« 2012年04月 | メイン | 2012年06月 »
今日の絵(その39)
2012年05月31日
ジャラジャラジャララン....というフラメンコギターにのってこんな歌が...
♪ああ~ここはバルセロナ~ロマンの国カタルーニャの都~
あたいはここの場末の踊り子~毎夜毎夜舞いを舞うよ~
そんなあたいに見とれちゃだめさ~惚れたりなんてしちゃいけないよ~
なぜならほんとはね~ほんとはあたい踊り子じゃないのさ~
なんならあんた~ためしにあたいの部屋へ来てごらん~
そうしてあたいを口説いてごらん~
くるくるカールの髪の中~きらり輝く一条の光~
それはいったい何でしょう?~
あなたはきっとわからない~いつまでたっても知りはしない
だって~だって~あたいがうなじに手を伸ばし~
それをそっとつまんだとき~
あなたの命は絶えるから~
あはーんあはーん~ルルルラララ~
ああーんあはーん~ルルルラララ~
それは〜それは〜金の毒針~
ロマンチックでしょう?~
あんたの脳天に突き刺さる~♪
と、こんな意味不明わけのわからんテーマ曲にのって登場し
今しも毒針に手をかけようとしてるステファニーさんが今回の絵のモデルです。
(今回の曲)
Anna Calvi「Rider to the Sea」
そんなステファニーが最近好きで聞いてるのが、ブライアン・イーノが「パティ・スミス以来の大物」と絶賛したAnna Calviさん。
うおおおーっ、ギター...
投稿者 azisaka : 22:48
お知らせ
2012年05月28日
去年の夏、福岡は九州日仏学館にて展示をおこなった「自治区ドクロディア」の画像をサイトにアップしました。
トップページの自治区ドクロディアのところをクリックするとばばんと見ることができます。
最後らへん、眼がチカチカします。
投稿者 azisaka : 06:25
今日の絵(その38)
2012年05月26日
今回登場は九州の北方、玄界灘にある対馬島は厳原町曲で海女をやってる宮本常代さんです。
「えーっ、海女っていうのに色、白いじゃん!」
とつっこみたくなるお気持ち、わからないじゃあありませんが常代ちゃん、いくら陽にあたっても潮風に吹かれても焼けない体質なんです。
そんな美白が悩みの常代ちゃん(だって海女は海女らしく褐色がかっこいいですから)が今の仕事をするようになったきっかけですが、父方のおばあちゃんが島ではもう少なくなってしまった海女の仕事をしていたからです。
おあばあちゃんはなんと齢八十を過ぎてもヘコ(褌のこと)ひとつで海にもぐってアワビやサザエ、テングサやワカメをとっていて、幼い常代はその野性的な美しさに心はげしく打たれ、魅了されてしまいます。
それで、小学校に上がる前からおばあちゃんにくっついて磯へ行くようになり、だんだんと自らも海へ潜るようになっていったのでした。
そんな彼女の行動を福岡の市内からこの島に嫁に来た母親はあんまし心良くは思いませんでした。
それで何とか常代の海へと向かう心を他に逸らそうと、ピアノだとかお絵描きだとかを習わせようとするのですが、みな無駄骨に終ってしまいます。
学校が終わるやいなや、少々肌寒い日でも真冬以外はおばあちゃんといっしょに海の中、魚みたいな常代です。
さて中学に入ったばかり、庭の牡丹の花が咲き始めの頃、いつものようにおばあちゃんとふたり並んでスタスタと磯の方へ向かっていました。
すると海岸線に出た辺りで「ありゃあー」とおばあちゃんが素っ頓狂な声をあげて立ち止まりました。
常代が振り向くと、ゴロンと土の上に寝っころがるおばあちゃん。
お迎えが来たのです。
常代はおばあちゃんを担いでいつもの岩場へ行くと彼女を横たえました。
そうして、しばらくぼおっとしていました。
30分くらいそうした後、携帯を取り出し役場ではたらいてるお父さんに電話しました。
その日から以降、中三になる現在まで独りで海に潜っています。
ほんとうはおばあちゃんみたい、ヘコひとつで颯爽と飛び込みたいのですが、胸が膨らみ始めてきたころ、それだけはやめてほしいと母さんに泣きつかれたので、今は純白の磯シャツに腰巻き姿です。
常代は海で仕事をしていると、いろんなことを感じてこころがいっぱいいっぱいになります。
なんだか苦しいので外に出したほうがいいんじゃないかと思って、ノートに感じたことを書きはじめました。
たいていその日が終わり、お布団にはいってから書きます。
書いてると溜まってたものが外に出てすっきりしましたし、続けてるうち、ことばをさがすのが、貝や海藻さがすみたい、とっても楽しくなってきました。
ところが、それを母さんに見つかってしまいます。
大学で文学を専攻してたという読書が趣味の彼女、それを読んだとたん常代の天賦の才にびっくり仰天してしまいます。
そこには未だ彼女が読んだことがないような文章ー清らかで美しく、なおかつたくましくて大らかーな、詩としか呼びようのないようなことばが幾重にも並べられていたのでした。
彼女はこっそりそのノートを持ち出しコピーをとって、担任の宝亀先生に見てもらいます。
宝亀先生もたいそう驚き、感動するとともに、矢も盾もたまらず、ちょうどその時学校に募集が来ていた全国学生詩のコンクールに応募してしまいます。
数週間後、見事ぶっちぎりでグランプリ。
島の高校にとりあえず通いながら、それが天職だと信じる海女の仕事を死ぬまで続けて行こうと思ってる常代を、周りのものがよってたかって説得しはじめます。
「ここを出て、福岡の有名高校に行って本格的に文学の道を志すんだ」
「島の世界は閉じてて狭い、もっと広い世の中に出てたくさんの人に会い、いろんなことを学ばなくてはならない」
「今どき、海女なんて...」
そんなある日、とうとう、母親と言い争いになって家を飛び出してしまいました。
浜辺まで駆けてゆき、その場にすとんとしゃがみこむ14歳。
「おばあちゃん...」
思わず、口に出してそうつぶやきます。
とそんな感じの絵です、今回は。
投稿者 azisaka : 09:02
靴みがき
2012年05月23日
フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキがフランスで撮った「ル・アーヴルの靴みがき」という映画を見に行った。
客席で見ていたら、スクリーンの中の人物がやおらこちらの方を振り向き、名指しで「こうじ、ぼさっと見とらんで、こっちへ来て俺らに手を貸せよ」と言い出しそうだった。
そう云われても驚かないし、ごく自然に「おお、すまん、すぐ行く!」と答えて立ち上がってしまいそうな感じだった。
つまり、それほどまでに登場人物が、”まるで目の前に実際にいる”かのように活動していたのだ。
映画の中、隣人の行動をはす向かいのちょっぴり高い場所から監視する男(ジャン=ピエール・レオ!)が登場するけど、まさしく彼になって、現実に目と鼻の先で繰り広げられる事の成り行きをじっと見ているかのような気分だった。
こんな風に、登場人物のそれぞれに確固とした存在感がある新作映画っていうのはほんとうにひさしぶりだ。
なにしろ”顔”がいい。
俳優然とした、チンケで、作ったような、そんな薄っぺらな顔なんてのがひとつも出てこない。
靴磨きはまぎれもなく靴磨きの顔だし、食料品店のおやじはほんとうにそれが生業みたいだ。
人間だけではない、犬も車も黄色い花も赤い花も、ブリキ缶もブラシもオリーブも、出てくる”もの”すべてがみなすばらしい顔つきで、生き生きとしている。
それぞれが「さあ見てくれ、おれはここにいるぞ、存在しているぞ」と云っている。
このようなものたちが、無駄なくさっさと会話し行動する。
「説明するのは下衆だ」とは小津安二郎のことばだが、カウリスマキは敬愛するこの先達にしっかりと従っている。
映画の中で重要な、ヒロインが死に至るであろう病気の名前さえ明かされないし、ひとが自分の行動の動機を語る場面なんてものもいっさいない。
話しに”隙間”がたくさんあるので、観客はその隙間を埋めるべく自分で勝手に想像するしかない。
したがって、見る人によってはそれが下町の人情ドラマになるだろうし、あるいは移民の問題を扱うよりシリアスなものにも、または夫婦の絆を謳う恋愛映画にもなる。
つまり、「あんたは自分で立派に料理ができる。おれはできるだけ新鮮でいきいきとした素材を差し出すだけだ。」という風に料理人(観客)を信頼してくれているのが心地いい。
「おれがうまい料理作るから(事細かに説明してあげるから)、おまえはただだまって食べれてれば(見てれば)いい」っていう映画がいっぱいあるけれど、そんな映画見てもたいていはうまくないし、よしんば良かったとしても、腹(心)はいちおうその時だけ満たされはするが、心それ自体がなにがしか変化するということはない。
映画館を出たならば、世界がほんの少し違って見える、というような作品はめったにない。
ともかくこの映画、登場人物の気持ちや思いを語る場面なんてのがないので、ひとびとの心は、すべて個々の具体的な行動によってあらわされる。
事に当たってあれこれと思い悩んだりせず、何かあったら即座にそれに応じる。
電光石火の行動だ。
しかもその行動が、規則だとか思想だとか右とか左とか、そんな他所から当てがわれたようなものに、まったくもって従っていない。
従うといえばただ、ことばになる以前の自分の感覚だけだ。
人が決めた法の番人である警察官でさえが、逮捕すべき少年のその”顔”、つまりその存在に向き合ったとたん、彼を見逃すことを誰にも何にも拠らず自らの意思(というか直感)で決める。
登場人物の中、具体的なものごとでなく、思想のようなものを語るのはただ、靴を磨いてもらっている教会の神父たちだけだ。
ルカだとかマタイだとか神様についてあれやこれや話すその神父らは、天上は見ているが靴磨きのように足下は見てはいない。
靴を磨き、パンを売り、魚を獲り、日常のどうでもいい四方山話を飲んで話す巷の連中、低俗な彼らの方が、神父たちより神々しく見える。
その最たるものが、遠い北の国出身の靴磨きの妻で、そのたたずまいはまるで聖母マリアか観音様のごとくだ。
たどたどしいフランス語で紡ぐそのことばひとつひとつが、単純で確かで、まるで天上からこぼれてくるみたい。信じるに値する。
さて、ベルギー住んでた頃、フランス語の語学学校で教師をしている友人がいた。
長年、いろんな国の人に関わってる彼女に聞いて「ほお」と思ったのは、「日本人とフィンランド人は、性質が良く似ている」というものだった。
礼儀ただしさや謙虚で控えめなところなんかが共通していて、たとえば授業中(まあもちろん個人差ってものはあるけど)、他の国のひとが先を争うようにして意見や質問をなげかける時も、なぜかこのふたつの国の人は静かに黙ってるそうである。
あるいは、自国のものをなにかプレゼントする際にしたって、他が「これ、すごくうまいんすよー!」というところを「つまらないものですけど...」といった風に差し出すのだそうだ。
でもって、こんな共通性はどこから来るのかといえば、彼女の分析によるとそれは、郷土の地形が為せる業なのだそうだ。
つまり、日本は海、フィンランドは無数の湖に陸地が制限され、どちらも”水際”に暮らさざるを得ず、それが国民性みたいなものに強く影響を与えているに違いないという。
本当のとこはどうなのかわからないけど、それはさておき、フィンランド人である監督が撮ったこの映画に登場するフランス北部の港町の人間は、フランス人っていうよりか、むかしの日本人(映画や書物でしか会ったことないけど...)みたいだった。
だって不治の病を告げられた時、フランス女だったら「何とかしなさいよあんた!」って、医者につかみかかるだろうし、あるいは旦那の胸に大げさに泣き崩れるだろう。(まあもちろん個人差ってものはあるだろうけど)
しかし、この映画のヒロインは感情を表に出すことをせず「そうですか...主人には告げないでください」と云うのみだ。
そんな、己が運命を淡々と黙って受け入れるという振るまい方が、とても”日本的”に感じられた。
カズオ・イシグロが慈しみ、その小説で好んで描くところの人物の有様を思い出させるようだった。
さて、この映画の中、もっとも好きな場面は、黒人の少年が靴磨きの男から言付かったワンピースをその病床にある婦人に届けるところだ。
少年は初対面の婦人に、背筋をしゃんと伸ばし、相手の顔をまっすぐに見、礼儀正しくきちんとあいさつをする。
婦人は、「なんであんたが彼の代わりに?」「あなたはだれ?」「どっから来たの?」などと聞いたりしない。
「ボンジュール、マダム」と告げるその告げ方で、この少年の人物、器量がわかったからだ。
あれこれと素性を聞く必要などない、あいさつを交わすだけで充分なのだ。
身なりや肌の色や年齢、ましてや肩書きなどは、人を信頼するうえでほとんど役に立たない。
見るべきは、その人のたたずまい、”顔”だ、とうことをこの二人(そしてその他の登場人物たち)が教えているかのようだった。
そう、まるで黒人の少年が渡世人の高倉健で、病床の婦人がそれが初対面のいっぱしの親分、嵐寛寿郎みたい。
任侠映画のような、とてもきっぱりとした場面で、見てる自分の背筋もしゃきんととなった。
しかし、それにしても、最近見た映画でもっとも”日本的”なものが、フィンランド人の手によるフランス映画だとは...
”日本的”な日本映画とる日本人って今いないんかなあ...
投稿者 azisaka : 10:09
今日の絵(その37)
2012年05月20日
「オリンピックで金メダルを必ずとれる素質を持ってるよ君は、うん。とにかく早いとこ家を出て私のジムの門下生になりなさい。ご両親は私が説得するから心配しなくていい。」と、レスナーと名乗る初対面の男に云われたニコライ君が今回初登場です。
ニコライ君はグルジア生まれ。叔父さんがアマチュアレスリングのチャンピョンだったのが縁で3歳の頃からレスリングを始めました。
8歳のとき訳あってメキシコに一家全員(父母、おばあちゃんに7人兄弟)で移住を余儀なくされるのですが、辿り着いたその地でも街にひとつだけあるジムに通い練習はかかさずに続けていました。
ある日、そのジムに元全米アマレス選手権優勝者の肩書きを持つ初老の男が尋ねてきます。
旅行の途中にたまたま立ち寄ったというその男、ニコライ君のとんでもない資質を見抜くと同時にまったく惚れ込んでしまいます。
「育てたい、この子を、俺の手で...金メダリストだ...」
レスナーさんはニコライ君をアメリカに連れ帰ろうと固く決意したのでした。
「おお、それはいい話しやん!食い扶持一人分減るし、きっと両親も賛成するに違いない。よかったなーっ、少年!」
と、読者の方は思うかもしれません。
しかし、そう簡単には問屋が卸しません。
なぜならニコライ君、メキシコに来て間もない頃、近所に住む一人暮らしの老人の好意でルチャリブレ(メキシカンスタイルのプロレスリング)の興行を見てしまったからです。
ギラギラと異彩を放つルチャドールたちのたたずまい。彼らが織りなす華麗な技の応酬。それに答える観客のすさまじい熱狂。
とりわけ悪玉をやっつける善玉マスクマンの、巨大なアリーナの隅々まで照らす、その神聖ともいえる輝きに、少年は文字通り眼がくらみ身体の芯の芯まで魅了されてしまったのでした。
「ぼくは将来、エストラージャ(ルチャリブレのトップスター)になるんだ!」
ニコライ少年は、そう固く決意します。
そんなわけなので、ニコライ君、オリンピックも金メダルもあんまし興味がないし、アメリカなんてこれっぽっちも行きたくありません。
学校にはナサリンっていう好きな女の子がいるし、この場所や住んでる人がとても気に入ってるし、このままここでルチャドールになるべく修練をつんで行きたい、と、ただひたすらそれだけを願っているのでした。
しかしレスナー、ニコライ君の両親の前に札束バタバタちらつかせます。
正直言って一家の暮らしはかなりしんどいです、それだけでも心揺さぶられるのに、その上、我が子の未来に金メダルの栄光が待っているやもしれないのです。
レスナーと両親、学校の先生にまでアメリカへ行く事を強く勧められるニコライ少年...
頼りになるのはルチャを見に連れていってくれた老人ただひとりです。
「おじいさんに相談してみよう...」
そう思って訪ねていったものの、肝心要な時にどこへいったやら、老人の姿が見えません。
「......」
途方に暮れた彼はそのまま街はずれの平原までいっきに駆けてゆくのでした。
そんな場面にかぶさるのがこんな曲。
Rodrigo y Gabriela「Tamacun」
投稿者 azisaka : 13:49
今日の絵(その36)
2012年05月17日
ドクロのマークでおなじみの高級下着ブランド”DOCLOLA”、そこで広報部長やってるヨーコ姉さんから「次のコレクションで発表のニューモデルよ。新開発の絹と綿とLyclaの合成繊維でできていて、今までにないそれは素敵なはき心地なの。この品質で日本製にもかかわらず5千円を切る税込み4800円!どう、すごいでしょう?ねえ、あんたはいてみてよ」と勧められ無理矢理高級パンツ着けさせられたノッコちゃん。
しかし、千円以上の下着なんてつけたことない彼女、「ひゃあ何でこんなものにそんな大金かけるんだろう...他人に見られるわけでもないのに、着心地だっていつもの綿100%の方がいい感じ...第一そんなお金あったら好きなバンドのライブふたつ見て、残ったお金は困ってる人にあげるのになぁ...」となんとなく憂鬱になってるところです。
(今回の曲)
Gotye「Somebody That I Used To Know」
Gotyeさんはベルギー人。
ベルギー人が全米チャート1位になるなんてそうめったにあるもんじゃないので、ラジオや地下鉄などベルギーのいたるところで今この曲が流されてるそう。
「いいかげん耳にこびりついてうんざりやー」ってベル友は言ってたけど、日本人のシンガーが全米チャートに入りでもしたらそれ以上の騒ぎっぷりやろうなぁ,,,
投稿者 azisaka : 06:01
今日の絵(その35)
2012年05月14日
「工場長の唄」
くれない色の空の下
機械が打ち出すリズムに乗って
今日も俺は踊るのさ
労働の踊り
ギュルンギュルン
ガタタタゴトト
ギュルンギュルン
ガタタタゴトト
青い空なんて見たことねぇ
いつだってそれは真っ赤に染まってる
工場の熱で燃えてるからさ
俺らの汗で燃えてるからさ
ギュルンギュルン
ガタタタゴトト
ギュルンギュルン
ガタタタゴトト
熱くたぎる鋼の帝国
俺はそこの踊る王
そう、おれは工場長〜♪
と、そんな歌うたいながら今回登場は、マリリン鉄鋼の工場長、
茜銑三さんです。
そいでもって、歌に出てくる踊りっていうのは、こんな踊りです。
投稿者 azisaka : 06:38
今日の絵(その34)
2012年05月11日
「トッコちゃん、ごめん、母さん急いであと6枚ワンピース縫い上げなくちゃならなくなっちゃった。お得意さんからの注文なのでどうしても断れないの...だから明日はひとりでおばあちゃんちに行ってね」
と縫子やってる母さんに云われ初めて付き添いなしで特急電車に乗ることになったトッコちゃん。
隣の席には髪の毛がテカテカ光って変な臭い(母さんがポマードっていう男の化粧品だと言ってた)のする、大きな中年のおじさん。
しかもキツネ色の三つ揃いなんか着て、あちこちすり切れたねずみ色の大きな革の鞄を抱えてる。
挨拶しても知らん顔だし、ぶつぶつ独り言ってるし、とっても怪しい...
ガタンゴトンと電車が走り出すなり、トッコは不安になる。
それで父さんがいつかフィンランドから持って帰ってきてくれた森の精霊のお守りを手にぎゅっと握りしめた。
「こんな時は、楽しいこと考えよう。えっと、そうだ、おばあちゃんちのミー介のことがいい。あと一時間半くらいで会えるのよ。私のこと憶えてくれてるかしら...すぐに機嫌良く撫でさせてくれるかなあ...白くまアイス一緒に食べたいなぁ...」
と、そんな風にミー介のこと考えてたらトッコちゃん不安な気持ちはどこへやら、すっかり心和らいで、ぐーすか眠ってしまいます。
(昨夜は興奮してなかなか眠れなかった)
しばらくして目が覚めると、傍らにポマード男はおらず、代わりにおかっぱ頭で、痩せて肌が見たことないくらい白い女の人が座ってました。
「お嬢さんお目覚め?スヤスヤよく眠ってたわね...ところでどこまで行くの?」
トッコがまだしっかり開かぬ眼をこすりながら行き先を告げると、
「あら、その駅だったらもうとうに過ぎたわよ」
ががががーん!!!
しかも、のけぞった拍子に見上げるとなんと荷物棚に置いといた黄色いリュックが消えている。
「やはりあのポマード男は盗っ人野郎だったかーっ!」
「あわわわ、わたしどうしよう...」
と、こんな具合にトッコ10歳、その長い夏休みが始まったのでした。
(今回の曲)
早川義夫+佐久間正英+HONZI 「猫のミータン」
ジャックスと四人囃子とフィッシュマンズの合体技、うう...
投稿者 azisaka : 08:26
今日の絵(その33)
2012年05月08日
今回はドクローズ団の中でも異彩を放つ”港町影の五人衆”の方々に登場していただきました。
向かって左から、ベルギー王室の血筋を引くレース編みが得意なベアトリスさん。
薪探しと読書とコサックダンスが趣味の二宮キン子さん。
小型潜水艦をうまく使って鰯や鯵を獲るサブ真鱗さん。
海辺のゴミを集めていろんなものを作り出すトチローさん。
齢八十を超えてなお海にもぐって生計をたてているジョニー翁。
さて、ひさしぶりに集まった五人、今から海の神様に奉納するため一斉に踊りはじめます。
どんな踊りかというと、こんなやつです。
どんなに激しく踊ろうと決して舞い上がったりせず、常に足が地に着いてるのがいいですよね。
投稿者 azisaka : 07:25
今日の絵(その32)
2012年05月05日
南へと向かう高速道路のサービスエリア。
ハネムーン途中のルル子さん。
「のど乾いたね、抹茶アイス買ってくるよ」と言い残し車を出て行った新郎が、もう一時間半も経つというのに戻ってきません。
最初は「何か事故でも起こったのかしら...」と心配してた彼女も、だんだんと、「新妻のことほったらかしにして...」と、腹が立ってきました。
それで、「あんなやつほっといて独りで行っちゃおう」と思い運転席の方に移ったのですが、エンジンをかけようとしたまさにその時、その視界の端っこにアイス両手に走ってくる彼の姿が...
「ふうーっ、何だかなあ...これから先、あたしたちって...」
としなだれながらも、なんとなく幸せ感じてるルル子さん。
投稿者 azisaka : 06:29
今日の絵(その31)
2012年05月01日
「しゅ、主任!」
「お、おれはもう、だめだ...」
「な、何言ってんですか!こんなことでくだばっちゃあダメですよ!」
「お、おれの読書室の...テ、テーブル...」
「テーブル?テーブルがどうしたんですか!?」
「テ、テーブルの横に黒い隠しボタンがある...」
「は、はい」
「い、いざとなったら、そ、そのボタンを押すんだ...」
「は、はいっ」
「そうしたら...」
「そうしたら?」
「げほげほ、うううう........」
「しゅ、しゅにぃいいいいん!!」
さて、今回の絵に登場は、息絶える直前、あこがれの主任さんから秘密のボタンの存在を明かされけっこう困惑しているエミリアさんです。
いったいぜんたい、このボタンを押すと何がどうなるというんでしょう?
01)黒いボタンを押すと何が起こるかがわかる。
02)死んだ主任が生き返る。
03)「そこ、勝手に押すなよな」とテーブルに怒られる。
04)ボタンに見せかけたただの飾りだったことが知れてがっくり。
05)天井に仕掛けられたバケツがひっくり返り、あわれエミリアずぶ濡れに。
06)椅子の下の床が抜け、なんとエミリア地下室に真っさかさま。
07)またたくまにテーブルが折り畳まれて片手で持ち運べるサイズになる。
08)400馬力のかっとびマシンでいかしたアイツが駆けつける。
09)主任さんの母親が田舎からみかん抱えてやってくる。
10)金木犀の香りたちこめ、ボタンのことで思い悩みすっかり疲れて果ててしまった心をなぐさめてくれる。
(答え)
こんな曲がかかる。
For A Minor Reflection 「Converge」
投稿者 azisaka : 08:07