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冬個展のお知らせ

2013年01月30日

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「今度、わたしカフェ、始めるの...」
「おー、いいねーっ、コーヒー飲みに行くけん」
「ううん、コーヒーというよりお抹茶。あんみつとかぜんざいなんか出すの...」
「おー、和風喫茶かー、渋いやん」
「うん、でもねむかしながらの甘味所みたいな感じじゃないの。なんというかさあ、うまく言えんけど、いっぺん外国人の目を通して見た”和”の感じの店にしたいの」
「うーん、日本に長く暮らしたフランス人が帰国してパリに開くような和風カフェ?」
「まあ、そんな感じかな」
「それでね、お店の壁をギャラリースペースにしていろんな人の作品を展示していこうと思ってるの」
「おー、いい考えやねーっ」
「それでさ、こーちゃんにもやってほしいのよ」

という会話が去年の夏、ひさしぶりにあった友達との間でなされたんだけど、すっかり忘れていた。
開店祝いにも帰省してていけなくて不義理をしていたら、秋になって街へ出かけた時にふと思い出した。

で、行ってみたらとってもいい店だった。
高い天井に、抹茶色に塗られた壁、古道具をうまく使った内装...
なにより、出された食べものが手間かけて作られてておいしかった。

実は夏の個展が終ってしばらくして落ち着いたら、大きな絵の連作にはいる予定で、この場での個展は乗り気ではなかった。
けれど、クリームあんみつ食べながら抹茶色の壁を見てたら唐突にそこに飾る絵が浮かんできた。


と、いうわけでいきなりですが、2月1日、今週の金曜日から友達が去年の秋に始めた和風のカフェで個展をやることになりました。
抹茶に、ぜんざい、あんみつに白玉団子、みな手作りでとってもおいしいです。
今回展示販売するのは、この数ヶ月の間に描いた絵の中から「うん、これは和風っぽい」と感じた作品十数点です。
展示期間はなんと2ヶ月もあるので、2月と3月では展示作品を半分くらい変えるつもりです。

アジサカコウジ冬プチ個展「ラ・マッチャの女」
2月1日(金)〜3月31日(日)

「うめのま」
福岡県福岡市中央区渡辺通3-1-16アビターレエクセラ 1F
092-726-6119
10:00~21:00(不定休)

今回の曲
The Dø 「Slippery Slope」

勝手に「ラ・マッチャの女」のテーマソングだ!
フランスのインディ・ポップバンドで、和太鼓や尺八がかっちょいい。
映像もいかしてるぜっ!

投稿者 azisaka : 08:52

マンガ傑作選その41

2013年01月27日

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十数年前、熊本へ個展か何かしに行って、空いた時間にアーケードぷらぷらしてるときのこと。
いっしょに歩いてた友人がいきなり「あーっ!」と大声をあげた。
自販機の影にかわいい子猫でも見つけたんかいなと思って指差す方を見たら違ってて、そこには畳み縦に半分切ったくらいの看板がかかっていた。
着物屋さんのもので、和服を着た人物のイラストが描かれている。

「ねえ、ねえ、これ、こーちゃんの絵の、パクりやーん!」

ぱっと見たとき、「あ、自分の絵だ」と思ったけど、そんな仕事やった憶えないし、だいいち線や色や顔つきが微妙に異なっている。
縁日とか駄菓子屋さんでアニメや特撮ヒーローものの”バッタもん”をときどき目にすることがあるけど、なんかそんな感じで、一見同じように見えるんだけど妙に”安っぽい”。(べつに自分の絵が”高価”っていう意味じゃないっすよっ)
おそらくは当時、熊本のタウン誌の表紙を描く仕事やってたのでその影響だろう。

「ちょっと、これ盗作やけん、文句言いにいかんといけんよーっ!」
「え?」
「だって、あんたの絵、まねしとるやろー、そういうとこ、キッチリいっとかんと!」
「...」
「あのさあ、ほんとやったら、こーちゃんにお金払って描いてもらわんといかんのに、この人たちずるしとるっちゃけんね、それはいけんことやろう?」

と、言われても、困ってしまった。
なぜならその絵を見て感じたのは
「一生懸命にまねしたんだなあ、けなげだなあ」とか、「コピーしてくれて、ありがたいことだなあ」とか「ああ、おれもやっと人様にまねをしてもらうようになったか...」とかいった具合、どちらかというと心がほっこりするような気分だったからだ。

友達にそう告げると、「ふーん、そんなもんなん、あたし絵描かんけん、ようわからんっ」
といってすたすた歩き出した。


さて、「許可なく無断転載、複製を禁ず」だとか「ⓒアジサカコウジ」とかいったものを描いた絵の横っちょとかに付けられてしまうことがある。
気がついた時にははずしてもらう。
イラストやりはじめたときからずっとそうだ。

「はあ、アジサカさんはコピーライトについて独自の考えをもってらっしゃるんですね...」
と、いわれたりするけど、そんなたいそうなことは考えたことない。

「孔子だって”述べて作らず”って言ってるのに私ごときが..」.というのでもない。

ただ何となくやな感じがするからだ。
谷川俊太郎風にいうと”さわがしい”気分がするからだ。

それに他の人はどんなだかわかんないけど、絵なんてどっかからやってきて自分の身体通って手の先から出て、またどっかへ飛んで行くようなもんだ。
決して自分の中から生まれたようなものではない。
そんなものを、"おれ独自のものだ”と強くいうのはなんとなくお天道様に対して気が引けるし、それにもし”守る”としたらそんなふうに出て来た絵それ自体ではなくて、絵がひゅーっと通過しやすいような”身体の中のトンネル”の方だろうという気がする。

トンネル(でも筒でも管でもいいんだけど)が丈夫ででかければ、いくらでも絵はやってくる。(いい悪いはさておき)
”オリジナリティ”とかにこだわったり主張したりしてると、このトンネルが弱くて細くなってしまうような気がする。

身体=心=トンネルを、絵がゴーゴー音たてて流れて行くときの気分っていったらそりゃあ心地いいものだ。
「意識」ってもんがほとんどないので、まるで神様や霊魂に従う古代人か、それ以前の洞窟に絵描いてる原始人になったみたい。
お猿さんにきわめて近い(笑)

できることなら死ぬまでずっとそれを楽しみたいと思う。

モーツァルトだとかピカソだとか手塚治虫なんていう天才だったらば、さして苦もなく最初っから最後までずっと巨大で頑丈なトンネルを持つことできるだろう。
けれども、そうではない普通の人はトンネルを末永くいい状態にしておくようにはけっこう努力しなければならない。

一番大切なのは毎日トンネルを使うこと、つまり日々、絵を描くことだ。
その他、規則正しい生活をするとか、体力をつけるとか、偉そうにしないとか、必要以上に表にでないとか...

そんなことに気をつけていないと、普通の人のトンネルはすぐにか細くなっていってしまう。
そうしてそれに見合った”か細い絵”しか通らなくなってしまう。

投稿者 azisaka : 09:50

新・今日の絵(その14)

2013年01月25日

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今回さっそうと(と、いうにはちょっぴり切なそうだけど)登場は、ルル松ルル太です。
6年前から森の動物たちに請われ、雪の王子として働いています。
今着てるのは、王子仕事をやるときの労働着です。

でも、この労働着、見ての通り一風変わってます。
表は鹿革で中はムートンの毛皮張りなんですが、半袖で胸元も大きく開いてて、いったいこの服、暖かいのやら涼しいのやらわけがわかりません。

その上、実は写っていませんけど、下は真っ赤な短パンで、素足にビーサンを履いています。
それがこの仕事に携わる者のむかしっからの決められたいでたちなんだそうですが、この極寒の中いささか常識はずれです。

そこで質問してみました。

「あのう、こんなに立派な雪の中、そんな格好で、寒くはないですか?」
「ええ、大丈夫です。お心遣いありがとう」
「だって零下20度くらいですよ、ほんとに、大丈夫ですか?」
「ええ、もちろんですとも!なんてったってぼくは雪の王子ですから」


そう云うと、ルル太はすたすたと森の奥へ立ち去ったのでした...

(姿が見えなくなると同時にこの曲がかかる)

投稿者 azisaka : 20:51

マンガ傑作選その40

2013年01月23日

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パリ住んでた時は80年代後半で日本人はあぶく銭いっぱい持ってたので、ヴィトンのバッグを現地で買って日本へ送って手数料をもらうっていう仕事を何回かした。
日本人が何個も買ったりすると不信がられるので、時々フランス人の友達に頼んだ。

普通のフランスの若者がヴィトンのバッグなんて手にすることなんてめったにない。
その日一緒に連れ立って行った女の子(パリの大学で日本語習ってる)は、初めて間近で見る高級バッグのその値段の高さにびっくりしてしまった。
それでモノグラム柄のバッグひとつ手に取ると店員さんに「革じゃなくてプラスチックなのになんでこんなに高いの?」と聞いてしまった。(実際はプラスチックではなくキャンバス地に塩化ビニールかぶせたものなんだけど...)

そうしたらその男の店員、顔色ひとつ変えず真顔で答えた。
「たしかにプラスチックだが、私たちのは上等なプラスチックだ」

そんな彼らのやりとりを傍で見てて、ううむ、フランス人ってやっぱおもろいよなーと思った。

投稿者 azisaka : 08:47

マンガ傑作選その39

2013年01月22日

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さて、上記のマンガとまったく関係なくて恐縮なんですが、ここ数年で聞いた曲の中で一番、「ううー、こんちくしょう、悔しいけどいかしてるぜ」と思ったのは、すごく月並みで申し訳ないんですけど、この曲です。
ラジオとかから彼女の歌声流れてくると、まわりの風景がちょっとばかし変わるんですよね...

「ふんっ、これしきの曲でたじろいでるようじゃ、つまらんぜよ」

って言われたら、哀しい顔してうつむくより他ないんですけど...

投稿者 azisaka : 20:40

マンガ傑作選その38

2013年01月17日

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小学校の2年か3年の時、我が家にポータブルプレーヤーがやって来た。
何かの懸賞で当たったのか、人からもらったのか、それともちゃんとお金を出して買ったのかおぼえてないんだけど、学校から帰ると居間の隅っこ畳の上に、見たことないへんてこな白いプラスチックの機械が置いてあった。
3日ぐらいそのまま置いてあって、日曜になったら家族そろって町のレコード屋さんにレコードを買いに行った。

そのようなところへ行くのは初めてだったのでいささか緊張した。
最初のことなので、ぼくと妹が1枚、父と母が1枚、買うことになった。

子供らは「アマゾンライダーの主題歌」を買った。
♪大空に聞け~ 俺の名は~ アマゾンライダー ここにあり~♪
ってやつだ。
ここで歌ってもしょうがないんだけど...

そいでもって父と母はチェリッシュの「なのにあなたは京都へ行くの」を買った。
「てんとう虫のサンバ」で人気のあったグループのデビューシングルだ。

2ヶ月くらい、家にはその2枚のレコードしかなかった。
なので、何回も何回も「なのにあなたは京都へ行くの」を聞いた。

歌詞はいたってシンプルなのに、不思議な歌だ...

「なのにあなたは京都へ行くの」

私の髪に 口づけをして
「かわいいやつ」と 私に言った
なのにあなたは 京都へ行くの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも

静かによりそい やさしく見つめ
「愛する人」と 私を呼んだ
なのにあなたは 京都へ行くの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも

燃える腕で だきしめて
「永遠の愛」を 私に誓った
なのにあなたは 京都へ行くの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも
この私の 愛よりも

おそらくは、小2の時分に聞いたのこの歌の刻印がとても濃く深いものであったがためだろう。
それ以来、すっかり「なのにあなたは人間」にこころを強く引かれるようになった。

「なのにあなたはボクシングを続けるの」
「なのにあなたは会社に逆らうの」
「なのにあなたは酒を飲むの」
「なのにあなたは独りなの」
「なのにあなたは...」
なのに、なのに...

経験上、良くも悪くも”なのに度”が強い人ほど、その放つ光も強い。

こころの中に何をおいてでも行かざるをえない「京都」を抱えているような男、そういう男だけが女からほんとうに愛される資格があるのよ、と悦ちゃん(チェリッシュのボーカル)は歌っているみたいだ。


投稿者 azisaka : 09:35

今日の絵箱(その2)

2013年01月15日

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絵箱とは関係なくいきなりで申し訳ないんですけど...

林竹二って、名前からしてかっちょいい教育者がいる。
大学で教職課程とってたとき、「いい先生ってのはいったいどんな先生なんやろう」って思っていろんな本読んでる時に出会った。
読んでその話しを聞いてみるととってもよかったので、彼について手に入る限りの本を読んだ。

そいでもって、教育実習の時にはその影響を多大に受けた授業をやった。
ひとつのものごとについての疑問、その答え、その答えに対してまた疑問、また答え、また疑問...とどんどん続いて行くような授業だ。
「なんで?」、「ああそうか!」、「でもどうして?」、「おお、そんな訳か!」、といった具合に、子供と先生との間で「?」と「!」が、ばったばったと繰り返されるようなやつだ。

むろん、普段の授業だったら題材も気力も続かないだろうが、この時は一回かぎりの教員実習、懸命に準備して気合い入れて臨んだおかげで生徒の反応はすこぶるよく、なかなかの成功だった。

それで「よっしゃあ、やったぜ」と喜んでたら、担当の先生がやってきて「鰺坂くん、これ、自分で作ったんじゃないだろ?」といわれた。
なかなかショックだった。
ああ、教員試験に無事受かっても、こんな人と一緒に働くのか...と思い、前途に濃くて重たい霧がたちこめるようだった。

それから数年、いろんなことあって、教職には就かずにふらふら(きちんと)してたら、いつの間にやらなんでか絵描きになっていた。

3年くらい前、友人ら2人と連れ立って山口に旅行に行った。
連れの友達が当地在住の童話作家かなにかで、晩に合流して一緒に飲んだ。
飲んでたら、その童話書く女の人が「これ知ってる?」といって取り出したのが、林竹二の本だった。
彼の授業を受ける子供達の姿を撮った写真集だ。

「誰、この授業やってるおっさん?」
「うわあ、すごいねー、この子供らの表情!」

意外なことに連れの2人は、自分より年長でいろんなものに造詣が深いのにもかかわらず林竹二のことを全く知らなかった。
驚いたのは、そのうちの一人が30年以上学校教育に携わっている小学校の校長先生であったことだ。
先生になるような人はみんな林竹二を通過するんもんだとばかり思ってた...
絵描きのぼくがやたらくわしく知ってたので童話作家のひとがびっくらこいていた。

彼の本、ほとんどは引っ越しを繰り返すうちどこかへ行ってしまったが、「学ぶこと変わること」、そして「授業の中のこどもたち」、これら2冊は手元に残っている。

「あらー、アジサカさん、あんた学校の先生でもないのに何でそんな本、後生大事に持ってるん?」
というと、ふふふ、それはですねっ!

この2つの本に載ってる子供らの写真、その表情が正直でたとえようもなく美しいからだ。
おそらくは林先生の人柄とその授業の内容がそうさせるのであろうが、ここでは他ではけっして見ることができないような子供らのたたずまいがたくさん記録されている。

「けっ、なんやーこのじじいは...」とふてくされながら聞いていたパンチパーマのヤンキーの顔が、授業が進むにつれ自分の内面に向き合い仏様ような顔に変化する。
肘ついて斜にかまえてた”問題児”の少年が、時間が経つにつれ集中し前のめりになる、目を凝らし一言一句もらすまいと耳をそばだてる。

なんちゅう、いい顔やー!
そんなわけで、これらの写真はアウグスト・ザンダーやダイアン・アーバスが撮ったポートレート同様、ひとの顔を描く時の大切な目安のひとつとなっている。

大学時代、苦労してとった教職課程も決して無駄ではなかったということだ。

投稿者 azisaka : 09:08

マンガ傑作選その37

2013年01月14日

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投稿者 azisaka : 10:15

今日の絵箱(その1)

2013年01月11日

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寒くなってくると野良仕事ができないので、囲炉裏端で農具の手入れしたり着物繕ったり、干しものにするための柿や大根の皮剥いたり、そんな風に座って身体丸め、小さくなってするような仕事が増える。
というのが、自分の祖先の冬の暮らしぶりだったのでそれが体内に受け継がれてるからだと勝手に想像するんだけど、木枯らし吹くようになると、ちょこんと座り背中丸めてやるような細々とした作業が無性にやりたくなる。
正月に餅が食べたくなるのと同じだ。
というわけで、また絵箱を作りはじめた。
そのいっとう初めが上のやつで、なんでか老人と海とカナリア。
内側は真っ赤で、この老いた鯨獲りのいまだに燃え盛る闘争本能を表現しています。
(何気なく塗った後で思いついたんだけど...)

桃の花が咲く頃には20個くらい仕上がるだろうから、そしたら絵箱展をひらくつもりです。

投稿者 azisaka : 06:06

マンガ傑作選その36

2013年01月10日

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年がら年中、冷蔵庫には豆乳が入ってて、他の人がコーラやスポーツ飲料水飲んでる時も豆乳を飲む。
知らない人からはちょっと奇妙な顔されるけど、健康にいいとか何とかはさて置き、とにかく好きだからだ。
味噌も醤油も、豆腐も納豆もきな粉もおからもモヤシもみんな大豆からできてて、大豆はなんてったってすごい。
先日、筑後川沿いをサイクリングしてたら一面の大豆畑に出くわしたんだけど、積年の感謝の念が湧いて出て、思わず手を合わせ拝んでしまった。

投稿者 azisaka : 08:36

新・今日の絵(その13)

2013年01月08日

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リョオコは22歳、新進の若手のデザイナーのみを取り扱うセレクトショップの店長をやってます。
今日はアントウェルペン王立芸術学院を去年主席で卒業したヴェトナム人の男の子、
彼がデザインしたスカジャンをさっそうと羽織っています。
首に巻いた真っ赤なリボンがおしゃれさんの証ですよね。

「あのう...こんな森の中でなにしてるんですか?」
ちょっと休憩してるの
「え?休憩?」
ええ、私ここでお店をやってるのよ。今はお昼休み。
「でも、こんなとこ、お客さんなんてこないでしょう?」
それが、来るんですよね...リスやうさぎやキツネとか...
「えーっ、そんなぁ、森の動物に人間の服が着れるわけないでしょう?」
ははっ、もちろんそうですよー、うちの店に来る時はみんな人の姿に変身してやって来ます。
「なんだぁ、そうか...」
うふふ...でも、そういうあなたも、人間ではないでしょう?
「え?あ、気付いてましたか...」

今回の曲
Agnes Obel「Riverside」

投稿者 azisaka : 08:46

マンガ傑作選その35

2013年01月07日

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前回に引きつづき着ぐるみシリーズです。

投稿者 azisaka : 07:53

マンガ傑作選その34

2013年01月06日

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このおじさんは若者の不正に憤り、自ら望んで”うさちゃん”としての演技を中断し、公衆に素(す)を晒すことをしていますが、不意の出来事で意に反して素を晒さざるを得ない、そんなしんどい時だって人にはあります。

以下はその例
激痛!ゲキレンジャー

投稿者 azisaka : 09:03

マンガ傑作選その33

2013年01月04日

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”その時”にちゃんと気がつかないとだめですよねっ!

さて去年の暮れ、友達(仲間内では”姉御”と呼ばれてる装丁家)から電話があった。
「ねえ、あんた福島菊治郎って知っとる?」」
「あー、なんか聞いたことあるような...」
「なんねー、知らんとねー、今、写真展あっとるけん、ぜひ見に行きいよ」
「あ、は、はい、行きます」
と、いって見に行った写真展はとてもよくって強く心を打たれた。
以前雑誌なんかで見たことある写真がいくつかあったけど、写真家のことはぜーんぜん気にしたことがなかった。
あいかわらずの世間知らず、迂闊のうっちゃんで、遅まきながらそこに置いてあった彼の著作を買って帰った。

ここ5、6年、年末年始は実家へ帰省し両親と静かに過ごす。
この時ばかりは絵は休み、親の買い物につき合ったり日頃見ないテレビ見たり、裏山走ったりする。(プール休みで泳げないので)

それ以外はひたすら本を読む。
去年はなんでか、リルケの小説やセザンヌの書簡集、ブラッサイがピカソについて綴ったものなどヨーロッパ近代のはなしが多かった。
一昨年はというと「ドクトル・ジバコ」(長いっ!)で、すっごく面白く夢中で読んだ。
(なんで絶版で新書で手に入らないのかがわからん)
今年はというと、最初手にとったのが先述の菊治郎さん、彼が日本の戦後を切り取った作品(ぐいぐい読んでしまう)だったせいか、期せずしてそんな風な本が多くなってしまった。

どれもこれもとてもよかったので、大きなお世話だと知りつつも「読んでない人は読んだらいいのにな」と思って、読んだ順番に以下に記します。

「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘」福島菊治郎
「写らなかった戦後2 菊次郎の夏」福島菊治郎
「戦後史の正体」孫崎享
「写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな」福島菊治郎
「社会を変えるには」小熊英二
「日本は悪くないー悪いのはアメリカだ」下村 治
「3月のライオン8巻」羽海野 チカ
「狼煙(のろし)を見よ」松下竜一
「私たちはいまどこにいるのか」小熊英二

「ひゃあ、なんか硬い本が多いなー」って思われるのもっともですけど、そんな気分だったんだからしょうがない。
寒いと自然にあったかい鍋料理が食べたくなるのとおんなじです。

「あんたみたいな絵描き風情やったら、正月にのんびり読書でもできようが、こっちはサラリーマンで、そんな悠長なことやっとられんぜ」って、不平言われる方もいらっしゃると思います。
うう、それはもっとも...
けどせめて孫崎さんの「戦後史の正体」だけでも
読んだらいいのになあ、と思います。
手に汗にぎりまくりましたもん、ほんとに。

けれど全部の中で一番「ううむ...」とうなった文章はっていうと、それは「私たちはいまどこにいるのか」に載ってた、小熊英二が渋谷陽一のインタビューに答えた以下の部分です。

”普通”の市民が”保守”に吸収されていってしまってる、という話しにつづいて...

渋谷「だから今の時代においては、やっぱり何がしかの明確なメッセージ性、求心力のある強いコピーを打ち出すことが必要だと思うんです。」

小熊「コピーというのは、いまはどうかと思いますね。消費速度が早いから、あっという間に捨てられてしまう。それに”わかりやすいコピー”なんて、ほんとうに欲されてるのかな。たとえば、全共闘のときのマルクスなんてちっともわかりやすくない。むしろわかりやすくないから、みな一生懸命読んだ。」

渋谷「そうですね。」

小熊「必ずしもわかりやすいものを求めているわけではない。さっきもいったように、人間は強欲だから、自分で努力したり、参加したり創造したりする余地のあるものでないと、本当は満足できない。全共闘運動のときは、既存の政党やセクトを拒否して自分でビラを書いたりグループをつくるのがはやりましたが、いまのブログやホームページの氾濫をみても、人は与えられるだけでは満足できなくて自分でつくったり参加してみたいのだなと思います。だから明確なキャッチコピーを与えて客を惹きつけるという、その発想が限界にきていると思うんです。(略)
 あえてマーケティング的な言い方をすれば、消費者が成熟しているから、もはや新商品を提示されただけで喜んで買う状態ではない。どういうコピーを提示したらいいかという発想自体を、考えなおしたほうがいい。」

渋谷「だけど、それだとなかなか次が見えにくいと思うんですよ。現実がどんどん変わっていってるいまだから、僕はもうちょっと明確で具体的なものが欲しいな、と思うんですよね。」

小熊「だから、”明確なものを提示してほしい”という、その発想を疑ったほうがいいと思う(笑)。(略)
 “明確なもの”なんて、人から提示してもらうものじゃない。しかも一行かそこらのキャッチコピーで(笑)。
そもそもいまの人は、本当は”これだ答えだ、こうしろ”というふうに言われたいと思っていないでしょう。」

渋谷「うーん、なるほど。」

以上は2003年のインタビューだけど、2012の夏に出した本の中で小熊英二は、500ページを越えるその大書の最後のしめくくりの言葉としてこう記している。

 運動とは、広い意味での、人間の表現行為です。仕事も、政治も、芸術も、言論も、研究も、家事も、恋愛も、人間の表現行為であり、社会を作る行為です。それが思ったように行えないと、人間は枯渇します。
「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいましたが、それはある意味至言です。「対話をして何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。
(「社会を変えるには」)


あ、ところで年末のこと、
新聞にユニクロの大きな折り込みチラシが入っていた。
こたつに入って本読んでたら、炊事終った母がやってきて「あらぁ、またユニクロの広告がはいっとる」と手に取りパンっとこたつの上に広げ、「あといっちょヒーテックば欲しかっちゃんね、安なっとらんかね」とか何とか言いながら熱心に見ていた。
と、いきなり不平を言いはじめた。

母「”あたたかくてカワイイ!”って書いてあるばってんさ、 ”カワイイ”って書いとったら、わたしらおばちゃんは引くっちゃんね...」
僕「ふーん、でもさ、どがん書いてあったらいいん?」
母「あたたかくて、誰にでも似合う!」
僕「ひゃはははは...」

投稿者 azisaka : 15:57

新・今日の絵(その12)

2013年01月01日

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「あけましておめでとうございます」
「あ、おめでとうございます...あの、そんなとこに座って何やってんですか?」
「あの、人を待ってるの...」
「ああ...でも、こんな雪の日にそんな格好で,,,寒くないんですか?」
「いいえ、大丈夫よ」
「何も外で待ってなくったって...部屋の中はあったかいでしょうに...」
「だってあたし、ぜんぜん寒くないんだもの。それに中じゃ、足音が聞こえないから...聞こえたらすぐに下りてって扉を開けるの」
「そう...で、いったい誰を待ってるんですか?」
「うん...ええと、それが、わたしにもわかんないのよ」
「え?」
「なんとなくね、人が訪ねてきそうなの...」

と、語るナホコさんがモデルの今年のカレンダー、
ご希望の方はお手数ですが熊本のチャイナチャイナっていうブティックに直接とりに行ってください。

投稿者 azisaka : 13:33