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今日の絵(その21)

2012年03月28日

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さて、裸で春の庭先に座ってるこの人は誰でしょう?

01)裸で春の庭先に座ってる人。
02)長いこと変な格好で座ってたら左足のふくらはぎがつってしまった人。
03)衣類を纏わぬことを職業とする女性と結婚した電気工事士のお嫁さん。
04)ミツバチの八郎と蜜の取り合いをして負け、左の目尻を刺されて憤っているタイピスト。
05)オオカミの襲撃に備え苦労してレンガの家を建てた人。
06)さっき、ずいぶんと長く伸ばしていた髪を切ってしまい、首筋のとこがスースーする人。
07)四月初めに咲くピンク色の花に、「まあ、なんて美しい背中だこと...」と後方からため息をつかれている人。
08)自分が作った椅子のどこかに必ず大理石でこしらえたドクロの飾りをつける木工職人に弟子入りした青年を誘惑しようとしたけど失敗したので、けっこうくやしい。
09)胸やおへそより断然、足の先を人に見られるのがむかしから何となく恥ずかしい。
10)ジュンちゃんの叔父さんの別荘に招待されて行ったらあまりに庭の草木がきれいだったので浮かれ興じてたら池に落っこちてしまったので濡れた服を脱いで乾かしてたら芝刈り機とかが入ってる小さな小屋の陰でいちゃついてるジュンちゃんとそのいとこの姿が眼にとまったのでプイっとしてるリカ子。

(答え)
くしゅん!
風邪かな?
花粉症だったらやだなあ...

投稿者 azisaka : 09:10

お知らせ

2012年03月25日

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ひさしぶりに、ホームページのpaintingsコーナーに作品を追加しました。
2010年の個展「クロアカキシロ」に展示したもののうち24点(上から三段目まで)です。
2、3年前に描いたものなので今見ると「あちゃあ、何でこの時にはこんな風にしか描けんかったっちゃろう...」とただただ思うばかりです。
上の絵はそんな中のひとつで、物語シリーズその1『タンゴ』です。

投稿者 azisaka : 10:34

リルケ

2012年03月19日

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「リルケはいいよ」とひとこと言い残しその友だちは去って行った。
「いいよ」ってったって、~洋菓子店の抹茶ロールが”いいよ”ってんなら買って食べてみりゃあすぐに確認できるんだけど、リルケって読んだことないけどたしか詩人だ。
どんなにいいのか説明とかしてくんなきゃ、それだけじゃあ...と、とまどってしまった。

とまどい抱えたまま、家に帰ってパソコン立ち上げた。
「♪リールケー、リールケー、どんな人やねーん、あんたはさー♪」と鼻歌うたいながらウキペディアで引いてみた。
うん、うん、なかなかまじめで良さそうな人だ...
たたずまいもなんとなく、好きなゴッホに似た感じでとっても好感が持てる。
(”人柄は必ずその風貌に現われる”と実感することが経験的に多い)

と、そこに彼が自らの墓碑銘として書き残したとされる三行詩が紹介されていた。

読んで、
ピカッ!がががーん!
ひさびさに雷鳴が轟いた。
なんて、いい詩なんだーっ。

それで、さっそく近所のまあまあ大きな本屋さんに自転車飛ばして行った。
岩波文庫に「リルケ詩集」があったので、さっそく買い求めた。
帰って開いてまずは、その墓碑銘をさがした。

あった。
しかし、訳が異なっていて、この訳では悲しいかなぜんぜんグッと来なかった。
元は同じドイツ語の詩句だってのに、不思議なもんだ。
こと、この詩に限っては、訳者が異なれば雷どころか小さな鐘さえ鳴らぬ。

なんとしてでも、ウキペディアで紹介されてた墓碑銘、それを訳した人の手によるリルケ詩集を読みたいと思った。
そこには訳者の名も出典も記されていないので、自力でさがすしかない。
古本の検索で見つけ、注文して、さらに三つの異なるリルケ詩集を手に入れた。

その三つの詩集にも、むろん墓碑銘は訳され載っけてあった。
しかし、残念ながらそのどれもが最初に読んだものとは異なっていた。
そして悲しいかな最初の訳に比べ、なぜか三つともたいして心に響かなかった。

一番初めに読んだものだから、それが一番良いと思えるんかなあ...
もし最初に出会ったのが別の四つのうちのどれかだったのなら、
その訳が同様に雷鳴轟かしたんだろうか...

まあ、とにかく、その素敵な訳をした訳者のことはわかんなかったけど(あきらめるの早っ...)
おかげで、この年末から年始にかけては絶賛リルケ特集だった。
小説や評論、書簡集、たてつづけに集中して読んだ。
そうしたらいつの間にやら彼が世界でもっとも身近な存在となっていた。
なんだか彼とふたり、19世紀末はパリの、寒くて湿気ったぼろアパートに片寄せ座ってるみたいな冬だった。

ロダンやセザンヌについて書かれたものなどは、同じく(たいそう隔たりはあるけど)ものを作る人間として、「おおおおおーっ」と感嘆しまくりながら読んだ。
そして友だちが勧めたのは、こういうことだったのかーっと、感謝した。

「マルテの手記」とかは、学生時代に読んだんなら「なんやこれわけわからん」とおっぽりだしそうな小説だけど、今はなんでかとっても面白かった。
(つまり、ちょうどそういう時期だったわけだ。)

とにもかくにも、リルケの”たとえ”がすばらしい。
あるものを、別の言葉で言いかえる、その見事さに心がぐっとくる。
ああ、こんなのが詩的っつうんだろうなあ、とため息が出る。

たとえば、当時離れて暮らしていた妻クララ宛の書簡、ロダンに初めて会った日の感動を伝える次の文章...

「...昨日、月曜日の午後三時、初めてロダンのところにいった。ユニヴェルシテ街182番地のアトリエにね、セーヌを渡っていったのだ。モデルがいた。それは少女だった。ロダンは、小さな石膏像を手にして、あちこち掻きとっていた。仕事をやめると、ぼくに椅子をすすめ、ぼくたちは話し合うことになった。人の好い、優しい人だった。もう、前からの知り合いといったような気がして、また会っただけのことといった感じ。ぼくには、思ったよりも小柄に思えたが、ずっと逞しく、いかにも思いやりのある、上品な人だった。あの額といえば、鼻との関係からすると、ちょうど港から一隻の船が出て行くように、そこから鼻が出て行くといった具合の額、...それがまことに特徴的なのだ...」

どうですーっ!ねーっ!
額を港にたとえてんのが、すてきやろーっ、すごいやろーっ?

これだけで、F4サイズの絵がたちどころに10枚くらい描ける分のエネルギーになるもんなあ。
(あ、他の人は、「ふーん、そうなん?あたしは別に...」かもしらんけど...)

と、最後にここで問題です。
リルケの墓碑銘、アジサカに雷鳴轟かしたのは次の五つのうち、どの訳でしょう?

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.(これは原文)

1)
薔薇よ、おお純粋なる矛盾、
それだけ多くのまぶたの下に、誰の眠りも宿さぬことの
喜びよ

2)
薔薇、おお純粋な矛盾の花、
そのようにも多くのまぶたを重ねて
なんびとの眠りでもない、よろこび。

3)
ばらよ、おお 純粋な矛盾、
おびただしい瞼の奥で、だれの眠りでもないという
よろこび。

4)
ばらよ、おお、きよらかな矛盾よ、
あまたの瞼のしたで、だれの眠りでもないという
よろこびよ

5)
薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ
このようにおびただしい瞼の奥で なにびとのねむりでもない
という

(答え)
1)です。

(今回の曲)
Honey and the Bees Band 「Psychedelic Woman」

この冬、読むのはドイツの詩人だったが、聞くのはアフロビートだった。
両者、ぜーんぜん、合わない...(笑)
たぶん、それで心のバランスとってたのに違いない。

何はともあれ、リルケの孤独や苦悩も、この曲のあっけらかんとした生命力も、どちらも心を熱くする。

投稿者 azisaka : 20:11

今日の絵(その20)

2012年03月14日

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今回登場は見返り美人コンテストの優勝賞金で、家の田んぼ耕す牛を一頭手に入れようと意気込んで、毎朝2時間見返り特訓をやり続けてたら首の筋を痛めてしまい、幼なじみの平八さんに勧められ隣村の整体師の元を訪ねていったらそこで”振り向き鶴吉”と名乗る浪人と出会い、彼より「振り返り」の術を伝授してもらうことになるミー子さんです。

なんで”ミー子”っていうのかというと、彼女の亡くなったおばあちゃんが生前愛でてた近所の野良猫の名前がミー子で、その猫が地主のドーベルマンと戦い相打ちで死んでしまった翌日、彼女が生まれたので、「おお、ミー子の生まれ変わりだ!」ということでこの名がつけられました。

さて、その人間の方のミー子ちゃん、偶然巡り会った師の元で2年間、振り向き特訓をするのですが、おしくもコンテスト、優勝を逃してしまいます。
順位はあれだけ苦労したのにも関わらず6位。
でも10位以内でしたので、その健闘が讃えられ鶏を1羽もらいました。

ミー子ちゃん、その1羽を元手に養鶏を始めます。
それが見事に大成功!
今では全国に百六十もの店舗を構える唐揚げチェーン「鶴吉」を経営する女社長です。

投稿者 azisaka : 07:28

今日の絵(その19)

2012年03月08日

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さて、彼は何者でしょう?

01)君がこれより1年と3ヶ月後、近くの公園で偶然に出会い、人生の進むべき道をきっぱりと指し示してくれることになるであろうかつてひとかどの人物だった人。
02)学校へ行く道すがらバス停脇のベンチに腰掛けてたのを小3の時、ちらっと見て以来、なんでかずっと瞼の裏に焼き付いて決して離れない人。
03)~博士とか、~教授みたいな風貌をしてるけど、実は現役の長距離ランナー。
04)穴のない笛を吹きながらカルメンを踊る少し変わったフラメンコダンサー。
05)千人乗りの大きな葉巻型飛行船をつまんで、指で弄ぶ大巨人。
06)ひじきを固めて作った眼鏡の愛好者。
07)野菜が嫌いで、鯵のにぎり寿司の上にぱらっと乗ってる刻みネギでさえ避けて食べるほどなのに、肌がとってもきれいな人。
08)ピノキオの鼻に安いミルクチョコレートを塗りたくった上に、ドクロのシールを貼っ付けて、指でひねくりまわしていたぶるなかなか悪い人。
09)「ん、君何かぼくに用かね?」「用がないんだったらほっといてくれないかい」って1日30回くらい言う、けっこういそがしい人。
10)数週間前、「うるさいわね、もうやめてよ!」と持ってた柄杓で叩かれ額に深い傷を負ったばかりなのに、また性懲りもなく己が手作りのカンガルー革巻き特製握り手の綿棒で妻の耳掃除をしようとしてた耳かき職人見習いが、帰省中の娘にその行いをきびしく批難され、悲しくなっちゃってちょっと涙眼になったところ。

そんな彼が好きなのはこんな曲!
ECD「東京っていい街だなぁ」

ずいぶんと前ベルギー住んでた時、友人から送ってもらったCDに入ってた曲。
そん時はおそらくそんな心の状態だったんだろうけど、最後の「そんなことないって言ってくれよーっ!」ってとこで、目頭が熱くなっちまった。

オノ・ヨーコの個展に行って、天井へとのびる階段を3分の2くらい上ったジョン・レノンの心に宿る希望の感じ。
(って、意味わからんし!)

投稿者 azisaka : 21:32

なまり

2012年03月06日

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先日、詩を書いてる友人が「これいいよーっ」と、気仙地方の言葉に翻訳された聖書とその朗読CDのことを話してくれた。
彼女が最初取り寄せようとして気仙沼の出版元に電話すると、「津波に浸かって外箱がぼろぼろですけどいいですか?」って言われたそうだ。

届いてみるとたしかにそうで、九州に暮らす彼女にとってはそれがはじめて、この震災の唯一具体的な手触りだった。

朗読は、こんな感じだ。
山浦玄嗣「放蕩息子のはなし」

で、これを聞いてたら、自分のばあちゃんのこと思い出した。

ある年のお盆のときのこと、親戚が集まり座卓を囲んで飲み食いをしていた。
座卓は人の数に比べて少なく、けっこうぎゅぎゅうだった。

飲んでると、上座に座ってたばあちゃんがふいに皆に向かって言った。
「切なっかろう,,,すまんなぁ...」

「は?」
「ばあちゃん、何のこと言ってんだろう?」ときょとんとしてしまった。
「何年もむかしに逝っちゃったじいちゃんのこと思い出してるのかな...」
すると隣に座ってた母が、ここら辺りでは人の距離でも心でも、”ぎゅうっと締めつけられる”ような状態はすべからく「切ない」というのだと説明してくれた。
例えば「このセーター、洗って縮んで首のとこが切なくなった」とか「電車が混んでて切ない」っていうふうに使うのだそうだ。

そうはいっても、こんな美しい言い回し、母の口から聞いたことはない。
母は理解はできるが自ら使うことはない。

この「切ない」は祖母の世代までで終わってしまった。

祖母の「切なっかろう」は標準語の「窮屈でしょう」とも英語の「small」とも違う。
その言葉には彼女自らの生活が反映されていて、耳にすると、言葉とともに彼女固有の生命の調べみたいなものも聞こえる。

このばあちゃんは随分前に亡くなった。
学生だったぼくは、英語なんて勉強する暇あったらばあちゃんに、彼女の身に付いたその言葉(己が祖先の話し言葉)を習うべきだったと今はつくづく思う。
それ習ったとて、生きてく上でとりたてて役に立つわけではむろんない。
しかし、生きることそれ自体の養分、肥やしみたいなものになったように思える。

そりゃあ、今の世の中、英語うまく話せた方が得で、右から左へもの動かすには便利だ。
けど、その動かす”もの”を生み出すのには、あるいは、生き生きと動くその力を養うには、その人固有の「訛り」みたいなもんがとっても大切なような気がする。

「って、なんばそがん偉そうに言いよっと、そりゃあ、あんたが英語へたっぴいで、そん上、絵描きとか変なか仕事ばしよるけんたいね!」
「まあ、そりゃ、そうばってんさ...」


投稿者 azisaka : 00:07

今日の絵(その18)

2012年03月03日

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お金持ちの白人ばっか住んでるその地区の目抜き通り沿いにあるドーナッツ屋さんでうっすいコーヒー飲みながら、エクアドルの家族ひとりひとりにメール書いてたら、「隣に座ってもいいかな?」って聞く声がしたので振り向くと、あたしみたいに浅黒い肌の色した東洋人がにっこり笑って立ってんの。

店の中見渡すと、まあたしかに席はあたしの隣しか空いてないんで、「ええ、いいわよ、どうそ」って言って、またメールの続き書き始めたんだけど、そいつったら隣に座ったのはいいんだけど首こっちにかしげてあたしのことじっと見てんのよね。

右のうなじんとこに視線を強く感じてさ、なんかぞぞっとしちゃったんで「なんでじろじろ見てんのよ」って言ってやったわ。
そうしたらそいつ、自分で見てたのまったく意識してなかったみたいできょとんとしちゃってさ、はにかみながら「ごめん、だってここら辺、君みたいなタイプのひとあんましいないから...」って言うじゃない。

「だって、あたしここの人間じゃないから」って、思いっきりぶっきらぼうに言ってやったんだ。
だけど、そいつったら「あー、おれもここの人間じゃないんだーっ」って大げさな身振りでやたら嬉しそうに言うの。

まあ、でも、その時のしぐさや表情ってのがなんというか、とっても自然だし、あったかくて悪い感じじゃなかったのよね...

それで、メール書くのいったんやめにして、いっしょにおしゃべりし始めたの。

30分くらい、2人がこのドーナッツ屋にたどり着くまでのいきさつや何やかんやいろんなこと話したわ。
そしたら、いつの間にやらどちらからともなく「車さえあったら、ふたりで一緒にもっとずっと西の方へ行くんだけどなあ...」って言い始めたの...
「はーあ」っていっしょにため息ついて...ふと外のパーキング見たら窓開けっ放しのピックアップトラックが一台。

あたしたちそれ盗んで、一番近くの海へ行ったわ。
ひと泳ぎして、疲れちゃんたんで車のシートで昼寝して、目が覚めて、あ、そうだ、「あたしけっこう楽しくやってます」って写真とって家族のみんなに送ろう、ってそう思ったの。

思いついたら早速やんなきゃって、まだすやすや寝てたそいつを揺り起こして、アイフォン構えて写真を撮ったんだけど、その時の様子をアジサカさんが想像して描いたってのが、今回の絵ってわけなのよね。

で、言い遅れちゃったけど、あたしの名前はパッツィ。エクアドル人よ。
彼はタイ人で名前はトゥアン。
そしてあたしら盗んだトラックの持ち主はホークスって名前みたい。
免許証の写しがダッシュボードん中に入ってたの。
写真で見る限り、温和でやさしそうな感じね...

って、パッツィは言ってるけど、ところがどっこい、そのホークスさん、南部諸州に名を馳せるきわめて凶暴なピックアップトラック乗りの集団、ファイヤーエンジェルドラゴンのボスだったんだからたまらない。
560台ものトラック軍団に追われ彼らは全米中を逃げ回り(その間、当然のごとく二人は恋仲になり)、果てはメキシコ、パナマ、コロンビアを経て、エクアドルへ。

エクアドルでは、そこに太古の昔より綿々と固有の武術を受け継ぐ山の民(パッツィはむろん長老の孫)とファイアーエンジェルドラゴンの熾烈な戦いが繰り広げられることになろうとは、この時ふたりは知る由もありません。
トゥアンの頭の中は「ちぃいっ、眠てー」だし、
パッツィの頭の中は「あさってになったら、こいつに胸だけ触らせたげてもいいかな...」です。

今回の映像
Apichatpong Weerasethakul「Mobile Men 」

トラックの荷台に乗ってる二人の若者、じつはトゥアン君の幼なじみです(笑)

というか、なんちゅう生々しさ!
この監督以外にこんな風に撮れんっちゃんねー。

10年くらい前、パリの映画館でたまたま「ブリスフリー・ユアーズ」っていう映画を見た。
「なんじゃこりゃーっ、すっげーっ」っておったまげ、こんな変な映画、日本じゃそうそう見れんやろうと、しばらくして出たフランス語版のDVDを買った。
以来ひそかに友達とかに貸して見てもらってたんだけど、この監督、アピチャートポン・ウィーラセータクン、なんと一昨年、カンヌでパルム・ドールとっちゃったのでびっくりした。

彼の映画見てると、視覚や聴覚以外の感覚が呼び覚まされ震わされる、つまり臭いだとか湿り気なんかが画面から立ちのぼり見てるひとの身体全体を包む。
なにやら、ざわざわ奇妙な感じなんだけど、いつのまにやらタイの深いジャングルの中、薮の中に寝転んでるみたい。
わけがわかんないまんま、ゆらゆら夢見心地...すてきな気分。

投稿者 azisaka : 22:50