合にこの場所で紹介していこうと思います。
そんな風に来年の夏までずっとやって、夏になったら個展して、描いたそれらの現物を見ていただこうという企てです。
なんでかっていうと、
その1)なんとなくそうしたほうがいいんじゃないかと思った。
その2)先の個展のとき、先輩がやってきて「おまえ、なんや、ブログ、いっちょん更新せんやんか、おれ、せっかく行って、いつもがっかりするとぜ」と言われた。
で、そんなに言われたって、そう書くことあるわけじゃあないし、こまったなあ、でも絵は毎日描くので、その絵をのっけることで、彼の期待にちょっとでも答えよう、とそう思った。
と、こういうわけで今回からけっこうひんぱんに見ていただくことになる作品についてですが、画面の中、どこかにドクロのマークがあることが多いです。(今回のはないですけど)
これは、いつかもこの場でお話しましたように、人骨の研究をやってる長崎の友人(早く赤ん坊の顔がみたい...)が常日頃「アジサカさんの頭蓋骨はよかー、縄文人そのままの形ばしとらす、美しかー、いつかぼくにぜひ譲ってください、うふふっ」と言ってることに端を発したもので、いわばサインの代わりです。
その他にこれといって特別な意味はありません。
あと、登場人物のどっかに傷があったり、絆創膏や包帯してる絵が多いです。
もともとそんな傾向があるので、よく「何でですか?」って聞かれます。
そしてたまに50半ばくらいの女の人から「これは、心に負った傷の象徴なのでしょう?」とか「この女の子はリストカットされたのですね...」などと言われたりします。
まあ、そうかもしれませんが、どっちかっていうと、あわてて出かけるとき玄関でずっこけたり、ガスコンロの裏に落っこちた里芋ひろおうとして鍋に触ってやけどしたり、無理に猫なでようとしてひっかかれたり、とまあそんな方が近いです。
マンガでいうなら丸尾末広の少女に巻かれた包帯というより、ちばてつやのマンガの主人公が「まあ、石田くん、ケンカするの今週何回目!?ふう...」と保健室の先生にため息つかれながらバチン!「いててて...」と貼られる絆創膏に似ています。
でも、ほんとういうと意味なんていうのはいつも後付けで、絆創膏とか描く一番の理由は、描き手、すなわち自分自身の感覚的なものです。
つまり、たいていはひとまず絵が全部仕上がったあと、まずはその部分の画面の絵の具をカッターナイフで削り落とし、その後、傷なり絆創膏なりを描き入れるんですが、これがやっててとても心地いい。
ふつう、日常生活においては何に対してもできるだけ「キズをつけない」ように用心するってのが習わしなので、いったんは完成したものをガリっと勝手気ままに傷つけるという、その手応えが快いのかもしれません。
おそらくはそれとおんなじ理由ですっすっと指すべらせるだけのタッチパネルというのが苦手です。
パチンと押すスイッチだとか、ガチッと引くレバーだとか、そんなので作動するスマホがあったらいいのにさ...
あ、それと、キズがあると、描かれた人物になんとなく深みがでるような気がします。
これは実際の人間でもおなじですけど。
さて、いらん説明が長くなりましたが、そんなこんなで紹介していく「今日の絵」シリーズ、そのいっとう最初を飾る冒頭に掲げた絵は、10月に描いたものです。
その頃は秋だっていうのに、夏みたいに暑くて、それでなんでか無性に寒さが恋しくなったので、こんな絵を描いたのだと思います。
”正月に津軽の実家に帰省した飛行機乗りの青年”の絵です。
(勝手にすこしだけ写真家の小島一郎に捧げてます)
ところで、はなしは変わりますが、福岡は薬院っていうとこに友達が地道にやってる「亜廊」っていうギャラリーがあります。
今度、そこのオンラインショップでオリジナルグッズの販売をはじめました。
今んとこ、ポストカードとバッヂだけですが、おいおい品数を増やしていこうと考えてます。
まずは近日中にトートバッグを作る考えです。
(オンラインショップへはこのサイトのトップの画面から行くことができます。)
今回の歌
松崎ナオ「雨待人模様」
松崎ナオ「川べりの家」
ずいぶんと前、デビュー曲がラジオから流れてきて、わあーとびっくりして以来ずっとCDが出たら買って聞いてます。
二つ目の映像の岸田森の顔がすばらしい。
投稿者 azisaka : 22:31
ラルフ
2011年12月03日
ちょうど日本がバブルっていう名の好景気に湧いていたのと同時期、幸か不幸かパリに暮らしていた。
大学出たあとすぐに職に就くのもためらわれ、縁あって住み始めたんだけど、何か特別な目的があるわけでもなかった。
絵で食べていく自信なんてなかったし、他に特技もなかったが、まあなるようになるさと思っていた。
(この時分、たくさん親に心配かけたので今はせっせとその償い最中)
ガイドや家庭教師、服の買い付けの手伝いや皿洗いなんかをして食いつなぎながら、ひとり絵を描いていた。
そうじゃなけりゃあ、あてどもなく散歩し映画を見た。
お金はないが、やたらと時間がたくさんあった。
住んでたのはむかしから移民が多く住み着いてるベルヴィルっていう名の街のおんぼろアパートだった。
エレベーターなし6階の屋根裏部屋で、バイトから疲れて帰った時など、上り始めるのに覚悟がいった。
緑の手すりが天へと螺旋に伸びていて、下から見上げるとまるで「ジャックと豆の木」の大木のようだった。
部屋へ入ると斜めになった小さな窓から北の方、モンマルトルの丘がほんの少しだけ見えた。
石を敷いただけの中庭にはいつも子供の遊び声や、夫婦のののしり合う声がこだましており、ときどき何かの割れる音が高く響いた。
通りに出るならば、そこにはフランス語よりかアラビア語や中国語の看板が多いくらいで、マロニエの枯れ葉の代わりに野菜のくずや鶏の頭なんかが落っこちていた。
もちろん日本の雑誌で紹介されるみたいな(栗毛の可愛いリセエンヌが寝ぼけまなこで手伝ってる)おいしいパン屋なんてのもなく、ひげのやたらと濃い男衆がやってるケバブの店がいたるところにあって、大きな串に刺さった羊肉の固まりが強い臭いを周囲に放っていた。
この臭いに、コリアンダー、ゴロワーズとペルノーの臭いを合わせるとこの街の香水ができあがる。
食事といったら朝はいつも固いバゲットパンにジャムつけたのをカフェオレで流し込み、(日曜だけ贅沢してクロワッサンやショコラパン買って食べるのがとても楽しみだった)昼は食べないか、サンドイッチみたいなやつ、晩はにはよくメルゲーズ(羊肉のピリ辛ソーセージ)を焼いて食べていた。
着る服はたいていが蚤の市か近所のアラブ人がやってる古着屋で買ったもので、山と積まれた中から良い品をさがしだすのが楽しみだった。
しかし、持ち込まれたものをそのまま放り出してあるだけなので、しみ込んだ強い体臭がにおい立ち、時々気分が悪くなった。
年に2回、プレタポルテのサロンの時、日本から人がやってきた。
彼らからちょっと高いレストランにつれていってもらうのがすごく楽しみだった。
同じくらいの歳の日本の若者がほんもののロレックスやヴィトンをもってるのでとてもびっくりした。
さっき買ってはじめて身につけたようなまっさらの服を着ていて、まるで金ぴかのおとぎの国からやってきた人みたいに思えた。
さてそんなパリ暮らしが2年くらいたったあと、妹の結婚式で東京へ行った。
この都会へ行くのはそれがはじめてだった。
着いた翌日、商社で働く旧友と5年ぶりくらいに再会することになった。
待ち合わせの場所に立ってたら、ガンメタのBMWがすーっと目の前に来てとまった。
窓が下り「よお、こうじ、ひさしぶり!」と笑いかけるのが、ちょっぴり太ったその友人で、そのまま高そうなフランス料理店に連れて行ってもらった。
「今日はおれがおごるから心配するなよ」
動揺してるのをさとられたのか、店に入る前にそう耳打ちされた。
(三千円くらいしか持ってなかったのでほっとした)
フレンチのコース料理というものを食べるの、それが初めてだった。
そわそわしてたらいきなり、いかにも高そうなラベルのワインが出てきた。
パリでいつも飲んでる一本300円くらいのワインが優に50本は買えそうだ。
「これ、この前、接待で飲んだんだけど、うまかったんだよね」
と、いつのまにか東京言葉を身につけた彼から注がれるままに飲んだ。
飲んだんだけど、何か変な味がした。
「ああ、こりゃあブショネだ..,」とそう思った。
(ブショネっていったら、コルク栓の臭いがワインに移っちまってる状態で、毎日ワイン飲んでたらたまに出くわす)
でも、飲めないほどきつくはなかったので、口には出さず「やっぱりおいしいよね、これ」って言ってる彼と最後まで空けた。
食べものはうまかった。
うまかったんだけど、特別ってほどでもなくって(だって”フランス直輸入”の鴨のロースト、ここで食べたってなあ...)、ああ、寿司食べたいと言っときゃあよかったと悔やんだ。
そのあと、またまた高そうなバーに連れていってもらった。
そこで、投資で儲けてるという話をたくさん聞かされた。
「こうじもやれよ、簡単に稼げるぜ、ふふふ」と勧められたんだけど、聞いてもさっぱりわからないし何となく気が進まないので「おお、すごかねー」と相づちだけ打って聞いてるふりをしていた。
東京には3日間くらいいた。
友人知人に会うのは楽しかったけど、ここはただただほんとうに騒々しく、その上道行く人の風貌がのっぺり魅力がなくて悲しくなった。パリにとっとと帰ってしまいたくなった。
そのあと実家のある長崎に行った。
そこは相変わらずのんびりしてたのでほっとした。近所のいつも米をわけてくれるじいさんの「やあ、帰っとったとね」と笑う自然な表情に安心した。
さて、パリではパリ生まれでパリ育ちのベルギー人の女の子と一緒に暮らしていた。
彼女は昼間大学に通い、夜はディスコでバイトしていた。
バイトの日は晩ご飯食べたあと出かけていって朝まで帰らなかった。
ピガールはムーランルージュの隣にあるでかい箱で、ときどきくっついて行ってただで入れてもらった。
踊るでもなし、ジンリッキー飲みながらぼさっと人が踊るのをながめていた。
ある晩それとは気がつかずに入ったらゲイナイトだった。
厚化粧で女装したおっさん、黒革ビチビチマッチョ兄さん、性別判別できないただきれいな人、普通のサラリーマンみたいな人、いろんなタイプのひとが、ひしめいていた。
メインホールの大きなスクリーンには、そういった類いのポルノ映画が映し出されていたんだけど、むろん映倫とおってないので、とっても迫力があった。
アジアの人間はめずらしいのか、独り飲んでるとあとからあとから声をかけられた。
中には、「こんなきれいな人となら一度くらい...」と思うような美しい顔立ちの人もいた。
ところで、何回かそのディスコに通ってるうち、ドイツ人の男と仲良くなった。
バーを仕切ってて名はラルフ、年は自分より10くらい、体重は20キロほど上で、髪の長さは30センチほど長かった。
真ん中分けの髪の下、狭い額はさながら固い岩場で、そこからびよーんと長く太い鼻の茎が生え垂れ下がっていた。
その先に分厚く赤い二枚の弁からなる花が咲いていて、ほとんど閉じたまんまだったけど、開くと酒とタバコと男と女の臭いがした。
目玉は...目玉はって言うと太い茎の両側にしがみつく一対の南洋の昆虫みたいだった。
背中が深緑色に濡れて光ってるんだけど、そいつときたら人喰い虫で、油断してるといきなり羽ばたき飛びかかってきそうだった。
と、やけに描写が長くなったが、誰かにたとえるなら映画監督のエミール・クストリッツァと原田芳雄を足したのにイギー・ポップをかけてミッキー・ロークで割ったような風貌だった。
とにかくまあ、このように尋常ならざるたずまいであったので、最初のうちはできるだけ近づかないようにしていた。
けど、それはシラフの時で、酔っちゃったら当然のごとく恐れよりか好奇心が勝る。
いつのまにか話を交わすようになった。
(とはいってもつたないフランス語で、あいさつに毛の生えたくらいの短い会話だったんだけど)
ちょっとばかし親しくなるとラルフは、すさまじく存在感があると同時に、そこに存在していない様でもあった。
なんとなく仕方なく、他に行くとこがないのでそこにいるという感じだ。
何やってても話してても真剣な感じがしなくって、同じホールで働くグラマー美人の彼女にしても、周りで一番いかしてるから、それじゃあそばに置いとこうかっていう風だった。
まあ、そんな所在無さげな、「この人いったい何考えてんだろう?」ってとこが彼の一番の魅力といえばいえた。
さて、フランスにはずいぶんむかしからLOTOという宝くじがある。
ある日アパートにもどると、奥から同居人が「ねえ、聞いてよー」と叫んでやってきた。
ラルフが”大当たり”を出したんだそうだ。
「おおそりゃあ、よかった」と軽くよろこんでたら、たいへん驚いたことに日本円にして1億円近くの金額だった。
来週末、セーヌに浮かぶ船を貸し切ってお祝いパーティを開くという。
パーティはドイツから呼び寄せた親戚や友人知人いりみだれ大盛況だった。
彼の母親が、「息子は辛抱してまじめに働いてきたのでその酬いがあったのだ」と泣いて挨拶したのが、失礼だけどおかしかった。
乾杯の音頭はラルフの兄ちゃんがとった。
紹介されて前に出てきたら何度かテレビで見たことあるお笑い芸人だったのでびっくりした。
実兄というのにぜんぜん似てなくて、わずかに残った後髪だけをポニーテールにした禿頭の下の顔は、古くなって捨てられた風呂場のマットみたいだった。
「いつ何時、彼らの面貌に違いが出始めたんだろう...?」
幼少の頃の二人並んだ写真を見てみたいなぁ、とそう強く思った。
そのあと高いシャンパン飲んでいい気分でいたら、日本の歌をと請われたので 「À bout de souffle!」と叫んで、ジュリーの「勝手にしやがれ」を歌った。
彼は、バーの仕事はとっととやめ、けっこう山盛りになっていた借金をさらっと返して、彼女にシャネルやヴィトンをどっさり贈って、ドイツの実家にまとまった送金して、おっきなメルセデスを手に入れた。
そうして最後にホンダのバイクを2台買い、バイクレースのチームをつくった。(知らなかったけど、かつてレーサーだったのだ!)
それで、「ははん、彼のほんとの居場所というのはサーキットを疾走するオートバイの背中だったのだな。」とひとり合点した。
それまで彼が乗ってたおんぼろフィアットは、ぼくがもらいうけることになった。
パリ市中を颯爽と駆け抜ける己が姿を想像し、うきうきとなった。
車をとりに行くと、彼らの郊外のうちは小さくみすぼらしかった。
大金あるんだからもっといいとこに引っ越せばいいのにさ、と思いながら中に入ると、金持ち連中がホテルの大部屋貸し切って乱痴気騒ぎやったみたいな散らかりようだった。
ソファーにふたつも女物のちっちゃな下着が脱ぎ捨てられててどきりとした。
車は、エンジンかけるにも、クラッチ踏むのでも、なんでもかんでもひとくせあって、そりゃあ運転しにくかった。
(今でさえ、ギアチェンジする時のコキンコキンしたシフトノブの感触が右手にしっかり残ってる)
しかも不慣れな左側走行でパリジャンの運転は傍若無人、さらには、車で出たはいいものの駐車する場所をさがすのに一苦労した。
(パリやベルギーではたいていが車は路上駐車)
車がないときは、行きたい時どこへでも地下鉄乗り継ぎささっと行って帰って来れたのが、ガソリン高いし、渋滞あるし、車持ったばかりに気苦労が多くなってしまった。
それで、だんだんと通りに置きっぱなしにして乗らなくなった。
廃車にしたり、貰い手さがすのは、ああ面倒だよなあと思ってたら、ある日駐車しといた場所に行って見るとそこには別の車が停めてあった。
ありがたいことに誰かが盗んでくれたのだ。
失って楽になった、よかったなぁと、しみじみ思った。
そしてもう一生、よほどのことがないかぎり車は所有しないことに決めた。
さて、そんなある日のこと、ラルフがディスコにまた舞い戻ってきた。
レースですっかりお金を使い果たしたそうで、何もかもすっからかんになり、またもとのバーテンダー生活に返ったのだ。
(お金、”運用”する道知らなかったのだ、ははは...)
グラマー彼女はというと、彼女はどこかに去って行ってしまっていた。
「よう、ひさしぶり、元気」と話しかけたら「おう、元気元気」と笑って返した。
肩にかかるほどだった髪がすっきり短かくなっていて、初めてその首筋が見えた。
そこだけ妙に線が細く華奢で、金色のうぶ毛がもにょもにょ波打っていた。
とても可愛らしくて、なでてやりたくなった。
いつもみたいにジンリッキーを頼むと、作りながら「ああ、そういえばフィアットどうした?」と聞いてきた。
「道に置いてたら盗まれちまった」って答えると、
「ありゃあー、知ってたらおれのメルセデス一台やるんだったのに、ざんねんだったな」と言うので、ギャハハハ...とふたり大笑いした。
今回の曲
豊田道倫with昆虫キッズ「ゴッホの手紙、オレの手紙」
豊田道倫「ギター」
ふたつとも、てっきり関根勤がふざけて誰かのまねをしてんだろうと思うかもしれませんが、豊田道倫が自分の歌を自分で真剣にうたってます。
投稿者 azisaka : 21:09