新HP開始のお知らせ

2018年06月25日

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みなさん、こんにちは。
いきなりですが、旧友の杵築ジョニーにお願いしてHPを新しく作り変えてもらいました。
とても見やすくかっちょいいです。
つきましては、このブログも新しいものへと移行しております。
引き続き、どうかよろしくおねがいいたします。

新HP

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coco子 その21

2018年06月18日

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金子文子シリーズ開始

2018年06月09日

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ところで、いきなり金子文子って言われても、「えーっ、誰なん?」って感じですよね。
それで手っ取り早く、かつズルくて申し訳ないが、Wikipediaに紹介してもらうとざっと以下のような感じになる。

「金子 文子(かねこ ふみこ、1903年1月25日 - 1926年7月23日)は、大正期日本の社会主義思想家で、アナキストおよびニヒリストである。
関東大震災の2日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、愛人(内縁の夫)である朝鮮人朴烈と共に検挙され、十分な逮捕理由はなかったが、予審中に朴が大正天皇と皇太子の殺害を計画していたとほのめかし、文子も天皇制否定を論じたために、大逆罪で起訴され、有罪となった。(朴烈事件)後に天皇の慈悲として無期懲役に減刑されたが、宇都宮刑務所栃木支所に送られてそこで獄死した。」(Wikipedia)

最初に彼女のことを知ったのは20年ほど前、創刊間もない雑誌「週間金曜日」に載ってた小さなコラムでのことだ。
そこで加納美紀代(近現代の日本女性史が専門の学者)が彼女の獄中手記の一部を引用していた。
何気なく鼻歌交じりに読んでたが、すぐさま絶句した。

こんな文章だ。(件のコラムではもっと端折ってあったと思う)

「民衆のために」と言って社会主義者は動乱を起こすであろう。民衆は自分たちのために起ってくれた人々とともに起って生死をともにするだろう。そして社会に一つの変革が来ったとき、ああその時、民衆は果たして何を得るであろうか。

指導者は権力を握るであろう。その権力によって新しい世界の秩序を建てるであろう。そして民衆はその権力の奴隷とならなければならないのだ。然らば××(革命)とは何だ。それはただ一つの権力に代えるに他の権力をもってすることにすぎないではないか。

初代さんは、そうした人たちの運動を蔑んだ。少なくとも冷ややかな眼でそれを眺めた。
「私は人間の社会にこれといった理想を持つことが出来ない。だから、私としてはまず、気の合った仲間ばかり集って、気の合った生活をする。それが一ばん可能性のある、そして一ばん意義のある生き方だと思う」と、初枝さんは言った。
 
それを私たちの仲間の一人は、逃避だと言った。けれど、私はそうは考えなかった。私も初代さんと同じように、すでにこうなった社会を、万人の幸福となる社会に変革することは不可能だと考えた。私も同じように、別にこれという理想を持つことが出来なかった。

けれど私には一つ、初代さんと違った考えがあった。それは、たとい私達が社会に理想を持てないとしても、私達自身の真の仕事というものがあり得ると考えたことだ。それが成就しようとしまいと私達の関したことではない。私達はただこれが真の仕事だと思うことをすればよい。それが、そういう仕事をする事が、私達自身の真の生活である。
 
私はそれをしたい。それをする事によって、私達の生活が今直ちに私達と一緒にある。遠い彼方に理想の目標をおくものではない。
(以上)

すぐさま近所の本屋さんへ飛んでって、その手記「何が私をこうさせたか」を注文した。
数日後手元に届いた。
読んだ。
読んで、西郷と同様、その独自の思想、人格、生きる様にとても強く惹かれた。

文子がいうところの「真の仕事」というのは、西郷がいうところの「天命」とほぼ同じ意味なんではないかと勝手に思った。
もちろん、それは別に”維新”とか”国政”とか、”医学”とか”芸術”とか、そんなものである必要はない。
自分自身がそれを”己が真の仕事”、”天から授かった仕事”だと思うなら、会社勤めや家事なんか、ごく普通のことだっていっこうにかまわないだろう。

ともかくそれから20年、いつの日か文子といっしょに何かやりたいなあ...と常々思っていた。

常々思ってたら、西郷さんシリーズがひと段落ついた。
おお、いい頃合いだぜ、とやおら描き始めたというわけだ。
(つうか、こういう日本の有様なので、精神の健康を保つためには西郷さんの力だけでは足りなくなってきた。)

絵を描く時の心持ちは、西郷さん描く時と全く同じだ。
文子は、絵を描くための題材でもテーマでもない。
例えていうなら、燃料だ。
金子文子という燃料で、筆がばんばん走る。

したがって「アジサカさんは文子の思想のどんなところに共感されたのですか?」とか、「文子を描くことによって、人に何を伝えたいのですか?」とか、尋ねられても、あんましうまく答えられない。自分でもよくわからない。
ただ一言、「文子は燃料だ。よく燃える。」と言う他はない。

そして付け加えるなら、行き先を指し示したり、道を明るく照らしたり、快適な乗り心地やかっちょいいスタイルを提供するような思想はけっこうあるけれど、自らが動く、その力の源となってくれるような思想、つうか人格は、そうざらにはないように思う。

さて、これから描かれる絵の中で、文子は怒ったり泣いたり笑ったり飛んだり跳ねたり歌ったり踊ったりするだろう。
バイクで疾走し官憲ぶん殴り、着物乱して好きな男に媚態つき、野辺に寝転び読書三昧するだろう。
ビキニてビーチでサングリアとか飲んだりするかもしれない。

文子の思想や生き方に共感し寄り添う人が見たならば、「なんて軽薄な...彼女に対する侮辱だろう」と眉を顰めるかもしれない。
けど、あらゆる権威というものに反抗した当の文子が、反権威の”権威”になっちゃあ本末転倒だ。
それに、虐げられ虐げられ苦労して苦労して、わずか23歳で死んだんだもの、後世の場末の絵描きの絵の中でくらい、自由に思う存分はっちゃけてもいいだろう。

たはむれか はた真剣か 心に問えど 心答へず にっとほほ笑む
(金子文子)

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coco子 その20

2018年06月05日

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coco子 その19

2018年06月03日

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西郷さんシリーズ その60

2018年05月01日

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「花不考只美咲無敵」

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「眼の塩」

2018年04月26日

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いきなりですが、友人が主催する写真展の案内です。

シチリアに流れ着いた難民たちの顔をイタリアの写真家サルヴォ・アリブリオが撮影した作品です。
上に掲げたのは展示作品のうちの二枚で、見てのとおりの力強い写真です。
入場は無料ですので、ご都合よろしければぜひ足をはおはこびください。

「眼の塩写真展」
イタリア沿岸にたどり着いた難民の絶望と希望の旅
写真家: サルヴォ アリブリオ S a l v o A l i b r i o
アートディレクター: パオロ ロリカータ P a o l o L o l i c a t a

2018年5月6日(日曜日)~ 18日(金曜日)
10:00~19:00

会場:SPAZIO ART GALLERY (イタリア会館・福岡内)
〒810-0021 福岡市中央区今泉1-18-25 季離宮内 中離宮2F 
お問い合わせ:092-761-8570

また、写真展の記念企画として、エマヌエーレ・クリアレーゼ監督の映画を二本上映いたします。
一つは、アフリカ難民を救った漁師の家族の物語を描く「海と大陸」。
もう一つは、20世紀初頭にイタリアからアメリカへと移住した一家を描き、第64回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した「新世界」です。

両作品とも、すっごくいいです。

5月6日(日曜日) 「海と大陸」Terraferma 92分 (2011)
時間:10:30・13:30・16:30・19:30
当日受付 1,000円  限定 各50席

5月18日(金曜日)「新世界」nuovomondo 120分 (2006)
時間:10:30・13:30・16:30・19:30
当日受付 1,000円  限定 各50席

以上、詳細はどうか以下をごらんください。

イタリア会館「ITALIANDO」関連イベント

ところで「海と大陸」見てたらふいに、むかしから好きでしょっちゅう鼻歌ってる曲が流れてきたので、びっくりおったまげた。
フランス人なら誰でも知ってるNOIR DESIRの名曲「Le Vent Nous Portera 」(風が我らを運ぶ(導く)だろう)をSophie Hunger がカバーしたものです。
うう、いい歌だ...
「Le Vent Nous Portera 」

azisaka : 14:03

西郷さんシリーズ その59

2018年04月23日

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名無しの農民兵、敵軍の最終兵器VIPロボの首をことも無く一刀両断にするの図

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西郷さんシリーズ その58

2018年04月10日

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銅像の女「あーら、よっと!」
「月がー出た出ーた、月がー出たー♫」
「ちょっとぉ、あんた、一緒に踊ろうよーっ!」

西郷「痛いなあ、蹴らないでくれよ、今、集中してんだから」

銅「あたいのことほったらかして、何やってんのよぉ」

西「リリコの髪引っ張ってるんだ」

リリコ「髪引っ張らないでほしいんだけどなあ...」

西「つか、なんで18本だけ、後ろ髪伸ばしてるのさ」

リ「それがあたしの願い事の数だからよ」

西「へえ、18個もあるんだ、願い事!」

リ「あら、少ないほうじゃない?」

西「まあ、いいさ...ところで、どんな願い事なのか、よかったら教えてくれないかい」

リ「うふふ、えっとね、まずひとつ目はね、白くて硬い帽子を被った切れ長の目をした男に足を揉んでもらうこと」

西「ふんふん、今、まさにその願いが叶おうとしてるとこだね」

リ「ええ、そうよ。だから、もう少ししたら、18本のうち一本抜いていいわよ」

西「おお、やったあ!」

ポニーてる子「あの、皆さん、お茶せっかくお持ちしたのに...」
「いらないのなら、私さげます」

白硬帽子男「待って、ぼくいります」

リ「だめよ、休憩なしよ!」

白「ええーっ、そんなー、とほほほ...」

銅「お兄さん、しっかりして!」

一同「がんばろう 突き上げる空に〜♫
くろがねの男の こぶしがある
もえあがる女の こぶしがある
闘いはここから 闘いは今から〜♫」


azisaka : 18:21

西郷さんシリーズ その57

2018年04月02日

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木製で漆塗りのバイクを駆りながら、島に着いたばかりのころを思い出し、おまえのなぐさめがなかったならば、おれは絶望から這い上がれず野垂れ死んでいたはずだ。ありがとう。と愛加那に感謝する西郷。

azisaka : 18:51

西郷さんシリーズ その56

2018年03月31日

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ひょうたん「しまったーっ、うっかり口をひらいた隙に駒子と青虎が出ていってしまったーっ!」

駒子「へへーん、油断大敵!べろべろべーっ!」

ひ「おい、歩兵、もっと早く走れ!」

歩兵「んなこと言ったって、これが精一杯ですぅ」

ひ「刀なんぞ持ってるからだ、そんなもの捨ててしまえ」

歩「こ、これがないと、戦えません」

ひ「刀ではなく、口で戦うのだ、口論だ!」

歩「え?」

どたっ

駒「あ、転んだ」


azisaka : 14:07

西郷さんシリーズ その55

2018年03月24日

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ハンサム兵士 「足どけてくんないかな?」

真珠の首飾りブロンド 「いやよ」

兵士 「ちっ」

ブロンド 「どけて欲しかったら、ほら、この拳銃で西郷の頭をぶちぬくのよ」

兵士 「くう、おれに酔っ払ってふらふら踊ってるようなやつを撃てというのか?」

ブロンド 「あんた何もわかってないのね、よく見なさいよ」

兵士 「なにい?」

ブロンド 「あれが酔った人間の眼?」

兵士 「うっ...」

西郷 「はっはっはーっ、気づくのが遅いぞ!見よ、薩摩流舞踏拳!」

赤ダルマロボ 「あにき、はい、刀っ!」

西郷 「刀はいらん!」

青タイツブロンド(実は変装した西郷の妻) 「赤ダルマロボさんがっせっかく親切でいってんのに、あの人ったらもっとやさしく断われないのかしら...」

azisaka : 17:56

西郷さんシリーズ その54

2018年03月19日

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途方もなく手前勝手な話で恐縮だけど、西郷さんの生まれ変わりが今のこの世にいるとしたら、それは中村哲さん(知らない人は調べてみよう)だと思っている。

そんなこともあって、一度その姿を実際に見てみたいなぁと思っていたら、西南大学でペシャワール会の報告会みたいなものがあるという。
彼も登壇するらしいので、出かけて行った。
 
最初、ここが晴れ舞台とばかりにおめかししたマダムが登場した。
動物愛護運動やってるハリウッドのセレブみたい、「あたし、いいことやってるの、すごいでしょう」っていうような雰囲気を全身に纏っていた。
中村さんらのアフガニスタンでの活動内容を紹介した映像を見せながら、「このナレーション、この声、みなさん、おわかりになられます?」と会場を見回す。
「そう、そうなんです、私たちの会の賛同者である”あの”吉永小百合さんが”無償で”ナレーションを引き受けてくださったのです」と、ものすごーく、ねっとり、これ見よがしに、話した。
それで、ちょっとやな気分になった。
(おそらく、とってもいい人なんだろうけど...こちとら捻くれ者でごめんなさい)

その後、中村さんがひょろりとでてきた。
背筋がすっと伸びてるようでもあれば、丸い猫背のようでもあるし、素早そうでもあれば、同時にのろそうでもある。
顔はと見れば、あらゆる表情が溶けて無くなって、微かな笑みだけが残ったような表情だ。
伏し目がちに、なんかとってもすまなさそうにぼそぼそ話し始めた。
舌ったらずというか、気が抜けたというか、朗らかというか、独特な耳触りだった。

そのとっても濃い白髪頭といい、物腰といい、なんだかまるでフォーク歌手の高田渡みたいだと思った。

私、ちっちゃな時から虫が好きで、虫のことやろうと思ってたらたまたま医者になっちゃって、医者で行った先が満足に水も飲めないような場所で、それで井戸掘るようになって、井戸では足りなくて、用水路掘るようになりました。まあ、成り行き任せの道楽みたいなもんです、そんなのに付き合ってもらって、すみませんねぇ...という佇まいだった。

むろん、道楽では、異郷(しかもアフガニスタン)の砂漠に25kmもの用水路を掘り、およそ10万人の農民が暮らしていける基盤を作ることなどできやしない。
その本を一冊でも読めば、その苦労のとてつもなさ、成し得たことの偉大さに誰しもおそれおののいてしまう。

けど、実際に目の前に立って話す彼からは、そんなオーラなんぞは微塵も感じはしなかった。
なんか、あっけらかん、飄々としていた。

それで拍子抜けがした。
抜けたっつうか、すぱっと自分の拍子が一刀両断に断ち切られた。
断ち切られ、束の間、濃密な空白ができ、またすぐ繋がった。

あたまが一瞬死んでまたすぐ生き返ったみたい。
それでさっぱり心地いい気分になった。
ああ、来てよかったなあ...

ところで、菅原文太に「ほとんど人力」(小学館)という対談集がある。
金子兜太(俳人)に大田昌秀(元沖縄県知事)、大石又七(第五福竜丸元乗組員)に野口勲(野口のタネ代表)など17人、文太の人選がすごい。

そこでの中村哲との対談の最中、いつもにまして熱を帯びたかのような文太がいう。
「中村さん、あんたは男の中の男だ...」

他でもない文太がそういうのならそうなのだろう。
男の中の男ってのはおそらく、普段は飄々としているものなのだ。

azisaka : 15:12

西郷さんシリーズ その53

2018年03月17日

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プチ雉「どうしたんだい、浮かない顔して...」

青虎「別に何でもないよ...」

プ「そうかなあ...いつもの君だったらさ、荒地にぽつんと咲いた小さな花なんて見つけた日にやぁ、”おお、なんて愛らしい!”とかなんとか嬉しがって、小躍りでもしそうなもんじゃないか」

虎「うん、まあ...なんか今日は花を見ても、嬉しいというより、切ない...」

プ「うむ。そんな時もあるさ。花に切なさを感じるか...君も年とったもんだなあ...」

テレーズ「ちょっとお、何よあんたたち、あたしがかっちょいいポーズを決めてるってのに知らんぷり?」

プ、虎「ごめん、ごめん。でも、それってなんのポーズ?」

テ「うふふ...これはね...」

ワッフルロボ「♫ベルギーに、生まれたからにゃあー、あああー、ワッフルサイズの人生さー♫」

プ、虎、テ「あ、ワッフルロボだ!」

ワ「みなさん、焼きたてワッフルいかがですか〜♫」

セレビップ軍団(セレブでVIPな悪い奴ら)「おい、ポンコツ、それ全部俺らが買うぞ」

ワ「やだよーっ。あんたらには売りたくないもん」

セ「なら、お前を破壊してやる」

虎「はっはっはーっ、黙れ悪漢共!俺らが相手だ!いくぞお前たち!」

プ、テ「おうよ!...つか、青虎ったら、いつから隊長?」

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西郷さんシリーズ その52

2018年03月12日

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双眼虎三輪車に跨がって官軍歩兵に熟慮を説き勧める西郷

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西郷さんシリーズ その51

2018年03月06日

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やけっぱちのマリア風防弾スーツを着て、いざ敵陣に乗り込もうとする西郷

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西郷さんシリーズ その50

2018年03月03日

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脱走兵
「くっそう..雑草いっそう鬱蒼、めっそう物騒...」
と言いながらも、颯爽と疾走。

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西郷さんシリーズ その49

2018年03月01日

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タンポポの種、買わないかい?

おまえは誰だ?

タンポポの種、買わないかい?っていう男だ。

それはわかってる、そんな風に言ってるおまえは何者だ?

見ての通りの坊主頭で白いTシャツ着た、タンポポ売りでさあ

うむ。
しかし、タンポポ売りにしてはずいぶんと洒落たTシャツを着てるな。
胸にでっかく「Rock’n Roll Baby」...
貴様、エレキでもやるのか?

いや、エレキなんぞはやらぬ。
おれがやるのはタンポポだ。

たんぽぽは楽器じゃねえだろう

いや、楽器だ。

なに?

聴け!

~♫

おおおおおーっ


azisaka : 13:11

西郷さんシリーズ その48

2018年02月26日

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九重十重と花咲いて西郷山吹実もたわわ

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西郷さんシリーズ その47

2018年02月23日

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西郷ロボを率いて戦う桐野千秋

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西郷さんシリーズ その46

2018年02月21日

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桃李西郷ものを言わざれど下自ら践を成す、の図

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西郷さんシリーズ その45

2018年02月17日

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復活した負け赤犬に獄中から救い出された西郷、ブロンドのキャサリン教授の案内で、軍資金を選らんがために米国はテキサスへと乗り込む。

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西郷さんシリーズ その44

2018年02月11日

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空手空足空尻空腹空乳空頭のエロイーズ拳法で触れずして官軍をぶっとばすテレーズとエレキで鼓舞するJ.J.ルソー

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西郷さんシリーズ その43

2018年02月09日

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危機一髪への道で燃えよ怒りの鉄拳遊戯!

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きびなご

2018年02月04日

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四十を少しばかり過ぎた頃、長崎で一人暮らしをしていた。
長崎くんちで名高い諏訪神社のすぐそばの、とってもいい”気”が流れてる場所にある一軒家で、一階には大家さん、二階部分に住まわせてもらっていた。

お諏訪さんの参道の長い階段降りてくと、新大工町っていう商店街があった。
日がな一日中絵を描いて、暮れてきたら晩ご飯の買い出しに下りていくっていうのが日課だった。

下りてくと商店街の真ん中あたり、左手に天満市場っていう小さな市場があった。
大きな屋根の下、ちょっと薄暗くて、むかしはいろんな店がひしめき合っていただろうに、当時すでに半分以上の店が閉じていた。
肉屋と魚屋が数件に八百屋さんと果物屋さんに乾物屋さん...うら寂しい感じがした。
うら寂しいんだけど、そこに身を置くとなんだかほっとした。

市場の北の一番端に小さな魚屋さんがあった。
一畳ばかりの台の上、緑色のプラスチックの笊に乗せられて、いろんな魚が売られていた。
たいていは近海でとれたような小ぶりの魚で、おっきな魚や切り身なんかは奥の冷蔵ケースに並べられていた。
店が端っこにあるせいでそこだけは西日が当たり、一畳間の魚の群れはキラキラ光って、まるで小さな海原みたいだった。

冬場行くとだいたいいつもキビナゴがあった。
笊からあふれんばかりに山盛りで100円。
サファイヤみたいに輝いて、瞳に映るなり一日の目の疲れが癒えるようだった。
その見事さといったらカルティエの宝飾品も顔負けだけど、値段は一万分の一くらいだ。

そんな見てるだけでうっとりするものを手のひらにのせる。
「すまん...」と心中であやまりながら首をぶちっと引きちぎってはらわたを出す。
爪で開いて背骨をとって一番好きな平皿に並べる。
その時の、あたたかくぬるぬるした、そいでもって同時に、冷たくしゃきっとした、手の感触のなんとも言えぬ心地よさ。
さらにはそれを酢ぬたにつけて食らう時のこの上ない美味さといったら、マッコウクジラ並み、メガトン級の威力で、鯛も鮪も鰹も鰤も鮭も一発でKOだ。

そんなわけで、しょっちゅうキビナゴばかりを買っていた。
そうしたら、そのうち魚屋の兄さん(作家の中上健次に似てたので、一人勝手に”中上さん”と呼んでいた)から、会えば「おう、”キビ”の兄さん」と声をかけられるようになった。

いつもいつもキビナゴばかりで申し訳なくて「今夕こそは別の魚を」と心して行くんだけど、小さくて細長くて眩く光ってるあいつらを目にしたらその誘惑には逆らえない、勝てやしない。つうか”中上さん”、人の顔見るなりもうすでにキビナゴがのった笊に手が伸びるので、その期待には答えなくてはならない。

と、そんなたわいもない日常がたらたら続いてたある日、野暮用でしばらくの間ベルギーに行くことになった。
二ヶ月ばかり滞在し、戻ってきて時差ぼけでぼけっとしてたら、歯医者の友人から電話があった。
なんでも久しぶりに会うので「お帰りなさい持ち寄り飲み会」を開いてくれるという。
「おお、ありがたいことだ。よし、ここはいっちょう”鯛のエスニック風カルパッチョ”を作って持って行こう。」
ベルギーで友達に連れてってもらったカンボジア料理の店で食べたのがそりゃあ美味かったので、真似して作ってみようと思いたったのだ。

持ち寄り会の前日、夕暮れ時になるといつものように諏訪神社の階段降りて買い出しに行った。

最初、いつもの八百屋さんに顔を出して、パクチーを仕入れといてもらうように頼んだ。
スーパーやデパチカへ行けば、いつだって置いてあるけど、パックの中、四十女の後れ毛みたいなやつがはらっと入ってて198円とかだ、それではやってられない。
パクチーはいつだってこれでもかっつうくらい山盛りがいい。
ついでに一緒に刻んでのっけるネギとかいわれ大根、彩りにと赤と黄色のパプリカも買った。

これでよし...あとは主役の鯛だ。
うふふふ...魚屋の中上さん、びっくりするだろうなあ...なにしろ、鯛を一匹注文するのだ。
今日ばかりは”キビ”の兄さんではなく、”鯛”の兄さんと呼んでもらおう。
へへへ、中上さんってば、どんな顔するかなあ、楽しみだなあ、うふふふ...

さて、行ってみたら店は閉まっていた。
あれ、平日はいつだって開いてるはずなのに...と、思って気付いたら貼り紙がしてあった。

「永らくお世話になりました。◯月◯日をもって閉店致しました。中村鮮魚店」

ああ、あの兄さんは中村っていう名だったのか...中上とは一字違いだ...

それから10年くらいたった。
今は福岡に暮らしてる。
時々スーパーでパックに入ったキビナゴを買う。
「おさしみ用」ってシールが貼ってあるけど、煮付けか焼くかどっちかだ。

やっぱりさしみにするなら、中上さんとこの、西日を受けてキラキラ光ってるやつがいい。

今回の曲 
フィッシュマンズ「むらさきの空から」
冬になれば口ずさむ。彼らの歌で、この曲が一番好きだ。


azisaka : 23:17

西郷さんシリーズ その42

2018年02月02日

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李朝白磁風呂に浸かる西郷
入浴中の西郷に変わり指揮をとる雉のケンタ
ケンタの指示に従いグラジオラス花拳で敵軍をやっつけるジュン
ジュンを背に乗せ気炎万丈、双眼鹿のスガル
そんなスガルに惚れちゃったんだよ、の西郷ロボ
倒れる兵士たち
の図

azisaka : 08:47

西郷さんシリーズ その41

2018年01月30日

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西郷「ひゃっ、青虎!」
アイカナ「ちょっと西郷、あたしの胸、触んないでよ!」
西「触ってない、ぎり、触ってない、脇に手を添えてるだけ」
ア「どっちでも同じことよ!」
西「つうか、おれのこと西郷って呼び捨てにするなよな」
ア「あら、車の運転もできないような輩は呼び捨てにされて当然よ」
西「ち、ちくしょう...あれ、今気づいたんだけど、君って裸ん坊...」
ア「ええ、そうよ」
西「え、なんで?」
ア「だって、あたし虎だもん」
西「ああ、だから青虎のやつ、君の手をペロペロと...」
兵士「おーい、月照の頭蓋骨が見つかったぞー」

azisaka : 18:30

ガラス玉#04

2018年01月27日

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本日は、22時くらいから「タンゴ」個展会場の大名はBEMにおります。
もしもその時分近くにいて、気が向いたら、ふらりと寄っていただけるとうれしいです。

上の絵は結構おっきくて、サイズはF50( 117×91mm)。
でっかいの描くのはそりゃあ抜群に気持ちがいい。
問題は描いたあとだ。
大きすぎて引き取り手がなく、たいていは実家の押入れ行きだ。
道楽以外のなにものでもない。
家人よすまない。

azisaka : 10:17

ガラス玉#03

2018年01月25日

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Babyちゃん、そんなことないって言ってくれよーっ!

azisaka : 09:42

ガラス玉#02

2018年01月23日

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現在、北海道は札幌で開催中のグループ展「BEING GREEN , BEING WHITE」。
そこに出品してるデジタルコミック作品「ガラス玉」(題名は岡田史子のマンガから拝借)をアクリル画で描いたシリーズの二回目です。

★「BEING GREEN , BEING WHITE」★
会期 2018.1/19 ~ 1/28
会場:スペースSYMBIOSIS
札幌市中央区南2条西4丁目10-6
電話:011-210-0199
時間:12:00~19:30 会期中無休
http://space-symbiosis.com/

azisaka : 13:39

ミューズ

2018年01月20日

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「人の心というものは小説や芝居以上でございますから、出来上がる小説、芝居よりも深い心で皆さんも読まれたり観たりなさいます」(石牟礼道子)ってのは、何も小説や芝居にかぎったことではなく、音楽だとか絵だとかも同様で、まったく、そのとおりだと思う。

何年か前の夏、着てる服や乗り物なんかにドクロマークを掲げた「ドクローズ団」という連中が跋扈する絵の連作を数カ所で展示した。

長崎の出島近くの古いビルでやってた時のこと、ある日、60歳前後の女の人が5、6人静かに入ってきた。互いに話もせず黙ったままそれぞれの作品を見ている。と、その中の一人がこちらにそっと近づいてきて、神妙な顔つきでこんな風に問いかけてきた。
「髑髏がところどころに描かれていますけど、これはやはり原爆で亡くなった方々を表現されているのでしょうか?」

その数週間後、熊本はカフェの屋根裏部屋みたいなとこでやった時には、女子高生がぺちゃくちゃがやがやどたんばたん上がってきて、こんな風にはしゃいでいた。
「きゃああ、ドクロいっぱーい、かわいいーっ!」「ナイトメアー(ティム・バートンの骸骨男が主人公のアニメ)見ましたー?」「写メ撮っていいですかーっ」「あたしたち、ドクロ大好きなんですー!」

さて、「ドクローズ団」を描いてる最中もその前後も、原爆のこともナイトメアーのこともこれっぽっちも考えなかった。
それじゃあ、あちこちに描かれたドクロは何を意味してるんだい?と聞かれても、自分にもよくわからない。なんとなく「ああ、ドクロでも描こうかな...」といった感じで描いてたら、そんな作品がいっぱいたまってきたので「ドクローズ団」と名付けてひとまとめにして個展をすることにしたわけだ。

自分ではなんとなく、”浅い心”で描いたもの。それを、他人がそれぞれの”深い心”で見、そしてあれこれ自由に想像をめぐらしてくれる。
その思い描いたものを語り聞かせてもらう。
これは絵描きとしてたいへんな冥利だと思う。
「ああ、そんな風に見てくれたのか、感じてくださったのか、ありがたいなあ...」と心底思う。
そう思うと同時に、人の心の多様さ、その深さに安堵する。

さて、毎年作ってる熊本の友人がやってるセレクトショップのカレンダー、今年は女の子がずらっと居並ぶ大きなもの描いてみようと思い立った。
画面に収まりがいいようにいろんなポーズの全身像を描いていく。
描き終わってためしに数えてみたら9人だった。
ちょっと中途半端な数だけど、前方に5人、後方に4人で、バランスがいい。

カレンダーが刷り上がってきたので、知り合いなどに配って回った。

「おお、女神ですね...」

カレンダーを手にとってしばらく眺めてたドイツ語教えてる友人が言った。

「は?」

「だって9人。ギリシャ神話に出てくるゼウスの娘、9人姉妹の女神たちでしょ?」

「え?」

「だって、ほら、このコがたぶん歴史の神のクレイオ。で、こっちが天文の神のウラニア...」

「おおお...」

話の続きは→「コラム錆猫洞」

azisaka : 11:36

サッポロ!(ガラス玉#01)

2018年01月18日

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昨年の夏参加した福井は金津でのグループ展、明日19日からは若干味付けを変え、北海道は札幌で開催です。
今回は福井と同じデジタルコミックの他、その登場人物の女の子を描いた新作の小さなアクリル画、7点を出品しています。

実は最初、でっかいのをいくつか描いてたのですが、展示の都合上でかすぎたので、新たに小さなものを描いた次第です。
上に掲げてあるのは、そのでっかいほうのひとつです。

展覧会の詳細は以下のとおりです。

★「BEING GREEN , BEING WHITE」★
会期 2018.1/19 ~ 2018.1/28

本展は、2011年、ニューヨークのコミックイベントに
アートブック「names」を出品したのを機にグループ活動を開始したイラストレーターたち

#アジサカコウジ
#今井トゥーンズ
#JUN OSON
#白根ゆたんぽ
#タダユキヒロ
#前田 麦
#リタ・ジェイ
7人による展覧会です。

2017年福井で展示した「BEING GREEN」のマンガ作品の他、
冬の札幌にちなんだ「BEING WHITE」な新作も展示予定です。

★「BEING GREEN , BEING WHITE」★
会期 2018.1/19 ~ 1/28
会場:スペースSYMBIOSIS
札幌市中央区南2条西4丁目10-6
電話:011-210-0199
時間:12:00~19:30 会期中無休
http://space-symbiosis.com/

*オープニングパーティー
日時:1/19 19:30~22:30
内容:作家も在廊します

ところが、あろうことかアジサカ、明日19日(金)は現在福岡で開催中の夜個展「タンゴ」、最後の在廊日。
北海道行きは断念、20時くらいより個展会場のバー 「BEM」におります。


azisaka : 13:14

西郷さんシリーズ その40

2018年01月17日

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兵士「その玉を渡せ!」
女「いやよ!」
兵士「くうう...それさえあれば国が滅びずにすむのだぞ」
女「そんなこと知ったこっちゃないわよ」
兵士「むうう、お前、祖国がどうなってもいいのかあっ」
女「知らないわよ、この玉を舐めたらぼうやの病気が治るのよ」
兵士「おお、そうか、で、ぼうずはどこに?」
女「この牡丹の花の中」
兵士「よし、おれが行って連れ出してくる!」
女「待って、中は真っ暗闇よ。それに、銃を持っては入れない...」
兵士「これは懐中電灯だ」

azisaka : 08:41

ブレンドとトート

2018年01月14日

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ところで年明けより旧友のおさむやんが営む美容室バルベリアで、
オリジナルブレンドのコーヒー豆が発売され始めました。

アジサカ描く人物の髪型を見て、「このヘアースタイルならば、こんな味かな?うむ、たぶんこんな味だろう...いや、この味に違いない」と、ブレンドされたもので、男性のショートカットは比較的ハードに、女性のボブスタイルはマイルドに仕上がっているそうです。
ためしに飲み比べてみたのですが、「はっ、おお、ううむ...」と、どちらも実に美味いです。

それぞれ100グラムが2つセットで1500円(税別)
今回はボブな娘のトートバッグがもれなく付いているそうです。
(きゃあ!)

バルベリア美容室
福岡市中央区大名1丁目10−7
092-731-5216

azisaka : 08:08

西郷さんシリーズ その39

2018年01月11日

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「見よ、これが一遍上人直伝の踊り拳法だ!」

azisaka : 15:03

西郷さんシリーズ その38

2018年01月09日

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「官軍屈指のキュートさを誇るミミ将軍の魔笛に惑わされ恋に落ち赤い花束を手渡すことのみに気を取られ油断してる西郷ロボに今が好機と反撃をしかける官軍歩兵たちをため息まじりに見つめる雲きのこたち」の図

azisaka : 18:32

夜個展『タンゴ」続行中!

2018年01月05日

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本日より夜個展「タンゴ」の第2部がはじまります。

昨年展示したものを12点ほど入れ替えます。
上に掲げたのはそのうちのひとつで、「青いワンピース着て髪には花飾り、屋根にのぼって、さあ、今から踊ろうとしてるカオルさん」の絵です。

ところで今晩は在廊の日です。
20時から会場におります。
(少し遅れるかもしれません)
次の在廊日は19日(金)となっております。

しかし、いうまでもなく、遠方からわざわざお越しになる方など、事前に連絡していただければ、よっぽどのことがない限り会場に出てまいります。

アジサカコウジ夜個展
「タンゴ」
~2018年1月31日(水)

場所)スタンドバーBEM (ベン)2階
福岡市中央区大名1丁目-11-29-5
(TEL)092-721-6829
(営業時間)18:00~翌1:00
(店休日)毎週火曜日と12月30日(土)~1月4日(木)

会場の場所はちょっぴりわかりづらくて、
大名は紺屋町通り、レンタルキモノMineのはす向かい、
テムジンとクレープ屋さんの間のとっても細い路地を入ったとこにあります。
(居酒屋さんの”寺田屋”がある路地です)

azisaka : 08:07

西郷さんシリーズ その37

2018年01月03日

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「マサ斎藤直伝のバックドロップ」

azisaka : 17:43

coco子 その18

2017年12月31日

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azisaka : 10:57

西郷さんシリーズ その36

2017年12月27日

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「囚われの身の月照を救出すべく立ち上がった西郷アマゾネス隊」

azisaka : 14:06

西郷さんシリーズ その35

2017年12月24日

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双眼の虎「西郷よ、おれと来るんだ」

西郷「うむ、わかった...」

ポニーてる子「だめよ」

西郷「なぜだ」

てる子「なぜだと思う?」

虎「ふふふ、そりゃあ、あんたがこいつに惚れてるからさ」

西郷「そうなのか、ポニー?」

てる子「てる子って名前で呼んで」

虎「てる子、てる子、てるこーっ!」

てる子「あんたに頼んでやしないわよ」

虎「だって、おれ、てるちゃんのことがむかしっから...」

てる子「うふふ...そんなこと、とうの昔に感ずいてたわよ、あたし」

虎「だったら、なぜ...なぜ、いつもおれに冷たくするんだ?」

てる子「だってあたしが冷たくすればするほど、あんたがあたしをますます好きになるのがわかったからよ」

虎「え?と、いうことは、てる子、おまえもおれのことが...」

てる子「うふふ...しらなーい」
(てる子、駆け出す)

虎「あ、ま、まって...」
(虎、てる子のあとを追う)

西郷「.....」

虎&てる子「きゃははは...」
(ふたり、丘の上でたわむれる)

西郷「うむ...これでよし」
(西郷、ふたりを見、次いで天を仰ぐ)

と、いう感じの絵かな、今回は。

azisaka : 16:01

カレンダー2018

2017年12月22日

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例年のごとく、熊本の姉貴分がやってるセレクトショップ「チャイナチャイナ」特製のカレンダーができあがってきました。
お店で何か買うと、もれなくついてくるそうです。
何も買わなくても、行って丁寧にお願いしたらくれそうな気もします。

福岡では、夜個展開催中の「BEM」で販売しております。
(B2サイズで一枚500円です)
昼間だったら、その近所の美容室「バルベリア」でも購入できます。

ところで本日は今年最後の在廊日。
夜8時くらいから会場のBEMでアルゼンチンワイン飲んでます。

azisaka : 13:52

西郷さんシリーズ その34

2017年12月20日

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「花楔」

azisaka : 07:33

西郷さんシリーズ その33

2017年12月18日

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西郷いかさまことわざ(その3)
「長っ尻(ちり)も積もればヤマトナデシコふんじゃった」

「訪問するたび長居をし続ければ、相手もいずれ知らないうちに親愛の情がわいてきて、どんな女も大和撫子のような理想の女性に思えてくるものだ...」と言ってた近所のおばさんが縁側で眠りこけてるのを、うっかり気づかないで踏んでしまった。

あ、上の絵は無類の酒好きの”宮崎トーテンポール牧”さんです。

azisaka : 21:51

西郷さんシリーズ その32

2017年12月14日

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「鶏に変身した西郷、体当たりして官軍ジェットを真っ二つ」

azisaka : 14:37

西郷さんシリーズ その31

2017年12月12日

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しばらくお休みしてた西郷さんシリーズ再開!
「李朝の白磁に潜んでた西郷とその3番弟子のみょんちゃん、満を持してばばんと登場!」の図


azisaka : 09:07

タンゴ会場

2017年12月10日

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今回の個展の会場の様子です。
撮影はカメラマン兼ライターの大野さん。

木枯らし吹く雑踏から分け入った路地裏、
古屋のショットバーのきしむ階段登った2階、
の、あったかい雰囲気がよく伝わってくる写真だぜ。

大野さんのFaceBook
ぎゅっとくる写真がいっぱいあります。

azisaka : 08:43

coco子 その17

2017年12月08日

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”まむしの周六”こと黒岩涙香が本邦ではじめて完訳した「あゝ無情(レ・ミゼラブル)」。
実は大学卒業後フランス行くまで、主人公の名前はずっと、”ジャンバル・ジャン”だと思ってた。(ほんとうは”ジャン・ヴァルジャン”)

ちなみに、”フリーダ・カーロの”ことも最近まで”フリー・ダカーロ”だと思ってたし、”清・少納言”は”清少・納言”、”キリマ・ンジャロ”は”キリマン・ジャロ”と思ってた。

と、そんな感じですが、冬個展開催中です。
本日は在廊日で、20時くらいから会場で飲んだくれてます。

azisaka : 10:17

夜個展開始のお知らせ

2017年11月30日

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いよいよ明日より、待ちに待った(という人が6人くらいはいてほしい)、夜個展「TANGO」がはじまります。

なお、アジサカが会場におりますのは、12月が毎週金曜日(29日を除く)、1月が隔週の金曜日となっております。
すなわち、12月1日、8日、15日、22日、1月5日、19日です。
(だいたい20時〜23時にいる予定です)
忘年会や新年会の後などにふらりと立ち寄ってくだされば幸いです。

アジサカコウジ夜個展
「タンゴ」
2017年12月1日(金)~2018年1月31日(水)

今回の個展は新旧の作品の中から何となく怪しい気配のするものを25点くらい選んで展示販売いたします。
(作品は12月と1月で若干異なります。)
会場は狭い路地裏にあるとってもいかしたバーの2階で、夜間のみの営業です。
入場は無料ですが、時間や心持ちに余裕がある方は、
1階のバーで何がしか飲んでいただけるとたいへんありがたいです。

(場所)スタンドバーBEM (ベン)2階
福岡市中央区大名1丁目-11-29-5
(TEL)092-721-6829
(営業時間)18:00~翌1:00
(店休日)毎週火曜日と12月30日(土)~1月4日(木)

会場の場所はちょっぴりわかりづらくて、
大名は紺屋町通り、レンタルキモノMineのはす向かい、
テムジンとクレープ屋さんの間のとっても細い路地を入ったとこにあります。
(居酒屋さんの”寺田屋”がある路地です)

azisaka : 09:27

年末年始個展のお知らせ

2017年11月25日

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ひと月ほど前、バーを営んでる昔馴染みの夫婦から「お店の2階が今ちょうど空いてるんだけど、何かやりません?」という電話があった。
「ああ、それなら...」ということで来月と再来月の2ヶ月に渡って夜個展をやることにしました。
(西郷さんの展示、またもや後回し...すまん)

数年前、アンスティチュ・フランセ九州でやった「クミン」(”自治区ドクロディア区民”の略です)というタイトルの個展で展示したものに手を加え、若干”怪しさ”を増し、夜の街に相応しくしたものを中心に、25点くらい展示いたします。
すべてにオリジナルの額がついていて、けっこうかっちょいいです。

個展の詳細は以下の通りです。
毎度の頃ながら、フェイスブック等で広くお知らせいただければ、そりゃあとってもありがたいです。

アジサカコウジ夜個展
「タンゴ」
2017年12月1日(金)~2018年1月31日(水)

今回の個展は新旧の作品の中から何となく怪しい気配のするものを25点くらい選んで展示販売いたします。
(作品は12月と1月で若干異なります。)
会場は狭い路地裏にあるとってもいかしたバーの2階で、夜間のみの営業です。
入場は無料ですが、時間や心持ちに余裕がある方は、
1階のバーで何がしか飲んでいただけるとたいへんありがたいです。

(場所)スタンドバーBEM (ベン)2階
福岡市中央区大名1丁目-11-29-5
(TEL)092-721-6829
(営業時間)18:00~翌1:00
(店休日)毎週火曜日と12月30日(土)~1月4日(木)

"BEM"の場所はちょっぴりわかりづらくて、
大名は紺屋町通り、レンタルキモノMineのはす向かい、
テムジンとクレープ屋さんの間のとっても細い路地を入ったとこにあります。
(居酒屋さんの”寺田屋”がある路地です)

azisaka : 08:39

coco子 その16

2017年11月23日

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西郷さんシリーズひと休みして、季節の外れまくったcoco子登場。

azisaka : 08:00

西郷さんシリーズ その30

2017年11月22日

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「理想のあまりの高大さゆえに夢破れ発狂して青虎になった西郷」

azisaka : 22:32

西郷さんシリーズ その29

2017年11月20日

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「奄美の古老の自由闊達で見事な技を目にした西郷、己が修行の甘さを痛感し、きびしく反省する」の図

azisaka : 17:54

西郷さんシリーズ その28

2017年11月18日

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西郷いかさまことわざ(その2)
「言わぬが花より団子」

思ったことは心に留めず、ばしばし言っちまおう、行動しよう

azisaka : 08:56

西郷さんシリーズ その27

2017年11月16日

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「ポチョムキンな夕暮れ時、ジバコとラーラ、西郷を想う」の図

azisaka : 08:46

西郷さんシリーズ その26

2017年11月14日

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「貴様ーっ、行軍中に何やっとるかーっ!」
「はい、上官殿、タンポポがあまりに愛らしいので...」
「立ち止まるな、さっさと前へ進めーっ!」
「やだよーっ」

という感じの絵です。

今日の曲
じゃがたら「ある平凡な男の一日」

azisaka : 08:32

西郷さんシリーズ その25

2017年11月12日

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「西郷アマゾネス隊武術指南役リリコ十段緋牡丹のかまえ」

azisaka : 08:49

西郷さんシリーズ その24

2017年11月10日

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「故国を哀れむ西郷の歌声に打ちのめされる官軍の兵士たち」の図

azisaka : 07:55

西郷さんシリーズ その23

2017年11月08日

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「ジェット火祭り」

azisaka : 07:40

西郷さんシリーズ その22

2017年11月06日

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「クラッシャーバンバンボレロで踊り明かそう日の出を見るまで」

azisaka : 13:18

西郷さんシリーズ その21

2017年11月04日

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「可憐な乙女になりすまし官軍の先鋒を惑わす西郷」

azisaka : 09:52

西郷さんシリーズ その20

2017年11月02日

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「阿諛迎合する者どもよ、リルケ人間風車で一網打尽だ!」

azisaka : 07:13

西郷さんシリーズ その19

2017年10月31日

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牡丹と、鹿と、雉と、白帽男と、黄帽男と、小鳥と、それから私、みんな変で、みんないい。

azisaka : 08:04

西郷さんシリーズ その18

2017年10月29日

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「爆裂サンダー号で狂い咲け!」

そんな西郷のライバル

そんな西郷の先生

azisaka : 07:39

西郷さんシリーズ その17

2017年10月27日

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西郷いかさまことわざ(その1)
「人間万事西郷が馬の耳に念仏」

「人の幸不幸なんて予測つかないんだから、あれこれ気に病まず今この時を大切に生きなよ」って君に言っても無駄だよなぁ...

azisaka : 21:05

西郷さんシリーズ その16

2017年10月25日

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「紅い葉、白い虎、黄色い人」

azisaka : 07:46

西郷さんシリーズ その15

2017年10月23日

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西郷孤憤

azisaka : 07:19

西郷さんシリーズ その14

2017年10月21日

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「小姐!小姐!柳眉逆立てだれを撃つ?」

azisaka : 07:39

西郷さんシリーズ その13

2017年10月19日

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「蓮月老人、恋草のかまえ」

azisaka : 07:45

西郷さんシリーズ その12

2017年10月17日

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「花剣」

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西郷さんシリーズ その11

2017年10月15日

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今回の絵のタイトルは「赤くきれいな捨て実の蘇鉄」
西郷と愛加那を描いたものです。

愛加那というのは、西郷が安政の大獄により奄美大島に流罪となった時の島妻です。
約3年間を西郷といっしょに過ごしたそうで、その間に子供も生まれてます。

つうか、島妻って何やねん?
もうちょっとばかし掘り下げて説明してくんないかな...

おお、すまん、こんなんではどうだろう。

「藩政時代に、奄美に支配者として赴任して来た薩摩役人に対して、その赴任期間中のみの「島妻」を「あんご」と言う。この「あんご」は、いまでも奄美のひとびとにとっては、語るに躊躇を覚える存在であろう。つまりおおらかに語られる名辞ではないということである。島側にとっては、女性の性を薩摩役人に提供することで、支配者に対して、その統治を緩和させることが期待された。また、役人との間に産まれた子どもが将来島の統治者(島役人)になるという「あんご」を差し出した一族の恩恵も付帯していた。
(「小説『あんご愛加那』を読む」大橋愛由等ブログ”島唄まれまれ”より)

うむ...まあ、西郷さんは島人に圧政強いる他の役人などと異なり、尊敬できる立派な人ではあったろうけど...愛加那さん、叶うことなら”期間限定の妻”とかには、いくらなんだってなりたくはなかっただろうなぁ...同郷の人と契り、末長く平穏に暮らしたほうが幸せだったろうになぁ...

azisaka : 07:21

西郷さんシリーズ その10

2017年10月13日

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「無言でうなずきデヴィッド・クロケットをフリーダ・カーロに引き渡す西郷」の図

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西郷さんシリーズ その9

2017年10月11日

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京へのぼる道すがら博多で知りあった娘とかしいかえんで遊ぶ西郷

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西郷さんシリーズ その8

2017年10月09日

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「浪花節だよ人生は!」と疾呼しながら宮崎滔天ポール牧あらわるの図

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西郷さんシリーズ その7

2017年10月07日

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「青寅に変身した西郷、族長の娘リリィを背にご満悦」の図

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西郷さんシリーズ その6

2017年10月05日

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「西郷アロマNo.KTIJ2000の威力を見よ」

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西郷さんシリーズ その5

2017年10月03日

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この夏、実家に帰省した時のこと。

父「こうじ、おまえ西郷さんの絵ば描きよっとってな?」

アジサカ(以下”ア”)「あ、うん...」

父「お前んとこはテレビなかけん知らんかもしれんばって、来年の大河ドラマは西郷さんぞ」

ア「あぁ、そうなん...」

父「いっちょ、おいが録画ばしとってやろうか?」

ア「え?...ああ、よかよ、せんで...」

父「ん?なんでや?』

ア「べつに、見らんでよかもん...」

父「え?見らんでよかって...お前、西郷さん好きやなかとかい?」

ア「好いとー、好いとー。やけん、いっぱい絵ば描きよるっちゃもん...」

父「なら、なんで見らんとか?」

ア「ううん,,,なんちゅうかさあ、大河ドラマとか小説とか、そんなんに出てくる西郷さんと、おれなんかが好きな西郷さん、なんかちょっと違うっちゃもん...」

父「はあ?」

ア「ほら、坂本龍馬とどうしたーとか、勝海舟とどうしたーとか、明治維新なんかで活躍さすやん」

父「うん」

ア「あんなん、あんまし興味なかっちゃんね...」

父「はあ...」

ア「なんかさぁ、表舞台でばしばし活躍しとらすとことか、みんなから”西郷どんのためならおれは死ねるぞ...”とか崇拝されらすとことか、あんまし見らんでもよかっちゃん」

父「はぁ?...おいは、ようわからんぞ」

ア「ああ、ごめん、ごめん、わからんよねぇ...お父さんは見りいよ、たぶん面白かよ」

父「...」


と、こんな具合に息子が説明めんどくさがったせいで、せっかくの父と子の(ひょっとしたら互いに実り多かったかもしれぬ)会話がぶち壊れてしまった。
すまん、父。
だけど、暑かったんだからしょうがない。
秋になって涼しくなってきたら、ああ、しまったなあ...とちょっぴり反省だ。

ぶちこわれちまった親子会話のこと思い出してたら、別の会話、つうか対談のこと思い出した。
西郷さんにまつわるもので、ひどく心に残ってる。つうか最も大事だと感じるもののひとつだ。
思い出したついでに以下にのっけるばい。

1975年のもので、当時、奄美大島は名瀬に住んでた島尾敏雄と、橋川文三の対談からの抜粋です。

島尾「ぼくはまあ、西郷はやりませんけど、西郷を書くとしたら、西郷と島の問題をやります。彼が島から受けた開眼というか、島でなにをみたか、ということですね。もう明らかに、本土とは違うんですから。生活、風習、言葉...すべてがね。西郷はそこから、きっとなにかを学んでいると思います。」

橋川「ぼくはまだ、デッサン以前の段階ですけど、わかりそうなのは、こういうことなんです。西郷が島から何を学んだか、なにをみたか、ということは、西郷が他の維新の連中と、違うことでわかるんです。それでは、西郷をして、他の連中と異ならしめたものはなにか。それはいまのところ、ぼくには規定ができない。たとえば、内村鑑三の場合は、西郷はなにかをみたにちがいない、というある確信をもって、西郷論を書いている。内村がプロットとしたもの、そのあたりへんが、解けてくるんです。内村鑑三と西郷を結びつけるという、意味ではなくてね。つまり、西郷が島でみたものは。日本の政治家が昔から、そして、いまもなお、みなかったものなんです。」

島尾「そうです。みなかった」

橋川「といっていいわけね。その逆に、事実を知らなかった内村鑑三は、勘でとらえた。で、西郷は偉大な先覚者である。西郷は神のインスピレーションを受けたんだって、ことになるわけ。そこの感じは掴めたみたいです。」

島尾「西郷が島でみたもの、それを具体的に指摘するのは難しいけれど、たしかに彼はみたはずなんです」

(「西郷隆盛紀行」橋川文三より)

おおお、ううう、西郷さんはいったい、何みたんやー!
”日本の政治家が昔から、そして、いまもなお、みなかったもの”ってなんなんだー...?
それをしっかりみることができたのなら、政治家ってのは、あんなんじゃなくって、もっとましになるのかー?

って、こちとら、なりますよね...

と、まあこんな感じを懐に抱きつつ、その日その日でふらふらゆらゆら適当に描いてる西郷さんシリーズ、今回はその第5回目、
「手前勝手好き放題に踊ろうぜ!」の図です。

azisaka : 07:42

西郷さんシリーズ その4

2017年10月01日

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「信心深い農民兵」

azisaka : 09:13

西郷さんシリーズ その3

2017年09月29日

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「動かなくなちゃったふりをしてじっと機会をうかがうにせ西郷ロボ」

azisaka : 07:59

西郷さんシリーズ その2

2017年09月27日

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お待ちかね!(っていう人が6人くらいはいてほしい)、西郷さんシリーズの第2回目!
タイトルは、「目を覚ませ!我らの敵はここにはいない」。

そんなわけで、後ろの女の子が白ヘッドフォンで聞いてるのはもちろん、ジャックスの「敵は遠くに」です。

つか、西郷さんの左フック、めちゃ痛そう...

azisaka : 13:24

西郷さんシリーズ その1

2017年09月20日

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だめもとで申し込んだら住宅金融公庫の融資に受かっちゃったので、それならばと、まだ30歳そこそこだったうちの両親はがんばって青い屋根瓦の小さな平屋を建てた。
玄関入ったらすぐに居間があって、細かく模様の入った赤い絨毯が敷かれ(その模様に沿ってミニカー走らせてよく遊んだ)、奥の壁には飾り棚がしつらえてあった。

その棚の左下半分、ガラスの引き戸がついてる何やら聖域みたいな感じの場所に、父がその当時大切していたであろうものが整然と並べられていた。
洋酒の瓶と金ピカの水割りセット、会社の卓球大会準優勝の盾に有田焼の絵皿、出張土産の民芸品....そんなのだ。

別府土産の風呂桶担いで腰に手ぬぐい巻いた上半身は裸の女の人形(当時、我ら幼い兄妹はそれを”エッチさん”と呼んでいた)のとなりには、写真のフィルムが入ってる丸筒とちょうど同じ背格好のちっぽけな木の人形が置いてあった。
紺色の柔道着みたいなのを着ていて、頭は坊主、やたらとでかいまん丸の目玉と真っ黒で図太い眉毛が付いていた。
ちょうど同じ様に太眉で目が大きな郷ひろみが登場して人気が出てた頃だったので、妹とその小さな人形指差しながら、「こいつ、ぶさいくな郷ひろみやん!」と言ってギャハハハ...と笑い転げていた。

笑い転げてると父が「笑ったらいかん。西郷さんは偉か人とばい」と少し真顔でたしなめた。
そんなに”偉か人”なら、こんな手も足もないこけしのできそこないみたいなやつじゃなくて、上野にある犬連れて仁王立ちしてるようなもっと立派な銅像かなんかを買ってくりゃあ良かったのに...とそう思ったけど、拳固をもらいそうだったので口には出さなかった。

さて、実は偉いらしいちっぽけでぶさいくな郷ひろみが、敬愛する”西郷さん”となったきっかけは高校の時、内村鑑三の「代表的日本人」を読んでからだ。
事の最初は、先輩に勧められてたまたま読んだクリスチャン作家といわれる三浦綾子の「氷点」に感動したからで、彼女の作品読み漁るうち、そこに描かれる”原罪”だとか”赦し”とかいったキリストの教えの世界に惹かれていった。
ああ、若いっていいよなあ...

それでさらにキリスト教関係(つっても高校の図書室にあるくらいの)の本手当り次第読んでたら、内村鑑三の伝記みたいなやつにでくわした。
いわずとしれた、思想も行動もそりゃあ立派なキリスト教の信者で思想家だ。
そんなとっても耶蘇耶蘇した彼が、日本人の代表として、ぶさいくなヒロミ郷のことを語っている。
イエスほどもあろうお方にも愛される西郷さんって一体全体どんな人だったん?

と、まあそんな感じで、「代表的日本人」を読み、そこに描かれてる西郷さんの姿に親しみを覚え、大学入ってからぼちぼち彼について書かれた本を読むようになった。
そしたら、ますます好きになった。
特に惹かれたのは、彼のその素朴で純真なでかい目玉、まなざしが、常に上ではなく下の方に注がれていることだ。
私利私欲にまみれた権威を嫌い、底辺で暮らす貧しいものたちを慈しむ、一言でいうならば”強きを挫き弱気を助ける”、そんな心情と、それをなんとか実現しようとする高い理想を持っていることだ。

そうであればこそ、道半ばで敗れ朽ち果てた後でさえ、「永遠の維新者」(by葦津珍彦)として、思想的に右であろうが左であろうが多様な人が敬愛してやまなかったのだろうし、その描いた夢は、それが途方もなく大きいゆえに、今もなお、権力に抗い力なきものに寄り添い行動するような人々にとって、そのゆく道を照らす光明となっているのだろう。
勝った官軍の上の面々、その末裔たちが今やってることの卑小さを見るにつけ、その偉大さを切なく思う。(ちなみに青地晨の名著「反骨の系譜」では、その筆頭に西郷隆盛を置き、田中正造、内村鑑三、大杉栄、河上肇、北一輝、石原莞爾、松本治一郎、正木ひろし、と続いていくぞ)

あ、すまん、ちょっぴり力んでしまった。
さて、そんなこんなで、絵を描いて生業を立てるようになってからは、いつの日か”西郷さんシリーズ”をやりたいなあ、と思うようになった。
思うようになったけど、その願いは懐にしまって別のことにかまけてた。
かまけててずいぶんたったころ、東北で震災がおこった。

できうるかぎりのことを見たり聞いたり読んだりした。
そうしてるうち、それぞれの問題は言わずもがな、何よりも、この国を牛耳って偉そうにふんぞりかえってる連中の言動、厚顔無恥なありさまに、もう、めちゃくちゃ腹が立ち、吐き気がするようになった。(今もさらに続行中)
それでちょっぴり気が変になりそうになった。
気が変になったら困るので、なんとかせんといかん...そうだ今こそ西郷さんを描こう!
そうすりゃあいくらか”心も晴れる”(byフィッシュマンズ)だろう。

こんな風にして6年くらい前から、まるで精神安定剤を飲むように、焼酎をかっくらうように、西郷さんの絵を描くようになった。

とはいっても、近所の兄貴分(長きにわたって新聞の文芸部にいて皆から生き字引と呼ばれてる)が言うように、”人物があまりにもでかすぎて、何人をしてもとらえきれず、未だに彼について書かれた決定本というものがない”西郷さんのこと、場末の絵描き風情が形に表すといっても、たかがしれている。
小坊がアニメのヒーロー描くように、「こんなクソみたいな世の中、西郷さんみたいな人がおったらいいのになあ...」と、坊主頭の男が飛んだり跳ねたりする様子を描くだけのたわいないものだ。
「西郷どんは死んで星にならしたとばい」っといって火星のことを西郷星と呼ぶ肥後の老婆や、出張の土産にと鹿児島の駅で彼のちっぽけな人形をそっと手におさめる父親と変わらない。
彼への親愛の情が自然と沸くので、それをただ筆の先から出しているにすぎない。
そうして自身の憂さ晴らし(by高田渡)をしてるのだ。

そんな絵が、気がついたら大小おりまぜ100枚くらいになっていた。
果たして絵なのか、飲んだ薬の包装紙なのか焼酎の空き瓶なのかわからないけど、できたからには人には見て欲しい。
なのでそろそろ展示発表とかとかせんといかんけど、個展はこの夏やったばっかりだ。
あんまし頻繁だとうざがられるだろうし、第一、絵を描くのと違って個展やるのって、とおっーっても面倒だ...

と、いうことで個展やるまでこの場で手軽に少しずつ取り上げていくことにした。
年代も大きさも手当り次第ばらばらで、今日はその第一回目、
「奄美に流された西郷さん、ノロの娘に恋をする」の図だぜ。


azisaka : 07:31

coco子 その15

2017年09月08日

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coco子「あの、それとグラスで赤ワインもお願いします」

大将「え?ないよ...」
  「いも焼酎ならあるけど...」

coco子「あ、じゃあ、いも焼酎を...」

大将「ロック?それともお湯割り?」

coco子「あ、そのままで...」

大将「いも一丁、ストレートで!」

azisaka : 13:09

coco子 その14

2017年09月04日

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毎夏どうにかこうにか凌げるので、絵を描く作業場には冷房がない。
けど今夏の暑さといったら凄まじくって、汗みどろで絵を描いてたら、立ちくらみはするし、頭とか痛くなるし、なかなかやばかった。
それでクーラーつけてないのとても後悔した。

とはいっても、こうしてやっぱりなんとか乗り切ることができたので、来年もこのままでいこうかな...
夕飯時の白ワインがやたらうまいし、9月の朝の風がひときわ心地よいし...

と、そんなこと話してたら庭師の友だちが、真夏の作業用の扇風機付きジャンパーとズボンのことを教えてくれた。
その名も「空調服」。
使ってる人のコメントはたとえば以下のような感じだ。

「体力消耗が少なくなり助かっています」
直射日光に当たる作業なので目まいがするときもありました。高い場所で作業することもあるので本当に危険です。空調服の効果で夏場の体力消耗は少なくなり助かっています。私は充電式バッテリーにしているので、電池交換のお金もかかりません。
(野外作業員30代)

「シャツの交換が3回から1回に!」
夏の盛りの作業場の温度は40〜50度にもなり、入社1年目は何度か倒れました。シャツは毎日3回交換していました。空調服のおかげで、今はシャツの交換は仕事帰りの一枚になりました。想像以上の効き目でした。
(鋳造作業員40代)

うむ...これはいいかも。

azisaka : 06:12

作品展のお知らせ#3

2017年08月01日

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夏の作品展、福岡での日程をきのう無事終了し、今週末からは佐世保へと場所を変え引き続き行われます。
展示場所を変えるにあたって内容も若干変えております。
(6、7枚くらい入れ替わってます)

なので、すでに福岡で見られた方が再び訪れても、「ああ、また同じものかよ。ちっ、しまったなあ...」感は意外に少ないと思います。

会場となるカフェ・RE PORTは、浅川マキがビルの狭間でタバコすってるような港町にあり、食べもの美味しく働く人も気さくで、とっても居心地のいい空間です。

涼みがてらにふらりとお越しいただければ幸いです。

アジサカコウジ作品展 ’06~’17
「鴎」
8月5日(土)~27日(日)
(佐世保)「RE PORT(リポート)」
佐世保市万津町2-12-1F
TEL 0956-76-8815
(営業時間)11:30~16:00、18:00~23:00
(定休日) 月曜夜、火曜日

azisaka : 09:17

グループ展のお知らせ

2017年07月17日

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いきなりで恐縮ですが、先週末より、福井県はあわら市にある美術館「金津制作の森」で行われているイラストレーターのグループ展に参加しております。
夏休みを挟んで、9月24日まで、けっこう長い期間にわたって開催されます。

”緑”をテーマとしたそれぞれの作家のでっかい作品や、個々の自由な作品、過去の仕事や制作過程の展示など、盛りだくさんな内容です。

先週いっぱい、設営その他のため一週間ほど現地に滞在したのですが、初めて身に触れる北陸の自然も、人のこころも、実に豊かでやさしくて、とっても居心地が良かったです。
家に帰る早々、次回は観光でゆっくり行こうと、早くもたくらんでいるところです。

九州からはなかなか遠いイメージですが、飛行機ならば一時間ちょっとでひとっ飛び。
金沢もすぐ近くだし、温泉もあるし、食べ物うまいし、見所も満載ですので、これを機にひょいと出かけてみよう!
なんてったって九州より涼しいぞ!

そんなわけで、展示の内容や会館時間、場所などの詳細はどうか以下をごらんください。

「金津創作の森 」

azisaka : 18:54

作品展のお知らせ#2

2017年07月07日

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今回の作品展、明日からは場所を変え、内容も若干変えて引き続き行われます。
明日からの展示場所は福岡は中央区薬院にあります「回(かい)」。

20年来の付き合いのあるとびきりいかした夫婦が営むカフェ・バーで、珍しいウイスキーや中国茶をはじめとするいろんな飲み物から、特別工房で仕込まれる味わい深いカレーや心ときめくスイーツまで、どれもこれも「くううっ...」と思わずうなっちまうよな美味しさです。

さらには、お店の家具や食器も「こんなんよう見つけてきたよなあ...」ってため息もらすよな品々で、もひとつおまけに、かかってる音楽もすうごっくかっちょいいぞ。

ああ、うまいカレー食べて、冷えた白ワイン片手にナイスな曲に包まれながら絵画鑑賞なんて、めったにないぞ、しあわせだぜ。
けっこう夜遅くまで開いていますし、涼みがてらにふらりとぜひお越しいただければ幸いです。

なお、今回初の試みとして、展示作品はどれも代金と引き換えに当日お持ち帰りいただくことが可能です。
酔った勢いで「えっと、この壁にかかってるの全部、ちゃちゃっと適当に包んでくんないかな」とかも、もちろんできるとばい。ふふふ...


アジサカコウジ作品展 ’06~’17
「鴎」

7月8日(土)~31日(月)
(福岡)「回(かい)」
福岡市中央区薬院3-13-20
TEL 092-525-4027
(営業時間)
(月・火・水・土)
12:00~15:00、18:00~24:00(food L.O 22:00)
(金)
18:00~24:00(food L.O 22:00)
(日)
12:00~16:00
(定休日) 木曜日

でもって上に掲げた絵は今回展示の作品のひとつ、2008年作、
「Mはマリアンヌ・ロボのM」です。

azisaka : 11:24

作品展のお知らせ

2017年06月20日

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いづみ「ププー!」
アジサカ「よーっす、いづみ!つうか、おれのことププって呼ぶなよな」
い「いいやん、ププはププやけん」
ア「しょうがねえなあ、で、なんの用なん?」
い「あのさ、私の店この夏で10周年なんよ」
ア「おーっ、そうなん、ようがんばったねー」
い「そいでさ、みんなにいろいろイヴェントやってもらうんよ」
ア「おー、いいねー」
い「ププもなんかやってよ」
ア「おお、わかったぜ」
い「やったー」

ということで、いづみの店「coffon」で個展をやることになりました。
10周年記念ということで、個展の方も過去を振り返るプチ回顧展です。
4年間のベルギー生活の後、帰国し長崎に住み始めた2006年から、今年までの12年間、それぞれの年の代表作を展示販売いたします。

個展は「coffon」の後は、過去に一度展示させてもらったことのある福岡屈指のカフェ&バー、薬院の「回」、そして去年も展示の佐世保の「RE PORT」へと巡回いたします。

個展のタイトル「鴎」は、上に掲げてあるチラシ用に描いた男の子を見てたらなんとなく思いついたものです。
なんとなく思いついた後、そういや、こんな詩があったよなと思い出したのが、先の大戦後すぐに書かれた以下の詩です。

「鴎(かもめ)」 三好達治

ついに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
一つの星をすみかとし
一つの言葉でことたりる
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
朝やけを朝の歌とし
夕やけを夕べの歌とす
ついに自由は彼らのものだ


さて昨今、ほとんど毎日家にいて絵を描いてるだけの我が身にも、この”自由”ってやつがどんどん奪われつつあるのを強く感じるのですが、そんなんおれだけなのか...

つうか、おっと、肝心な個展の詳細を書くのをわすれとったー。
以下、チラシの裏面文章をそのままのっけます。
夏で暑くて外出うざいかもしれませんが、ご都合良ければぜひふらりとお越しください。

アジサカコウジ作品展 ’06~’17
「鴎」

ここ12年の制作活動を振り返るプチ回顧展です。
’06から’17まで、それぞれの年代から代表作を選び、
全部で30点あまりを展示販売いたします。

「むかしのほうが勢いがあって良かったよなぁ」とか「何年経とうがちっとも代わり映えせんぞ」とか、「技術の向上は感じられるが大事なものを見失ってる」とか「みなそこそこ味わい深い」とかなんとか、それぞれを見比べながら楽しく観覧していただければ幸いです。

今回の展示会場はすべてカフェです。
展示と同時にカフェ(バー)営業を行っております。
それぞれの美味しいごはんや飲みもの等も同時に楽しみながら、ゆったりとご覧ください。

7月1日(土)~6日(木)
(福岡)「coffon(コホン)」
福岡市中央区警固3-1-28 アーバン警固301
TEL 092-725-3711
(営業時間) 12:00~20:00 
(期間中カフェ担当)
「bistroistes(ビストロイストエス)」(春日)
「nana sauvage(ナナソバージュ)」(野間)
(期間中休みなし、アジサカずっと会場におります)

7月8日(土)~31日(月)
(福岡)「回(かい)」
福岡市中央区薬院3-13-20
TEL 092-525-4027
(営業時間)
(月・火・水・土)
12:00~15:00、18:00~24:00(food L.O 22:00)
(金)
18:00~24:00(food L.O 22:00)
(日)
12:00~16:00
(定休日) 木曜日

8月5日(土)~27日(日)
(佐世保)「RE PORT(リポート)」
佐世保市万津町2-12-1F
TEL 0956-76-8815
(営業時間)11:30~16:00、18:00~23:00
(定休日) 月曜夜、火曜日

(アジサカコウジ)
1964年長崎県生まれ。熊本大学文学部社会学科卒業後、渡仏。
パリに住み様々な仕事をしながら独学で絵を描き始める。
4年の滞在後、帰国し福岡にてイラストレーターとしての活動開始。
10年後の2002年、ベルギーへ活動拠点を移すとともに、アクリル画の個展をはじめるようになる。
以後、ブリュッセル、パリ、日本の各地で毎年個展を開催。
2006年に帰国。現在は九州を拠点にイラストと絵画の制作に励む。
http://azisaka.s113.xrea.com/public_html/www.azisaka.com/


azisaka : 07:01

COCO子 その13

2017年06月02日

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「こうじ、なんねこい、あたしゃわけわからん」と実家の母が言うので説明すると、最後のコマに描かれてるのはパリの観光名所として(つうかそれ以前に歴史的建造物として)名高い、ノートルダム大聖堂です。
そんな自分をさしおいて、たかが皇帝が戦争に勝った記念に立てさせたでかい門なんかが人気ものとしてちやほやされてるので、たいそう憤慨しちゃってて、それををココ子がなだめてる、っていうマンガです。
以上、たいていの人には蛇足ですまん。

azisaka : 09:35

春個展、残り3日

2017年05月26日

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長きにわたった春個展、いよいよ残すところあと3日になりました。
今週末、長崎は良い天気みたいですし、ご都合よければどうかふらっとお越しください。

本日26日金曜日は地元が誇る映像作家のフジジュンが絵描きになりすまし、明日27日、明後日28日はアジサカ本人が会場におります。

また、本日からはクロージング特別企画として西海の庭師、「庭福」こと福田陽介が個展会場のリストの空間を苔や樹木で飾ります。

アジサカコウジ春個展’17
「戯れに恋はすまじ」
(長崎)
5月12日(金)~28日(日)
(会期中の金・土・日曜日)
「List:(リスト)」
長崎市出島町10-15 日新ビル2F
TEL 095-828-1951
営業時間 12:00-18:00

(上記チラシ写真は大野金繁さん撮影)

azisaka : 06:55

マンガ傑作選 その148

2017年05月23日

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azisaka : 21:41

お山の地球屋 開祭

2017年05月16日

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生まれ故郷の佐世保が世界に誇る無国籍食堂の地球屋。
ああ、幾たびうまいもんたらふく食って、泡盛浴びるほど飲んで、へべれけぐでんぐでんになったかわからない...

そんな地球屋がこのほど街中から山の中へと移転し、今週末その開店を記念するお祭りが開かれます。
そりゃあ行かんといかんやろう。
(アジサカ描く記念手ぬぐいも割りかしいかしてるはず)

詳細は以下!

「お山の地球屋 開祭」
5月21日(日) 
11時から日暮れまで
場所 「世知原お山の地球屋」
佐世保市世知原町栗迎349
問い合わせ 0956-80-3045(地球屋)

◆参加費 
大人一人2500円
(記念手拭い一枚、飲食券2枚が付いています)
家族割り→夫婦で参加の場合一家族4000円
(記念手拭い一枚、飲食券3枚が付いています)

◆ライブ音楽
 桃源郷(DJ)
 Sandy Trip
 地球屋バンド
 佐世保ジャンベクラブAFO
 ボギー
 とんちピクルス
 重松壮一郎VS howling setta
 the bento band

◆ごはん、菓子
 お山の地球屋(放牧豚とお山の恵み)
 れおリオンドール(パンクフレンチ)
 てとて舎(ひんやりスイーツ)
 チャカティカ食堂(スパイス料理)
 味菜自然村(放牧豚の親分)
 三花嶺(こだわり素材のうまいもの)
 ハルニレ製菓(ヴィーガンスイーツ)
 3rdBASEcafe(コーヒー、甘い物)
 たべつむぎ豆腐店(絶品豆腐)
 一鉄(佐世保の地産地消)
 波の上(沖縄のあれやこれや)
 Romantic Blast(なにかやります)

◆手仕事、お店
 大黒天築(大工道具、古道具、骨董品、刃物研ぎ)
 Herbe planet(石鹸、野草パウダー)
 big family(オーガニック野菜、加工品など)
 h,n~healing&natural(オーガニックスプレー、クリーム)
 青緑商店(日常雑貨いろいろ)
 サザノコ(佐々町柄雑貨)
 草の尾ハウス(甘酒)
 とねりこ(よもぎオイル、薬草茶)
 CRAFT BOX(カホン、銘木アクセサリー)
 みずのえ(バースカレンダー、布なぷきん)
 中倉壮志朗(ポストカード、フォトブック)
 はるじおん(ソープ&キャンドル)
 
◆1992年5月21日、
 佐世保のシューズセンター通りに地球屋はオープンしました
 それから丸25年を迎えるこの佳き日に
 新たな場所世知原で始まる地球屋にて
 いつものごとくどかーんと山盛りなイベントをやりますよ!
 ご飯やライブ、地球屋店主の結婚お祝いセレモニー
 それぞれの愛を持ち寄っての楽しい一日になればこれ幸いです!

azisaka : 18:58

長崎個展開始

2017年05月11日

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いよいよ明日12日(金)より、待ちに待った(という人がせめて6人くらいはいて欲しい)「戯れに恋はすまじ」長崎個展がはじまります。

GW期間中15枚ほど、上に掲げてあるように描き直しましたので、すでに福岡展をご覧になった方も「えっ、前の方がもっといかしてたのに...」とか「ちょっと性格が悪くなったような気がするなぁ」とかいった感じで今一度楽しめることと思います。

長崎個展では、ポストカードやトートバッグ、Tシャツや手ぬぐい、バッジやスマホケースなどのグッズの他、今回初登場のオリジナル「nana sauvage」手作り菜食ビスクッキー4種も販売いたします。(ハーブ効かせてカリっと焼き上げめちゃうまい)

なお、アジサカは会期中、12日(金)、13日(土)、14日(日)、27日(土)、28日(日)は終日会場におります。
その他の日は、キュートな友人たちが当人になりすまし留守番いたしております。

アジサカコウジ初夏個展’17
「戯れに恋はすまじ」

(長崎)
5月12日(金)~28日(日)
(会期中の金・土・日曜日)
「List:(リスト)」
長崎市出島町10-15 日新ビル2F
TEL 095-828-1951
営業時間 12:00-18:00

azisaka : 10:33

COCO子 その12

2017年05月04日

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azisaka : 08:46

描き直し

2017年04月29日

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世の中がざわついてる時(オリンピックとかクリスマスとかGWとか)はなるだけ外へは出ず、自分の家にとどまって淡々と仕事をする、っていうのを日頃から心がけてるおかげで、今年のGWは外出せねばならぬ用事が見事にひとつもない。
ありがたいことだ。

幸い昨日で福岡での個展が終わり、手元に、展示してた48枚の絵が戻ってきた。
長崎での個展が始まる12日まで、気に入らないところをばりばり描き直すことにした。

今回の個展期間中、会場に行って壁にかかってる絵を垣間見るにつけ「ああ、あの時はなんでこんな風に描いてしまったんやろう...ここら辺早く描き直したいなあ...」と、うずうずそわそわやきもきズキズキしてた気持ちがやっと諌められる時がきた。

さて、やったことない人には、この作業がどれほど心地いいものかを説明するのは難しい。
それは例えるなら、”手足縛られ自由が効かないのにおでこ蚊に刺されかゆくてたまらないのを我慢してると助けが来てロープほどかれ思いっきりおでこをかきむしる”、そんな時感じる心地よさだ。

あるいは、汗水垂らし一日中野良仕事して我が家へ帰り熱い湯船に身を浸したときの「ああ〜」という心地よさや、その後冷えたビール飲んで「くう〜」となる心地よさにも似ている。

さらには悪い親分の非道に耐えに耐えた健さんがついに殴り込みに行き、長ドスで手下どもをばっさばっさと切り倒すときの心地よさにも似ているという気もする。

とにかく、それをやると気が晴れる。
スカーっとするのだ。
ある種のカタルシスといえるのかもしれない。

さて目の前に48枚の絵をずらっと並べる。
手当たり次第、気に入らないとこをかたっぱしから描き直していく。
うう、楽しい...
家内行楽だ。
ただここでひとつ注意しないといけないのは、そのうち何枚かはすでに(幸いなことに)引き取り手が決まってるということだ。
人手に渡っているものを勝手に描き直すことはできない。
したがって、この場合は心がうずいても我慢して、泣く泣く見て見ぬふりをする。

と、まあそんなわけなので今回の個展、福岡と長崎で展示作品は同じだけど、そのうちの少なからずが人物の仕草や表情、背景の色合いなんかが微妙に異なることになる。
それは例えば、上に三通り掲げてあるような変化だ。
でも絵を見る人は、どっちが描き直す前で、どっちが描き直した後かなんてあんましわかんないと思う。
大勢の人にとって、あるいは”芸術的”には、前の方が良かったってこともあるだろう。
描き直すのは、改善より改悪であることも多々あるだろう。
でも、そんなのはおかまいなしだ。
だって普段から別に”芸術(アート)”やってる気なんてあんまししない。
絵を描くのはただひとり自分がスカーっとしたいからだ、楽しみたいからだ。
(あ、ここ、ちょっとかっこつけてすまん)

ともかく、こんな具合に自分勝手やりたい放題、自由気ままに絵を描くことができるっていうのはそれだけで、まるでこの世界の王になったような気分だ。
けど同時に、そうせざるを得ない、そうしてないと心穏やかでいられないっていうのは、自由を奪われ服従させられてるようで、まるで誰かの奴隷になったような気分でもある。
絵を描く人は、王様と奴隷を同時にやってるようなもんだ。

さて話変わって、今回の個展について、ドイツ語とドイツ文学と創作料理とものまね歌謡が専門の堺さんがいかした文章を書いてくださいました。
マリアンヌの絵をしっかり見てくださっててひどくありがたかったです。

コラム錆猫洞

azisaka : 09:20

Heaven Knows I'm Miserable Now

2017年04月21日

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去年の夏、福岡は中央区薬院、髭面の男二人が営むいかした店の中。

ブレイディみかこ「ねえ、アジサカさん、モリッシー好いとお?」
アジサカ「うん、好いとお、好いとお、大好き!」
みかこ「今度さぁ、モリッシーの本出すんやけど、表紙の絵描いてくれん?」
アジサカ「描く、描く、ちょー描く!」

と、いうことでできたのが上のやつです。

「左と右、上と下、グローバリズムとナショナリズム。いろんな軸が交錯し、いったい誰がどっち側の人間なのやら、従来の政治理念の枠では語りづらくなってきた英国のカオスを、モリッシーは12年前にすでに予告していた。」(本文より)

くうう、そうかーっ!

「いまモリッシーを聴くということ」
(ele-king books)
ブレイディみかこ

今月末(4月28日)発売!
本屋へいそげっ!

azisaka : 06:42

COCO子 その11

2017年04月20日

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azisaka : 08:28

たわむれ大野さん(その5)

2017年04月18日

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大野さんの写真シリーズ、今回は今日でひとまず終了です。
「ああ、大野さんの写真がもっと見たいなあ...」と思った方は彼のFaceBookを。
草花や路上の風景など、さなざまな写真を見ることができます。
どれもなんだかなまめかしくて、たまらなくいいんだよなあ...

azisaka : 20:51

たわむれ大野さん(その4)

2017年04月17日

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明日18日火曜日は、13時〜16時、個展会場におります。

azisaka : 11:47

たわむれ大野さん(その3)

2017年04月16日

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azisaka : 18:29

たわむれ大野さん(その2)

2017年04月15日

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本日は14時くらいから18時まで個展会場、アンスティチュ・フランセ九州5Fにおります。
福岡、晴れておりますので、ご都合よろしければ散歩がてらにふらりとお越しください。

azisaka : 07:02

たわむれ大野さん(その1)

2017年04月14日

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ライター兼カメラマンの大野金繁さんは、最初の個展から毎回欠かさず見に来てくれる数少ない友人のひとりだ。
その大野さんが今回の個展の絵の写真を撮ってくれたのを見せてもらった。
そしたらびっくり。
絵とはまた別の、彼の作品になってて、とっても味わい深い。
それで了承を得て、この場でいくつか紹介させてもらうことにしました。
今日はその第一回目です。

大野さんの写真をもっと見たい方は、彼のFaceBookを。

azisaka : 07:26

COCO子 その10

2017年04月12日

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「こうじ、あたしゃこのマンガ、いっちょん意味わからんばい」という実家の母のために以下、補足いたします。

*カール・マルクス
ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者、思想家、経済学者、革命家。
その運動と著作は世界の社会主義運動に多大な影響を与えた。
*カール・ラガーフェルド
ドイツ出身のファッションデザイナー。
シャネルとフェンディにおいてデザイナーを務める。

azisaka : 08:41

COCO子 その9

2017年04月11日

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azisaka : 12:55

マンガ傑作選 その147

2017年04月07日

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久方ぶりにマンガです。
春個展開催中で、明日8日(土)は午後1時過ぎくらいから会場におります。

azisaka : 07:25

(ん)んんんんん つかえずいってよ こくはくは

2017年04月06日

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やっとこさ「ん」までたどり着きました。
長きにわたってのお付き合い、ありがとうございました。

以下、その他の「ん」です。

ん?どうした うかぬかおって あなたのせいよ
んんん... なにこのきもち これがこい

んーそうね きままにくらして いこうかな...
(「淋しさには名前がない」浅川マキ)

azisaka : 10:46

(を)ををうって そんなおおごえで よばないで

2017年04月05日

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その他の「を」

をっほっほ たかわらいして ふってやる
をんなごとき ってこうふんして なんなのよ
をんてっど あいしたからにゃ つかまえる

azisaka : 14:30

(わ)わりとよく にあってるでしょ ばらのはな

2017年04月04日

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その他の「わ」ではじまるタイトル4っつ。

わっちゃった かれとそろいの まぐかっぷ
わきめをね ふるひまなんて ないよこい
わいしゃつに そっとくちべに つけてみた
わたしたわ ぜんぶあなたに まいはーと

azisaka : 16:37

(ろ)ろくでなし いってもにやり にくいやつ

2017年04月03日

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とうとう残すところは「わ行」のみ!
「ろ」で始まるその他のタイトル3っつ。

ろんどんへ にもつはひとつ えれきぎたー
ろーるぱん しつれんくるんで やきあげる
ろまんすを おいもとめすぎ よそじすぎ

azisaka : 12:25

(れ)れでぃには つけやきばでは なれまいし

2017年04月02日

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そんなわけで、その他の『れ』ではじまるタイトル傑作選。

れきぜんと してるふたりの あいさめた
れっすんを しなきゃへたくそ あなたうぶ
れれれのれ おでかけですか つれてって
れきだいの かれしならべて こんてすと

azisaka : 08:15

(る)るんぺんを あいしたおんなは きんべんだ

2017年04月01日

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こんにちは、今日は13時すぎくらいから個展会場であるアンスティチュ・フランセ九州におります。
会場の隅の床に座って本を読んでます。
気軽に声をおかけください。
あ、本は最近、飲み友達の森元斎が出した「アナキズム入門」(ちくま新書)です。
今、半分くらい読んだけど、めちゃおもろいぞ!

と、いうことで、いつものタイトル準入選集!

るすちゅうに かれのわいしゃつ においかぐ
るびぃより だんぜんだいやよ もらうなら
るーまにあ いってみたいな なんとなく

azisaka : 08:28

(り)りかちゃんと あるいてたでしょ てつないで

2017年03月31日

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今回はちょっとぷんとしてる、ご機嫌斜め45度くらいの女の子が登場です。

ところで明日、土曜日は13〜18時、個展会場もしくはその近辺におります。
坊主頭見かけたら、気軽に「よお」と声をおけけください。

毎度の次点集!

りくえすと もういちどつよく だきしめて
りっぱよね おんなよりしごと くそくらえ
りらっくす してよそんなじゃ つかれるわ
りこうなの のぞみひくけりゃ きずつかぬ

azisaka : 09:48

(ら)ららららら はなうたうたう こいしくて

2017年03月30日

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その他の「ら」ではじまるタイトル3っつ。

らじおから すきだったきょく きみいずこ
らっきいぃっ かれってひとりみ もえてきた
らいばるの あいつけおとし かれげっと

azisaka : 17:08

(よ)よるのちょう のぞめどひなかは とべまいに

2017年03月29日

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とうとう明日は「ら行」!
そんなわけで次点集。

よったふり きづかれたかな せなかごし
ようじんを してちゃこいには ありつけぬ
よりによって なぜあんたすき なのかしら

azisaka : 18:13

(え)えきまえの やなぎのしたよ きすしたの

2017年03月28日

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めげずに今日も次点集!

ええいいわ こんなわたしで いいのなら
えをかくの うまいのねでも それだけね
えんじんは ぜんかいこいを するのなら

azisaka : 11:18

(ゆ)ゆきふるよ うすぎのあなた しんぱいよ

2017年03月27日

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いつものタイトル準入選作品集です。

ゆりのはな うつむいてなに かんがえる
ゆかいなの すぐばれるうそ つくことが
ゆかたきて きたのよなにか いってよね

azisaka : 14:10

(い)いかないで いわずだまって ひっぱたく

2017年03月26日

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惜しくも選ばれなかったタイトル案3つ!

いったでしょ さいしょにりょうり へただって
いわなくちゃ いまこそわたしも あなたすき
いいきみよ あたしふるから すすめばち

azisaka : 16:28

(や)やめときな いわれるほどに もえるこい

2017年03月25日

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今日から春個展「戯れに恋はすまじ」が始まりました。
ご都合よろしければふらりとぜひおこしください。
(詳細は以下の通りです)

アジサカコウジ2017春個展
「戯れに恋はすまじ」
今回展示販売するのは並べると一続きになる裸婦の連作が48枚です。
カルタの読み札のように「あ~ん」で始まる短文の題名がついていて、
それぞれが恋愛についての箴言みたいな趣になっています。
例えば「ときめきに ねむれぬよるは しゃあべっと」とか、
「ろくでなし いってもにやり にくいやつ」とかそんな感じです。
個展のタイトル「戯れに恋はすまじ」は19世紀のフランス、
若い男女の恋の駆け引きを描いたミュッセの戯曲名からとりました。

3月25日(土)~4月28日(金)
「アンスティチュ・フランセ九州5Fギャラリー」
福岡市中央区大名2-12-6 BLD F.
(市営地下鉄赤坂駅3番出口出てすぐです。1階にカステラの福砂屋さんがあります)
TEL 092-712-0904
開館時間 (日祝月は休館)
(火~金)10:00-19:00
(土)10:00-18:00
(会期中、アジサカは毎週土曜日の午後1時くらいから会場におります)

本日、3月25日(土)18:30より、オープニングパーティが開催されます。
入場無料で、どなたでも参加できます。
おいしいワインやチーズもありますので、どうか気軽におこしください。

そして、毎回おなじみタイトル次点集!

やましいこと あるのねあんた めをみない
やっときた おそいじゃないの さめちゃった
やきもちを やきすぎこがし にがいこい

azisaka : 10:24

(も)もうれつな あたっくかけて こいびとに

2017年03月24日

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なんか、毎日裸の女ばっかでだんだんうんざりしてきた方も中にはいらっしゃると思いますが、残りもう少しなのですみません。
そして、あいかわらずの準入選作紹介です。

もじもじと てれるあなたを おきざりに
もつなべに にらをいれない ありえない
もみじばで うなじくすぐる こいしくて
もってこーい いわれてはしゃぐ めがねばし

azisaka : 16:54

(め)めくるめく こいならそうね してもいい

2017年03月23日

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いつもの次点集!

めんたいこ みたいにぴりり からいこい
めろんぱん みたいにふわり あまいこい
めがあえば それだけでむね はちきれる
めがねがね ほしいとかねがね ねがってた

ところで、いよいよ明後日25日(土)より、待ちに待った(という人が6人くらいはいてほしい)春個展福岡場所がはじまります。

すでにお知らせしましたように、今回展示するのは並べると一続きになる裸婦の連作が48枚です。
カルタの読み札のように「あ~ん」で始まる短文の題名がついていて、
それぞれが恋愛についての箴言みたいな趣になっています。

展示作品はすべて販売しております。
購入ご希望の方はアジサカまで直接ご連絡ください。
(お支払いは1年以内であれば、後日でも分割でもいっこうにかまいません)
絵の引渡しは長崎展終了後、6月初めとなります。

尚、アジサカは会期中、毎週土曜日の午後は会場におります。

アジサカコウジ2017春個展
「戯れに恋はすまじ」

3月25日(土)~4月28日(金)
「アンスティチュ・フランセ九州5Fギャラリー」
福岡市中央区大名2-12-6 BLD F.
(市営地下鉄の赤坂駅3番出口出てすぐです)
TEL 092-712-0904
開館時間 (日祝月は休館)
(火~金)10:00-13:00 / 14:00-19:00
(土)10:00-13:00 / 14:00-18:00

オープニングパーティ:3月25日(土)18:30
(入場無料)
おいしいワインとチーズなどがありますので、どなたでもお気軽にどうぞ。

azisaka : 15:29

(む)むかしから ずっとみてたの とおくから

2017年03月22日

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毎度おなじみの準入選作集!

むししよう しゃべるとばれる あなたすき
むかしもっと やせてたねって うるさいわ
むちゃくちゃ ぺちゃくちゃはなす のよわたし

azisaka : 17:33

(み)みつあみを きゅっとむすんで なつがきた

2017年03月21日

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毎度おなじみタイトル準入選集。

みんなには おにあいだって いわれたし
みつかって しまったたべたの けーきにこ
みばえよく えらんだふくに でかいあな
みさかいが ないのねあたし てごわいよ 

azisaka : 21:02

(ま)まってるわ じしんないけど いちねんは

2017年03月20日

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と言ってるけど、どう見ても一年も待ってはくれそうにはない。

そんなわけで、飽きもせずに次点集。

まえがみを いってんごみり きりすぎた
まーがりん つけずぱんたべ にきろげん
まじっすか まじっすよもう こりごりよ
まつげがね ながいのしってた わたしより

azisaka : 22:46

ライブのお知らせ

2017年03月19日

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裸の女が延々と続いてる最中にいきなりで恐縮ですが、友人が歌うライブの案内です。
かつて何度か個展のオープニング等で歌ってもらったおきつななこが、沖縄からやってきたミナクマリと共演します。
会場は中央区はけやき通りからちょこっと入ったとこにあるブティック「l’onde(ロンド)」
半地下みたいな一風変わった場所で、とっても居心地のいい空間です。
花の季節にふさわしい心地良いライブになると思いますので、ご都合よろしければぜひお越しください。
(アジサカおりますので、見かけたら「よぉ」と声をおかけください)
チケットの予約など詳細は以下のとおりです。

「ミナクマリ カラフル・スパイス・ツアー」
〜歌と十九弦と三弦と〜
ミナクマリ& おきつななこ

スウィートボイスとインドの19弦楽器、シタールを艶やかなポップスに紡ぎあげる唯一無二の存在、ミナクマリ。
美しい三線と透明感溢れる歌姫、おきつななこの2人がカラフルな春色世界へお連れします。

出演:ミナクマリ (Sitar & Vo)、おきつななこ (Vo & 三線)
時間:OPEN 19:30 START 20:00
ライブ料金:予約 2000円/当日2500円(いずれも要1ドリンクオーダー)

会場: l'onde(〒810-0042 福岡県 福岡市中央区赤坂3丁目6-37-102)
https://www.facebook.com/l.onde.2013/
050-3577-4112
チケット予約、お問い合わせ
minakmari@yahoo.co.jp
件名を「 4/03」とし、お名前・連絡先・人数・を明記の上、上記のアドレスまでご送信ください。3日以内にご予約確認の返信メールをさせていただきます。
携帯で受信される方は、PCメールが拒否設定されていないかご確認ください。

(出演者 プロフィール)

ミナクマリ(minakumari)
http://minakumari.net/
シンガーソングライター&シタール奏者
岡山県倉敷生まれ、ガールズバンドCATCH-UPのソングライター、ギタリストとしてデビュー。3枚のアルバムを発表する。 東京・アジア・アフリカ語学院ヒンディー語科卒業。インド・コルカタにてシタール奏者モニラル・ナグ氏に師事、クライスト大学留学、インドディプラスティー(紅茶)専門学校卒業。帰国後、CHARA、新居昭乃、リップスライムやゴンザレス三上(GONTITI)のライブやレコーディングに参加。また、ジェームス・イハ、ハナレグミ、七尾旅人、mabanua、ASA-CHANG、U-zhaanとのセッションに参加するなど、数多くの場でやわらかい歌声とシタールを響かせる。
2009年フランスでコンサートツアーを開催。
2015年3rdアルバム『Meena』リリース。同年放送、NHK朝の連続ドラマ小説「まれ」の劇中でminakumariの楽曲「I am here」が使用される。
2016年10月21日に4rthアルバム『REHENA』をリリース。
幻想的なシタール・ワールドに日本語/ヒンディー語/英語をスウィートな歌声を乗せ、インドの伝統楽器で奏でる新しくも懐かしい童話のような歌世界。

おきつななこ
佐賀県出身、長崎県佐世保市世知原町在住。23歳の時に、沖縄の伝統楽器・三線との出会いをきっかけにうたを始める。日本のことばがよく似合う唄声は、舞台や日々のくらしの中で出会う様々な音色、人々を通して更に深みを増してゆく。現在はベースボーカルユニット「ハートランド」を始め、即興ピアニスト重松壮一郎との共演、アフリカン×民謡ユニット「ハナルナ」など、ジャンルやスタイルを問わず各地で活動中。

azisaka : 13:57

(ほ)ほしひかり よりもきらめく そのひとみ

2017年03月19日

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そんなわけで今日も次点集!

ほっといて なみだかれはて ねむるまで
ほめられて ちょうしにのって おちゃこぼす
ほれてるね おれにってまあ かんちがい
ほほよせて じっとうかがう きすのすき

azisaka : 11:53

(へ)へっちゃらよ ごういんさには なれてるの

2017年03月18日

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と、言われたって困りますよね。
つうか彼女この体勢、きつくないんかな...

(タイトル準入選集)
へんなかお するのねあなた あせるとき
へいそこの にいさんかもん だいたげる
へましても わらってゆるす かれほしい
へべれけに よえばむてきよ どんとこい

azisaka : 08:27

(ふ)ふたりのり たまにはあたし こがせてよ

2017年03月17日

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タイトル次点集!

ふあんなら まとめていえに おいてきた
ふぁみれすに しんやよびだし といつめる
ふしぎよね いまもどきどき じゅうねんめ
ふまんだわ もっとほめてよ ごきろげん
ふとおもう にんげんきげき ばるざっく

azisaka : 08:21

(ひ)びじんなら しあわせおおいが みなうすい

2017年03月16日

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毎度懲りもせず次点作品集!

ひみつがね あればはなすわ ほほえんで
ひまつぶし そんなりゆうで したのきす
ひっかいて やるわやさしく しないなら

azisaka : 07:48

(は)はじめての みぶりそぶりで めをとじる

2017年03月15日

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ところで、ほんの小さなことですがお知らせがあります。
FaceBookについてです。
アジサカのFBがありますが、それはあくまで告知用で、本人とは別の管理人さんがいて更新などを行ってもらっています。

アジサカはFBのことよくわかんないし、1年に3回くらいしか見ません。
「ふんっ、なんちゅう、一方的で横着なやろうだ!」
と、思われるのもごもっともですが、FBは今のとこ個人的には必要ない、でも個展の案内などできるだけ広く行いたい...という理由でこのようになってます。

時々メアドにともだち申請などが来たりしますが、よくわかんないので、見ないですべてスルーしてます。
それで、ひょっとしたら誰かに不愉快な思いをさせてしまったりしてるかもしれません。
もし、そうだとしたら以上のようなわけですので、どうか「しょうがねえなあ、まったく...」と平にご勘弁くださるよう御願いいたします。

と、いうわけで、いつもの次点集!

はりきって つくったべんとう おきわすれ
はっきりと いいなよすきだと なによそれ
はずかしい とかおとこでしょ あきれるわ
ばってんって あなたわたしと どうきょうね

azisaka : 16:13

(の)ののはなの ようでいたいと べにささず

2017年03月14日

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ほんの少し評判の準入選作品集!

のんきよね あたしでていく きなのにね
のっけから なによもっと ためらって
のびちゃった みつめちゃらーめん たべれない
のっくして おんなごごろは せじょうちゅう

azisaka : 09:12

(ね)ねこいがい しゃしんにとった ことがない

2017年03月13日

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今回惜しくも選ばれなかった「ね」ではじまるタイトル4点!

ねころんで ずっとおしゃべり にちようび
ねつっぽい ゆびさきふれた だけなのに
ねすがたを うっとりながめて けしょうすい
ねえきいて ももたべたらむね ふくらんだ

azisaka : 12:42

(ぬ)ぬかりなく いってたはずが こがしたわ

2017年03月12日

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「さあ、あとはじっくりことこと煮込むだけよ、うふふ...」と、火に鍋をかけたままお風呂に入って上がってみたら、水気が足りない+火力が強すぎ、で焦がしてしまった。
それで、ああ、どうしよう...と着替えもそこそこに椅子にへたり込んでしまった。
けど、「まあ、しょうがないや」と気をとりなおした。
と、まあ、察するに、上の絵はそういう感じの佇まいを描いたものだという気がします。

で、今日も次点集!

ぬいぐるみ おきにいりには あなたのな
ぬいだらね もうかえれなく なるかもよ
ぬくぬくと そだったあなた ふられなく
ぬれたかみ かわかすくらい まってよね

azisaka : 06:58

(に)にっきには あなただけと かいたけど

2017年03月11日

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この娘どう見ても、日記をまめに書いてるようね感じじゃないですよね...

そんなわけで今回入選をのがしたタイトル三つ!

にんにくは だめよこんばん あすでーと
にあわんって でもこれとても たかいのよ
にどめなの れんあいごとは しろうとね

azisaka : 08:26

(な)なんじだと きかないでいつも ときはいま

2017年03月10日

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題名とか忘れちゃったんですけど、むかし見たオランダ映画で、主人公の友人(ゲイであり、ノンケの主人公を密かに愛してた)が死ぬ間際に彼に残す言葉があって、それが強く印象に残った。

「時計を見るな。時間を気にするな。時はいつも今だ。」

ということで、次点集。

なみだがお みたってあなた しらんぷり
なれそめは きゃんぷふぁいや めがあって
なまいきと おでこつんされ てれわらい
なっとうの ごとくねばられ おとされた

azisaka : 08:45

(と)ときめきに ねむれぬよるは しゃあべっと

2017年03月09日

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後方、白くてまんまるいのが雪味のシャーベットです。
彼女曰く、ひまわりの花びらに包んで食べると格別うまいそう...

で、いつもの次点集!

とつぜんの こくはくにほほ まっかっか
とまっても いいけどねるの そふぁーでね
とりみだし ちゃったよきせぬ りょうおもい

azisaka : 11:00

(て)てきめんね あなたそわそわ あみたいつ

2017年03月08日

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そんなわけで、今回残念ながら優勝逃したタイトル三つ。

てんきあめ ふきげんなおり なかなおり
てれながら はなこするきみ たんじょうび
てんねんよ わざとぼけてる わけじゃない

azisaka : 12:19

(つ)つきなみね そうしていつも だましたの

2017年03月07日

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性懲りもなくまた、次点集です。

つらかった このこいもいま おわるのね
つりばかり たまにはでーとに さそってよ
つかれはて ねむるあなたに しのびよる
つきあって やってもいいとは なにさまよ

azisaka : 16:38

(ち)ちらかして ひるねしてたら かれがきた

2017年03月06日

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つうか、なんて格好で昼寝してんかい!っと、言いたくなるよな佇まいですよね。
以下、次点4点。

ちゅーしてと おどけていったが だめだった
ちいさくて かわいいゆびわが よかったな
ちきゅうの はてのはてまで ついてくわ
ちゃらっと しててもしんは つよそうね

azisaka : 10:21

(た)たいていの はんさむみんな つまらない

2017年03月05日

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恒例のタイトル準入選集!

たくらみを みぬかれぎゃくに だまされる
たわむれに はじめたはずが かつかざん
たかみから ものいうあなた だいきらい
たまらなく いとおしいのよ さいしょから

azisaka : 09:16

(そ)そっけない そぶりぶりぶり そこがすき

2017年03月04日

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今回、仕草がちょこっと、やけっぱちのマリア(手塚治虫)みたいだぞ。
ほんの少しだけ人気の次点集は以下!

そんなかお しないでよほら わらってよ
そういえば いつもみてたね おれのこと 
そうどこか まえのかれしに にたあなた
そくせきの こいがあじわい ぶかくなる

azisaka : 06:56

(せ)せんぱいと いわずなをよぶ かれだもの

2017年03月03日

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つうか、このコいったい部活は何なん?
って感じですけど...

以下にいつもの次点集!

せっかくの てりょうりこがし ぜんぶぱー
せめてもの おねがいよあと もうすこし
せんたくは まめにするのに あせくさい
せいかくの ふいっちってそれ なんなのさ

azisaka : 08:18

(す)すましがお してられるのも いまのうち

2017年03月02日

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タイトル次点集です

すきなのよ ひにひゃっかい かれにいう
すこしなら ゆるしてあげる うらぎりも
すーぷまで のこらずのんで くれたのね

azisaka : 09:06

(し)しっかりと むすんだくちで なにかたる

2017年03月01日

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以下、惜しくも今回採用されなかったタイトル四つ。

しょんぼりと ぼんぼりともす ひなまつり
しょうがない あのおんなには かなわない
しょっくよね あなただけじゃ ないなんて
しりがると いわれてもまた すきなひと

azisaka : 09:02

(さ)さっきから ためいきばかり ふたりきり

2017年02月28日

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いつもの次点集。

さろぺっと まだことしまで はけるはず
さむげたん たべてげんきだ こくはくだ
さみしくて かいたにがおえ にてないの
さっていく あとおうかわり いしなげた

azisaka : 09:50

(こ)こんなはず じゃなかったと わかれみち

2017年02月27日

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(タイトル準入選集)
こっちみて あっちみないで こっちみて
こいならば そんなぐっすり ねむれまい
こくはくは ゆうやみのなか こうえんで
こいをした はなうたうたう ごねんぶり

azisaka : 08:20

(け)けんかもね たまにしなきゃ にねんめだもの

2017年02月26日

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それでは以下に健闘むなしく採用されなかったタイトル4つを紹介します。

けんかして やぶいたしゃしん せろてーぷ
けっかてき とてもしあわせ いまあたし
けちんぼね きょうもわりかん たんじょうび
けるなんて ごんごどうだん さようなら

azisaka : 16:49

(く)くらくして きょうはたべすぎ ちゃったから

2017年02月25日

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吉例の準入選タイトル集!
くらすがえ あなたにあうの ろうかだけ
くちづけは つよくやさしく ためらわず
くろっかす さいたらきみの かみかざり

azisaka : 18:16

(き)きりょうよし しあわせにげる それだけじゃ

2017年02月24日

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今回はマロちゃん(青くてちっこいやつです)も登場!
ということで、惜しくも採用されなかったタイトル三つ。

きりとった きみのかおだけ きねんふぉと
きっとまた であうとしんじ おなじばす
きっかけは としよりかばう あなたみて

azisaka : 14:45

(か)かみきって いろをそめても きづかない

2017年02月23日

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おしくも準入選のタイトル候補4つ!

かってきて たのんだけーき これじゃない
かまわない どこへいこうが いっしょなら
かよわさは おんなのあかし いたわって
かわりばえ しないくやしい ほほのべに

azisaka : 07:40

(お)おいかけて おいついたのに さめたかお

2017年02月22日

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恒例のタイトル次点集!

おつかいに でたのになぜか かれのうち
おべんとう なみだでるほど うれしいの
おまじない きいてわたしは こくられる

azisaka : 09:26

(え)えりごのみ しなけりゃこいは めのまえに

2017年02月21日

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今日は、めくるめくような恋がしたいのに今のとこなかなかできないルミヨさんの登場です。
ということで、タイトル次席の3点は以下に。

えらいのね やせがまんでも にあわない
えきまえの やなぎのしたよ きすしたの
ええだって てをつなぐには あかるすぎ

azisaka : 08:04

(う)うかんでた なみだをこゆびで そっとふく

2017年02月20日

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「え?タイトルと絵の感じがちょっとちがうなあ...」
と思われるのもさもありなんですが、余計な説明をすると、失恋の悲しみにおぼれそうになりながらも、さあまた今日からしっかり前向いて歩んでいくわよ、って胸張ってる気丈な様子を描いたものです。(って、今とっさに考えついたんですけど...)

と、いうわけで、準入選のタイトル4つ。

うざいわよ こないでって いったでしょ
うらみっこ なしよなっとく したはずよ
うかれても うかれたりない すきすぎて
うみへいく ずぼんぬぎすて わんぴーす

azisaka : 08:50

(い)いわずとも かいわなりたつ まなざしで

2017年02月19日

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今日は、「戯れに恋はすまじ」シリーズの二回目です。
以下に、残念ながら今回は採用されなかった「い」ではじまるタイトル三つものっけときます。

いくじなし いわれきすする おそすぎよ
いらないわ こうかなものは にがてなの
いっときの はずがふかみに はまってく

azisaka : 07:27

(あ)あかあかと はげしくもえよ こいごころ

2017年02月18日

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昨日お知らせしましたように、勝手ながら今日から毎日、次の個展で展示する48枚の絵を「あ」から順番にひとつずつ紹介していこうと思います。

上に掲げたのが4年くらい前、まず最初に描いた絵です。
描き終わった後、「ああ、この女の子のとなりに誰かいたらいいのになぁ...」と思って別の人物を描いて、それを描いたら「ああ、この子のとなりに...」と、どんどん増えていって、キリがないので、48枚でひとまず終了したというものです。

他の仕事の合間、その時々の気分でぼちぼち描いていったものですし、あとで随分手直しもしましたので、繋がることは繋がりますが、絵柄(画風)がてんでばらばらです。
マンガっぽいおちゃめなものあれば、妙に官能的な(と、とれなくもない)ものもあったりします。

もしよろしければダウンロードして、続き絵にしてたのしんでください。
(左へ左へと繋がっていって、最後の48枚目は1枚目の右側に繋がります)

あ、蛇足ですが、以下に惜しくも次点の「あ」ではじまるタイトル三つ(笑)

あせっても いいことないわよ はつでーと
あきちゃった だってやさしい だけだもの
あっぱれね こんなわたしを ふるなんて

azisaka : 07:49

春個展’17のお知らせ

2017年02月17日

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「戯れに恋はすまじ」
久しぶり(なんと5年ぶり)に、福岡は中央区にあるアンスティチュ・フランセ九州で個展をやることになりました。
福岡のあとは、例年のごとく長崎は出島の「List:(リスト)」へと巡回します。

今回展示販売するのは、並べると一続きになる裸婦の連作が48枚です。
すべてF4サイズ(33X24mm)の大きさです。
3年前くらいから「西郷さんシリーズ」や「野生の女シリーズ」なんかと並行して描き続けていたもので、しょぼくなってしまった古いやつは大幅に描き直し、今回めでたく登場することになりました。

カルタの読み札のように「あ~ん」で始まる短文の題名がついていて、それぞれが恋愛についての箴言みたいな趣になっています。
例えば「ときめきに ねむれぬよるは しゃあべっと」とか、「ろくでなし いってもにやり にくいやつ」とかそんな感じです。

個展のタイトル「戯れに恋はすまじ」は、19世紀のフランス、若い男女の恋の駆け引きを描いたミュッセの戯曲名からとりました。

明日よりこの場で「あ」から順番に一点ずつ紹介していこうと思います。

「そいじゃあ、上に掲げた絵は何やねん?」というと、今回展示することになったアンスティチュの館長さん(とても気さく)が「うちで展示するなら、春のプログラムの表紙の絵を描いてくんないかなぁ...」といったので、「おお、喜んで!」と描いたものです。

ひとりの娘がフリジア帽(ドラクロアの”民衆を導く自由の女神”が頭にのっけてんのと同じやつです)を被り、平和の象徴である黄色いバラを手にしてます。
(わかりやすくてすまん)

アジサカコウジ春個展2017
「戯れに恋はすまじ」

(福岡)
3月25日(土)~4月28日(金)
「アンスティチュ・フランセ九州5Fギャラリー」
福岡市中央区大名2-12-6 BLD F.
TEL 092-712-0904
開館時間 (日祝月は休館)
(火~金)10:00-19:00
(土)10:00-18:00
オープニングパーティ:3月25日(土)18:30
(入場無料)
*毎週土曜の午後は会場におります
(あと、呼ばれれば、よっぽどのことないかぎりは南区からチャリで出てきます)

(長崎)
5月12日(金)~28日(日)
(会期中の金・土・日曜日)
「List:(リスト)」
長崎市出島町10-15 日新ビル2F
TEL 095-828-1951
営業時間 12:00-18:00
*会期中12,13,14日と27,28日は会場におります

azisaka : 09:41

マンガ傑作選 その146

2017年02月11日

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azisaka : 12:27

刺繍の女

2017年01月31日

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ずっと前からの古い友達がやおら本腰を入れて制作活動を開始した。
昨年一人娘が巣立っていったので、ちょいとばかし自分の自由になる時間が増えたのだ。
で、何をいったい制作するんだい?
というと、刺繍だ。

刺して刺して刺しまくって、縫って縫って縫いまくる。
これでもかと刺して縫う。

夜はドスを振りかざした極道で、昼はどんな傷も治す名外科医みたいだ。

そうであればこそ出来上がった作品は、ある時には見る人をグサリと刺し(刺激を与え)、ある時にはジワリと治療する(癒しを与える)。

ぱっと見はすっごく可愛い。
が、同時に何やら凄みがある。
やさしく儚げでありながら、図太くどっしりしている。

上に掲げたのは、彼女んちに遊びに行った時、出来立てホヤホヤを一目見て「おおーっ!」ってなって無理やり譲ってもらったブーゲンビリアの手提げバッグだ。

制作のかたわら、ちょこちょこ文章書いたり写真撮ったりしはじめたそうなので、たまにのぞいてみよう!

nuimori

azisaka : 17:06

coco子 その8

2017年01月14日

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「えーっ、このマンガいまいち何かようわからーん」
という人は、これを見よう!
ちょっとばかし温まるぞ!

azisaka : 21:23

マンガ傑作選 その145

2017年01月12日

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azisaka : 13:50

新年早々、お詫びと訂正

2017年01月01日

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元旦。
自分が作ったカレンダー(前回掲げてるチャイナチャイナ用)をふと見たら、はっとしてぐっときてあちゃあー!だった。
ご覧になるとすぐさまわかりますように、1月と2月、水曜日の休日がやたらと多いです。
実際は両月とも水曜日の祝日はありません。
さらに、1月12日(木)も、祝日ではなく平日です。
カレンダーとしてまったく役割を果たしていないものをお配りしてほんとうにすみません。
(気付くの遅っ...)
この暦にあわせて飛行機やライブのチケットを買ったり、結納の日どりを決めた方々などにつきましてはお詫びの言葉もありません。
気付かれた方は申し訳ありませんが自力で訂正願います。
そして、知らない人にはどうかこの旨お伝えください。
正月早々、ほんとうにごめんなさいっ。

というか一昨年は、2015年なのに、うっかり2014年と書いちゃってて、刷り直しをした。
その前年は、注文主から聞いてた枚数を取り違えて、追加するはめになった。
その数年前は8月が二回あるのを印刷所から教えてもらってあわてて書きなおした。
数字が出てくるとまるで妖術か何かにかかったように、間違いをおかしてしまう。
だいたい5回に3回はまちがえるぞ。
確定申告なんてのは、たいした額でも複雑さでもないのに、毎年ぼろぼろだ。
ううう、おそろしいことだ...

azisaka : 09:57

カレンダー2017(その2)

2016年12月23日

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熊本は中央区、水道町にある洋品店、チャイナチャイナの来年のカレンダーです。
お店で何か買うと、もれなく付いてくるそうです。

と、いうことで、そこの女主人が好きなカルトーラ

azisaka : 16:15

カレンダー2017(その1)

2016年12月22日

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福岡は中央区、大名にある美容室バルベリアの来年のカレンダーです。
店内で、200円か300円で販売しております。
オリジナルブレンドのコーヒー豆も販売してて、その袋のイラストも描いてます。
コーヒーはきりっとしてうまいです。

azisaka : 13:50

coco子 その7

2016年12月19日

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azisaka : 11:28

マンガ傑作選 その144

2016年11月25日

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azisaka : 07:57

山本作兵衛さん その2(衝動)

2016年11月20日

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「作兵衛さんのことは、菊畑さんが言いつくしちゃってんだよなぁ...」と、日本の近現代史が専門の知り合い(市立博物館の館長もやってる)が飲み会の席で天井見ながらつぶやいた。
彼とはかつて一緒に奄美にノロの祭事(平瀬マンカイ)見に行ったり、何度か飲み食いしたりしてて、そのようなことに関してはなかなか信頼の置ける人と感じていた。
なので、「おお、そうなのか...」と心手帳に心赤ペンでしっかりくっきりメモしておいた。
菊畑さんってのは、画家の菊畑モクマのことだろう。

それから間もなく、作兵衛さんの絵がユネスコの世界文化遺産とかに登録された。
福岡でユネスコの偉い人を海外から招いて記念のシンポジウムみたいなのが開かれることになった。
何気にチラシを手に取ると講演者にその菊畑さんの名を見つけた。
そんなもの滅多にいかないが、「おお、よっしゃあ」と聞きに行くことにした。

会が始まって、何人かの挨拶みたいなのがあって、うとうとしそうになってたら菊畑さんの話がはじまった。
開口一番、「作兵衛さんは、こんなもの(世界文化遺産に登録されたこと)、屁とも思ってないないだろう」みたいなことを(ユネスコの人がいる前で)言ったので、場の空気がかなり凍りついた。

けれど、こっちときたらおかげで目が冴えカッと熱くなり、「ううう、きて良かった...」と身を乗り出しながら耳を傾けた。

話の中で、もっとも強く心に突き刺さったのは、作兵衛さんが炭鉱の絵を描き始めた動機についてのものだ。
一般的には、その自伝からとった「孫たちにヤマの生活やヤマの作業や人情を書き残しておこうと思いたった」という説明がなされてる。

しかし菊畑さん曰く、「人ってのは、そういうんもんでは絵は描かない...」

作兵衛さんは太平洋戦争の前からずっと炭鉱で働いていた。
しかし、戦後間もなく石油へのエネルギー転換の波が押し寄せ、炭鉱は閉山、解雇された彼は夜警宿直員(16時間勤務)として働き始める。

戦争中、彼は息子を亡くした。
長男の光さんは招集され軍艦羽黒に乗艦、マラッカ海峡で英艦船から集中砲火を浴び戦死したのだ。
享年23。

夜警の間、真夜中に一人、夜の闇の中いて、彼は戦死した我が子のことを強く思ったに違いない。
戦争や、この世の中の理不尽さ悲惨さを、強く思ったに違いない。
死んだ我が子に何とか近づきたい、対話したい、なにか表現したい、具体的な形にしたい...

とりあえず、彼はむかしから絵が好きだった、上手であった。
宿直室には紙と墨があった。
その衝動に駆られるまま、日常、見慣れた炭鉱の生活を描いていった。

笛を吹くのが得意であれば笛を吹いたであろう。
文章がうまいのなら、歌を詠み、詩を書いたかもしれない。
喧嘩好きなら人を殴ったのかもしれない。

紙がなけりゃあ、壁に、墨がなけりゃあ木の枝で描いただろう。
漁師なら魚獲りの、大工なら大工仕事を描いたであろう。
描くことさえできれば、題材は何だっていい。

ひとは、”記録”などのために、”絵”は描かない。
ひとが何かを表現するのは、やむにやまれぬ衝動があるからだ。
まず、”衝動”ありき。

と、まあ、菊畑さんの話を、自分の言葉で勝手に要約するなら、こんな具合に聞こえた。

作兵衛さんの画集を開いて、人がまず息を飲むのは、圧倒されるのは、その描写の緻密さや克明さ、”記録”的な素晴らしさ、などではない。
それは一枚一枚にどす黒くうごめき燃え盛る、名付けようのない一個の衝迫、衝動だ。


azisaka : 08:41

coco子 その6

2016年10月24日

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と、いうわけでこれを!

azisaka : 09:27

ウラジーミル・キャロット

2016年10月16日

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あ、みょん子ちゃん、何してんの?

見りゃわかるでしょ、じゃましないでよね

じゃまするつもりなんてこれっぽっちもないよ。ただ、いったい何やってんのかなぁ、って思って...

ったく、よく見なさいよ、あんたの目はどこについてんの、お尻にでもついてんじゃない?

ううん、ちゃんとおでこの下、鼻の両脇に2個ついてる

だったらその2個の目でしっかり、あたしのやってること見てごらんなさいよ

あ、あの、すみません、それじゃあこの目隠し取ってくれませんか?

わあ、そうだった、うっかり自分のやってることに夢中で、あんたに目隠しして縄で縛って、モミの木の根っこに括り付けてたのをすっかり忘れちゃってたわ

モミの木?

ええ、モミの木よ

ぼく、これカシの木かと思ってた

あら、どうして?

だって、なんとなくカシカシしてて、モミモミっていう感じじゃなかったから...
そうかあ、モミの木だったのかぁ...ん、モミの木?
さてはみょん子ちゃん、クリスマスツリーを作ってたんじゃない?

ふう...何言ってんのよ、今は10月。クリスマスにはまだまだ早いわ...
あんたねぇ...いくら仕事が忙しいからって季節の移り変わりに鈍感なようじゃ、生き生きとした人生なんておくれないわよ。
だから、ごらんなさいよ。いざっていうときに踏ん張りがきかなくてさ、あたしみたいな女の子に簡単に叩き伏せられちゃって、おまけに3日間も木の根っこに縛りつけられたりすんのよっ

ええっ、もう三日もこうしてたのかあ...どおりでお腹がすくわけだぁ...
ああ、お腹すいたなあ...

ふう...まったくあんたって...季節はおろか日々の移ろいにも鈍感なのね...
というか、あきれてしまうのは、そんなに腹ペコなのに、この臭いが気にならないの?
こーんなに美味しそうな臭いが、3日前からずーっと辺りにたちこめてんのに、あんた何にも感じないの?

だ、だってみょん子ちゃん、鼻栓が...
ぼく鼻栓かまされちゃってる。
そんなわけで、ずっと口だけで呼吸してる...はぁはぁはぁ...

もうっ!そんな鼻栓なんて、「ふんっ」って強く鼻息吐いて、ぶっ飛ばしてしまいなさいよ!

だ、だって、そんなことしたら鼻汁もいっしょに飛び出しちゃって、大切なシャツ汚してしまうじゃないか。
君が去年のクリスマスにプレゼントしてくれたタータンチェックのネルシャツ...ぼくの一番のお気に入り...

去年じゃなくて、一昨年よ

一昨年...え、そうだったっけ?
時の経つのは早いもんだなぁ...
と、ともかく、大切なシャツだから汚したくないんだ

いいわよ、汚して。
あたし洗ったげる

ああ、みょん子ちゃんって、いつも優しい...
よぉし...
ふんっ!

ぴゅーん

ぽちゃん...

あーっ、にんじんスープの中に落ちちゃったーっ

おお、にんじんスープの臭いが!
ぼく、にんじんスープ大好き!

まあ、ふつうそうよね...あんたウサギなんだから

えーっ、ウサギーっ!!
おれってウサギだったのかーっ!

そうよ、ウサギの黒龍丸よ

こ、こくりゅうまるぅ...

や、やだよぉ...そんな闘犬みたいな荒々しい名前...
も、もっと、可愛らしい名前がいい

あら、そおぉ?
んっと...じゃあ、メアリー!

それ、西洋の女の名前だろ?
おれ日本男子だぜっ

...じゃあ、信長は?

だからぁ...もうっ...
みょん子ちゃん、ぜんぜんわかってない。
しょうがない、ぼくの希望、箇条書きにするから、しっかり読んでよ

1)可愛らしい名前
2)男らしい名前
3)うさぎらしい名前

うん、しっかり読んだ

で?

うん、そうねぇ...
キャロット...
キャロットはどう!

おお、いい!

ウラジーミル・キャロットよ!

え?
ウラジーミル...?
キャロットっていう名前は素敵だけど...
その、ウラジーミルってロシア風の苗字は一体...?

あら、あなたのお父さんはロシア人じゃない?
たしか、お母さんは青森出身の日本人、お父さんはミンスク出身のロシア人のはずよ

えーっ、知らんかったーっ!
だからぼくって毛深いんだぁ

そ、それは、ちょっと見当はずれのような気がするけど...
まあ、いいわ...
はいスープ

ズズッ...

う、うまーっ!
みょん子ちゃん、料理じょうずーっ!
ぼくみょん子ちゃん、大好き!

ありがと

azisaka : 13:32

マンガ傑作選 その143

2016年10月11日

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azisaka : 07:13

ちひろ、あずさ、リルケ

2016年10月03日

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うちの奥さんの仕事は学校の事務員だ。
3年くらい前からは特別支援学校に通ってる。
特別支援学校っていうのは何でか辺鄙なとこにあるので通勤が大変だ。
まずは駅へ歩いて15分、電車に乗って10分、地下鉄に乗り換え30分、最寄りの駅で降りたら、そこからさらに自転車漕いで15分。
通勤だけでも一苦労、毎日なかなかのもんだ。
それで夕刻へとへとになって帰ってくる。
へとへとだけど疲れたらなぜか気分が高揚するタイプの人間(かつおしゃべり好き)なので、晩御飯食べながら、その日学校であった出来事なんかを、怒涛のごとくにはなす。

校庭にでかいヘビがいたとか、事務室に蟹が入ってきたとか、パソコン紛失したとか、不審者対策の訓練あったとか、教頭が京都に出張で生八つ橋買ってきたとか、中等部の~ちゃんが行方不明になったとか、車椅子の種類の豊富さ、生徒の微妙な表情を読み取る先生のすごさ、~ちゃんのしぐさの可愛さ、~くんの癇癪のはげしさ、お気にいりの子の様子、苦手な子の様子、学習発表会やクリスマス会の様子、~ちゃんのお母さんの服のセンスのよさ、~ちゃんのお父さんの元気さ、別のお父さんのイライラ具合、掃除のおばさんの関西弁のおかしさ、用務員のおじさんの何でも修繕できるすばらしさ...

で、生徒たちが授業の一環で作ったり、卒業した生徒が働く作業所で作ったりした陶器だとか、コースターだとか洗濯バサミ、パンやクッキーや饅頭なんかを事あるごとに買ってくる。
それで家の食器棚には、ちひろだとか、しんやだとか裏に刻まれた器が少なからず並んでて、「きょうのカレーはどの皿にする?」「あ、ちひろにしよう」というような具合だ。

さて先日は、重度の障害を持つ生徒の一人が指談で書いて自主出版したという詩集を買ってきた。
「なんか、とてもいいんよ」と言ってぐっと差し出すので、ぱらぱらと読んだ。
うん、いい。
作者は松田梓さん。
こんな詩だ。

『大きなお世話』
「大きなお世話だなあ」
と思うときがある
私は動物が苦手なのに
「可愛いでしょう?」って
犬を触らせられるとき
生まれてから何度もある
母は犬が好きだから
「可愛い可愛い」って喜ぶけど、
私は、早くあっちへ行って欲しい
怖くて内心ビクビク
障害児は犬が好きだって
だれが言ったのかなあ?

『バラの花』
自己顕示欲の強い花
「私きれいでしょ?」って
ツンとすましてる
「キレイキレイ」って人から言われる度に
「そうでしょ、そうでしょ」
と言っている
この傲慢さが私は好き
いかにも花らしい
綺麗だから花なのに
「私、大したことないの」って
言ってる花はつまらない
私もバラに負けない花でいたい

『邪魔者とお客様』
同じ私なのに
邪魔者だったり
お客様だったり
飛行機でも
レストランでも
空いてる時には大事なお客様
混んでる時には
迷惑な邪魔者
言葉じゃなくて
じわっと空気で伝わってくる
混んでる時には家にいて
空いてる時には出かける
それがうちのルール
学校をサボってばかり
先生ごめんなさい

読みながら、数年前に読んだ本のことを思い出した。
熊本に住む思想家の渡辺京二が東京から来た女子大生たちの質問に答えるというものだ。
こんなことが書いてあった。

~自分が生きていくということ、これが一番大事で、なぜそうなのかというと、この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
 リルケという詩人がいますが、彼は人間はなんのために存在しているんだろうと考えたのね。人間は一番罪深い存在だという見方も当然一面ではありますが、ごく自然に言って、人間はあらゆる意味で、進化の頂点に立っている。人間は神様が作ったものじゃない。ビッグバンから始まった宇宙の進化が創り出したのが人間という存在である。
 ではなんのために、この全宇宙は、この世界という全存在は、人間というものを生み出したのであろうか。
 その時に彼は世界が美しいからだじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい、誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいために人間を作ったんだというふうに考えたんだねえ。これは科学的根拠なんか何もない話で、学問的に考えると、とくに理科系の人は、そんなのは自然の目的論的解釈で、非科学的な哲学だというわけだね。でも哲学でけっこうなんだ。これは哲学なんだから。人間は、この全宇宙、全自然存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さというものに感動する。人間がいなけりゃ、美しく咲いてる花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか、だから自然が自分自身を認識して感動するために、人間を創り出したんだ。
 そう思ったら、この世に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。全人間がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球に旅人としてごく僅かの間、何十年か滞在する。その間、毎年毎年花は咲いてくれる、これはすごいことでありまして、たとえばうちの庭の梅の花も、多少時間は何十日か遅れることがあっても、必ず約束したように、毎年毎年咲いてくれます。そういうふうに毎年毎年花を見る。毎年毎年、ああ、暑かった、ああ、寒かったと言って一年を送る、それだけで人間の存在意義はあるんです。この社会に出て行って、立派な社会貢献をしたり、あるいは自分の才能を持って名前を輝かしたりしなくても、ごく平凡な人間として一生を終わって、それで生まれてきたかいは十分にあるわけです。(以上)

azisaka : 08:26

coco子 その5

2016年09月18日

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パリに住んでた時分は、このドネルケバブ(フランスではサンドイッチ・グレック(ギリシャのサンドイッチ)って呼んでる)をしょっちゅう食べてた。
安くてうまくて腹いっぱいになるからだ。
当時のベルヴィル界隈の店はほとんど食べつくしたと思う。
「Harissa(アリサ)」っていう素敵な名前の唐辛子ソースをいつもたっぷり入れてもらった。

azisaka : 15:34

山本作兵衛さん その1(フーコー温泉)

2016年09月14日

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もう20年位前くらいになるけど、福岡は中央区の桜坂ってとこに住んでた時、近所に地方出版やってる小さな会社があった。
そこの社長さんと、さる飲み会で知り合ったので、ある日散歩がてらに遊びに行った。
扉開けて入ると、狭い部屋に六つくらい机が並んでて、いたるところに本がめしめし積まれてあった。

隣の応接室みたいなとこに招かれて、お茶を飲んでしばらくおしゃべりをした。
つい最近出版した本の中に「逝きし日の面影」っていうのがあり、西部邁も筑紫哲也もその本を読んで感涙にむせんだ。
文学でもない、こういった類の本で、右も左も(思想的に右側と呼ばれる人も、左側と呼ばれる人も)感動させるのは大したもんだ。
というようなことなんかを話してもらった。

話し終わって席を立ち、事務所を通って入り口の方に向かおうとしてたら、誰かに後ろから肩をぐいとつかまれた。
振り向いたら、それは人ではなくて、分厚い本だった。
背表紙に、山本作兵衛畫文「筑豊炭鉱繪巻」と記されている。
「なんだこりゃあ...」
「すみません、ちょっとこれ見せていただけますか...」と手にとって開いてみた。

「うわぁ...」
腰が抜けるくらいびっくりした。

あわてて最寄りの郵便局に行き、お金を下ろし、売ってもらった。
1割引いてもらった。

数年後、うちに遊びに来た在日数十年のフランス人の男に見せたら「マーニフィック!」とか「ジェーニアル!」とか、仏語感嘆詞連発しながらひどく感激した。
あげくのはて、「ゆっくり家で見たいから貸してくれ」と頼むので、仕方なく貸した。
以前彼から「極私的エロス・恋歌1974」という原一男のドキュメンタリービデオを無理言って貸してもらったり、生まれた子猫を一匹引き取ってもらったりした借りがあるので断れなかったのだ。
(そのあとすぐにベルギーへ引っ越したので、返してもらう機会を逃したまま、新たに出た復刻本を買うはめになった...)

このフランス人、兵役の代わりか何かで学生時代に日本に来て、そのまま居座っちゃったんだけど、すごくいい話がある。
(話が本筋から逸れてすまんけど、せっかく彼のことひさびさに思い出したので)

彼がまだ若く、日本に来て間もない頃、日仏協会(もしくは日仏学館)から電話がかかってきた。

「今度、パリからさる大学教授がやってきて講演するんだけど、その人の観光案内をやってくれないか」という用件だった。
「私らには初めて聞く名だが、君は読書家みたいだから、ひょっとしたらこの先生のこと知ってるかもしれん...」

暇だし、バイト代も出るし、喜んで引き受けた。
引き受けて、その先生の名前を聞くと、担当者が言った。

「ああ、たしか、ミシェル...ミシェル・フーコーっていってたな...」

「セパブレ...!」
(セパブレってのは、「えーっ!まじ...」っていう仏語です。)

で、ミシェル・フーコーっていったい誰やねん?というと、フランスのすごく有名な哲学者です。

彼と”フーコーさん”は会ったその日に二人して(誰が望んだか知らないけど)長崎の平戸へ行った。
教会なんかを見て歩き、いっしょに温泉にも入った。
そのあと街中の喫茶店に入った。
コーヒーを頼んだ。
コーヒー飲んでると、少し離れた席に座り、さっきからこっちをチラ見してる青年がいる。
と、やおら彼がこちらに近づいてきた。
そして、尋ねた。
「あの、失礼ですが、ミシェル・フーコーさんではありませんか?」

フーコーさんは、とても驚いた。
とても驚くとともに、いたく感激した。

「パリのサンジェルマンだって、大学を一歩外に出たら、私に気がつく人など誰一人いやしない。だのに、こんな東の果ての島国の、そのまたちっぽけな島のカフェに、私のことを知ってる人がいるなんて...!」

と、まあ、思い出したいい話というのは、これだけなんだけど...

フーコーさんはその何年か後にエイズで他界した。

当時まだ二十代だったフランスの友人はイヴェント関係の仕事しつつ、たくさんの孫に囲まれ幸せに暮らしてる。

平戸の喫茶店の青年は今どこでどうしてるんだろう...
生きてりゃ六十代半ばだろうけど...

ところで、そんな話を聞いた年の末、里帰りのついでに、さっそく同じ温泉に行った。
その湯に浸ると賢くなるという気がしたからだ(笑)

以来、何度か訪れて、その温泉のことを我が家では”フーコー温泉”と名付け、慣れ親しんでいる。
「あんたの文章わりといいね」とごくたまに褒められるこんな文章書けるのも、子供らの学業がそこそこうまくいってるのも、きっとこのフーコー温泉の効能だと思う。

あ、知らぬ間にたいそう話が横道に逸れてしまった。
今回は、山本作兵衛さんについて、話をしたかったんだった...

長くなちゃったので、それはまた今度の機会にします。

azisaka : 07:38

今はもう秋

2016年09月09日

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あろうことか、作業場にはエアコンついてないので、この夏はなかなかきつかった。
汗かきかき絵を描いてたらいつの間にか終わってたけど...
そいでもって久しぶりにデジムナー仕事をやった。
上に掲げてるのがそいつです。
おかげさまで、すでに満員御礼だそうです。

azisaka : 07:13

マンガ傑作選 その142

2016年08月21日

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azisaka : 09:06

「英国から考える、沈む国・日本」

2016年08月06日

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1年半くらい前のこと、「ちょっと会って話がしたいんですけど」と連絡があったので待ち合わせ場所に行ってみたら、初めて会うその男は同い年の大柄なロン毛野郎で細身のパンツにドクターマーチン、でかい指輪はめて、とっても礼儀正しかった。
高校の時、先輩に連れて行かれたスターリンのライブにやられちまってからの図太く強靭な筋金入ったパンク野郎で、本を売ることを職業としていた。
なかなか気が合ってすぐさま一緒に仕事をすることになったんだけど、そんな彼が会った当初から、「この人の文章、すっごくいいんですよね、俺、大好きなんす」って事あるごとに言ってたのが、同じく心根がパンクなブレイディみかこさんだ。
試しに読んでみた。
確かにいい、例えばこんな感じだ。

「ボウイが死んだ」
「は? ボウイって誰?」
そんな変な名前の友人が連合いにいたっけ?と思った。最近やけに死ぬ人が多いので、また誰か逝ったのかと思ったのだ。
「ボウイだよ、デヴィッド・ボウイ」
と言って、連合いは電話口で”Space Oddity”を歌いだした。
「えっ」
と驚いて「いつ?」と訊くと
「いまラジオで言っている。公式発表だって」
と連合いが言った。
 頭がぼんやりしていた。意味もなく、いまUKで連合いのように“Space Oddity”を歌っている人が何人いるのだろうと思った。
 以前も書いたことがあるが、わたしはボウイのファンではない。そもそもロックスタアの逆張りとして登場したジョニー・ロットンを生涯の師と定めた女である。だから彼の音楽も「まあ一通り」的な聴き方をした程度だし、同世代の女性たちのように麗しのボウイ様に憧れた思い出もない。
 寧ろ、彼の音楽に本格的に何かを感じ始めたのは前作の『The Next Day』からである。
アンチエイジングにしゃかりきになっているロックスタアたちへの逆張りを、誰よりもロックスタアだったボウイが始めたように感じたからだ。
 彼は老いることそのものをロックにしようとしていると思った。
 絶対にロックにはなり得ないものをロックにしようとする果敢さと、その方法論の聡明さにわたしは打たれた。だからこそ、2013年以降は
「いま一番ロックなのはボウイだ」
と酒の席で言い続けてきたのだ。
 権力を倒せだの俺は反逆者だの戦争反対だのセックスしてえだの、そういう言葉がロックという様式芸能の中の、まるで歌舞伎の「絶景かな、絶景かな」みたいな文句になり、スーパーのロック売り場に行儀よく並べられて販売されているときに、ボウイは「老齢化」という先進国の誰もがまだしっかり目を見開いて直視することができないホラーな真実を、ひとり目を逸らさずに見据えている。そんな気がしたのである。
 しかもまたボウイときたら、それをクールに行うことができた。
 新譜収録の〝Lazarus”のPVの死相漂うボウイの格好良さはどうだろう。
 プロデューサーのトニー・ヴィスコンティは「彼の死は、彼の人生と何ら変わりなかった。それはアートワークだった」と語っているが、ボウイは自らの死期を知っていて、別れの挨拶として新譜を作ったという。リリースのタイミングも何もかも、すべてが綿密に計画されたものだった。
 思えば2年前。クール。というある世代まではどんなものより大事だったコンセプトを復権させるためにボウイは戻って来たのではなかったか。
 そのコンセプトというか美意識がずぶずぶといい加減に溶け出してから、世の中はずいぶんと醜悪で愚かしい場所になってしまったから。
 ボウイのクールとは、邦訳すれば矜持のことだった。
 「英国に止まらない雨が降った朝」(ele-king )より抜粋。

さて、そんなブレイディみかこさんは伊藤野枝と同じ福岡は今宿出身、今月、冒頭で紹介した男の本屋でトークショーをやることになった。
上に掲げたのがそのポスターだ。
話し相手は森元斎で、詳細は以下の通りです。
万象繰り合わせまくってぜひ!
(つうか残席わずか!)

ブレイディみかこ氏ライブトーク
「英国から考える、沈む国・日本」
 社会保障の削減。雇用の悪化。貧困の拡大。日本でも、英国でも、若者や労働者たちはもはや未来を信じられなくなっている。海を越えて同じ問題に直面している二つの国。だが、英国では人々が切実な怒りを突き上げる政治的な動きがある。一方、日本はどうか。ことによれば、日本のほうが英国よりも破滅的な状況なのかもしれない……
 英国に20年暮らし、欧州の政治状況を綴った『ヨーロッパ・コーリング』(岩波書店)と日本取材記『沈む国の幸福な日本人』(太田出版)を上梓されたブレイディみかこさんが、東京よりも隣国を近くに望む故郷・福岡で、「地べた」「下」から見た英国と日本の今を語る。

日時:8月20日(土曜日)18:00~20:00
場所:福岡パルコ新館6Fタマリバ6(フタバ図書隣)
聞き手:森元斎氏(九州産業大学非常勤講師・哲学史研究)
参加方法:無料。フタバ図書福岡パルコ新館店に電話で、または直接お申込み下さい(定員に達し次第締切)
ご予約・お問い合わせ:フタバ図書福岡パルコ新館店(電話092-235-7488)

<プロフィール>
■ブレイディみかこ(ぶれいでぃ みかこ) 
1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『花の命はノー・フューチャー』(碧天舎)、ele-king連載中の同名コラムから生まれた『アナキズム・イン・ザ・UK ――壊れた英国とパンク保育士奮闘記』(Pヴァイン)、『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝 』(Pヴァイン)がある。
The Brady Blog HYPERLINK "http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/"http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/
Yahoo!ニュース個人 ブレイディみかこ
 HYPERLINK "http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/"http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/

■森元斎(もり もとなお)
九州産業大学・龍谷大学非常勤講師。専攻:哲学、思想史。1983年東京生まれ。中央大学文学部卒業、大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)
著書に『具体性の哲学 ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社)

azisaka : 06:34

coco子 その4

2016年07月11日

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パリの日本語新聞「OVNI」に、好評連載中の"coco子”その第4回目です。
これ読んで実家の母が「こうじ、何ねこい?あたしゃ、わけわからん」と言ったので、すさまじく大きなお世話だと思いますが以下に補足。

ジャン=ポール・ゴルチエ→有名なファッションデザイナー

ジャン=ポール・サルトル→有名な哲学者、小説家

オート・クチュール→オーダーメイド、一点ものの高級服

嘔吐→サルトルの代表的な小説の題名、今回の選挙結果見たときの心ある人の反応のひとつ

azisaka : 07:24

初夏個展の終わり

2016年07月05日

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先週末、4月末より延々続いてた初夏個展が無事終了しました。
今回、4箇所、長期間でしたので、新たに色んな人に会えてよかったです。
ありがとうございました。

次回の個展は年末年始を予定しております。
裸婦ばかりを48点。
みんなA4くらいの大きさで、48人がずらっと繋がります。
裸婦なので、おっぱいやお尻が見えてます。
「欲しいけど、子供いるし、それはちょっと...」とかいう方々には、希望に合わせて下着とか水着を着せたり、あるいはかつての成人映画みたいに、花瓶や椅子なんかで秘部を隠したりしてお渡ししようと目論んでいます。
そんなのもけっこう楽しそうと思ったからです。
アーティストでなく、絵描き職人みたいなのがいいです。

あ、余計なお世話とは思いますが、参院選には必ず行こう!
行ったら今回ばかりはせめて野党のどれかに投票しよう。

あ、これまだ見てなかったらぜひ!
「戦争の作り方」

azisaka : 10:22

マンガ傑作選 その141

2016年07月02日

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ところで、長きにわたってあちこちを巡業してきました初夏個展「NANA SAUVAGE」が、今週末でやっとこさ終わります。
お世話になった方々、見に来ていただいた方々、ほんとうにありがとうございました。
今日2日(土)と明日の最終日3日(日)、アジサカはずっと会場である佐世保のカフェREPORTかその近辺におります。
それ風の坊主頭見つけたら「よー」と気軽に声をおかけください。

また、3日は18時から自由参加の打ち上げ会をいたします。
ご都合よろしければぜひお越しください!
佐世保在住の友人で歌うたいの「おきつななこ」のライブもあります。
詳細は以下のとおりです。

日時:7月3日(日)
   18:00頃  会場
   19:00頃 ~おきつななこライブ
   22:00頃  終了
   ※出入り自由、お子さん連れも歓迎です。

場所:RE PORT
佐世保市万津町2-12-1F
   0956-76-8815

料金:大 人…1,500円(1ドリンク、軽食つき)
   中高生…1,000円(1ドリンク、軽食つき)
   小学生以下無料
   
■おきつななこ(歌)
佐賀県白石町出身、長崎県佐世保市世知原町在住。
23歳の時に、沖縄の伝統楽器・三線との出会いをきっかけにうたを始める。
琉球や奄美をイメージさせる独特の唄声は、舞台や日々のくらしの中で出会う様々な音色、人々を通して更に深みを増してゆく。
現在はベースボーカルユニット「ハートランド」を始め、ジャンルやスタイルを問わず各地で活動中。
7/24に1stアルバム「このほしのうた」発売予定。
ホームページhttp://tayutautam.jugem.jp

azisaka : 07:59

東松照明展

2016年06月27日

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絵描きという職業柄、どこに住んだってかまわないし、かまわれない。
どこに住んだってかまわない気楽さはあるが、どこに住んだってかまわれない悲しさというものもある。

4年住んだブリュセルを離れる際、こちらは少なからず感傷にひたってるのに、ブリュッセルという街の方は、その顔色ひとつ変えはしなかった。

くやしかったので、次に住むことにした長崎には、軽くあしらわれぬよう、しょっぱな、まずは仁義を切ることにした。

仁義の口上となるのは長崎の街並みを描いた絵だ。
その絵をもって個展をし、この街にしばし身を置かせてもらうための挨拶とするのだ。
街並みだけではつまらないので、つうか、心もとないので、真ん中に人物を入れることにした。

引っ越しがすんだら、すぐさまカメラ片手に通りへと出た。
風景を写真におさめ、絵の材料とするのだ。
気が向くままずんずん歩き回った。

材料探しの眼で見る長崎の街並みは、以前何度も観光の眼で見た街並みとは異なっていた。
相変わらず美しいのだけれど、ただ単に”美しい”のではなく、”奇妙で美しい”という具合に変わっていたのだ。

例えて言うなら、それはシュールレアリストやダダイストが手近にあるものや拾ったもので作った「オブジェ」のようであり、彼らが好んだアフリカや南米の原始的な彫像の類のようだった。

路地や建物はその土地土地の地形に合わせて不規則にひねり曲がっていた。
塀や階段は下の河原で拾ってきた石を用い、民家や商店は裏の山で切ってきた木を使い、金物やトタンは向かいの商店街で手に入れたもののようだった。
つまり、そこに住まう人たちが自分たちの身近にあるものをうまくかき集め、ついだりはいだり工夫して自らの手で作ったものであるかのような印象をうけた。

それはどこか他所から来た業者が、図面に描いた車道やマンションの都合にあわせて地形を無残にえぐり、わざわざ遠方から取り寄せた資材を用い、どこでも似たように作るような街並みとは大いに異なっていた。

料理でいうなら、前者が冷蔵庫をぱかっと開けて中に入ってるものだけで作ったような街並み、後者は料理研究家かなんかが書いたレシピどおりの材料と分量で作って、見た目きれいに盛り合わせたようなような街並みだ。

ときに、後者より、前者のほうがはるかに美味い(美しい)。

ところでこの時、自分の顔についていた”材料さがしの眼”は、同時に”ブリュッセルの眼”でもあった。
つまり、それはベルギーに4年あって、日常的にマグリットやブルトンの作品を映し、ドゴン族の仮面やロビ族の彫像を映し、それらの形や色の味わいに慣れ親しんでいた眼だ。
そんな眼が別の土地にあっても、それらと似たような味わいのものを好んで見つけようとするのは自然なことのような気がする。
多くの人が言うように、ひとは自分が見たいものしか見ようとはしない。

ともかく、久しぶりに歩いた長崎の街には、その時自分が味わいたい(見たい)もの、それも、とびきり上等なものがあふれんばかりにあった。
両の眼は喜んで、龍踊りみたいにくるくるジャランジャラン舞い踊った。

そのようにして眼を向け、撮り集めた写真を並べ、それを見ながら1年くらいかけて30点ばかりの絵を描いた。
「長崎」という字を分解し「奇長山」というタイトルをつけて個展をやった。
「こんな感じの絵の連作です」

さて前置きが随分と長くなっちまったが、ここに別の”眼”がある。
たいへん特別な眼だ。
自分を含めた常人のものより、直径も輝きもはるかに大きく、何倍ものスピードでギョロギョロ動いている。
東松照明という写真家の眼だ。

その眼が映し出した長崎が、今、広島にある。
広島市の南部、比治山の丘陵にある現代美術館で「東松照明ー長崎ー」と題する展覧会が開かれている。
先週末、見に行った。

写真はなんと350点。大群だ。1階と地下にずらり掲げられている。
順番に見ていく。
東松照明という眼玉が何に引き寄せられ、それらをどのように映したのかを見ていく。
「ううむ」、「ううむ」とうなりながら、一点一点じっくり見ていく。

5、60点見たくらいに、集中力がだんだんなくなってきて、中央のソファーで一休み。
またやおら立ち上がって「ううむ」、「ううむ...」

ああ、やはり、東松の写真はいい。
尋常ならざる好感を抱いてしまう。
なんでかっていうと、それは多分、彼が”見たもの”をそのままとっているからだ。
なかなかそうはいかない。
だってふつう写真家は”見たもの”ではなく”見せたいもの”をとってしまう。
自分の眼玉ではなくカメラのレンズに映ったものをとってしまう。

さて、やっと半分見終わって地下への階段降りる頃には、へとへとだ。
それでもまだ写真の群れは連なっている...
連なって一個の街みたいだ。

やっとこさ見終わる。
出口近くのソファーにどすんと腰を下ろす。
「ふう、疲れた...」
「でも、なんていい散歩だったのだろう!!」

これは、東松照明という眼玉が広島の丘陵に落っこちて開けた、長崎という名のでっかい穴だ。

来る人はその穴の中に飲み込まれ、引きずり回されたあげくに、ぷうっと吐き出される。
気がついたら自分の眼玉が磨かれている。
磨かれて、より多くの小さなものたちを映し出すことができるようになっている。

ああ、低気圧でふらふらの身体を引きずり見に行った甲斐があった。
みんなもぜひ、見に行ったほうがいいぞ!

さて、美術館のあとは宮島へ渡って穴子飯を食べた。
こんなにうまいもの食ったのは、10年前、別府の冷麺を食べて以来だった。

そして、おっと、うっかり言い忘れてた。
冒頭の駄菓子屋さんの写真は2006年、アジサカが長崎でとったものだ。
その6年前の2000年に同じ場所を東松もとっており、今回展示されていた。

東松の写真には店の主人が映ってるが、上の写真にはいない。
呼んでみたけれど、誰も出てこなかったのだ。

それから10年後、広島でひょっこり会うことになろうとは思わなかった...

「東松照明ー長崎ー」
2016年5月28日(土)〜7月18日(月・祝)
広島市現代美術館

詳細は以下の特設サイトで!
東松照明ー長崎ー


azisaka : 12:45

佐世保展開始

2016年06月18日

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うっかり告知がおそくなってしまいましたが、昨日から「NANA SAUVAGE」佐世保個展が始まりました。
会場のカフェ「REPORT」は駅から歩いて数分、波止場近くの路地にあるいかした店です。
靴を脱いで濃紺のカーペットに足を踏み入れたならば、身も心もすっかりぽっかり海原に浮かんだよう...
カモメが空から投げキスふらす
あたしはそれを受け止めて、隣で眠る君へと返す
ねえ、見て、カモメが空で妬いてる
うふふふん、ルルルー、タリラリラー♫
と、言った具合にとても良い心地になります。

しかも素材の良さを生かしまくった料理がうまいし、店の人もしゃららん気さくでいかしてます。

さらに佐世保展では店主の何気に熱の入った要望により、昔の絵も7点ばかり混じっております。
港町にふさわしい、やさぐれ男やロボットなどの絵です。
ちなみに、上に掲げたのもそのひとつ、2002年(古っ...)の作品です。
ベルギー時代に描かれたもので、’03年の個展以降、10年以上も実家の押入れの中で、出番遅しと待ってたぜ。
ああ、海風が身に沁む、俺という船、明日はいずこ♫

あ、いかんっ、港町を思うとなぜか歌が...

アジサカコウジ初夏個展’16
「NANA SAUVAGE」
6月17日(金)~7月3日(日)
(佐世保)「RE PORT(リポート)」
佐世保市万津町2-12-1F
TEL 0956-76-8815
営業時間 11:30~22:00(LO)
定休日 月曜夜、火曜日

azisaka : 09:13

マンガ傑作選 その140

2016年06月02日

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築60有余年、長崎一古いビルといわれる出島は日新ビルの2階にて、初夏個展絶賛開催中!
(詳細は5月24日付の本ブログをご覧ください)
今週金曜からは売り切れてしまったポストカードセットの代わりに絵箱が10点ほど並びます。
絵箱は長崎初登場!

azisaka : 09:12

フェイスブック

2016年05月26日

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できるだけたくさんの人に、音楽家なら聞いてもらい、小説家なら読んでもらい、料理人なら食べてもらう。
おまえは絵描きなので、できるだけ多くの人に描いた絵を見てもらう。
それが世の道理っていうもんだろう。
おまえはそれをこれっぽっちもちゃんとやっていない。
それはなんというか、世の中に対して不遜な態度であると思う。

というようなことを、先日、兄貴分に言われた。
兄貴分はフランス人なのでフランス語でだ。
フランス語ってのはなかなか大したもんで、
「うう、たしかに...」と納得してしまった。
それで、いきなりですが、手始めにFaceBookを開いてみた。
(これ、開くっていうんかな...)
とはいっても、メールの受け答えでさえおろそかになりがちなので、主に告知用と作品画像を見ていただくためのものです。

そんなわけですのでFaceBookをすでにやってらっしゃる方はお手数だとは思いますが、どうか登録をお願いいたします。
(ああ、しかしこういう日が来るとは思わなんだ...)

「アジサカコウジのFB」

azisaka : 12:58

「黒花梨」

2016年05月24日

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初夏個展、今週末からは長崎版がはじまります。
会場となる「List:」は窓下に出島が見え、「うっひゃあ、眺めんよさーっ」っと、歓声をもらすこと請け合い押し合いへし合いの、感激満杯、とってもすてきな場所です。
よしんば遠方からわざわざ来たとしても、後悔などは微塵もしやしないはずです。
たぶん、そうです。
詳細は以下のとおりです。

アジサカコウジ初夏個展’16
NANA SAUVAGE 

5月27日(金)~6月12(日)
(会期中の金・土・日曜日のみの営業です)

「List:(リスト)」
長崎市出島町10-15 日新ビル2F
TEL 095-828-1951
営業時間 12:00~18:00

会期中、アジサカは以下の日時に、会場、もしくはその近辺におります。
(その他はアジサカよりもっといかしたお留守番がおります)

5月27日(金)ずっと
5月28日(土)だいたいずっと
6月11日(土)少し遅刻して、あとはずっと
6月12日(日)だいたいずっと

azisaka : 21:31

FLIRTLINERS

2016年05月19日

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去年、東京で参加したイラストレーションのグループ展が大阪を経て、今回は名古屋に登場です。
アジサカは上に掲げてあるのと同じようなデジムナー方式(版画風のデジタルイラスト)の作品を出品してます。

その他の参加者は以下の精鋭6名!(敬称略)
今井トゥーンズ、JUN OSON、白根ゆたんぽ、タダユキヒロ、前田麦、リタ・ジェイ

それぞれが、いかしたイラスト描いていて、見所たっぷりやっぷりよっぷりです。
近畿方面にお住いの方はぜひ!

「FLIRTLINERS」
日時:5月20日(金)~29日(日)
休廊日:月曜
場所:愛知県立芸術大学サテライトギャラリー
名古屋市中区錦3-21-18 中央広小路ビル3階
TEL;052-253-9016

個展の詳細は以下!
「FLIRTLINERS」

azisaka : 08:09

coco子 その3

2016年05月18日

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azisaka : 07:30

お知らせひとつ

2016年05月15日

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会いに行って、その手を両の手で握りしめ、「ああ、あなたのおかげで私の人生は豊かになりました、潤うことができました」と深く頭を垂れ感謝したい人というのが何人かいる。
松下竜一はその一人だ。
もうとうに亡くなっちゃったけど、大学時代、一度ならず、彼の住む大分は中津へ出向こうとした。
叶わなかっけど...
記録文学者である彼の著作のひとつに「ルイズ 父に貰いし名は」というのがある。
「風成の女たち-ある漁村の闘い」や「砦に拠る」、「狼煙を見よ」などとならんでとりわけ心に残る作品だ。

さて、前置きがちょこっと長くなっちゃたけど、
”父に貰いし名は”の父とは、国家権力によって虐殺されたアナキストの大杉栄で、母は伊藤野枝だ。
伊藤野枝は福岡は西区の今宿出身。
その伊藤野枝の伝記を栗原康さんが書いて出版するという。

おお、そりゃあ福岡で何かやらんといかんばい、ということになった。
で、何人かで酒飲みながら話してて、それじゃあ、トークライブをやってもらおう、同時に今宿出身の詩人、浦歌無子さんに野枝に捧げる詩を書いて朗読してもらおう、ということになった。

それが明後日、火曜日です。
もう席がいっぱいみたいですけど、立ち見ならなんとかいけると思うので、興味がある方はぜひ!
(詳細は以下の通りです)

「家に火をつけ、白痴になれ」(岩波書店)刊行記念
栗原康ライブトーク×浦歌無子朗読の夜
日時:4月17日火曜日 18:00~19:30(予定)
場所:福岡パルコ新館6Fタマリバ6
参加要項:無料(要予約) 092-235-7488(フタバ図書福岡パルコ新館店)
募集人数:30名(定員に達し次第終了させていただきます)

やりたいことをやって生きていたいのに、誰かが、何かが、そうさせてくれないと自分にブレーキをかけ、恐る恐る坂道を下っていくような毎日を送っていませんか。“そうであらねばならない人生”って、ほんとにそうでないといけないのでしょうか。
福岡県今宿に生まれ、東京に飛び出し、国家や世間、家、そのほかのプレッシャーもなんのその、筆一本で、書きたいことを書く、好きな相手と恋をする、寝る、学ぶ、食べる、生きたい人生を生き、制度や道徳と戦い続けた伊藤野絵。彼女の鮮烈な伝記をこのたび上梓した政治学者・栗原康さんを迎え、お話をお聞きします。また今宿のご出身の現代詩人・浦歌無子さんに、野枝におくる詩を朗読していただきます。

■栗原 康 
1979年,埼玉県生まれ.早稲田大学大学院政治学研究科・博士後期課程満期退学。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。著書に,『G8サミット体制とはなにか』(以文社)、『学生に賃金を』(新評論)、『大杉栄伝――永遠のアナキズム』(夜光社)(第5回「いける本大賞」受賞、紀伊國屋じんぶん大賞2015 第6位)、『はたらかないで,たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)(紀伊國屋じんぶん大賞2016 第6位)、『現代暴力論――「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)がある。ビール、ドラマ、詩吟、長渕剛が好き。
■浦 歌無子
福岡県生まれ。東京都在住。詩集に『耳のなかの湖』(ふらんす堂)、『イバラ交』(思潮社)、『深海スピネル』(私家版)など。
その他、ギャラリーにてビジュアル詩の展示、美術館の展示作品から着想を得た詩の創作と館内での朗読、国際芸術祭での野外朗読、ミュージシャンなど他ジャンルのアーティストとの共演など多方面にて活動中。

azisaka : 07:57

キロロ風

2016年05月12日

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「こうじ、キロロっていうのはよかよー」と母が言った。
聞き慣れぬ名前だったので「何ねそい?」と尋ねると、仕事帰り、車のラジオをつけたらすっごくいい歌が流れてて、それがキロロっていう人の歌だったのだと教えてくれた。
ずいぶんとむかしのはなしだ。

さて、その時、自分の描く絵もこんな風だったらいいよなあ、と思った。
つまり、路上にただ歌だけがあって、聴く人の胸を打つ。
作者もタイトルもわからぬ、歌のみがある。

絵も、路上や辻にぽつんと、絵だけが落っこちていて、それを見た人が立ち止まって、「誰が描いたのか知らないけど、ああ、これはいい絵だなあ...」っていうのがいいように思う。

美術館や画廊なんかに”アートです”って展示されてれば、あるいは、有名な人の名が付してあれば、人は「ああ、これはいい絵なのだなあ」と思って見てしまう。
けれど、路上であれば、無名であれば、人が見るのは描かれた絵、そのものだけだ。

まあ、そんなわけで、自分が絵を展示する時は、路上や辻に比較的近い場所が多い。
なるだけ”権威”から遠いとこが多い。
(カフェや倉庫、美容室の通路や雑貨屋の屋根裏など...)
「額をつけりゃあ、ぐんと”見栄え”が良くなるのに」としばしば言われるけれど、それもしない。

だって、見栄えが良くなったら困るのだ。
それが商品であれば、売る場所やパッケージは大事だろう。
けれど、絵は商品ではない、絵だ。
描いてるのは商売人ではない、絵描きだ。
よい絵を描こうと欲するなら、絵そのものだけを見てもらって、良し悪しを判断してもらうのがいい。

むろん上等の絵描きなら、美術館だろうが駅の構内だろうが、どこへどのように出したって、そんなこたぁどうでもいい、びくともしやしない。
すでに上等だから。
でも、自分を含め、上等でないものなら、修行の場はなるだけ路上がいいように思える、”荒野”がふさわしいように感じる。
(このことを、己が身に即して言えば”日暮れて道遠し”ということになる。だけど、道行たのしいから、万事オッケー!)

とかなんとか、かっちょいいこと言ってるけれど、絵を描く者は絵を描くしか能がない。
それしか能がなけりゃ、それで食べて行くより仕方がない。
いきがってはみるものの、路上の電柱やブロック塀に絵を飾っているようでは生活が成り立たぬ。
それで、まあ、いろいろ試してみる。

今回は本屋さんでの展示だ。
本屋さん併設のギャラリーでの展示っていうのは、以前何回かやったことあるけど、本屋の店内っていうのは初めてだ。
本棚の上や隙間など、あちこちの空いたスペースに展示する。
わざわざ絵を見に来る人もあろうが、大半は本を目当てに来る人だ。
絵を見るのが目的ではないひとに、絵を見てもらうっていうのがいい。

と、だらだら書きながら、個展の宣伝をしている。
絵を商品としてる。
悲しいかな、資本主義・消費社会に生きている。

あ、でも、友人知人には言ってるし、実際に行ってもいるんですけど、金銭を介さない物々交換もやってます。
玄米その他の食べ物とか、搬入搬出の手伝いとか、作品の写真撮影とか、個展で歌ってくれるかわりに、絵を引き取ってもらっています。
まあ、そこそこ気は遣いますが、心地いいもんです。

で、明日からの展示の詳細は以下の通りです。

あと、福岡大学独語学科教授の堺さん(カラオケ行くと、武田鉄矢と井上陽水と谷村新司とさだまさしと玉置浩二のものまねをしながらシューベルトの魔王をドイツ語で歌う)が今回の個展について一筆、気品あふれる文章を書いてくださったので、ぜひ!
「コラム錆猫洞」

アジサカコウジ初夏個展’16
「NANA SAUVAGE」
5月13日(金)~5月22日(日)
(福岡)「フタバ図書パルコ新館店」
福岡市中央区天神2丁目11-1 福岡パルコ新館6F
TEL 092-235-7488
営業時間 10:00~20:30
定休日 なし

azisaka : 08:14

マンガ傑作選 その139

2016年05月05日

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azisaka : 07:29

アジサカコウジ初夏個展’16「NANA SAUVAGE」

2016年04月23日

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いきなりですが、話の流れで来週末より個展をやることになりました。
福岡二カ所、つづいて長崎、佐世保と巡業してまわります。
今回の個展は、NANA SAUVAGE(野生の娘)と題し、おてんばな女の子のポートレートを20数点、展示販売いたします。
各会場で作品が若干異なってて、新作が主体で旧作がちらほら混じる感じになると思います。
ポストカードや缶バッジなど、わりかし素敵なオリジナルグッズの販売も同時にいたします。

4月29日(金)~5月8日(日)
(福岡)「coffon(コホン)」
福岡市中央区警固3-1-28 アーバン警固301
TEL 092-725-3711
営業時間 12:00~18:00
(期間中休みなし)

5月13日(金)~5月22日(日)
(福岡)「フタバ図書パルコ新館店」
福岡市中央区天神2丁目11-1 福岡パルコ新館6F
TEL 092-235-7488
営業時間 10:00~20:30
定休日 なし

5月27日(金)~6月12(日)
(会期中の金・土・日曜日)
(長崎)「List(リスト)」
長崎市出島町10-15 日新ビル2F
TEL 095-828-1951
営業時間 12:00~18:00

6月17日(金)~7月3日(日)
(佐世保)「RE PORT(リポート)」
佐世保市万津町2-12-1F
TEL 0956-76-8815
営業時間 11:30~22:00(LO)
定休日 月曜夜、火曜日

azisaka : 09:31

Malizia(企画展参加のお知らせ)

2016年04月14日

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来週の月曜18日から、福岡は天神の新天町にあるギャラリーで行われる企画展に参加します。
ちょっとだけミステリアスな肖像画を10点くらい出品する予定です。
詳細は以下のとおりです。
天神へいったついでにふらっと立ち寄ってみよう!

「白日夢へ」
ギャラリイ亞廊 コレクション展

2016年4月18日(月)~24日(日)
営業時間 10:00~19:00
(18日は13時開場、24日は17時終了)
入場無料

「ギャラリー風」
福岡市中央区天神2-8-136
TEL 092-711-1510
http://www.artwind.jp/

azisaka : 09:02

Naja

2016年04月11日

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春なのにお別れですか
お別れなのに笑顔ですか
笑顔なのに涙目ですか
涙目なのに大福ですか
大福なのにファンタオレンジですか
ファンタオレンジなのにホットですか
ホットなのにフーフーしないのですか
フーフーしないのに唇とがらせてるのですか
唇とがらせてるのはくちづけをしたいからですか?
そうですか...
別れのくちづけをしたかったのですね...

いいですよ
でも、春なのに、別れられなくなりますよ
ふふふふん、ラララー、ルルラララー♪

と、そんな歌詞の歌を口ずさみながら、花の香りを方々に届けてまわってる福岡は春日在住のナージャさんが今回登場です。

azisaka : 13:50

夜舟 個展 「早春賦」

2016年03月27日

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むかし、まだベルギーに住んでた時分、年に一回帰国して主に福岡で個展をやっていた。
ある夏は(当時は個展というものは夏にやるものだと思ってた)、知り合いのデザイン事務所の待合室の真ん中に四畳半くらいの箱を作って、その中に作品を展示した。
いつもはアクリル画なんだけど、どういう風のふきまわしか、そのときはパソコンで描いて出力したデジタルイラストの作品だった。
初日だったか最終日に、デザイン事務所の人が近くのイタリア料理屋さんを貸し切り飲み会をやってくれた。
50人くらいが集まり酔っ払いおしゃべりし、とってもがやがやしてた。
誰かと立ち話しててコップ空になっちゃったので、手直にあったワインのボトルに手を伸ばそうとしてふと見たら、知らない女の子がソファーに一人ぽつんと物言わずに座っていた。
そこだけ、しんと静かだった。

「よお、飲まんと?」
「あ、あたし飲めないんです」
「そうなん、じゃあどすばす食べりいよ」
「あ、はい」
「何しよるん?人生の中では主に何しよるん?」
「あ、絵をちょっと...」
「おお、そうなん!なんか、持っとる?写真とか...」
「あ、はい、絵葉書...」
「おお、見せりいよ、見せりいよ」
「あ、はい」

手に取って見た。
パーティのがやがやした世界がすうっとかき消えて、別の世界が眼前に立ち現われた。
つまり彼女は独自の世界を持っていた。

こういう仕事をしていると、「わたしイラスト描いてるんです、見てもらえますか」といった感じの人たちが少なからず訪ねてくる。
見るとそれは良かったり悪かったり売れそうだったり売れなさそうだったりするんだけど(ここんとこ、じつに偉そうですまん...)、彼女の絵は、とてもとても良かった。
しかし、良すぎて、”イラスト”としてはあんまし売れなさそうだった。
つまり、企業の広告や宣伝のために用いるのには個性が強すぎた、美しすぎた。

そんなわけで、なかなか絵だけで生きていくにはしんどいだろうなあ...と思った。
けれど、絵だけで生きていくのはしんどいのはお互い様だ、それしかできないんだからしょうがない。
「おお、わが同志よ!」
と、そう思った。
それから10数年たったけど今も相変わらずその思いは続いている。

彼女、夜舟(ペンネームです)は、何年か前、マンションの一室を借り女手ひとつで自分の小さな画廊をはじめた。
亞廊というのがその名前だ。
主に自分の好きな作家の企画展を開いたり、集めた古本や骨董や作家もののグッズを売ったりした。

さて、この亞廊、がんばって続けていたんだけど、諸事情でこの春、店じまいをすることになった。
(実店舗は閉めちゃうけど、”亞廊”自体は場所を変えて継続!)
昨日26日からは、この場所の最後を飾るべく、彼女がここ数年描きためた作品の個展が行われている。
たくさんあって、見応え十分だ。
「ええっ、こんな素敵なものを、こんな値段で売ってるんかい?」
と憤りたくなるくらい手頃な価格がついている。
できれば原画を手にいれ部屋に飾ってほしい。
(我が家にも数点飾ってある)
さもなくば絵葉書やポチ袋などのグッズもちらほらあります。

ぜひ、行ってみてください。
西鉄大牟田線の薬院駅から歩いてすぐです。

夜舟 個展 「早春賦」
2016年3月26(土)~4月10日(日)
期間中の金土日月曜に開催 入場無料
営業時間 13:00~19:00(月曜のみ17時閉店)

ギャラリィ亞廊
〒810-0014 福岡市中央区平尾1-4-7 土橋ビル307
http://gallery-arou.com
■お問い合わせ tel・fax 092-523-7736 / mail info@gallery-arou.com
※お問い合わせへの回答などは営業日に行います。


azisaka : 08:27

マンガ傑作選 その138

2016年03月23日

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azisaka : 23:08

ププの生活 その31「第2部 最終話(後編)」

2016年03月16日

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azisaka : 10:00

イベント事のお知らせ

2016年03月13日

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みなさん、こんにちは。
いきなりですが、もうじきひらかれる催しものの案内です。
ふたつあります。
ふたつともなかなか参加しごたえ(ちょっと日本語変?)のあるイベントで、個人的にもそわそわ楽しみにしております。
ちょっと長いですが、ポスターを作った縁でこの場で紹介させていただきます。

(その1)
第一回「TAMARIBA 酒 NIGHT」-福岡の酒篇-
日時:3月19日土曜日 14:30~16:00
場所:福岡パルコ新館6Fタマリバ6
内容:
知らずに飲むより、知って飲めばますますお酒が美味しくなる!
福岡市随一の酒屋さん「とどろき酒店」のご主人、轟木渡さんと巡るお酒の旅。
第一回は“福岡の酒”ということで、ちょうど新酒の仕込真っ最中のこの時期の久留米市の酒蔵「杜の蔵」社長、森永一弘さんをお招きして、お話をうかがいます。
しかもお出しするお酒は今注目の燗つけ。どんなお酒がお燗に合うのか、またおいしいお燗のつけ方についても教えていただきます。
利き酒3種類とおつまみ付き!

■「杜の蔵」について(株式会社「杜の蔵」)
杜の蔵」は1898年(明治31年)森永弥久太郎氏により創業された蔵元です。
2005年には製造する日本酒の全量をアルコール添加をしない純米酒へ転換、 九州初の純米酒蔵となっています。
主な銘柄は、伝統の柔らかな味わいの「杜の蔵」と、 現代の幅広い食との相性を意識した「独楽蔵」。
“食と体になじむ酒”を念頭に、日々品質の向上に努めていらっしゃるとのことです。

参加要項:フタバ図書福岡パルコ新館店レジカウンターにてチケットをご購入ください。
・チケット代 2,000円(税込) お酒3杯とおつまみ付き
・募集人数 20名(定員に達し次第終了させていただきます)
※当日に合わせて、お酒の本を集めたフェアを開催いたします。


(その2)
「今、出版を続けるための方法 」
日時:3月21日月曜日 15:00~17:00(予定)
場所:福岡パルコ新館6Fタマリバ6
内容:
今大きな転換期を迎えている出版業界にあって、独自の方法をもって奮闘する出版社の経営者のお2人をお迎えし、業界の現状の徹底的な分析を踏まえた、“今、出版を続けるための方法”についての議論を行っていただきます。
お2人は現在発売中の「ユリイカ2016年3月臨時増刊号『出版の未来』」で『構造変革期の出版流通と営業』というテーマで対談をなさっていますが、ここで語られた内容についてもさらに思考を深めていく試みになればと思います。
業界関係者はもちろん、これから出版を目指す人、本を愛する日々を送る読者の皆様にも必聴のイベントです。
ゲスト:
■工藤 秀之 株式会社トランスビュー代表取締役(www.transview.co.jp/)
■小林 浩 株式会社月曜社取締役(http://getsuyosha.jp/)
参加要項:フタバ図書福岡パルコ新館店レジカウンターにてチケットをご購入ください。
(チケット発売予定3月1日)
・席代 1,000円(税込)ドリンク1杯つき
・募集人数 30名(定員に達し次第終了させていただきます)

主催:フタバ図書福岡パルコ新館店
問い合わせ電話番号092-235-7488
担当:神谷

azisaka : 08:19

マンガ傑作選 その137

2016年03月10日

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azisaka : 08:32

coco子 その2

2016年03月08日

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azisaka : 08:38

 ププの生活 その30「第2部 最終話(前編)」

2016年03月01日

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えっと、今回と次回で、昨年初めより月2でこの場に連載してきたププの生活(第2部)をひとまず終了いたします。
たわむれに続けてきたのですが、絵を描くのに忙しく、ちょっと心と時間の余裕がなくなってきちゃいました。
何年後かに第3部をまた始められたらいいなあと思いますし、番外編でたまに登場することもあるだろうと思います。
一方、不定期の「マンガ傑作選」や「coco子」はまだまだ続きます。

azisaka : 06:57

ププの生活 その29

2016年02月15日

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azisaka : 07:11

ミラクルファイヤースピード

2016年02月07日

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はじめまして、こんにちは、さっそく自己紹介するわね。
まず、あたしから...
ニューヨークからやってきた向日葵で名前はパンジーよ!
好きなものはマンゴーのシャーベットと天体観測。
嫌いなものはヒールの高い靴かな...
で、となりにいるのはパリジェンヌのエカテリーナ。
好きなものは餅と登山と囲碁と...えっと、それから...
つうか、あんた、自分で自己紹介しなさいよ!

(と、いってパンジー、うしろからエカテリーナのお尻をつつく)

おほん...えーっ、なんだっけ...
あ、自己紹介ね!
こんにちは、エカテリーナと毛します。

ちょっとお、あんた、毛じゃないでしょ、毛じゃ...

あ、もとい、エカテリーナと申します。
18です。
クリーム色のブラウスと栗色のミニスカートがよくお似合いだ。
その寝癖か故意かわかんない前髪もいかしてるよ!
なんて、通りでたまに声をかけられます。
そんなわたしが最近、妙にハマってるのが、友達と一緒にダンスのオーディションを受けに行くことです。

妙にハマってるって...
君は、妙にハマってるって、そんなうわっついたひゅらひゃらした理由で、この名門、美咲ヶ丘ゴローダンスアカデミーのオーディションを受けに来たのかね?

ええ、いけなくて?

い、いけないってこたぁないけど...
なんか、こう、なんか、もうちょっとさ、せっかくだから、もうちょっと熱い、ハートにギンギン来るような理由があったらいいよなって...
もっとそんなのがほしい感じだよなーって...

何、もにょもにょ、言ってんのよ!
審査員なのに、これっぽっちも、しゃきっとしてないのね!
そんなんで、美咲ヶ丘ゴローダンスアカデミーの先生が務まるの?
笑っちゃうわ。
よく見りゃ、身なりだってなんかうだつがあがらないし...
どう考えたって、ここに将来性のある若者なんて集まりっこないわよ!
ねえ、パンジー!

え?あたし?
あたしは、好きだな、こういうタイプ...
ねえ、あんた、名前は?

あ、わ、わたしですか、えっと...
恥ずかしながら、わたしがここの代表、美咲ヶ丘ゴローです。
す、すみません...

すみませんって、何、頭下げてんのよ、ここ、頭下げるとこじゃないでしょ?

まあ、まあ、そういきり立たないでよ、エカちゃん?

エカ?

ええ、エカテリーナを短くして、エカ...だめ?

うん、だめよ。
できるなら、後の方をとってよ。
リーナがいいわ。

えーっ、それ似合わない、ぜったいエカがいい。

リーナよ、リーナ、リーなーっ!

エカよ、エカーっ!

あ、あの、ちょっと、じゃましてすみません、質問いいですか?
とっても気になるんですが...じゃあ、真ん中の”テ”は?
”テ”は、前のエカにも、後ろのリーナにも、どちらにも入れてもらえないんですか?

うん、テは入れないの、ねえ?

ええ、テは使わない...
ん?
ては使わない...
手は使わない...
そうだ、手は使わなくて、足だけ使うダンスをやるのよ!

おお、字数に制限があることで深く豊かな詩情を生む日本の俳句のように!

そうよ、身体の一部をあえて使わないことで!

いまだかつて見たこともないような美しいダンスを!

あたしたち、踊ることができるかも!!

うん!!
(そう言って、エカテリーナとパンジーがっちり手を取り見つめ合う)

わ、わたしも手伝わせてくれないかい?

誰!?

えーっ、知らんぷりしないでくれよー、さっきからずっとここにいた、ゴローだよ、
美咲ヶ丘のゴローだよ。

ねえ、パンジーどうする?
こいつ、仲間に入れる?

うーん、どうしようかな...
そうだ、一回、踊ってもらおう!
それ見て決めよう。

ああ、そうね、それがいいわ。

ゴロー、聞いた?
じゃあ、さっそく踊ってみてよ、あたしたち見てるから。
今、すぐよ!

は、はい!
...えっと、靴...

ふーっ

だめね...

帰ろっか

うん、帰ろ

ええーっ、待っておくれよーっ、
いそいで、靴とってくるからーっ

あのね、ゴロー、わたしたちは、”今、すぐ”って言ったはずよ。
その言葉が終わるか終わらないうちに、あんたは、もう踊り始めてなきゃなんない...

ダンスってそういうものよ。
あんたには、熱さもスピードも足りない、衝動が足りない。
ダンスはそんなんじゃ、やれないわ。

ううっく...

このふたり、パンジーとエカテリーナの言葉によって、
美咲ヶ丘ゴローの慢心は木っ端微塵に打ち砕かれた。

ゴローはアカデミーをたたみ、武者修行の旅へ出る。

22世紀屈指のダンサーと言われた
ミラクルファイヤー”スピード”ゴロー、
その伝説の始まりだ。

さて、10年後。
パリジェンヌのエカテリーナはゴローの妻に。
向日葵のパンジーはとうに枯れはて、死んで種を残した。
その何代目かの末裔がこの夏、ひときわ美しい花と咲き、
ゴローは、リリィと名付けた。

エカテリーナとリリィを通りすがりの流しの絵描き屋に描いてもらったのが上の絵だ。
その絵描き屋は、筆を動かしながら何かフランス語の歌を口ずさんでいた。

妙に心に残ったので、その歌に合わせて振り付けをした。
だいたいこんな感じだ。

Jacque Brel et Maurice Bejart

azisaka : 08:23

ププの生活 その28

2016年01月31日

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azisaka : 06:43

「具体性の哲学」

2016年01月24日

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「それじゃあ、九大の箱崎キャンパス、博物館の分室の前で会いましょう」と約束して、当日そこに行ってみたら、友人から紹介された初対面のその男は20代後半。背が高く、長髪を後ろで結んで丸眼鏡をかけ、煙草ふかしながら階段の手すりに寄りかかって何やら英語で書かれた本を読んでいた。
何も知らないで通りかかったのなら「何かっこつけてるんや、こいつ」ぺっ、と唾でも吐き捨てたくなるような感じだ。
(ひどいこといってすまん)

しかし、その男、生業としているのが哲学とだということを聞いていた。
今時、実に微笑ましいはなしだ。

なので、その佇まいはこちらの期待どおり。
一目見て「うひゃひゃーっ」っとうれしくなって、いきなり声をかけた。

「よーっす!」

「あ...ども...アジサカさん?」

そうやって顔をあげたのが、上に掲げたチラシに名がある森元斎だ。

それから4、5年、背は伸びも縮みもしてないし禁煙もしてないが、床屋行く金がもったいないそうで、頭は今は丸坊主。
時々いっしょに飲みに行ったり、海水浴ではしゃいだり、バーベキューで腹一杯になったりするようになった。

さて、その彼が最近、本を出した。
「具体性の哲学」というタイトルだ。
けっこう難しいことが書いてある。
時々うまくわかんないところもある。
うまくわかんないんだけども、読み進めてしまう。
うまくわかんなくても読み進めてしまうのは、彼がなんとしても伝えたいことがあり、その熱意が伝わってくるからだろう。
あるいは、どんなことを語っていようと、それが彼自身の具体的な生活を足場として書かれているからだろう。
”具体性が大切だ”と語る、その彼の具体性が文字となって蠢き、放つ匂いや音が読む人の心を捉えるのだろう。

たとえば、その専門であるホワイトヘッドについて述べた以下の文章はこんな感じだ。

「〜現実の具体的で複雑な様は、純粋な理念だけでは捉えきれない。しかしその現実の具体的で複雑な、いわば、神秘的な様を哲学は、純粋な理念を武器にしつつも、複雑で具体的な様に寄り添いながら、じっと思考していくことがホワイトヘッドにとっての哲学なのである。〜」

あるいは「知恵と生」名付けられた文章の最後の部分はこんな感じだ。

「~人間の抽象的な知性など破壊すべき事柄である、ということだ。私たちは人間であるとともに、自然である、生である。曖昧で何が悪い。この世界は曖昧にしかできていない。複雑にしかできていない。明晰判明であればあるほど信用ならない。抽象的なものは信用ならない。~」

なんか、ざわざわ生き生きしてはいないだろうか。
ちょっぴり高いけど、買って読んでけっして損はしないぞ。
最寄りの本屋に注文しよう!

ところで、まあ、そんなこんなで、出版記念のイヴェントをやろうということになった。

「あのさ元斎、誰か対談したい人、おる?」と聞いて、すぐさま出てきたのが栗原の康さん。

きっと、すっごく面白い対談になるはずだ。
今度の土曜日、30日、19時半から!
さして重要な用事がない方、つうか用事あっても変更して、聴きに行こう!
ふたりともけっこうイイ男(+なんか変)なので、見てるだけでも楽しいぞ。

イヴェントの詳細や彼らのいかした自己紹介文は下記のとおりです。

(イヴェントの詳細)
「具体性の哲学」(森元斎著・以文社2015年12月刊)刊行記念
森元斎氏×栗原康氏ライブトーク
「アナキズムのほうへ、おもむろに」

日時:2015年1 月30日(土)19:30~21:30
場所:福岡パルコ新館6F タマリバ6
参加費:無料(定員30名)。電話予約可。
問い合わせ電話番号:092-235-7488
主催:フタバ図書福岡パルコ新館店 担当:神谷

(プロフィール)
■森 元斎(もり・もとなお)
1983年東京生まれ、ヒップホップ育ち、賢そうな奴はだいたい友達。
九州産業大学・龍谷大学非常勤講師。専門は哲学・思想史。
自称D'Angeloの生まれ変わり。
ローリン・ヒル、そしてシルヴィ・ギエムと一緒に合コンしたい。

■栗原康(くりはら・やすし)
1979年埼玉県生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。
著書に『G8サミット体制とはなにか』(以文社)、『大杉栄伝―永遠のアナキズム』(夜光社)、『学生に賃金を』(新評論)、『はたらかないで、たらふく食べたい』(タバブックス)、『現代暴力論』(角川新書)がある。
趣味は、ビール、ドラマ観賞、詩吟。
あと、錦糸町の河内音頭が大好きだ。
「踊ること野馬のごとく、騒がしきこと山猿に異ならず」。それが人生の目標だ。


azisaka : 08:53

COCO子 その1

2016年01月21日

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ところで、去年の春のこと、
「こうじくん、OVNIにマンガを連載しないかい?」
と、パリに住んでた時分に仲良くやってた兄貴分からメールがあった。
「おお、もちろん!」と引き受けた。

つうか、OVNIって何やねん?
OVNI(仏語で”未確認飛行物体)とういのは、フランスで発行されてる在仏日本人向けのミニコミ誌のことだ。
1974年、日本から移住してきた堀内誠一(マガジンハウスの立ち上げに携わったり、澁澤龍彦と「血と薔薇」を編集したりした伝説のグラフィックデザイナー。彼の手による「an・an」「POPEYE」「BRUTUS」「Olive」のロゴは今もなお使われてる)と、君さんとベルナールのペロー夫妻が中心となって創刊された。

最初は”いりふね・でふね”っていう名だったけど、5年後くらいにovniになった。
”兄貴分”っていうのは、その発刊当時からのメンバーで、のちに編集長を長らく務めてた佐藤の真さんのことだ。

さて、マンガはパリに住んでる日本人の女の子を主人公にすることにした。
(実は岡倉天心の末裔という設定、うふふ...)
上に載っけてるのがその第1回目で、数ヶ月遅れでこの場でもぼちぼち紹介させていただきます。

ところで、マンガを連載しはじめたので、毎月2回、今住んでる福岡は南区の家にも本誌が送られてくるようになった。
去年の年末のある日、パリで同時多発のテロが起きたあと初めての号が届いた。
きっと表紙は重々しいものになってるはず...と思って封をあけた。

「おおーっ」と歓声をあげてしまった。
”さあ出かけよう。”というタイトルで、カフェで談笑する人々の写真がでっかく掲げられていたからだ。
ううむ...さすがだぜ、この心意気。
日本に住んでる日本人も見習いたいもんだ。

OVNIは毎号、硬軟織り混ぜ、ほんとに読み応えがあります。
日本でも購読可能です。
一度web版のぞいてみてください。

OVNI


azisaka : 08:10

豆子

2016年01月18日

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いつもは花なんて自分の店に飾ったりはしないスミレが今日、ふんぱつして色んな種類の花を買い集めてきたのには理由がある。
同じ商店街に新しくできた花屋の男に恋をしてしまったからだ。
恋をして心がどうしようもなく熱くなり息苦しくなって、はあはあ呼吸困難に陥っちゃったけど、どうして熱を冷ましたらいいのかわかんない。
悩んだあげくに、破れかぶれになって、世界の珍しい花々をあちこちから取り寄せたのだ。

惚れてしまった男の店はチューリップの専門店で、チューリップしか置いてない。
チューリップ以外の様々な花をこれ見よがしに買って束にして店に飾ってやろう。
毎夕閉店後やって来てはモカブレンドを一杯だけ注文し、黙って飲んで帰る花屋の男に見せつけてやろう。
男はきっと何かしらの言葉を発するに違いない。
スミレはそう思ったのだった。

花を専門に身過ぎ世過ぎをしているのであれば、こんなに大量のへんてこな花々を見て、無言でコーヒーだけ飲んで帰るっていうことなんてありっこない。
そうよ、そうよ、そしてあたしは彼とやっと言葉を交わすことができるのよ。

だって、聞いてくれる?
ある日彼がこの街へ姿を現し、もとタバコ屋だった空き店舗(兼住居)を買い、引越ししてきて、内外装の工事をひとりでこつこつ始めたの。
ひと月経ったくらいに完成して、店を開いたわ。
それから今日で2週間、毎日あたしの店へ顔を出すのだけれど...
いつもこんな感じなの...

(スミレ)「いらっしゃいませ」

(花屋の男)「あ、モカブレンド」

(スミレはコーヒーを入れ、花屋のもとへ運ぶ)

(スミレ)「どうぞ」

(花屋は少し頷き、20分くらいかけて文庫本読みながらそれを飲みほし、レジへと進み、また少し頷いてトレイに代金の380円ちょうどを置く)

(スミレ)「ありがとうございます」

(花屋店を出る)

つまりだ。
花屋の男は”あ、モカブレンド”という言葉だけしか、その口から発したことがない。。
スミレは、あいさつでさえない、極々ささやかな感嘆詞と名詞の連なったやつしか、彼の言葉を聞いたことがないのだ...

ええーっ、そんなことってある?
ある。

と、まあそん風な感じで今日という日がきたってぇわけだ。
早朝に一斉に花が届いて、午前中は店を休んで花を生けた。
慣れてないのでとても苦労して、どうにか見栄えがいいように生けた。
いつもはTシャツにジーンズなんだけど、服も変えた。
”あ、モカブレンド”以外の言葉を男から引き出し、叶うことなら1分以上の長いおしゃべりをするためには努力は厭わない。
洋裁やってる叔母に頼んで仕立ててもらった深緑のワンピース(豪華な花々にふさわしい)を艶やかに身にまとった。
そうして準備万端、今や遅しと彼がやって来るのを待った。

ガラガラ...
花屋のシャッターが下ろされる音が夕日に響いた。
スミレは彼がいつも座る一番奥のテーブルに花を置き、横に座り、出迎える。
店の扉が開いた。

「いらっしゃいませ」
(花屋、こちらを見る)
(5、6秒沈黙...)

「・・・あ、ジンジャーエール」

「あら、今日はモカブレンドじゃないんですか?」
「え、ええ、なんだか急に身体が火照っちゃって...喉がカラカラに...」
「そう...そんな時はジンジャーエールがいいですよね」
「うちのジンジャーエール、自家製なんですよ。知らなかったでしょ?」
「ええ、知りませんでした...」
「あたしの名前も知らないでしょう?」
「はい...あの、なんというお名前ですか?」
「スミレ...スミレよ」
「あの、春に咲く、小さな...」
「ええ、そのスミレ」

と、まあ、そんな風にしてパパとママは親しくなって結婚してあたしが生まれたってわけ。
ふたり付き合うようになったら、パパはチューリップ屋さんはやめて、今度はスミレ屋さん、スミレ専門の花屋を始めたわ。
ママは今も同じ喫茶店をやってて、パパは花屋が終わると相変わらずそこへ行く。
だけど、注文するのはモカブレンドではなくて、いつだってジンジャーエール。

パパったら、好きなもの一個きめたら、飽きもせずにそればっかりなのよね...
花だって、飲みものだって...

あ、食べ物だったら、豆腐やおからや納豆ばっかり...
とにかく大豆でできたやつが好きみたい。

だから娘に、豆子なんて名前をつけるのよ...
まあ、ちょっぴり変だけど、わたしはわりと気に入ってるわ。

そんな豆子は市内の美大に通う2年生。
課題で母の姿を描いたのが上の絵です。

そいでもってBGMはこの曲です。
Elysian Fields 「We're in love」

azisaka : 09:58

ププの生活 その27

2016年01月15日

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azisaka : 08:07

今年のカレンダー用に描いたのに「一年中飾っとくにはこのコ態度が横着だという気がするの...」の一言でボツになってしまって少し悲しかった絵

2016年01月08日

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ずいぶんシンプルな服を着てるんだね。

だってフリルやリボンがあちこち付いてるようじゃあ、素早い動きをする時の妨げになるじゃない。
人の目を気にしなくたっていいんなら、パンツ一枚だっていいくらいよ。

へえ、君って、他人の視線を気にするような、そんな、”長いものには巻かれろ”タイプの人間なんだ...

あら、そんなことないわよ。
あたし、自分のこの頭で考えて、こうと決めたんなら、誰がなんといおうと、人の目なんて気にしないわ。
ただ、ついこないだの出撃のとき、とっても急いでたもんで「ええーい、面倒だ、このまま行っちゃえ!」って、裸で寝てたまんま、パンツだけ履いて家を飛び出しちゃったのよね...
そしたらさ、飛び出したはいいけど、お隣の縁側で猫撫でながらうとうとしてた彦じいが、あたしのおっぱい見てびっくりしちゃってさ、驚いて跳ね起きて腰抜かして、たいへんな騒ぎになっちゃったのよ...悪い奴らは逃してしまうし...

うん、うん

だからあたし、見た人が驚かなくて、同時に動きやすくて、さらにちょっぴりかわいらしい、この木綿の白いワンピースを着ることにしたの。

ふん、ふん

つまりね、わたしが常日頃心がけてんのは、人の目を気にしないのと、人の目を気にするのと、同時にやることよ。

え、どうゆうこと?

強くて威張ってるようなやつらだとか、つるんで陰口たたいてる連中のことはぜんぜん気にしないの。
でも、弱っちくて、黙ってるような人のことは気にすんのよ。

ああ、そういうことかあ...それはなかなかいい心がけだという気がする。
そいじゃあぼくも、余計なことなんて言ったりしないで黙っとこう...

あら、あんたはいいのよ、何言ったって、恋人だから。

ええーっ、いつからーっ?

今から...そう決めたのあたし。

おい、おい、待てよいきなり。
勝手に決めないでくれよ、横暴だなあ...

横暴でいいのよ、だってあんたは男で若くて定職についてて、あたしよりもっと強いんだから。
文句があるのなら、言ってごらんなさいよ。

いえ、ないです、うれしいです。

と、まあこんなふたりが昨晩初めて一緒に行ったのは、こんなライブだ!
寒いと同時に、あったかそうだぞ。

Sigur Ros 「Olsen Olsen 」

azisaka : 07:26

おっきなイラスト

2016年01月06日

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去年、今までで一番おっきなデジタルイラストを描いた。
(上のやつです。小さいと何が何だかあんましわかんないんだけど、新年っぽいので登場)
いろんな”もてなし”の作法からなる曼荼羅の屏風絵で、高さが2メートル、幅が6メートルくらいある。
年の末に東京ビッグサイトで行われた、さる展示会の入り口を飾るために使われた。

これを13インチのノートパソコンでやるんだから、けっこう大変で、なかなか骨が折れた。
骨が折れたっつうか、目がパシパシして、首と肩がギクギクになった。

どんなにおっきなキャンバスに一日中絵を描こうが、目も首も肩も、同じ長さ読書してるほどにも疲れやしない。
このことから考えるに、パソコン仕事はやはり身体にはあんまし良くないのだろう。

と、いうようなことを知り合いのデジタル絵描きにぼやいたら、「そんな仕事の環境じゃ、当たり前だろう」と言われた。
そんなわけで、今年はなんとかがんばって、もう少しましなデジ環境を作ろうと決意した。

azisaka : 16:53

ププの生活 その26「大河漫画・今日のジョー吉 最終話(6)」

2016年01月01日

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azisaka : 11:23

マンガ傑作選(その136)「ブレイクスルー・テル」

2015年12月24日

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azisaka : 08:43

ポーリーヌ「2016年カレンダー(その2)」

2015年12月20日

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ある朝、ポーリーヌが目覚めると、
どこからともなくこんな声が聞こえてきた。


「晴れた日のお前の責任は重大だ」

ええええー、なによ、いきなり、なんなのよいったい...

洗濯物は干されるのを
海は飛び込まれるのを

花は摘まれ
束ねられ
捧げられるのを

今や遅しと待っている

陽に照らされたものどもが
口々にでかい声で叫びはじめる

早く来い早く来い
今日が晴れなら早く来い

聞こえるだろう
おまえは何をぐずぐずしているのだ
おれはこうしてりっぱに晴れているのだぞ
この晴れの晴れたその責務を課せられてるのは
ただひとり

お前だけなんだぞ

ぎゃーっ。
それを聞いて彼女はびっくり仰天した、のだが同時に、そりゃ役目を、責任を、果たさねばならぬと強く思った。
で、とりあえずすぐにできるこをした。
つまり、汚れた服やタオルや布巾を洗って干した。
おまけに布団も干した。
その上さらに、昨日買った大根を千切りにして、それも干した。
腹がすいたのでクッキー食べた。
海へは行かなかった。
真冬で寒くて飛び込んだら風邪引くと思ったからだ。
花は?
じゃあ花はどうしたのかというと、野原にかけて行って摘んできた。
都合の良いことに春でもないのに花をいっぱいに咲かせる野が近所にあるのだ。

で、上に掲げた絵はそんな彼女の姿を描いたものです。
熊本のブティック、チャイナチャイナのオリジナルカレンダーに使われています。

福岡では奇特な店長の好意によりパルコ新館6階のフタバ図書で販売されています。
数に限りあり!
B2サイズで800円(ちょっと高くてすまん)です。

それはさておき、ポーリーヌ、その花束、いったい誰にあげるのさ。

それはあなたが自分で決めなさいよ。

と、そんなポーリーヌが最近ぞっこんなのが、凍てつく寒さもいっきに吹き飛んでしまうよなモンゴルのコイツらだ!
2分40秒を過ぎたあたり、「とぅわあぉっ!」という雄叫びとともにすさまじいスピードで草原を疾走しはじめる。
かきならされる様々な弦楽器にホーミーが参入し、聞くものの身体は高ぶりぶりまくりだ。

(今回の曲)
Hanggai 「Xiger Xiger」

azisaka : 07:10

2016年カレンダー(その1)

2015年12月19日

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店内に一歩足を踏み入れた途端じんわりくつろぎ気分になって板張りの床に寝転んで昼寝したくなってしまうような居心地の良さで椅子に腰掛けゆったりした心地でおいしいコーヒーとかいれてもらってそれ飲みながらなんたらかんたらとりとめのないお喋りなんてしてる間にあらふしぎいつのまにか素敵な髪型になっちゃったあたししあわせというようなうわさがあちこちでなされてるという福岡は中央区の大名にある美容室のバルベリアの店主からあのさカレンダーの絵を描いてくれないかと頼まれておうよしと描いた絵が上の絵で店内の様子がなかなか良く表現できてるじゃんと褒められたのでうれしかったというそんなカレンダーがそんな美容室でサイズはA2でもれなくすてきな景品が当たるくじ付きで三百円で販売されてるそうなのよと春日のマキちゃんがおしえてくれたのでもしよかったらふらり立ち寄りお買い求めください。

「バルベリア美容室」
福岡市中央区大名1-10-7 1階
☎︎092-731- 5216

azisaka : 09:19

ププの生活 その25「大河漫画・今日のジョー吉 第5話(6)」

2015年12月14日

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azisaka : 13:45

顔見知り

2015年12月08日

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「127 rue du faubourg du temple」っていうのが20代の半ば4年間を過ごした番地だ。
パリの10区、ベルヴィルと呼ばれる地区にある。
なんで、そこに住まうことにしたのかというと、移民がたくさんいて雑多で面白そうだったから。
それに家賃が安かったから。

6階の屋根裏、エレベーターなし。
中庭では四六時中、アラビア語に中国語に、ポルトガル語、いろんな言葉が飛び交いこだましてる。
食事時になると、クミンとゴマ油と甘い焼き菓子みたいな匂いが混じり合い、天空に立ちのぼる。

住み始めてしばらくして日本から両親が訪ねてきた。
空港からのタクシーを降りるなり開口一番「ここはフランス人はおらんとか?」と真顔で質問してきた。
だって近所で目立つ看板っていったら仏語より中国語やアラビア語の方が多い。
歩いてる人種だって、北アフリカやアジア系ばかりだ...
しかし、父さん、彼らもフランス人だぜ。

時は80年代。
日本はなにやらお金が溢れてたみたいだけど、こっちはけっこう貧乏で、フランス語の学校に通うかたわら、いろんなバイトをやって食いつないだ。
皿洗いやバーテンダー、古着の買い付けや観光ガイド...
時々、日本から友人知人が訪ねてきた。
彼らは一様に高いものを身につけて高いものを食べて高いものを買いまくった。
そんな同国人になんとなくなじめず、違和感をおぼえた。
その一方で、”貧乏暮らし”のアラブや中国の人たちに、親近感をおぼえた。
日頃顔を突き合わせ、似たような暮らしをしてるのだから当然といえば当然だ。
日本からの客を、いわゆる”パリっぽい”オペラ座界隈やサンジェルマンなんかを案内して夕方、自分の移民街にもどると、ほんとうに、ふうっと安心した。
今でも、自分の半分は長崎で生まれ、もう半分はこの街、ベルヴィルで生まれたと思っている。

住んでるアパート、通りに面した入り口のとなりには仏語で”épicier”と呼ばれる日常品の小さな店があった。
こんな店が街のあちこちにぽつんぽつんと点在してて、コンビニのないこの国でその代役を担っていた。
アラブ人が営んでることが多いので、フランスでは、そんな店のことを(たとえ、中国人やスペイン人がやってても)”アラブ”とおしなべて呼んでいた。
(ちなみにベルギーではパキスタン人がやってることが多いので”パキ”と呼ぶ)

”アラブ”の大きさは様々で、いくつもの棚が並び立派な冷蔵庫を備え、生鮮食料品から雑貨まで幅広く売ってる小振りのスーパーみたいなものから、露天商に毛が生えたみたい、軒先を借りて日用雑貨だけを売ってるような店までいろいろあった。
我が家の”アラブ”は、その最も小さい部類のやつだった。
間口2メートルにも満たない場所に所狭しといろんな雑貨を詰め込んで、ぶら下げて、朝早くから夜遅くまで営んでいる。

ある日、鍵を持たぬまま外出してアパートに入れなかったことがあった。
住人の誰かが来るのを待ってたんだけど、しばらくしても誰もこない。

すると、「ムッシュ、鍵忘れたのかい?」と声がする。
振り返ると、店主が身を乗り出してこっちを見ている。

「うん、そうなんよね...」

「おれが開けてやるよ」

「おー、鍵もってるのかい、ありがとう、助かった...」

翌日、”きのこの山”か”たけのこの里”か忘れちゃったけど、部屋にあった日本のお菓子をお礼にもっていった。
その時、互いの身の上話しを少しした。
彼はモロッコ人で二人の子持ち、親戚頼ってパリに来て四半世紀が経つそうだった。
それから、目が合うと挨拶するようになった。
電池や電球やガムテープが切れた時には売ってもらった。
湾岸戦争の頃だったので、それについてもちょっぴり話したという気がする。

それから20年くらいたったある日のこと。
パリ暮らしの後は、福岡10年、ブリュッセル4年、長崎4年と住んで、福岡に暮らし始めて2年が過ぎた頃だ。
友人から「九州に唯一のモロッコ料理の専門店ができたけん、食べにいかん?」と誘われた。
おお、久々に本場のタジンとクスクスやんっ!と、喜び勇んで出かけて行った。

縁あって日本人の女性と結婚し、その郷里に住まうことになったモロッコ人の店主、彼が作る料理はどれもうまかった。
言っちゃあ悪いが、小洒落たフランス料理店で出されるクスクスと違って、身にしみる。
なんというか「おふくろの味」がする。
食べてて、しみじみ、温かな心地になるのだ。
店主とフランス語でこの店を開くにいたったいきさつなんかを話した。
もちろん、パリで顔見知りだった、彼と同郷の雑貨屋の話もした。
とても楽しかった。

食べ終わってアラック(ペルノーやウーゾみたい、アニスの香りがするアラブの蒸留酒で、透明だけど水を注ぐと白く濁る)を飲んでたら、店主が「へっへっへ...」という感じの笑いを浮かべながら近づいてきた。
見ると手に長い布地を持っている。
「あんた、おれの国の北のほうに住んでるやつらに顔つきが似てるんだよな...」って言いながら、その布地をとっても慣れ親しんだ見事な手つきで、おれの頭にしゅっしゅっと巻いていった。

仕上がると、いっしょに行ってた友達連中が、いっせいに「わあ、似合う、似合う!」と歓声をあげた。
窓ガラスに映ったターバンを巻いた自分の姿を見た。
「おお!」確かによく似合っている。
それでなんとはなしに嬉しくなった。
と、同時にこう思った。

今は絵だけを描いて売って、それでどうにかこうにか暮らしているが、もしうまいこといかなくなって路頭に迷いはじめたら、その時にはモロッコへ行こう。

きっと歓迎されるはずだ。

今回の曲
「Lik」Oum
モロッコの歌姫、OUMさんの歌です。

azisaka : 21:08

ププの生活 その24「大河漫画・今日のジョー吉 第4話(6)」

2015年12月01日

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azisaka : 21:49

トモちゃん

2015年11月18日

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なに、ちょこんとさみしそうに座ってんのさ

あらあたし、ちょこんとでもさみしそうでもないわよ

そうかなあ、ちょこんとさみしそうなんだけどなあ...

反省してるのよわたし...

ああ、うん、うん、そんな風には見えるな
威張って偉そうな、そんな佇まいではない
ふうん、反省するの上手だねきみ

あら、ありがと
そいじゃあ、あたしが何について反省してるか当てててごらんなさいよ

え、ううんと、そうだなあ...

...3、2、1、はい終了!
時間切れ!

えーっ、早っ...しまったなぁ

ふん、あなたって人を褒めそやすのは上手だけど、
ただそれだけの人ね...
想像力なんてかけらほども持ち合わせちゃいない、
つまんない男...

そ、それはひどすぎだろう...
たった今会ったばかりの赤の他人にそんなこといわれる筋合いはないぜ
こんなひどいご時世、人にはもっとやさしく接しなきゃあ...
少し反省したほうがいいと思うな

だから、反省してるのよあたし...

と、そんなややへんてこな感じのトモちゃんが今回登場です。
たまに初対面の人に暴言かましてしまう以外は、いたって気立てのいい、この町に一軒だけ残ってるタバコ屋の看板娘です。

今あってるグループ展に他の娘らといっしょにおりますので、お時間ある方は会いに行ってみてください。

「少女採集 vol.06」
2015年11月14日(土)~29日(日)
「ギャラリィ亞廊」
〒810-0014
福岡市中央区平尾1-4-7 土橋ビル307
※期間中の金土日月曜日に営業します。
営業時間:13~19時(月曜のみ17時閉店)

azisaka : 08:11

絵箱とコーヒー

2015年11月15日

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もう10年以上も前、まだベルギーに住んでる時分、日本で最初にアクリル画の個展をやった時のことだ。
平面作品だけではもの足らんよなあ...と思って、木製の小箱に絵を描いて10数個ばかり並べた。
ありがたいことにどれも引き取り手があらわれて、方々に散っていった。
そのうちのひとつは、美容室をやってる友人が店に置いて、小物入れとして使ってくれている。
(上に掲げたうち1~3枚目の写真)

先日店に遊びにいったとき、久方ぶりに手に取ってみた。
時が経ち、絵の拙さに苦笑いがこぼれる。
「ひえぇぇ、へったくそやなあ....」
絵自体はひじょうにぼさい。
ぼさいが、自然はここでも偉大で、表面に塗ったニスが飴色になり、ところどころに傷が入って、箱全体でみると骨董品みたい、いい味わいが出ている。
すさまじく大げさに言うならば、高橋由一の油絵みたいな風合いだ。
(由一と由一ファン、すまん...)

「ふうむ...」
ひとりで勝手に感じ入ってると、店の主人が、「あのさぁ...」と話しかけてきた。

「今度、うちでオリジナルブレンドのコーヒー作ってもらって売るっちゃん」

「おお、いいねえーっ!」

と、言いながら、心の中では、「魚は魚屋、コーヒーはコーヒー屋だろう!」と思ったが、飴色に輝く絵箱を持つ男の話には耳を傾けねばならない。

「で、さ、そのパッケージの絵を描いてほしいっちゃん」

「おお、もちろんオッケー!」

というわけで、今週からそのブレンドコーヒー(上の一番下の写真)が売られています。
糸島の専門店が手がけるもので、ラテン語のDURUS=ハード、MOLLIS=ソフトの2種類があります。
どちらもなかなかの味わいなので、ぜひ一度はおためしを!

でもって同時に、実家の押入れに眠ってたのを引っ張り出してきた絵箱が数点(4枚目の写真)、さらに絵葉書や手拭いなどのオリジナルグッズも販売されています。
あとまたさらに、女の子を描いたアクリル画も数点展示販売してあります。

「ああ、でも私、髪切ったばっかりだしなあ...」
と、いうような心配はご無用。
絵や絵箱を見に行くだけでも、コーヒー豆買いにいくだけでも、もちろんばっちりオッケーです!

そんないかした美容室の詳細は以下!
秋の散歩がてらにふらりと立ち寄ってみよう。

バルベリア美容室
福岡市中央区大名1-10-7 1F奥
092-731-5216

azisaka : 08:37

ププの生活 その23「大河漫画・今日のジョー吉 第3話(6)」

2015年11月14日

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azisaka : 10:29

マハトマ・マックス乗りもの図鑑(その1)

2015年11月05日

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へい、DJ!
なんでそんなへなちょこメロメロポップスかけてんのさ!
もっとビートのガツンときいたファンキーミュージックかけてくんなきゃ、ハンドル回す手に力がちっとも入んないぜえっ!

すまねえ、この前いなくなっちまったミミ(猫)のことふいに思い出しちまったもんでよぉ、一瞬せんちになっちまってた...
だけどもう、ひとしきりせんち尽くしたから大丈夫!
さあ、いくぜ!

おうよ!

と、スピードアップした、クール・ハーク号が今回登場です。

(今回の曲)
BAD HOP Episode 3 Liberty / T-Pablow & Yellow Pato
ぐっときてしまった...

あ、実に蛇足でもうしわけないが、
クール・ハークとチャップリンと坂上二郎とアジサカの誕生日は同じだ、なんとなくすごいぜ。

azisaka : 09:41

ププの生活 その22「大河漫画・今日のジョー吉 第2話(6)」

2015年11月01日

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azisaka : 07:35

カトリーヌの場合は

2015年10月25日

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かとちゃん、何してるん?

だから、お願いだからわたしのこと、かとちゃんって呼ばないでよ。

だってカトリーヌだろ?
かとちゃんで合ってんじゃん。
この愛称、きみの人柄と相性いいと思うんだけどなあ...

やめてよね、わたしのどこが”かとちゃん”って、そんな昼間っから酔っ払って猫の足ふんで、引っかかれて、うぎゃああ、すってんころりんってずっこけてるちょび髭のおっさんみたいな名前にふさわしいっていうのようっ!

ふふん、他人はだませても、おれはそうはいかないぜ...

ふう、朝からしつこくからまないでよ、うざいわねえ、
ほんっと、あなたって...

ところで、何、おいしそうに飲んでんのさ?

あ、これ、あらかぶ(長崎あたりの方言で”カサゴ”のこと)のお味噌汁よ。
お味噌汁ってさあ、無限にバリエあるけど、あたしはなんたって白味噌にあらかぶ、小葱をいっぱい散らしたものが好き。

ひゃあ高級さあ...あらかぶなんて...
おれはイリコ出しに米麦の合わせ味噌で、大根の葉っぱとかキャベツの芯のとことか野菜の切れっ端いろいろ入れた具沢山のやつがいいなあ...野菜の旨味が出てほんのり甘い...

ええ、そんなんも、もちろん好きよ、大好きよ、でもあたしはあらかぶ...
片仮名で書くとアラカブ...まるでバクダッドの盗賊の名前みたい...

ああ、だからそういうわけで、今日の朝ごはん、メインはケバブとクスクスなんだな。

ええ...

でも、このひとたち、合わなくない?
アラブ料理と味噌汁なんて、チョーミスマッチ...

それが合うのよね、こんな朝は...

こんな朝って?

好きな人と一晩中戯れて、疲れ果てて深く寝入って、いつもより30分くらい遅く目覚めたそんな朝よ...

(そうささやくように言って、カトリーヌ、恋人ゴローの肩にそっと手をおく。ゴローうっとり、優しい眼差しで彼女を見つめる)

かとちゃん....

(ばしーん!)

いてててて...

だから、やめてよその名で呼ぶの。

と、そんなカトリーヌが今回登場ですが、さて彼女、絵で見る限り今朝の服装、上は白色のタートルネックですが、下はどんな装いでしょう?

1)実はタートルネックではなく、それより12倍も強力なスッポンネックセーター。
一度首を通そうものならなかなか脱げないぞ、どうするかとちゃん、大ピンチ!

2)白色って一口に言うけど、白の中にはアイボリーとか、クリームとか、とうふとか、えのきとか、いろんな種類があるのよね。

3)セーターみたいに見えるけど、実はウエットスーツ。というわけで、胸からお腹、お尻、太もも...足のくるぶしまでずっとご覧の生地で包まれてんの。
朝ごはん食べたら磯に出て、あらかぶ漁よ。

4)サーモンピンクでちょっとシースルー、プチセクシーなPJの新作下着、1598円。

5)イタリアの職人さん手縫いの刺繍がほどこされたLA PERLAの黒の下着、300ユーロ。

6)「カトリーヌ、これはむかしあなたのおばあちゃんが野良作業する時ににいつもはいていたモンペの、まだ破けたり擦り切れたりしてないとこを切って集めてつぎはぎして作ったものよ」と言って母が14歳の誕生日のときくれたズボン。

7)ベルギーはブリュッセルのジュドバル広場(place du jeu de balle)のノミの市で見つけたペイズリー柄のピジャマ。

8)五郎(恋人)のDIMのトランクス。

9)激しい雨の後の最上川の流れのように青く美しくサーッと縦に色落ちしたインディゴ染めビッグEの501。

10)バグパイプ奏者である叔父のアントニーから譲り受けたタータンチェックのスカート。

(答え)次の参院選ではあいつらたたき落としてこらしめてやるわ。

azisaka : 08:57

秋個展のお知らせ

2015年10月22日

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ここ一月ばかりは、いつになくデジタル仕事がかなり重なり連なりげんなりうらなり瓢箪だった。
こんなに天気のいい日に、さんさん降り注ぐ陽光のただ中、キャンバスに向かって絵を描かかなかったり、布団を干さなかったり、山に登らなかったりするのは、なんだかお天道様に申し訳ないという気がすごくする。
「太陽すまんっ」と心中で頭を下げながらパソコン画面に向かっていた。

ああ、でも、そんなデジった仕事も毎日続けてやってたらだんだんと楽しくなってくるから不思議なもんだ。
けっこう大量にあったはずなのに、終わりが見えてきたら、すこし名残おしい。
またどすっとデジ仕事来ないかなあ...と思ってしまう。

と、そんな感じで描いた絵のうちのひと連なりが、明日から展示されます。
アクリル画とはまた幾分ちがった感じで、見にきてそうそう悔いはなかろうと思います。
よろしくおねがいします。

「マハトマ・マックス」
〜怒りのジョイロード〜

10月23日(金)~11月3日(火)

「福岡パルコ新館6F」
(フタバ図書店内とエスカレーターの周囲)
福岡市中央区天神2-11-1
TEL 092-235-7488
営業時間 10:00~23:00
(会期中無休)

azisaka : 16:30

ププの生活 その21「大河漫画・今日のジョー吉 第1話(6)」

2015年10月15日

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azisaka : 05:32

マハトマ・マックス

2015年10月09日

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最近たまにデモに参加する。
先日、福岡は天神で開催された反安保のデモに参加して歩いていた時のことだ。
ふと、(マハトマ)ガンジーが英国からの独立運動の一つとして行った非暴力・不服従の”塩の行進”と、バイオレンスアクション映画の「マッドマックス」を合体させたような作品を作ったら面白そうだな...と思った。

おりしも、さる商業ビル店内の壁を使って個展をやらないかという打診を受けたばかりだったので、それに合わせてやることにした。

そうだ、徒歩、あるいは大小の人力で動く変てこな乗りものを駆って、自らの力のみで行進する群衆の絵を描こう。
手には武器ではなく楽器を持たせよう...ポッ...
(ここのところ、少しジョン(レノン)度が高くて赤面...)

群衆なので少なくたって100枚は描かないともの足りないだろう。

しかし、製作時間が数週間しかない。
いつも描くアクリル画ではとうてい間に合わぬので、
デジムナーでいくことにした。

デジムナーって何やねん?

デジムナーとは、”デジタル棟方志功”の略、すなわちパソコン上で版画っぽく描く技法のことだ。
一見、「わあ、木の板(ないしはゴム板)をふうふう汗かきながら彫刻刀で彫って、墨をつけて一枚一枚ていねいに紙に刷っていったのか...」と見まごうが、ところがどっこい、タブレットを用いてさらっと描いた、いんちきデジデジパソコンイラストだ。
申し訳ない...
が、それでもけっこう、数が多いので苦労した。
まあまあ見応えあるはずです。

そんなわけですので、もしご都合よければ、
ふらっと見に来ていただけるとうれしいです。

「マハトマ・マックス」
〜怒りのジョイロード〜
10月23日(金)~11月3日(火)

「福岡パルコ新館6F」
(フタバ図書店内とエスカレーターの周囲)
福岡市中央区天神2-11-1
TEL 092-235-7488
営業時間 10:00~23:00
(会期中無休)


azisaka : 07:54

ププの生活 その20

2015年10月01日

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azisaka : 06:37

ププの生活 その19「マラソンで勝負だ!(後編)」

2015年09月15日

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azisaka : 03:55

ププの生活 その18「マラソンで勝負だ!(中編)」

2015年09月01日

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azisaka : 06:56

晩夏一日個展

2015年08月22日

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「ねえ、うちの店で定期的に何かやらん?」

「おお、いいねー!」

「何がいいやろ?」

「えっと...」
「あ、一日だけ小さな個展してさ、それにかこつけて集まって飲むってのはどうやろ?」

「わあ、いい、いい。それにしよう!」

と、いうことで、その第1回目を、来る8月29日(土)に開催することになりました。

展示作品は15点。
アクリル画での一番最初の個展である2003年の「BPT団1」、
翌2004年の「BPT団2」、
そして2005年の「いかさマリア」から数点ずつ選んで展示販売いたします。

10年以上も前のつたない絵なんて、ほんとうはあんまし視界に入れたくないのですが、戦後70年の節目だし、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(ヴァイゼッカー)だし、良い機会だと思って、このような選出に相成りました。

入場はもちろん無料です。
通常のカフェ営業がなされてて、手作りの果実酒をはじめ、おいしい飲みものや食べものがありますよ。

「晩夏一日個展」
8月29日(土)
15:00~23:00

coffon(コホン)
福岡市中央区警固3-1-28 アーバン警固301
TEL 092-725-3711
http://coffon.cc/

azisaka : 09:25

ププの生活 その17「マラソンで勝負だ!(前編)」

2015年08月17日

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azisaka : 13:40

ジャック

2015年08月07日

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大学時代に知り合って、後に結婚することになった前の奥さんは、パリに生まれ育ったパリジェンヌ(知ってる人もいると思うけど、一筋縄ではいかない生きものだ)だった。

ずいぶんとむかしの話しだ。

モンマルトル近くの実家に行くと、彼女が小学生の時くらいに離婚したという母親が独りで住んでいた。
玄関入った廊下の壁にアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表した時の新聞の切り抜きと、教会の脇の暗がりで小便をしてるシスターの絵が飾られていた。
酒屋からもらったカレンダーの女優が温和に微笑む自分の実家の壁とは大違いだと思った。

彼女はパリジェンヌだが国籍はベルギーだった。
両親ともにベルギーはブリュッセル生まれで、ともに遺伝子が専門の生物学者。
連れ添ってすぐくらい、二十代半ばで新天地を求めて隣国フランスに引っ越してきたらしい。

熊本の大学を卒業後、彼女とともにパリに住み始めることになった。
しばらくしてから、ブリュッセルに暮らす祖父母のところへ遊びに行った。
ばあちゃんはエヴァという名で、ちっちゃくて見事な白髪で大きな声でよく話した。
もう引退してたけどベルギー戦後初の女医さんのひとりで、住居の一階にある診療所はそのまま残されていた。
 
じいちゃんはジャックといい、とても背が高くて禿げていて、用があるとき以外はあんまりおしゃべりをしなかった。
生物学者で、戦後まもなく学会で日本を訪れたことがあった。
その時のこととなると、相手が日本人ということもありにわかに饒舌になった。
京都の寺の美しさや、食べ物のうまさ、彼の地の人の親切さについて、微笑みながら繰り返しはなしてくれた。
悪口なんてのは一言もいわなかった。

ジャックの左の腕には、肩と肘の中間くらいに濃い青色で、6桁か7桁くらいの数字の焼き印が押されていた。
ナチスの強制収容所に入れられていた時のものだった。

彼女の祖父母はポーランド系のユダヤ人であった。
先の大戦が始まって間もなく、迫害を逃れベルギーへ移住して来たのだ。
ジャックは連行され、エヴァはブリュッセルのはずれの農家に匿われていた。

ジャックは幸いに生き残り、戦後もどってきた。
ドイツからもらった賠償金で、匿われてた農家から土地を買い小さな別荘を建てた。
となりに、タンタンを描いたエルジェの別荘があって、よく野菜の交換なんかをしてたそうだ。

ジャックは収容所のことはただの一言も、妻にさえ、はなさなかった。
ただ、戻って来たら玉葱を食べることができなくなっていた。
何があったか知らないけど、どんなことがあっても玉葱を口にしなかった。

最愛の孫娘の夫が、戦中、自分らを迫害したドイツの仲間、日本人であることをどう思っただろう。
内心は計り知れぬが、日本にも日本人に対しても、あたたかい好意だけしか感じなかった。

彼女とは日本、フランス、日本、ベルギーと15年間一緒に暮らした。
子供も二人授かった。
10年くらい前、ベルギーにいる時に別れた。

別れてまもなく居場所がなくなったので自分一人、一年ばかり彼女の祖父母の家で暮らすことになった。
ジャックはとうになくなり、エヴァは認知症で施設に入っていたので家は空だった。
女医であったエヴァは「ボケたら自殺する」といってちゃんとそれ用の薬を用意しておいたそうなのだが、ボケたら自分がボケたとはわからないので、薬は使わずじまいだ。

家は細長い3階建てでおんぼろだった。
床から釘が飛び出てて裸足では危なかったし、壁紙は剥がれ、トイレはよくつまり、炊事場のお湯は5Lごとしか使えず、洗いものには工夫がいった。
自分の見知ったユダヤの人たちを無理矢理に大別するならば、商売人でお金儲けが好きか、学者や芸術家で金銭に頓着しないかだ。
彼らは後者だった。

エヴァは当時はまだ生きてて、もしかしたら帰宅するやもしれないので、彼女の寝室はそのまま、ジャックの部屋を使うことになった。
彼専用の大きなベッドで寝、ヘブライ語とロシア語とポーランド語と英語とフランス語の本と数巻の8ミリフィルム、雑多な文房具類が残る三畳ほどの小さな書斎で絵を描いた。
ベッドにしろ机や本棚にしろ、長年共に過ごした主人が去った後、黄色い肌した東洋人に使われることになるとは思わなかっただろう。
きっと、嫌に違いない。
すまないなあ...という気持ちになった。
ベッドなんていうのはことさら嫌悪感をあらわにしていた。
中央が主人の大きな体躯にあわせて窪んでいてとても居心地が悪かった。
それで、慣れるまでは左右どちらかの端っこに寄るようにして寝ていた。

一度経験したことのある人ならわかると思うけど、離婚っていうのはなかなかしんどいものだ。
子供がいたりした場合はひとしおで、長年かかって形成された家族という、ひとつの宇宙が消えてなくなってしまう。
その喪失感というのは大きなものだ。

それゆえ、一年ばかりは気軽に人に会うこともままならず、知り合いの少ない異国暮らしをいいことに、閉じ籠って絵ばかりを描いていた。
それ以外に正気を保つ方法がなかったのだ。
どんどん絵がたまっていった。
床に並んでるのをふとみると、それは絵というより、アルコール依存症の人間が飲み干した酒の空き瓶みたいだった。

ときどき、ミナという初老の女の人が、郵便物をとりにやってきた。
彼女は戦災で身寄りをなくし、同胞の孤児達の世話をしていたエヴァとジャックのもとに引き取られ育てられた。
今は彼女がエヴァの世話をしている。
ミナが育ての親であるエヴァとジャックの名を口にすると、なんともいえない情愛がこぼれでた。
話してて、とてもあたたかい気分になった。


この人生で一番しんどい時期のひとつ、こころが最も弱ってる状態のひとときを、収容所帰りの男の部屋で過ごした。
彼の遺品に囲まれ、それらに染み込んだ体臭を吸い、残された写真アルバム(抜き取られ、ところどころになってる)をめくった。
この家を出るとき、別離の苦しみが少し和らいでいた。
絶望が、もっとより大きな絶望の懐に抱かれ、愛撫され、癒されたみたいだった。

ジャックは戦争の悲惨さについて何も”言葉”では語らなかった。
ただ、バーベキューしてるときも、ひ孫と戯れ声高く笑っているときも、その腕には青くて奇妙な数字が並んでいた。
その数字がその場の幸せな空気をいつも一瞬で飲み込んでしまうようだった。

しかし、腕に刻まれた数字、それにも増して心に強く残っているのは、彼のかすれた深い声色や、陰影の濃い額、とても静かなまなざしだ。
それらは、もの言わぬジャックが経験したであろう戦争の悲惨さや残虐さを、”言葉”よりも強く重たい”ことば”で語っていた。

彼が亡くなった後では、残されたベッドもまた、黙しながら語っていた。
ベッドの大きなくぼみ、それは何も彼の身体が大きかったゆえだけではないだろう。
ありきたりの言葉にはけっしてできぬ辛い経験の記憶の苦しみに、
眠れず、もがき、身をよじったたその痕跡であったはずだ。

その痕跡と10年前、一年の間、毎日肌を合わせていた。
ある程度は己が身に染みてると思う。
叶うことなら、それが絵筆の先から出てほしいと願う。


azisaka : 08:09

ププの生活 その16「F−1MAX(後編)」

2015年08月01日

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azisaka : 11:46

AZIZAKKA

2015年07月21日

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五月の終わりくらい、知らない人からメールがきた。
開けてみたら福岡パルコの新館6階にできたフタバ図書っていう本屋さんの店長さんからのものだった。

「会ってぜひ話しがしたい」と書いてあったので、数日後に会って話しをした。
そしたら同い歳で、金沢出身で、細身パンツにDr.マーチン、パンク好きのなかなかいかした人物だった。

話しを聞くと、店内にコーナーを作ってグッズを売りたいとのこと。

しかしグッズなんて、そんなの今は手元にぜんぜんなかったので、そう告げると、しょんぼりとても残念がった。

その様子を見てたらふいに、グッズを作ってみようかな、という気分になった。

それでなけなしの貯えの中から捻出して新たに品物を作り、売り場用にと、おっきな絵も描いた。
慣れないこととて、すったもんだ一月くらいかかった。

昨日の晩に会場の設営と搬入を行い、今日から販売開始です。
ちゃっかりブランド名も考えて、それは「AZIZAKKA」です。
(次点は”鯵雑貨公司”)

手拭い、Tシャツ、トートバッグ、i-Phone6ケース、ポストカードセット、缶バッヂなんかがあります。
少量生産なのでちょっぴり高めですが、けっこうかっこいいです。

夏の気のきいた手土産にもってこいの品々が勢揃い。
せめて何とか元だけはとりたいぞ、
どうかみなさんバッヂ一個だけでも買ってやってくださいっ。

あと、ツイッターなどやってないので、できたらなにとぞ代わりに告知と宣伝をお願いします。
横着言って申し訳ないっ...

パルコの新館6Fは夜の11時まで開いていて、本屋さん以外にも勝手に座れるソファーや空が見えるテラス、JAやってるカフェ(ジンジャーエールがうまい)などがあって、なかなかくつろげる場所です。
そんなに人多くないし、待ち合わせやお茶とかには最適です。

あと、長年いろんな出版業界を渡り歩いたパンクロック店長の本の品揃えが、ギラリ、とってもいいぞ!

(今回の曲)
FISHMANS「Weather Report 」
定番ですまんがこの時期おれにはこの曲が...

azisaka : 19:27

ププの生活 その15「F−1MAX(前編)」

2015年07月15日

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azisaka : 09:11

ププの生活 その14

2015年07月01日

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azisaka : 06:47

白花赤サボテンの謎

2015年06月26日

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西郷君、何吸ってんの?

知らない

知らないもの吸ってどうすんのよ!
身体に毒だったらどうすんの?

だって、みょんみょんちゃんが...
みょんみょんちゃんが、これ吸ったら、
ぎっくり腰がたちどころに治るって...

みょんもんちゃんて誰よ?

みょんもんじゃなくて、みょんみょん...

どっちだっていいわよ、
そのへんてこな名前の人って誰なのよ、
あなたの知り合い?
信用できる人なの?

うん、知り合い、つうか、友達...
つうか、ぼく、
みょんみょんちゃんのことが好き...

えーっ、西郷君、あたいのことに惚れてたん?

う、うん、まあね...今、実感した。

「ふふふ、それがこの白花赤サボテンの力よ...」

え?何か言った?

何も...単なる独り言...

ふうん

さあ、お吸いなさい!西郷南洲!
チュッチュ、チュッチュ、とお吸いなさい!
吸って吸って吸いまくって、
あたしのこと、好いて好いて好きまくるのよ!
好いて好いて好きまくりの、
好き好き大好きの恋心が、
燃えて燃えて熱い熱い炎となって、
あんたのギックリ腰の痛みなんて、
すっかりさっぱり燃やし尽くしてしまうわ!

わあ...みょんみょんちゃん...
なんかすごい迫力...
かわいいワンピと不釣り合い...
でも、そんなちぐはぐしたとこが俺は好き。


(そんな西郷さんが最近ぐっときたのはこの曲だ!)
Hunt「Moon & Sun 」

azisaka : 18:47

マンガ傑作選その134(おお、ひさびさ!)

2015年06月21日

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(蛇足ですまん)
”こんぴらさん”と呼ばれ親しまれている香川県にある金毘羅宮は、1368段もある長い石段で有名で、上記のマンガはそれにちなんだものです。

azisaka : 06:09

ププの生活 その13

2015年06月15日

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azisaka : 05:06

いっちょん

2015年06月10日

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”いっちょん”っていうのは、九州の西のあたりの言葉で、「まったく」とか「全然」とかいう意味に近い。
「うちん孫は野球ばっかいして、いっちょん勉強せん」とか「おいは安倍のやつぁ、いっちょん好かん」とかいう風に使う。

自分のまわりの人間で、この”いっちょん”をとりわけ強靭に用いる女がいる。
長崎は諫早出身のレイコだ。
思わずレイコと呼び捨てにしたが、齢(よわい)八十のばあさんだ。

縁あって仲良くなって、年に数回酒を飲む。
うっかりばあさんといったが、見た目は六十くらいで、中身は三十くらいの勢いを持っている。
若い時分に惚れたフランス男とパリに渡って以来、ずっとパリ暮らし。

そいでもって花の都で、恋愛以外は何やって暮らしてたのかというと、特殊メイクだ。
3Dなんてちゃらいものがなかった頃(あ、それに携わってる人、すまん)、独自の技術で俳優たちを綺麗にしたり醜くしたり、老人にしたり怪物にしたり...
この分野のパイオニアだ。
ヘルツォークの「ノスフェラトゥ」も、ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」も、彼女のメイクに依っている。
ひゃあ、すごい...

さて、彼女が数年前、「赤とんぼ」という本を出版した。
”赤とんぼ”とは旧日本海軍の練習機のことで、その飛行場が彼女の生まれ育った地にあった。
長年生きてるので、原爆の被災者の手当もすれば、特攻兵を見送りもする。
そんな自らの戦争体験を綴った作品で、少女の目線からの徹底した描写はとても読み応えがある。
聞くところによると、映画化の予定だってあるらしい。

酔いが回ってくると彼女の口(レイコ・ルージュという、ゲランかロレアルに特別に作ってもらった口紅が塗ってある)から、そりゃあ耳障りのよい、つうか、耳応えのある長崎(諫早)弁が飛び出してくる。

「ここん鯖は五島んにきでとれたとやろ、うまかねーっ、よそじゃ食べれんばい」
「あたしはさあ、諫早ん潟の、栄養たっぷりの泥ん中から生まれてきた人間やけんね、地力が違うとばい」
「近頃の映画はつまらんとの多かー、コンピューターばっか使ってさ、人ん手のぬくもりみたいなんがなかたい...」

そして、時にこう言うのだ。

「こうちゃん、あのさぁ、あたしゃ、戦争はいっちょん好かん!」

この”いっちょん”が、なんとも力強く心に響く。

おそらくは、何十年も遠い異国に暮らしたせいだろう。
フランス語(たまに日本の標準語)しか、話す機会がなかったせいだろう。
幼少期に用いていた故郷のことばが、当時と変らず冷凍保存され、純朴な強さを持ったまま、身の内に存在しているのだ。

むかし読んだ、石牟礼道子だったか森崎和江だったかの文章に、フィリピンに”からゆきさん”を訪ねていく話しがあった。
九州の農山漁村から遥か見知らぬ地に売られていった少女たち(二度と再び故郷には帰れぬまま、今はおばあちゃんになってしまった)に、戦後しばらくして会いに行くはなしだ。
作中、彼女らが語る言葉が、”今では誰も話すことのなくなってしまった、むかしの美しい天草なまり”であったので、それを聞いた作者が胸を打たれ涙するというくだりがある。
むろん、”からゆき”と”パリゆき”ではなにもかもが大きく異なる。
いっしょに並べてはいけないのだろうと思う。

しかし、レイコさんの、”いっちょん”には、数秒だけなら同じ土俵にあげてもいいような強さを感じる。
その言葉の響きだけで彼女の思いのたけが伝わるのだ。

”いっちょん好かん”戦争なんて、
金輪際、何があっても、絶対に、まっぴらごめん!
イヤなのだ、反対なのだ、やってほしくないのだ。


(今回の曲)
Boris Vian「Le déserteur」

こがんご時世やけん、訳もつけとくばい。
(こんなご時世なので、訳もつけときます)

ボリス・ヴィアン「脱走兵」

大統領閣下
お便りを差しあげます
もしお時間があるなら
お読みいただけますでしょうか

私は、ちょうど今、
召集令状を受け取ったところです
水曜の晩までに
戦争に出発せよとの命令です

大統領閣下
私は戦争をしたくありません
哀れな人々を殺すために
この世に生まれてきたわけではないのです

あなたを怒らせるつもりなどありません
しかし言わせていただきます
私は決めました
脱走します

私は生まれてこのかた
父が死ぬのを見ました
兄達が出征して行くのを見ました
子供達が泣く姿も見ました

母はずいぶん苦しみました
今は墓の中で眠っています
爆弾ももう平気です
うじ虫だって大丈夫です

私は捕虜だったとき
妻を奪われました
魂も奪われました
愛しい過去さえも奪われました

明日の朝早く
死んでしまった年月にきっぱり別れを告げ
扉を閉め
放浪の旅へと出るつもりです

ブルターニュからプロヴァンスへと
フランス街道沿いに
物乞いをして生きるでしょう
そうして私は人々にこう云います

服従することを拒否せよ
戦争することを拒め
戦争へ行ってはいけない
出征を拒否するのだ、と

もし血をながさねばならぬのなら
どうぞあなたの血をお流しください
あなたは偽善者です
大統領閣下

もし私に追っ手を放つのなら
部下の憲兵たちには、こう云えばいいでしょう
奴は武器をもっていない
発砲してもよろしい、と

(訳:アジサカ)

この歌、勝手な望みを言わせてもらうのなら、
江戸アケミに歌ってほしかったなぁ。

azisaka : 16:46

ファイヤーキング

2015年06月08日

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みなさん、こんにちは。
調子はいかがですか?
こちら低気圧で朦朧とした日々を過ごしております。

ところで、うっかりお知らせがおそくなってしまいましたが、縁あって東京は渋谷で行われているグループ展に参加しております。
場所は代々木上原の駅のすぐ近くにあるファイヤーキングという名のカフェ。
上に掲げてるようなおっきなデジタルマンガイラストを2点出品していて、ちょっとしたグッズの販売もやっているそうです。
他6人の方の作品もとてもいかしています。
今月21日まで展示しているということですので、近くを通りがかったらぜひのぞいてみてください。
エスニック料理がなかなかうまいです。

azisaka : 06:51

ププの生活 その12

2015年06月01日

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azisaka : 05:06

ププの生活 その11

2015年05月15日

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azisaka : 06:18

ププの生活 その10

2015年04月29日

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azisaka : 08:33

福岡個展のはじまり

2015年04月22日

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来週の金曜日、すなわち、5月の1日からいよいよ春の個展、福岡編がはじまります。
場所は中央区は薬院にある、とびきりいかしたカフェ、coffonです。
コーヒーやデザート、手作りの果実酒(すばらしくうまい!)などを手にくつろぎながら、どうかゆっくりご覧下さい。

そいでもって、10日(日曜)の夜8時からは、オープニングのパーティをおこないます。
どなたでも参加は自由で、各自、飲みものや食べものを注文するっていう方式です。
おそらく、店の主人がその日の特別メニューとかも作るのではないかと思います。
けっこう遅くまでやってますので、食事をすませて途中からとかでも、出たり入ったりとかでも、いっこうにかまいません。
どうか気軽にお越し下さい。

個展の詳細は以下の通りです。

個展期間中、毎週日曜日(3日は除きます)は終日アジサカが会場(もしくはその近辺)におります。

アジサカコウジ春個展’15
「カチューシャ」

5月1日(金)~5月31日(日)

「coffon(コホン)」

福岡市中央区警固3-1-28 アーバン警固301
TEL 092-725-3711
営業時間 12:00~18:00
(10日の日曜は、飲み会なので12:00〜24:00)
定休日 毎週水曜日と木曜日

azisaka : 15:26

ププの生活 その9

2015年04月14日

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azisaka : 18:10

お知らせふたつ

2015年04月11日

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こんにちは、2つほどお知らせがあります。
ひとつめは、このHPの「Peinting」のコーナーに40点、ここ数年に描いた新しい作品の画像をつけ加えました。
どうか、暇なとき気が向いたらご覧下さい。

ふたつめは、昨日4月10日からアクリル画の新しいシリーズを始めました。
上に掲げたものがその一つで、名付けて「西郷さんシリーズ」です。
一年かけて、大小100点くらい描いて来年の春あたりに個展しようと思います。

と、そんな感じです。
どうかよろしくおねがいします。

azisaka : 11:27

ププの生活 その8

2015年04月01日

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azisaka : 07:42

ププの生活 その7

2015年03月17日

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azisaka : 09:30

つぐみ

2015年03月12日

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トッピー、何してんの?

「偉そうにしてるの」

あー、だめだめ、ぜんぜんなってない、そんなんじゃ、ちっとも偉そうじゃない

「えー、そうかなあ...」

そうさあ、だってさ、偉そうにするならさ、まず一等最初に、服を着なきゃ、できるだけ上等の服をさ

「まあ...」

裸じゃいけないよ、裸じゃ、裸だったらトッピー、ただの痩せっぽちの女の子、これっぱかしも偉そうじゃない

「ああ、でもあたし、ここ一週間ずっと野良仕事...持ってる服はみんなどろんこなのよね...」

うむ、先日からの長雨で洗濯もできないし、要するに着る服がないってことだね?

「ええ...」

しょうがないなあ、じゃあおれのを着なよ...

ジャンは自分の着てる服を脱いでトッピーに差し出す。

「まあ、温かい...ちょっとぶかぶかだけど...」

そうだろ、そうだろ、そりゃあよかった...くしゅん!

「あら、大丈夫?あなた裸んぼうになっちゃって、寒くない?」

寒くない寒くない、
寒くないし、偉くもない

ポピリョンポピリョン...

「あ、ツグミ!」

北へ帰るんだ、春が来る。


と、いう感じのトッピー、長崎の個展会場に来週の月曜までいるそうです。

アジサカコウジ春個展’15
「カチューシャ」

2月25日〜3月16日(月)
(14,15,16日はアジサカ在廊)

「PÚBLICO(パブリコ)」
〒850-0862
長崎市出島町10-15 日新ビル2F
TEL 095-828-1951
営業時間 12:00~18:00

azisaka : 08:40

ププの生活 その6

2015年03月03日

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azisaka : 08:53

長崎個展のはじまり

2015年02月22日

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今週の水曜、25日より、いよいよ待ちに待った(という人が6人くらいはいてほしい...)7年ぶりの長崎個展がはじまります。
3月5日まではランタン祭りもやってますので、遠方からはるばる見に来たって、そんなに損はしません。

また、3月1日(日)は、16時より会場にてオープニングパーティを行います。
要は個展にかこつけた、誰でも参加できる立ち飲み宴会です。
入場無料の持ち寄り形式ですので、手作りキッシュでもコンビニ総菜でも、ブルゴーニュでも泡盛でも何でもいいですので、1、2品ぶらさげて来ていただけたらうれしいです。

個展の詳細は以下の通りです。

アジサカが個展会場にいる日は、期間中の週末と最終日、つまり、
2月28日(土)、3月1日(日)、7日(土)、8日(日)、14(土)、15日(日)、16日(月)です。

坊主頭の男がうろついていますので、「よお」と気軽に声をおかけください。

アジサカコウジ 春個展’15
「カチューシャ」

2月25日(水)~3月16日(月)

「PÚBLICO(パブリコ)」

〒850-0862
長崎市出島町10-15 日新ビル2F
TEL 095-828-1951
営業時間 12:00~18:00
定休日 毎週火曜日と第1水曜日

azisaka : 08:24

春個展’15

2015年02月15日

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昨年末、福岡は天神で個展やってたら、しばらく会わないでいた友達がひょっこりやってきた。

「おー、ひさしぶりやん、調子はどがん?」
「それがさあ、病気して、しばらく店、休んどったんよー」
(彼女は、女手ひとつで小さなカフェを営んでいる)
「うわあ、そりゃあ、たいへんやったなあ...」
「うん、でも、なんとか春に復活できるっちゃん」
「おお、それはよかった...」
「うん」
「そいじゃあ、なんか、いっちょうやらんばいかんね」
「え?」
「店で祝・復活個展とかやるのはどうやろ?」
「わあ...やったあ、うれしーっ」

と、いうことで、昨年の冬に引き続き、春にも福岡で個展をやることになりました。

せっかくやるんなら福岡だけじゃあ、さみしいよなあ...どっか他にいいとこないかな...
と考えてたら、長崎に住んでた時分の知り合いが、最近ギャラリーを始めたって言ってたのを思い出した。
それで、正月に実家へ帰ったついでに行ってみると、とってもいかした場所だった。

「おー、かっちょいいやーん」
「そうでしょーっ、ふふっ、いい感じでしょう」
「うん、うん、ここで個展やりたい、やらせてください、いつが空いとる?」
「えっと...あ、ちょうどランタン祭りの頃、空いてますよー」
「おー、じゃあ、そん時やるけん、よろしく」
「わ、決めるの早っ...でも、やったー、楽しみ!」
と、いうことで7年ぶりに長崎でも個展をやることになりました。

事の成り行きで、当初の思惑とは順番が逆さになって、
長崎が今月末から、福岡が5月からです。
以下、個展の詳細です。

アジサカコウジ春個展’15
「Катюша」
今回は新旧の作品の中から、女の子のポートレートを中心に展示します。
7年ぶりとなる長崎は、築50有余年、市内で2番目に古いといわれるビルの一室(生活雑貨店List:が運営しているギャラリーです)にて、選りすぐりの作品をずらり50点ほど並べます。
昨年に続いての福岡は、これも古いビルの中にあるいかしたカフェ、Coffonにて、珠玉(自分で言ってすまん)の作品を20点ばかり掲げます。
個展のタイトルは好きな小説のヒロインの名からとりました。

2月25日(水)~3月16日(月)

「PÚBLICO(パブリコ)」

〒850-0862
長崎市出島町10-15 日新ビル2F
TEL 095-828-1951
営業時間 12:00~18:00
定休日 毎週火曜日と第1水曜日
http://www.list-dejima.com
*3月1日(日)は、16時から、会場で持ち寄り形式のオープニングパーティを行います。
どなたでも参加できます。どうか、ふらっと気軽にお越し下さい。
飲みものか食べものを、何か1、2品持って来ていただけたらうれしいです。

5月1日(金)~5月31日(日)

「coffon(コホン)」
福岡市中央区警固3-1-28 アーバン警固301
TEL 092-725-3711
営業時間 12:00~20:00
定休日 毎週水曜日と木曜日
http://coffon.cc/
*まだ、しばらく日があるので、オープニングのパーティとかは未定です。

と、いう感じです。
どうかよろしくお願いいたします。

azisaka : 18:47

ププの生活 その4(5)

2015年02月12日

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azisaka : 14:11

リリィ

2015年02月05日

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わ、君、どうしたん?
見ての通りよ
え?
でっかい花、髪にさして、裸で通りに立ってんの

azisaka : 08:36

ププの生活 その3

2015年02月01日

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azisaka : 07:08

おれは白ファー

2015年01月25日

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どうせだったらよ、俺だって肝っ玉ついてんだ、
こんな女々しい白くて柔らかくてふさふさしたものなんかより、
男らしい黒くて固くてごつごつしたものに生まれたかったに決まってるさぁ。
だけどよ、せっかくおっ母さんから授かった身体だろ、今更そんなこといったってえ始まらねぇ、白でも黒でも、ヤワでもカタでも、もらったもんを大切にしなきゃあ...と、まあそう思うのさ。

けどよ、大切にしなきゃあ...とは思うんだが、見ての通りのふさふさやわやわだろ?
ばかにして、いちゃもんつけてくる連中がいんのさ、むかしっから...
おれがガキの時分からずっとな...

そんなやつらにやぁ、だまっちゃいねえ、ああ、
こちとら、こんな見てくれとは裏腹に、腕っ節だけは、そりゃあ強えんだ。
おっ母さん、頑丈に生んでくれたんだ。
かたっぱしからぶちのめしてきたぜ、そんなやつらはな。
負けたことなんてぇなかったね...

まあ、喧嘩ばかり強くったって、ロクなもんじゃないんだけどよ...
そんなもんでも、ていうか、それだからこそ、目をかけてくださる方も世の中にはいらっしゃる。
それが今の親分ってわけさ。
親分に見込まれて、この組にわらじを脱いだのが、こないだのお稲荷さんの祭りの後よ。

けどなあ、最初に申しつかったお役目がよ、見てのとおり、女将さんの襟巻きだ。
まあ、こちとら、ふさふさなんだからしょうがないんだけどよ、
女将さん、いい匂いだから、かまわないんだけどよ、
やっぱり、ちょっと切ないよなあ、やるせないよなあ...

ってしょげこんでた矢先に今回の出入りだ!
見ての通り、若頭の吉之介さん、会社から雇われたチンピラどもに囲まれちまってる。
若頭はそりゃあ強えが、相手の数が半端じゃねえ、絶体絶命ってぇところさ。

でもって、ここでやっとこさ、俺の出番ってわけだ!
あんたが出くわしたのは、そんな場面だぁ。

よおっく目をかっぽじって見てておくんなせえよ、
これがおいらの喧嘩でえっ!

と威勢のいい、鉄砲玉の白ファーこと、羊丸又七さんが今回登場です。

azisaka : 08:13

ププの生活 その2

2015年01月15日

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azisaka : 07:47

西郷南洲とその妻

2015年01月11日

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「よお、クチャ介!」
「あ、西郷くんとラーラ姫」
「ちょっとお、あんた、あたしのこと、姫付けなんかで呼ばないでよ!」
「だって、そんな抱かれ方してたら、そう呼ばれたって致し方ないと思うよ、ぼくは」
「まあ、そういうなよ、クチャ介、今おれたち、記念写真をとってもらってる最中なんだ」
「ああ、最中か...おいらも最中食べたいなあ...」
「何言ってんのよ、”もなか”じゃないわよ、”さいちゅう”よ!」
「どっちだっていいだろ、最中は最中だ、餡子が入っててうまいんだ...」
「あたし、粒あん派!」
「おいらは、こしあんだー!」
「コリアンダー?そんな香辛料なんて、最中に入れないわよ!」
「むう...そんな風に決めつけるのは良くないと思うなっ」
「決めつけてるわけじゃないわよ、あんたってすぐかっとなるんだから...」
「トサカない鳥がトサカにくるとはこれいかに...」
「西郷くん、あんた面白くないから黙っててよ」
「つうか、トサカはないけど、おいらには立派な、それはそれは美しい羽があるぞ、ほら」
ばっ...
「わあ...クチャ介が羽を広げたとたん、サボテン森の植物たちがいっせいに花開いた!」
「おお、きれいだなあ...」
「ええ、ほんとうにきれい...」
「今がチャンス!さあ、シャッターを切りますよ!」
「えーっ、おいらの羽も見ておくれよーっ!」
「クチャ介さん、いいから、いいから、カメラの方見て、笑ってください」
「はい、チーズ!」
カシャ!

と、いうのが上の絵なんだけど、クチャ助ったらカメラの方、向いてないのよね...

azisaka : 12:56

ププの生活 その1

2015年01月01日

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ずっとむかし地方紙に連載してたマンガを、たわむれに復活することにしました。
毎月2回、1日と15日、この場にぽつんと登場です。
とりあえず、1年続けてみるつもりです。

「わっはっは」と大声で笑うほどではないですが、ほんの少しは面白いと思います。
そうして、10年とか20年経って読んでも、あいかわらず、ほんの少しは面白い、
そういうマンガをわたしは描きたい。
描けるといいなっ

azisaka : 09:47

じいちゃんのシチュー

2014年12月19日

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箱崎という名の町に引っ越した。
5年前のことだ。
住み始めてしばらくしたら、「古いビルの一角に空いてるスペースがある。そこで何かやってみないか?」という申し出があった。
少し考えて、箱崎だから、箱屋さんをやってみようということになった。
木製の箱に絵を描いて売るのである。

どうせ描くなら、上等の箱にしようと思った。
近所に伝統工芸である”曲げわっぱ”の老舗があったので、土台となる箱はそこで揃えることにした。
なかなか高価なものだが、どうせやるなら、いっぱしの”工芸品”を目指したいと思ったのだ。

さっそくためしにいろんな大きさのものを3個買ってきた。
木目がとても美しい。
ヒノキのいい香りもする。
作業机に並べ、水を汲んで来て、下地塗り剤の蓋を開け、筆をとった。

筆をとってはみたものの、下地を塗ることが、どうしてもためらわれた。
その木目以上に美しい絵を描けるとは思われなかったからだ。
それで、絵箱の土台に”曲げわっぱ”を使うのはやめにした。

ネットでさがしたら、その上に彩色されることを前提として作られた白木の箱が、たくさん売りに出されていた。
それをとりよせた。
けして上等の箱ではないけれど、そこそこしっかり作ってあり、値段も手頃だった。
これでいくことにして、制作を開始した。
平面であるキャンバスとは異なり、6面もある立体で、最初は構図を決めたりするのに戸惑った。
けれども慣れてくると、平面にはない面白みがたくさん見出されて、描くのが楽しくなってきた。

一月で、20個ぐらい完成したので、ニスを塗って、店(”鰺坂絵箱店”と名付けた)へ並べた。

店は週末のみの営業だった。
奥の机に座り、パソコンイラスト仕事しながら店番をしていると、どこから聞きつけてきたのか、ぽつんぽつんと人がやってきた。
そして、ぽつん、ぽつんと、ちょっとずつ売れていった。
売れてなくなったら、なくなった分を追加して、常にだいたい20前後の数があるようにしておいた。
こうして、ほぼ2年間、箱屋さんをやった。
最初から2年と決めていたのだ。

若い人、歳をとった人、若くも老いてもない人、いろんな人が訪れた。
中で一番の年寄りは、開店して最初の冬、とても寒い日に突然やってきた、知らないばあちゃんだった。
何枚も何枚も重ね着をして、左手に頭陀袋、右手で杖をつき、はあはあ息を切らしながら2階へ登ってきた。

そのばあちゃんの話しを、彼女が来た後しばらくして、この場に書いた。

「ばあちゃんの女の子」


以下はその続きだ。

”白いワンピース着た女の子”が描かれた箱、その箱を、他のものには眼もくれず、買って帰った見ず知らずのばあちゃん。
「あたしは名乗るようなもんじゃなかけん...」と、名前も連絡先も残さずに、握手だけして帰っていった。

そのばあちゃん、後ろ姿を見送りながら、「もうこの世では会うことないやろなぁ...」って勝手に思っていたのだけれど、ちょうど一年経った頃、またひょっこりやってきた。
今回もなにやら沢山入った頭陀袋をさげていて、顔を見るなり中から「はい、お土産」といって、丸ボーロをとり出した。

それで、お茶を入れ、ソファーに座っていっしょに食べることにした。
ちょっと寒そうにしてたので、ストーブを近くに引き寄せた。

「子供が4人おるとやもん」

「はあ...」

「上のふたりは、けっこううまくいっとるごたる。下の二人はまあまあ...」
「その子らから毎年、お年玉ばもらうと」
「お金もっとる二人からは1万円ずつ、もたん子からは図書券...」
「2万円はとっとって、好きなもんば買うと」
「去年、箱買ったやろ?それはそのお金ば使うたと...」

「わあ、そがんですか...」

「うん、そいでまた今年もお年玉握ってきたと」

「わあ、そがんですか...あの、もう、どいでもよかですけんね、どいでも好きなやつば持って行ってください」

「ええ、そげなあ...」

「よかって、よかって、そがん、もったいなか...お年玉ば、こがんとに使うて...」

「ああ...そいじゃあ、まあ、ゆっくり見させてもらおう...」

前回、「白いワンピースの女の子」だけに集中したのとはうってかわって今回はばあちゃん、ひとつひとつ手に取っては、ゆっくりゆっくり見ていった。

そうしてしばらくすると、紅を背景に裸婦が描かれたシリーズの中から2点を選び、持ってきてテーブルの上に置いた。
その一方に、そっと触れて、
「これが一番良かばってん、高かけん...」
続いてもう一方に触れ、
「こっちかなぁ...こっちもよかもん...」

「おお、ばあちゃん、好いとる方にしいよ、遠慮せんで、好いとる方に...」

「ああ...そいじゃ、悪かばってん、こいにすっけん」

と、高い方の箱をさしだした。
そうしてばあちゃんは一安心したのか、「ほう」と一息ついて座ると、残ってたお茶をひと口すすった。

そいでもって、ぼそぼそ話しだした...


うちのじいちゃん(つまり彼女の夫)は、10年前になくなったとやもん。
仕事ばっかりで、あんまい話さんで...
プレゼントとかも、何もしてくれん人やったけん、なんにも残っとらん...

ただ、豚のもも肉、あれが塊で、ときどき安く出る時があっとですよ。
そん時は、おっきか塊ば買うて来て、シチューば作ってくれらした。
子供らもそいが好きやった...

シチュー作らすときは、わたしは何もいっさい手伝わんとやもん。
手伝わせてくれらっさん。
買いものから何から全部、ひとりでさすと。
赤ワインば入れらすけん、白うなかと、茶色のシチューたい。
こいが、おいしかったー、子供らおかわりするけん、たくさん作らして...

レシピとかは、なかとやもん。
頭でおぼえとらすと。
やけん、あたしは、ある時、作いよらすとば横で見とって、作り方ばこっそりメモしたっちゃん。

そのメモだけが、残っとる、ずうっと、とっとる。
これだけ、あん人の形見。

去年、ここで箱ば買わしてもろうたろ?
白か服着た娘さんの...
中に何ば入れようかと思うて...

そのシチューのメモば入れとる。


それを聞いて、ああ、絵箱を作ることにしてほんとうによかったと思った。


azisaka : 14:19

冬個展’14案内その2

2014年12月15日

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かっちょいい看板が目印の冬個展、ずばっと開催中です。
今週いっぱいなので、何とか都合つけていってみよう!

アジサカコウジ冬個展’14
「ピリカ」
12月5日(金)~21日(日)

ギャラリー・おいし
福岡市中央区天神2-9-212南通り
TEL 092-752-1066
営業時間 11:00~19:00
休廊日 月曜日

火曜〜木曜、看板は奥に引っ込んじゃってますが、ちゃんとやってます。
1階に、にこっとして立ってる女性に「4階見に来ましたーっ」と、
言って上ってってください。
(若干わかりづらいですがエレベーターもあります)

20日(土)、21日(日)は、午後からアジサカ会場にいます。
「えーっ、何でこれ、こういう題名なんですかーっ?」
とか、気軽に質問浴びせたりしてください。

冬個展テーマ曲!
Alt-J (∆) 「 Matilda 」

azisaka : 09:22

るのね

2014年12月10日

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あ、まさしさん、こんにちは

こんにちは、るのねちゃん
朝からずいぶんと精がでるねえ...

ええ、はやく収穫してしまわないと、葡萄が熟れ過ぎちゃうもの...

働き者だなあ、えらいなあ...
ところで、首にかけてる葡萄は、今摘んでるのとは品種が違うようだね

ええ、これはマキ姉さんのお家で育ったものよ
ちょっぴり変ってるでしょう?
房ではなくて、数珠繋がりに実がなるの...

うん、変ってて美しい...
それにいい香りだ...

とってもおいしいのよ!
あたしはこの葡萄が一番好き
あ、まさしさん、マキ姉さんのこと紹介してあげましょうか?

え?

い、いいよ、ぼくは学問が...

そんなこといわないで、
とてもいい人なの...

私は、るのねちゃんのことばを信じ、そのマキという女性に会うことにした。

それが今の妻である。

さて、その妻と先週、アジサカという名の画家の個展に行った。

行って絵を見、思うとこあったので文章を書いた。
以下がそれだ。

「見よ、それは極めてピリカ。」

azisaka : 14:24

暦のトッコ

2014年12月05日

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あ、トッコちゃん、何してるん?
待ち合わせよ
誰と?
けんちゃん
けんちゃんと待ち合わせしてどこ行くん?
衆院選
え、でも、トッコちゃん、17だろ?
うん、そうよ
選挙権ないじゃん
うん、そうよ
投票できないのに、どうして行くのさ
選挙には行かなくちゃならないのよ
え?意味わかんない
あのさ、大人になっちゃったらさ、目の前の仕事が忙しかったりして、選挙行くのおっくうになるじゃん?
あ、うん、そんな風だね
あたしも、そうならないとは限らないじゃない
うん、そうだな...
だからね、そうならないように、今から選挙へ行く習慣をつけとくのよ
へえ、偉いなあ...
偉かないわよ、ふつうよ、選挙には行かなくちゃなんないのよ
ご飯食べたら歯を磨くのとおんなじよ

そんなトッコちゃんが、来年のカレンダーになりました。
(上の絵です)

今日はじまった福岡は天神での個展会場で売ってます。千円です。
けれど、年末で何かと入り用で千円はきびしいなあ...という人や、2枚以上お求めの方は五百円です。

カレンダーと同時に「自治区ドクロディア」ポストカード、豪華24枚セットも売ってます。
年賀状など、絵葉書としてお使いいただけるだけでなく、繋げて並べてパズルとしても楽しめます。

と、いうような営業活動をこんなとこでしてすみません。

azisaka : 16:48

冬個展の案内

2014年11月29日

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ひょんなことから12月、福岡で個展をやることになりました。
先だって熊本と別府で展示したものに十数点付け加え、盛り沢山にしたものです。
新旧あわせて60点近く(おお!)、なかなか見応え十分です。
オリジナルのカレンダーやポストカードの販売もあると思います。

会場はなんと天神のド真ん中、新天町は老舗の画廊「おいし」
パルコや岩田屋から歩いて数十秒。
忘年会の前や、買い物がてらにふらりと寄ってみよう!

会期中、日曜日は午後からアジサカ在廊しているはずです。

アジサカコウジ冬個展’14
「ピリカ」
12月5日(金)~21日(日)

ギャラリー・おいし
福岡市中央区天神2-9-212南通り
TEL 092-752-1066
営業時間 11:00~19:00
休廊日 月曜日

あ、巷で配られてるチラシや新聞等の告知では、諸事情(ひみつ)により個展の日程が、週末のみになってますが、平日でもちゃんと観覧できます。

azisaka : 08:34

Combat de nègre et de chiens

2014年11月20日

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数年前、福岡は日仏学館で個展やったときはドクロの形の大きな箱を作り、その中に絵を展示した。
コーヒー買いにちょっと外へ出て会場へ戻ると、箱の中に誰かいる気配がした。
入って行って、いつものように声をかけた。

「こんにちはーっ、何か質問とかあったら...」

「あ、今、絵を見てるから、話しかけないで!」

ひ、ひええーっ!

長年、個展やってるが、こんな風な反応は始めてだ。
びっくりした...
わあ、へんてこりんな人だなあ...と思った。

しばらくしてると、箱の中からその男が出て来た。
さっきは眉間にしわ寄せてたのに、今は、目尻にしわ寄せている、微笑んでいる。
「わたし、演劇やってるんですけど、今度の公演のポスター、ぜひアジサカさんに描いていただきたいと思って...」

おお、演劇の演出家だったのか...それなら少々へんてこりんなのも、もっともだ。
話してみると、とてもいかした人物だった。

そのポスターが上にかかげたやつで、公演は今月末です。

絵を描くにあたってシナリオを読んだんですが、すごく面白いっ!
さすが天才劇作家、コルテス作...
1989年、わずか41歳の若さで逝ったにもかかわらず、20世紀で最も革新的な作家の一人として世界に名を馳せているのも最もだ。
さて、どういう演出がなされてるのかすっごく楽しみだぞ。
ご都合よければみなさんも是非!

福岡演劇工房 第2回公演
「黒んぼと犬たちの闘争」

作・ベルナール=マリ・コルテス
翻訳・佐藤康
演出・菊永拓郎
11月28日(金)19:00開演(18:30開場)
11月29日(土)14:00開演(13:30開場)・19:00開演(18:30開場)
11月30日(日)14:00開演(13:30開場)
「甘棠館Show劇場」
福岡市中央区唐人町1丁目10-1カランドパーク2F

当日2,500円(前売2.000円)
チケット予約
*福岡演劇工房 080-4690-1946
*文化芸術情報感アートリエ 092-281-0103

azisaka : 06:46

マンガ傑作選その133

2014年11月12日

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と、いうことで、現在、源泉数なんと2,300ヶ所以上、日本最大の湧出量を誇る別府温泉は「SPICA」にて個展開催中です。
絵画鑑賞にも温泉つかるのにもこれ以上ないくらいばっちりな季節だぞ。
今月22日(土)までで、最終日の22日には個展会場(もしくは近隣の共同温泉か冷麺屋さん)におります。

azisaka : 09:20

ジェット火まつり

2014年11月07日

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私がその島をフィールドワークの対象として選んだのにはいくつかの理由があるが、今は触れないでおこう。
なぜなら、私が師と仰ぐヨモルギ博士にいらぬ嫌疑がかかる恐れがあるからである。
博士は言うまでもなく火まつりにおける世界的な碩学である。
私は彼の娘と高校3年のときスタバで偶然に出会い、ひと言ふた言、ことばを交わした。
何についてだったか...
あ、そうそう、ソイラテにシナモンパウダーを入れたら、もう、最高においしいよねっ、っていうことについてだった。
いや、まてよ、それは同級生のよっちゃんと交わした会話だったっけ...
まあ、いい...
そんなことより、さっそく本題に入ることにしよう。
ドン島の火まつりについての話しだ。
手元の資料、はじめの一行に記されている通り、この火まつりを実際に見たのは、この島の住民以外では私が初めてである。
へへっ、いいだろーっ!
ははーん、君たちもさぞかし自分の目で見たいやろーっ!
ふふふん、あははん、ひょーいひょーい...

ああ、すまない...思わず自慢をしてしまった...
コホン...
ドン島の火まつりは、おそろしく奇妙だ...
何せ、島の上空を飛ぶ戦闘機を特殊な巨大弓矢で撃ち落とし、それに火を放つことによって開始される。
祭事をとり行う巫女の女は、ドン島のちょうど真南百キロの地点にあるスチョロナ島から連れて来られる。
年は必ず数えの17歳で、ショートボブでややふっくら、足の裏の皮が厚くなくてはならない。
詳細はおって話すが、ともかく私はこのまつりを「ジェット火まつり」と名付けることにした。
冒頭にあるのはその祭りの様子をあらわしたものだ。
これは、ちょっとした知り合いである、アジサカくんに描いてもらった。

しかし、この絵だけではしょうがない、まつりの雰囲気がほんの少ししか伝わらない。
ううむ、どうしようかな...
そうだ、フェラ・クティとその仲間に登場してもらおう!
「ジェット火まつり」の熱さは、だいたいこのくらいの熱さだ、すごいだろう!

Fela in performance (1971)

azisaka : 08:30

マンガ傑作選その132

2014年10月31日

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気がついたら、ホットケーキがパンケーキって呼ばれるようになり、以前より人気者になっていた。
スパッツがレギンス、シュミーズがキャミソール、コール天がコーデュロイ、チョッキがジレ、ジーンズがデニム、筆箱がペンケース、パーマ屋がヘアサロンになっていた。
父とむかしタコ釣りしてた、人なんてまばらな崎岡町なんて、海が埋め立てられ、人がわんさか集うハウステンボス町になっていた。

なんつうか、ものがはらんでる味わい深さとか人間味とか、そんなのを薄くすると人気者になるみたいだ。
商品としての価値が増し、消費されやすくなるみたいだ。
(それぞれの関係者、難癖つけてすまん...)

とか、ぶつくさ言ってて肝心なことを忘れちまってた。
明日より、別府で秋個展の第2部が始まります。
会場のほーんのすぐ近く(歩いて一分以内!)に、
ふたつもいかした公共の温泉(入浴料100円!)があります。

アジサカコウジ秋個展'14「ピリカ」

11月1日(土)~11月22日(土)
「SPICA」
〒874-0939 大分県別府市立田町1-34
TEL 090-9476-0656
営業時間 10:00~17:00
定休日 9日(日)16日(日)

駅についたら、その足で個展会場へ。
まずは絵画鑑賞。
そのあとは温泉でじんわり。
じんわりしてたらお腹すくので、冷麺をつるり。
お腹が満たされたらまた絵を見たくなって、ふたたび個展会場。
絵を見たら、その余韻にゆっくりひたりたくて、また温泉...

うふん、時は霜月、もみじの紅が目に染むぜ...

azisaka : 07:03

ミミ子

2014年10月26日

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あら、これ、コーヒーではないのよ。
あたしの生まれ故郷、ヨカレナ王朝にむかしから伝わる飲みもので、
ヨンピーっていう果実を百年寝かせて作ったお酒なの。
そうよ、お酒...だからわたし少し酔ってるのよ。
酔ってるから、ほっぺた紅いの、正直になってるの。

正直になってるから、ほんとうのこと言うわね。
ほんとうのこと言うと、あなたのこと、わたし、あんまし好きではないの。
だって、髪がちっとも手入れしてなくてボサボサでもじゃもじゃじゃない。
そりゃあ、油でべっとり撫で付けたようなのよりかは千倍もましだけど、ボサボサすぎてあなたのかわいらしい耳も目も隠れちゃってるもの、隠れちゃってて、ぜんぜん見えやしないんだもの...

わたしがあなたの耳や目を見るためには、風がピュウって吹いて、そのわさわさした髪を巻き上げてくれるのを辛抱強く待ってるか、そうでなきゃ、自分のこの手でそのわさわさっ毛を払いのけるしかないじゃない...

ああ、こんな風に話してる間にもあんたのかわいらしい耳と目が見たくなってきちゃった。
どれどれ...
あ、逃げないでよ..じっとしてて....
あいやーっ!

耳がない!
あんたいつから耳がないのよ!
あはん、だからわたしが言ってることがちっともわかんなかったのね?
「ボサボサ髪を早く切ってよ」っていつもお願いしてたの、聞こえなかったのね...

それとも、なぁに、あなたお坊さん?
耳にお経を書き忘れちゃって、平家の怨霊から引きちぎられてしまっちゃったお坊さん?
そうかあ、お坊さんだったのかあ...
あ、でもお坊さんだったら、なんで頭を丸めてないのよ、坊主頭じゃないのよ?
どうしてボサボサでわさわさでもじゃもじゃなのよ?
まったく、変な人ねえ、あんたって...

まあ、いいわ、ところであんた知ってる?ゴッホっていう絵描き。
あたま変になっちゃって、片耳、ナイフで切り落としちゃったオランダ人。
とっても味わい深い、いい絵を描くのよ。
ゴッホは片耳だけど、あんたは両耳ないから、彼の2倍はいい絵が描けるはずね。

そうだ、だから、あなた絵描きさんにおなりなさいよ!
きっとうまくいくわ!
...って大きなお世話ね...
だってあなたはちゃんと自分の仕事を持ってるものね...

ああ、でも絵描きにならないのだったら、あんた、耳があったほうがいいわ。
あるほうが便利よね!
ちょうど良かった!
わたしが今、店番してるこの店、耳屋さんなの。

そのかわいらしい目でいつもわたしを見つめてくれてたお礼に、ひとつプレゼントしてあげるわ。
うふ、あたしずっと前から気付いてたんだ、
あんたがわたしのこと遠くの方からずっと見てたの...

まあ、それはさておき、とにかくおはいんなさいよ、親方を紹介してあげる。
耳職人としちゃあ、西国一の腕前よ!

と、ヨンピー片手に言ってるミミ子さんが今回登場です。

(今日の曲)
坊さんの話しが出たついでに、海童道祖の登場だ。
この人の尺八がすごいっちゃんねー!

「ってもさあ、尺八って...あたしあんまし馴染みがないけん、ようわからん...」

うん、まあ、そう君が言うのもしかたがない。
街でイヤホンして音楽聞いてる人に片っ端から声かけても、尺八聞いてるってのはおそらく百に一人もいそうにないもん。
と、いうわけで、まずは、尺八ってどんな楽器?ってちょっぴり知ってもらうために、いかした三人組に登場してもらおう。

武満徹と松岡正剛に杉浦直樹、じゃなかった杉浦康平の三人組だ。
むかし「遊」っていうなかなかいかした雑誌があって、そこに載ってた対談の一部です。

(松岡+杉浦)ーー分化されてゆく音というか音楽というのはつまらないですね。創世記ふうには「はじめに光ありき」だけれど、「はじめにあった音」とは何かということを考えてゆくことの中にしか、これからの音楽の可能性を見出すことはできないようにおもいますね。それは、もっと多様な方法を使って、物理学や人間生理のすべてを動員して考えるべきですよ。そこに音楽がある。自然との関わりを無視して音を問題にするわけにはいきませんね。
                
(武満)ーー自然と人間を分けて考えること自体がおかしいんですよね。もともと音楽は自然から学んだというか、ひきうつしたものですから、やはりいったん自然に帰してやらなきやいけない。僕はバリ島で真ッ暗闇の中で行なわれている影絵とその音楽を聞いたことがあるんですが、その土地の人にとっては、まず暗がりでも影絵ができるという自然に対する同化作用と、それから伴奏の音楽は演じられているものを天に帰してやるためのものだという気持が、ふたつながら一緒になっているんですね。

(松岡+杉浦)ーーそれはおもしろい。エスキモーなどもふくろうのように体をふくらませて声を出しますね。あれなんかも自然に同化しているんでしょうね。

(武満)ーーそれは大事なことですよ。単一の音を狙っていたんではそういう発想にはなれませんね。僕の場合も、いったん譜面になった音楽をどんどん重ねてしまうことによって、遂に自然との同質性に近づこうとする方法を探っているんです。そういう音楽はほとんど演奏されませんが、しかし自分自身にはそれによって創造している状態が少しずつ生々としてくるわけです。

(松岡+杉浦)ーーそういうナチュラリティを志向している形式はないんですかねえ。楽器にはありますか。

(武満)ーー尺八ですね。東西を通じても尺八くらいのものでしょう。

(松岡+杉浦)ーーほう!

(武満)ーー日本の尺八は五ッの穴があって、実はその音階自体は底抜けに明るいものなんですが、それを指の微妙な押え方によって、音を殺すというか、つまり最も鳴りにくい状態にして吹くわけですね。こんな不思議な楽器は世界のどこにもありませんよ。しかもどういう音を出すべきかというと、「朽ちた竹藪に風が吹いていればよろし」というような音をめざす。つまり、つまみ出せるような音ではなくて、もっと微細な、一ッの音がその音自身の中で他の音に触れるようにするわけですね。だから普化宗などの訓練では朝の四時頃から起きて、最初に尺八を口にあてた時の最初の音だけを、一日中吹くわけです。しかも、なるべく長く吹く。海童道祖(わたつみどうそ)老師は一つの音をまったく切らないまま無限に吹けますよ。おまけに尺八はもともとは吹奏楽器ではなくて打楽器に近いイメージだと考えられていたんですね。音を打っているんですね。
 もう一つ尺八が不思議なのは、琵琶などでよくいうんですが、さわりという問題があるんですよ。一ッの音がその中で他の音にさわるわけですね。さわりというのは他流派の音を取る、さわる、ということから出たらしいんだけど、本当は雅楽の笙の舌の部分のことを意味しているらしいですね。

(松岡+杉浦)ーー舌というのは鈴とか銅鐸の中にぶらさがっているあの舌と同じですか。

(武満)ーーそうです。だいたい尺八は鈴との縁が深いんです。海童道祖の道曲に「霊慕」という曲がありますが、霊という字は本当は鈴だというんですね。鈴慕ですね。

(松岡+杉浦)ーーそれはおもしろい。鈴というのは銅鐸すなわちサナギの後身で、サナギという語には真空にさわるといった意味があるんです。鈴のことも古代語ではサナギといいますし、サナギは魂を振るための呪力をもった楽器だったんですよね。その音を尺八が慕うとすれば、これは深遠な音をさぐろうとするのは当然ですね。

(武満)ーーたしかに尺八にはそのくらいの謎の深さがありますね。ジョン・ケージは「尺八は竹の根かたを吹く、と言っているからすばらしい」なんていいますが、彼の場合は尺八の本質は全くわかっていなくて、その証拠には舞台上に電気釜をおいてその中でお米がクチュクチュ煮える音をスピーカーで拡大してみたりする。それが尺八の真髄と近いんだと思い込んでいる。これは僕から言えば古いロマンチシズムにすぎないとおもうんですよ。尺八の人たちはそんなことを言っているんではない。

(松岡+杉浦)ーーやっぱり自然に対する接し方が違っちゃってるんですよ。ヨーロッパにはわからないことですよ。

(武満)ーーインドまででしょうね。

(「遊」1973年 特別号・6)

と、いう感じです。
さすがのお三方、内容、深っ...
ということで、それはさておき、上の対談にも登場した禅の坊さん、海童道祖老師、なんだか良さそうでしょ?
なんてったって、物干竿とかそこらへんに捨てられてた竹を適当な長さに斬って、適当に穴空けて吹いてたってんだから、すごいぞ。
しかも楽器職人とかが作ったら、芸術の目的が不明確になるってんで、それをその辺の子供にやらせてたんだからびっくりだ。
で、そんな何の調整もしてない、ただの竹筒から出る演奏ってのが、聞いてて、うううう...ひょええーーっ、ってなるのさ、フェノロサ、岡倉天心。

ちなみに、タルコフスキーの映画「サクリファイス」のラスト近く、主人公が家に火をはなった後に聞くのも彼、海童道祖のレコードだ。

海童道祖「霊慕」

azisaka : 09:15

マンガ傑作選その131

2014年10月20日

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ベルギーにライオン印のデレーズっていうスーパーがあって、そこにイチョウのジュースが売ってあった。
瓶入りで、ラベルに銀杏の葉のイラストと、その学名である”ginkgo biloba ”っていう名が記されていた。
ベルギー住み始めてまもなく見つけて「へえ、珍しいな、どんな味がするんやろう?」と思って買って飲んだ。
けど、すぐにどんな味か忘れてしまった。
数ヶ月して件のスーパーへ行くと、またその瓶が目に留まったので「あれ、これって、どんな味だったけなあ...」と思ってまた買ってのんだ。
けど、しばらくしたら、また、どんな味か忘れてしまった。

うまいかまずいか、そんな、極々単純な印象さえ残さないのだ。
不思議な飲み物である。

そんなわけで、ベルギーにくらしてた4年の間、半年に一回くらいの割合で、計8回くらい買い求めて飲んだ。
別にTVコマーシャルとかでばんばん売り出さなくたって、こういう風に「あれ?これ、どんな味だっけ?」と思う人がある程度いて、一年に二本は買ってくれるので、この”ginkgo biloba ”ジュースの会社はかつがつやっていけるのだろう。
と、書きながらも、「ううむ、あれって、どんな味だったっけ...?」
けっこう飲みたくなってきたぞ...

azisaka : 09:06

じいちゃん、あたし、アンドロ目だ

2014年10月17日

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「蕎麦屋さんに蕎麦を食いに行ったら、なんでかメニューにラーメンが載ってて、”なんだよ、蕎麦屋の分際でラーメンかよ”と思ったものの、たわむれに頼んでみたら、意外にうまかった」っていう感じもたまにはいいかもなぁと思い立って、今回、知り合いがやってるギャラリーで行われるグループ展に、いつものアクリル画ではなく立体作品を出品することにした。

で、小坊が図工の授業ではじめて紙粘土細工やるような心持ちで作り始めて、つくづく思ったのは、絵を描くより部屋が汚れる、ってことだ。
いちいち掃除がたいへんだ。
しかも、土台や骨組み作ったり、下地塗りや、ニス塗りなど行程がいっぱいあって、すっごく面倒だ。
手も服もベトベトになるし、爪の間に粘土入ってとれないし、ああ、いやんなる。
いやんなるけど、うふふ、なかなかこれが楽しい。

というわけで、上の写真のような立体作品を3体作りました。
蕎麦屋のラーメンにしては、まあ食えないことはないので、(言っとくけど、けして”うまく”はないぞ)もしよかったら見に行ってください。
その他、絵画作品も2点。
絵も立体も、みんな女の子で、みんなものもらい、眼帯をしてます。

グループ展「少女採集」vol.05
会場:ギャラリィ亞廊
期間:10月18日(土)~26日(日)※22日(水)のみ休廊
営業時間:13~19時


azisaka : 06:50

ちょんまげ

2014年09月30日

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「男と生まれてきたからには、一度はちょんまげを結っとかんとな...って思うんです」
去年の秋、個展の会場にいる時、仲良くなって間もない友人がぼそっと言った。
「明日晴れたら、お布団干そう...って思うんです」っていうのと同じくらい普通のことのように言ったので、おそらく彼にとってはごく自然な心持ちなのだろう。
目立ったりすることを嫌う寡黙な人なので、言葉通り、だだ素直に「男は一度は頭を剃ってちょんまげを結い、兜をかぶる心づもりを...」と思ったのだろう。

「今から髪を伸ばし始めて、一年後くらいにやるつもりです」
「うわあ、そりゃあ楽しみやねえ...」

と、それから一年が経った。
先日、熊本の個展の最終日、その友人が約束どおりやってきた。
それが冒頭の写真です。

かつらではない、ちょんまげを本当に結った人というのを初めて見た。
何だかとても生々しくてどきりとした。

空き地なんかにある大きな石をどかしたら、その下にうじゃうじゃたくさん色んな虫が蠢いていて、それを目にした心が、ざわってなることがあるけれど、そんな感じだった。

会場にきて彼を見たある人は、「えーっ!」っと驚いて叫び声を上げ、ある人は呆然、ポカンと口を開け、またある人は「いったい彼はどうしてこういうなりをしてるのだろう」と、つじつま合わせに眉根を寄せていた。
映画を2本立て続けに見て来たっていう人は、「映画よりこっちがずっと感激する」っといってなぜだか涙を流していた。

彼曰く、髷を結う紐をぎゅううっと引かれたとき、脳天から足の爪の先まで、きりりいーっっと身体全体が引き締まったのそうだ。
その一瞬の感覚を味わえただけでも、一年かけてちょんまげ結った甲斐がありました、と微笑んで言っていた。

会場へは親御さんの車で乗りつけたけど、帰りはひとりバスで帰るのだそうだ。
明日から一週間は床屋へ行く時間がないので、仕事である内装工事の現場へはそのままで行くらしい。
もちろん、髷は維持できないので、下ろして、落武者状態。
けっこう変だ。

azisaka : 10:02

恋愛クロール

2014年09月21日

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ところで、個展の準備なんかに追われててうっかりしてた。
何にうっかりしてたのかというと、エンドオブサマーにだ。
慣れない英語なんて気まぐれで使っちまったけど、つまり、今年の夏、夏ではないみたいな夏、冷たくて湿っぽくて薄暗い、ぼろ雑巾みたいな、しょぼくれた夏、その夏が、しょぼくれたまま、うっかりしてる間に終ってしまっていたのだ。
ぜんぜん気がつかなかった。
(手酷くいってすまん、今年の夏よ。しかしそれも君の息子、来年の夏が、しっかり暑くてまばゆい、ギンギラギンの夏で生まれてくるようにと願ってのことなのだ。許してくれ。)

それはさておき、7月の真ん中くらいたわむれに、"野外プールで泳ぐ幸せ”についての文章を書いた。
書いたまま保存しといた。
8月、夏の一番の盛りの頃、太陽ギラギラ、汗ダラダラ、喉カラカラで、蝉がギャンバラギャンバラ鳴きまくっている頃、そのような時、ブログにのっけよう、と思ってパソコンの隅にとっといた。
けど、今年の夏は8月になったってちっとも盛ってはくれなかった。
それでこの文章、登場の時機を逸してしまった。

秋になってしまった。
長袖に長ズボンで読んでもあんまし実感湧かないかもしれないけど、こういう文章だったです、それは。

「恋愛クロール」
世の中に気持ちの良いことは数多いけれど、大雨が去った翌日、野外プールで泳ぐ以上に気持ちの良いことはない。
プールは雨水でパンパンに満たされていて、四角のでかい池みたいだ。
水はピンと透きとおり、底の方ではどこからやってきたのか小さなカニが戯れている。
ズバンと飛び込むと夏だっていうのにひんやり冷たくて、水道水なんかより豊潤で、「きゃああ...」と、肌という肌が喜び声をあげる。

そんな肥えた水を、懐に抱きかかえるようにして泳いで行く。
恋人を胸に引き寄せるみたいにだ。
しかし、引き寄せたら、すぐにぐいと突き放す。
抱き寄せては放り出し、抱き寄せては放り出す。
好き、きらい、好き、きらい、を繰り返す。
その間、足はバタバタ、地団駄をふんでいる。
動きだけ見るならば、それはまるで十代の恋愛みたいな動作だ。

で、こんな風な動作をしばらく繰り返してると、すいすい水に乗って気持ちはいいんだけど、だんだんと飽きてくる。
それで、2千メートルくらいからは泳ぎ方を変える、平泳ぎにする。

平泳ぎはクロールに比べると、けっこうのんびりしている。
少しは頭をつかって考えるゆとりも生じる。
それでいろんなことに思いをめぐらす。
昼ご飯は何食べようとか、仕事は締め切りに間に合うのかとか、しばらく会ってない友人はどうしてるのかなとか、日本はどうなっちゃうんだろうとか...

身体を懸命に動かしてる分、頭に分別の余裕がないのか、色んなことが脈絡なく湧いて出てくる。
普段の生活で、色んなことを脈絡なく自由に湧いて出てこらせるのは、なかなか難しい。
なので、これ幸いと頭を無分別状態にさせておく。

そうしてると、作戦成功!
湧いて出る色んなことの中に、マンガや絵のいかしたアイディアが混じってる。
しめしめ、ニヤリだ。
そういう時には、忘れないよう、脳みそに染み込ませるよう、200メートル分くらい、それだけについて考えながら泳ぐ。

さて千メートルくらいこうして平ってると、カエルみたいに泳ぐのも、頭を働かせるのも、飽きてしまう、というか身体と頭を同時に動かすのに疲れてしまうので、また若年の恋愛みたいなクロールに切り替える。

恋愛クロールは考えない。
身体を動かすのに大わらわで、頭使ういとまがないのだ。

***

ところで、お知らせです。
このHPのいっとう最初のページの絵を、秋冬用のものに変えました。
「ピーコのなすがまま」という作品です。
あと、「Peinting」のコーナーに作品を40数点ばかり新たに加えました。
夜が長くて退屈な時とか、見ていただけたらうれしいぞ。

ひさびさに今回の曲。
ちょっと悲しいけど、この秋のテーマ曲。
Piers Faccini「the taste of tears」

azisaka : 05:50

ピリカ

2014年09月02日

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みなさん、こんにちは。
この秋おこなう展覧会のお知らせです。

小説でいうところの短編・中編集みたいな展示が今回の個展です。
ここ2年ばかりずっと裸婦の連作(長編小説にあたります)に係っていたのですが、その合間合間、仕事や気晴らしなんかで描いた作品をまとめたものです。
そのうちの中編にあたるものに、「神話伝説シリーズ」と名付けた一群があります。
これが今回展示の作品の約半数(20点くらい)を占めることになります。

個展のタイトルには”ピリカ”という前々から好きなアイヌの言葉を用いました。

日時などの詳細は以下のとおりです。

9月13日(土)~9月28日(日)
「orange」
熊本県熊本市中央区新市街6-22
TEL 096-355-1276
営業時間 11:30~21:30
定休日 不定休

11月1日(土)~11月22日(土)
「spica」
大分県別府市立田町1-34
TEL 090-9476-0656
営業時間 10:00~17:00
定休日 9日(日)16日(日)

azisaka : 08:58

マンガ傑作選その130

2014年08月04日

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「とりあえず白のテーマ」

(テレビアニメ「グレートマジンガー」のテーマ曲に
合わせて歌ってみよう!)

おれは 生を 頼まない
絵描きだから 偏屈だから
だけど わかるぜ 燃える乾き
君と一緒に 白(ワイン)を飲む

きりっと冷えた 辛口のミュスカデー
疲れた身体に染み渡る ブルゴーニュアリゴテー
歓喜を呼ぶぜー

おれは しれっと
しれっと 白ワイン~♪

azisaka : 10:40

ça, beau, tendre

2014年07月26日

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「さぼってんじゃないよ、おれは!」
サボテン畑の真ん中で男が叫んだ。
「だって君はただぼおっと立ってるだけで、何も労働じみたことをしていないではないか」
私がそういうと、男は「何いっ!」とドアを開け、運転席から力ずくで私を引きずり下ろした。
「この野郎!いばりくさりやがって!」と言いながら、持っていた棒で私を殴りはじめる。

サンチアゴというのが私の通り名だ。
本名は別にあるが、この名で反政府のゲリラ活動をしている。
長年実践を積んできたので、腕っ節だけの若輩者を叩きのめすのは容易い。
しかし私は何もせず、ただこの男の好きなようにさせておいた。

ひとしきり棒を振るうと男は息を切らせながら言った。
「どうだ!おれはさぼってるわけではなかったのだぞ!
サボテン畑に侵入した不信なやつを見つけ、こうして叩きのめすのがおれの仕事なのだ!」

「ほう、そうか...」
額からはどくどくと鮮血が流れ落ちていた。
男は正面、眼を見開き立ち尽くしている。
私は、流れる血を手のひらで拭うと、男の白いシャツに擦り付けていった。
男は気が抜けてしまったかのようにされるがままだ。
シャツは見る見るうちに真っ赤に染まり、その背後にあるトゲの生えた異様な植物の緑をひときわ鮮やかにした。

しばらくそうしてると血が、流れるのに飽きたのか不意に止まった。

「お前は真面目に働いていたのだな...」

「私はお前の父だ...」
そう言うと、私は20年ぶりに会う息子を抱きしめた。

夏は暑い。
血は赤く、サボテンは緑だ。
ふたりはコーヒーを入れて飲んだ。
濃くて真っ黒いやつだ。

azisaka : 08:15

マンガ傑作選その129

2014年07月22日

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azisaka : 09:57

神社とプール

2014年07月10日

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引っ越しをしようと思っていた。
それでいろんな物件をさがしていた。

住まいをさがすときに最も大切なものがふたつある。
1)神社の近く
2)プールの近く

まず、神社ってのは、昔から”気”がいいとこを選んで建てられ、さらにそこに人の手で樹々が植えられているので、辺りがひじょうに心地よい。
過去を振り返るに、長崎は諏訪神社も、博多は筥崎宮も、その近所は住んでてとっても気持ちがよかった。
それで今回も、過去十年ばかりの暮らしの経験に従ったというわけだ。

続いてプールだが、プールには週に3回行くというのが習わしだ。
これも長年続いてる。
そうしないと、絵をうまく描けないし(”うまい絵”を描くというのとは違うぜ)、毎晩飲む酒がうまくないからだ。

3千メートルを続けて泳ぐと、けっこう身体がへとへとになる。
絵をうまく描いたり、ご飯をうまく食ったりするのには、この”身体がへとへとになる”ってのが肝要だ。
漁師や大工さんみたい、自らの身体を動かして仕事をする人の生活に、ちょっぴり近くなることができる。

さて、前置きが長くなっちまったが、思いが叶って、先月なんとか引っ越すことができた。

けど、引っ越し先の近所には神社もプールもない。

「えーっ、何なん?今までの書いてきたのと、話しが違うやん、わけわからん...」
まあ、そんな風に皆さんが思われるのもいたしかたがない。

そう、もちろん、お聞きいただいたように、神社とプールってのは家を探す時の大切さでは二大巨頭、最も頂点に立つものだ。
決してないがしろにできる代物ではない。
けれど皆さん忘れちゃあいけない、そのふたつの下には、たくさんの”まあまあ大切なこと”が存在しているのだ。
つまり、交通や買い物の便だとか、物件自体の日当りだとか間取りとか...普通一般のことだけど...
そういうものにも、人は従わなくちゃあならない、従わざるをえなかったりもする。
凡庸なものの数を増やさんがため、大切だが特異な少数をあきらめねばならぬということもある。

そんなわけで悲しいかな、新しく住まい始めたとこは神社もプールも持たぬとこだった。

しかるに神社はさておき、泳ぐのは日々の生活に必要だ、なくてはならないことだ。
それで、当初は仕方なく遠方のプールに自転車で通っていた。

「え、当初?」

そう、な、な、なんと、聞いておくれよおっ母さん。
いつも利用する駅やスーパーのある場所とは反対側、山の手を散歩していたらたまたま出くわした。

でっかいスポーツジムが建っていたのだ!
突如眼前に現れた時には、びっくり仰天して「おおーっ」と叫んだ。
家から歩いて8分くらいのとこにプールがあったのだ。
もう、そりゃあ、飛び上がって喜んだ。

そのジム、新しくてネットの検索にうまくひっかからず、家探しの時には見落としていたのだ。
しかも、今まで通ってたジムより数段環境が良くって泳ぎやすい。
うひょーっ、やったーっ!と、ここ数年で一番うれしかった。
(まあ、こう言っても他人にはうまく実感できんやろうけど,,,)

それにしたって世の中は不思議だ。
昔っからいろんな人が言ってるように、
大切だ大切だと思って懸命にさがしてたら見つからないのに、
それにとりあわなくなかった途端、目の前に現れる。

欲望ってのはそれが強ければ強いほど、表に出してはいけないみたいだ。
一旦強く思ったのなら、あとは懐(ふところ)深くしまって、知らんぷりをしてるほうがいいみたい。

探しものっていうのは、探せば探すほどみつかんない。
バスは待てば待つほど来ない。
猫はさわろうとするとさわらせてくんないし、恋人は好きというほど遠ざかる。

強い欲望びしばし叶えて、絵を描くのも、恋人見つけるのも、たぶんバス待つのも猫さわるのも上手かったであろう、ピカソも言っている。

「Je ne cherche pas, je trouve. 」
(私は探さない、ただ見つける)

と、まあそういうことで、とりあわないでいたならば、神社もそのうちひょっこり現れるやろう...


azisaka : 07:02

マンガ傑作選その128

2014年07月07日

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azisaka : 06:52

石花のピリカ

2014年06月28日

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「くの一エレジー」
作詞・ピリカ
作曲・未定

ドンドコドンドコ ピーヒャララ
ふもとの村に 祭り囃子が聞こえる

娘たちは 浴衣にうちわ
きれいなかんざしで 髪飾り
手あげ 足あげ 舞を舞う

今日は 祭りの日
楽しい 祭りの日

でも あたしは くの一
ひとり 忍んで 人を斬る


シュルルルシュルル カキーンバキーン
山の奥に 刃鳴りが聞こえる

私は 刀に手裏剣
丈夫な革ひもで 髪束ね
手あげ 足あげ 剣を振る

今日も 修行の日
厳しい 修行の日

そう あたしは くの一
ひとり 忍んで 人を斬る

azisaka : 06:42

マンガ傑作選その127

2014年06月25日

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azisaka : 13:25

塩さば定食とキャラメルマキアート

2014年06月21日

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おもむろに彼女は話し始めたんだ。

あなたはよそ者なんでよく知らないでしょうけど、ここら辺はコロヒョンスキー公爵の土地よ。
今世紀のはじめにロシアからやってきた貴族で、とってもお金持ち。

今日は彼の一番末の娘ラーメルの結婚を祝う宴が催されたのよ。
それは盛大なパーティで、この国の有名人、各界のお偉いさんたちがいっぱい顔を並べてたわ。

で、ね、わたしは、そこで歌わされたの...

ええ、この国じゃあ、あたしこれでも、ロックスターなのよね。
ヒット曲もたくさんあるし、いろんな賞ももらってる...

「そんなあたしがこんなとこで何やってるのかって?」
ええ、まあ、聞いてよね、実を言うとさ...
今日突然、歌がうたえなくなっちゃったの。
こんなこと生まれて初めてなんだけど...

見ての通り、声がでなくなったってわけじゃないのよ。
それに、金持ちの脂ぎった連中を前にして歌ったから、そんなのに嫌気がさした、っていうのでもないわ。
あたしどんな人が観客であろうと気にしない...

理由はあたしもぜんぜんわかんないの、とにかくいきなりそうなったの...

コロヒョンスキー公爵の広い庭園には、りっぱなステージが組まれてたわ。
そこに上がって歌ったのよ。
あたしの目の前には、晴天の下、ドルネオス山がくっきりと見えた。
ほら、すごく天気が良かったじゃない?
青空の真ん中を鋭いナイフで深く抉ったみたいに、くっきり...
まるで山の形をした真っ黒な穴があいたみたい...

あたしの歌は、歌うはなから、全部その穴に吸い込まれていってしまったの...
聞いてる人の頭の上を通り越して、ひゅうううって、その真っ黒い闇の中へ...

全部の曲を歌い終えた時には、あたしの中から歌がすっかりなくなってしまっちゃったわ。

アンコールに答えようとしても、それっきり、歌がもうぜんぜん出て来ないの...

それで、あたしはステージを下りるなり、そばに繋いであった馬を駆ってドルネオス山を目指したわ。
消えちゃった歌を探しに...
裾野から中腹へ、そしてあてどもなく山の奥へ奥へ...
日が暮れ霧がたちこめて、視界がおぼつかなくなってきちゃったけど、不思議と平気だったわ。
ちっとも不安になんてなんないの...
ひんやり湿った空気が心地よくて、あたしは少しまどろんで...

気がついたらこの湖畔に辿り着いていた...
いつのまにか頭の上には大きな月が出ていたわ。
水面の上を月の光が踊って、チラチラチラチラ、それはきれいだった。

で、ね、なんとその光が見る見るうちに音に、そして歌になっていったのよ、新しい歌にね!
あたしびっくりして、うれしくて、溢れ出るままにうたったわ、何時間もひとりで...
気持ちよかったぁ...

そんな時に、薮の中から見窄らしいなりをした男が現れたの...

「見窄らしくて悪かったな!」
「つうかさ、おまえ、よっくそんなヘンテコな作り話、すらすら思いつくよなーっ、感心するよ、ほんと」

「だってさ、この店の壁紙って、なんか、そんな感じじゃない?」

「ま、まあ、たしかに水辺の風景ではあるよな...」
「で、何注文する?」

「あ、あたし、塩さば定食!」

「え、食うんかよ?さっきドーナツ3個も食ったじゃん。飲みものだけかと思った...」

「いいじゃない、お話作るとお腹がすくのよ、で、あんたは?」

「ああ、おれはキャラメルマキアートかな...」

「何とぼけたこと言ってんのよ...こんな田舎の年寄り夫婦がやってる定食屋に、そんなものがあるわけないじゃないの」

「あるさあ」

「え?」

「あるさあ、なあばあさん?」

「ええ、あるよー、キャラメルマキアートだろ?」

俺と彼女は、びっくりしたなーっ。
でさ、さらに驚いたことに、よぼよぼじいさんとばあさんが作る塩さば定食もマキアートも、すっごくうまいんよね!

と、いう感じの絵です、今回は。


azisaka : 19:28

マンガ傑作選その126

2014年06月18日

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azisaka : 06:22

ピー子の歌

2014年06月11日

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畑でトマトちぎってたら、土の上に白くてちっちゃくて丸いもんが転がっていたんよ。
妙なこともあるもんだなあ、こんなとこに卵なんて...って思ったさ。
こちとらはあんたがたも知ってるとおり、しょっちゅう腹をすかせてたもんでよ、鳥かトカゲかなんの卵かわかんなかったけど、卵にゃあ違いない、割ってゴクリ飲んじまおうと思ったのさ。
ところが手にとってみると、なんかさ、さっきまで手でちぎってたトマトと違って、みょうに温かいんよね。
それにちっこいのにずっしり手応えあるしさ。
それで、今思い返しても不思議なんだけど、持って帰って何とかしようと思ったわけさ。
何とかっていうのは、つまり、どんな動物かわかんないけど、とにかく生ませてみようと思ったのさ。
生ませてって、変だよな...何ていうのかな?この場合...
まあ、いいや、とにかく卵を食うのを思いとどまったわけさ。

そいでさ、持って帰って旦那に見せたら、あの方はおれなんかよりずんと学ってもんがおありになるからさ、これは鳥の卵だ、風化、じゃなかった、えっと...そうそう、孵化だ!孵化するには、これこれこうしたほうがいい、って教えてくださったので、その通りにしたわけさ。
まあ、あんまし期待なんてのはしてなかったけど、おどろいたことに数日したら、きしっきしって殻が割れて、ちっちゃな固まりがでてきたわけよ。
それがこのピー子ちゃんってわけさ。
もう、ピー子ちゃんったらかわいいんだから...

旅の人、まだ時間あるかい?
おお、そうか、それならひとつ聞いていきなよ。
おれとピー子の歌を!

と、その男が言って、ぼろぼろのギターひきながら自作の歌をうたったわけなのだが、それがとても心に響いて、私は聞きながら涙してしまった...
その時、たった一度聞いたきりなのに、50年たった今でも、そのメロディも詩も憶えてるよ。

と、言って、おじいちゃんが歌ってくれたのがこの歌よ。

けっこうしんどかったよなあ ピー子
今日はかんかん照りのうえに 風がとっても強かったからなあ
こんな日は 畑仕事はつらいよなあ

けっこう腹立たしかったよなあ ピー子
今日はせっかく植えた苗が みんなカラスにやられちまったからなあ
こんな日は 畑仕事はつらいよなあ

けっこう悲しかったよなあ ピー子
今日は失敗やらかして 旦那にこっぴどくしかられちまったからなあ
こんな日は 畑仕事はつらいよなあ

けっこうそれでも楽しいよなあ ピー子
今日も汗水垂らして働いて へとへとになって 腹がすく
飯も酒もとってもうまい
床についたら夢の中
おれとお前 空の上
眼下には 我らの小さな畑
おれとお前の楽園...

azisaka : 21:02

サーカスの娘

2014年06月08日

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親方いきなりいなくなちゃったんで(たぶん前の巡業先で恋仲になった花売の女にそそのかされた)私が団長をやるはめになちゃったんだけどさ、まだ14のあたしなんかにそんな大役つとまるわけないじゃない。
でも、そう何度も言っても、みんな耳を貸さないのよね。
いいやおまえはちっこいけど器がでかい、おれらを統率する力を持ってるって...
あ、みんなっていうわけじゃないや、あたしと同じ日にここにもらわれてきたナターシャだけは反対したわ。
なんでかな?
まあ、いいや。
さて、今日はあたしが団長になってはじめての公演の日なのよ。
あたしは歩き始めたころから親方たちに仕込まれたから、たいていの芸はこなせるの。
けど、いちばん得意なのは空中ブランコとナイフ投げね。
このふたつをいっしょにやるってのが、わたしの芸のクライマックス、言っちゃあなんだけど、この一座の出しもののクライマックスでもあるわ。
どんなのかっていうと、頭上高く吊るされたブランコからブランコへ飛び移るその時に、相方がかかげた的にナイフを命中させるっていうやつよ。
世界は広いけど、できんのはあたしだけ。
ところがさあ、ここ数日、その技がうまく成功しなくなっちゃったのよね。
あたしは団長っていう大役を引受けちゃったわりには体調もいいし、いつも通りやってるはずなんだけど、うまくナイフが的に刺さんないのよ。
一昨日なんか、投げて逸れたナイフが裏方やってたイヴァンの右目に刺さっちゃって、そりゃあ大騒ぎだったわ。
イヴァンは「猛獣使いは片目が似合う」って笑ってたけど、あたし生まれてはじめて落ち込んじゃった...
それで普段はあんまし使わない脳みそ使ってよくよく考えたんだけど、ナイフがうまく刺さんないのはあたしが悪いんじゃなくって、相方、つまりナターシャが悪いんじゃないかって....
彼女がわざと的をずらしてるんじゃないかって...
何でだろう?
ナターシャ、どうしたのかな?

と、心配してるエリアナが今回登場です。


ところで、びっくりだ。
びっくりかつ非常にうれしい。
小川美潮がやってくるからだ。
自分の郷里の行きつけの店にやってくるからだ。
20代の半ばくらいには、ほんとによく彼女のCDを聞いた。
当時はパリに暮らしてて、聞くのはたいていがアフリカやアラブやブラジルなんかの音楽だったけど、その合間、日本語の響きが恋しくなると、聞いた。
聞いて、憩い、まどろんだ、とても心地よかった。
それで、今でもたまにこのCDを聞くと、身体がすーっとパリはベルヴィルの屋根裏部屋に運ばれる。
目には夕日に照らされたサクレクールが映り、耳には階下のポルトガル人のどなり声がこだまし、鼻には中華とインドの料理が混じったような臭いが押し寄せ、肌にはひんやり乾いた風が吹きよせる。

小川美潮ライブ
6月15日の夕方くらいから、
佐世保の「南国食堂地球屋」にて。

小川美潮「窓」


azisaka : 20:31

マンガ傑作選その125

2014年06月03日

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azisaka : 16:13

人魚の女王

2014年05月24日

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いつも通ってるプール。
まず一番手強いのは、つうか、はなから勝負にならないのが、現役の水泳選手だ。
こいつらは、たいてい2~4人でやってきて一コースを占領すると(彼らにその気はなくとも、素人連中はその分厚い肉体を見るなりコースを明け渡してしまう)、ビッシャンバッシャンと小型の水生恐竜みたいに重たい水しぶきを上げて延々と泳ぎ続ける。
ひと掻き、ひと蹴りが、でっかい大砲みたいに強力で、ドーンドーンと轟かせながらがらあれよあれよという間に先へ進んでいっちまう。
まるで脳天にピンと張った厚さ50ミリ幅15センチくらいの巨大なゴム紐がついていて、向こう岸へグググイーッと引き寄せられてるみたいだ。
こういう輩とはけっして張り合わない、張り合いようもない。

さて次に難敵なのは、元水泳選手だ。
50や60とかのいい年なのに、お腹も弛んでなけりゃあ、腰も曲がっちゃあいない、しわくちゃで痩せこけているわけでもない。
目が光ってて歯が白く、胸や腕周りの筋肉は長州力みたいにパンパン...生涯アスリートっていう感じのおっさんたちだ。
オリンピックとはいかないまでも、国体とか大学選手権とかで名を馳せたような面々で、彼らもまたとてつもなく速い。
年寄りだからって見くびって隣のコース、横に並んで同じくらいの速さで泳いだりすると、泳者魂みたいなものに火がつくのか、いきなりスピードアップ、あっという間に離されてしまう。
こちとらは、「むかし部活で少々泳いでました...」って言う程度...格が違うのだ。
したがって、こういう連中も遠目に見て放っておく。

さて、放っておけないのが、三番目にタフなやつらだ。
どんなやつらかと言うと...おっと”やつら”なんていったらビート板で張り倒されてしまいそうだけど、それは元水泳選手であった中年の女性の方々だ。
もう、なんつうか、ブリブリしている。
別に聖子ちゃんカットしてカワイコぶりっ子してるわけではなくて、その体躯がブリブリしている。
服着てたならば、おそらく一見はごく普通の中年太りのおばさんなのだろうが(幸か不幸か水着姿しか見たことない)、脱いだらすごい。
その身体の厚みは脂肪じゃなくて筋肉で、(ないしは脂肪だけじゃなく筋肉にもよるもので)たいていは浅黒く、色の派手な変な模様の(幸か不幸かけっこうハイレグな)競泳水着を身につけている。
おしゃべりしながらウォーキングしてる、「お化粧落ちるから顔はつけないのよアタシ」風の、ランニングに短パンみたいな水着の女性たちとは明らかに種が違う。

さて、このブリブリ連中が、目下のおれのライバルだ。

先に紹介したやつらほどではないにしろ、彼女らもまた速い...
速いけど、しかし、勝てない相手ではない。
ブリブリ10人いたとすると8人には勝つことができる。
こちとらだって、長年泳ぎ続けてる身...そう捨てたものでもない。
しかし、それはあくまで、彼女らが非武装であった場合に限られる。

そう、一番のライバル、宿敵とも呼べるもの...
それは、足ひれを装着し、数倍に馬力アップをはかった元水泳選手のおばさんたちだ。

彼女らはまるで人魚みたいに(「あ、人魚、すまん...」)、すううーっと、水中を駆け抜けていく。
彼女らのトップスピードとおれのそれが、まったく同じくらい。
その日の調子の良さによって勝負が決まる。
二日酔いが残ってたり、寝不足だったりすると負けてしまう...

相手は、ズルしてるとはいえ、女だし年上だし、負けるのは非常にくやしい。
泳いでる最中に人魚おばさんが登場すると、思わず張り合ってしまう。
延々2千メートルくらいバトルが繰り広げられる。

ビート板使ってのバタ足は完全にこちらの負けだ。
平泳ぎは、ほぼ互角。
クロールならば5戦してこちらの3勝といった感じである。

調子が悪いのを無理して、うっかり足がつっちゃって途中棄権なんていうことも、ごくたまにある。
そんな時は痛いの我慢して、敵に悟られないように「今日は忙しいから長くは泳がないんだよね...」ってな感じで、さらっと軽快にプールから立ち去る。
そいでもってシャワー室で「ううう、いててて...」っと足を伸ばし、マッサージする。

昨日はそんな日だった。
バトってたら両方のふくらはぎと足の指がつってしまった。
さりげなく水から出ると、敵の視界に入らなくなってから、代わる代わる伸ばした。
なんとか”つり”がおさまったので、「もう大丈夫」と安心し、着替えてジムを出た。

階下にあるスーパーに行って夕飯の買い物をすることにした。
魚を選んでたら、やばい、また来た...
右のふくらはぎだ。
「あたたたたーっ」っと買い物カゴを床に置くと、その場で中腰になって足を伸ばすはめになった。
周りの人が、変な目で見たけれど背に腹は変えられない。

そうやって伸ばしながら、自嘲した。
自嘲し、且つ、次回は入念に準備運動やってから勝負に臨もう、と固く誓った。


azisaka : 06:24

マンガ傑作選その124

2014年05月18日

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azisaka : 21:59

今日の絵(その36)

2014年05月13日

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「紅い鳥」
作詞・カナリルージュ
作曲・未定

真っ赤っかに燃え上がる 夕日みたいなハイネック
君にとっても似合うねと 言ったあなたは十七歳
ずいぶん大人びた話し方するのねと
おでこを人差し指でつついたの
あなたはふらりよろけてしまい
真冬の海に落っこちたわ
あたしもあわてて飛び込んで
ふたつの身体は氷点下
海底深く急降下
ララララどこまで落ちようか

色とりどりに咲き誇る 花のような熱帯魚
北海なのにおかしいねと 言ったあたしは人魚姫
ずいぶん泳ぎが下手なのねと
溺れる身体を引き寄せたの
あなたは凍える身をゆだね
冷たいリップでキスしたわ
あたしは燃える口づけ返し
ふたつの身体は沸騰点
夜空高く急上昇
ララララどこまで上がろうか

あー あたしは 紅い鳥 
あなたを抱いて 天駆ける
つばさがちょっぴり濡れてるのは
むかし海にいたせいよ
人魚のお姫様だったせいよ

あはん

azisaka : 17:57

マンガ傑作選その123

2014年04月24日

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azisaka : 10:17

プッチィ

2014年04月18日

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昨年、ふらりと個展会場に現れて仲良しになった川上さん、彼が長を務める会社のHPで、マンガの連載を始めることになりました。
けっこう可愛らしくて楽しいです。
毎月、1日と15日に新作登場です。

プチプチプッチィ

azisaka : 08:36

今日の絵(その35)

2014年04月12日

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ルル子と松吉は、おそらくはJ-POPばっか聞いてた影響で、うざい日本飛び出して世界の何処かにあるという楽園を目指してたんだけど、なかなかそんなとこ見つかんなくて、東へ西へ南へ北へ、地球ぐるぐる7、8周くらいしたけど、ぜんぜんだめで、「あーあ、あの人たち調子のいい歌ばっかりうたっちゃって、そんな都合のいいとこなんて、ないじゃないかーっ」とぼやきはじめた矢先にエンジンの調子が悪くなったかと思う間もなく、後部から噴煙出し始めて、そのまま2人乗り渡辺博士特製光速ジェットは制御不能になっちゃって、コントロール効かぬままものすごいスピードで天空も時空もなんもかんもすっとばして、地球の時間でいうところの半月ばかり、縦横無尽、現在過去未来、カモメが翔んだ、真知子もびっくり、はちゃめちゃにさまよったあげく、なんか変てこな植物がうっそうと生い茂ってる森の中へ不時着した。

「博士はさー、これ2人乗りって言ってたけど、どこどー見たって、触ったって、臭ったって、1人乗りだよなーっ」
「うん、あたしもそう思う。だって、席、一個しかないもん」
「うん、ルル子、おしりのはんぶん、おれの右膝の上に乗せてるもんな」
「ちょっときつい?」
「うん、けっこうしびれてる」
「でもやわらかいでしょ?マシュマロみたいに...」
「うん、いかつい男子じゃなくて良かったよ」
「そうでしょー、やわらかくて気持ちいいでしょう?しびれてる場合じゃないわよーっ」
「う、うん、でもさあ、マシュマロっていうより、もっと重量のある、おやつで言ったら、大福のでかいやつって感じだなあ...」
「あー、大福食べたいなーっ。そういえば、お腹減ったわね...不時着しちゃったついでにお昼ご飯ににしようか?」
「うん、そうしよう。昼か朝か夜かわかんないけどさ...」
「松吉、ちょっとトランク開けてくんない?」
「うん、わかった...わーっ!トランクの部分が吹っ飛んでしまっちゃってるーっ!」
「えーっ!」
「なーんちゃって...大丈夫、ぎりぎりセーフ!でも、その後ろの燃料タンクはちぎれてなくなっちゃてるけどね...」
「ところでお弁当、何作ったん?」
「水炊き鍋よ」
「えーっ、あの博多名物の!上等の鶏肉でじっくり出汁をとるあれなのかい?」
「ええ...鶏はさつま地鶏よ」
「つうか、水炊きって弁当可能?」
「ええ、でも弁当っていうより、今、ここで作るっていう感じよね。食材を持って来たの」
「わーっ、弁当作るのさぼったなーっ、こいつう...」
「だって、楽園目指しの長旅じゃない、ちんたら弁当作ったりする暇なんてないわよっ!」
「えーっ!」
「女の子はね、お洋服だとか身体のケアの品々だとか想い出の数々とか、なんやらかんやら準備するものが、たぁーっくさんあんのよ」
「そんなこと言ったってさ、ルル子持って来たの、その猫の絵のついたちっちゃなリュックひとつだけじゃん」
「ふう...だからー。ここまで絞り込むのが大変なんじゃない...この大変さで、豪華な幕の内弁当100人分が作れるほどよ」
「そんなもんかなあ...」
「そんなもんよ。だから女の子なのよ、お尻がマシュマロみたいにやわらかいのよ」
「大福だろ?」
「どっちでもいいのよ、どっちにしろあんたら堅物の男らとは違うのよ」
「はいはい、わかりましたよう、ごめんなさいねー、つうか、水炊き用のコンロは?」
「もちろん持って来たわよ、リュックの中に。燃料はこのジェット機のやつを使うの、そりゃあ強い火力でおいしくできるわよお...ワクワク...」
「あの、ワクワクのとこに水をさすようで教職、試験に2度落ちた...じゃなかった、恐縮なんですけど、燃料タンクが吹っ飛ん...」
「えーっ!!...ということは燃料がない!」
「はい、そのとおり!」
ゴキッ!
「わわ、なんでおれを殴んのさーっ」
「あ、ごめん、つい...」
「いててて...」
「しょうがないわね...燃料となるような小枝かなんかを探しに行きましょう...」
 
と、そんなわけで、ルル子と松吉は機内から外へ出ようとして気がついた。

「な、なんだ、このヘンテコな植物は!!」

そこにはふたりが今まで自分らの日常生活では見たことのない奇妙な草花や木々が棲息していた。

「でも、いい香りね」
「ああ、ほんとうに...」

二人は、不時着したことも、水炊き鍋のことも数分間忘れ、その香りの心地よさに酔いしれた。
...と、その時、

ザザザザ...

「な、何かいるわ!」
「わ、見て!」

いつの間にやら2人の乗ったジェットは10人ばかりの悪党ども(たぶん)に囲まれていた。
みな一様に水色の帽子をかぶり、ぶっそうな銃器を手にしている。

「だ、だれだおまえたちは!」
「おしえてやらないぞ」
「まあ、そういわずに、おしえてくれ!」
「いやだ」
「こういう場では素性を名乗るのが礼儀っていうもんだぞ」
「ひゃあ、お前、学校の先生みたいだな!」
「そうだ、教職2回おっこちたけどな」
「名乗るほどのものではないが、おれらはブルー団!」
「あ、だから帽子が青色なのね?」
「そうだお嬢さん」
「あら、お嬢さんだなんて...ぽっ」
「ここで頬染めるなよ」
「いいじゃない」
「うん、まあね、ちょっとかわいい」
「あら、そう、うふふふ...」
「おれらはブルー団!ブルううううだあああんっっ!!!」
「あ、聞いてます、ちゃんと、聞いてますったら」
「ふん、その集中力のなさが、教職に落ちた理由だな...」
「むう...で、あんらたはなんでここに?」
「ふっふっふっふっ...」
「もったいぶるなら、聞いてやんないぜ」
「あーっ、言います、言います、説明します!」
「おれらはブルー団!ブルー団とは、渡辺博士が極秘に開発した有機エンジン...」
「勇気エンジン?勇気の力...?」
「違う、有機だ!枯れた植物を燃料にするんだ」
「へー、そんなの作ってたんだー、おじいちゃん...松吉、知ってた?」
「ううん、知らなかった...」
「お前ら2人、エンジンの素性もわからん乗り物にのってたのか!?」
「えへっ」
「えへっ、じゃないだろう...あきれたやつらだ...」
「つうか、なんでおまえらブルー団が、渡辺博士を知っている!?」
「え、だって、おれら同じ町内に住んでんもん」
「なんと、おまえらは、おれたちと同郷人なのか?」
「ま、まあ、そういうことになるな」
「うひゃあ...驚いたなあ...よくぞこんな、どこだかわからない遥か遠くの森の中まで追ってこれたものだぞ...」
「何言ってんだ小僧、...今おまえらがいるここは、おれらの町内だぞ」
「ええーっ!」
「うそーっ!」
「ちょ、町内に、こんな奇妙キテレツな樹木がうっそうと茂った森がーっ...!!!」
「お前らは自分の町を良く知らんかったのだ...」
「ほえーっ」
「さあ、エンジンを渡してもらおうか...」
「エンジンは他所へ持って行っちゃあいかん。この町で使うのだ」

で、わたしたちは、青い帽子のおっさんたちにエンジンをおとなしく渡すことにしたの。
だって、なんの変哲もない町だけど、生まれ育った町だもの...親戚や友達いるし、この有機エンジンってやつ使って、この町が住み安くなってくれればありがたいもの...

「ふーん、意外とものわかりがいいんだな...」
「ものわかりも何も、だって、そんな大切なエンジンだなんて知らなかったんだもの。知ってたら勝手につかったりしなかったわ」
「で、これからおまえらどうすんだい?」
「...」
「この町に残りなよ」
「...」
「楽園なんてさ、良く聞きな...どこか、遠くにあるんじゃないんだぜ。そいじゃあ、どこにあるってえかっつうと、たいくつなどーってことない日常の中にあるのさ」
「うん...」
「遠くに行く必要なんてないのさ。自分の足元をようっく見るのさ。そこに楽園はある。ないしは楽園の萌芽みたいなやつがきっとある」
「ええ...」

ルル子は、頭を垂れ、神妙になって青い帽子のおじさんたちの説教を聞いた。
説教が終って、となりの松吉を見たら、自分と同じような面持ちをしていた。
(その時、鏡で自分の顔見たわけではないんだけど、そのように確信した)
ルル子と松吉は今回の一件で、ちょいとばかし大人になったのだ。
生意気だったのが、半生意気だとか、一夜干し意気くらいにはなった、つまりちょっぴり人間に深みが増した...
ふたりは見つめ合った。このようにしっかり見つめ合うのはふたりが出逢って初めてのような気がした。

「こほんっ...」
「あ」
「なあ、おふたりさん、いい雰囲気のとこじゃましちゃあ悪いが、今回の事で身にしみただろう?どこか遠くに行こうなんて思わないで、おれらと同じく、この、生まれた町で生活しようぜ」
「ええ...」
「うん、うん、よし、よし」
「ええ...でもやっぱり...」
「で、でも、やっぱり?」
「でも、やっぱりぼくたち、町を出ます...出てみます」
「えーっ!」
「ぼくらまだ十分若いですから」
「...」
「ただ、ジェットにも電車にも車にも乗りません...」
「うむ...」
「自分たちの足で歩いていきます、歩いて行けるとこまで行ってみます」

「...そうか」
「おじさんたち、いろいろありがとう」
「うむ」
「さようなら」
「おお、さようなら...達者でな...」

と、いう感じの絵です、今回は。
(長っ...)

azisaka : 11:22

マンガ傑作選その122

2014年04月08日

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azisaka : 10:00

マンガ傑作選その121

2014年03月27日

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azisaka : 08:48

2014年03月21日

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最近は76番にしている。行きつけのスポーツジムのロッカーのことだ。
初日、そこら辺が空いてたので偶然決めたんだけど、何回か使ってると愛着みたいなものが生じてくる。たまに使用中だったりすると、とても残念な気持ちになる。

76番の正面には66番のロッカーがある。そこをいつも使う男がいる。
青い作業服を着たヤニ臭い男だ。他にたくさん場所あるのに、わざわざおれのそばで着替えをする。「なんで66番なんだ、こいつは...」(自分の事は棚に上げてそう思う)
狭い通路、タバコは臭いし、肘や袖なんかが当たりそうになる。話しかけられたりしたらイヤなので顔見ないようにしてるけど、歳はたぶん50半ばくらいだろう。ここのとこ、なぜか来る時間帯が同じで、「アイツがいたらいやだなぁ」と思って行くと、いる。おれのロッカーの前に立っている。

今朝もいた。そしてとうとう話しかけてきた...
「朝から寒かとに泳ぐとね?」
やだなぁ、関わりたくないのに...顔は見ず、ちょっとうなずきながら「はい、寒かとに泳ぎます」と愛想ない返事をした。そして、そそくさとプールへ向かった。
 
いつものように3千泳いだ。シャワー浴びて更衣室にもどると、ヤニ男もちょうど帰り仕度の最中だった。さっき一瞬とはいえ言葉を交わしてしまったので、仕方なくちょこんと頭を下げた。着替えてると、また話しかけてきた。
「クロールで泳ぐと?」
うわあ、やだなあ...でも無視するわけにはいかない。ほんの少し振り返り、足元あたりを見ながら答えた。
「はい、クロールです。あ、平泳ぎも少し...」
「おいはクロールはできん、ありゃ難しか」
「はぁ、息継ぎのとき水が入るですもんね...」
ふと、彼はこのジムでどんな運動をやってるのかが気になった。
「に、兄さんは何ばしよっとですか?」
「おいは船乗り」
「え?あ、ああ、あの、運動はここでは何ばしよっとですか?」
「ああ、運動ね。自転車」
「ふ、船は遠くまで行くとですか?」
「大分の港から東北の方まで行くと。おいはピストンやもん」
「はあ...?」
「新しか船に乗ると。しんせい号。新しか船は気持ちん良かばーい。そいじゃ!」
 初めて見るその顔は、渥美清を浅黒く精悍にしたような顔だった。
ピストンって何だろう?エンジンのことかな?”しんせい号”ってのは漁船?それとも貨物船?どんな字を書くんだろう...よし、今度会ったら聞いてみよう。
 
人は人を分類したがる。世界が単純になって物事深く考えなくてすむからだろう。個々の顔は黒く塗りつぶされ、”高級車乗った金持ち”だとか”引きこもりのオタク”、”~人や”~派”...そんな具合に十把一絡げ...彼もさっきまで”タバコ臭い労働者”という名の箱の中、他の似た者と一緒に分類されていた。それがわずか数秒の会話で、箱から飛び出し、彼固有の顔をまっすぐこちらに向けはじめた。その途端、ただの作業着が彼の作業着に、ただのタバコ臭さが、彼のタバコの臭いに...会いたくない人が、また会いたい人となった。

と、いうような文章を書いて、先月の西日本新聞にのっけてもらった。
最初、このブログ用に書いたんだけど新聞用にと半分の長さにし、内容もより読みやすいものにした。

さて、この文章を書く前後に心に浮かんだ文章が3つほどある。

まず、ひとつめは夢野久作の文章。
旧黒田藩士が中心となって結成された政治結社・玄洋社員の奈良原到について書かれたものだ。(以下)

~そのうちに四国の土佐で、板垣退助といふ男が、自由民権といふことを叫び出して、なかなか盛んにやり居るらしい。明治政府でも之を重大視して居るらしい...と云う風評が玄洋社には伝はった。
その当時の玄洋社員は筆者の覚束ない又聞きの記憶によると頭山満が大将株で奈良原到、進藤喜平太、大原義剛、月成勲、宮川太一なぞ云ふ多士済々たるものがあったが、此の風聞に就いて種々凝議した結果、とにも角にも頭山と奈良原に行って様子を見て貰おうではないかと云う事になった。
その当時の評議の内容を伝え聞いて居た福岡の古老は語る。
「大体、玄洋社と云うものは、土佐の板垣が議論の合う者同志で作って居った愛国者なんぞと違ふて、主義も主張も何も無い。今の世の中のやうに玄洋社精神なぞ云うものを業々しく宣伝する必要も無い。ただ、何となしに気が合ふて、死生を共にしようと云ふだけで、そこに燃え熾(さか)っている火のような精神は文句にも云えず、筆にも書けない。否、文句以上、筆以上の壮観で、烈々宇内(うだい)を焼きつくす概があった。頭山が遣ると云ふなら俺も遣ろう。奈良原が死ぬと云ふなら俺も死なう。要らぬ生命(いのち)ならイクラでも在る。貴様も来い。お前も来い。...と云ふ純粋な精神的の共産主義者の一団とも形容すべきものであった。
~中略~
其様(そげ)なワケぢゃけに、その当時の玄洋社で一口に自由民権と聞いても理屈のわかる奴は一人も居らんぢゃった。それぢゃけに、ともかくも此の二人に板垣の演説を聞いて貰ふて、国の為にならぬと思ふたならば二人で板垣をタタキ潰して貰おう。もし又、万一、二人が国の為になると思ふたならば玄洋社が総出で板垣に加勢して遣ろう。ナアニ二人が行けば大丈夫。口先ばっかりの土佐ツポオをタタキ潰して帰って来る位、なんでもないぢゃらう」と云ったやうな極めて荒っぽい決議で、旅費を工面して二人を旅立たせた...
~中略~
さうした玄洋社代表が二人、さうした辛苦艱難を経てヤツと高知市に到着すると、板垣派から非常な歓迎を受けた。現下の時局に処する玄洋社一派の主義主張について色々な質問を受けたり、議論を吹っかけられたりしたが、頭山満はもとより一言も口を利かないし、奈良原到も、今度は粉っ此方(こっち)から理窟を云ひに来たのでは無い。諸君の理窟を聞きに来ただけぢゃ...と睨み返して天晴れ玄洋社代表の貫禄を示したのでイヨイヨ尊敬を受けたらしい。
それから二代表は毎日々々演説会場に出席して黙々として板垣一派の演説を静聴した。さうして何日目であったかの夕方になって二人が宿屋の便所か何かで出会ふと、頭山満は静かに奈良原到をかへりみて微笑した。
「...どうや...」
「ウム。よさそうぢゃのう。此奴(こやつ)どもの方針は...国体には触らんと思ふがのう。今の藩閥政府の方が国体には害があると思ふがのう」
「やってみるかのう...」
「ウム。遣るがよからう」
と云って奈良原到は思はず腕を撫でたと云ふ。実は奈良原としてはブチコハシ仕事の方が望ましかった。土佐の板垣一派の仕事を木葉微塵(こっぱみじん)にして帰るべく腕に撚(より)をかけて来たものであったが、それでは持って生まれた彼一流の正義感が承知しなかった。
「演説はともかく、板垣といふ男の至誠には動かされたよ。此の男の云ふ事なら間違ふても良い。加勢して遣ろうと云う気になった」と後年の奈良原到は述懐した。
(夢野久作「近世快人伝」)

板垣のこと叩き潰すつもり満々で行ったのに、本人と話してみたら「いい奴だ、加勢しよう!」という気になっちゃったっていうのがいいですよね。
他に、勝海舟をたたっ斬るつもりで乗り込んだのに逆に惚れ込んでしまった坂本龍馬ってのもいますが、両者共に、主義だとか思想だとかそんなのおっぽいて、実際に会ってみて自分自身で判断するってのがいかしてると思います。
それにしても、ネットなんてやんない彼ら明治の人間の、いきなり肝胆相照らしまくり、豪放磊落な生き方ってのにはすっごくあこがれるばい。

でもってふたつめは、1923年関東大震災の時に起こった朝鮮人虐殺について史実や記録を基に書かれた「九月、東京の路上で」の中の文章。(以下)

~朝鮮人を殺した日本人と、朝鮮人を守った日本人。その間にはどのような違いがあったのだろうか。山岸秀はこれについて、守った事例では「たとえ差別的な関係においてであっても、日本人と朝鮮人の間に一定の日常的な人間関係が成立していた」と指摘している。つまり、本物の朝鮮人と話したこともないような連中とは違い、ふだん、朝鮮人の誰かと人としての付き合いをもっている人のなかから、「守る人」が現れたということだ。

言ってしまえば当たり前すぎる話である。だがこの当たり前の話を逆にしてみれば、「差別扇動犯罪(ヘイトクライム)」とは何かが見えてくる。

社会は、多くの人の結びつきの網の目でできている。そこには支配と抑圧がもちろんあるが、そうした力に歪められながらも、助け合うための結びつきも確かにあり、それこそが当たり前の日常を支えている。

植民地支配という構造によって深刻に歪められながらも、当時の朝鮮人と日本人の間においてさえ、生きている日常の場では、ときに同僚だったり、商売相手だったり、友人だったり、夫婦であったりという結びつきがあった。

だが虐殺者は、朝鮮人の個々の誰かであるものを「敵=朝鮮人」という記号に変えて「非人間」化し、それへの暴力を扇動する。誰かの同僚であり、友人である個々の誰かへの暴力が「我々日本人」による敵への防衛行動として正当化される。その結果、「我々日本人」の群れが、人が生きる場に土足でなだれ込んでくることになる。当時の証言には、自宅に乱入した自警団が日本人の妻の目の前で朝鮮人の夫を殺したらしい、という噂話が出てくる。実際にそういうことがあったかどうかはともかく、つまりそういうことなのである。

ヘイトクライムは、日常の場を支えている最低限の小さな結びつきを破壊する犯罪でもあるのだ。ごく日常的な、小さな信頼関係を守るために、危険を冒さなくてはならなかった人々の存在は、日常の場に乱入し「こいつは朝鮮人。こいつは敵」と叫んで暴力を扇動するヘイトクライムの悪質さ、深刻さをこそ伝えている。
(加藤直樹「九月、東京の路上で」)

この本には、抽象的な”記号”ではない、具体的な地名、日時、そして人々が登場する。
読みすすめていると、その時、そこに生きていた人、個々の存在を間近に感じ、時にかなりしんどくなる。
そんな中に、アメ売りの若者とあんま師の話しがでてくるんだけど、これがほんとうに良かった。
読んでボロボロボロボロ泣いてしまった。
今後も幾度となくこの二人のことを思い出すだろう。

さて、最後は石牟礼道子が1983年に鹿児島県は出水市にある浄土真宗のお寺で行った講演です。

~さっき天草の人たちの話をいたしましたが、天草には「天草の乱」、キリシタンの乱ともいいますが、天草の島人の半分が死んでしまった大変な一揆がありましたこと、皆さまご存じでしょう。
鹿児島でも真宗が禁止されて、弾圧の犠牲者が十何万人もいらっしゃるそうですけれども、天草のほうはキリシタンを禁止されたこともありますがひとつには、狭くて耕すとこもないような島なのに、幕府の直轄の地でもありましたので、貢租、運上、米を出せというのが非常に苛酷すぎたということがありました。
それが一揆の要因のひとつでもあったのですが、島の人口が半分になってしまうくらい、殺されてしまいまして、全く島全体がむざんに荒廃してしまった。そういう事態になったものですから、放ったらかしにしては幕府の威信にかかわります。生き残った島の民心の安定と、再びキリシタンを出さぬための教化を目的として、代官を派遣するのですけれど、この時非常にすぐれた代官が天草にやってくるんです。
鈴木重成という人でして、死んだ後に神さまになりましたが、鈴木神社というのが今も天草の本渡にございます。ご存じの方もいらっしゃるかと思います。
この鈴木重成さんは、最初、天草の乱の征討軍の、砲筒・弾薬方の最高責任者としてやってくるんです。直接、具体的に、キリシタンの島民たちを殺す新兵器の責任者としてやってくる。松平伊豆守、あの千恵伊豆といわれた信綱の家臣でして、ほとんど手作りの武器しか持たなかった一揆軍、女子供を含めた百姓漁師たち、島原の方と合わせまして二万三千余の、素手に近い人たちが、全部殺されてしまいますけれども、そういう人たちを殺す側の責任者としてやって来たのです。
幕府の征討軍は、土民軍に対して十二万四千余、女子供も数に入れた百姓方一人に侍六人のかんじょうで、圧倒的な軍勢が、諸藩をあげてはるばるつめかけて来ています。幕府方が残しました記録に、すべて死を覚悟したもの共ばかりで、侍相手の戦も、こうまで手剛くなかった、死ぬのを何とも思っていないものたちほど、始末に困ることはないというようなことが書き残してあります。自分から弾に当たりにやってくるような、そういう人たちを皆殺しにするための、当時の近代兵器の弾薬方の総責任者であった人が、乱が済んだあとの戦後処理をせよという役目を与えられまして、代官として天草へやってまいります。
その鈴木代官は乱が終ったあと、死んだ人たちを弔ったり、方々に寺を建てましたり、もちろんキリシタンを出さぬ努力をするのですが、疲弊の極に達した天草の石高、米の取れ高を幕府にさし出す分を、半分に減らしてくれという嘆願書を幾度も出すのですが、なかなか聞かれません。
それでとうとう、江戸の自邸に戻りまして最後の嘆願をしたためまして、島民たちのために腹を切るのです。
その直後は幕府は何の沙汰もしないのですが、あとの代官にこの人の甥を派遣しまして、甥の代になりましてから、石高を半分に減らします。重成が願ったとおりになったわけですけれども、わたし思うのに、当時の武士の社会で、主君の馬前で討死する、あるいは殿さまのために腹を切るというのはしごく当たり前で、武士の道義にかなうこととされておりましたでしょう。
それが天草の、幕府の方からすれば日本の端っこの小さな島の、名もない民百姓のために、領主にも相当する人が腹を切りました。それで重成さんは天草の人びとから神さまに祀られまして、今日までも尊崇を集めておりますけれども、わたしが考えこんでおりますのは、鈴木代官をして、腹を切るほどに思い詰めさせた石高半減という願い、そういう願いを生ぜさせるには、生身の人間の顔が、まなうらに浮かんでいなければ、腹を切るまでにはならないだろうと思うのです。
どういう人たちの顔付きが、眸の色が、この代官のまなうらにありましたのでしょう。あの顔この顔というのが具体的に浮かんでいて、訴える声が聴こえていて、こういう者たちのためなら、自分は死んでもよい死なねばならぬ。そういう人たちに、つまり、煩悩がついてしまっておらなければ、人間、腹を切ることなど出来ないのではないでしょうか。
(石牟礼道子「名残の世」)

「ふう...アジサカさんってばさあ、今回みたいなの、ちょっと重過ぎ...あたしやっぱしマンガとかの方がいいなぁ...」
「おお、そうか、すまん、すまん、こんなご時世なのでつい...」

azisaka : 10:49

ララバイ、その2

2014年03月13日

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azisaka : 07:33

マンガ傑作選その120

2014年03月09日

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azisaka : 06:07

マンガ傑作選その119

2014年03月05日

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azisaka : 21:21

ララバイ、その1

2014年03月02日

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一日が終わり、寝る時間になったのに、その過ぎつつある日が、「あなた、まだ私としばらく一緒ににいてくれないかしら」と名残を惜しみ離してくれないような時がある。
古いきのうが新しいあしたに嫉妬して、あしたにおれのことを渡すのを拒んでいるのだ。
こっちは眠りたいのに眠ること能わず、なかなか困る。

そんな時は、そんなギザギザハートのきのうをいなし、落ち着かせるために、子守唄を歌うことにしている。

子守唄といっても、絵描きなので歌ではなくて絵だ。
4B鉛筆で気の向くまま、きのうのために、きのうのこころが和らぐまでデッサンをする。
ほとんどが手からでまかせの人物画だ。

そんな人物画が大量にある。
押し入れの中、スケッチブックがうず高く積んである。
捨てるのも何だかしのびないので、出汁とった後の昆布だとかサンドイッチ作った後のパンの耳みたいにとってある。
ときたまパラパラ見返してみると、たいていは寝ぼけたようなしょぼいものばかりだが、たまに「ああ、このコはなんかいいなあ...」というようなやつがある。

「そんなコには代表になってもらって、ブログにのっけてちょっと日の目を見せてやりなさいよ!」
と、声がする。
去って行ったたくさんのきのう達が口をそろえて注文をつけているのだ。
きのうの集まり、過去軍団だ、過去軍団はうるさい。

ああ、そいうえばむかしあった山田太一、鶴田浩二主演のドラマ「男たちの旅路」の第4部第1話は”流氷”というタイトルだった。
特攻帰りの主人公にとって、”流氷”というのは”過去”のことだ。
キラキラと輝いて美しいと同時に、今現在の生活に濃い影を落とし、時に行手を阻むやっかいもの...

ドラマの中、自分を慕う女(桃井かおり)の死をきっかけに北海道は根室に身を隠した主人公、彼を連れ戻しに行く部下の青年(水谷豊)のセリフがいいぞ!

(以下)
「特攻隊で死んだ友達を忘れねえとかなんとか、散々格好いい事言って、それだけで消えちまっていいんですか?・・・・あの頃は純粋だった、生き死にを本気で考えていた、日本を生命をかけてまもる気だったとか、いい事ばっかり並べて、いなくなっちまっていいんですか? そりゃあね、昔の事だから、なつかしくて綺麗に見えるのは仕様がないよ。俺だって、小学校の頃のこと思うと、いまのガキよりもましな暮らしをしてたような気がするもんね。だけど、なつかしいような事言いまくって消えちまっていいのかね」

「戦争にはもっと嫌な事があったと思うね。どうしょうもねえなあ、と思ったこととか、そういう事いっぱいあったと思うね。戦争に反対だなんて、とても言える空気じゃなかったって言ったね。大体反対だなんて思ってもいなかったって言った。いつ頃から、そういう風になって行ったか、俺はとっても聞きたいね。気がついたら、国中が戦争やる気になっていたとかさ、そういう風に、どんな風にしてなって行くのか、そういうこと、司令補まだ、なんにも言わねえじゃねえか」

「どうせ昔のことしゃべるなら、こんな風にいつの間にか人間てのは、戦争する気になって行くんだってところあたりをしゃべって貰いたいね。そうじゃないとよ、俺たち、戦争ってえのは、本当のところ、それほどひどいもんじゃねえのかもしれない、案外、勇ましくて、いい事いっぱいあるのかもしれないなんて、思っちゃうよ。それでもいいんですか? 俺は五十代の人間には責任があると思うね」
(以上)


おっと、話しが逸れちまったぜ...
そんなわけで、
「おお、過去よ、きのう達よ、おまえらがそんなに言うのなら、ひとつやってみようではないか」

と思ってはじめたのがララバイシリーズです。
(いつもながら話しが大げさですまん...)

今回はその第一弾!

azisaka : 21:32

今日の絵(その34)

2014年02月26日

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「ちょいと兄さん、おれの愛車を描いてはくれないかい?」
という連絡があった。
おもしろそうだけど、車の種類にもよるぞ、と思った。
今、作られてるみたいな、どこがバンパーでどれがヘッドライトかわかんないような、のっぺりした車だったあんまし描きたくないよなあ...と思った。

ところがどっこい、あにはからんや、いもうともはからん、
ちちもはからんが、ははははかる、いかした車だった。

それで、トスカーナの丘陵地帯を疾走する姿を描いた。
けど、なんとなくテレビCMみたいでもの足りない。
それで、背景を描きなおしてドクロディアの街並にした。

「おおー、いいですねーっ!」
と、気に入ってもらってよかった。

azisaka : 06:55

nuimori

2014年02月24日

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お茶を差し出す右手の袖に、小さな花を見つけた。

「あ、その花の刺繍、かっちょよかね」

「え?あ、これ?」
「うん、破けちゃったけん...修繕...」

「え、修繕って...それ自分でやったん?」

「う、うん、そうだけど...」

「ええーっ!すごいやん、そんなんやれたん!」

「えっ、あ、そう?」
「うん、なんか見よう見まねで...」

「いや、いや、いい、いい、絶対にいい」
「他にないと?刺繍したやつ、見せてみいよ」

「うん、あるよ、大したもんじゃないけど...」

今から6.7年前、旧友の家にあそびに行った時のことだ。
見せてもらった刺繍は、そのほとんどが子供の衣類になされたもので、破けたとこの修繕や、味気ない無地の布地にワンポイント付け加えたものだった。
それらは色とりどりの糸でとても緻密に丁寧に縫われていて、小さいながらも確固とした存在感があった。

「刺繍、すっごっく、いいけん、もう少し大きなものをいくつかやってみなよ」

「ええ、ああ、そうかなあ...そう?」

「うん、そうそう、やってみいよ、やってみいよ」

「あ、じゃあいくつかやってみるけん」

しばらくして、見せてもらったやつをみて、びっくり仰天した。
それで、さっそく知り合いの雑貨屋さんに持って行ったら、そこの主人も「わあ、いいっ!」と感嘆した。

いくつか店においてみたら、同様に「わあ、素敵だなあ...」っていうお客さんたくさんいて、すぐに売れてしまった。

「ああ、あたしの刺繍を手にしてよろこんでくれる人がけっこういるんだあ...うれしいなあ...」

と、そんな流れで、いつのまにやら刺繍するのが生活の重要な要素になっちまったのが、森さんちのひとみちゃんで、作家名は「nuimori」(ヌイモリ)だ。

その彼女の初めての個展が、今週末から熊本で始まります。
見に行って、手に取って、「わあ...」と、身体の温度が3度くらいあがること間違いないです。
遠方の方もわざわざ行って、けして後悔はしないと思います。
ぎゅうううっと、力強く縫われた草花は、時ににしゃんと立ち、時にぐねりとうごめき、時にぱあっっと華やいで、触れるものの心をゆさぶります。

nuimori
くしゅバック展 「春・夏・秋・冬」

2014年3月1日(土)~9日(日)
12:00~20:00
作家在店日 3月1日、2日

(場所)
orange
熊本市中央区新市街6-22
096-355-1276

(一日刺繍教室)
「パンダ袋をつくりましょう」
3月1日(土)
13:00〜15:30 orqnge(要予約)
¥3.000(お茶付)
持ち物:はさみ

azisaka : 09:26

マンガ傑作選その118

2014年02月22日

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azisaka : 08:41

マンガ傑作選その117

2014年02月17日

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大学4年の頃は古い一軒家に住んでいた。
ある日、同居してたフランス娘がだしぬけに言った。
「来月パリから男友達ふたりがバカンスでやって来るの」
「しばらく家に滞在するみたいなので、よろしくねっ!」

家には来客用の布団がひと組しかなかった。
それで、「ああ、そりゃあ、あとひと組、どっかから借りてこんといかんね」と言うと、
「いいの、彼らカップルだから」と返事をした。

彼らはニコニコやって来て、3週間ばかりいっしょに暮らした。
(フランス人の休暇、長っ...)
こういった類いの二人組と生活を密にすることってそれまではなかったので、なかなか学びが多かった。
学びが多かったっていうか、おかげで、頭がずっと、柔らかくなった。

当時、部活で中国武術をやっていたこともあって、男というのは汗臭くてゴツゴツしててバキバキするものだと思っていた。
それで最初の頃は、目と鼻の先で見つめ合ったり抱き合ったりされるのに閉口した。
でもすぐに慣れちゃって、男が香水つけてナヨナヨしててメロメロするのもいいもんだなあと思うようになった。

彼らといると、男といても女といても決して現れなかったであろう、自分の知らない持ち味というものがでてきた。
「あれ?おれ、こんな具合にも心が動くんだ...こんな風な身振りもできたんだ...へえ...」といった具合だ。
それで、人間の幅というものが、ちょっぴり広がっていくような感じがした。

その数年後、パリに住み始めることになった時、この二人にはよく世話になった。

azisaka : 06:08

弔花

2014年02月13日

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今月の初め、昔なじみの男がひとり死んでしまった。
なんとかとかかんとかっていう、急性の癌だそうだ。
散歩の途中、スピード出し過ぎてカーブ切り損ねた車にはねられたみたい、唐突に逝ってしまった。

最初に会ったのは、小3か小4の頃だ。
どこか都会の方から転校してきたそいつは、はじめて会ったとき、ベージュの半ズボンを穿いていた。
ひとむかし前の小坊なので、脳みそのどこにも”ベージュ”なんて言葉はないんだけど、今思い返すと、たしかにそれはそんな色で、とても新鮮だった。
茶や紺やへんてこな緑色のズボン穿いてるおれらの目には、それはキラーン!と輝いていて、とてつもなくまばゆかった。
その上そいつは、今まで会った事ない感じ、なんというか...肉厚な感じだった。
ランドセルをからったジョン・トラボルタとでもいった趣だ。

誕生会かなにかで家へ呼ばれて行くとそこは、ちょっと坂を登ったとこにあった。
日当りが良く、自分ちに比べ庭が広く明るく、すらっとすました感じだった。
そんなとこも、なんとなくトラボルタだった。

小学校の時はけっこう一緒に遊んだという気がする。
中学では、たまに会うくらい。
高校になって気付くといつの間にか、なんだか苦手な存在になっていた。

だって、全校集会なんかで体育館とかに行くと、何でか知らん、どこからか駆けて来ていきなり太ももに膝蹴りしてきたり、「こうじ、おまえ~のこと好きっちゃろー、へへへ」とからかってきたりするのだ。
一番いやだったのは、わけのわからないナンクセつけて困らせようとしてくることで、高校卒業して、会う機会がなくなるとほっとした。

それで何十年も会わなかった。
数年前、個展をやってたら、会場にはいない時、共通の友人が、そいつから聞いたのだといってひょっこりやってきた。
名刺がおいてあり、その裏にそう記されていた。
おれの動向を知っていたのだ。
来てくれた友人には、懐かしくてありがたくて、とても会いたかった。
けど会えば、またそいつがこれを機に登場してきそうだった。
なので、考えた末、不義理にも連絡をとらなかった。
(ひさやん、すまなかった)

それから何年かたった今月、そいつはふいに死んでしまった。
死んだからといって、性格が変わるわけじゃない。
あいかわらず、手ぐすね引いて、こっちをからかってやろうと狙っているはずだ。
したがって、郷里に帰ってもお線香あげにいったりしないし、遺影や墓をおがんだりもしない。
これからも、今までどおり、近付かないよう用心し続ける。

そうやって、こちらから意図して遠ざけてる間は、彼はしっかりと存在している。

いつもどこかで、「いつ駆け寄って行って膝蹴りかましてやろうか」とたくらんで、その大きな目を輝かせている。
その気配を感じることができる。

彼の、自分に対する、風変わりな好意をずっと感じていられる。


「どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う」
とは、映画監督の小津安二郎が言い残した言葉だ。
それに習い、我が身に照らして言うのなら、
「どうでもよいことと重大なことは自分に従い、芸術のことは自分以外のあらゆるものに従う」

芸術のことは今回はさておき、残りのふたつについてだが、まず、今の世の中、どうでもよいことと重大なことの見分けがつきにくい。
どうでもよいことがある日、重大なことになってるし、その逆も多い。
さらに道徳がまるで流行みたいに移り変わっちゃったりするので、何に従おうかと、目はキョロキョロ、キーボードはカタカタ、とっても大変だ。
思考は停止しちゃって、気がついたら、イェルサレムのアイヒマンみたいになってしまってる。
そんなわけで、どうでもよいことも重大なことも日頃から、自分に従う、自身の頭で考えて行動するっていうのを心がけておく。

人の死っていうのは当然、重大なことだ。
だから迷わず自分に従う。
自分なりの方法で先に逝った人間を弔う。
ある時は先人たちのように儀礼を粛々と行うだろうし、ある時は以前からの身振りを変らずに続ける。
今回は後者だ。
「線香もあげに来ないで、なんて冷たいやつなんだ..」とか「遺族の悲しみを考えたら、こんな文章書くなんて許せない...」とか、そういう他人の目は気にしない。
ムっちゃんみたいに気にしない。

ムっちゃんって誰やねん?
というと、「異邦人」のムルソーのことだ。

ーーーーー


ドスッ!

あいたーっ!
ううう、やっぱりおまえ、隠れとったねーっ

うひゃはははは...
こうじ、なん偉そうに俺のこと書きよっとや!?

よかやっか、いい機会っちゃけん

なーんやそい
小津とかアイヒマンとか...だいたいアイヒマンとかいうても誰もわからんやろが、かっちょぶんなよねーっ!

よかやっか、わからんやったら調べるやろが!

おいんこと書くなら、トランペットがうまかとか、なかなかハンサムやったとか、そがんことば書けよねーっ

よかやっか、うるさかねーっ

うるさかとは、おまえやっかーっ

なんてーっ!

あ、おらんくなった...


でも...またどうせ来るやろ...

azisaka : 20:58

マンガ傑作選その116

2014年02月07日

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ぼくらが、ふき味噌なんかで熱燗飲んだりすると「くうーっ、日本人に生まれてよかったーっ」と心底思うように、彼の地の人はニシンの塩漬けなんかでウォッカ飲むと「くうーっ、ロシア人に生まれてよかったーっ」と思うんですよね、きっと。
世の中がどんどんグロバルグロバルしてったら、世界中の人が一様にフライドチキン食べながらビール飲んで「くーっ、地球に生まれてよかったーっ」っと目を細めたりするようになるんかな...
そしたらその時ジョンは、どんな歌を口ずさんでいるんだろか...

azisaka : 12:29

今日の絵、その33

2014年02月02日

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リカは夏休み。パパとふたり、羽田から九州のおばあちゃんちへと飛ぶ飛行機の中だ。
離陸したあと少しうたたねして、気がついたらパンツの中、何か変な心地がする。
「あれ?さっきソフトクリーム一気に食べたのが良くなかったかな?お腹こわして、寝てる間にもらしちゃった?」
「やだなぁ、はずかしいなぁ、あたしもう小6なのに...」

そう思いながらトイレに行って、パンツおろして見たら、まあ、びっくり!
真っ赤...
「わあ...アレかぁ...なにも、空の上で最初に来なくったっていいのになあ...」

パパには言いたくない。スチワーデスの姉さんにはなおさらだ。
それで、おばあちゃんちまで何とかがまんすることにして、トイレットペーパーで応急処置をした。
「席に戻ったら買って来たマンガ読んで気分転換しよう...」

けど、リカは座るなり、なんだかとってもけだるくて、うとうと...寝入ってしまった。
夢を見た。
すこしお姉さんになった自分がでてきた。
今よりずっと長い髪...なぜだか裸ん坊で、ドクロのペンダントをして立っている。
そして周りには、一面、
紅い花...

と、いう感じの絵です今回は。

ところで、「芸術新潮」1月号の、つげ義春のインタビュー、すうううううううううううううーっごく良かったですよね。
何回も何回も、繰り返し読んでしまった。
とくべつ大したことが述べられてるわけじゃない。
けど、身にしみる。
彼の近影も一枚だけぽつんと載っている。
ため息でるくらいに素敵だ。
今のこんな世の中、こんなたたずまいでおれる人もいるんだなあ,,,
芸術家とかマンガ家とかそんなんじゃなくて、ただの人間を、ただ生きているという風貌だ。

azisaka : 21:52

マンガ傑作選その115

2014年01月30日

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azisaka : 12:19

マンガ傑作選その114

2014年01月25日

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「あれってカツラじゃないそうだけど、ほんとう?」
「うん。あたしこの前の慰安旅行のとき見たもん」
「えーっ!」
「いっしょに温泉はいったんだ。髪洗うの手伝ってあげたの」
「とてつもなく長いんでしょうねぇ...」
「そりゃあ長いってもんじゃないわよ。先輩の背丈のゆうに3倍はあったわ」
「ひゃあ、さ、さ、3倍!」
「シャンプーもリンスも一本丸ごとつかったのよー」
「わあ」
「乾かすのなんて、修学旅行に来てた高校生達に手伝ってもらったんだから。脱衣場にさ、羅臼昆布みたいに伸ばして、タオル何枚も使って水気をとって、その後ドライヤー全部使って一斉にゴーッて...」
「ひょわぁ、大変だったのねえ...」
「ところがそれからがまた一苦労...髪を女帝ヘアにまとめるのがそりゃあ大仕事だったわ。女子校生たちじゃあ頼りにならないってんで、仲居さんや近所の奥さん達に来てもらって総出で...」
「わあ...」
「2時間くらいかかっちゃった...」
「そうでしょうねえ...」
「あたしもう、ヘトヘトになっちゃって、そのまま宴会パスして部屋帰ってお布団に倒れ込んじゃったんだ...」
「あー、だから丸尾さんあの時、いなかったんだ...」
「うん。しかもさ、翌日は翌日で、身体のあちこちが筋肉痛で...」
「ほんとに大変だったのねえ...」
「ええ...」
「でもさ...」
「え、何?」
「たしか先輩って独身で一人暮らしでしょ?毎日どうやってんだろう、あの髪型?」
「うん。全部ひとりでやってるんだと思う」
「ぎょえーっ!」
「そこが、女帝の女帝たる所以よ...」

azisaka : 19:34

今日の絵、その32

2014年01月22日

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「で、これからどうするの?」

「どうするもこうするも、まずはほら、このコートを着なよ」

「いやよ」
「いやだってさっきから言ってるじゃないの...」

「だって、そんな格好じゃ、寒いだろう?」

「だから...何度言ったら気がすむの?」
「あたしは、寒いのがいいのよ」
「寒くしていたいのよ」

「鳥肌たって、ぶるぶる小刻みに震えてるだろ」
「唇なんて血の気がだんだんなくなってきてるじゃないか」

「だって、そうなるの当然でしょ、寒いんだから」

「お、おれなんか、下着3枚重ねの上にセーター2枚着て、その上にダウンをはおって、毛糸のマフラーぐるぐる巻いて、フサフサ耳当てのついた帽子を被ってるんだぜ、それでもけっこう寒いんだぜ」

「あら、そう」

「”あら、そう”、じゃないだろ!?」
「そんな風なおれが寒いんだから、裸の君はもっともっとずううーっと、寒いはずだろう?」

「ええ」

「凍えて死んでしまうぞ」

「ええ」

「凍えて死んでもいいのかい!?」

「いやよ、いやに決まってるじゃない」

「じゃあ、どうして?」
「どうして服を着ない?」

「ふう...もう一度だけ言うわね...これが最後よ...」
「あ・た・し・は・さ・む・く・し・て・い・た・い・の」

「な、なんでだよーっ!?」

「だって、冬だから」


と、いう感じのララさんが今回登場です。

azisaka : 22:04

マンガ傑作選その113

2014年01月16日

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azisaka : 06:53

今日の絵、その31

2014年01月12日

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ごくたまに肖像画の注文を受ける。
ありがたいことだ。
そんなときはモデルとなる人の写真を数枚貸してもらう。
できるだけいろんな角度、いろんな表情があると助かる。
それらの写真を並べて見ながら、そこに映し出された個々の風貌をみんな合わせるようにして描いていく。

何も考えずにそうしてしばらく筆を動かす。
数時間、あるいは数日たったらしだいに、それら全部に共通した芯(この漢字、いいですよね)みたいなものが現れてくる。

それがある程度うまくとらえられたのなら、その絵はぼちぼちいい肖像画になる。

azisaka : 09:22

マンガ傑作選その112

2014年01月10日

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azisaka : 08:55

マンガ傑作選その111

2014年01月04日

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ここ10年ばかり、年末年始は実家で両親と静かに過ごすことにしている。
(20代に放蕩しまくったことへのつぐないだ)

毎年のことなんだけど、彼らは、紅白だとか箱根駅伝だとかテレビを見たいが、こっちはテレビなど見たくない。
(一般の人にはわかりずらいだろうけど、すごくテレビが苦手だ)
正月は、この正月のため、読みたいのをずっと我慢してとっておいた本を読みたい。
しかし、めったにない親子水入らず...自分ひとりだけ2階にあがって読書するのも無粋なはなしだ。

父母とはできるだけ時間を共有したい。
が、本は読みたい。
正月休みの時間は限られている。

といういうわけで、居間で彼らとテレビを見ながら、本を読む、という厄介な作業を強いられることになる。
(つうか、おまえ自身の人柄が厄介なんやろう...)

「森進一は今年もまた”襟裳岬”ば歌いよらすよー」
「ああ、そうやねえ...でもやっぱりいい歌やねー」

「あーっ、この黒人の人、足ばくじいとらすごたる、棄権さすよ、かわいそかねー」
「ああ、そりゃあ、しんどかねー」

と、こんな感じの会話をしつつ、本を読む。

今回、とびきり面白かった本はというと、夢野久作の「近世快人伝」だ。
博多の葦書房という出版社が20年ほど前、その創立25周年を記念して復刻した非売品だ。
数年前手に入れたんだけど、すぐに読むのもったいないので、ずうっと我慢してとっといた。

まえがきからしてすでに傑作だ...

「筆者の記憶に残っている変った人物を挙げよ...と云う当代一流の尖端雑誌新青年子の注文である。もちろん新青年の事だから、郵便切手に残るやうな英傑の立志談でもあるまいし、神経衰弱式な忠臣孝子の列伝でもあるまいと思って、成る可く若い人達のお手本になりさうにない、処世方針の参考になんか絶対になりっこない奇人快人の露店を披(ひら)くことにした...」

これ読んで、がはははは...と笑ってしまった。
初笑いだ。

この本を読み終わったら、明治の人の気風にもっと触れていたくなり、押し入れの段ボールの中からむかし読んだ森銑三の「明治人物夜話」を引っぱりだしてきた。
読み進めてしばらくすると、正岡子規がその亡くなる前年の正月に病床で詠んだという一句があらわれた。

「大晦日愚なり元旦なほ愚なり」

これ読んで、ガツンと脳天を打たれてしまった。
初ガツンだ。

もうじき死ぬとわかっていながら、なおも成長しよう、その道を極めよう、としてるとこがすごいですよね。


azisaka : 22:56

今日の絵、その30

2013年12月27日

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あれ、カトちゃん、何してるのさ?

もお、あたしのことカトちゃんって呼ばないでよ

だって、君の名前カトリーヌだろ、カトちゃんで合ってんじゃん

ふう、しょうがない人ね...

で、何やってんのさ?

どの果物食べようか考えてたの

えーっ、うそだーっ
林檎にしようか葡萄にしようかって考えてるような顔つきじゃないよ、
何かこう、もっと深刻なことを悩んでるような...

え、何、つまりこういうこと?
果物ってのは悩むに値しない、つまらないものだってこと?

えっ、そういうわけじゃあ...

だって、そうじゃない、あなたの言い方だと、誰だってそう受け取るわ。
ことの重大さがわかってないのよ、果物がこの世界からなくなっちゃったらどうすんの?
あなた今みたいに幸せでいられる?

ううう...すみません

まあ、わかったのならいいわ、その素直さに免じてゆるしてあげる

わあ、よかった、ほっとした...
ところで、矢継ぎ早に質問して恐縮なんだけど...

何よ?

あの、なんでそんな風に、椅子の端っこのほうにちょこんと腰掛けてんの?

ふう...だって壊れちゃうじゃない

え、椅子が?

まったく...あなたって何でも一から十まで説明しないとわからないのね...
私が座ってる椅子の、赤いクッションみたいな部分があるでしょ

うん

これ、クッションじゃなくてマカロンなのよね

えーっ

無花果味よ

なんだあ、だから壊れないようにそうっと座ってたのかあ...
でも、作るの難しかっただろうなあ...

うん、そう...
まず今の時期、大量の無花果を手に入れるのが大変だったわ

無花果じゃなくて林檎とか蜜柑にすればよかったのにさ

まあ、それじゃあ、きれいな紅色が出ないじゃない

ああ、そうか発色が大切だったんだね

というより、やっぱり味ね、あたし無花果が一番好き...

あ、なんだやっぱりそうか、ぼくも実はそうにらんでた

で、ね、つぎに大変だったのがマカロンを焼く鉄板...

ああ、普通のフライパンとかじゃあ大きさがぜんぜん足りないだろうからねえ...

うん、よくよく考えた末に、むかしお好み焼き屋さんをやってた、和恵おばちゃんのこと思い出したのよ

あー、お好み焼き用の鉄板は大きいもんなあ

ええ、それで借りにいったのはいいんだけど...

うん、うん

ソースがこびり付いてて、これがなかなかとれないのよねえ...

あー、呼んでくれれば手伝ってあげたのに、そりゃあ大変だったなあ...

うん...でもどうにかこうにか鉄板ピカピカにして、うまく焼くことができたの。
丸い形じゃなくて四角にするのにも相当骨が折れたんだけど...そのいきさつはまた今度ゆっくり話すわね...

うん、楽しみにしてる。
ともかく、うまく出来上がってよかったねえ、さぞかし満足感があっただろうなあ...

ええ、とっても...でもね、それからがまた一苦労だったのよ

うん、うん

そのマカロンを椅子のクッションにするには、ただぽんと足の部分に乗せりゃあいいってもんじゃないじゃない

うん、うん

背もたれのとこを取り付けるため二カ所ばかり削らなきゃならないんだけど、うまくやらないとひび割れちゃうのよね

うん、うん、マカロンだからね、すぐポロポロって...

そう、すぐにポロポロってなっちゃうのよ...

でもこうして見ても、ちっともヒビとかはいってないや、すごいもんだなあ...見事な技だなあ

ありがとう、そう言ってくれると苦労した甲斐があるってものよ

でもさ、なんでまた、そんなもの作ろうと思ったの?

だって、ぱっと一目見ただけじゃあ、ただの椅子にしか見えないでしょう?
まさか無花果味のマカロンだとは思わないじゃない?

うん、ぜんぜん思わない

でも、言われてみれば、大きくて四角い無花果味のマカロンに見えるでしょう?

うん、見える

そこのとこが、なんか素敵だなあ、一生懸命作ってみる価値があるなあ、ってそう思ったの

なるほどなあ...

いっしょに食べる?

うん、食べる

じゃあ、お茶入れるね


と、そんな感じのカトリーヌさんが、めでたく来年のカレンダーになりました。
わあ、ほしいなあ、と思われた方は熊本のチャイナチャイナというブティックまで行ってみてください。
マカロンとか手みやげに持って行くと、余分があって気分が良ければ多分わけてくれるはずです。
マカロンではなく源氏パイとかギンビスアスパラとかそんなものでもいいと思います。


azisaka : 10:28

あられ

2013年12月24日

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年の瀬なので、今年初めて会った人の中で一番印象に残ってる人のことについて書いてみよう。
えっと...どんな人がいたっけか...うんと...えっと...
あ、そうだ昨日プール行った帰りに会ったばあちゃんにしよう。
記憶の一番上の方に乗っかってるんで、他のあまたの初対面の人々を押しのけて、ちゃっかりの第一位だ。

昨日は泳ぐ日だった。
なので一日のどこかでプールに行く予定にしてたんだけど、朝から絵を描いてたらちょうど11時くらいに、パレットに出した絵具がみんな固まってきて、新たにチューブからひねり出さねばならぬ状態になった。
これを機に一段落と、泳ぎに行くことにした。
プールがあるジムまでは歩いて5分。
(だからここいら辺りに引っ越して来た)

いつものように3千泳いで、晩ご飯の買い物して、パラパラ霰(あられ)が降る中を家路についた。

ジムと家のちょうど中間くらいのところで、前方から小走り、と、よろけながらを足して二で割ったような足取りで、小さなばあちゃんが近付いてきた。
ゲートルみたいなものを足に巻いてほっかむりをしている。
3人でやるくらいの路地裏の水道管工事、その交通整理に小さな旗もって立ってるようなおばあちゃんだ。

この感じは、ただ行き交うだけではなく、何か話しかけられるな、と思った。
案の定、下克上、矢吹ジョー、ばあちゃんは、目の前まできてちょこんと立ち止まると「今、何時ぐらいですか?」と聞いてきた。
時計も携帯も持ち合わせていなかったので、「すみません、ちょっとわかりません...」と言おうとしたけど、家を出てたのが11時ちょっと過ぎで、それから3千泳いで、買い物して今ここにいるので、おおよそ1時くらいだろうと推測し「だいたい1時くらいだと思います」と返事をした。
ばあちゃんは「ああ、どうも...」とお礼を言って大きな通りの方へ立ち去った。

家に帰って炊飯器についてる時計を見たら1時40分だった。
なんでかそいつは30分進んでるので、今は1時10分というわけだ。
おお、さっきばあちゃんに告げた時間はけっこう正しかったのだと安心した。

最近は道を歩いててもめったに人に話しかけられない。
みな時計か携帯持ってるので時間を聞くことはないし、スマホ持ってるので道を尋ねる必要もない、タバコ吸わないので火を貸してもらうこともない。

そんな風なので、たまに知らない人から話しかけられると、なんだかうれしい。
それが、霰降る寒い空の下を働いているような人であれば、なおさらうれしい。

azisaka : 00:58

マンガ傑作選その110

2013年12月19日

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azisaka : 07:07

マンガ傑作選その109

2013年12月17日

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この他、夜目嫁の昌子さんとか嘔吐夫の芳男さんとかいそうですけど、みんなちょっと距離をおいていたい感じですよね。

azisaka : 06:37

今日の絵、その29

2013年12月15日

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チラシだとかDMだとかの仕事をもらって、それ用に、相手の心を慮りながら絵を描いて、写真とってもらって印刷所にまわした後、「うひひひひ...」っていう感じで少々にやけながら自分の好きなようにその絵を描きなおす、っていうことに勝る喜びがあろうか、いやない。

という感じで前回の絵を描き直したのが上のやつです。
インポートの服や雑貨を扱うブティックの年賀状の女の子が眼帯してたらちょっと変ですもんね。
眼科の年賀状とかだったらいいのか、っていうとそれもちょっと違う感じだし...

おっと、そんなことより、HPのアクリル絵画作品コーナーに去年やった個展「クミン」で展示した作品42点を追加しました。
今見ると、「なんでここで筆を置いちゃったんかなあ...」と、少し落胆してそのほとんどすべてに手を加えたくなってしまうんですけど、んなことやってたららちがあかないので「道は長いが、まあ、ちょっとずつは進んでるみたいだ...」と受け入れて見て見ぬ振りして別の絵にとりかかるとばい。

azisaka : 07:48

DOCLOLA(その9)

2013年12月13日

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こんな季節に、こんなとこで、そんな格好で寝てたら風邪引くよ

あら、いいのよ、あたし寒さには強いから

ったって、雪の上にパンツ一丁じゃあないか

いいのよ、タイツはいてるし、それに髪が長いから

ふうん...でも、そのパンツかっちょいいね

そうでしょ、白色のジャキーンってした模様、あたしがつけたのよね

へえ...おいらも、そんなジャキーンってした模様がほしいなぁ

ふふふ...

あのね

うん

実はね、これ布みたいだけど、毛皮でできてんのよね

え?何の?

野うさぎよ

!!!

さ、さてはおまえだなーっ!
おれらの仲間を捕まえて毛皮にして売りさばく女マタギ、獅子内サクラは!

ふふふ...気付くのが遅いわよ、うさぎちゃん

わーっ

観念しな

ー ー ー ー ー ー

サクラーっ

サクラーっ

早く起きなさーい、塾遅れるわよーっ

あ、母さん...わたし...また変な夢見ちゃった...

azisaka : 08:36

マンガ傑作選その108

2013年12月11日

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azisaka : 09:09

デジムナーその13

2013年12月10日

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azisaka : 07:10

今日の絵、その28

2013年12月08日

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馬鹿げた法案が可決されちゃいました。
うなだれてる時、いかした文章読みました。
大学で政治学をおしえてらっしゃる岡田 憲治さんがブログに書かれたものです。

以下、勝手ながら紹介させていただきます。

2013年12月7日土曜日

祭りの後にするべきことについて 〜大切なこと3つ〜


 デモクラシーと憲法の根っ子をダメにしかねない法律が昨日成立した。ものを書く人間にとっては、昨日までの世界と今日からの世界が変わってしまうほどの大変なルールの変更がなされてしまった。怒りと情けなさと失望で少々無口になりかけている。多くの友人たちが元気を失っているようにも感じられる。当たり前だと思う。それが自分の頭でものを考える者たちの普通の反応だ。
 しかし、この2週間あまりの日々に、何かがおかしいと思い始めた人々が急速にその気持ちを増幅させていき、街頭に出て、立ち話をして、キーボードを打ち、人差し指で文字を送り出し、危険を伝え合った。大変な数の人々が肉体を動かして、「おかしなことになりかけている」と声帯を震わせた。日比谷公園に、ものすごい数の人々が集まった。永田町周辺も、どうにかしたい、なんとかしたいという人々が集まった。そこには大きな高揚感があったと思う。
 私たちのほとんどは、職業政治運動家ではないから、軍隊のような行進はできない。だから、怒りと憂慮でこわばる心を緩(ゆる)めるように歌い、話し、歩き、呼びかけ、声を出す。それにはいくばくかの祝祭的要素が必ず含まれている。そうでないと生きていけないからだ。それを見て「絶叫はテロだ」と自称職業政治家が言った。そして人々の心をこわばらせているのが自分たちだということを等閑に付し、なおも人の気持ちを縮こまらせようとした。
 だから言い返した。祭りで何が悪い。祭りは、人間の無力をサポートする何かを呼び起こすのだから、力を得たい、なんとかしたいと思う者は祭りをするのだ。「祭りなどくだらぬ」と、過去に生きた人々、今を生きる人々、未来の人間に貴方は言えるか?世界を畏怖する以上、私にはそんなことは言えない。言えるはずがない。
 しかし、祭りの高揚感の後には「心の二日酔い」がやってくる。昨日はよく呑んだなぁ、久しぶりに聞こし召しましたなぁ、ああ、もうしばらく酒なんかのまねぇぞなどと、脱力している。酔って口に出してしまった死ぬほど恥ずかしい言葉が鈍頭痛の合間をぬってハウリングする。心のある部分が開いてしまい、制動されそこなって、呆然とするような振る舞いをしたことも、古いモノクロームの映画のようにフラッシュバックしてくる。疲れた身体でつぶやく。
 
 「ああ、なんかが終わっちゃったなぁ」と。
 
  終わってなどいない。世界は「まだ」ギリギリで何も変わっていない。

 何も終わってはいない。これから始まる。私たちは、自由にものが言える世界をすでに疑う余地のないものと高をくくり、冬の日向ぼっこをしながら享受できると思い込んでいたが、そうした世界は「ものを言い続けなければ保つことができない」ということに気がついたと思う。あんな安易に、あんなにあっさりと、あんなに短い時間で、自由にものを言い、自分の頭でものを考えるための基本のルールが変更されてしまうのだということに気がついたと思う。しかし、途方に暮れている。で、どうすりゃいいの?と。
 
 だから私はここで、祭りの後に何をしたら良いのか、でもじゃあどうすればよいのか、そんなこと言われてもと途方に暮れている友人達に伝えたい。祭りの後の気だるさと脱力の中で何をするべきかを共有したい。

 大切なこと「その一」

 少々ささくれ立った「怒り」を、やや温度の低い「鋼(はがね)のような意志」へと変形させて、それを長く継続させる方法を習慣化させよう。ハートは熱く頭はクールに。
 そのために暮らしの中で感じた「異変」、「奇妙な変化」をひたすら記録しよう。

 「実におかしなことになってしまったではないか」という気持ちを持続する方法を考えることが必要だ。人間は全員上手に忘れる生き物として創られている。それは人間が様々な苦悩の中で完全につぶれてしまうことを防ぐ装置だが、同時に加速度を付けて過去を「既成事実(すんでしまって今さらどう仕様もないこと)」へと決めつけてしまう厄介なものだ。
 忘却し「ああ、あったよねぇ、秘密保護法、チョー盛り上がったよね」となり易い私たちを、どこかでせき止めるための工夫を考えねばならない。
「今までは問い合わせれば教えてくれたことを教えてもらえなくなった」とツイートする。
「調べものをしても、肝心な情報が出てこなくなった」とメモする。
「福島第一の様子が変だとツイッターが言っているけど情報が出ていない」とFBに書く。
「酷いことが起こっているのに、何故か皆が無口になっているような気がする」と話す。
 SNSは、日々の記録をデータベース化させるのに絶好のメディアであり、記憶装置である。

  大切なこと「二」
  
「あいつが悪い」と言う代わりに「こいつは我々の力になる」と言って友人を探そう。

 大切なことは、大きな悪の根源を「あいつのせいだ」としないことである。巨悪は、巨大なる悪を懐に抱えた強靭なる悪人によってもたらされるのではない。巨悪は、我々の怠惰と迂闊と油断を素とする小悪と微悪が集積してできるものである。だから「アベイッテヨシ!」と溜飲を下げるのは、明日に結びつかない迎え酒である。悪夢のようなアベは、七変化となって後から絶え間なく立ち現れる。そして、それは我々自身の何らかの幻影かもしれない。
 「あんなデタラメな法律に投票した自公と裏切り者のみんなの党と維新は許さん!ではなく、我々のボロ議会にも、議会人の良心を必死に維持した者たちがいたよ」と言い換える。
 「掲示板やツイッター見てるともう反吐がでそうなネトウヨがいる。あいつらは人間じゃないよ!ではなく、自分の頭でものを考えている人たちが他にもこんなに大勢いるではないか」と再確認してみる。
 「どんな時代どんな問題においても、問題があることすら気がつかない悪意なき人々が3割は存在するのが人間の世界であるという健全なペシミズムを持って」、諦めるのではなく「落ちついて」みる。
 「マスゴミという大雑把な言葉は捨てて、自分で考えたり、ものを書いたりする者はみな我々の友人足りうるのだから、横並びの関係で悪口を言うのはやめよう」と決心してみる。
 「だからあの時あれだけ言ったではないか!という口上は、後になって問題に気付いた友人達には決して浴びせず、一緒にもっとたくさんの友人に知らせよう」と誘ってみる。
  我々は闘う相手を間違えてはいけない。つまらない内ゲバは力を低下させる。
 「バカ」と言わずに、でも、それでも言いたかったら「残念です」と言い換えよう。

 大切なこと「三」
 「あっという間に3年ぐらい経ってしまう」という当たり前のことを思い出そう。
 今から3年前がどれだけ近い過去であったかを思い出した時、衆議院の任期満了が瞬き2回ぐらいでやって来ることに気がつく。3年前の2010年12月とは、震災の数ヶ月前である。暦の上「でも」もうディッセンバーと、裏声で歌ってみる。もう選挙は始まっていると考える。
 これほど迂闊で、粗雑で、杜撰で、前のめりになっている政権は、今日から任期満了になるまでに、必ずいくつかの致命的な過ちを犯す。議会が解散されないという保証も無い。
 ワールドカップを見て元気がついたら、次の選挙は目前である。人生は速い。

 まとめてみる。
 「おかしな出来事を記録する」
 「罵らず、友人を作る」
 「チャンスはすぐにやって来ると信じる」

  祭りの直後に、これだけのことを生活において習慣化すれば、我々は必ず世界を修正できる。ただし、やり「続け」なければならない。私は、今日からそれを始める。多くの人のおかげで高い教育を付けてもらった。だから恩返しのためにも頑張る。

2013年12月7日

以上です。

azisaka : 08:59

マンガ傑作選その107

2013年12月05日

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azisaka : 08:26

今日の絵、その27

2013年12月02日

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みなさん、こんにちは。
「特定秘密保護法案に反対する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会(略称:表現人の会)」公式サイトが本日公開されました。

声明文が書かれており、その趣旨に賛同する人を広く募集しています。
条件は、「声明に賛同する」ことと、「あなた自身が、何らかの表現者」であること。
プロ・アマ・経歴・国籍は問わないとのことです。

さっそく、賛同しました。
関わりのある方はぜひ。

表現人の会・公式サイト

azisaka : 16:02

マンガ傑作選その106

2013年11月30日

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前回に引き続き”石畳もの”です。
杵築には杵築衆楽観っていう大衆演劇の芝居小屋があるんですけど、そこの売店で売られてる杵築紅茶のソフトクリームがすごくうまい。

ひさしぶりに今回の曲
「お富さん」桧山うめ吉
うめ吉姉さんは落語芸術協会所属の俗曲師。
この声と歌い方、とってもいいですよねーっ。

azisaka : 12:29

今日の絵、その26

2013年11月25日

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「こうちゃん、このコ可愛いけど、態度が横着やん!」
「カレンダーって一年中飾っとかんといけんっちゃけんさ、もうちょっとやさしい仕草をしとかんと...」
と、見るなり即座にいわれ、ボツになってしまったのが上の絵です。

横着なのは態度だけで、繊細でやさしい、いいコなんだけどなあ、ほんとうは...
しまったなあ、去年に続いてまた描きなおしかよおぉ...

azisaka : 12:25

マンガ傑作選その105

2013年11月24日

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石畳といえば、真夏のパリの石畳って、強い日差しを受けて巨大な魚の鱗みたいにぬめぬめピカピカ光るんですけど、ありゃあ好きだったなー。
汗や唾や血や涙、犬の糞尿やワインや香水、長い年月、いろんなものを内に染み込ませてるんで、放つ光がそりゃあとっても濃かった。
住んでたベルヴィルから レピュブリック広場へと続く長い坂をずんずん下って行ってると、その光に下から照らされ、どんどん力が湧き出てくるようだった。

azisaka : 08:16

マンガ傑作選その104

2013年11月21日

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とってもよくある展開なんですけど...
でもこういうのって、傍で見聞きする分はちょっと身体があったまりますよね。

azisaka : 07:03

デジムナーその12

2013年11月18日

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むかし、サンハウスっていうロックバンドが博多にあったんですが、何年か前、再結成されて全国ツアーをやりました。
そのときのTシャツと垂れ幕のために描いたのが上の絵です。
真ん中が柴山俊之で右下が鮎川誠。
みんななんとなく似とるっちゃん。

azisaka : 06:51

マンガ傑作選その103

2013年11月16日

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温泉って、ほんとにいいですよね...

azisaka : 07:16

今日の絵、その25

2013年11月10日

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パソコンとかのデジタル画面見続けた後すぐ眠りにつくと、頭がギスギスしてて寝付きも夢見も非常に悪い。
それでたいてい寝る前、数十分、数ページ、スケッチブックに2B鉛筆で思いつくままに落書きをする。
落書きしてると、なんというか、頭が自然な状態になってくる。
そうするとすんなりすやすや眠りにつくことができる。

さて、そんな風にしてできた落書きの絵が何枚もある。
しばしばそれを元にしてアクリル画を描く。
上の絵なんかがそうだ。
なんか目がチカチカするけど...

あと、このHPのトップページの絵が一昨日から冬用に変わりました。
筑豊のヤンキーたちの抗争を描いたものです。

azisaka : 09:31

マンガ傑作選その102

2013年11月08日

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azisaka : 07:55

マンガ傑作選その101

2013年11月06日

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ゴミ出しって、ただゴミを出すだけなんですけど、疲れてる時ってほんとうにおっくうですよね。

ゴミを出しといたらだいたい眠りにつくころに、ガガガ...と収集車の音がして、オーイとかハァーイとか作業員の人たちの掛声が遠くの方から聞こえてくる。
それが子守唄になる。

azisaka : 09:23

今日の絵、その24

2013年11月03日

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パパーっ!

え?

パパ、パパでしょう?

ぼっちゃん、良く見てご覧、私は君のパパではないよ

だって、園長さんが...園長先生が、ぼくのパパはドクロのマスクを被った人だって...

ああ、そうか...君は自分のパパに会ったことがないんだね...
でもね、ぼっちゃん、ドクロのマスク被った人って、世の中にはけっこういるもんだ...

あ、赤いマスクだって!
ドクロのついた、赤いマスクだって...
おじちゃんのは、ドクロで赤いじゃないかーっ!

あーっ、だめだよひっぱっちゃ...ううむ...

それに...

それに?

左の胸に十字の形の傷跡があるって...

え?
...ぼっちゃん、いいかい?
園長先生は確かにそう言ったんだね?
「左の胸に十字の形の傷跡がある」って...

(少年うなずく)

おお、息子よ...

パパーっ!

(リング上でふたり抱き合う、観客席からは盛大な拍手...)

しばらくして、拍手が鳴り止むとともにこの曲がかかる

azisaka : 08:05

マンガ傑作選その100

2013年10月29日

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ずいぶんとむかし、ププっていう名の女の子が主人公の4コマ漫画を福岡のタウン誌に連載(後で単行本になった)してたんですけど、今回はマンガ傑作選100回記念ということで、久々にそのププが登場する新作マンガを描き下ろしてみました。

azisaka : 17:10

DOCLOLA(その8)

2013年10月23日

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えーっ、やだなあ、ひさしぶりに会ったのに...ていっても三日ぶりだけど...何で怒ってんのさ?

怒ってなんかいないわよ

いやあ、そのたたずまい...くぼんだ眉根、への字に結んだ口、いからせた肩、かたく閉じたひざっ小僧...どー見たって怒ってる、憤慨してる、ぷんぷんしてる、とさかにきてる...

怒ってないってば

じゃあ、証拠見せてくれよ

あーん、あなた証拠なんてもんがないと、あたしの言う事が信じられないの?

いやあ、そういうわけじゃ...

だったらどういうわけよ

なんかさあ、言葉以外にも、なんかさあ、具体的なさあ...目に見えるものがさあ...

あいかわらず、ちっともはっきりしない人よねえ、あんたって

ごめん、ごめん、ほんとにごめん

...ったく

チュッ

これでどう?

わあ,,,

何よ

ニ、ニラの臭いが...

あーっ、そうなのよーっ、さっきのお昼、無性に餃子が食べたくなって、材料あったんで、ぱぱっと20個作ったのよーっ

あー、食べたかったなー、おれも

それでね、半分は焼いて、半分は水餃子にしようと思ったの

うん、うん、妥当なかんじだな

最初は、焼き餃子にしたの...おいしかったなあ...

あー、いいな、いいなー

ところがさあ、焼いたの食べ終わって、水餃子を作ってたら、電話がかかってきたの...

あー、それ、おれだー、久しぶりに、っていっても三日ぶりだけど、きみの声を無性に聞きたくなったんだよなー

うん、そう、あんたからの電話...あたしうれしくって...

30分くらい話したよなあ...

うん、30分くらい話した...けっきょくあんた午後のバイト安んでここに来ることになって...うれしかったなあ...

うん、そうそう、それでおれ、今ここにいる

で、電話を切って、はっと気がついたら、、餃子ぐちょぐちょじゃないのよーっ!
食事時に電話かけてくる男なんてサイテーよーっ、まったくーっ

あーっ、それで怒ってたのかーっ

怒ってないってーっ


って、怒ってんのかうれしいのかよくわかんない、台湾出身のミンちゃんが今回登場です。


azisaka : 21:35

マンガ傑作選その99

2013年10月22日

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azisaka : 12:19

今日の絵、その23

2013年10月21日

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ママン、ママン、ママン、マンゲツ
母さん、今宵は満月だ
妹がジョニーの子を孕んだ
これからそっちへ連れて帰る
ジョニーあいつは流れ者
こいつを幸せにはしやしない

ママン、ママン、ママン、マンゲツ
母さん、今宵は満月だ
弟がキツネの実を食べた
これからそっちへ連れて帰る
キツネあいつはいかさま師
こいつを幸せにはしやしない

ママン、ママン、ママン、マンゲツ
母さん、今宵は満月だ
ぼくはきれいな人に出逢った
これからそっちへ連れて帰る
きれいな人は貧しい人
ぼくらを幸せにするはずだ

ママン、ママン、ママン、ママンゲツ
ママママ マッシャローナ
タリラリラララー
ははははーん

と、でたらめな歌を歌いながら運転するケンジくんと、それを聞いて「兄ちゃんの歌、へんてこだなぁ...つうか、ジョニーって誰よ?」と思ってる妹の史枝ちゃんが、今回登場です。

azisaka : 13:58

マンガ傑作選その98

2013年10月18日

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この他、
「明日の参観日、おれは行けないけど、代わりに息子が行けるから」
「おお、SON CAN 日!」
っていうのもあります。
どちらも、さほどおもしろくなくてすみません。

azisaka : 07:24

向井先輩

2013年10月16日

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小3の時、
遠足に持って行くおやつはたしか300円までだった。

昭和の真ん中、がきんちょにとって300円といったらたいそうな額である。
それを一度に菓子につぎこむことができるというのだから一大事だ。

当時のいなか町のこと、菓子の種類も商店の数も今みたいに多くはない。
どこにどんな菓子がどんな値段で売られているのか、子供らはみな一様に通じている。

他人と同じようなものを買ったのでは面白くない。
しかし、食いたいものは皆似通っている。
手持ちの金も菓子の種類も限られている。

どんな菓子を選んで買ってリュックにつめるのか。
与えられた条件の中でいかに己が”おやつ選択”能力を発揮するか...
それは、小学生がまだつるっとした額に皺よせて真剣に考えねばならぬ重大事のひとつだった。

選んだ菓子の内容によって、その人間の器量が計られるのだ。
算数が上手とか、鉄棒が上手とか、ものまねが上手とかいうのと同じくらい、おやつ選びが上手というのは子供に高い価値をもたらした。

このような訳なので遠足の前日は、当日に比べても遜色ないくらいの特別の日だった。
自己を世に認めさせる格好のチャンスとばかり目を血走らせ、小坊どもが駄菓子屋やスーパーを駆け回った。
そんな彼らの熱気で小さな町の夕刻はいつになく大いに活気づいた....


と、その時分の状況説明がずいぶん長くなっちまったぜ、すまん。

これから本題に入ります。

さて、その年(つまり小3の時)の秋の遠足のこと。

どうゆう経緯かまったくもって忘れたが、なぜだか弁当の時間、同級生5、6人に加え5年生の先輩がひとり混じっていた。

秋空の下、わいわいみんなでおしゃべりしながら弁当を食べた。

弁当を食べ終わった。

いよいよ、おやつの時間である。

みないっせいにおやつ袋を取り出し中身を広げた。

「ふん、ふん、おまえは菓子そのものより、おまけを重視したのだな...」
「ほほう、おれも同じやつを買おうとしたが、おとつい入荷の新しく出た味の方にしたぜ...」
「うううっく...箱入りクッキーの一点もので勝負か!」
「けっ、君は勉強はできるがおやつ選びについては劣等生だな...」
「じゅ、十円の駄菓子を30個!!!」

と、こんな風にやってたらなぜか、3年生の中に一人混じってた5年生の向井先輩が、持ってきたおやつを黙って静かに取り出した。

彼は中肉中背中顔中力、勉強も運動も飛び抜けてできるわけじゃないし、服のセンスがいいわけでも、話しが面白い訳でもない。
どっちかといったら目立たない、どうでもいいような先輩だった。

その、どうでもいい向井先輩、
なぜだかひとりだけ3年生に混じって弁当食べてた上級生、
彼のおやつが、すごっかった。

「おおおおおおおーっ!」
「そうか、そんな手があったのかーっ!」
「こういう選択もありなのかああああ...」
「5年生というのはなんて大人なんだ」
「ううううう、うまそうだーっ」
「おみそれしましたーっ」

そこに居合わせた3年全員がほんとうに感心してしまった。
ほんとうに感心してしまったので、その出来事だけで、その先輩の名前も顔も、今だにはっきりと憶えている。
そうであればこそ、わざわざこの機会にこうして彼のことを書いているのだ。


向井先輩は、なんと「さんまの蒲焼きの缶詰」を、”おやつ”として持って来ていた。

持参した缶切りでゆっくりと開けて、指で摘んで、あーん、ぱくん...
そりゃあうまそうに食べた。

その様子をぽかんと口開けて見つめながら、自分らの手にするチョコやクッキーやポテトチップスが、ものすごくちゃちなもの見えてしまった。


向井先輩についての想い出はそれだけだ。
彼の、缶を切る手つき、手元を見るまなざし、さもおいしそうに頬張る表情、いまでもありありと思い出すことができる。
けれど、それ以前も、それ以後も、彼についての記憶はまったくもって残っていない。

今頃どこでどうしてるんかなあ...
おやつ選びの才能は彼の人生の中、どこかで役にたったんだろうか...

さんまの蒲焼き缶詰食べる度、そうでなけりゃあ、ちょっとした機会、こんな風にひょっこりと彼のことを思い出す。
思い出したら、こころの端っこに花が咲く。
美しくもないし、香しいわけでもない、向井先輩と似た、どうってことのない花が咲く。

どうってことない花なんだけど、その花びらで、こころはやさしく撫でられる。

azisaka : 09:06

マンガ傑作選その97

2013年10月14日

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azisaka : 22:16

マンガ傑作選その96

2013年10月11日

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数年前、博多は長浜の有名店でラーメン食べてたら、入って来た初老の男が、のれんをくぐるなり「生!」といってテーブルについた。

その深みのある声に一瞬気をとられた。
けど、「ははん、おっさん、ここには瓶ビールしかないぜ」と心の中でつぶやきながら、また自分のラーメンに集中して食べ続けた。

が、数秒後、はっと気がついた。
つうか、どっからどう見てもこの店の常連であるその男のたたずまいが、否が応でも気付かせた。

”生”とはビールのことではなくて、麺のことなのだ。

「やわ!(柔茹で)」とか「かた!(固茹で)」とかいう注文はラーメン屋にいれば普通よく耳にする。

しかし、「なま!」は初めてだった。
けっこうおったまがった。

間もなく、男は運ばれてきたものを無表情で、ズバズバすすって食べ始めた。

これは、言うなればラーメンの刺身みたいなもんだ。
紅しょうがなんかより、本わさびとかがふさわしい勢いだ。

うまいんかなあ...
彼にはきっとうまいのだろう。

azisaka : 21:33

マンガ傑作選その95

2013年10月10日

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azisaka : 14:36

今日の絵、その22

2013年10月09日

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こんな朝早くどこ行くん?

猫をさがしに

いなくなったん?君の猫...

ううん、あたしのじゃない
あたしは、猫と暮らしてない

じゃあ、誰の猫?

私の猫

え?

私が今から暮らす猫
竹林の中へさがしに行くの

雨が強く降ってる

ええ、だから、ちょうどいいの
こんな風な朝には竹林で子猫がにゃあにゃあ泣いてるものよ

ふうん、そんなもんかなあ

そんなもんよ

あなたもいっしょに来る?

いや、ぼくは行かない

じゃあ、せめて名前をつけてよ、私の猫に

うん、わかった、ええと...
モロ

モロ?

うん

いい名だわ、ありがとう

azisaka : 15:12

マンガ傑作選その94

2013年10月08日

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azisaka : 07:04

マンガ傑作選その93

2013年10月07日

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azisaka : 06:26

グループ展のお知らせ

2013年10月05日

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今日から始まるグループ展に、絵箱5つとアクリル画を2枚出品しました。
(あ、上の絵は展示作品とは異なります)

今回の展示は「少女採集」という名なので、それにふさわしい作品をいくつか持って行きましたが、もしこれが「子猫保護」だったり、「おっさん生捕り」とか名のついたものだったら、それはそれでそんな絵を持って行ったと思います。
(後者はあんまし見たくないでしょうけど...)

詳細は以下の通りです。
「少女採集 vol.4」
会場 ギャラリィ亞廊
期間 2013年10月5日(土)~27日(日)の金土日月曜日のみ
営業時間 13:00~19:00(月曜のみ13~17時) 
※12日(土)のみ16時まで
入場無料

アジサカの他10名が展示していて、そりゃあ見応え十分です。
弁当とか持って、ピクニック気分で乗り込もう!

azisaka : 08:53

マンガ傑作選その92

2013年10月04日

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azisaka : 07:54

マンガ傑作選その91

2013年10月03日

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azisaka : 08:00

今日の絵、その21

2013年10月01日

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「あれー、みょんちゃん、そんなとこでひとりぽっち、なにやってんのさー?」
「海、見てるふりしてるの」
「えーっ、せっかく海へ来たのに、見るふりだけかい?もったいないなー」
「あら、そうかしら」
「うん、ぜったい損してる。海へ来たんなら、ふりじゃなくてさ、ちゃんとしっかり海見ないと...」
「ふうん、そうかあ...」
「そうそう、そんなのあたりきしゃかりき!そうしてさ、できればその上さらに、裸足になって足をつけたり、飛んだりはねたりしてスカートの裾濡らしたり...そんなことするのさ」
「まあ、驚いた。あなたってやけに海に詳しいのね...」
「いやあ、普通、普通、いたって普通...そんなのだれでも思いつくことだよ」
「ああ、そんならあたしは普通ではないのかしら...」
「え?」
「ねえ、わたしって、普通じゃないのかしら?」
「ぼ、ぼくも、普通のこと、まじめに勉強したわけでもないし、かといって生まれながらに普通の才能があるわけではないんだけど、でもさ,,,」
「でも、何?」
「うん、ほら、あのさ、えっとさ...みょんちゃん、みょんちゃんったらさ、今、服着てないじゃん」
「ええ」
「丸裸にゴム長履いてるだけじゃん」
「ええ」
「今はもう10月で、夏みたいには暑くないだろう?」
「ええ...でも私はとっても寒さに強いのよ」
「うん、そうかも知れない...でもさ、季節とか気温とかそんなこと考慮にいれないとするじゃん」
「ええ」
「ほら、太陽さんさんの真夏だって、ふつう、普通だったらさ、人前では服着るだろう?」
「ええ」
「海辺でだって、まあ、水着は着るよね...だって普通だったら恥ずかしいもの」
「あら、あたしはちっとも恥ずかしくはないわ」
「で、でも、ぼ、ぼくは恥ずかしいぞ」
「え、あなた服着てるのに?」
「いや、ぼくじゃなくて、君が裸で、それを見るのが恥ずかしいのさ」
「あらあ、それじゃああたしを見ないふりして、海を見てるふりしなさいよ」
「え?」
「ふたりして仲良く海を見てるふりするのよ...」

ギーヨ、ギーヨ、ギーヨ....

「わわわわ、な、なんだー?」
「怖がらないで、あれはカモメっていう鳥よ...」


と、そんなみょんちゃんが、今回登場です。

azisaka : 21:14

マンガ傑作選その90

2013年09月28日

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樹々が色づきはじめ、秋個展「いかさマリア3」もとうとう残すところたったの2日になりました。
本日28日(土)はロンドに、明日29日(日)は亞廊に、いずれも13:00くらいから19:00くらいまでおります。
気が向くようでしたら、どうかみなさん、ぜひ足を運んでいただければ幸いです。

なお、個展会場などの詳細は、お手数ですが8月26日付けの記事をご覧になってください。

azisaka : 07:46

曇り空味のボンボン(1)

2013年09月25日

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10年くらい前、パリはサンマルタン運河沿いのギャラリーで個展をやった。
とても評判になったフランス映画「アメリ」で主人公が石投げしてたとこのすぐ近所だ。

展示して何日かすると、一番大きい絵を買いたい人がいるという連絡がオーナーからあった。
なんでも近所に住むお金持ちで美術品のコレクターらしい。
電話片手に「うよっほーっ」と小躍りしたが、聞けば「現金ですぐに支払うから一割負けてほしい」とのこと。
咄嗟に「申し訳ないがあれは既に売約済みだ」と断ってしまった。

別に格好つけてるわけでも、ゆとりがあるわけでもないんだけれど、何だかいやな気がした。
冬の間苦労して描いた絵を、札束ひけらかしているような横着な人の手に渡すのは気が引けたのだ。(今じゃそんなことしないけど...)

翌々日には、別の人からメールがきた。
会場に置いていたチラシで見るか、オーナーに聞くかしてメルアドを知ったのだろう。

「ひとつ絵を買いたい。しかし個展が終わるまで待てないのですぐに引き取りたい」と書いてある。
まだ始まったばかりで3週間も会期が残っているというのに、そんなことできるわけがない。

まったくパリジャンってのは、どいつもこいつもなんちゅう身勝手なやつらなのだろうと、つくづく思った。

数日後、会場にいると、件のお金持ちがやってきた。
今度は別の、中くらいの絵を買いたいと云う。

話してみると、自分も絵を描くそうで、並んでる絵の感想を長々と語ってくれた。
初対面の人に、このように熱心に自作の絵について批評してもらうのはそれが初めてだった。
己の審美眼に自信たっぷりなところや、妙にくねくねした身振りが気になる他は、礼儀正しい好感の持てる人であった。

大きな絵がよほど気に入った様子で、手に入れることができず非常に悔しがっていた。
けれど今更ほんとうのことも言えず、とてつもなく後悔した。

彼が立ち去ってしばらくすると、もうひとりの”身勝手”野郎がやってきた。
メールではわからなかったが、野郎ではなく、黒髪の美しい女性だった。

欲しいと思う絵は女の子がちょこんと椅子に腰掛けてるやつで、たまたま通りがかりに立ち寄って見てとても気に入ったのだそうだ。
夫婦で古着屋をやって生活していて、絵なんて買うのは生まれてはじめてのことらしい。

貧乏暮らしで一人ではきついので、友人らとお金を出し合って買い、きれいに包んで、夫の誕生日にプレゼントするのだという。

その誕生日というのが2日後なのだ。

そのような訳なら仕方がないと、代金と引き換えにその場で絵を渡すと「メルシー、メルシー」と何度も繰り返した。
そうしてバッグから一枚の写真をとりだした。
「私たちの娘よ...」
見ると驚いたことに、その子は彼女が買ってくれた絵の女の子にそっくりだった。

さっきのムッシュといい、このマダムといい、会って話してみれば心の温かい良い人で、身勝手で横着なのは自分の方だった。

毎日描いてれば、そりゃあ絵は少しはうまくなろうが、人間の方はちっとも上達しないな...とひとしきり頭を垂れた。

azisaka : 08:51

マンガ傑作選その89

2013年09月24日

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azisaka : 16:45

今日の絵、その20

2013年09月20日

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みなさん、こんにちは。
ただいま秋個展「いかさマリア3」が好評開催中です。

明日21日(土)はロンドに、明後日22日は亞廊に、いずれも13:00くらいから19:00くらいまでいる予定です。
もしも個展会場にいなくても、自転車で10分で帰れるほどの近辺にはおりますので、どうか遠慮なく呼び出してください。

なお、個展会場などの詳細は、お手数ですが8月26日付けの記事をごらんください。

azisaka : 15:10

「ニッポンの嘘」上映会のお知らせ

2013年09月17日

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「なんね、あんた知らんとね、知らんならぜひ見に行かんばいけんよ」
と、姉貴分の友人に誘われて見に行った写真展がとてつもなく良かった。

ピカドン、三里塚闘争、安保、水俣、祝島...戦後日本の状況を現場の最前線で撮り続けてきた報道写真家・福島菊次郎の写真展だ。
彼のことをもっと知りたくなり、会場で売られていたその書き下ろし、3冊の分厚い本を買った。

うち一冊の表紙に白いシャツを着て背中を丸めしゃがみこんでる男と、その男の頬を舐める犬の写真が用いられていた。
男の額も犬の額も、とても深い悲しみを宿していて、「なんという写真だろう」と最初見るなり強く印象に残った。

本を読み進めていくうちにわかったのは、その男が広島に落とされた原子爆弾の被爆者、中村杉松さんであること、福島さんは20年に渡り彼とその家族の生活、家庭が崩壊していく有り様をずっと撮り続けていたということだ。

原爆症による病苦と貧困がいかにすさまじいものであるのか、それを見捨てる行政がいかに血も涙もないものであるのかが力強い筆致で綴られている。

以下、「ポチとの別れ」と題された文章。

 「ある朝、中村さんが暗い庭先で飼犬のポチを抱きかかえるようにして何か呟きながら頭を撫でていた。司君が子犬を拾って帰り、もう三年余り飼っている雑犬だった。
 いつもと様子が違うので「どうしたのですか」と聞いても、中村さんはうつむいたまま返事もしなかった。そばにしゃがんでポチの頭を撫でながら、もう一度、「何かあったのですか」と聞くと、中村さんは急に声を上げて泣き始めた。
「保健所が犬を連れに来るんじゃあ。生活保護を受け取る者は犬も飼えんのんかぁ。若造に馬鹿にされて悔しうてならんよのう。福祉課の奴は人間じゃあないよぉ」と肩を震わせた。生活保護を受けて犬を飼っているのを問題にされ、鑑札を受ける金もないので保健所が連れに来ることになったのである。ポチは自分に迫った運命も知らず、尻尾を振りながら中村さんを慰めるように、涙に濡れた顔を舐め続けていた。
 ポチは中村さん一家の悲惨な生活を慰めてくれる唯一の存在だった。とくに中村さんにとっては、子どもたちに背かれて次々と家出される失意の病床生活を慰めてくれる、かけがえのない伴侶だった。暗い軒下の炊事場にしゃがんで七輪でお茶を沸かしているときも、外の便所に立ったときも、ときたま奥さんの墓や役所に行くときも、ポチはいつも中村さんを守るように後をついて歩いた。
「生活保護家庭に犬を飼う余裕があるはずがない」と決めつけられれば、仕方なくその〈指導〉に従うほかない受給家庭の悲しさと怒りに、中村さんは体を震わせているのだった。
「何時頃連れに来のですか」と聞くと、息を弾ませながら「もうすぐ来るんよ」と、追い詰められたように家の外に目を走らせた。保健所が犬を連れに来る時間が迫っているのだった。
「逃がしましょう」と急き立てて立ち上がると、「それが駄目で、今朝から何べんも追い出して、どっかへ行けと言うて殴りつけても、こいつは馬鹿犬じゃけん、保健所に連れて行かれて殺されるのがわからんのよ。わしがなんぼ言うても逃げんのじゃ」とまた声を上げて泣き始めた。
 そのとき、庭先に音もなく地下足袋を履いた犬捕りが入ってきてポチに近付くと、さっと首に針金の輪をかけ、泣きわめくポチを庭から引きずり出した。前に回って中村さんをバックにカメラを構えると、「写すなっ」と凄い剣幕で睨みつけられ、思わずカメラを放した。
 福祉課が故意に犬を捕獲させたとは思いたくなかったが、むごいことをするものである。犬を飼うといっても、贅沢な飼い方をしているわけではない。いくら貧しくても犬くらい飼えるし、政治や社会から見捨てられた人々にとって、犬はかけがえのない優しい伴侶なのである。世界中どこの貧民窟にも犬がたくさんいるのはその証拠で、貧しい暮らしのなかに犬のいる風景を見ると、僕はほっとして救われたような気持ちになる。
 ポチは暗い庭先に悄然としゃがんだ中村さんの、涙に濡れた顔を舐めている一枚の写真を残して保健所に引かれて行って殺された。その写真を見るたびに僕は、激しい怒りと悲しみが込み上げてくる。中村さんとポチの、やりきれないほど残酷な別れの写真だからである。
 写真集『ピカドン ある被爆者の記録』にその写真をぜひ使いたいと思いながら、締め切り間際に構成から外してしまった。中村さんがその写真を見るたびに悲しむかもしれないと思ったからだった。だが、中村さんが亡くなったいまは、絶版になったその写真集にポチの最後の写真を使わなかったことを後悔している。被爆者の心の傷の深さと行政の非情さを、この写真ほど残酷に物語っている写真はないからである。」
(「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘」 福島菊次郎)

ポチと中村さんの別れの写真を、中村さんの生前にはどうしても公には出すことができなかったという福島さん。
そんな彼の性根(しょうね)というものに強く引かれる。
肩書きは同じ報道写真家であるが、(反ファシズムという大義のためとはいえ)自分の名前を売るべく「崩れ落ちる兵士」を発表した当時のロバート・キャパなどとは、個のありようが大きく異なる。

報道写真家の役目というのは真実を広く伝えることだから、おそらくはそんなヤワなことではいかんのだろう。
そんなことでためらっていたのでは、世間のためにならない。
世間のためにはならないとは知りつつも、目の前のひとりの人間を悲しませぬために最後の最後でそれを控えてしまった福島さん。
その心の容貌にとても強くひかれる。

そして思うのは、いかなる権力にも決して屈せず、満身創痍のやせ細った身体を引きずってまでも被写体に向かう報道写真家としての彼の強さ、それを根底で支えているものは、結局はこのやさしさなのではないのだろうかということだ。


さて、そんな福島さんの姿を収めたドキュメンタリー映画「ニッポンの嘘」の上映会と写真パネル展を、知り合い(と友達の中間くらい)がこのたび主催して行うことになりました。
同日、福島菊次郎さんのトークライブも行われます。
(齢90を越えてらっしゃるので体調次第ではありますが...)

期日 9月23日(月)

場所 福岡県春日市原町3-1-7 
   クローバープラザ クローバーホール

料金 大人前売 ¥1.700(当日¥2.200)
   小学生以下 無料(全席自由)

時間 10:00~12:00 映画上映会
   13:00~14:00 菊次郎さんトークライブ
   14:30~15:30 長谷川監督トークライブ

問い合わせ先 伊藤(080-3229-7234)
     尾崎(090-8627-5588)

   
映画の内容などの詳細は以下のサイトをごらんください。

「ニッポンの嘘」

azisaka : 07:47

マンガ傑作選その88

2013年09月13日

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本日より福岡は中央区薬院のギャラリー・亞廊で、秋個展「いかさマリア」男子の部が始まりました。

普段は主にフリフリサラサラキラキラした少女たちが佇んでいる空間に、ゴツゴツベトベトモサモサした野郎共が、所狭しと居並んでいます。

それはそれで、けっこう見応えありますので、ぜひどうかふらりとお越し下さい。

なお、秋個展会期中、9月21日(土)と28日(土)はロンドに、22日(日)と29日(日)は亞廊にだいたいはいる予定です。

それらしい男をみかけたら、どうかこれっぽっちも遠慮なく「よぉ」と気軽に声をおかけください。

azisaka : 18:53

秋個展開始

2013年09月11日

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おまつとまさる氏の三夜連続ライブ、蓋を開けてみればいずれも盛況でとてもよかったです。
ありがとうございました。

特に最後の福岡は近年まれに見る良いライブで、感極まって泣いてる人や叫んでる人もあちこちにいました。

こういうイヴェント事やるとき毎回そうなんですが、人集まらないんじゃないかと心配しておろおろして、心がすり減ってしまいます。
何をやるにしろ(できることを淡々と行いつつ)大船にのった気でいて、取り越し苦労はしないに限るとほんとのほんとに思いました。

さて秋個展、まずは9日から中央区は長浜のロンドで女子の部が始まっております。
13日からは薬院の亞廊で男子の部がスタートです。
(詳細は8月26日付けの記事をご覧下さい)

ロンドでは厳選した女の子たちを28点、亞廊では野郎共を手当り次第に40点くらい展示いたしております。

いずれの場所も一筋縄ではたどり着けぬ少々やっかいなところにありますが、散策にも絵画鑑賞にもふさわしい秋ナイスな日和、ここはどうかみなさんお誘い合わせの上、ぜひお越しいただけると幸いです。

azisaka : 07:23

別府ライブ

2013年09月05日

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別府の絵箱展、とうとうあと2日でおしまいです。

個展会場にお盆の頃、汗をだらだら流しながら搬入した時には、こんな涼しい日々が再び巡ってくるとは思いもよらなんだです。

明日6日と明後日7日は、正午くらいから夕方5時まで個展会場におります。

そいでもって明晩は、おまつとまさる氏のライブです。
会場の壁を新作旧作おりまぜた2、30点ばかりの自作の絵で飾ります。
JRの高架下という味のある立地ですので、それに合わせた感じの絵(上の絵みたい)も見繕って持って行こうと思います。

「おまつとまさる氏ライブ」
19時開場 20時開演
料金 1.500円(お茶付き)
場所 スタジオ・ノクード
住所 大分県別府市南的ヶ浜1-1
   S1ガレージ1F
電話 090-9405-8814


azisaka : 19:49

冷たいあいつ

2013年08月31日

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今、別府で絵箱展をやってる(上の写真です)んですけど、この場所を選んだ理由の大きなひとつに、その土地の名物、冷麺を食べることができるというのがある。
非常にうまい。

沖縄そばもうまいが、沖縄そばは、最近見よう見まねでつくるようになった。(麺は沖縄食材店で買うけど...)
圧力鍋の中、カツオでだしをとったお湯に、豚のあばら肉(ないときは豚バラの固まり)、ぶつんぶつん切った白ネギや人参なんかの野菜、つぶした生姜、それに泡盛をどばっと入れて醤油を適当に注いで、ふたを締めて煮る。

一時間もすると、肉や野菜はとろけ、スープができるので、それを丼に満たし、ゆがいた麺を入れたら青ネギを大量にふりかけ、コーレーグースを振って食べる。

最初は「なんとなくこんな感じやろう」と、適当に作ってみたんだけど、これがけっこううまい。(むろん、本場のものとは異なるが、ひとまずは食欲が満たされる)

ところが、別府冷麺は、自分ではなかなか作れない。
まず、あの独特の麺が市販では手に入らないし、上に乗っかってるキャベツのキムチも牛スネ肉のチャーシューも、自力で作るのは難しそうだ。
それに何より、すすったとたんに「はあ...」とため息の出る、あの、えも言われぬ味のスープ(牛骨と和風だしみたい...)を作るのが一朝一夕では無理っぽい。

したがって冷麺食べるには別府まで足を運ぶ必要がある。


別府の絵箱展はSPIKAにて、9月7日(土)までです。

SPICA
〒874-0939 大分県別府市立田町1-34
TEL 090-9476-0656
営業時間 10:00~17:00
定休日 日曜・祝日

azisaka : 17:49

秋個展のお知らせ

2013年08月26日

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2005年と2008年の2回にわたり「いかさマリア」と題した個展を行ったのですが、来月から博多で、その第3弾目を開催いたします。

シリーズ3回目となる今回は、新作に加え先の二つの個展で発表した旧作も交えて展示いたします。
したがって、「ふむふむ、こうしてみるとちょっとだけだけど技術が向上してるな」とか「あーあ、むかしの方が荒削りだけど味があって良かったのに...」とか「ふん、何年経っても代り映えせんな」などと思いながら見る楽しみがあります。

作品は相変わらず全てがキャンバスにアクリル絵具で描かれたもので、マリアと名乗る変幻自在のいかさま師と、彼女をとりまく人々の姿を描いた大小の人物画です。

今回は展示作品をたわむれに男と女に分け、それぞれ別の場所で展示いたします。
日にちが若干前後し、場所も少し離れていますが(自転車で17分くらい)、どうか両方合わせてご覧になっていただければ幸いです。
日程などの詳細は以下のとおりです。


〈女子の部〉
9月9日(月)~28日(土) 

ロンド
〒810-0072
福岡市中央区長浜2-4 新長浜ビル112
TEL 050-3577-4112
営業時間 12:00~20:00
店休日 日曜日
HP http://maruta.be/l_onde


〈男子の部〉
9月13日(金)~29日(日)の金土日月

ギャラリー・亞廊
〒810-0014
福岡市中央区平尾1-4-7
土橋ビル307
TEL 092-523-7736
営業時間 13:00~19:00(金土日)
13:00~17:00(月)
HP http://gallery-arou.com/


azisaka : 08:36

絵箱新作その10

2013年08月22日

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一昨日、昨日と対馬に行ってきた。
自転車こいで厳原町から北の方をぐるっと一周してきた。

その途中、「忘れられた日本人」の第一章、宮本常一が歩いた北西部の山道を迂回した。
昔から一度訪ねてみたかったのだ。
行程上、佐須奈〜佐護〜仁田内〜中山〜志多留〜伊奈という風に、彼とは逆の道のりになっちゃったけど...
(それにしてもなんちゅう美しい地名!)

対馬は登り坂も日差しもなかなかきつく、小さい折りたたみ式の愛車ではけっこうしんどかった。
けれど、ああ、よかった、そりゃあよかった、なんとも言えんくらいによかった。
ナイアガラの滝みたいに汗かいて、この夏におとしまえをつけることができた。

さて、明日8月23日(金)と明後日24日(土)は、別府の絵箱展会場であるSPICA(もしくは近辺)におります。
正午くらいから17時くらいまでおります。

azisaka : 18:36

ライブのお知らせ

2013年08月17日

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現在、別府で絵箱展、天神は警固公園沿いのパークサイドギャラリーでグループ展をやっておりますが、その後9月には調子に乗って性懲りもなく、福岡市内2カ所でアクリル絵画の個展を開催いたします。
(個展の詳細は近日中にお知らせいたします)

ところで、それらの関連の催し物としてライブを行うことになりました。

歌ってもらうのは、おまつとまさる氏といって、歌手の松倉如子さんと演奏(歌も)の渡辺勝さんのコンビです。

別府、田主丸、福岡と巡業で、福岡は大橋であるライブにはサックスの川下直広さんとアコーディオンの安達ひでやさんが加わります。

アジサカはライブのチラシを手がけるとともに、各ライブ会場の一角で当日、彼らの歌に合わせ新旧の作品より抜粋した絵画の小個展(20数点)を行います。

さて今回の出演者について、まず、松倉さんですが、数年前、たまたま友人の紹介でその歌を聴いて、「うひゃあー、何やこれー、いいなーっ」とたまがりました。とても良かったので、すぐにHPのブログで紹介しました。
以来、いつか一緒になんかやれたらいいなあと願っていたのですが、今回縁あってそれが叶いました。(たまがった曲→「せみ」

渡辺勝さんは、岡林信康のツアーメンバーとして開始した音楽活動がなんと40年を越える伝説(と言っても良いはず)のミュージシャンで、はちみつぱいに残した名唱や、高田渡、なぎら健壱などの作品の編曲家として広く知られています。
ギターやピアノの演奏もさることながら、その歌いっぷりもすばらしい多才な音楽家で、人をしてシャンソニエと呼ばれています。

川下さんは、日本ジャズ史上に燦然と光り輝くフェダインを率いてた日本屈指のサックス吹きです。20代、パリに住みに行くにあたり持って行ったわずかばかりのCDの中にそのフェダインのファースト(その年のミュージックマガジンでジャズ部門ぶっちぎりの1位)が入ってて、とてもよく聞いてました。異国暮らしの苦労で萎える心を何度その音が励ましてくれたことか...うう

安達さんはご存知、天下無双のチンドン屋であるアダチ宣伝社を率いる安達社長です。イカ天に出てたときはロックバンドをやってましたが、その後、自身の音楽道追求の果てに現在の姿に辿り着きました。古今東西ありとあらゆる音楽を吸収した身体より流れる調べ...相当にいかしています。

ということで、さして重要な用事があるわけじゃない方は、つうか、大切な約束をおっぽりだしてでも、どうか皆さんぜひお越し下さい。

ふっ、それほど言うなら行ってみようかな...
と思われた方は、どうかお名前と、ライブの日にちを以下のメルアドまでお知らせください。
予約をいたします。(料金は当日、名前を告げるとともに受付でお支払い下さい)

azisaka@nifty.com

または、前売り券を福岡は中央区の薬院にある「回」、もしくは渡辺通りにあります「うめのま」で取り扱っておりますので、そちらでお求めいただいてもけっこうです。
ライブの日時などは以下の通りです。

どうかよろしくお願いいたします。


9月6日(金) 別府

19時開場 20時開演
料金 1.500円(お茶付き)
場所 スタジオ・ノクード
住所 大分県別府市南的ヶ浜1-1
   S1ガレージ1F
電話 090-9405-8814

9月7日(土) 田主丸

18時半開場 19時開演
料金 前売2,500円
   当日3,000円
   (1ドリンク付き)
場所 喫茶 らんぷぅ
住所 福岡県久留米市田主丸町野田1648
電話 080-5212-3713(渋田)

9月8日(日) 福岡

18時半開場 19時開演
料金 前売2,500円
   当日3,000円
   (1ドリンク付き)
場所 上海素麺工場スタジオ
住所 福岡市南区野多目4-2-1 2F
電話 070-5693-2221 
   (モダン・ラヴァーズ)


azisaka : 08:36

グループ展の案内

2013年08月15日

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福岡の三越と警固公園の間に細長い通路があるのですが、その片方がガラス張りの展示スペースになっています。
パークサイドギャラリーっていう名がついてるんですが、そこで明日より開催されるグループ展に、アクリル画を十数点、出品することになりました。

薬院にある「ギャラリー亞廊」が主催するもので、タイトルは「亜麻色の回廊」。
アジサカの他、5名の作家がいかした作品を展示いたします。

期間は2013年8月16日(金)~31日(土)です。

ギャラリーとはいっても通路ですので、24時間いつでも見ることができます。
未発表作も交え、意外と見応えのある展示になっておりますので、天神にお越しの際はふらっとお立ち寄りください。

azisaka : 13:22

絵箱新作その9

2013年08月14日

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azisaka : 09:12

絵箱新作その8

2013年08月13日

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夏の絵箱展、本日より、別府はSPICAでの展示がはじまります。
大分で個展みたいなものをやるのは初めてです。
連日ろくでもない暑さですが、お越しいただけますなら、そりゃあとってもうれしいです。
(詳細につきましては、7月17日付けの記事をお読みください)

azisaka : 09:35

絵箱新作その7

2013年08月09日

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今日8月9日(金)、10日(土)、11日(日)の3日間は、熊本の絵箱展会場であるカフェ・オレンジ(もしくは近辺)におります。
正午から日が暮れるくらいまでおります。
陽に焼けた坊主頭の男が目にとまったら、「よぉ」と気軽に声をかけてください。

azisaka : 07:53

絵箱新作その6

2013年08月05日

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azisaka : 21:45

絵箱新作その5

2013年08月02日

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azisaka : 07:51

絵箱新作その4

2013年07月31日

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azisaka : 07:25

絵箱新作その3

2013年07月30日

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昨日、雨がばしゃばしゃ降る中搬入が終わり、絵箱展が無事はじまりました。

azisaka : 11:59

絵箱新作その2

2013年07月28日

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いよいよ明日より待ちに待った(という人が願わくば数十名はいてほしい)絵箱展が熊本はオレンジにて開催されます。
絵箱も、同時に並べられる絵画も、熊本では初めての展示作品ばかりです。
ほんとにきびしい暑さですし、皆さん他にたくさんやることおありでしょうが、気が少しでも向いたのなら、どうかふらりとお越し頂ければさいわいです。
(絵箱展の詳細につきましては、7月17日付けの記事をお読みください)

azisaka : 08:58

絵箱新作その1

2013年07月26日

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あともう少しで始まる絵箱展に向けて描いた新作の絵箱の紹介です。
直径15センチくらいの、やや厚めのカマンベールが入ってるみたいな箱の、蓋の部分に人の顔、底の部分に手が描かれています。
チーズやビーズやミミズなんかを入れてもいいですが、上のように並べて壁にかけ、いっぱしの絵画作品として楽しむこともできます。

azisaka : 15:33

アジサカコウジ絵箱+絵画展'13年夏

2013年07月17日

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ここ数年、仕事の合間々々に絵付けをした絵箱約30点の展示販売を行います。
木製の箱に下地を塗り、その上にアクリル絵の具で絵を描いた後、ニスを数回塗って仕上げをしたものです。
大きさはタバコの箱くらいのものから、筆箱や国語辞典くらいまでとさまざまです。
またこれと同時に、キャンバスに描いたアクリル絵画を数十点展示販売いたします。

場所は前半が熊本で、いつものカフェ・オレンジ。
後半が別府で、今回初めて置いていただく、古道具と雑貨のお店、スピカです。

展示作品は両会場で若干(十数点)異なります。

今の暑さがこんなですので、個展期間中は、あわわ...ひょえーっ、っていう感じになると予想されますが、そこは何とか気張って、汗を拭き拭きお越し頂けると幸いです。

アジサカが会場(もしくはその近辺)にいるのは、
熊本が 8月9(金)、10日(土)、11日(日)
別府が 8月23日(金)、24日(土)、9月6日(金)、7日(土)
です。
「よう!」と気軽に声をおかけください。
   

ORANGE 7月29日(月)~8月11日(日)

〒860-0803 熊本市中央区新市街6-22
TEL 096-355-1276
営業時間 11:30~21:30
定休日 不定休(電話にてご確認下さい)
HP http://www.zakkacafe-orange.com/

SPICA 8月13日(火)~9月7日(土)

〒874-0939 大分県別府市立田町1-34
TEL 090-9476-0656
営業時間 10:00~17:00
定休日 日曜・祝日
HP http://spica.tv/

azisaka : 07:24

今日の絵、その19

2013年07月15日

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azisaka : 06:13

今日の絵、その18

2013年07月11日

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7月に入ってたいそうあわただしく、ごく簡単な紹介で申し訳ありませんが、知人らが映画の上映会とチャリティイベントを行います。

映画は「モンサントの不自然な食べもの」
遺伝子組み換え作物を世に送る世界最大の企業であるモンサント社についてのドキュメンタリー映画です。
映画について詳しくはどうか映画公式サイトをご覧になってください。

上映と同時に天然酵母パンや有機野菜、和菓子などの店の市が立ちます。

(日)
2013年7月15日(月)祝日

(場所)
「大野城まどかぴあ」
大野城市曙町2丁目3−1

(上映時間)
第1回 10:30〜12:30
第2回 14:00〜16:00
(料金)
大人1.500円 中・高校生1.000円 
小学生以下 無料

お問い合わせ先
090-8627-5588(尾崎)

azisaka : 10:05

デジムナーその11

2013年07月02日

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2年前の夏、「自治区ドクロディア」っていうおっきな絵の連作の個展をやった際、奮起してTシャツとかトートバッグを作ったんですけど、その時の絵柄のひとつが上のやつです。

ところで、明日3日より7日までよんどころない事情で家を離れねばならず、パソコンを使うことができません。
したがって、5日間ばかりPCのメルアドに送られてくるメールを読むことができません。

仕事柄、さほど差し障りはないと思われますが、もしもすばやい返信を望まれる方がいたとしたら、そういう訳ですので、ちょいとばかしやきもきさせるかもしれません、すみません。

もしも、とっても急な用事がある方や、ふいに無性に声が聞きたくなった方などは、どうか携帯の方に連絡をお願いいたします。

azisaka : 21:27

マンガ傑作選その87

2013年07月01日

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azisaka : 11:59

DOCLOLA(その7)

2013年06月30日

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azisaka : 07:50

今日の絵、その17

2013年06月27日

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「俺と青空とバイク風田植え機の歌」

ブロンブロンブロロロン
アーンアーンアアアアン
アクセル全開 ブロロロロロン
そりゃあ俺だって 田植えは自分の身体使って
うなじに焼け付く日差しを受けて
素足に血を吸う蛭野郎を受けて
腰をひんまげ くっくっくっくと くっくっくっくと
汗水垂らして やるべきことは 重々承知だ

けど ブロンブロンブロロロン
アーンアーンアアアアン
真っ赤なヘルメットがとびきり似合う ハニー
おまえと ライディング 一緒じゃなきゃ
はじまらないのさ 今年の田植え

だから とばすぜ このマシン
二人乗りの 二人だけの 
その名は 稲妻
田に刺さる

azisaka : 08:51

デジムナーその10

2013年06月26日

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「はっ、卜伝殿、耳のそれはなんでござるか?」

「ぴゃあすという伴天連(バテレン)が身につける飾りじゃ」

「キラキラと美しゅうござりまする」

「うむ、ぎあまんでできておる」

「実に見事な細工ですなあ...」

「うむ、西洋にも腕のたつ職人がいるとみえる...」

「卜伝殿、拙者も欲しゅうござりまする」

「うむ...え、何?待て、こればかりは...」

「卜伝殿...」

「ううむ、ぬしには日頃から世話になっておるからのう...」

ぽきっ、ぽきっ

「はい、これ。先っちょの花の部分...」

「おお、いいのでござるか?その飾りで一番大切なところのようにお見受けするが...」

「気にするな、うぬと拙者の仲じゃ」

「かたじけない、この具教、家宝にいたしまする」

「卜伝殿...」

「うむ、いかがいたした?」

「拙者はたと思ったのですが、そのぴゃあすとやら、今となっては姿が切支丹のクルスにそっくりでござる」

「ううむ、確かにそのとおりじゃ...これはいらぬ嫌疑をかけられかねぬのう...」

「かたじけない...拙者がいたらぬ所望をしたばかりに...」

「いやいや、己が決めてやったこと、詫びるには及ばぬ...おお、そうじゃ」

ぽきっ、ぽきっ

「これでどうじゃろう?」

「おお、+が卜の形に成りもうした!」

「何やら自分の名前をぶらさげているようで面映いが、粋狂でいいのう...」

「ええ、とてもよくお似合いです、卜伝殿...」


「と、まあ、あたしがおじいちゃんから聞いた話しってのはざっとこんな感じね...」

「へえ、そうだったのかあ...そして、その時、二回目に折った部分が、当時卜伝さんの身の回りの世話をしてた奉公人、つまりあたしらの遠い先祖に長い勤めの褒美として授けられた。って、そういうワケね」

「うん、そういうワケ。あとになってふたつの欠片は特製の漆の小箱に入れられて、ずうっと代々、この家の家宝として受け継がれてきたの」

「でもさあ、そんな大事なもの、なんでまたお父さんったら自分のヘルメットにボンドで貼っつけちゃたりしたんだろう...?」

「ああ、それはね...ほら、父さんったら若い自分、モトクロスに夢中だったじゃない?」

「うん、あたしはまだちっちゃかったんでよく憶えてないけど...」

「で、あるとき、世界大会に出ることになったのよ」

「わあ、すごいじゃない!」

「うん、まあね...で、何が何でも入賞したいもんだから、縁起をかつぐために、みんなに内緒で、家長の特権だとか何とか言って...あれ貼っちゃったのよ...」

「え?どういうこと、ワケわかんない...」

「ほら、この破片って元は十字架だったじゃない...」

「うん、元っつうか、途中一瞬だけだけど...」

「だからさ、元クルス=モトクロス」

「...ごめん、姉さん、あたし笑わなくていいかな...」

azisaka : 20:49

マンガ傑作選その86

2013年06月25日

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ちなみにうちには電子レンジがないので、解凍チンじゃなくて解凍サン(日当りのいい場所に出しておく)です。
時間ないときは蒸します。

azisaka : 06:10

今日の絵、その16

2013年06月23日

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あー、シゲちゃん、首、折っちゃったんだ?

うん、なんかねえ、ボキってやりたくなっちゃったのよねえ...

でも、それってさあ、自分で苦労して作った槐多人形だろう?

うん、あたし村山槐多大好き!

なのに、なんで壊しちゃったのさあ?

うん、なんかねえ、どうしようもなくポキってやりたくなっちゃったのよねえ...

ふーん

あれ、もう行くの?

うん...

いっしょに遊んでいかないの?

うん...だってシゲちゃん、おっかない...

azisaka : 21:09

マンガ傑作選その85

2013年06月20日

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azisaka : 13:41

DOCLOLA(その6)

2013年06月19日

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今回のドクローラ、背景を黒にしたら、なんかピンズみたいになっちゃいました。
おお、PINSといえば!
マンチェスターの女子4人組!
いかすぜっ!

PINS 「LUVU4LYF」

azisaka : 17:53

今日の絵、その15

2013年06月18日

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えっと、今回登場は、けっこう酔っぱらかってる志井桜伊寿斗さんです。
口にしてるのはタバコじゃなくて、乾燥トッポギです。
志井桜さんは李氏朝鮮で王族に仕えてる陶工なんですが、最近、後進がうまく育ってくれないので、ああ、この窯もおれの代でおしまいだあーっ、とやけ酒を毎晩かっくらっているのです。

「ああ、それは、いかんなあ、酒におぼれちゃあ...」と皆さんお思いになるかもしれませんが、数年前、となりの国から豊臣秀吉って侍の軍隊がやってきて、志井桜さんの仲間の陶工をたくさん連行して帰っていったので、壊滅的に人材が不足しているのでした。
そんなわけで、酒に走るのも無理なからぬことなんです。

ところで、連行されていった朝鮮人の陶工数十名は薩摩の島津家の元、苗代川に留め置かれたのですが、じきに地元の土を使い焼き物を作り始めます。
今で言う、薩摩焼のはじまりです。

そんな陶工の中に沈家の人々がいました。
幕末には十二代、壽官という焼き物の天才を輩出します。

以降、この窯は沈壽官窯を名乗り、現在もその火は燃え続けているのですが、何年か前、薩摩釦といって白薩摩に絵付けしたボタン(かつて倒幕運動の軍資金を得んがため、海外輸出用に制作されていた)を新たに作りました。

今の十五代がデザインしたものなんだそうですけど、鈴など伝統的な形の物の中、ドクロの形のボタンがあります。
これが、とても味わい深い。
(上の写真です)

最近、消費欲ってもんがちっともないんですけど、これはとても欲しいなあ、と思いました。
だって、真一文字に結んだ口。
小さな土のかたまりの中にいろんなものが詰まっている。(という気がする)
手前勝手ながら、”故郷忘じがたく候”(by司馬遼太郎)度が高いという感じがする。

結局、手が出なかったですけど...


azisaka : 07:32

デジムナーその9

2013年06月17日

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「こんにちは」
「あ、こんにちは」
「ここは、はじめてですか?」
「ええ」
「どうです、お気に召しました?」
「ええ、まあ...」
「めずらしい植物がいっぱいあるでしょう?」
「ええ...でも植物園だから、それは当然でしょう」

「は?つまり、あなたは、こういいたいのですか?”植物園にめずらしい植物があるのは当たり前”だと...」

「え、ええ、まあ....」

「じゃあ、動物園にはめずらしい動物がいるのが当たり前で、幼稚園にはめずらしい幼稚がいるのが当たり前っていう、そういうことですか?あなたがこのお口でおっしゃりたいのは...」

「うぐぐぐ、く、口を塞がないでくれえ...い、息が苦しい...」

「で、あなたの言い分だと、公園にはめずらしい公がいるってわけね?めずらしい公ってなんなのよ?わん公?エテ公?ポリ公?」

「うぐぐぐ...わ、わがりゅまじえん...」

「えっ、なに?」

「わ、わかりますえん...ご、ごめんなさい...」

「ふん、しょうもない男...」

「♪ラララー〜私は薔薇の花〜ルルルルー〜美しくって、棘いっぱい〜♪美しさには見とれていいわよどんな男も、お好きにどうぞ〜タリラッタタター〜♪でも、わたしがこの棘でさすのは一人前の男だけ〜棘の痛みをものともしない男だけ〜♪そうよ、つまりあなたじゃないのよ〜タリラリラララー〜さようなら〜♪」

azisaka : 14:39

マンガ傑作選その84

2013年06月16日

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「このままじゃ、日本、ちょっとやばいよなあ...私らも何かせんとなぁ...」という思いから、そこいら辺の巷の有志数名が集まってはじまった”「そら、なんね?」プロジェクト”。
先日はこの場でも紹介したように、孫崎享さんと山田正彦さんの講演会を福岡で主催しました。

こういうことやるの初めてのシロウト集団ということで、どうなることやらと心配されたんですが、なかなか沢山の人に足を運んでもらい、まずまずの成功だった模様です。

さて、その”ソラナン”(勝手に略してすまん...)ですが、次回は、東電以外では初めて1号機内部を見た政治家の川内博史さんをお呼びして「原発の今と未来」について、話しをしてもらおうということになったそうです。

詳細は以下の通りです。
ご都合よろしければ、ぜひ。


川内博史講演会「カワウチは見た!」

なんだか世間は忘れがちですが、壊れた原発は、今どげんなっとうと?こないだ、ちょこっと川内さん撮影の映像をTVで見たけど、もの足りん!1号機の今を見ながら川内博史さんに思いっきり喋っていただきます。

●2013.6.29(土)13:30開場・14:00〜16:30
●福岡市立中央市民センター 2F 視聴覚室
福岡市中央区赤坂2-5-8
☎092-714-5521

■お申込み
①お名前 ②人数
を明記の上、下記アドレスに送信ください。
sora.nanne1355@gmail.com


■会費
▶事前お申込み:500円(税込)※お支払いは当日会場にて
▶当 日:700円(税込)
※当日会場へ直接お越しください。ただし、事前お申込の方を優先させていただきますので、お席がない場合もございます。何卒ご了承くださいませ。

■定員 先着65名(全席自由)
※定員になり次第、締め切らせていただきます。郵送でお申し込みの方には、こちらから連絡を差し上げます。

[川内さんからのメッセージ]
まずは「知ること」が、大事です!
明るい未来を作る為には、みんなが問題の所在を知ることが大事。この国の真実を知ることが、新しい時代の扉を開くことになります。みなさんは、私が語る真実に、衝撃を受けることになるでしょう。物語は、これから始まるのです。

[川内博史profile]
1961年11月2日鹿児島生まれ。蠍座、O型。
一宮幼稚園、中郡小、伊敷小、ラ・サール中、高卒。早稲田大学政治経済学部修了。銀行員、会社役員を経て政界へ。
1996年衆議院初当選。以来連続5期当選。
その間、衆議院国土交通委員長、文部科学委員長、沖縄北方特別委員長、科学技術特別委員長等を歴任。

azisaka : 09:13

マンガ傑作選その83

2013年06月15日

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azisaka : 08:30

DOCLOLA(その5)

2013年06月14日

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「あのさあ、なんで君、裸なん?」

「いいじゃん、好きでこうしてんだから...」

「ひとつ、質問があるんだけど...」

「いいわよ、どうぞ」

「寒さ暑さからはどうやったら逃れられる?」

「寒さも暑さもないところに行けばいいじゃん」

「寒さも暑さも両方ないとこってどこにある?」

「寒いときは寒い、暑いときは暑い」

azisaka : 08:46

今日の絵、その14

2013年06月13日

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先日、「ガムランの般若心経」というコンサートのポスター用に絵を描きました。
上のやつがそれです。

詩人の伊藤比呂美さんが平明な日本語に訳した般若心経を、現代音楽家の藤枝守さん作の素敵な曲にあわせて歌うっていうコンサート、一度聞きに行ったことがあるのですが、すごく心地のいいものでした。

今回はそのガムラン版ということで、さらに心地良さそうです。
都合のよい方は、ぜひ聞きに行ってみてください。
心にさあーっと涼風が吹いてゆくと思います。

トランス・エスニック・コンサート
「ガムランの般若心経」

2013年6月28日(金) 18:30開場、19:00開演
九州大学大橋キャンパス・多次元ホール

詳しくはこちらです。


azisaka : 14:08

マンガ傑作選その82

2013年06月12日

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azisaka : 12:22

マンガ傑作選その81

2013年06月11日

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「で、おまえが古本屋...」って言った白シャツの友人と、この数ヶ月後につきあうことになるバイクとお茶とパンクと読書が趣味のトモちゃん。
次に彼女が熱中するのは(つまり白シャツの彼の生業ないしは趣味ということですが)何でしょう?

1)手芸
2)狩猟
3)昼寝
4)骨董
5)育児
6)変装
7)冒険
8)醸造
9)呪術

(答え)1〜9全部
ひゃーっ!
トモちゃん、いったい今度はどんな出で立ちに...?

azisaka : 07:00

今日の絵、その13

2013年06月10日

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20代半ばパリに住み始めたとき、最初に映画館で見た映画がエミール・クストリッツァの「ジプシーの時」だった。
友人といっしょに見るつもりが、時間を間違えて同じ日の別々の時間帯に見た。

夕方、カフェで落ち合い、テラス席で「いい映画やったねえ」「ああ、ほんとにいい映画やった」と濃いボルドーを飲んだ。

以後、数年にわたって何度も”映画、その後カフェでワイン”というのをやった。
でも、(何でもそうだけど)最初の想い出がいちばん強い。
”パリ”と”映画”、このふたつの言葉が合わさった途端、身体全体にこの映像、この曲が流れ出す。

「ジプシーの時」

azisaka : 07:36

デジムナーその8

2013年06月09日

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高校時代の水泳部は部員が少なかったので、自由形と背泳ぎと長距離を掛け持ちでやらんといけんかった。
長距離ってのは1500Mで、25Mのプールだと30往復だ。
ただただ懸命に泳ぎ続ける。
泳ぎ続けてると、たいてい千メートル過ぎたころから力が尽きて身体全体がまるで鉛みたいに重くなる。
そんな鉛の身体をあと残りの数百メートル、なんとか浮かせ前に進めるため、心の中で叫ぶ呪文のようなものがあった。

”ごん!”というのがそれだ。

「ごん!ごん!ごん!...」そう繰り返すことによって最後のゴールまで何とか気力をふりしぼることができた。

「”ごん”って何やねん?」というとそれは花巻村の百姓の権(ごん)のことだ。
白土三平のカムイ伝に登場する。
その死に様というのがすごい。

このマンガの主人公の一人に下人の正助がいる。
彼と出逢うことによってその知性と勇気を知り、共に活動をするようになるのが権である。

権は正助らと協力して大規模な百姓一揆を起こす。
起こした後、役人や商人の不正を暴くために首謀者のひとりとして自首する。

彼やその仲間は牢屋敷につながれ、拷問を受ける。

連日連夜の過酷な拷問...
そのあげくに正助が煮えたぎった鉛の鍋を顔に押し付けられそうになったとき、巨大な歯車からなる拷問具にしばりつけられていた権は叫ぶ。

「やめろ!」
「これ以上の拷問は許さん!」

そうして幕府名代の顔に唾をはきかける。

役人らは意地になり、そんな権をさらにはげしく責めようとする。
が、反対に権はそのとてつもない怪力で、つながれていた巨大歯車もそれを固定していた柱もぶっ壊してしまう。
そして言い放つ。

「こんなヤワな道具いつでもこわせたんだ!」
「それを今までだまっていたのは、うぬら侍も人間だと思っとったからだ...」
「だがもうゆるせん!!...いつでも一揆が起こる!!...」

さらに続ける

「もうひとつ...」
「こんな鉛で我らの心まで溶かすことはでけん!!」
「よっく見ておけい!!」

こう言うと彼は、鍋いっぱいに煮えたぎる鉛を一気に飲み干してしまう。
そうして仁王立ちのまま体全体からゴオオーッと火を噴き出し、そのまま倒れて死んでしまう。

マンガ本今までずいぶんたくさん読んだけど、最も眼に焼き付いているのがこの場面、このコマだ。


さて、話しが長くなってしまってすまん。
つまりは、こういうことだ。(相当なこじつけなんだけど...)

煮えたぎる鉛を飲み干すのに比べたら、泳ぎ疲れて鉛みたいに重くなった身体を前進させることなんて、まったく大したことではない。

「ごん!ごん!...」と叫ぶなら、尽きてしまうかに思えた力がまた湧いて出てくるのだ。


「またぁ...んなことあるわけないやん...」

と、訝るひとは、カムイ伝をまだ読んでないな。


azisaka : 10:56

マンガ傑作選その80

2013年06月08日

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azisaka : 10:55

DOCLOLA(その4)

2013年06月07日

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「はっはっはっはっはっはっ...」
「はーっはっはっはっは...」

「ちくしょう,,,何がおかしい」

「くーっくっくっくっ、世界屈指のスナイパーと恐れられたお前も、銃を取り上げられ、手足を縛られちゃあ、見る影もないな...」

「ううう、くそう...」

「ほお、くやしいか、くやしいだろう」
「さて、どうやって料理するかな...」
「われら一族の積年の恨み、じっくり晴らさせてもらおうぞ...」

「一族?」

「ああ、我らみるきぃ一族のな!」

「えーっ、あんたも、みるきぃ一族!」

「”あんたも”って、お前もそうなのか?」

「うん、ほら、ちょっと手首のとこよく見てご覧よ」

「あーっ」

「ねーっ!」

「いやぁ、殴ったり蹴ったり抓ったりしてすまなかった」

「いいよ、いいよ。」
「それより、うれしいなー」

「あー、そうだなあ、うれしいなあ」

「こんなとこで会えるなんてなぁ...」

azisaka : 14:33

マンガ傑作選その79

2013年06月06日

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以前からずっと携帯温泉が欲しかったモトコさん(向かって左の、髪を後ろで結んだ人)、お店に行って最新の機種を購入しました。
今までになかった新機能が盛り沢山!
どんなのかというと、

1)露天風呂
2)男湯と女湯の入れ替えがワンタッチ
3)家族湯機能付き
4)背景イメージが八百通り選べる
5)温度調節が-50℃から200℃まで可能
6)温泉卵が3個できる(従来の機種は1個だけだった)
7)源泉掛け流し

1)〜2)はさして驚くに値しないのですが、7)の源泉掛け流しっていうのはすごいですよねーっ。
固定温泉ではなく携帯でこれやっちゃうんですから。
技術の進歩、めざまし過ぎっ。

azisaka : 14:03

今日の絵、その12

2013年06月05日

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「いててて...」
「あ、ごめんなさい...」
「ったく、いったいなあ、なんでそんなことするんだよう」
「恋占いしようと思って...」
「あーん、恋占い?」
「そう、ほらあそこにお城が見えるでしょう?」
「あ、うん」
「あそこに住んでる王子様を好きになってしまったのよ、わたし」
「ふーん、そうなん?でも先方は君のこと知ってるん?」
「ええ、先週、舞踏会で会ったわ」
「一緒に踊った?」
「いいえ、わたしは給仕をしてたから...王侯貴族の身分ではないの」
「村の娘?」
「うん、そう」
「で、脈なんてあるん?王子、気があるそぶりでも見せた?」
「ええ」
「どんな?」
「”そこの君、シャギーなショートがお似合いだね”って...」
「おお、そう言ったのか?」
「ええ」
「ほお、それはなかなか脈があるな...」
「ええ、だから、あなたで恋占いを...」

「ふふふふ....」
「え、どうしたの?」
「村の娘よ」
「は?」
「その必要はない」
「えっ?」

「わらわは夜の女王」

「ひゃああ、花が....!」

「娘よ、よくぞ囚われのわが身を見つけ、魔王の呪縛から解き放ってくれた」

「ひゃああ、あなた人間だったのーっ」

「そう、わらわは夜の女王、昼の王子の心を操ることなど造作ない」

「きゃああ、わたしったら、ちょーラッキーっ!」

azisaka : 07:24

マンガ傑作選その78

2013年06月04日

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大人気!つうか、中人気!
電髪セニョーラ!その5です。

電髪おばさん、非常にうざいっ。
非常にうざいんですけど、そんな頓狂な彼女らのおかげで夫婦の結びつきがより強まって 、ひいては婚姻関係が長持ちする大切な要因のひとつになってたりするんですよねっ、不思議と。

azisaka : 22:24

マンガ傑作選その77

2013年06月03日

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azisaka : 08:54

デジムナーその7

2013年06月02日

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数年前、事の成り行きで若手イラストレーターを中心としたグループ展に参加することになった。
「旧作を一点だけでも」ということだったんだけど、「なんかいつもと違うことをした方がいいよ」いう声(天の上からか地の底からかわかんないけど)がしたので、デジムナー技法(パソコンで版画風に描くイラスト)で描いた絵はがきを百枚作ることにした。
それを木の枝に糸で吊るして展示するのだ。

百枚くらいあったら、どうにか”たわわに”実ってるような感じになるだろうし、それくらい描いたらまあまあの充足感が得られるのではないかと思った。

で、いつもの仕事の合間に毎日5、6枚、ひと月で百枚描いて、実家の裏山で切らせてもらった木に吊るして展示した。

展示の後、はがきのほとんどは友人知人や絵を買ってくれた人なんかにあげてしまった。
あげちゃっても、ちっとも惜しくなかったからだ。
だって、データはパソコンの中にあるので、必要とあらばまたいつでもプリントアウトできる。

と、思ってたら、そのデータが入ったパソコンの上にコーヒーをこぼしてしまった。
それで、ほかのいろんなデータと同様、その百枚もすっかりなくなってしまった。

ほんとうの版画だったら彫った版木がある。
棟方志功先生がコーヒーやお茶やみそ汁こぼしても、「ありゃりゃあーっ」っといって、頭に巻いた手拭いで拭けばいい。
まあちょっとはすり減ったり、色付きが微妙に変化するかもしれんけど、それはそれで”味”になる。

でも、パソコンデータだったらば”ゼロ”、ぜろ”、”0”、まーったく何も残らない。

それで、けっこう悲しかった。
でも同時に、「いかさまの絵は、やっぱりいかさまの末路を辿るんやねえ」と、ひとり苦笑いをした。

今春、衣替えのついでに押し入れを整理してたら、その時の絵はがきが何枚か出てきた。
幸か不幸か、行き先がなかったやつだ。
それをスキャンして、ちょっぴり手を加えた。

そのひとつが今回のやつです。

azisaka : 08:37

マンガ傑作選その76

2013年06月01日

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昭和の、のんびりした感じってなかなか良かったですよね。

azisaka : 07:32

マンガ傑作選その75

2013年05月31日

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一部でそこそこの人気らしい電髪セニョーラ!
その4です。

azisaka : 07:27

今日の絵、その11

2013年05月30日

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「なんかさあ、おじさん。おじさんなのに、なんで目がぱっちりおっきいのー?」
「ええっ、そんなこと言われったってなあ...こりゃあ生まれつきだからなあ...」
「それで何か得したことある?」
「うん、ある。悪い人に見えないので人を騙しやすい」
「あーっ、うん、うん、言えてる、言えてる!」
「そうだよねーっ、それで君はまんまと騙されて、こんな森の奥まで連れて来られちゃったんだもんね」
「とほほほ...」
「”とほほほ...”ってさあ、君、知らない人とこんなとこに二人っきり、怖くないん?」
「うん。だって、おじさん、悪い人に見えないもの」
「だからさあ、これは目がおっきなせいだって...」
「ふーん」
「ほら、見てみなよ、左目の上のとこ、稲妻の形の傷とかあるじゃん」
「うん、気付いてた」
「それにさ、紅白のド派手な着物なんて着てるし...」
「それで?」
「だからーっ...なんか、普通と違うじゃん。すっごく怪しいじゃん」
「そうかなぁ...」
「えーっ、”そうかなぁ”って、そんなの困る」
「えっ、なんで、なんで?」
「あ、なんでだろう?」
「ったく、しっかりしてよー」
「ごめん...」
「で、あたしを、こんなとこに連れて来て何がしたかったわけ?」
「おお、大切なことを忘れてた...よし、もうそろそろいい頃だ...」
「...」
「あのさ」
「はい」
「空を見上げてごらんよ」

ピカッ

「わぁ...」

「これを君に見せたかったのさ」

男の名は板稲妻三郎、女の子の名は神菜リンコ。
ふたりは協力して雷電力発電所を作るのでした。

azisaka : 06:28

DOCLOLA(その3)

2013年05月29日

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azisaka : 07:12

デジムナーその6

2013年05月28日

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先日、道を歩いていたら「夢カフェアパート」という看板にでくわした。
一瞬、わけがわかんなくなって、少し目眩がした。
これは一体全体、アパートなのか、カフェなのか、はたまた夢なのか...

気を取り直し、注意してみると看板の脇には、2階建ての小さなアパートらしきものが建っている。
ううむ...
おお、そうか、そうだっ!
つまり、こういうことだろう。

「ほんとうは、カフェをやるのが夢だった人が、それが叶わず、しかたなくアパート経営をやっている」

いや、待てよ...
「カフェをするのが夢である人たち専用のアパート」かな?
それとも、
「”夢カフェ”という喫茶店の従業員が寝泊まりするアパート」かもしれない...

ううむ、やっぱり最初の考えが妥当だろう。
と、すると、これは使えるぞ!

夢リゾートホテル民宿
夢料亭コンビニ
夢ブティック八百屋
...

むろん、場合によっちゃあ、夢八百屋ブティックとか夢アパートカフェとかもあるだろう。

あ、人とかにも使えるな。
さしずめおれは、

夢いっぱしの画家まあまあの画家(笑)

azisaka : 15:03

マンガ傑作選その74

2013年05月27日

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azisaka : 06:26

今日の絵、その10

2013年05月23日

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ヨーロッパの取り柄のひとつって、夏、夜の帳がゆっくりゆっくり時間をかけて下りてくるところですよね。
幸せも不幸せも、たいていあの時間帯、あの光の中で育まれるという気がする。

でもって、光といえば、イングマール・ベイルマンが若い頃撮った「不良少女モニカ」っていう映画を思い出す。
ずいぶん前、パリの小さな映画館で見た。
恋人達が戯れるスエーデンの多島海、初夏の光がおそろしくきれいやったなあ...

「不良少女モニカ」

悲しいかな、フィルムではないデジタル画面じゃ、おそろしさもきれいさも、半分になっちゃうけど。

azisaka : 06:37

マンガ傑作選その73

2013年05月21日

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azisaka : 07:42

赤い金槌の料理本

2013年05月18日

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パリに暮らしてた頃の同居人は、こころに思った事はすなわち外に出さないと仕様がないという、パリっとした(”新しい”または”立派”っていう意味ではなくて、”パリ育ち”という意)人間であったので、油断してるとしばしば「あわわわ。。。」とたじろいでしまうようなことを唐突に云われたりしたもんだ。
その日、いつものように絵を描いてると、「見て」といって、新聞みたいなもんを渡された。
見ると、新聞だった。
しかしそれはル・モンドでもリベラシオンでもなくて、日本語の新聞、パリで月に一回発刊されてる日本人向けのちいさな新聞だった。

「あなた九州の情報誌にエッセイ書いてたでしょう?この新聞にも何か記事、書かせてもらいなさいよ。そしたらちょっとは生活の足しになるかもしれない」

たまにバイトをする以外、のんきに(そうではないが、そう見えなくもない)絵ばかり描いているような男は、毎日、大学に通い、四苦八苦してレポートを書き、週の半分は夕方から朝までディスコで働く女には、こういう場合、立場上逆らえなかった。

ということで、(望みは薄そうだし気は進まないんだけど)以前書いた文章を切り抜いたものを集めて新聞社(ってほど大げさなもんじゃ全然ないんだけど)に持って行くことにした。

持って行くと、そこで働いてる、道場でいうと師範代みたいな強面の男が出て来た。
ちょっとびびった。
男は、ちょこざいなやつが来たなあといった体(てい)で椅子を勧めると、自分も向かいに座り、早速読みはじめた。
そうして、ささっと一気に読んでしまうと「あー、いいねえ、じゃあ、今度何か書いてみなよ」とにこにこ顔でいった。

その男が、マコトさんだ。
「アニキいいーっ」と呼ぶような年上の男が今までの人生で何人かいるけど、そのひとりである。

出逢った当時で40歳前後じゃなかったろうか...とっても魅力的な、秋田のなまはげを温和にしたような容貌をしていて(褒め言葉になってないけど)、聞くところによれば新潟の出身ということだった。
(北の日本海側にはこんな顔の生きものが多いのだろうか...)
とはいっても、その時はすでに新潟に暮らした時間よりパリに住んでる時間が長いみたいだった。

いろんなこと知っててたくさん話しをしてくれるのだが、そこいらへんのインテリと違って、その内容にはいつも土がついていた。
”土がついてた”っていったってむろん、相撲で負けた話しを好んでしてるっていうのじゃない。
はなすことがしっかりと日常や経験に根ざしており、赤くて濃い血が通っていた、ということだ。

たとえば、雑誌などででフェラ・クティのこと読むとする。
そこにはたいてい、「ナイジェリアのミュージシャンで黒人解放運動家、アフロ・ビートの創始者として有名である。そのディスコグラフィーは...」ってなことが書いてあるのが常だ。

けど、マコトさんがはなすとこうなる。

「こうじくん、ほらこれ見てごらんよ、すごいだろー!」
(見た事ないようなフェラのアルバムを一枚を差し出す)
「わあ、いかしたジャケットですねー」
「よく、見てみなーっ」
「は、はい...」
「サックス吹きながら彼の乳首、ピーンとおっ立ってるやろう!」
「えっ、乳首?」
「そうっ!こうでなくちゃ、いかんよ...これが、アフロ・ビートさ!」

男の乳首について長く語ったというのは後にも先にもこの時だけだ。
(つうか、たいていは、一生に一度も話さないんじゃなかろうか...)

さらに音楽のはなしを続けるなら...

「こうじくん、サックス奏者をうんちに例えるとする」
「えーっ、うんちにですか?」
「うん、まず、阿部薫。これはピーピーキュルキュル、下痢だな」
「はははは...」
「コルトレーンはあれは便秘だ。”うーん、うーん”て懸命に絞り出す感じ」
「た、たしかに」
「で、もって、ソニー・ロリンズ!あれは健康な子供のうんちだ。ぶっといやつが、どんどん出てくる」
「おおー」

と、こんな感じの会話がずんずん続く。
会話っちゅうか、マコトさんが怒濤のごとくまくしたてるあれやこれやに、こちらは「おおーっ」とか、「ひゃあー」とか合いの手をはさむだけだ。

で、マコトさん、新聞の編集やってるが、ジャズドラムもドカドカたたく。
ちょっとした趣味っていうんじゃなくて、セミプロで、パリ在住のトランペッター沖至といっしょに組んで演奏したり、別にCDも出している。
何度かライブ見に行ったけど、そりゃあ、すごい。
佳境になると浪曲みたいなやつを唸りながらたたくのだ。
それがなんともエモーショナルで「ひとり天井桟敷」とか「ワンマン状況劇場」とか勝手に心で呼んでいた。

さらに追い打ちをかけるなら、料理の腕もすごい。
あるものでささっとも作れば、時間をかけてじっくりも作る。
旬の素材もつかえば、缶詰や冷凍物もつかう。
健康に良さそうなの、悪そうなの、あんまし気にしない。
和洋中、アラブ、アフリカ、インドに南米...
いろんなとこの料理を自分独自にアレンジして料理する。

そいでもって、件の新聞に料理のレシピを連載してたんだけど、これがいいっ。
誰かさんみたいに見栄えのいい写真とおしゃれな文章でちんたら紹介するのではないし、かといって、”あれが何グラムで、これが何グラム...”といった、かしこまったものでもない。
手描きのシンプルなイラストだけ付けて、歯切れのいい文章でタタタタターッと綴る。

例えば、”魚を使ったタルタル”

「最近レストランで前菜として流行っているのが魚を使ったタルタル。魚はタイやスズキやサケなど。生で食べるのだから活きがよい魚を使いたい。養殖ものなら赤ラベルlabel rougeがおすすめ。下ろしたら、中骨を毛抜きなどを使って慎重に取り除き、冷蔵庫で冷たくしておく。
 エシャロット適量(多めがうまい)を細かくみじん切りにする。ショウガとかバジリコとかアネットとかチャービルとか好みのハーブやスパイスを、おろしたり、みじんに切ったりする。冷蔵庫から魚のおろし身を取り出し、包丁で切るようにたたいて、エシャロット、ハーブ類をフォークを使って混ぜ入れ、塩、コショウで味を調える。これを冷たくしておいた皿にこんもりと盛り付け、脇に、みじんに切ったシブレットをのせたフレッシュチーズ、オリーブ油、ルッコラ菜などのサラダを添える。」(真)

ねーっ、かっちょいいやろーっ?
のっけからアクセル全開、タルタルでもタラタラしない太宰ばりのスピード感!
文章の活きがいいのだ。
よしんば料理作んなくても、ただの読み物としても面白い。

で、このレシピの連載、あまりにいいので以前、日本の出版社から単行本になって出版された。
何冊か買って友人らに送り、自分も台所に置いて事あるごとにめくっていた。
けど、残念ながら引っ越しを繰り返すうち、なくしてしまった。

絶版になって久しく、「ああ、マコトさんのあの本があったらなあ」と思い出すことしばしばだったんだけど、な、な、ナント(の勅令)、新たな装丁で再版されることになったそうだ。
    ↓
「パリっ子の食卓 ---フランスのふつうの家庭料理のレシピノート」 佐藤真

ところで、マコトさんがドラムを叩くトリオの名前は、MARTEAU ROUGE。
和訳すると”赤いハンマー”、
プロレタリアートの象徴だ。

彼が親しみを込めて”パリっ子”と呼ぶこの都市の生活者は、日本のファッション雑誌に登場するような、おしゃれでスノッブスノッブした”パリジャン”や”パリジェンヌ”とは趣を異にするように思える。

どちらかというと貧しい部類、油臭くて埃にまみれた”労働者”だ。
そんな彼らが日がな一日額に汗して働いた後、すっかり空いた胃袋を満たすような料理、
そのレシピ本がこれである。

「えーっ、違うよ、こうじくん、おれ、そんな汗臭いの嫌いだって。俺のいう”パリっ子”っていうのはさあ....」

と、いうことで、マコトさんの話しの続きが聞きたかったら、この本、ぜひ買って読んでみてください。
すごく、味わい深い本です。


azisaka : 07:25

今日の絵、その9

2013年05月16日

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「何やってんの?」
「ひょい松君をまってんの」
「ふーん。で、君、カメラマン?」
「あ、これ?これはお弁当箱よ」
「ほら」
「わあ、なんと、レンズのとこに茶碗蒸しが...」
「うふふ、そしてね、ほら」
「おお、本体のとこにはちらし寿司...わあ、三つ葉と絹さやの緑がきれいだねえ」
「ということは、お吸い物はやっぱり、その漆塗りの腕輪の中に入ってるのかな?」
「あはは、違うわよ、腕輪の中に入ってるのは、デザートの抹茶アイスよ」
「なあんだ、そうか」
「お吸い物はここよ」

「うひゃあ、マッシュルームカットの頭の中に、松茸のお吸いものがーっ!」

azisaka : 09:26

マンガ傑作選その72

2013年05月15日

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10年くらい前、まだベルギーに住んでた頃、パリからちょっと北上したとこにあるオーヴェルへ、ゴッホの墓参りに行った。

行くと墓地の一番奥の方、白くて小さな石の板が2枚、並んでちょこんと立っていた。
それがゴッホと弟テオの墓だった。

それはほんとに、石ころがふたつ、ただ置いてあるみたい、
まるで以前目にした沖縄は久高島の御嶽(うたき)のようだった。
記念写真をとカメラを携えていったものの、シャッターを押すことができなかった。

墓にはそれを覆うように、蔦が生い繁っていた。
「すみません」と手を合わせ、そっとその蔦の葉を一枚貰い受けてきた。
まことに身勝手ながら、お守りにするためだ。

今もずっと財布の中に入っている。

azisaka : 08:38

デジムナーその5

2013年05月14日

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「美の感情、感動の中で、いちばん大切なのは悲しみで、それは哭くことによってのみ表される」っていう風なことを棟方志功がどっかのインタビューでいってたのを思い出したので描いてみた、にしてはへんてこでしょぼいイラストなんですけど、のっけてみました、すみません。

azisaka : 07:02

マンガ傑作選その71

2013年05月13日

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えー、また電髪ーっ?
すみません、また電髪です。

最初はうざかったのに、だんだん愛着が湧いてきて、しまいには姿を見かけないとなんだか寂しくなっちゃうものってありますよね。
そのものより、それと過ごした時間が大切ってやつです。
「あー、うちの旦那だーっ!」

あ、むろん逆の場合もそれと同じくらいあると思います。

azisaka : 06:06

マンガ傑作選その70

2013年05月12日

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「電髪セニョーラ!」その2です。

azisaka : 07:12

マンガ傑作選その69

2013年05月11日

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今回は60歳前後の女性の逞しさをリリカルに描いてほんの一部で好評だと小耳に挟んだ微かな記憶があるようでないような、そんな連載、その名も「電髪セニョーラ!」
そのちょっと栄えある第一回目です。

azisaka : 08:11

DOCLOLA(その2)

2013年05月10日

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4月が誕生日だ。
なので勝手ながら自分に贈りものをした。
前々から欲しかった「宮本常一 写真・日記集成 全2巻・別巻1」だ。
なんと、6万円もする。
「それじゃあ、いくらなんでも手が出らん」と思ってたら、状態のいい古書が4万で見つかった。
注文したらすぐに届いた。
重い。

宮本は民俗学者。
戦前、戦後の日本各地を訪ね歩き、そこで見聞した人々の歴史や文化を膨大な記録に残している。
ページをめくると、とっても驚いたことに、自分が生まれた日のちょうどひと月後、その誕生をまるで言祝ぐように宮本は佐世保に来ていた。
佐世保の朝市の写真を撮っている。

母はひょっとしたらその日、生後一ヶ月の赤子を抱え、朝市に買い出しに行ったかもしれない。
宮本は、その生まれたての頭を撫でたかもしれない。
その可能性は、けっしてゼロではない。
それでかなりうれしくなった。

と、同時に「宮本が歩いたところを地図に落とすと日本地図が真っ赤になる」といわれるほど日本全国をくまなく歩いた彼が、”ほんとうに”、くまなく、毎日、歩いていたのだなあ、ということを我がこととして実感した。
それでかなり感動した。

azisaka : 14:50

今日の絵、その8

2013年05月09日

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「誰だっ、おまえは!」
「わわわ...へんてこなぬいぐるみがしゃべってる!」
「失礼ね、マロちゃんは、ぬいぐるみじゃないわよ」
「ぎゃあ、今度は巨人の女がしゃべりだしたーっ!」
「つうか、おまえが小人なんだろう、新種の妖精か何かか?」
「おれが、妖精にみえるかよ!どう見たって成人男子だろう」
「でも、あなた、胸のその蛇の刺青、それってアイヌのものじゃない?」
「あー、そうかおまえ、さてはコロポックルだな」
「ふふふ、そのとおりだっ、お前ら我らの神聖な蛇の森に無断で侵入したな」
「きゃあー、蛇いいいーっ、きゃあああーっ」
「あれ、ルミ、蛇嫌いだったん?」
「あたし、にょろぬる系、駄目なのよねーっ」
「ふーん、おれ、どっちかってったら好きだなー。前、ヤモリとか飼ってたし...」
「へーっ意外。マロちゃんにそんな趣味があったんだーっ」
「まあね、ちなみにうさぎとか文鳥も飼ってたよ」
「わあ、あたし文鳥だったら飼ってみたいって思ってたんだー、いいな、いいなー」
「おらおらおらーっ、そこのふたり、なに呑気に話してんだよ。ここは、蛇神様の森なんだぞ、おまえら畏敬の念ってもんがないのかよ」
「あ、ごめん、ごめん」
「ねえ、ねえ、蛇の神様ってアイヌの言葉で何ていうの?」
「ホヤウカムイだ」
「ホヤウカムイ?」
「わあ、素敵な名前ね」
「うん、いい響きだ」
「おお、ありがとう」
「カムイは神様のことなんで、ホヤウが蛇のことか...」
「そ、その通り。けど、おまえ、よく知ってんな」
「へへへ、カムイ伝はおれの一番好きなマンガだからな」
「あー、あれはいいよなー」
「えーっ、お前、小人なのにマンガとか読むのか?」
「つうか、ぬいぐるみが読むほうがどう見たってもっと変だろ!」
「マロちゃんはぬいぐるみじゃないって!」
「黙れ、でか女ーっ!」
「あーっ、おまえ、女の子に失礼だぞ」
「何だと、偉そうに、おまえこそ女性の頭の上に乗っかったりして失礼じゃないかーっ」
「マロちゃんはいいのよーっ!」
「だいいたい、そのマロちゃんて名前がしょぼいぜ」
「ううむ、こいつ、ばかにしたなぁ」
「ばかにしてなんかいませんよーっ、あっかんべーっ」
「こいつう、やるかーっ!」
「おうよ、のぞむところだーっ!」
「きゃあ、けんかはやめてよーっ...」


「みな、静かにしろ」

「わわわわわ.....」

「ホヤウカムイ様だ!」

azisaka : 07:49

デジムナーその4

2013年05月08日

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今回のイラストは、友達が始めるお店のために描いたものです。
ちょっぴり予定が変わっちゃって採用されなかったので、この場にすらっと登場。

azisaka : 06:11

マンガ傑作選その69

2013年05月07日

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azisaka : 20:21

マンガ傑作選その68

2013年05月06日

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先月、花見をしてたときの会話。

「なんね、あんた名刺ももっとらんとね、それじゃあ、商売にならんやろ?」

「だって姐さん、名刺を交換するような人って、友達とかにはなりたくないような人が多いじゃないですか?」

「ははは...でもあんた、友達になりたくなるような人ってのは、たいてい貧乏で、あんたの絵なんて買ってはくれんやろう」

「ぎょえっ...た、たしかに...」

「だったら、やっぱ、名刺のひとつくらいつくっとかんと」

「は、はい」

ということで、20年ぶりに名刺、つくろうかなと思ってる晩春です。

azisaka : 00:07

今日の絵、その7

2013年05月04日

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今回の絵は数年前に描いたのを、描きなおしたやつです。

ところで、いよいよ明日のお昼、孫崎享さんと山田正彦さんの講演が福岡は中央区の赤坂で行われます。
今まで組織的な活動なんてしたことのない、いわば”シロウト”の人間(ほとんどが女性)が「こりゃあ、私らも何かせんといかんやろう」ということで集まり企画したものです。
こういうのやるの初めてなので、なかなか人集めに苦心してる様子です。

と、いうことで、さして大切な用事がない方は、ぜひひょろっとお越し下さい。
お願いします。

詳細は以下の通りです。


ナルホド!の連続、少し笑えて、かなりためになる

TPP そら、なんね? トーク

ベストセラー『戦後史の正体』の著者・孫崎亨氏が語る、ニッポンの過去と未来

弁護士・元農林水産大臣 山田正彦氏も参戦!
TV・新聞ではわからないアレやコレや、何でも喋ります!

すったもんだの末、いよいよTPP参加が現実に…。賛成?反対?と言われても
「農業の問題やろ?」「輸入品が安くなるげな?」「参加したら、どげないいことのあると?」「で、TPPって何?」
新聞読んでもTV見ても、ようわからん!そら、なんね?
と言うひとは、ぜひ!この二人の話を聞いてみて。
TPPから見えてくる身近な問題からニッポンの未来まで大いに語ります。

●とき:2013.5.5祝 13:30開場・14:00〜16:30
●ところ:福岡市中央市民センター(下記開催場所も確認下さい)
交通手段  (地下鉄)空港線「赤坂駅」2番出口を出て、赤坂西の交差点を左折して南へ徒歩5分
(バス) 明治通り赤坂門バス停より、赤坂西の交差点を南へ徒歩5分
(バス)警固町バス停より徒歩3分

※18:00よりゲスト参加の懇親会もご用意いたしました
※【託児あり】料金500円 右下のお知らせ欄もご確認下さい

第一部/孫崎氏講演
テーマ:どうする!?[マスコミが報道しない]日本の崖っぷち!

第二部/山田正彦氏講演
テーマ:TPPでどうなる?私たちの暮らし 〜ウマイ牛丼50円!のマズイ話〜

第三部/質疑応答

【会費】
こくちーずによる事前申込:1,000円(税込)
当日料金:1,200円(税込)
当日会場へ直接お越しください。

azisaka : 11:39

マンガ傑作選その67

2013年05月03日

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えいごっ、は大学時代、塾で中坊相手に教えたりしてたので、そこそこはできていたのだと思う。

が、卒業してパリに暮らし始めたらだんだんにへたっぴいになってきた。
日常いつも聞いて話すフランス語が、あまり使う機会のない英語の能力を削りとっていったのだ。

つまり、自分の母国語以外の言葉=フランス語っていう具合になってしまった。
おかげで、たまに旅行や仕事とかで英語を話すときには、まずフランス語の言い回しを思いついて、それを英語に置き換えるっていう作業をやんないといけなかったりした。

しかし、今ではそれさえもほとんどできなくなった。
だって、今の暮らし、英語話す必要がないのだから仕方ない。

一方、フランス語のほうはまだまだ少しはいける。
ひとつには福岡に何人かフランス人の友達がいて、彼らとたまに会って話す機会があるからだ。
もうひとつは計8年近くフランス語圏に暮らしたので、フランス語でものごとを考えるようなとこが残っているからだと思う。

とはいっても、単語なんてどんどん忘れちゃってるし、以前はけっこう聞き取れてた仏語のニュースや映画も今ではてんでわかんなくなってしまった。


ところで、去年の夏、実家に帰省してる時、フランスの友人からたまたま電話がかかってきた。
久しぶりだったので数十分フランス語で会話をした。
母がそれを聞いていた。

「あんたー、すごかねー、フランス語、忘れとらんねー、よう話しきるねーっ」

「いやあ、そがんことなかけん、だってさー、だらだら話しとったけど、つまらん日常の事やけんね。ちょっと難しか、政治とか、そんなんになると全然だめやもん」

「あらー、そりゃいけんよう、もったいなかよー、忘れんごとしとかんば、せっかく上手に話しよったっちゃけん、また勉強しいよ」

「えーっ、よかよーっ、だっていらんもん」

「いらんって、でもほら、あんた、またパリで個展とかすることになったら、フランス語話せたが役に立つやろー」

「まあ、そりゃあちょっとは役に立つかもしれんばってん、そんな時間あったら絵を描いとった方がよかよ。絵をさ、見せたり売ったりすんのにはフランス語とか英語とか必要かもしれんけど、絵を描くこと自体には全く必要じゃなかけんね、日本語だけあればいいけんね」

「なんねー、あんた、またかっちょぶってーっ」

「ほらほら、テレビとかに職人さんとか伝統工芸の何とかさんとか出てこらすやん」

「うん」

「あがん、ものをつくる人たちってさ、たいてい黙って仕事して、ペラペラ外国語とかしゃべらんやろう?」

「ああ、まあ、そりゃあそうやけど...でもやっぱり話せんより話せたがいいやろう」

「まあね...たぶんさ、必要になったらまた自然と話すようになるちゃないやろか。でも、今はいらんもん」

「はーっ、わたしゃ、ようわからんっ、佐世保弁しかはなさんけんねっ」

「それで不自由しとらんやろ?見たところけっこう幸せに暮らしとるやん」

「あはははは...」

azisaka : 07:30

DOCLOLA(その1)

2013年05月02日

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パッパカパパパン、ガランガラン、ドコンドコン、ピーヒョロロン、ギュルルルル、チリチリチリリン...
さて今回のイラストは前回がけっこう濃かったので、ここはバランスをとらんとまずいぞ、と鳴りもの入りで始まった新シリーズ・DOCLOLA(ドクローラ)、その第一回目です。

これだったらTシャツにプリントしても、それほど変じゃないやろう、たぶん...

azisaka : 13:01

今日の絵、その6

2013年05月01日

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一部で好評の「神話伝説シリーズ」の中の、そのまたほんの一隅で好評(だったらいいのになあ...)の「禁断の花を摘んだがために天地が怒ってしまったシリーズ」のその3です。

メンズエステのポスターとか、健康食品のパッケージとか、愛は地球を救うのTシャツとか、そんなのに誰か使ってくんないかな...(笑)

azisaka : 05:48

デジムナーその3

2013年04月30日

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花魁といったら高橋由一ですけど、その由一や岸田劉生、西洋でいうとオットー・ディクスなんかが描くような、”でろり”とした絵っていいですよね。
すごく不気味で、夜トイレ行く時の廊下には決して掛かっていてほしくないような絵。
イケアの家具やユニクロの服に不釣り合いで、商品のパッケージや企業の広告なんかにはとうてい使われないような、とてつもなく生々しい絵。

azisaka : 06:33

マンガ傑作選その66

2013年04月29日

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「今夜は格助詞会?」
「ううん、そんなに立派な助詞会じゃないのよ...」
「あら、それじゃ何かの並立助詞会なのね」
「ううん、それも違うの。今晩のは接続助詞会...しかもその副助詞会よ」
「あらまあ、そんな助詞会なんてもう終助詞会にしてほしいわね」

azisaka : 18:29

マンガ傑作選その65

2013年04月28日

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他所の方にはあんまし馴染みがないかもしれませんが、”ミヤマキリシマ”っていうのは九州各地の高山に自生するツツジの一種のことです。

azisaka : 20:41

デジムナーその2

2013年04月23日

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今回のデジムナー絵、元は友達のブティックのDM用に描いたものなんですけど、ボツってしまったのでその腹いせに、表情を幾分か険しくして、色を渋くし、花をどくろに描き変えたものです。

描きなおす前は
「あら、待ってたのよ、遅かったのね...うふん」
度が高かったんですが、描きなおした後では
「ふう、まだ、いたの?早く帰ってよ」
度がそれをやや上回ってる感があります。

しかし、見ようによっては、
「ちょっと待っててね、シャワーしてくるから...」
と、とれないこともないし、はたまた
「ふふ、そのブランデー、青酸カリが入ってたのよ,,,」
という面持ちにも見えます。
ひゃああ。

azisaka : 08:46

マンガ傑作選その64

2013年04月22日

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この部長さん、同僚や部下の結婚式の時はかならずランシャツ一枚で出席するそうです。
そうして宴が最高潮に達するのを見計らい、無断でステージに駆け上がったかと思うと、皆の制止を振り払い、高らかに”乾杯”を絶唱するそうです。
ほんのちょっと、見てみたいですよね。

azisaka : 17:51

マンガ傑作選その63

2013年04月21日

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わーっ、ものすごーっく面白いっ!

azisaka : 08:08

今日の絵、その5

2013年04月20日

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少しだけ好評の「神話伝説シリーズ」の中のほんの微かに好評の「禁断の花を摘んだがために天地が怒ってしまったシリーズ」のその2です。

ついでになんですが、ニューヨーク在住のドキュメンタリー作家・想田和弘が、改憲問題について、何とか人に伝わるようにと、平易な言葉でわかりやすく、ほんとうに心を尽くして語っています。
小川紳介や土本典昭や佐藤真(みんな死んでしまった)が読んだら、ひと言「よし!」と言ってうなずくと思います。
皆さん、いろいろとお忙しいでしょうが、この場に訪れたのも何かの縁、ここはお茶でも入れてぜひとも読んでいただきたいと思います。
(ほんとに時間のない方は、せめて第3回目だけでも)

法律が大の苦手な僕が改憲問題を論じる必要に迫られる理由 第1回

第2回

第3回

azisaka : 12:56

マンガ傑作選その62

2013年04月19日

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さて、いつも上司にいびられてる田所さん、意を決して、というか気まぐれに何となく真ん中のボタンを押してみることにしたのですが、さてこれ押すとどうなるでしょう?

01)上司のいびりがさらにエスカレートする
02)同僚からもいびられるようになる
03)それどころか後輩からも邪険に扱われはじめる
04)扉が開かずに長い間閉じ込められてしまう
05)扉が開くと血走った目の土佐犬がいて噛みつかれる
06)天井がぱかっと開いて獰猛なシャモが飛びかかってくる
07)床がすっと開き、クロコダイルがうようよの地下室に落とされる
08)どこも開かないのに、むかし捨て去った女の怨霊に首を絞められる
09)なにも起こらない
10)不甲斐ない己自身と闘おうという気持ちになる
11)この世の、人を不幸にするようなシステムと闘おうという気になる。

(答え)以下の歌が流れる

おれは秘密を持っているぞ
おとつい母さんに買ってもらった
でっかい粒のあめ玉のことさ
お前なんかにゃやんないぜ♪

azisaka : 06:40

ライブのお知らせ

2013年04月18日

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今やってる絵箱展の記念イヴェント(ってほど大げさなもんじゃないですけど)として、このほどライブ(と飲み会)をひらくことになりました。

歌ってもらうのは、本の装丁やってる姉貴分の友人(興がのったらスナックのカウンターに飛び乗ってちあきなおみを絶唱する)が「あんた、このふたりなかなかいいけん」といってどっかからか見つけてきた男女二人組です。

ハートランドっていう名前で、ああ、他に何かいいバンド名なかったんかいなあ、とつい横槍のふたつかみっつ入れたくもなるのですが、飲み会の席で気が合って「じゃあふたりでコンビ組んでやろうぜ!」となったときに手にしてたビールの銘柄が”ハートランド”だったのが謂れと聞けば、うん、うん、それしかないと納得です。

このハートランド、佐賀を足場にあちこち出向いて活動してて、歌とエレキベースの一風変わった取り合わせです。
歌詞がいかしてて、歌も演奏もなかなか味わい深く、素朴な人柄がナイスで、いっしょに飲んでてもひじょうに楽しい2人です。

YouTubeで見ることができます。
ハートランド

もしもお急ぎの方は、ベースの仁さん(布袋寅泰を少し縮めてたくさん優しくしたみたい)のイントロがちょっぴり長いので、最初はボーカルのななこ(佐賀弁まるだし)が登場する4分過ぎくらいからお聞きになってもきっと許してくれると思います。

さて、今回のライブ(その後で飲み会)、会費はひとり千円(すみません、場所代とギャラです)で、食べ物や飲み物は持ち寄り形式にしようと思います。(子供や赤ん坊はもちろん無料です)
それぞれが自分が飲み食いする分を持参して、皆で分け合うという寸法です。
手料理たくさん持って来ていただけたらそりゃあうれしいですし、むろん、来がけにコンビニで唐揚げやスナック買ってきていただいてもかまいません。
(ぼくは豆料理と玄米ピラフあたりでいこうと思ってます)

詳細は以下の通りです。

ロンド開店&アジサカ絵箱展開催記念
ハートランドライブ
(日時)4月27日(土)18時30分開場、19時開演
(会費)1000円 (すまん、飲み物か食べ物を数品持って来てください)
(場所)福岡市中央区大手門3丁目12-12 BLDG64 2F(地下鉄 大濠公園駅近く)

ライブ終了後、21時くらいから24時くらいまで飲み会になる予定です。
途中参加でもいっこうにかまいません。

と、いうわけで、「ああ、そいじゃあ餃子とビールでも買っていってみようかな」と思われた方は面倒ですが、一応以下のメルアドまで名前と人数をお知らせください。
むろん、当日にいきなり参加でもかまいません。

azisaka@nifty.com


azisaka : 09:20

今日の絵、その4

2013年04月17日

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好評の(ほんとかなあ...)神話伝説シリーズその4です。
いつもはキャンバスの上に描くのですが、今回は板の上に描いてみました。
って言ったってパソコン画面ではわかりゃあしないですよね...

azisaka : 10:29

マンガ傑作選その60

2013年04月15日

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いきなり、こんなとこですみません。

TPPが妥結されたらほんとうに日本はたいへんなことになってしまうということで、ちょっとした知り合いが中心となって来月の5月5日(日)、孫崎享さんと山田正彦さんを博多に呼んで講演をやっていただくことになりました。

「ったって、わたしTPPっていまいちようわからーん」という人は以下のYouTubeをごらんください。可能な限り短くわかりやすく説明してあります。
「サルでもわかるTPPがヤバい9つの理由」

(これを見て、少しでも心動いた人は、この映像の下敷きになった本”「サルでもわかるTPP」安田美絵”をまずは読んでみてください。)

さて、今回のこの講演会ですが、「TPP、そら、なんね?トーク」と題し、新聞やテレビを見たってちっともよくわからないこの協定について、反TPPの中心的な人物であるお二人に、身近な問題から日本の未来までびしばし語っていただくというものです。

「おう、そいじゃあ、行ってみようかな」と思われた方は以下のHPをごらんください。
詳細がわかるとともに、参加申し込みができます。

「TPP、そら、なんね?トーク」

そいでもって、「うむ、これはみんなにも教えんといかん」と思われた方は、どうかメールやツイッター等で広く周りの人間にもお知らせ下さい。
よろしくお願いいたします。

アジサカコウジ(遺伝子組み換えでない)

azisaka : 09:02

今日の絵、その3

2013年04月11日

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さて今回の絵は、今年の桜の開花と同時に威勢良く始まった「神話伝説シリーズ」、そのさらに中にある小シリーズ、名付けて「禁断の花を摘んだがために天地が怒ってしまったシリーズ」(長っ)のその1です。

相当にむかし、小1か小2くらいの頃、妹とふたり町の本屋に行って、生まれて初めてマンガコミックっていうやつを買った。

その時ぼくが買ったのは「ハリスの旋風」の4巻(なぜ1巻じゃなかったのかというと、同じ値段でその巻が一番ぶ厚くて得だと思ったから)で、妹が買ったのがマーガレットコミックの「あのねミミちゃん」だった。

で、記憶の中のずうっと奥に今も元気で暮らしてる、そのミミちゃんに、今回の女の子は似てるという気がします。


azisaka : 21:10

マンガ傑作選その59

2013年04月10日

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さてここで問題です。
このモコモコ帽、素材は何でできてるのでしょう?

01)モコモコの木の樹液を固めたもの
02)モコモコ星人が残したなぞの物体
03)モコモコ湖のモコモコ藻
04)プールのコースを区切るために浮かんでるやつ
05)なんと千度のインドの粘土
06)バナナ
07)ゴーダチーズ
08)トッポギ
09)うまか棒
10)芋ようかん

(答え)モコモコ夫人のため息

azisaka : 07:31

デジムナーその1

2013年04月08日

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デジムナーってのは、パソコンを使って版画調に仕上げたイラストのことで、”デジタル棟方志功”の略です。
たまに、このような仕事が舞い込みます。
(上のは葉室麟さん新聞連載随筆用)

やってて非常にたのしいです。
ほんとうの木版みたいな風合いは出やしないのですが、デジタル作品なので、でっかく引き延ばしてつかうことができます。

Tシャツ用に描いたものが、「おお、この絵なかなかロックでいいやん!」ということでライブの垂れ幕になったりします。

さて、映像を見ていただいた人の中には「この歌っている人ったら、”やかましい”とか”うるさい”とか言って、お客さんに対して失礼だなあ」と思う人もひょっとするといるかもしれません。
けど、ファンの人たちはそんなのこそがうれしいのだそうです。

azisaka : 18:33

今日の絵、その2

2013年04月08日

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「わあ、いきなり目が見えなくなっちゃったーっ」

「こんな不幸な目にあったら女の子はしくしく泣くもんなんだろうけど、なんか変、涙がぜんぜん流れて来ないわ」

「見えない目には涙を作ることができないのかしら...」

「ひゃっはっはーっ、お前、なんにも知らないんだな」

「わあ、誰?」

「猫だ」

「猫?わー、猫がしゃべってるーっ」

「聞け。お前の涙が出てこないのは、今が泣くべき時ではないからだ」

「え?」

「お前は視力と引き換えに、大きな能力を授かったのだ」

「のうりょく...?何の?」

「おれら猫族を自由自在に操ることができる能力だ」

「えーっ!?」

「はい、ラッパ」

「あ、どうも...」

「ちょいと、吹いてみな」

「ププーッ」

「.....」

「あっ...わわわわわ...」

「な、なんかいっぱい、集まってきたーっ!」

「猫たちだ」

「わあ...」

「よし...」

「え?」

「出発だ」

「おれらを率いて西へ進め」


と、いう感じの絵が神話伝説シリーズその2です。


azisaka : 09:40

マンガ傑作選その58

2013年04月02日

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他所の方にはあまりなじみがないかもしれませんが、福岡に朝倉っていう土地があります。
現役で活躍する水車群でけっこう有名です。
そこの水車たち、二百年以上前からずっと、田畑に水を送り続けてるそうです。
大したもんだと思います。

azisaka : 07:38

また始まった今日の絵、その1

2013年03月31日

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「えっ、何?きゃーっ、わーっ、もーっ、やめてよう」
「ペロ、ペロ、ペロ....」
「舐めるのやめてって云ってるでしょーっ」
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
「起こしちゃったじゃないわよう、人がせっかくいい気持ちで寝てるっていうのに...」
「だってさ、君のほっぺ白くてツルツルで、ミルクキャンデーみたいなんだもん」
「あー、つうか、あんた誰?何?豹?」
「ブーっ、ブブブブーっ、はーずれーっ!」
「う、うざっ...」
「ぱっと見、黒豹だと思ったでしょーっ?」
「え、ええ、まあ...」
「と、思いきや、ライオンなのでしたーっ!」
「....」
「世にもめずらしい、黒ライオンの闇吉です」
「ヤミキチ?ぷぷっ、変な名前」
「おじいちゃんがつけてくれたとばい、侮辱すると噛むばい」
「”ばい”って九州の方ですか?」
「い、いえ、母方の祖父の生まれは長崎ですが、わたしは違います、ここです。この森で生まれ育ちました」
「森?ああ、ここは森の中なのね?そういえば見渡すかぎりの花...あ、きゃああ、はずかしい、わたし裸ん坊...」
「あのねえ、今、気付いたんかい、遅っ...」
「いったいここはどこなの?」
「ここはね...でもその前に、あんたは誰だい?」
「え、わたし?わたしはね...」
「うん、うん」
「つうか、なんであなたライオンなのに人間の言葉をはなしてんのよ」
「ははは、違うよう、ぼくが人間の言葉はなしてるんじゃなくて、君がライオンの言葉をはなしてるんじゃないか」
「あれ?ほんとだーっ!」

というような会話をしてるふたりが、「神話伝説シリーズその1」に登場です。


azisaka : 07:39

マンガ傑作選その57

2013年03月30日

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それは困りますよねっ。

ところで、今日からサイトのトップページの絵が春夏用に変わりました。
何を隠そう、絵を描き始めた時からずっと懐に抱いてあたためてきた”神話伝説シリーズ”、その試し描きです。

なんか目がチカチカしますけど...

azisaka : 06:18

錆猫四天王その1

2013年03月29日

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前回登場の”大学でドイツ語教えてる友人”が、絵箱展について某ブログにいかした文章を書いてくれてました。
ここに紹介いたします。
(いいですよねっ?)

「絵箱の誘惑」
太古のむかしからひとは誘惑にかられて、「神々がしてはならぬと言った」と伝え聞いたことを敢えてなしてきた。罪の歴史記述はそこに始まる。パンドーラーに贈られたのは箱であったとも壺であったとも伝えられるが、中に入れられたものはこぼれてはならないものであり、他のものとは区別された特別なものであった。そしてそのうえ、蓋をして遮蔽するのは、常に開いた器とはちがって、開くこともできるという可能性の点で、外界との隔絶を一層深く表現する。誘惑の秘密はそこにある。箱は閉められている以上、雄弁に外界との隔絶を語るのだから。
 古来箱には装飾が施されてきた。隔絶を語りながらも、その美しさは一層、内部への好奇を誘うのである。それが箱の中に何かを隠した神々のいたずらであるにせよ、神々を真似た人間の行為であるにせよ、箱はひとを惑わしてきた。
 箱に描かれた多くは女人である。その波打つ髪は神話から時を越えてやって来たかのようである。波に揺らめいても揺るぎなく己の姿を見つめつづけて花と化した少年のように、箱の秘密を窺う者を見つめつづける。
 誘惑に導かれ蓋を開け、中身を取り出すというきわめて人間的な行為と、中に詰め込み蓋をして秘密を作るという神的な行為とを私たちに誘い強いる絵箱そのものこそ、私たちに与えられた宝ものなのかもしれない。
 わがこころなぜか波打ちさざめきぬ。

(「コラム錆猫洞」より)

azisaka : 06:33

今日の絵箱(その4)

2013年03月28日

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今回の絵箱は、「ファウスト」読んでる女の子の絵です。

今年の冬、大学でドイツ語教えてる友人に誘われて、その恩師である人のお宅に昼食をごちそうになりに行った。

福岡のはずれ、山の裾野に広がる柿畑の真ん中にそのお家は建っていて、柿狩りを楽しんだ後、鍋を囲んだ。

ゲーテを専門のひとつとされるその元大学教授は「春菊は投入したら間髪を入れずに取り出して食べること」などと、鍋奉行に手腕を発揮しながら時折、ドイツ文学についてお話をされるんだけど、ゲーテを語る時の”ゲーテ”の発音がカタカナではとうてい書き表せないような何ともいえぬ響きで、耳にしたとたん、目の前の空気が一変した。

一瞬、柿畑がモミの木の密集するシュヴァルツヴァルトに、鶏のつみれ鍋がフランクフルトソーセージに変わってしまうのである。

これにはびっくりした。


azisaka : 07:05

マンガ傑作選その56

2013年03月27日

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へんてこな乗りもの(でもメチャ速い)シリーズその2です。

azisaka : 14:23

マンガ傑作選その55

2013年03月26日

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熊本は江津湖の近くに「お静」っていううなぎ屋さんがある。
学生時代、一年に二回くらい、遠方からお客さんがきた時など食べにいった。
がぶっちょな姉妹がふたりでやっていて、どちらが焼き手でどちらが接客係か忘れたが「ほお、兄ちゃん、しばらく見んうちよか男になったねえーっ」「うちらがもうちっと若かったら、ほっとかんぞ、がははは...」なんてふたりして、でかい身体で、でかい声でしゃべりながら、でかい煙あげて、でかいうなぎを焼いていた。

静かな要素は微塵もないのに、お静っていう名前なのがとてもいいと思っていた。

今は姉さんは引退し、妹さんが接客、その息子さん(柔道家らしい)が焼いてるそうだ。

店はとても古いが家族経営のいかした店だ。
むろん、うまい。

今度、熊本行ったらひさしぶりに行ってみよう。

azisaka : 15:33

マンガ傑作選その54

2013年03月25日

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azisaka : 09:50

マンガ傑作選その53

2013年03月22日

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azisaka : 17:08

今日の絵箱(その3)

2013年03月21日

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azisaka : 20:41

マンガ傑作選その52

2013年03月20日

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azisaka : 07:20

絵箱展’13開始

2013年03月18日

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本日より絵箱展”13が始まります。
絵箱の他に、絵画を数点、トートバッグ、ポストカード、ほんの少しですがTシャツも展示販売いたします。
友人知人、親戚やお隣さん、以前から気になってたあの人やたまたま道ですれ違ったこの人、皆さんお誘い合わせの上どうぞお越し下さい。
(詳細につきましてはひとつ前の記事をご覧下さい)

azisaka : 10:21

絵箱展’13のお知らせ

2013年03月13日

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大学卒業してしばらくしてパリ行って、4年間くらい暮らして帰って来て落ち着いた先は福岡の桜坂っていうとこだった。
桜はそれほど多くはないが長い坂道があって、その途中ぐるっと大きくカーブしたとこに馬屋谷っていうへんてこな名前のバス停があった。
その真ん前のマンションに移り住んだ。
江戸時代、福岡は黒田藩の殿様は狩り好きで、しょっちゅう今は南区あたりの草原にウサギやイノシシを狩りに行ってたんだそうだけど、殿様や家来の乗った馬を繋いでおいたのがその”馬屋谷”辺りだった。

馬も殿様もいなかったけど、近所にフランス語を習ってる娘がいて、ひょんなことから知り合いになった。
当時はパティシエを目指していて、プリンを作ってもらったが、スプーンを天高く放り投げたくなるくらいうまかった。
しばらくするとパリへ修行しに行って、帰って来たらカフェやパン屋で働きつつ自分で畑持って野菜を育てたりしていた。
そうこうするうちアロマオイルでマッサージをする仕事で己が能力を磨きつつお金を貯めはじめた。

自分の店を持つ計画を虎視眈々と進めていたのだ。

周りの人はその彼女の計画を”ジェット計画”と呼んでいた。
料理やお菓子作りがうまくて、雑貨や服を見る目が肥えていて、アロマやマクロビにも首突っ込んでる彼女がいったいぜんたいどういう店を持つのかみんな見当がつかない。
それで、とりあえず”ジェット”(”何となく凄そう”の意味)と名付け見守っていたのだ。
見守りながら、心待ちにしていた。

でもって今度の月曜、3月18日、ついに彼女が念願の店をオープンする。
店名は「L'onde」(ロンド)、フランス語で”波”とか”波紋”を意味する。
いい名前だ。

自分の目や耳や手触りなんかで選んだ雑貨や服やアクセサリー、そんなものを新しい古い織り交ぜて売るんだそうだ。

「そいでさあ、こーちゃん何かやってよ」
「おお、そいじゃあひさびさに絵箱でも作ろうかな」
「わあ、いいねー」


ということでオープン記念として絵箱展をやることになりました。

「アジサカコウジ絵箱展’13」
手描きの絵箱、約40点の展示販売を行います。
期間はけっこう長くて2ヶ月間、2013年3月18日(月)〜5月19日(日)です。

「l'onde」
福岡市中央区長浜2−4
新長浜ビル112
(TEL) 050-3577-4112
(営業時間) 12:00〜20:00
(定休日) 日曜日

というわけで、みなさんどうかぜひいらしてください。
店もその場所も、置いてる品々もなかなかいいです。

azisaka : 07:15

マンガ傑作選その51

2013年03月12日

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azisaka : 21:14

マンガ傑作選その50

2013年03月06日

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羊羹を食べて、「ああおいしいなあ」と初めてと思ったのは、大学2年の時だ。
社会学科の調査実習で行った水俣でたまたま食べた一切れがすぅうごぉーくうまかった。
聞けば地元の和菓子屋さんのものだそうで、そこだけでしか売られていないという。

翌日さっそく行ってみた。
行ってみたらそこは古い一軒家で駐車場にアウディ・クワトロがとめてあった。
四輪駆動を乗用車に初めて採用したドイツの車で、当時の車好きあこがれの一台だった。
場違いな取り合わせにびっくらこいた。

この老舗はデパートその他からの販売勧誘をかたくなに断り、自分のとこだけで作り自分のとこだけで売っている。
徳富蘇峰は「虎屋に匹敵する」と賞賛してるけど、ぜーんぜん楽勝でこちらの勝ちだと思う。
羊羹もうまいが最中にいたっては世界一ではないだろうか、うん、うん。

さて、当時は水俣関連の本を読みあさっていた。
その中で強く心に残ったことのひとつに、不知火海の漁師の暮らしぶりがあった。

「魚は天からの授かりものやけん、好き勝手にいくらでもとったりしては申しわけがなか。
一家がかつがつ生活していくのに充分な分だけ獲れたら、それ以上は獲らん。」
「冠婚葬祭など、お金が特別に入り用な時は”すいませんなあ、ちょっと入り用じゃけん”って言うていつもより少し余計に獲らしてもらう」

(うる憶えかつ中途半端な方言で申し訳ないっ...)

この漁師の生活の仕方と和菓子屋さんの生活の仕方が同じなので「ううむ」と頭を垂れた。
これは水俣地方に特有の人の有り様なんだろうか...

和菓子を作る人は、望むならば広く宣伝し駅や空港やデパ地下で売って事業を拡張し、お金をいっぱい稼ぐことができる。

しかしそれはやんない。

やんないけど、きちんと汗水垂らし稼いだお金で上等の車を買い、ビュウウーっと乗り回し、生活を存分に楽しむ。

「わが獲ったぞんぶん(思うぞんぶん)の魚で1日3合の焼酎を毎日のむ。人間栄華はいろいろあるが、漁師の栄華は、こるがほかにはあるめえが…。」
(石牟礼道子「苦海浄土」)

と同じ種類の栄華だ。

あうう、いかんっ、書いてるはなから最中が無性に食いたくなってきてしまった...

azisaka : 21:49

マンガ傑作選その49

2013年03月05日

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azisaka : 17:59

新・今日の絵(その22)

2013年03月03日

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azisaka : 21:11

マンガ傑作選その48

2013年03月01日

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azisaka : 11:48

新・今日の絵(その21)

2013年02月28日

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今回登場は熊本は天草出身の原磯江さんです。

azisaka : 21:25

マンガ傑作選その47

2013年02月27日

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熊本にはなんだかんだと6年以上暮らしてたので、いきなり団子についてはたいぎゃあうるさかばい、ほんなごつ。
合志町に小さな饅頭屋さんがあって、そこんとはまうごつうまかです。

今回の曲
BORIS KOVAC 「TANGO APOCALYPSO」
むしゃんよか!

azisaka : 07:02

新・今日の絵(その20)

2013年02月26日

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さて、今回登場は辻で詩を売って暮らす辻詩人の北村さんです。
以下はそんな北村さんの恋人が今朝起きがけにふと思いついて口ずさんだ歌です。

「56階建て」

56階建てのビル
そこが私の住むところ
56階建てのビルなので
ゴローちゃんって私は呼ぶの

ゴローちゃんって呼んだって
それはでっかくそびえ立ち
あんまり可愛くはないんだけどね

56階建てのビル
そこが私の暮らすところ
56階建てのビルなので
ゴゴゴロ雷よく聞こえるの

ゴロゴロ雷鳴轟いたって
それは分厚いコンクリで
これっぽちも揺れないんだけどね

56階建てのビル
そこがあなたと住むところ
56階で愛し合うから
ゴローちゃんってあなたを呼ぶの

どんな名前で呼んだって
あなたは全く無頓着で
いつも笑顔で答えるんだけどね

ゴロー
ゴロー
ビルのゴローと人間のゴロー

ゴローの中でわたしは暮らし
わたしの中でゴローは暮らす

ゴローゴロー
わたしの外と私の中の

ゴローゴロー
ゴロゴロゴロー
雷鳴よ轟け
わたしに轟け


「なんか変な歌ですよねー?」
「ええ、ぼくもそう思います」
「この歌をうたった北村さんの恋人って普段は何やってる人ですか?」
「うんと...家でゴロゴロしてるかぼくの恋人やってます」
「おお、それはなかなかいい暮らしぶりですね」
「ええ、ぼくもそう思います」
「で、そんな恋人の暮らしを支えるためにあなたは詩を書いて売ってるんですね」
「ええ、まあ大方そうです」
「ふうん...あ、ところで刺繍、すてきですね」
「え、詩集?ぼくはまだ、そんなものは出して...」
「いえいえ、本の詩集ではなくて、あなたの帽子のほら、雷の刺繍...」
「ああ、これですか、これはその恋人ってのが縫ってくれまして...」
「ふんふん、そうですか..でもほんとうにすてきです」
「ええ、ぼくもそう思います」


azisaka : 00:29

新・今日の絵(その19)

2013年02月22日

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しばらく雪景色の寒そうな絵が続いたので、今回はちょっぴりあたたかな感じの絵です。

azisaka : 07:03

マンガ傑作選その46

2013年02月19日

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azisaka : 22:15

マンガ傑作選その45

2013年02月18日

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ボールに明太子と生クリームとシソの葉を千切りにしたもの、隠し味に豆板醤かXO醤をひとさじ入れてかき混ぜる。
茹でたパスタをさっとからめ、あったら刻み海苔を上から散らして食べる。
うーん、うまいっ!
生クリームの代わりにオリーブオイルだともっとあっさり。

azisaka : 11:30

新・今日の絵(その18)

2013年02月14日

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「わー、なんか変な時計!」
「むっ...」
「文字盤、真っ白で時間とかわかんなーい」
「つうかね、君、時計よりさ、もっと他に気になるとこない?」
「え?気になるとこって?」
「ほらさ、もっとほら、全体を良く見たらばさ...」
「あーっ、帽子がかわいいーっ!」
「そうだろーっ、そうだろーっ!」
「何でうさぎなんですかーっ?」
「はーっはっは、はーっはっは、ふーっふっふ、ふーっふっふ!」
「なんか、うざっ」
「あーっ、まってよ、行かないでおくれよーっ」
「だって、”はーっ”、とか”ふーっ”とか、まじうざい」
「すまん、けっこう嬉しかったので、もったいぶっちゃった」
「で?」
「うん、ああ、そうだったね、何で帽子にうさぎの刺繍がほどこされてるのかっていう話しだったね」
「えーっ、それ刺繍なんですかーっ?プリントとばっかり思ってたーっ」
「刺繍だよ。歯周でも死臭でも、なおのこと詩集ではないよ」
「....」
「ごめん、たいこ...」
「あ、博多の方ですか?」
「いえ、違います。で、何でうさぎ?との質問だったね?」
「ええ」
「それは私の名前が、うさ山うさ吉だからです」
「...」
「な、なんか言っておくれよう」
「そいじゃあ、うさ山さん、さようなら」
「さ、さようなら」
「あ、ちょっと待って。”うさ吉”ってさ、名前の方で呼んでくれないかな」
「なんで?」
「なんか、近しい感じがするでしょう?」
「そんなこと言ったって、初対面だもの。そんなに馴れ馴れしくはなれないわ」
「うさ吉悲しい」
「自分のこと、うさ吉って呼ぶの変じゃない?」
「変なんかじゃ、ないやーい!」
「お姉さんのバカバカバカーっ!」

といって、赤い帽子のおじいさんは森の奥へ向かって駆け出しました。
そうして川のところまで来ると一度こちらを振り向き、あっかんべーをしました。
わたしもあっかんべーを返すと、ちょっとくやしそうな顔を残して川をぴょんと飛び越えました。

すとんと向こう岸に着地したとき、おじいさんはうさぎの姿に変わっていました。

ぴょんぴょんぴょん...
去ってゆく白い小さな姿に向かってわたしは大声で呼びかけました。
「うさ吉ぃいいいいーっ!」

遠くて声が届かなかったのか、それともうさぎになったら人間の言葉が聞き取れないのかわかりませんが、うさ吉はそのまま駆けて行って、やがて見えなくなってしまいました。


「さて、なんで私がこうして60年も前にあったことをあなたに話しているのかといいますと。あなたがその時の、赤い帽子をかぶった老人にそっくりだからなんです。」
「ほお、わたしがねえ...」

「あなた、ほんとうはうさぎではないのかしら?」
「ははは...違いますよ」
「ふう、そうですよねぇ...」
「...」

「あの、今日、入所してこられたばっかりなのに失礼なんですけど...」
「なんでしょう?」

「あのう...あなたのこと”うさ吉”ってお呼びしてもよろしいかしら?」

「ええ、もちろんいいですよ」
「ありがとう」

と、館内にこの曲が流れる。

azisaka : 08:43

マンガ傑作選その44

2013年02月13日

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この時、係長の脳天に轟くのがこの曲だ!

ドラムのジュリーさんが学校の裁縫クラスで「かぎ編み」の先生をやってたら、そこにギターとボーカルのリンジーさんが生徒として訪れた。
っていうのがバンド結成のきっかけだそうです。


azisaka : 07:26

新・今日の絵(その17)

2013年02月11日

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「どこから来たの?」
「ドコカラ共和国」
「え?」
「うそよ」
「なんだあ、うそか..」
「でも、うそはいけないなあ」
「そういうおじさんは、うそをついたことがないの?」
「いや、そういうわけじゃあ...」
「なんかはっきりしない人ね」
「ちょっと、髪飾り、曲がってないか見てくれる」
「お、おう」
「ちゃんと蝶々の形になっている?」
「うん、なってる...」
「良かった、これ苦労して結んだのよね」
「うん、かわいい」
「ありがと」
「そいじゃあ、さようなら」

と云って去ったこの娘が10年後、私の孫娘の恋敵になろうとは...
もちろんその時の私は知る由もなかったのであった。

azisaka : 10:00

新・今日の絵(その16)

2013年02月07日

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男「こんにちは」

私「こんにちは」

立ち去ろうとすると、その男が後方から私を呼び止めた。

男「あの、ちょっと待ってください」

私は少し眉根に皺をよせて振り返る。

私「何かわたしに用ですか?」

男「いえ、これといった用があるというわけではないんですけど...」

私「...」

男「こんな山の奥で偶然出会ったのも何かの縁ですし...」

私「...」

男「ぼ、ぼくずっと独りでさみしかったんです。トランプでもしませんか?」

私「...一回だけならいいわよ」

男「うわーい、よほほーい、うれしいなーっ!」

私「でもあなたが負けたら、そのペンダントもらうわよ」

男「ええっ!こればっかりは...勘弁してください...」

私「じゃあ、やんない。さようなら」

男「あああ、ま、待ってくださいっ」

私「ふう...」

男「ピ....」

私「”ピ”ってなによ!」

男「ピ、ピアスじゃだめですか?」
 
 「おばあちゃんの形見の銀のピアス...すごく小さな星の模様がいっぱい入ってる...」

私「だめよ、わたしはそのペンダントが気に入ったの」


男「...仕方ありません。それじゃあ、そういう取り決めでけっこうです」


男と私、切り株に腰掛けて切り札をはじめる。

男、まるっきり弱く、私、苦もなく勝つ。


男「えーん、えーん、おろろん、おろろん、ぐずん、ぐずん」

男、雪の上をごろごろごろごろ転がり回って泣きじゃくる。


私「ばかみたい...冗談にきまってるじゃない」
 
 「それ、とっても似合ってるわよ。じゃあね、さようなら」

男「あ...」


というとこを描いた絵です、上の絵は(笑)


今回の曲
Anjali「Kali Came」
うわーん、かっちょいい!


azisaka : 08:29

マンガ傑作選その43

2013年02月06日

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「何になさいますか?」
「母乳を85のDカップで...」

すみませんっ...

azisaka : 07:02

新・今日の絵(その15)

2013年02月04日

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雪深い森の奥、木の陰、きものを着た女の後ろ姿。
ザッザッザッという足音。
女、足音に気付き振り返る。

男「あの、何してんですか?」
女「.....」
男「あのお...何してんですか?」
女「知らない人とはなしてはいけないって長老が...」
男「まったく...声でわからないのですか」
といって、男、編み笠をとる。

女「まあ、ゴンザレス兵衛さん!」
「何してるのこんなとこで?」
男「あなたに何してるのかって聞いてるところです」
女「ああ、そうなの...あたしは木に寄りかかっていたとこよ」
男「それは見たらわかります。」
「木に寄りかかって何をしてたのですか?」

女「あなたを待ってたの」
男「おお、そうですか!」
といって、男、少し歓喜の舞を舞う

女「ところであなたはこんな森の中で何をしてるのですか」
男「三日三晩、あなたをずっとさがしつづけていたのですよ」

女、何も言わず微笑む、目には涙。


って感じの絵です、今回は。
うふっ。

男と女「うふっ、って何よ!」

azisaka : 06:59

マンガ傑作選その42

2013年02月02日

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ちょっとした知り合いの人からこのブログを見たというメールがあった。
小学校の娘さんが見て、とっても気にいってくれたそうだ。

「漫画と真面目な絵画が交互にでてくるのがまた、たまらなくよいようです」
とのことだった。

これには、おおーっ、と声をあげてしまった。
予期せぬ感想だったからだ。

絵と漫画をかわるがわる出すというやり方は、どちらも自分の仕事だし、どちらか一方だけではなく両方を、見た人に(叶うことなら)楽しんでもらいたいと思うからやっている。

そうやってると時々、絵について、またはマンガについて、あるいは両方についての感想が送られてくる。

「絵のことはよくわからんけど漫画はおもろいです!」
とか「絵も漫画もちょっぴりシュールでいかしてます」とか...

ところが、絵と漫画を交互に出すという、その提示の仕方”そのもの”が、面白いという感想ははじめてだった。

つまりこの小学生は、へんてこな漫画とまじめくさった絵画が共存しているという、その有り様、に心を引かれ面白がってくれている。

うーん、え、偉いっ!

「アジサカさんは、イラストレーターですか?それとも画家?」
「彼は賛成派?それとも反対派?」
「ぼくは〜主義だけどあなたは〜主義」
と、大人はなんかあったらとかくどこかに分類して安心したがる。

が、彼女は違う。

ひとりの人間が両極端な性質を併せ持っているという、そのこと自体を面白がっているのだ。

これはとっても健全な、人についての面白がり方だと思う。


azisaka : 08:09

冬個展のお知らせ

2013年01月30日

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「今度、わたしカフェ、始めるの...」
「おー、いいねーっ、コーヒー飲みに行くけん」
「ううん、コーヒーというよりお抹茶。あんみつとかぜんざいなんか出すの...」
「おー、和風喫茶かー、渋いやん」
「うん、でもねむかしながらの甘味所みたいな感じじゃないの。なんというかさあ、うまく言えんけど、いっぺん外国人の目を通して見た”和”の感じの店にしたいの」
「うーん、日本に長く暮らしたフランス人が帰国してパリに開くような和風カフェ?」
「まあ、そんな感じかな」
「それでね、お店の壁をギャラリースペースにしていろんな人の作品を展示していこうと思ってるの」
「おー、いい考えやねーっ」
「それでさ、こーちゃんにもやってほしいのよ」

という会話が去年の夏、ひさしぶりにあった友達との間でなされたんだけど、すっかり忘れていた。
開店祝いにも帰省してていけなくて不義理をしていたら、秋になって街へ出かけた時にふと思い出した。

で、行ってみたらとってもいい店だった。
高い天井に、抹茶色に塗られた壁、古道具をうまく使った内装...
なにより、出された食べものが手間かけて作られてておいしかった。

実は夏の個展が終ってしばらくして落ち着いたら、大きな絵の連作にはいる予定で、この場での個展は乗り気ではなかった。
けれど、クリームあんみつ食べながら抹茶色の壁を見てたら唐突にそこに飾る絵が浮かんできた。


と、いうわけでいきなりですが、2月1日、今週の金曜日から友達が去年の秋に始めた和風のカフェで個展をやることになりました。
抹茶に、ぜんざい、あんみつに白玉団子、みな手作りでとってもおいしいです。
今回展示販売するのは、この数ヶ月の間に描いた絵の中から「うん、これは和風っぽい」と感じた作品十数点です。
展示期間はなんと2ヶ月もあるので、2月と3月では展示作品を半分くらい変えるつもりです。

アジサカコウジ冬プチ個展「ラ・マッチャの女」
2月1日(金)〜3月31日(日)

「うめのま」
福岡県福岡市中央区渡辺通3-1-16アビターレエクセラ 1F
092-726-6119
10:00~21:00(不定休)

今回の曲
The Dø 「Slippery Slope」

勝手に「ラ・マッチャの女」のテーマソングだ!
フランスのインディ・ポップバンドで、和太鼓や尺八がかっちょいい。
映像もいかしてるぜっ!

azisaka : 08:52

マンガ傑作選その41

2013年01月27日

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十数年前、熊本へ個展か何かしに行って、空いた時間にアーケードぷらぷらしてるときのこと。
いっしょに歩いてた友人がいきなり「あーっ!」と大声をあげた。
自販機の影にかわいい子猫でも見つけたんかいなと思って指差す方を見たら違ってて、そこには畳み縦に半分切ったくらいの看板がかかっていた。
着物屋さんのもので、和服を着た人物のイラストが描かれている。

「ねえ、ねえ、これ、こーちゃんの絵の、パクりやーん!」

ぱっと見たとき、「あ、自分の絵だ」と思ったけど、そんな仕事やった憶えないし、だいいち線や色や顔つきが微妙に異なっている。
縁日とか駄菓子屋さんでアニメや特撮ヒーローものの”バッタもん”をときどき目にすることがあるけど、なんかそんな感じで、一見同じように見えるんだけど妙に”安っぽい”。(べつに自分の絵が”高価”っていう意味じゃないっすよっ)
おそらくは当時、熊本のタウン誌の表紙を描く仕事やってたのでその影響だろう。

「ちょっと、これ盗作やけん、文句言いにいかんといけんよーっ!」
「え?」
「だって、あんたの絵、まねしとるやろー、そういうとこ、キッチリいっとかんと!」
「...」
「あのさあ、ほんとやったら、こーちゃんにお金払って描いてもらわんといかんのに、この人たちずるしとるっちゃけんね、それはいけんことやろう?」

と、言われても、困ってしまった。
なぜならその絵を見て感じたのは
「一生懸命にまねしたんだなあ、けなげだなあ」とか、「コピーしてくれて、ありがたいことだなあ」とか「ああ、おれもやっと人様にまねをしてもらうようになったか...」とかいった具合、どちらかというと心がほっこりするような気分だったからだ。

友達にそう告げると、「ふーん、そんなもんなん、あたし絵描かんけん、ようわからんっ」
といってすたすた歩き出した。


さて、「許可なく無断転載、複製を禁ず」だとか「ⓒアジサカコウジ」とかいったものを描いた絵の横っちょとかに付けられてしまうことがある。
気がついた時にははずしてもらう。
イラストやりはじめたときからずっとそうだ。

「はあ、アジサカさんはコピーライトについて独自の考えをもってらっしゃるんですね...」
と、いわれたりするけど、そんなたいそうなことは考えたことない。

「孔子だって”述べて作らず”って言ってるのに私ごときが..」.というのでもない。

ただ何となくやな感じがするからだ。
谷川俊太郎風にいうと”さわがしい”気分がするからだ。

それに他の人はどんなだかわかんないけど、絵なんてどっかからやってきて自分の身体通って手の先から出て、またどっかへ飛んで行くようなもんだ。
決して自分の中から生まれたようなものではない。
そんなものを、"おれ独自のものだ”と強くいうのはなんとなくお天道様に対して気が引けるし、それにもし”守る”としたらそんなふうに出て来た絵それ自体ではなくて、絵がひゅーっと通過しやすいような”身体の中のトンネル”の方だろうという気がする。

トンネル(でも筒でも管でもいいんだけど)が丈夫ででかければ、いくらでも絵はやってくる。(いい悪いはさておき)
”オリジナリティ”とかにこだわったり主張したりしてると、このトンネルが弱くて細くなってしまうような気がする。

身体=心=トンネルを、絵がゴーゴー音たてて流れて行くときの気分っていったらそりゃあ心地いいものだ。
「意識」ってもんがほとんどないので、まるで神様や霊魂に従う古代人か、それ以前の洞窟に絵描いてる原始人になったみたい。
お猿さんにきわめて近い(笑)

できることなら死ぬまでずっとそれを楽しみたいと思う。

モーツァルトだとかピカソだとか手塚治虫なんていう天才だったらば、さして苦もなく最初っから最後までずっと巨大で頑丈なトンネルを持つことできるだろう。
けれども、そうではない普通の人はトンネルを末永くいい状態にしておくようにはけっこう努力しなければならない。

一番大切なのは毎日トンネルを使うこと、つまり日々、絵を描くことだ。
その他、規則正しい生活をするとか、体力をつけるとか、偉そうにしないとか、必要以上に表にでないとか...

そんなことに気をつけていないと、普通の人のトンネルはすぐにか細くなっていってしまう。
そうしてそれに見合った”か細い絵”しか通らなくなってしまう。

azisaka : 09:50

新・今日の絵(その14)

2013年01月25日

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今回さっそうと(と、いうにはちょっぴり切なそうだけど)登場は、ルル松ルル太です。
6年前から森の動物たちに請われ、雪の王子として働いています。
今着てるのは、王子仕事をやるときの労働着です。

でも、この労働着、見ての通り一風変わってます。
表は鹿革で中はムートンの毛皮張りなんですが、半袖で胸元も大きく開いてて、いったいこの服、暖かいのやら涼しいのやらわけがわかりません。

その上、実は写っていませんけど、下は真っ赤な短パンで、素足にビーサンを履いています。
それがこの仕事に携わる者のむかしっからの決められたいでたちなんだそうですが、この極寒の中いささか常識はずれです。

そこで質問してみました。

「あのう、こんなに立派な雪の中、そんな格好で、寒くはないですか?」
「ええ、大丈夫です。お心遣いありがとう」
「だって零下20度くらいですよ、ほんとに、大丈夫ですか?」
「ええ、もちろんですとも!なんてったってぼくは雪の王子ですから」


そう云うと、ルル太はすたすたと森の奥へ立ち去ったのでした...

(姿が見えなくなると同時にこの曲がかかる)

azisaka : 20:51

マンガ傑作選その40

2013年01月23日

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パリ住んでた時は80年代後半で日本人はあぶく銭いっぱい持ってたので、ヴィトンのバッグを現地で買って日本へ送って手数料をもらうっていう仕事を何回かした。
日本人が何個も買ったりすると不信がられるので、時々フランス人の友達に頼んだ。

普通のフランスの若者がヴィトンのバッグなんて手にすることなんてめったにない。
その日一緒に連れ立って行った女の子(パリの大学で日本語習ってる)は、初めて間近で見る高級バッグのその値段の高さにびっくりしてしまった。
それでモノグラム柄のバッグひとつ手に取ると店員さんに「革じゃなくてプラスチックなのになんでこんなに高いの?」と聞いてしまった。(実際はプラスチックではなくキャンバス地に塩化ビニールかぶせたものなんだけど...)

そうしたらその男の店員、顔色ひとつ変えず真顔で答えた。
「たしかにプラスチックだが、私たちのは上等なプラスチックだ」

そんな彼らのやりとりを傍で見てて、ううむ、フランス人ってやっぱおもろいよなーと思った。

azisaka : 08:47

マンガ傑作選その39

2013年01月22日

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さて、上記のマンガとまったく関係なくて恐縮なんですが、ここ数年で聞いた曲の中で一番、「ううー、こんちくしょう、悔しいけどいかしてるぜ」と思ったのは、すごく月並みで申し訳ないんですけど、この曲です。
ラジオとかから彼女の歌声流れてくると、まわりの風景がちょっとばかし変わるんですよね...

「ふんっ、これしきの曲でたじろいでるようじゃ、つまらんぜよ」

って言われたら、哀しい顔してうつむくより他ないんですけど...

azisaka : 20:40

マンガ傑作選その38

2013年01月17日

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小学校の2年か3年の時、我が家にポータブルプレーヤーがやって来た。
何かの懸賞で当たったのか、人からもらったのか、それともちゃんとお金を出して買ったのかおぼえてないんだけど、学校から帰ると居間の隅っこ畳の上に、見たことないへんてこな白いプラスチックの機械が置いてあった。
3日ぐらいそのまま置いてあって、日曜になったら家族そろって町のレコード屋さんにレコードを買いに行った。

そのようなところへ行くのは初めてだったのでいささか緊張した。
最初のことなので、ぼくと妹が1枚、父と母が1枚、買うことになった。

子供らは「アマゾンライダーの主題歌」を買った。
♪大空に聞け~ 俺の名は~ アマゾンライダー ここにあり~♪
ってやつだ。
ここで歌ってもしょうがないんだけど...

そいでもって父と母はチェリッシュの「なのにあなたは京都へ行くの」を買った。
「てんとう虫のサンバ」で人気のあったグループのデビューシングルだ。

2ヶ月くらい、家にはその2枚のレコードしかなかった。
なので、何回も何回も「なのにあなたは京都へ行くの」を聞いた。

歌詞はいたってシンプルなのに、不思議な歌だ...

「なのにあなたは京都へ行くの」

私の髪に 口づけをして
「かわいいやつ」と 私に言った
なのにあなたは 京都へ行くの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも

静かによりそい やさしく見つめ
「愛する人」と 私を呼んだ
なのにあなたは 京都へ行くの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも

燃える腕で だきしめて
「永遠の愛」を 私に誓った
なのにあなたは 京都へ行くの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも
この私の 愛よりも

おそらくは、小2の時分に聞いたのこの歌の刻印がとても濃く深いものであったがためだろう。
それ以来、すっかり「なのにあなたは人間」にこころを強く引かれるようになった。

「なのにあなたはボクシングを続けるの」
「なのにあなたは会社に逆らうの」
「なのにあなたは酒を飲むの」
「なのにあなたは独りなの」
「なのにあなたは...」
なのに、なのに...

経験上、良くも悪くも”なのに度”が強い人ほど、その放つ光も強い。

こころの中に何をおいてでも行かざるをえない「京都」を抱えているような男、そういう男だけが女からほんとうに愛される資格があるのよ、と悦ちゃん(チェリッシュのボーカル)は歌っているみたいだ。


azisaka : 09:35

今日の絵箱(その2)

2013年01月15日

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絵箱とは関係なくいきなりで申し訳ないんですけど...

林竹二って、名前からしてかっちょいい教育者がいる。
大学で教職課程とってたとき、「いい先生ってのはいったいどんな先生なんやろう」って思っていろんな本読んでる時に出会った。
読んでその話しを聞いてみるととってもよかったので、彼について手に入る限りの本を読んだ。

そいでもって、教育実習の時にはその影響を多大に受けた授業をやった。
ひとつのものごとについての疑問、その答え、その答えに対してまた疑問、また答え、また疑問...とどんどん続いて行くような授業だ。
「なんで?」、「ああそうか!」、「でもどうして?」、「おお、そんな訳か!」、といった具合に、子供と先生との間で「?」と「!」が、ばったばったと繰り返されるようなやつだ。

むろん、普段の授業だったら題材も気力も続かないだろうが、この時は一回かぎりの教員実習、懸命に準備して気合い入れて臨んだおかげで生徒の反応はすこぶるよく、なかなかの成功だった。

それで「よっしゃあ、やったぜ」と喜んでたら、担当の先生がやってきて「鰺坂くん、これ、自分で作ったんじゃないだろ?」といわれた。
なかなかショックだった。
ああ、教員試験に無事受かっても、こんな人と一緒に働くのか...と思い、前途に濃くて重たい霧がたちこめるようだった。

それから数年、いろんなことあって、教職には就かずにふらふら(きちんと)してたら、いつの間にやらなんでか絵描きになっていた。

3年くらい前、友人ら2人と連れ立って山口に旅行に行った。
連れの友達が当地在住の童話作家かなにかで、晩に合流して一緒に飲んだ。
飲んでたら、その童話書く女の人が「これ知ってる?」といって取り出したのが、林竹二の本だった。
彼の授業を受ける子供達の姿を撮った写真集だ。

「誰、この授業やってるおっさん?」
「うわあ、すごいねー、この子供らの表情!」

意外なことに連れの2人は、自分より年長でいろんなものに造詣が深いのにもかかわらず林竹二のことを全く知らなかった。
驚いたのは、そのうちの一人が30年以上学校教育に携わっている小学校の校長先生であったことだ。
先生になるような人はみんな林竹二を通過するんもんだとばかり思ってた...
絵描きのぼくがやたらくわしく知ってたので童話作家のひとがびっくらこいていた。

彼の本、ほとんどは引っ越しを繰り返すうちどこかへ行ってしまったが、「学ぶこと変わること」、そして「授業の中のこどもたち」、これら2冊は手元に残っている。

「あらー、アジサカさん、あんた学校の先生でもないのに何でそんな本、後生大事に持ってるん?」
というと、ふふふ、それはですねっ!

この2つの本に載ってる子供らの写真、その表情が正直でたとえようもなく美しいからだ。
おそらくは林先生の人柄とその授業の内容がそうさせるのであろうが、ここでは他ではけっして見ることができないような子供らのたたずまいがたくさん記録されている。

「けっ、なんやーこのじじいは...」とふてくされながら聞いていたパンチパーマのヤンキーの顔が、授業が進むにつれ自分の内面に向き合い仏様ような顔に変化する。
肘ついて斜にかまえてた”問題児”の少年が、時間が経つにつれ集中し前のめりになる、目を凝らし一言一句もらすまいと耳をそばだてる。

なんちゅう、いい顔やー!
そんなわけで、これらの写真はアウグスト・ザンダーやダイアン・アーバスが撮ったポートレート同様、ひとの顔を描く時の大切な目安のひとつとなっている。

大学時代、苦労してとった教職課程も決して無駄ではなかったということだ。

azisaka : 09:08

マンガ傑作選その37

2013年01月14日

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azisaka : 10:15

今日の絵箱(その1)

2013年01月11日

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寒くなってくると野良仕事ができないので、囲炉裏端で農具の手入れしたり着物繕ったり、干しものにするための柿や大根の皮剥いたり、そんな風に座って身体丸め、小さくなってするような仕事が増える。
というのが、自分の祖先の冬の暮らしぶりだったのでそれが体内に受け継がれてるからだと勝手に想像するんだけど、木枯らし吹くようになると、ちょこんと座り背中丸めてやるような細々とした作業が無性にやりたくなる。
正月に餅が食べたくなるのと同じだ。
というわけで、また絵箱を作りはじめた。
そのいっとう初めが上のやつで、なんでか老人と海とカナリア。
内側は真っ赤で、この老いた鯨獲りのいまだに燃え盛る闘争本能を表現しています。
(何気なく塗った後で思いついたんだけど...)

桃の花が咲く頃には20個くらい仕上がるだろうから、そしたら絵箱展をひらくつもりです。

azisaka : 06:06

マンガ傑作選その36

2013年01月10日

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年がら年中、冷蔵庫には豆乳が入ってて、他の人がコーラやスポーツ飲料水飲んでる時も豆乳を飲む。
知らない人からはちょっと奇妙な顔されるけど、健康にいいとか何とかはさて置き、とにかく好きだからだ。
味噌も醤油も、豆腐も納豆もきな粉もおからもモヤシもみんな大豆からできてて、大豆はなんてったってすごい。
先日、筑後川沿いをサイクリングしてたら一面の大豆畑に出くわしたんだけど、積年の感謝の念が湧いて出て、思わず手を合わせ拝んでしまった。

azisaka : 08:36

新・今日の絵(その13)

2013年01月08日

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リョオコは22歳、新進の若手のデザイナーのみを取り扱うセレクトショップの店長をやってます。
今日はアントウェルペン王立芸術学院を去年主席で卒業したヴェトナム人の男の子、
彼がデザインしたスカジャンをさっそうと羽織っています。
首に巻いた真っ赤なリボンがおしゃれさんの証ですよね。

「あのう...こんな森の中でなにしてるんですか?」
ちょっと休憩してるの
「え?休憩?」
ええ、私ここでお店をやってるのよ。今はお昼休み。
「でも、こんなとこ、お客さんなんてこないでしょう?」
それが、来るんですよね...リスやうさぎやキツネとか...
「えーっ、そんなぁ、森の動物に人間の服が着れるわけないでしょう?」
ははっ、もちろんそうですよー、うちの店に来る時はみんな人の姿に変身してやって来ます。
「なんだぁ、そうか...」
うふふ...でも、そういうあなたも、人間ではないでしょう?
「え?あ、気付いてましたか...」

今回の曲
Agnes Obel「Riverside」

azisaka : 08:46

マンガ傑作選その35

2013年01月07日

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前回に引きつづき着ぐるみシリーズです。

azisaka : 07:53

マンガ傑作選その34

2013年01月06日

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このおじさんは若者の不正に憤り、自ら望んで”うさちゃん”としての演技を中断し、公衆に素(す)を晒すことをしていますが、不意の出来事で意に反して素を晒さざるを得ない、そんなしんどい時だって人にはあります。

以下はその例
激痛!ゲキレンジャー

azisaka : 09:03

マンガ傑作選その33

2013年01月04日

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”その時”にちゃんと気がつかないとだめですよねっ!

さて去年の暮れ、友達(仲間内では”姉御”と呼ばれてる装丁家)から電話があった。
「ねえ、あんた福島菊治郎って知っとる?」」
「あー、なんか聞いたことあるような...」
「なんねー、知らんとねー、今、写真展あっとるけん、ぜひ見に行きいよ」
「あ、は、はい、行きます」
と、いって見に行った写真展はとてもよくって強く心を打たれた。
以前雑誌なんかで見たことある写真がいくつかあったけど、写真家のことはぜーんぜん気にしたことがなかった。
あいかわらずの世間知らず、迂闊のうっちゃんで、遅まきながらそこに置いてあった彼の著作を買って帰った。

ここ5、6年、年末年始は実家へ帰省し両親と静かに過ごす。
この時ばかりは絵は休み、親の買い物につき合ったり日頃見ないテレビ見たり、裏山走ったりする。(プール休みで泳げないので)

それ以外はひたすら本を読む。
去年はなんでか、リルケの小説やセザンヌの書簡集、ブラッサイがピカソについて綴ったものなどヨーロッパ近代のはなしが多かった。
一昨年はというと「ドクトル・ジバコ」(長いっ!)で、すっごく面白く夢中で読んだ。
(なんで絶版で新書で手に入らないのかがわからん)
今年はというと、最初手にとったのが先述の菊治郎さん、彼が日本の戦後を切り取った作品(ぐいぐい読んでしまう)だったせいか、期せずしてそんな風な本が多くなってしまった。

どれもこれもとてもよかったので、大きなお世話だと知りつつも「読んでない人は読んだらいいのにな」と思って、読んだ順番に以下に記します。

「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘」福島菊治郎
「写らなかった戦後2 菊次郎の夏」福島菊治郎
「戦後史の正体」孫崎享
「写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな」福島菊治郎
「社会を変えるには」小熊英二
「日本は悪くないー悪いのはアメリカだ」下村 治
「3月のライオン8巻」羽海野 チカ
「狼煙(のろし)を見よ」松下竜一
「私たちはいまどこにいるのか」小熊英二

「ひゃあ、なんか硬い本が多いなー」って思われるのもっともですけど、そんな気分だったんだからしょうがない。
寒いと自然にあったかい鍋料理が食べたくなるのとおんなじです。

「あんたみたいな絵描き風情やったら、正月にのんびり読書でもできようが、こっちはサラリーマンで、そんな悠長なことやっとられんぜ」って、不平言われる方もいらっしゃると思います。
うう、それはもっとも...
けどせめて孫崎さんの「戦後史の正体」だけでも
読んだらいいのになあ、と思います。
手に汗にぎりまくりましたもん、ほんとに。

けれど全部の中で一番「ううむ...」とうなった文章はっていうと、それは「私たちはいまどこにいるのか」に載ってた、小熊英二が渋谷陽一のインタビューに答えた以下の部分です。

”普通”の市民が”保守”に吸収されていってしまってる、という話しにつづいて...

渋谷「だから今の時代においては、やっぱり何がしかの明確なメッセージ性、求心力のある強いコピーを打ち出すことが必要だと思うんです。」

小熊「コピーというのは、いまはどうかと思いますね。消費速度が早いから、あっという間に捨てられてしまう。それに”わかりやすいコピー”なんて、ほんとうに欲されてるのかな。たとえば、全共闘のときのマルクスなんてちっともわかりやすくない。むしろわかりやすくないから、みな一生懸命読んだ。」

渋谷「そうですね。」

小熊「必ずしもわかりやすいものを求めているわけではない。さっきもいったように、人間は強欲だから、自分で努力したり、参加したり創造したりする余地のあるものでないと、本当は満足できない。全共闘運動のときは、既存の政党やセクトを拒否して自分でビラを書いたりグループをつくるのがはやりましたが、いまのブログやホームページの氾濫をみても、人は与えられるだけでは満足できなくて自分でつくったり参加してみたいのだなと思います。だから明確なキャッチコピーを与えて客を惹きつけるという、その発想が限界にきていると思うんです。(略)
 あえてマーケティング的な言い方をすれば、消費者が成熟しているから、もはや新商品を提示されただけで喜んで買う状態ではない。どういうコピーを提示したらいいかという発想自体を、考えなおしたほうがいい。」

渋谷「だけど、それだとなかなか次が見えにくいと思うんですよ。現実がどんどん変わっていってるいまだから、僕はもうちょっと明確で具体的なものが欲しいな、と思うんですよね。」

小熊「だから、”明確なものを提示してほしい”という、その発想を疑ったほうがいいと思う(笑)。(略)
 “明確なもの”なんて、人から提示してもらうものじゃない。しかも一行かそこらのキャッチコピーで(笑)。
そもそもいまの人は、本当は”これだ答えだ、こうしろ”というふうに言われたいと思っていないでしょう。」

渋谷「うーん、なるほど。」

以上は2003年のインタビューだけど、2012の夏に出した本の中で小熊英二は、500ページを越えるその大書の最後のしめくくりの言葉としてこう記している。

 運動とは、広い意味での、人間の表現行為です。仕事も、政治も、芸術も、言論も、研究も、家事も、恋愛も、人間の表現行為であり、社会を作る行為です。それが思ったように行えないと、人間は枯渇します。
「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいましたが、それはある意味至言です。「対話をして何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。
(「社会を変えるには」)


あ、ところで年末のこと、
新聞にユニクロの大きな折り込みチラシが入っていた。
こたつに入って本読んでたら、炊事終った母がやってきて「あらぁ、またユニクロの広告がはいっとる」と手に取りパンっとこたつの上に広げ、「あといっちょヒーテックば欲しかっちゃんね、安なっとらんかね」とか何とか言いながら熱心に見ていた。
と、いきなり不平を言いはじめた。

母「”あたたかくてカワイイ!”って書いてあるばってんさ、 ”カワイイ”って書いとったら、わたしらおばちゃんは引くっちゃんね...」
僕「ふーん、でもさ、どがん書いてあったらいいん?」
母「あたたかくて、誰にでも似合う!」
僕「ひゃはははは...」

azisaka : 15:57

新・今日の絵(その12)

2013年01月01日

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「あけましておめでとうございます」
「あ、おめでとうございます...あの、そんなとこに座って何やってんですか?」
「あの、人を待ってるの...」
「ああ...でも、こんな雪の日にそんな格好で,,,寒くないんですか?」
「いいえ、大丈夫よ」
「何も外で待ってなくったって...部屋の中はあったかいでしょうに...」
「だってあたし、ぜんぜん寒くないんだもの。それに中じゃ、足音が聞こえないから...聞こえたらすぐに下りてって扉を開けるの」
「そう...で、いったい誰を待ってるんですか?」
「うん...ええと、それが、わたしにもわかんないのよ」
「え?」
「なんとなくね、人が訪ねてきそうなの...」

と、語るナホコさんがモデルの今年のカレンダー、
ご希望の方はお手数ですが熊本のチャイナチャイナっていうブティックに直接とりに行ってください。

azisaka : 13:33

マンガ傑作選その32

2012年12月31日

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大学時代バイトで通ってたスナックのお客さんの大半は、美人ママ目当てにやってくる50代のサラリーマンだった。
そんなおっさん連中がカラオケで熱唱するのを聞き、話し相手になってるうちに自分が生まれる前の昭和初期の歌なんかにもちょっぴり詳しくなった。

さて、なんでうちなんかの店に通うようになったのか不思議だったんだけど、たまに来るお客さんに”うさぎちゃん”って呼ばれてる30半ばくらいのゲイの兄さんがいた。
どこに住んでんのか仕事は何してんのか”ヒ・ミ・ツ”(人差し指立てて)で、教えてくれなくて、いつもひとりでやってきては、「メケメケ」とか「愛の讃歌」とかシャンソンに日本語の歌詞をつけたのを歌っていた。
フランスびいきで自分も何度か行ったことあるらしく、パリの話をよく聞かせてくれた。
「へー、そうなん...ふーん」と、(フランスに特別興味あったわけじゃないので)適当に相づち打ちながら聞いていた。

大学卒業すると、思いがけずパリに暮らすことになった。
最初の数ヶ月、友人の家に世話になったあと、ベルヴィルっていう移民が多く住む街に落ち着いた。
聞くところによるとそこはシャンソンの歌姫、エディット・ピアフが生まれ育った場所だった。

「あ、帰ったら、うさぎちゃんに知らせなきゃ」とすぐに思った。
思ったけど、連絡先知らなかったので、しばらくすると忘れてしまった。

年末実家に帰り、ひさしぶりにテレビで歌謡曲聞いてたら、ふいに思い出した。
うさぎちゃん、どうしてるかな...
会ってすこしパリの話がしたいな。

azisaka : 15:34

マンガ傑作選その31

2012年12月30日

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うちの実家の猫はモロっていう名の15歳、なかなかのばあちゃんだ。
けど、田舎でのびのびと暮らしてるので、まだまだ若いもんと喧嘩しても負けないし、小鳥やネズミもときどきつかまえてくる。
ところでこのモロ、とってもやさしい猫でぼくなんぞはただの一度もひっかかれたことがない。

8歳になるまでは一緒に暮らしてたし、その後も帰省するたび遊ぶんだが、ほんとうに、ただの一度もだ。
それはなにもぼくだけではなく他の人に対しても同様だ。

実家に帰ってモロを抱くたび、その青く光る眼を見るたび、高校のとき読んだ松下竜一の「豆腐屋の四季」を思い出す。
以下はその中の文章で、「眼施」と題されたものだ。

「眼施(げんせ)」
 病弱で、やせてっぽちで、非力で、臆病で、こんな自分がどうして世の役に立てようと、ひとり寂しい思いで殻にこもっていたある日、ぼくはこの一語に出会いました。眼施ーげんせ。仏教の経典にある無財の七施のひとつだそうです。財力もなにもない者でも、世に施すことの出来る七つのものを持っているという教えです。
 七つの中でも、ぼくには眼施がいちばん心に沁みて救いでした。眼施とは柔和な目で人を見るということです。やさしさのあふれた目で人に対するということです。そんな目にあうと、人はほのぼのと心をぬくめられるはずです。つまり、ほんの少し世にいいことをしたわけです。
 これなら病弱で臆病なぼくにもできるのではないか。やさしさが目にあふれるには、心にやさしさがあふれていなければなるまい。思いっきりやさしい心になろう。それ以外、ぼくなんか世の役に立てないのだから。懸命にやさしい心でいようと願いました。心がやさしさであふれてくれば、きっと目にも柔和な光がたたえられ、眼施にかなうだろうと思ったのです。
 そしてぼくはハッとしました。ああ、これはすでに幼い日々、母が教えてくれようとしたことではないか。体が弱く、目に白いホシがあって、みんなから白眼となぶられ、いじめられた泣き虫のぼくに、母は一度も強い子になれとはいわず、やさしいやさしい子になれというのでした。目の星は、やさしさのしるしみたいなものなんだよ、竜一ちゃんの心がやさしければ、目の星がとても美しく光るんだよと語った、あの幼い日々の母の教えこそ眼施だったのではないか。
 無学のうえ、信仰もなかった母が、眼施の教えをひとりでに会得していたのは、母自身のこのうえもなくやさしい心といつくしみの目を持っていたからでしょう。母はたぶん知っていたのです。やさしさに徹することでしか、ぼくは強くなれないのだと。
 でもほんとうにやさしくなることは、なんと至難なことでしょう。ぼくは今日も、つい些細なことで妻を怒ってしまいました。ぼくより小さく弱い妻を。
(松下竜一「豆腐屋の四季」)

高校卒業し進学すると、文学部の社会学科というとこに身を置いた。
ある日、研究室の本棚の一冊(各地の市民運動を紹介した本)を手に取るとその中に、豆腐屋をやめて数十年経った”竜一ちゃん”がいた。

「おお」と思いその日から、手当たりしだいに彼の本を読んだ。
読むと彼はその若かりし頃の文章の中、「なんて至難なことでしょう」と述べたことに己が人生を捧げていた。

豊前火力発電所建設反対運動を代表とする市民運動に身を投じ、「風成の女たち」、「砦に拠る」など、”時流に屈することなく生きた誇り高き人々”をテーマとした著作を世に問うていた。

つまり、”やさしさに徹し強くなること”で、しっかりと世の中の役に立っていた。

2004年に亡くなるまでずうっとそうだった。
それは傍から見るならば、(本人はあっけらかんとしてようと)じつに身を削るような生き方で、すごいなあと心の底から思う。ほんとうに頭が下がる。

というわけで彼には勝手ながら飼い猫のモロ同様、生きるよすがのひとつとなってもらっている。


azisaka : 17:55

新・今日の絵(その11)

2012年12月23日

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「みなさん、こんにちは、わたし和服が好きで着てるわけじゃないのよ。たまたま今日はこれしか着るものがなかったの。」
「え、着付け?」
「そんなの自分でやったわよ、ええやれますとも、ちゃんと独りで。」
「で、そこで何やってるのかって?」
「そりゃあ、アジサカさんがちょっと風邪気味なのであたしが代わりに
ブログに花を添えてるのに決まってるじゃない。」
「ん?ああ、これ...やっぱり少し変?」
「でもね、この着物の柄にはなんとなく下駄じゃなくて白のゴム長がふさわしいと思ったの...それに砂浜歩いてるんだしね...」
「え?あら、そお?わたしそんなに愛想ないかしら...」
「ごめんなさいね、そんなつもりじゃないのよ...」
「でもね、こんなに夕日がきれいだと、なんだか哀しくなっちゃって...」

azisaka : 21:16

マンガ傑作選その30

2012年12月22日

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木枯らし吹く季節になると俄然、あったかい煮物や汁物を食べる回数がいや増す。
それで、昆布と干し椎茸といりこの消費率が高くなる。

長崎住んでた頃は近所に昆布専門店があったので、そこでいつも買っていた。

通りがけに店の中をのぞき、運が良ければ奥の棚の上、上等な利尻産の”不揃い切れっ端”が小さな袋詰めにされてこっそり並べてある。
いつだってあるというわけではないので、見つけるとそりゃあうれしかった。

サービス価格でひとり2袋までのその昆布を買いためておいて使っていた。
あれは、うまい出しがよく出てた。

ところで、ここの昆布店の家族は全員、顔立ちが昆布に似ていた。
「そういわれたってなぁ、ちょっと想像がつかんなあ...」
と思われる方が大半だろう。
ふふふ、残念だなあ...
ほんっとに、見たら納得するんだけどなあ。
まるで昆布の化身みたいなんだ。

azisaka : 09:52

マンガ傑作選その29

2012年12月21日

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今回、上の会議では、”ペン”だけが仲間はずれなんですけど、ペンと聞いたらすぐさま4人思い出します。

アーヴィング・ペン
アーサー・ペン
ショーン・ペン
BJ・ペン

アーヴィングはでかい写真集一冊持ってて、アーサーは「俺たちに明日はない」2回半見て、ショーンは「ミステリック・リバー」に出てたとき、おお凄いと思った。

でも一番親近感があるのは、BJです。
顔とたたずまいがいい。
ショーンと違って鯨もりもり食べそうだし...

azisaka : 07:13

マンガ傑作選その28

2012年12月20日

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実は、この坊主頭の小僧が前回紹介したつむじ風のツム五郎の少年時代の姿です。

azisaka : 05:06

新・今日の絵(その10)

2012年12月19日

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はい、ピー子ちゃんシリーズ最新作は、つむじ風のつむ五郎、愛称ツムちゃんです。
校舎やガードレールなんかに落書きするときのサインは”26”(ツー、む)、ここら辺りの不良のリーダーやってます。
得意技は頭突きと、小鳥のさえずり落とし。
頭突きはともかく、小鳥のさえずり落としってのはどんな技かっていうと、目にもとまらぬ早技なのでだれも見たことありません。
ただ、この技を受けノックアウトされちまった番長連中の証言によると、誰しもが突然強い衝撃を脳天にくらって倒れる時”チチチ...”とか”ピヨピヨピヨ...”といった類いの小鳥の鳴き声を聞くそうです。

で、胸からぶらぶらぶら下げているのは、マロちゃんです。

「で、マロちゃん、何やってんの?」
「ツムちゃんの首からぶらさがってんだっ」
「そんなこと、見りゃあわかるよ...」
「だったら聞かないでよっ」
「そうじゃなくて、仕事は何やってるのかってことさ」
「だから、仕事はこれだよ」
「え、そんなんで、お給料もらえるのかい?」
「そんなんでって...ずっとこのポーズでいるのってなかなか難しいんだぜ」
「で、でもさ、それで何がどうなるの...」
「...ったく、ぼくのこと良く見てみなようっ」
「.....」
「どうだい?」
「あ、なんかほんのちょっぴり元気になった。」
「だろ?それがぼくの仕事さ」

そんなツムとマロのコンビが最近よく聞いてるのがフランスのバンド、SOMAです。
10年くらい地道にひたすらイブ活動やり続け、2年前にアルバムデビュー。
もういい年のおっさんで、かっちょいいです。
セカンドの最後にはいってる「Mourning Cain 」っていう静かな曲がすっごくいいんですけど、それ見つかんなかったので、別の曲。

SOMA 「the backyard」

azisaka : 05:51

マンガ傑作選その27

2012年12月18日

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「タイガー&バニー」とか「夏目友人帳」とか「侵略!イカ娘」など、周りのアニメ好きが勧めるものは一応見てみる。
だけど、たいていは当のアニメより、それについて熱く語る人間のその語りっぷりの方が数段面白い。

azisaka : 07:17

マンガ傑作選その26

2012年12月16日

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小学生のとき友達と”合体ことわざ作り”ってのをやって遊んだ記憶がある。
たとえば、こんなやつだ。

「棚からぼた餅は餅屋」
思いがけない幸運をつかむには専門家に任せよう

「人間万事塞翁が馬の耳に念仏」
人の幸福は変転して定まりがないと思ってる人に何を云っても無駄である

「言わぬが花より団子」
ためらわず好き勝手言ってしまおう

と、こんなことやってたのはきっと仮面ライダーに出てくる怪人たちの影響だったのではないかと思う。
動物二つを合体させたゲルショッカーのサソリトカゲスだとかネコヤモリ、あるいは動物と金物を合体させたデストロンのハサミジャガーやハンマークラゲ...
毎週毎週、次々にいかしたやつらが登場してきてはガキんちょ共の心をキュルルンときめかせた。

そしてこれら怪人たちの”とりあえずそこらへんにあるもの、いっしょにくっつけちゃった”というような、へんてこだがしかし味わい深いたたずまいが、彼らに熱中する子供らにいわば”合体心”というようなものを育んだのだ。

つまり知らないうち体内に、ものつくりにとってはとっても大切な”ブリコラージュ”(寄せ集めて自分で作る)の精神みたいなもんが養われていたように思う。
レヴィ=ストロース(おお!)読んでもそれが”わかる”だけだが、仮面ライダー見るとそれが”できる”ようになる(うまいへたはあるけどさ)ってのがすばらしいぞ。

ところで、仮面ライダーV3の敵、デストロンの大幹部のひとりにキバ男爵がいる。
その役をやっていたのは、宍戸錠の弟で俳優の郷鍈治だ。
郷はそのキバ男爵に扮した年、1973年に宍戸の紹介でちあきなおみと知り合う。
前年に「喝采」でレコード大賞とってる大スターと、デストロンの怪人。
ふたりは恋に落ち、5年後に結婚する。
1992年、55歳の時、郷は肺がんで死んでしまうのだが、ちあきはその柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。
そしてよく知られているように、その後は芸能界から身を引いて公の場には一切姿を現していない。

キバ男爵って、いったいどれほどいい男だったのだろう...

今回の曲
Serge Gainsbourg「Je suis venue te dire que je m'en vais 」 

直訳すると「君に別れを告げに来た」という曲で、終盤ジェーン・バーキンのすすり泣く声が入っている。

azisaka : 22:56

新・今日の絵(その9)

2012年12月14日

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例年のごとく、ブティックやってる友人から来年のカレンダーの絵を頼まれた。

それで描き上がったのが上の絵だ。
さっそく写真にとってメールで送った。
が、なかなか返事が来ない。

返事が来ないっていうのは、つまり、気に入らなかったということだ。
四半世紀も前からつき合っている仲なので、そんなことはわかる。
その”気に入らなさ”をどうやってうまく伝えようかと考えあぐねて、
なかなか返事ができないでいるのだ。

おそらくは
「こーちゃん、うーん、すごく素敵なんだけどさー、なにしろ一年中貼っとかんといかんやろー。それにしてはさー、ちょと寂しすぎる感じ...って私は思うんよねー」
といった心持ちに違いない。

それで、とっとと描きなおすことにした。

azisaka : 21:10

マンガ傑作選その25

2012年12月13日

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今年の夏のことだ。
駅まで迎えに来ようと父がいうのを断って、
町の様子を見ながら歩いて帰った。
正月に帰省したきりなので実家に帰るのは半年ぶりだ。

「ただいまー」と玄関開けても返事がないのでおかしいなと思ってたら、奥から受話器片手に母がぱたぱたやってきた。

「あらー、そう、お宅も大変ねーっ」なんて話し続けながら、
靴を脱いでる息子の背中をばんばんとたたいた。

強い日差しの中、大きなリュック背負って歩き汗べっとりだったので、
二階に荷物を下ろすと早速シャワーを浴びた。
ついでに濡れた下着や靴下も洗濯した。

干してたら、ぐーとお腹がなって、朝からなんにも食べてなかったのを思い出した。
帰省前にやりかけ仕事を片付けようと早起きして働き始め、終ったらそのまま電車に乗ってしまったからだ。

冷蔵庫開けたら、ゴーヤと茄子とトマトとしめじがあったので、パスタをゆで始めた。
フライパンにオリーブオイルしいてニンニクで香りをつけ、野菜炒めて塩こしょうして、ちょこっとケチャップを加えて麺に絡めて食べた。
うまかった。

食べたら食器洗って、コーヒー入れて、新聞を読んだ。

コーヒー飲み終って、新聞とそれから折り込み広告も読み終わって、
隣の客間を覗いたら、母はまだ電話でおしゃべりの最中だった。

「おおーっ、長っ...相変わらず、すごいなあーっ...」

ひとしきり感心した。

azisaka : 22:11

マンガ傑作選その24

2012年12月12日

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サラリーマンを題材にしたマンガの依頼が
しばしば舞い込んできます。
会社勤めしたことないので想像して描くんですが、
なかなか楽しいです。

azisaka : 21:20

マンガ傑作選その23

2012年12月11日

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いつどこで聞いたか読んだか忘れちゃったんでまったく正確ではないけれど、

「よくよく注意して眼を凝らさない限りわからない、背景の隅っこにあるような事物の細部までキチンと描いてらっしゃるのがほんとうに凄いですね」

と驚嘆するインタビュアーに向かって、
宮崎駿がめんどくさそうに

「あっ、そんなのは当たり前です。見えないような細部でも、そこにちょっとでも手を抜いちゃうと、必ず見えてる全体がだめになっちゃいますから」
というようなことを答えてて、ひょえーっと唸った憶えがある。

azisaka : 18:26

新・今日の絵(その8)

2012年12月07日

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引き続き「うん、わかったよピー子」シリーズ。
その7に登場は、野母埼シュエット八郎太です。
略してシュッ八、いったい何がわかったというんでしょうか?

その1)殴るなら担任より校長
その2)襲うんならコンビニより銀行
その3)使うのなら鉄パイプより己が拳
その4)行くのなら独りより仲間と
その5)歌うならバンプよりフィッシュマンズ
その6)おやつはグリコよりカバヤ
その7)酒は吟醸酒より純米酒
その8)雪道に素足は冷た過ぎ
その9)小鳥の吐く息もあたたかい

(答え)ピー子にはかなわない

azisaka : 07:22

新・今日の絵(その7)

2012年12月06日

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「うん、わかったよピー子」シリーズ、その6です。

azisaka : 20:46

マンガ傑作選その22

2012年12月04日

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私事ですが葡萄も武道も大好きです。

azisaka : 21:18

新・今日の絵(その6)

2012年11月29日

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今回の絵は「うん、わかったよピー子」シリーズ、その5です。

azisaka : 05:14

マンガ傑作選その21

2012年11月28日

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「さようならの大仏」とか、「ごきげんよう緑素」とか、「ごめんなさい条秀樹」とか、小学校の頃はよく言っていたもんだ。

あと、ドッジボールの時、どういうわけか授業で習いたての言葉を叫びながらボールを投げるってのも流行っていた。
長けりゃ長いほど、難しけりゃ難しいほど威力があった。
「基本的人権の尊重ぉーっ!」と叫びながら投げると、ボールを受けた相手が今度は「平等院鳳凰堂ぅーっ!」とか「石綿付き金網ぃーっ!」とか叫んで投げ返した。

ところで小3のとき生徒会に出たら、何についてか忘れちゃったけど会議があった。
一人ひとり意見を言うことになり、自分の番がきたので立ち上がり、なんたらかんたら適当に言って座った。

と、同学年の利発と呼び声高い女子の〇〇が手を挙げて
「アジサカ君、もう少しグタイテキに言ってください」
と言った。

グタイテキーっ???

な、なんだろう、グタイテキって?

その時、”具体的”って言葉が何を意味するのか知らなかったので、
びっくりした。

あわわわ....と面食らい冷や汗を流しているか弱い10歳の少年を、
〇〇が正面から睨みつける。

校庭側の窓を背にした彼女のおかっぱ頭が、真っ黒なシルエットになり凄く恐ろしかった。

中学になる頃にはキャッカンテキに見ておれのほうが〇〇より勉強できるようになったけど、
その時感じた恐ろしさってのはいつまでも変わらない。

というわけで、小3のその放課後以来、
おかっぱ頭の女子には用心することにしている。

azisaka : 06:37

新・今日の絵(その5)

2012年11月25日

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えっと、今回は和風シリーズその3、もっちーの登場です。
で、いきなり問題。
なんでこのコはみんなから”もっちー”って呼ばれてるんでしょうか?
1)本名、若木茂千子だから。
2)年がら年中、男子にモテモテだから。
3)老舗の餅屋の娘だから。
4)「もっちー!(もちろん!)」というのが口癖だから。
5)道子という名で元々”みっちー”と呼ばれてたのが訛った。

答えは、みなさんの裁量ににおまかせするとして、もっちー、
今日はご機嫌斜め、っていうかほぼ垂直くらいにプンプンです。

だって、さあ肋骨君(変な名ですが彼氏のことです)と、盆祭りにいこうと一年ぶりに箪笥から浴衣を取り出して着てみたところ、ちんちろりんだったのです。

もっちー、幼馴染みに言いくるめられてバスケ部になんて入っちまったのがいけなかった。
一年でなんと16.5センチも背が伸びてしまったのです。

猛烈な怒りの矛先は当然ながらその幼馴染み、浦木リカに向けられてます。
幸か不幸かリカんちは、肋骨君の家に行く途中(上の絵を見ていただくと、路上表記のスクールゾーンの”ク”の辺り)なので、一発蹴りでもお見舞いして憂さを晴らし、にこやかな気分で彼氏とお祭り気分を満喫しようという心づもりです。


勝手知ったるリカんち、庭先のピョートル5世(あ、犬です)に挨拶すると、縁側から上がって2階にあるリカの部屋へ向かいます。

がちゃっ、かたっ、ん?
ドアを開けようとしましたが鍵がかかってて開きません。
「リカぁ、おやつ持ってきたわよーっ」
もっちーは、リカ母の声色をまねて呼びかけます。
(実はもっちー、ものまねが大得意。なので”ものまね”の”も”をとって”もっちー”というわけです)

「はーい」
リカの声がして、がちゃり、
扉が開きます。

「あーっ!もっちー!」
とリカが叫ぶのと
「あーっ!肋骨君!」
ともっちーが叫ぶのが同時。

な、な、なんと肋骨君がリカの部屋にいたのでしたーっ!
げ、激ヤバ...

と、その時かかるのがこの曲!

Plastiscines「Pas Avec Toi 」

azisaka : 21:26

マンガ傑作選その20

2012年11月23日

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な、な、なんて、いびつな顔と身体なんだ。
と、そう思った。
フランスの俳優ジェラール・ドパルデューを最初にスクリーンの中で見た時だ。
その印象ってのは奈良は興福寺にある仏像、竜燈鬼を最初見たときの印象に似ていた。
いつもは四天王とかに踏まれて「うぎゃあ」と悲鳴をあげてる邪鬼、その邪鬼がすっくと立って燈籠を頭に乗せてる一風変わった鎌倉時代の仏像だ。
いいやつなのか悪いやつなのか勇ましいのかひ弱なのか、怒ってんのか笑ってんのか、よくわからない。
が、ただただ、とてつもない存在感がる。
「おおー・れぇー・は・こ・こ・にぃー・いー・るうっ!」って光を放っている。

彼が出てたその映画っていうのは、大学時代に見に行った、「愛と宿命の泉」(うう、なんちゅう邦題...)というフランス映画だ。
大河ロマンと銘打ち街に貼られたポスター、その中にすっくと立つエマニュエル・ベアールの可憐さに惹かれてチケットを買った。

前後編あわせて、4時間にもおよぶ超大作だったが、見応え充分でまったく退屈しなかった。
イヴ・モンタンにダニエル・オートゥイユ、蒼々たる役者たちが好演し、エマニュエルはため息がでるほど美しかった。
が、どうしたことか見終わったならば、鼻がでかくてずんぐりむっくりの、ひとりの俳優の姿ばかりが眼に焼き付いてしまった。

縁あってそれから数年してパリに住み始めることになり、以降、この人が出る映画をいくつも見た。
出演作が多いので、それとは知らずブラウン管やスクリーンの前に座ってても、ぬうっと彼が登場するのだ。

どんな映画でどんな役をしてもよかった。
浮浪者でも大金持ちでも、もてない男でもジゴロでも、殺し屋でも酪農家でも、被り物したマンガのキャラクターでも、何やっても足に地がしかと着いていた。
ハリウッドの演技派といわれる名優たちの、「どぉーですぅ、うまいでしょーっ、わたし」ていうもったいぶった立ち回りがとても苦手なんだけど、この人のはそんなんではなかった。
”演技してる”っていう感じが微塵もなく、そこにそんな人が現にいるみたいなのだ。

たぶん、ほんとうの”役者バカ”なんだろうと思う。
年がら年中、寝ても覚めても頭の中にあるのはそのことばかり。
酒場でチンピラにからまれ殴られ鼻血を出した上、なおも袋だたきにあいながら、「おお、こいつの罵倒の仕方、蹴り方はいいな」とか「さっきの俺のゴミ箱つかんでひっくり返る倒れる方、これは良かった、次の芝居の時につかえるぞ」とか、あばら骨の2.3本にヒビが入ってそうなのにもかかわらず、役作りのアイディアが浮かび喜んでニヤリとするようなタイプだ。

ケンカも女も家庭も、何でもかんでも芸の肥やしにするような、本邦でいうところの勝新太郎みたいなとんでもない男だ。

観客として見てる分にはそんな芸能人がいたらありがたいが、そんなのを自分の父として持ったらいささか大変だ。

いささかどころか、たぶんとっても大変だ。


ある日、カラックス待望の新作が封切られたのでさっそく見に行ったら、なんとそのドパルデューの息子っていうのが出ていた。
カトリーヌ・ドヌーブと親と子を演じたんだけど、若いのに浮ついた感じがなく、しっとり繊細で、一目で好きになった。

とりわけ、陰影のある額と少し曇った声色がよかった。

フランス人なら誰でも知ってる芸能人(それもとんでもない)である父親(さらに母も女優)の元に生まれたおかげで(むろん皆がそうとはかぎらないけど)、窃盗やドラッグなど非行にはしり、しばしば警察のやっかいになるなど、なかなか大変な少年期を送ったみたいだ。
その味わった苦渋が、存在にある種の深みを醸していたのだろう。

それ以来、彼、ギョーム・ドパルデューの映画を注意して見ることになった。

後で知ったんだけど、彼は俳優としてデビューして間もなく24歳頃にバイク事故にあっている。
さらその入院中、黄色ブドウ球菌による院内感染に見舞われた。

何回も手術して懸命にリハビリやりながら俳優業を続けてたそうで、カラックスの映画「ポーラX」に出たのはそんな時分だ。

数年後、32歳の時には治療の甲斐なく右足を切断することになってしまう。

なってしまうが、それでも義足を着け、彼は俳優業を続ける。
映画で見ても義足っていうのはちっともわからない、
ますます、顔つきに、声に、演技に味がでてくる。
すごいなあ、父親にぜんぜん負けとらんぞ、と思った。


日本に帰って来てしばらくして在日のフランス人友達と飲んでたら、たまたま彼の話になった。
「ギョーム、いいよねー、俺、あいつ好きっちゃんねーっ」
と話してたら、その友人が「死んじゃったけどなー」と言ったので、びっくりした。

2008年、撮影中のルーマニアで急性肺炎にかかってしまったのだ。
37歳だった。

ドパルデュー親子の間には相当に大きな確執があったという。
世界的に知名度のあがった「ポーラX」の頃は、それがしばしばマスコミに取りざたされていた。

ギョームは子供時代、仕事でほとんど家にいなかった父について
「とにかく、必要な時そばにいてほしかった」とコメントしてる。


必要な時そばにいなかった父親のジェラール、
彼は息子の葬儀のとき、以下の文章を読み上げた。
「星の王子さま」の一節だ。

Cette nuit-là je ne le vis pas se mettre en route.
Il s'était évadé sans bruit.
Quand je réussis à le rejoindre il marchait décidé, d'un pas rapide.
Il me dit seulement: Ah! tu es là...
Et il me prit par la main. Mais il se tourmenta encore

Tu comprends. C'est trop loin.
Je ne peux pas emporter ce corps-là.
C'est trop lourd.

その夜、私は彼が出発したことに気がつかなかった。
彼は物音ひとつたてずに去っていった。
私がようやく追いついた時、彼は毅然とした表情で足早に歩いていた。
彼は、私にこう言っただけだった。
「あぁ!来てくれたんだ…」 
彼は私の手を取った。だが、それでもまだ不安げだった。

わかってくれるよね。遠すぎるんだ。
ぼく、とてもこのからだを持ってけないよ。
重すぎるんだもの。

今回の曲
Julie Depardieu「Born To Be Alive」

ギョームは妹を後に残した。
女優のジュリー・ドパルデューだ。
今も現役で活躍している。
彼女が「ポルターゲイ」っていう映画の中でうたった歌が、とってもいい。
勝手ながら、この冬のテーマ曲だ。

azisaka : 14:52

マンガ傑作選その19

2012年11月20日

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寒くなってくると、あったかいスープや汁ものが食べたくなる。
パンと豆乳と果物だった朝ご飯が、パンとポタージュと果物になる。

朝起きたら、かぼちゃとかさつまいもとかブロッコリーなんかを圧料釜で蒸す。
別の鍋を火にかけ(余裕あるときは玉葱いためてから)豆乳と蒸しあがった野菜を入れる。
塩胡椒と、クミンとかシナモンとかの香辛料で味付けしてミキサーにかけるたらできあがりだ。
15分くらいしかかからない。

「って、15分あったら暖かい布団で寝てて、クノールの粉末スープ飲むわよーっ!」
「つうか、ちんたら朝ご飯食べてる暇ねーよ、おれら!」

まあ、人はそれぞれだ。

とにかく春先、クレソンが出回り、緑の濃いポタージュ作るようになるくらいまで、うちではそんな朝食が続く。
(あ、週に1、2回、和食もあり)

azisaka : 20:28

新・今日の絵(その4)

2012年11月17日

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和風シリーズその2。
今回登場は大学2年の近松海乃さんです。
専攻は物理学で熱力学ってのをやってます。
”重力は存在しない”ってのを証明してノーベル賞とろうと目論んでます。

目論んでますが、目下の最重要課題は、先週大げんかしてしまった恋人の感太郎くんと仲直りすることです。
夏休み、青春18切符で2週間、一緒に日本縦断しようと半年前から計画してたのに、ほぉーんのささいなことから言い争いに...
彼に平手打ちをかました上、そのままぷいと実家に帰って来てしまいました。

海乃さん、実は、ひゃくぱー自分が悪いんだってこと承知してるんですが、ひじょうに勝ち気なのでぜーったい、自分からは謝りたくありません。

ひええーっやな感じ...

ま、とにかくそういうわけで、何とか感太郎くんの方から連絡をとってくるように仕向けようと、縁側で策略を練っているところです。

作戦
その1)共通の友人である焼き鳥屋の鳩子(友人つうか海乃の手下)
    に彼を説得させる。
その2)二階から飛び降りて中と大の間くらいの怪我をする。
その3)親が決めた縁談話がうまく進んでるという噂を流す。
その4)...えっと、その4....えっと...

半日座ってあれこれ思案したのに、作戦3つだけしか思いつきません。
その3つにしたって、そう大きな効果は期待できそうにないし...


そうね...
やっぱ「ごめん」って云おう...

と思ったところを描いたのが上の絵です。

曲は
Jesus & Mary Chain with Hope Sandoval 「Sometimes Always」

当時、ギター弾いてる兄ちゃんのウィリアムとホープ・サンドヴァルは恋人同士。
曲の最後、ホープがウイリアムの方をちょっぴり振り返るとこが、「くううーっ、もーっ、好きにしてっ」って感じでいいですよねっ。

azisaka : 07:33

マンガ傑作選その18

2012年11月16日

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小学校時分、校区内にはいくつかのたこ焼き屋さんがあった。

むろんチェーン店なんかじゃないので、それぞれに特徴があった。
タコなんてたまにしか入っていないソース味の丸い単なる小麦粉の固まりみたいなものもあれば、水気が少なくやたら身が詰まってて3個も食べれば腹がいっぱいになるようなものもあった。
気分や懐具合によって店を変えたんだけど、それぞれにうまかった。

たこ焼きが多様であるのと同様、焼いてる人間も店構えも様々で個性があった。
老いた夫婦が自宅の軒先でひっそりやってるようなものもあれば、
赤くて大きなのぼりをはためかせ、威勢よく呼び込みをしてるようなとこもあった。

もっともよく通ったのは細い水路みたいな川の袂、今は不動産屋のビルが建ってるところにあった店だ。
”たこ焼き”としか看板が出てなかったので、ぼくらは”キング”と勝手に呼んでいた。

小さなプレハブ小屋で、中には簡素な調理場とカウンター、テーブルが一個に椅子が数脚おいてあった。
そこで30半ばぐらいの女の人がひとり、小さくて柔らかいたこ焼きを焼いていた。
座ると青色のプラスチックのコップに麦茶を入れて出してくれた。
夏場はところ天もやっていたように思う。

汗で濡れた髪が額に貼り付いてたり、胸元が近所のおばちゃんらより広く開いてたりして、妙に色っぽかった。
(10歳そこそこのガキだったので「何かこの人、もやっとした雰囲気だな...」という感じがしただけだけど)

その店に行くのには、実はたこ焼きの他にも重要な目的があった。

そこには、その名の由来である”キング”があったからだ。

キングというのは「少年キング」、マンガ雑誌のことだ。
「ジャンプ」はみんな買ってたし、「マガジン」や「サンデー」も誰かが持ってたが、「キング」毎週買ってるやつは周囲にはいなかった。
なんかちょっぴり”おとな”な感じで、小坊が熱中できる類いの読みものが少なかったからだと思う。

たこ焼き食いながらキング読んでると、時々裏口から男が入って来て、なにやらごそごそ二人で話しをしていた。
おそらくは
「おい、ちょっとばかし金...」
「あんたったら、おとついあげたばっかりじゃないの、いったい何に...」
「うるせいなあ、何に使おうがおれの勝手だろ...」
「あんた、また競輪ね...」
という風な会話がなされてたんだろう。

店の「キング」はこの男が読んだものなのだ。

もと暴走族かなんかで、きっとこの雑誌の看板読みもの、
いかした単車とバイク乗りがいっぱい出てくる”ワイルド7”が好きなのに違いなかった。


というわけで、深夜遠くの方から”ゴワンゴワン、キュウウイイイン”と暴走単車の音が聞こえてくると、無性にたこ焼きが食べたくなる。

今回の曲
Chris Spedding「Motorbikin'」

Marianne Faithfull「As Tears Go By 」(1965年)

Marianne Faithfull「As Tears Go By 」(1990年)

たこ焼きの話し書いてたら、バイク乗りの曲思い出して、ついでにバイク好きの女の子の映画思い出したので、マリアンヌ・フェイスフルの登場になりました。

azisaka : 13:03

マンガ傑作選その18

2012年11月15日

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今回のマンガに登場の甘党3人組、パンクバンドもやってます。
まだオリジナル曲ないので以下みたいな曲をコピーしてやってます。

Swell Maps/Jowe Head「Cake Shop Girl」

azisaka : 09:13

マンガ傑作選その17

2012年11月14日

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数年前、実家に帰省したおり、「じゃあ温泉でも行こうか」という話しになって、両親と家から3番目に近い温泉施設に行った。
(1と2を飛ばしたのはちょっぴりドライブ気分だったからだ)

雪の舞う日で、露天風呂はもう何といおうか、すーごく心地よかった。
ずっと浸かっていたかったが約束の時間になったので、父と一緒に風呂からあがった。

けれど、母は相変わらず遅い。
5分待っても来ないので「女ってやつはなあ...」と男ふたりため息付きながら、売店をぶらぶらした。

特産品コーナーを見尽くしてしまったので、キーホルダーが下がったコーナーをチェックすることにした。
見てたら変な被りものをしたキティちゃんのとなりに、”相棒”って書いてある男二人のシルエットのキーホルダーがあった。
相棒...?ああ、そういえば、映画のポスターをどっかで見たな...
たしか元々はテレビドラマだったはずだけど...
なんとキーホルダーになって、こんな場末の温泉施設で売られてるほどの人気なのか!
びっくりした。

帰りの車中、「ねえ、”相棒”ってドラマ知っとる?」っと聞いてみた。

そしたら、後部座席から母が
「あんたー、そんなんも知らんとねーっ!」
とでかい声を張り上げた。

それにつづいて
「そんなん誰でも知っとっるよーっ、人気あるとよー、あんただけたい知らんとはーっ!」
「ちょっとはテレビも見らんば、世間についていけんよーっ!」
「新聞もとっとらんし,,,」
「だいたい、今の総理大臣の名前ちゃんと言いきるとねーっ!絵ばっかり描いとってもつまらんとよーっ!」

と、矢継ぎ早にまくしたてた。
びっくりした。
(さっき温泉で遅れて出て来たのを批難されたので、きっとその報復だ...)


翌日、ちょうどテレビでその相棒とやらが放映されていたので見ることにした。

見た。
けど、あんまし面白くなかった。

水谷豊は「男たちの旅路」や「青春の殺人者」の時の、ギラついて斜に構えた若者の印象が強く心にしっかり残ってしまっている。
熱中して教師や刑事やったりしてもそれは変わらない。
紅茶とかすすってないで、リストラされてやけになり狂気に走る役とか演じてほしいなあ...と思う。

今回の曲
ゴダイゴ「想い出を君に託そう」

「青春の殺人者」のオープニング、雨のぬかるみを歩く水谷豊の歩き方が、ずっとそのまま歩き続けていてくれんかなあ、って願うくらいすばらしいんだけど、そこにかぶさる曲です。

ゴダイゴは「ガンダーラ」とか「銀河鉄道999」などポップな曲が有名だけど、ロック度高いものもとてもいいっ。
その1stアルバム「新創世紀」(「青春の殺人者」のサントラも兼ねてる)は名曲揃いで、買ってもたぶん少ししか損はしないと思います。
「男たちの旅路」も音楽はゴダイゴで、両方とも長い間の愛聴盤。
おっと、もちろん「青春の殺人者」と「太陽を盗んだ男」は必見!


azisaka : 07:20

新・今日の絵(その3)

2012年11月09日

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和風シリーズその1、高橋みょん子ちゃんです。
みょん子ちゃんは、明日16歳、西果ての漁師町で花魁やってます。

さて今日は、そんなみょん子さんに突撃インタビューを試みました。

アジサカ(以下アジ)
「なんで今の職業に?」
みょん子(以下みょ)
「8人いる兄弟養ってくには、けっこうお金かせがなきゃならないん
 だけど、この仕事が今のあたしの能力にいちばん叶ってたの...」
「と、いってもやりはじめたのは知り合いのつてでたまたまなん
だけど...」

アジ「好きな食べものは?」
みょ「うーん、一番と言われたら、それはキャベツステーキね」
アジ「キャベツのステーキ?輪切りにしてフライパンで焼くん?」
みょ「あら知らない?じゃ、簡単に作り方、説明するわねっ」
アジ「おお、それはありがたい」
みょ「一人分だとして、まずはキャベツを縦に四分の一に切るの」
  「厚い鍋(ルクルーゼみたいなやつね)にオリーブオイル
   敷いて切ったキャベツを丸ごと表面焦げ目がつくまで焼く」
  「お好み焼きや野菜炒めする時みたい、キャベツの焦げた
   いい臭いがしてきたら、コップ一杯ほどの水を加え蓋を
   しめて蒸し焼きに」
  「火が通ったらキャベツを取り出して、同じ鍋で今度は
   千切りにしたタマネギ(小一個くらいかな)をきつね色になる
   まで炒める」
  「たまねぎ焦げたいい臭いがして来たらコップ1、2杯のお水と
   ローリエの葉2、3枚加えぐつぐつ煮て塩と胡椒で味付けして
   スープを作る」
  「4、5分していい感じになったら、さっきのキャベツの上に
   たまねぎスープをどばっとかけて出来上がり!」

アジ「おおーっ、キャベツとたまねぎの素材の味をいかしまくった、
   うまそうな料理やねーっ、早速今日家に帰ったらやってみます」

アジ「じゃあ、続いて、好きな男性のタイプは?」
みょ「タイプ?うーん...」
アジ「有名な人でいうと、どんな感じの人がいい?」
みょ「あ、それはやっぱりジョーみたいな人!」
アジ「おおーっ、ジョー、いいっ!普通の若者は遊んだり恋したり
   青春を謳歌してるってのに、ただただボクシングに打ち込む姿
   っていうのは見てて胸がぎゅうと熱くなるもんねーっ!」
みょ「ううん、違うの...そのジョーじゃないわ」
アジ「えーっ、みょんちー、古いなー、宍戸錠かー?
   でも、おれもあの人好きだなーっ」
みょ「違うわよ、あたしが好きなのは鍛冶屋のジョーよ」
アジ「え?鍛冶屋のジョー」
みょ「ええ、ディケンズの”大いなる遺産”って小説に出てくるの」
アジ「へえ...その彼のどこがいいん?」
みょ「素朴で飾らないとこ」
アジ「ふうん、それはたしかにいい。今日帰りに図書館いって
   借りて読んでみる」

アジ「えっとそれでは最後に、最近よく聞いてる曲教えてください」
みょ「あ、The XXの「Angels 」です」
アジ「ありがとうございました」
みょ「いいえ、こちらこそ」
   
    
    

azisaka : 08:03

マンガ傑作選その16

2012年11月08日

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小中高の時は「そこにコマがあるから読むのだ」
ってな具合に少女マンガだろうが劇画だろうが、四角の枠の中に絵が描いてあって雲みたいな白いやつ浮かんでて、その中に文字が並んでるものなら何でも片っ端から読んでいた。

「忍者武芸帳」読んだ後に「キャンディ・キャンディ」読んだり(だから後年、上にあるようなマンガを描く大人になった)、「天使のはらわた」読んだ後に「サザエさん」読んだり...

おかげで夢の中で、影丸とタラちゃんが斬り合ったり、シャブを切らしたアンソニーがずぶ濡れで「名美いいーっ!」と叫んだり、村木がマスオさんとお揃いのチェックのスカートでバグパイプ吹いたり、キャンディが百姓一揆を首謀して打ち首になったりしていた。

今回の曲
ガンバの冒険ED「冒険者たちのバラード」

マンガ同様、テレビアニメも良く見てて(もう20年以上、テレビを必要としない生活だけど...)、とりわけ好きだったのが「ガンバの冒険」だった。

その最後に流れるこの曲は、授業中もドッヂボール中も小学生の小さな頭の中にとりついて離れなかった。
サビの部分はこんな感じだ。

カモメはうたう悪魔の唄を
帆柱に朝日は昇る
けれど夕日はおまえと仲間のどくろを映す

「うわーっ」
これ聞いて、ドキドキドキドキ胸が高ならなけりゃあ、しっかり生きてる小学生とはいえんやろう、やっぱ。

azisaka : 07:13

梅ハワイ

2012年11月06日

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肌寒くなってくるといつも思い出すことが36個くらいある。
そのうちのひとつが梅おばちゃんのことだ。
親戚に梅という名の叔母がいるというわけではなく、梅の花を売る名も知らぬ初老の女のことだ。

まだ長崎は諏訪神社の脇に住んでいた時分のこと。

その年の冬はいつになく寒いうえ、ゲームソフト2本分の大量デジタルイラスト仕事(のちのち”コナミ地獄”という名で語りつがれる)で体調を著しく損ない、全く調子が悪かった。
身体はぞくぞく、頭はふらふら、眼はしぱしぱ、これっぽっちもいけてなかった。

むかしから冬には強い方だった。
そんな風に言うとまるで冬が敵みたいだけど、その逆で、この季節はいつだって頼りになる味方だった。
冷たい風で叱咤し、澄んだ青空で激励してくれる、鬼コーチみたいな存在だ。

しかしどうしたことかその年の冬は違った。
ひたすら遠ざけ、その仕打ちから身を守らねばならない、ただただ寒いだけの冬だった。
鬼コーチがいつもどおり力強く鼓舞してくれてるというのに、選手の方は心身ともに萎え、縮こまってしまっていた。

「寒い、寒い、ああ、寒い」と力なく繰り返すばかり...
絵筆がいっこうに振るわない。

こういう時、たいていの人だったら、寒い中を辛抱して働き続けなければならない。
会社や工場、学校や畑なんかがあるので、自分勝手に今いる場所を離れるわけにはいかないからだ。

しかし、こちらはひとまずは絵描きだ。
なので、望めば暖かさを求め、どこへだっていくことができる。
ロシアだろうがコンゴだろうがパナマだろうが、絵の生産地はどこであっても、誰も気にしない。

なにも、今いるとこにとどまっておる必要はないわけだ。
幸いにコナミ仕事のおかげでちょっとした貯えもある。

それで暖かさを求め、しばし南方へ逃れる事にした。
友達のいるハワイにしよう。


まずは街へガイド本を買いに行くことにした。
一番厚いコートを羽織り、でかいマフラーぐるぐる巻いて家を出る。

ひゅううううう...
「な、なんちゅう寒さやあー」
と、言おうとしたが寒さで「な、な、な..」としか出てこない。
こんな時、遠出をするもんじゃない。

神社の長い階段を下りて行くと、中島川があり、それを越えた先に商店街が広がっている。
そこにある小さな本屋さんに行くことにした。

とことことこ、石の階段を下りてゆく。
下りきると横断歩道。
横断歩道を渡るとすぐに橋。

橋の欄干に人。
ほっかむりをしたおばちゃんがひとり。

真冬というのに浅黒い頰に数本の深い皺、子犬みたいな眼、白のゴム長に野良着みたいなものを着込んでいる。
その傍ら、水色のプラスチッックのバケツの中、つぼみのついた梅の枝が約十本。
朝、山でひきちぎってきたような枝だ。
それだけを売っている。

「おばちゃん寒かとに、ようがんばらすな...(寒いのによくがんばってるなぁ)」と感心しながら通り過ぎた。


手頃なガイド本を手に入れ、夕飯の買いものして、昼ご飯にと豚まん二個買った。

もどり道、また橋にさしかかったら、さっきのおばちゃんがひざまずき、通行人に背を向けて何かごそごそやっている。
通り過ぎる時に横目でちらりと見た。
昼の弁当を食い始めているところだった。

国語辞書くらいの大きさの薄緑色のタッパー。
中には白ご飯ときんぴらごぼう。

白いご飯ときんぴらごぼうだけが同じ分量、ぎっしりと詰まっている。

と、奇妙なことが起こった,,,
弁当箱が唐突にとても強い光を放ち、周りの景色をすべて吸い込んでしまったのだ。

わわわ....

続いて畏れおののいている男の眼に、白ごはんときんぴらごぼうが一直線に飛び込んできた。
そうして一気に身体のずっと奥までもぐって行くと、あれよあれよと言う間に真っ赤な炎たてながら燃えはじめた。

おおーっ

身体、そして心がたちまちのうちに熱くなる...


「...うむ、そうだ、たらたらやってる場合ではない、
さっさと帰って豚まん食べて、ぐいぐいと絵を描こう。」

とっても不思議なんだけど、この一瞬のできごとで、冬はいつもの冬となった。

すっかり調子が良くなり、
それから春が来るまで、たくさん絵を描いた。

ハワイのガイド本は押し入れに放り込んだっきり、
開くことさえなかった。


「えーっ、アジサカさん、うそやーん、そんなことだけで一気に調子が良くなるわけないやーん!」

と、いぶかる人は、寒風に吹かれ橋の上で梅の枝を売る山から来たおばちゃん、
彼女が食べる弁当、
その白飯ときんぴらごぼうが放つ光の威力というものを知らない。

azisaka : 08:39

マンガ傑作選その15

2012年10月30日

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「おまえ、水に乗ってすいすい泳ぎよんね」
と、男言葉でその女の体育教師は唐突に云った。
中学2年の時だ。
いつもの強面の男教師が不在で、その日の水泳の授業は彼女が代わりに行っていたのだ。

名前忘れちゃったけど、小柄で陽に焼けプリプリで、赤い水着を着てたのでまるで金太郎みたいだった。

彼女、色気というものほとんどなかったけど、人気があった。
”頼りになる兄貴分”みたいに、正義感が強くて面倒見が良く、さっぱりしていたからだ。

その彼女が名前も知らぬ他所のクラスの男の子をなにげなく褒めた。
男の子はひじょうに嬉しかった。

「おまえ、水に乗ってすいすい泳ぎよんね」という言葉はそれ以来、彼の心の中で小さな灯りみたいに光り続けた。
高校に進学したら、その灯りをただ唯一のよすがとして水泳部に入った。

大会に出てめざましい活躍をするような選手とはなれなかったが、3年間、ただただすいすい泳いでいた。

それから数十年たったけど、今も週に3回泳いでいる。
おそらくそのせいで病気なんてほとんどしないし、メタボみたいなものとも縁遠い。
ご飯も酒もうまいし、なんといっても仕事の集中力が長く続く。

金太郎先生のひとことのおかげだ。

azisaka : 07:53

マンガ傑作選その14

2012年10月29日

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以前暮らしてたベルギーの名物料理に「うなぎのハーブ煮」っていうやつがある。
人参とかキュウリを輪切りするみたいに、うなぎを骨付きのまんまブツブツ切って、鍋にぶち込み、いろんなハーブ(と、ほうれん草)で煮た料理だ。

申し訳ないが、ちっともうまくない。

どこにいようが日常はたんたんと静かに暮らしてるので、”胸がかきむしられる”というような思いってのはあまりしない。
けど、この料理を食べた時には(訳あって3回も!)そういう思いをとっても強くした。

うううううううううう....、こんなんじゃなくって、蒲焼きにしたのが食べたいいいいいーっ!
と身体全体で乞い願い、ぶるぶると震えた。

あんまし声を大きくして自分の国を自慢するのは好まないが、うなぎの中骨を取り除き、串を打ち、素焼きした上で、さらに醤油、みりん、砂糖、酒を混ぜ合わせたタレをつけて焼く、ってのを考えだしただけで、くうう...おれらの先祖はすごいぜ、と思ってしまう。

あ、でもビールはほんとう、日本に比べあっちは桁違いにうまいです。

今回の曲
ちあきなおみ「夜へ急ぐ人」

よく知られてるように、この一曲の得体の知れない凄みで、その年の紅白歌合戦のお祭り気分は、会場もそしてお茶の間も一瞬にして吹き飛んでしまった。

「な、な、なんなんだこれは!?」

彼女が歌い終わるや開口一番、司会者の山川静夫は「なんとも気持ち悪い歌ですねぇ」と言い放ち、この年を最後に彼女の8回続いた紅白連続出場は途切れてしまう。

名ばかりの合戦の場に、彼女ただ独り真剣を持って向かっていったわけだ。
本当の戦だったら、白組も赤組も全員その手でぶった切りだ。

表現者たるもの、こうでなくちゃあならん、ってこれ見る度、気が引き締まります。

azisaka : 08:28

マンガ傑作選その13

2012年10月28日

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ここ数年、ブリュッセルに滞在してるときに決まって行く市民プールの近くにポルトガル人がやってるスイーツ屋さんがある。
スイーツっていってもキラキラしたものはさっぱりなくて、家庭で作るような素朴なものばっかりだ。
日本でいうところの古い商店街につきものの、大福やおはぎなんかを数種類売ってる小さな和菓子屋さんに近い。
毎日毎日同じものを少しだけ作って少しだけ売って、少しだけ贅沢して暮らしてる感じの店だ。

そこに日本でなじみのあるカステラの、原型みたいなお菓子が売ってある。
そりゃあうまい。
プールに行った時には必ずといっていいほど買って帰って夕食の後食べる。
日本のカステラよりきめが粗くてごさごさした食感だけど、ぱさぱさではなく、しっとりとしている。

ポルトガルといったら今年103歳、現役の映画監督マノエル・ド・オリヴェイラがいる。
60過ぎてから本格的に撮り始め、70過ぎてからはほぼ年に一作のペース。
イーストウッドもびっくりだ。
100歳の時とった映画のタイトルが「ブロンド娘は過激に美しく」っていうんだからなあ、すごいなーっ。

azisaka : 10:15

お知らせ

2012年10月27日

ひょんなことから来月、一日だけ絵画教室みたいなものをやることになりました。
(”絵画教室”っていうより、”絵描き道場”が近いかな...)

数年前、縁あってお茶で有名な八女は星野村の小学校で5、6年生相手にやって以来です。
その時は子供たちけっこう楽しんでいましたので、今回もそこそこ面白いのではないかと思います。

今回は、年齢や国籍や前科なんかを問わずどなたでも参加できます。
もし、ご都合よろしければ気軽に参加してください。

内容は自分の好きな画材で自画像を描くというやつです。
描き終ったあと、みんなでわいわい(誰が描いたのか伏せといて)一点ずつ見ていきます。

日時は11月15日(木)17:00〜19:00
場所は福岡市中央区警固公民館
参加費は500円です。

申し込みや詳細はどうぞ以下をご覧になってください。
『かこうぜ!じぶん』

と、いうことで、
みんなまってるぜいっ!
(あ、年長の方、タメ口ですみません,,,)

azisaka : 05:50

新・今日の絵その2

2012年10月26日

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今回の絵のモデルは秋乃るる子さんです。
るる子さん今でこそ、それなりに歳もとって(といってもまだ23ですけど)しっかりと落ち着いていますが、中学生の頃は、気まぐれのわがままで名が通ってて、大事な用事をドタキャンしたり、急に部活を変わったり、頻繁にみんなを呆れさせていました。

それと同時にちょっと容姿が森に暮らすリスに似ていましたので、帰国子女の同級生に”カプリス”(Caprice=気まぐれ)いうあだ名をつけられてしまいます。

以来、学校も幾度となく代わり、年月もそこそこ経ったのですが、周囲からはずっとカプリスって呼ばれ続けてます。
今ではすっかり自分もそれに慣れちゃいました。
(実は最初っからけっこう気に入っていた)

そんなわけですので、去年から本格的にプロのダンサーとして活動を始めた時も、本名ではなくあだ名のカプリスを名乗ることにしました。

ところで余談ですが、長崎の活水女子大へと上がるオランダ坂の登り口近くに「カプリス」っていう名のカフェがあります。
ここの女主人が作る粉もの、特にベーグルとシナモンロールはほんっとうにうまいです。

さて、”カプリス”ことるる子さん、森の中で何をしてんのかといいますと、リスのまねっこして木の実をさがしているわけではありません。
森の奥にあるお屋敷を訪ねていく途中なのです。
十日ほど前、そこの主人の使いという人から電話がかかってきて、お屋敷で踊りを踊ってほしいと頼まれたのでした。

ただし着物を着て、屋敷中を使って、という依頼でした。

で踊ったのはこんな感じだったそうです。

azisaka : 08:37

マンガ傑作選その12

2012年10月25日

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今回のマンガ、お母さん、見てる映画はこれです。
バルドーはともかくピコリとドルリュー(うう、発音難しい)の音楽がとてもいいです。

azisaka : 08:25

マンガ傑作選その11

2012年10月24日

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さて今回の4コママンガについてですが、映画化するとすると、ロケ地は尾道、信行寺下踏切(”転校生”小林聡美が転げ落ちてきたとこだから)で、帽子のおじさんの役は志村喬(中折れ帽がもっとも良く似合うから)、そいでもってテーマ曲は、くるり「坂道」(踏切の音がサンプリングしてあるから)というのが希望です。

azisaka : 07:27

マンガ傑作選その10

2012年10月23日

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そう、コスモスといったら思い浮かぶのはこの曲。

大学時代のとある晩、
場所はバイト先のスナック。

開店後3時間が経過してるというのに
お客さんが来る気配は全くなし。
ママさんとふたりきり。
とても気まずい雰囲気...

トイレも床も掃除してピカピカ、
グラスは洗って拭いてキラキラ、
ボトルはきれいに並べられてパリパリ。(ちょっと変?)

他になにかする仕事ってあったっけ?
何も思いつかない。

トントントン...ママさんはカウンター叩きながらイライラした様子。
小さな店の隅々にまでたちこめる凄まじく重苦しい空気...
沈黙がしばし続く。

ああ、何か言わなくちゃ...えっと...えっと...うう...

と、そのとき有線からこの曲が!

おれ「あ、聖子ちゃん...」
  「これ、聞いたことないです」
  「新曲かなあ...」

ママ「なんか、しっとりしてていいねぇ...」

おれ「は、はい、いいですよね...」

ぎしぎしかさかさの空気が一転して、さらさらのふわふわに,,,


そして、なんと!
曲が終るか終らないうち扉が開き、お客さんが一組!

ママとおれ「いらっしゃいませーっ!」

氷割りながら、「ひゃー、このことはきっと何年経っても忘れんばい...」
と思いました。

で、やっぱりそのとおり忘れませんでした。
それで、この場に書いてます。

あ、でも、その時にはまさかこの曲が「チャン、チャン、チャーン、チャチャチャチャッチャチャチャッチャッチャーン」(あ、これ”ライディーン”の出だしです)の人が作ったものだとは思いもよらなかったです。

今回の曲
松田聖子「ガラスの林檎」

この頃の聖子ちゃん、ちょっとブルース・リーみたい。

azisaka : 08:23

マンガ傑作選その9

2012年10月22日

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ごくたまに地下鉄なんかで、名字に”さん”付けや、名前に”ちゃん”付けでない、あだ名や愛称で人の名を呼んでる声を耳にします。
けっこううれしくなります。

今回の曲
Mina Tindle 「To Carry Many Small Things」

フランスのFeistと(たぶん)呼ばれてるであろうMina Tindle姉様登場。
見かけは、パリの17~20区あたりの郵便局の窓口にアンニュイ顔でクロスワードパズルやりながら座ってるような姉さんです。
「あの...じゃましてごめんなさい」って感じでおそるおそる話しかけると、爪噛みながら首だけかしげて「あら、何かしら?」ってな顔でこちらを見るようなタイプです。
しかし、見かけとうらはらに歌なかなかいいです。

azisaka : 06:51

再び今日の絵(その1)

2012年10月21日

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昨日からはじまった企画展、絵箱を5つ作ってみたものの、それだけじゃあ展示するのになんとはなし寂しいよなぁ、ということで、並べた絵箱の背景にと比較的大きな絵を描きました。
それが上の絵です。
題名があるのですが、それがけっこう長いです。
むかし見た映画で、森崎東監督の「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」っていうのがあったのですが、それよりかもっと長いです。(主演は倍賞美津子でした。彼女の声、とてもいいですよね)

「あなたは、これで私をまんまと縛り付けたつもりでいるけど、それは短見というものよ。私はいつだってこのピアノ線を断ち切って逃げることができる。でもそうしないのは私がここにこうしていたいから。今のところはね」

うわ、ほんとに長っ....

今回の曲
高田渡「銭がなけりゃ」

ときどき必要にかられてこの映像を見る。
見ると安心するからだ。
かつてこのようなたたずまいの若者が存在していたということ、こんな風に小さな花みたいに笑い、吹雪の中の針葉樹みたいにすっくと立ち、野良猫みたいな眼でまっすぐに前を見てた若者がいたということ、それを確認できて心が落ち着くからだ。
天神なんか一日中歩いても、今はこんな風な若者には巡り会いはしない。
けど、数十年前にたしかに存在していたのなら、数十年後にまたあらわれる可能性がないわけじゃあない。
そんな希望をこの彼の姿、とりわけその眼は、もたらしてくれる。

しかし、ほんと、なんちゅういい目つきやあ...

以下、彼が好きだった詩人の一遍。

「猫」山之口貘

蹴つ飛ばされて
宙に舞ひ上り
人を越え
梢を越え
月をも越えて
神の座にまで届いても
落つこちるといふことのない身軽な獣
高さの限りを根から無視してしまひ
地上に降り立ちこの四つ肢で歩くんだ。

*あ、ささいなことなんですが、このサイトのトップページの絵、昨日から寒い季節用に変わりました。

azisaka : 07:24

マンガ傑作選その8

2012年10月20日

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幸いに、というかすごく幸いに、今住んでるとこには今の季節になると時折、金木犀の香りが流れ込んできます。

今回の曲
のっこ「わすれな草」

熊本大学時代、クラスの友人が「こうじ、いかしたバンドが来るんで見に行こう」と誘うので名前忘れちゃったけど地下にある小さなライブハウスに出かけて行った。
そしたら小さな女の子が元気よく飛び跳ねながら「ラヴ・イズ・Cash 」っていう歌をうたって、それはすごくいかしていた。
とても下世話な話しで恐縮なんだけど、その女の子、あんましぴょんぴょん動くものだから時々胸元からちょっぴりブラが見えた。
ロックやってるような娘達はみな黒の下着をつけてるものだと思っていたのに、それはベージュ色で、それがとても印象深かった。
数年後、また彼女らのライブを見に行った。
今度は、福岡のサンパレスというでっかい会場で、女の子の姿は遠くの方からほんの小さくしか見えなかった。

azisaka : 06:53

久しぶりの絵箱その2

2012年10月19日

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さて上の写真は明日から始まる企画展に出品する絵箱5点のうちの4点です。
「ひゃあ、アジサカさん女の子の裸ばっか...」
って、そりゃあそんな風なテーマの展覧会なんだから仕方ないです。
「和服の似合う中年展」とか「草むしりのおじいさん展」とか「ひなたぼっこの猫展」とかだったらちゃんとそんな絵を描くと思います。

今回の曲
Eddi Front 「 Gigantic 」
ブルックリン拠点の歌うたいで、来月、デビューアルバム出すそうです。
こんな感じに歌うひと、本邦にはあんましいないです。
(たぶん知らないだけなんでしょうけど...)
映像もとてもいいです。

azisaka : 19:34

マンガ傑作選その7

2012年10月18日

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団子でも饅頭でも、緑のがあったらそれにする。
よもぎがとても好物だからだ。
(時に抹茶だったりするけど、抹茶も好きなので問題なし)

以前沖縄に個展しにいったとき、ちょっとふらつきながら(連夜の泡盛飲酒のため)国際市場歩いてたらフーチバ(よもぎ)ジュースが売っていた。
「おお!」とさっそく買ってゴクゴク飲んだ。
飲んだら、血圧がいきなり高くか低くかどっちかになって、めまいがしてしゃがみこんでしまった。
そしたら店のおばちゃんが、「あらあ兄さん、これは100%フーチバだからそんなに一気に飲むもんじゃないよー」というようなことを云った。

今回の曲
ナツノムジナ「渚にて」

どんと次男ナラのドラム!

azisaka : 09:16

マンガ傑作選その6

2012年10月17日

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天高く舞い上がってしまった和服の婦人、最初のうちこそびっくり仰天して叫んだりしてたんですが、じきに落ち着いてきます。

遠方に広がる海岸を見ながら、ふと学生時代、恋人と歩いた郷里の浜辺を思い出します。
そんな彼女の心に流れて来るのがこの曲
樹木希林の絶叫とともに登場!

azisaka : 08:54

マンガ傑作選その5

2012年10月16日

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帽子の次はヘアースタイルです。

今回の曲
Brigitte 「Ma Benz」

ブリジットはブリジットでも、バルドーでもフォンテーヌでもフォンダでもなくて、フランスの女の子二人組のミュージシャンです。

この曲、オリジナルはシュプレームNTMのヒップホップ。
探して聞きくらべてみると面白いです。


azisaka : 20:37

マンガ傑作選その4

2012年10月15日

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前回に続いて帽子シリーズ第2弾!
菅原帽の”菅原”ってのはいうまでもなく学問の神様、菅原道真のことです。
これが菅原(文太)帽だったら、ドスや拳銃、トラックの扱いがうまくなります。

今回の曲
Flobots「Handlebars 」
Flobots「Handlebars 」(PV)
最近いちばん、あわわとなった曲。
I can ride my bike with no handlebars!
(僕、手放し運転ができるんだ)
と繰り返します。

azisaka : 17:20

マンガ傑作選その3

2012年10月14日

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ちょっとだけ評判が良かったので、またまたマンガ作品の登場です。
この傑作選についてですが、過去に雑誌や新聞紙上で発表したり、あるいは描いてもボツになってしまった作品で、一年以上経過したものについて取り上げています。
今回のマンガは、もとはモノクロだったものに今回色付けしてあります。

azisaka : 07:55

マンガ傑作選その2

2012年10月13日

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今回はひとコママンガです。

azisaka : 13:33

マンガ傑作選その1

2012年10月13日

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とても過ごしやすい季節になりました。
これ幸いと昔やったイラスト仕事の整頓をしていたら自分が描いたマンガがたくさん出てきました。
ひじょうにつまらないものもあるのですが、意外と面白いものもあります。
この場でときどき紹介していくことにしました。
今回はその第一回目です。

azisaka : 13:31

久しぶりの絵箱

2012年10月08日

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友達がやってる小さなギャラリーでグループ展があるというので、絵箱を五つ作りました。
少女をテーマとしたものということで女の子ばっかりです。
「3点出品してください」とのことだったのですが、ひさびさに箱に絵を描いてたらとても楽しく、勢い余って5点になってしまいました。
ところで、こうやって女の子ばっかり描いてると、必ずしわくちゃのじいさんや崩れかかった土塀など年季の入ったものが描きたくなります。
野菜ばっか食べてたら、カツ丼とか無性に食べたくなるのに似てます。
似てないかな...

「少女採集 vol.3」
会場 ギャラリィ亞廊
期間 2012年10月20(土)~28日(日)
期間中無休 入場無料 
営業時間 13:00~19:00

azisaka : 07:00

トーマとカシア

2012年09月15日

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セーヌの左岸、サン=ルイ島の向かいのアラブ世界研究所の裏手にジュシューと呼ばれる大きな大学がある。
20代半ばのひと夏、そこの分子遺伝学の研究室で皿洗いのバイトをやった。
皿洗いといってももちろん、オムライスや鰯の煮付けなんかが盛ってあるような食器ではなく、シャーレやビーカー、フラスコなど、実験で使われたガラスの容器を洗浄する仕事だ。

朝行ったのなら、用済みのガラス容器がずらりとラボの前に並んでいるので、台車ごろごろ押して回収しに行く。
それを10畳くらいの広さの洗い場に持ち帰り、異臭を放つ変な色の液体を流しに捨てた後、ピカピカに洗うのだ。
ガラスの器は小指にも満たぬ小さなものから妊婦の腹みたいにでっかいものまで、大きさも形も様々。
ひと抱えもあるようなでっかいフラスコなどは、中に入った液体流す時、ちょっといやーな感じだった。
ボコボコと脈打ち、まるで巨大な魚か何かに喰ったものを吐き出させているかのようだったからだ。
その感触が今も腕の中に残っている。

さて、そのフラスコみたい大きくて真ん丸いおばさんがひとり、いつも同じ洗い場にいた。
唯一の同僚、ポーランド人のカシアだ。
同僚といっても、作業を分担してやっていたわけではない。
彼女は彼女のラボに雇われていて、自分の棚や流し台を持っていた。
つまり互いの仕事には干渉せず、ひとつの作業場を共同で使っていたということだ。

日がな一日同じ場所にいるし、他に話し相手もいないので、よくおしゃべりをした。
ふたりともフランス語カタコトで、たいして込み入った話しはできないんだけど、身振り手振りや絵を描いたりして、いろんなことを語らった。

彼女が南洋の小鳥みたいな声(容姿に似合わず、最初はびっくりした)で話すところによると、ブリュッセルには5年前、旦那と赤ん坊と3人で住み始めたのだそうだ。
先に移住していた従兄弟らが、大工や左官など家の内装に関わる仕事でけっこう成功しており、それを頼って来たのだという。
夫はその従兄弟の元で仕事をし、自分は子育て。

「実家への仕送りなんかでお金はあんましなかったけど、とっても幸せだったのよねーっ」
しかし旦那さん、ちょっとしたトラブルが元で従兄弟と大げんか、自分も子供もおいて出て行ってしまう。
それっきり音沙汰なし...
「たぶん国に帰ったんじゃないかしら...」

そんなこんなで、今はここで働き、独りで子育てをしている。
あと1、2年働いて、もう少しお金がたまったら、さっさと故郷へ帰るつもりだ。

カシアが担当しているラボはこちらの1.5倍くらいの大きさで、
その分、洗いものやその他の雑用もさらに量が多かった。
こっちはいつも3時には退けたが、彼女は夕方6時まで働いた。

ある日のこと、殺菌済みの容器を取りに行って戻ってくると、彼女が困ったような顔をして話しかけてきた。
保育園の都合で今日に限り、子供を4時に迎えにいかなくてはならなくなったそうだ。

「あたしは仕事を抜けられないし、知り合い数人に連絡してみたけど、みんな都合が悪いのよ」
「ついては、こうじ、すまないけど、あなたが息子を迎えにいってくれないだろうか...」

そう大切な用事があるわけでなし「おお、そりゃあ大変だ、もちろんオッケー!」と引受けた。
(というより、他に当てがないからおれなんぞに頼んだのだろう、断れるはずがない)
彼女はさっそく電話で、アジサカと名乗る日本人が代理で行くということを伝え、さらに保育園宛の短い手紙を書いた。

その手紙を渡すとき、「私にあんまり似てないけど...」といって子供の写真を見せてくれた。

眼がまんまる。
色白で痩せてて、ちょっと神経質そう。
北方の森に住まうちっちゃな動物みたいに見えた。

カールした金髪と少し上を向いた鼻が母親そっくりだったので
「すっごく似てるやん!」というと
「あら、そおお」と喜んだ。
「でも性格は反対なのよね、あたしみたいにおしゃべりじゃないし...人見知りだし...」

「あなたとは初対面でしょ。無口でいると思うけど、気にしないでね。私が言うのもなんだけど、やさしくていい子だから...」
「とにかくよろしく頼むわ」

内気なコはどちらかというとありがたかった。
(でかい声はりあげドタンバタンはしゃぎまわってるような子供がとっても苦手だ...)

「トーマっていうのよ」
告げられた子供の名前は、なんとなく儚い感じがした。
父親がどっかに行ってしまった子にふさわしい名に思えた。

「保育園からまっすぐここに連れてくるように言ったけどさ、ここで母親の仕事終るの待ってるのも退屈だろう?」
「6時まで一緒にどっかで遊んでるよ」
いつの間にやら勝手に芽生えた親近感のせいで、さして深い考えもなしに彼女にそう提案した。

「まあ、ほんとに!それは助かるわー、ありがとう」
カシアの大きな白熱電球みたいな顔がさらに明るくなった。
財布から20フラン札を取り出すと、「これでアイスでも買って食べて!」と云って手渡した。

書かれた住所を頼りに保育園にたどり着くと、そこはどこにでもあるような石造りの建物だった。
ブザーを押すと10秒くらいでカチリ扉が開き、入るとすぐに小さなホール...迎えにきた父兄が右往左往していた。
見回すと保母さんらしき人がいたのでつかまえて、トーマを迎えにきたことを告げた。

「ああ、トーマね、ちょっと待ってて連れてくるから...」
想像とはうらはらに、ニッコリ微笑んで言われたのでびっくりした。
「ふう...」
変な東洋人と不審がられるのを覚悟してたのに、幸い話しが通じてる人に当たったみたいだ、よかった...

そして約一分半...
うつむいて出てきた子供は写真と異なり坊主頭で、皮膚は小麦色だった。
望まないのに無理矢理髪を短く切られ、肌を陽に焼かれてるみたいだった。
伏せててもわかるそのまんまるい両の眼でトーマだとすぐに確認ができた。
まんまるい眼は一度大きく開いてこちらを見ると、ボンジュールと小さく言い、またすぐ下方に向けられた。

カシアからの委任状を園長の次に偉そうな人に渡し書類にサインしていたら、さっきの保母さんが近づいてきた。
「あなた日本人なのね、東京から?」
と質問するので、
「いいや、南の方、長崎」
と答えた。

「まあ、ナガサキ...知ってるわ...」
と眼を細めるので、これはやばいと思った。
その後に続くであろうたくさんの問いかけや意見のやりとりが予想されたからだ。

かつて何回か”ナガサキ”についてフランス人と話したことがある。
原爆から戦争、日米関係、はてはフランスの原発のことへとどんどん話しが展開し、そうとうに疲れた。

フランス人、”なんでそんなことまで知ってんだーっ?”っていうくらい自国以外の国について知識がある。
(とてもいいことだと思う)
そして他の文化圏の人間と知るや、こっちの語学力などおかまいなしにスッパスッパと意見や感想ぶつけてくる。
(いいことだと思う)
真剣に相手をしていると、力がほんとうにすり減ってしまう。
(これはしんどい。もちろん、時と場合によるけれど...)

「ここで力を使い果たしては、満足いく子守りはできん!」
そう咄嗟に判断した。
彼女の細めた眼がこちらに焦点合わせぬうち「あ、そいじゃあ、人を待たせてありますので」とトーマの手をとった。
逃げるようにして保育園から通りに出てると、そのまま黙って数十メートル、足早に前進した。

数十歩進んだとこで信号にひっかかった。
その時になってはじめて、まだあいさつ以外のことばを交わしていないことに気がついた。
さらには、しっかり手を繋いでいること、トーマが何も言わずそれにしたがっていること、にも気がついた。

あわてて身を低くし彼と同じ背丈になった。
肩に手をおいて、「おれ、こうじ。お母さんの友達。いっしょに働いてるんだ。」と言った。
「ウイ、ムッシュー」と小さな、けどはっきりした声が返ってきた。
トーマという名に似つかわしい話しぶりだと思った。
可愛らしいと同時に、ある種の風格がある。
うむ、この子にうそやごまかしはできんな...と思った。

また手をつなぎなおし歩き出した。
横断歩道渡りながら「母さんの仕事が終わるまでいっしょに散歩しよう。まずはセーヌに出てみよう」と提案した。
「ウイ、ムッシュー」
さっきと同様の返事がかえってきた。

「いきなり、あまり良く知らない人と手をつないだりするのイヤじゃない?」
「ううん、大丈夫」
「今日は保育園でどんなことやった?」
「絵を描いた」
「へえ、何の絵?」
「うーん、いろいろ...」
「おれ、君のお母さんと働いてるけどさ、絵を描く仕事もしてるんだ」
「あ、そう...」

ぽつりぽつりと話しながら、まずはサン=ルイ島を目指した。
そこにうまいアイス屋さんがあるからだ。

どの味にしようか迷ってたので、ノワゼットなんかいいんじゃない?と進めるとあっさりそれに従った。
アイスなめなめゆっくり歩いてシテ島へと向かった。
半分くらい食べたとこで、「それは何味?」と聞くので「キャラメルとしょうが!」と答えると、
眉根にしわを寄せ「しょうが?」って、知らない風な顔をした。
「おれの国じゃあ、よく料理につかうんだ...」
「ちょっと苦いけど、少し食べてみる?」
「うん」
「どう?」
「そんなに悪くない...」
「ほんとに?」
「うん、でも少し変...」

ノートルダム寺院を二人して眺めてたら、テュイルリー公園に移動遊園地が来てるっていう話しが耳に入った。
5歳の子供には、寺院なんかよりだんぜん遊園地の方がいいに決まっているだろう。

「遊園地行こうか」
「...?」
「ちょっと行ったとこの公園に遊園地があるんだ...」

トーマの顔つきが変わった。
額に差した影のようなものが消え、晴れやかな顔になった。
けど、それはほんの一瞬だけ。
「おっと、うっかり簡単に打解けてしまいそうになっちゃった...」
とばかりに、また大人びた顔にもどった。
その変化の仕様がかなり愛らしかった。

「あっ」
しばらく歩くと、トーマが声を漏らした。
大きな観覧車がまんまる目玉の視界に登場したからだ。
歩を早め公園に入ると、人がわんさか...
ここではぐれちまったら一大事、と繋いだ手を握りなおす。

回転木馬に回転ブランコ、ゴーカートに急流すべりにジェット(というほど激しくなさそうだけど...)コースター、おばけ屋敷、射的、輪投げ、アヒル釣り...60あまりのアトラクションが所狭しと軒を連ねる。
さらにはいろんな食べ物屋もずらり並んで、そのどれもが、移動式っていうから驚きだ。
事が終わり次第、パタンパタンと畳んで引っぱっていける。

「すごいなあ、たくさんあるよなぁ...」
「・・・・・」
「ひとつだけ、どれか選んでやっていいぜ!」

時間も、そしてお金もそんなになかったのでそう云うと、彼は小さくうなずいた。
まずは端から端までひととおり全部見て回ることにした。

それにしたって人が多い。
「よく、見えないだろう?」
繋いでた手を解き彼の腰のとこを捉まえると、よいしょと持ち上げ肩車をした。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
こういうのに慣れてないせいか、最初はお尻も膝っ小僧もコチコチだった。
しばらくすると、高野豆腐を戻したみたい、やんわりしてきた。

彼が手綱引いてるわけじゃないので、こっちの判断で気の向くままに見て回った。
そうしてると不思議なことに、肩に乗ったお尻や胸元にかかるふくらはぎ、頭におかれた手のひらの感触なんかで、黙っていても彼の心具合がわかるようになってきた。

木馬やコーヒーカップなどゆっくり動くものより、回転ブランコやコースターなど激しく動く乗りものの方に興味を示している。
さらには、黙って座って乗ってるだけのものより、輪投げや射的、ボール蹴って的に当てるゲームなど、自らも身体を動かす競技性のあるものの方に、より強く惹かれてるようだった。

四分の三くらい見終わったとこで、肩に今までにないちょっと変わった気配がした。
地上に降ろし、「おしっこ行きたくない?」と尋ねると、コクンとうなずいた。
それでいったん遊園地を出ると、公園内の樹がたくさん植わってる場所へと向かった。
パリ(っていうより日本以外の国)のトイレ事情ってのは悲惨なので、これくらいの小さな子供だったら、さっさと路傍で用を足すのが得策だ。

「さあ、ここらあたりでいだろう...」
人目の少ない適当な木陰に入り、そううながした。

「ぼく、ここじゃいやだ。トイレに行きたい」
トーマがはじめて自分の意見らしきものを云ったのでびっくりした。
坊主頭で陽に焼けていても、中身はやっぱりくるくる巻き毛で色白のまま、デリケートなんだなぁ...

いいや違う、デリケートっていうのじゃないな、この物腰は...
なんというか、小さいながらも彼なりのダンディズムみたいなものがあるのだ。
うむ、そんならこちらも、きちんと応対せねばなるまい。

彼の肩に手を置いて、その目の高さまでかがむと、まんまるい目をしっかりと見て云った。
「うん、トーマ、ここで用を足すのはたしかに気分いいもんじゃないだろう」
「けれど、トイレさがし出したって十中八九混んでて並ばないといけないだろうし、お金だって払わなくちゃならない」
「時間あんまりないし、ここでさっさと終らせたほうがいいと思う...」

「...うん、オッケー」

とまあ、たかだか小便の話しだが、それは今までの会話と異なり、互いの意見を述べ合うという、言ってみればちっちゃな議論みたいなものだった。

おかげで、これを機になんだか親密さが深まった。
トーマは自分から話すことはないんだけど、こちらが質問をすると、その答えに若干尾ひれをつけて話してくれるようになった。

例えばこんな感じだ。
「喉、乾かない?」
「ううん...だってさっきアイス食べたから。」
この場合、”アイス食べたから”ってのが尾ひれにあたる。

さて、ひととおり全部のアトラクションを見終わって彼が選んだのは”壁登り”だった。
5メートルくらいの垂直に立てられた壁のあちこちに突起物がでていて、それに手や足をかけ上まで登って行くというものだ。
てっぺんには鐘がぶらさげてあって、それを見事鳴らすことができたなら、おもちゃなどの景品がもらえる。
もちろん、命綱付いてるので転落の心配などはない。

「おおー、いいの選んだなー」
「でも、なかなかの高さだし、難しそう...」
「大丈夫かなあ...」
わざとらしくないくらいの物言いと身振りで驚嘆してみせると、トーマは「ぼく、木に登るの上手なんだ。こんなのは初めてだけど...大丈夫と思う」と、真剣な顔で答えた。

観察してると、たいていの子は身体に固定された命綱を両手でたぐりよせながら、足だけを突起物にかけて登っている。
けれどトーマ場合、命綱はあくまで非常時のもの。それにはいっさい頼らず、自分の手足だけで挑んでいた。

「ほお、ちっこいのに本格的やん...こいつどっかでロッククライミングかなんか見たことあるのかな...」

後から登り始めた子供が綱を上手に使って駆け上がり、トーマをすぐに追い越していく。
トーマはそれには頓着せず、相変わらずゆっくりと時間をかけて突起物を物色すると、これぞと思うひとつに手足を掛け、自分の存在を染み込ませるように体重を乗せていく。
遊園地の世界、気ままで軽やかに動く幾多の人や物の中にあって、それだけがためらい、考え、重厚な動きをしている。

じっと見てたら、トーマの体重がいつの間にか5倍くらいに増えている。
重力はその全部が壁に向かっているようで、どんな突風が吹いてもトーマが落下することはなさそうだ。
子供の形をしたアフリカ像が壁にどっしり腹這いになっているように見える。

像のトーマはのっそりのっそり登り続け、長い時間をかけ頂上まで辿り着いた。
そして、鼻だか手だかを伸ばして鐘を鳴らした。

ゴォォーン、ゴォォーンってゴシック教会みたいなやつとばかり思っていたら、チリリリリリンと小さな鈴のような音色だった。
鈴の音はトーマから重量を奪い、像から猫みたいに身軽な生きものへと変身させた。

猫のトーマは、自分が勝ち得た高さを満喫するでもなく、鐘をならすとすぐにするするするっと、地面に下りて来た。

「わあ、すごいぞトーマ、良くやった!」
近づいてってそう云おうとしたら、水色のポロシャツ、胸やお腹のとこがひどく汚れたので思わず、「わあ、汚れちまったなあ...」と吐いてしまった。
しまった、大事なとこでしくじった...
まずはその偉業を讃えるべきなのに、なんちゅう失態、大バカ者だ...

「すっごいぞ!トーマぁぁーっ!」
失言を打ち消すため、予定よりもっと大きな声をはり上げた。
さらには脇下に両手をねじ込んで高々と持ち上げた。

猫みたいに軽くて、いきおい余ってうっかり宙に放り投げそうだった。
脇の下はさっき像だった時にかいた汗でじゅちょじゅちょに熱く濡れていた。
少年未満の子供だけが放つ、枇杷の果汁みたいにまろやかな汗の臭いがした。

トーマは「何をそんなに興奮してんだろう...」ってな顔でこちらを見下ろしていた。
それでバツが悪くなってしまったので、地上に降ろし、賞品をもらいに行くことにした。

壁登りにはけっこうな時間を擁したのに、おもちゃを選ぶのは驚くほど早かった。
手にしたのは、絵の具やクレヨン、パレットなどが箱詰めにされてる”お絵描きセット”だ。

「絵描くの好きなん?」
「うん、とても好き、でも...」
「...でも、何?」
「...何でもない...」

会話に影が差し、うまく続かなくなっちゃったので、なんとはなし時計を見た。
「わーっ!」
いつの間にやらカシアの仕事が終る時間が近づいていた。
「もう帰んなくちゃ。母さんが待ってる」
「...」

地下鉄の駅へと急いだ。
ちょっと遠回りになるけど、歩いて行くより幾分かは早く着くはずだ。

駅は夕方帰宅の時間で、とても込み合っていた。
てくてく歩いて帰れたのなら、壁登りや、絵を描くことなんかについて話すつもりでいたんだけど、大雨による土石流みたいな人の流れの中、はぐれないように手をしっかり繋いでおくので精一杯だった。

最初の駅も次の乗り換えの駅でも、あろうことか人混みに押し流されホームに出た途端、目の前で電車の扉が閉まってしまった。
次の電車はなかなか来てはくれず、大学に戻ったときには約束の時間を30分も過ぎていた。

こんなことなら歩きゃあよかった...
公園を出てから仕事場に着くまでに二人が交わした会話っていったら、
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
を数回繰り返しただけだった。

カシアは部屋の奥の方に置かれた椅子に座っていた。
ずっとそうして待っていたのか、その時ちょうど腰を下ろしたばかりなのか定かじゃないが、ちょっと見、打捨てられた土嚢みたいな有様で、しまったなあと心から思った。
小さな一人息子の帰りが遅いのをよほど心配したのだろう。
抱いてた不安のせいでくたびれ果てていた。

でも、たかだか遅れは30分じゃないか...1時間というのならわからないでもないけど、ちょっとオーバーじゃないかな。
東欧の人っていうのはラテン人なんかとは逆に、時間はきっちりと守るのが常なんだろうか?
あるいは、ひょっとするとポーランド人の30分ってのは、ぼくら日本人の30分よりずいぶんと長いのかもしれない...
いや待てよ、彼女は自分の同僚のことをあんまし信用してなかったのかな...そうだとしたら悲しいな。
いいや、違うそんなことはない、きっとただ単にトーマを溺愛しているのだ。

開いたままのドアのとこに立ってるぼくらに気がつくと、カシアは「ひょわーっ」とか「きょいーっ」とか大きな声で叫んだ。
びくっとしてたら、叫び声はそのままの音量を保ちながら何かしら意味のあるポーランド語の言葉に変化した。
そして、大股にこちらへと向かってくる彼女の口から次から次へと飛び出した。
意味不明だがおそらくは「どこ行ってたのよーっ!」とか「怪我しなかったーっ?大丈夫なのーっ?」とかそんなことだろう。

大きな声は近づいて来るにつれしだいに音量を下げ、音色はやさしくなった。
彼女は自分の息子をまるで30年ぶりに会ったかのようにひしと抱きしめると、豚まんみたいな頬をぎゅうぎゅう小さな頭におしつけた。
(トーマは黙って天井見てた)

5秒くらいそのままの姿勢...
で、その後、テーブルに置いてたバッグをがばっと掴んで肩にかけると、手を繋いでさっさと部屋を出て行った。

「あ...えーっ、もう行くのかーっ!?」
彼女は、遅れたことについて文句も言わない代わり、子守りのお礼も言わなかった。
それならまだしも、別れの挨拶さえなし。
詫びをいれようと隣で隙をうかがっている男には一切眼もくれなかった。
トーマにしたっておんなじだ、視線は母親かあるいは床、もしくは天井に向けられるだけ...
こっちをチラリとも見やしない。
アイス食った仲なのに、遊園地で肩馬した間柄なのに...そりゃあないだろう。
ふたりはまるで世界にふたりしかいないように再会し、そして立ち去った。

驚いたなあ、日本人なら、こうはせんやろう...
せめて「それじゃあ、さよなら、また明日」くらいは云うはずだ。

部屋の奥へ行き、さっきまでカシアが座っていた椅子に腰を下ろした。
ふてくされるためだ。
しばらくじっとふてくされた。
そうしてたら、まだふてくされ尽くさぬうち、なんだか知らないけどじんわりと笑みがこぼれてきた。

あれえ、何でやろう?と不思議に思った。
けれどそう思ったのは一瞬で、その微笑みは「ポーランド人って変なあーっ」という印象がもたらしたものだということに気がついた。

”変”って言ったら悪いというなら”おれらと違う”っていうのでも無論オッケーだ。

でもどこがどう違うっていうんだろう?
ええと...
ああ、そうだ、もっと野蛮なのだ。
より単純。素朴で飾り気が無い。
熱い感情が湧いて出たなら、抑えたりせずそれに身を任せてしまう。

粗野だけど卑屈なとこがぜんぜんなくて、”人間など我関せず”と山の奥に住む猿の親子みたい。

そんなことをにわかに強く感じて、なにやら心の原っぱに陽が射した(あるいは水が撒かれた)ような気分になった。
それで笑ったのだった。


さて、翌日からはまた淡々としたバイトの日々がはじまった。
仕事場以外には少なからず友人がいたし、彼らとは容易くコミュニケーションができたので、
カシアとそれ以上親密になることはなかった。
一度くらい外でお茶か食事でもと思わないでもなかったけど、結局その”洗い場”以外で顔を合わせることは無かった。

夏が終わりバイトが終了すると同時に彼女とは疎遠になった。
(結局トーマに会ったのは、遊園地に行ったその日だけ)

今頃どこでどうしているんかな...
知る由もないが、もしちゃんと生きてたら、カシアは”ばあちゃん”、トーマは”おっさん”...
そんなふうに人から呼ばれ始めてる頃だ。


(今回の曲)
Joelle Ursull 「White and Black Blues」

その夏のあいだ中ずっと、洗い場でかけてたラジオからひっきりなしに流れていた曲。
ゲンズブールがまだ生きている頃で、恋人のバンブー上半身裸で踊らせてる横でラップやったり、ヴァネッサ・パラディをプロデュースしたり、酔ってテレビ番組に出て不燃焼のストーブみたいにぷすぷす煙草吸いながら変こと口走ったりしていた。
この曲はそんな最晩年の彼がグアドループ出身の歌手(ズーク・マシーンにいた)に書いたもので、その夏以来、ウォークマンにもMDプレイヤーにもiTunesにも常に入っている。
聞く度どこにいても、身体の8分の一くらいがすうっと90年代のはじめ、夏のパリに戻る。


azisaka : 08:15

熊本個展のお知らせ

2012年08月16日

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他の三つの季節には悪いけど、夏はやっぱ特別だ。
その太陽の光に目がくらみ、その蝉の声に耳くらみ、その青葉の臭いに鼻くらんでたら、秋冬春に規則正しくやっていたいろんな事がおろそかになってしまう。
くらくらふらふら朦朧として何も手につかない、ってわけじゃ決してないんだけど、とにかくこの季節だけが可能ならしめるような物事が多すぎる。
そんな夏限定のものどもを優先し、できるだけとりこぼしのないようにとあたふた追いかけていると、いつの間にやら、熱にうかされたみたい...7月や8月でなければ日常の中、途切れることなく粛々とこなしていた大事なことがまるっきりほったらかしにされてしまう。

毎日繰り返しやることによってやっとこさ大切なものに育て上げた、ってものが身の回りにいくつかある。
それらは来る日も来る日も続けてやんないことには萎えて死んでしまうようなものだ。
一時であれないがしろにするのはとっても不安だ。
それで市民プール横の木陰でパピコすすってる時など急にいたたまれなくなったりする。
部屋に籠り光も音も熱も臭いも遮断して”いつもの生活”を行い、夏なんてもの無いようにふるまおうかと思ったりする。

けど、太陽ギラギラ蝉ミンミン青葉ムンムン、夏は強いぜ、季節の王、おれらは黙って従うしか手だてがない...

と、いうことで前置きが長くなりましたが夏の個展”クミン”、福岡は7月末で無事終了し、先週10日からは熊本(いつものオレンジ)に場所を移して開催されています。
個展期間中の18、19日と25、26日は会場(もしくはその近辺)におります。
(たぶん)
”よぉーっ”と気軽に声をおかけください。

7月に個展をした日仏学館の5Fギャラリー、今は同じ場所に坂崎隆ちゃんの作品が展示されています。
(冒頭の写真、人物は別)
実際に行ってその場で体感しないことにはしっかりとは味わえないようなそんな作品です。
どんな味わいになるかは人それぞれでしょうが、他ではけっして得ることのできないものだと思います。
何をさておき見にいっとかんと、あとで必ず泣いて後悔するぜ。
(ほんとうに)

azisaka : 11:04

夏個展開始(その2)

2012年07月06日

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トルストイとかの小説にブルジョワ貴族の晩餐会の様子が長々と描写されてるような場面がしばしばあるんだけど、そこには決まって〜公爵夫人とかいって、場をしきる人物が登場し、パーティに集まった人びとひとりひとりに目を配って、会場の中をいったりきたり...「あら、あの人は独りっきりで手持ちぶさただわ」とふさわしい話し相手を見繕い、「おっと、この方には挨拶がまだだった」と贈り物のお礼をいい「ああ、彼とは長く話しすぎた、他の人の相手もしなくては」とキョロキョロし、「ややや、彼女のグラスが空だ」とワインを注ぎ「わ、彼らもう帰るのか?」と出口まで見送り、泣いてる子をあやし、音沙汰ないと真剣に怒る友達なだめ、初めてのひとに愛想ふりまく...

先日の夏個展のオープニングパーティは幸いに多くの人が来てくださってとてもありがたかった。
それで2時間ばかりのあいだ、先の〜公爵夫人みたいに振る舞おうとしたんだけど、公爵夫人ではなくその日暮らしの絵描き風情なので、ニコニコひゃらひゃらな自分がちょっと嫌な感じだったし、なかなかうまくもいかなかった。
うまくいかないばかりか、終る頃には個展の準備のあたふたも重なりどっと疲れが湧いて出て、まだ飲み足りない人たち誘って2次会繰り出すような余力が残ってなかった。

「鍛え方がぜんぜん足りん、ということやね」

「うっく、すまんっ...」

と、いうことで、きのう一日ゆっくり休んだ今日からは、次の個展へ向けての制作開始!

さて、前置きが長くなりましたが、冒頭の写真は、今回の個展会場の様子です。
ガイコツ頭の中に所狭しと作品が展示してあります。

今回の曲
モダーン今夜「うたかた花電車」
モダーン今夜「かもめ島」

来る21日、夏個展特別企画でライブやってもらう永山マキちゃんが、軍団率いて大勢で歌ってる時のやつです。
この頃までには梅雨もとうに終ってるでしょう、みんな友人知人一族郎党誘いまくってばばばんとお越し下さいっ!
チケット予約と詳細は九州日仏学館まで!

azisaka : 07:54

夏個展開始

2012年07月03日

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いよいよ明日より待ちに待った(っていう人がせめて8人くらいいてほしい...)夏の個展が始まります。

展示作品について、チラシ等にはオリジナルの額に入った絵が50点あまりと書いていたのですが、実家に取りに帰ってみたら額縁40個しかなかったので、展示作品も勝手ながら40点に絞りました。

昨日今日と汗ぼたぼた流しながら坂崎りゅうちゃんが展示会場(青いドクロのでかい頭)を作るのを手伝いました。
坂崎は美術作家と大工と農民その他をやってる大学時代以来の友人(今回の額縁も彼の手製!)で、この”クミン”展の後、その空間に手を加え、その名も”after an exhibition”と題する彼自身の個展を行います。かっちょいいです。
両個展、ぜひいっしょにお楽しみ下さい。

明日4日は6時半よりオープニングパーティです。
もちろん無料でどなたでも参加できます。
うまいワインとオードブルがありますので、少々雨が降っててもすらっとお越し下さい。

また21日は、個展特別企画として永山マキ×イシイタカユキのライブがあります。
ふたりとも、もりもり張り切ってる様子なので、すごくいかしたものになると思います。
皆さんなんとか都合つけてお越しいただければ幸いです。
ちっちゃな子供連れとかでもいっこうにかまいません。
予約はご面倒ですが日仏学館の方へおねがいします。
092-712-0904

個展期間中、金曜と土曜、つまり7月6、7、13、14、20、21日は午後3時から7時まで、会場もしくはその近辺におります。
半ズボンの坊主を見かけたら、気軽に「よぉ」と声をおかけ下さい。

azisaka : 20:58

今回の絵(その46)

2012年06月30日

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スペインはバルセロナにある国内最大のスタジアム「カンプ・ノウ」。
そこで行われた世界フェザー級タイトルマッチで挑戦者のハヤブサ五郎は王者マルコ・ダ・ガーロにわずか1R1分6秒、KO負けを喫してしまう。

試合後、五郎は日本には帰国せずそのままスペインに残り、もっともっと実力をつけるべく特訓を重ねることにする。
言葉の通じぬ異国の地で、身体をとことん鍛えることにだけに専念しようと思ったからだ。
彼が練習の地に選んだのはスペインはスペインでもイベリア半島のはるか南、アフリカ大陸の北西部に浮かぶスペイン領の群島、カナリア諸島。

五郎は周囲の反対をよそにそこに独り移り住むと、泣く子も黙って息を飲むようなような厳しい特訓を開始した。

それから数ヶ月...

ある朝いつものように、森の中を走っているとその途中、五郎は人間のことばを話すカナリアに出会う。
もともとは人間の女で、名はピヨッピー。

その語るところによれば、古代よりこの地に住まうグアンチェ族、その長老の一人娘として生を授かった彼女はしかるべき歳に達すると、巫女として一族のまつりごとを司っていた。
平和でのどかな暮らしが静かに続いていく。

ところが15世紀末、イベリア半島より突然カスティーリア王国が侵略にやってくる。
一族は根絶やし。
幸い一命をとりとめたピヨッピーも、王国直属の祈祷師に呪いをかけられ、カナリアの姿にさせられてしまう...

この呪いを解くにはカスティーリア王国で最も強い勇者を、東の果ての黄金の島の勇者が打ち負かさねばならない。
つまりそれは、スペイン人である現チャンピョン、無敗の帝王マルコ・ダ・ガーロに日本人であるハヤブサ五郎が勝利することを意味する。

帝王の強さは尋常ではない。
数ヶ月かそこらの特訓で歯の立つ相手ではないことは、己が拳が相手にかすりもしないまま一方的に攻め立てられ、わずか数発のパンチで打ちのめされた五郎は骨身に沁みてわかっている。

どうする五郎!
しかもかけられた呪いはあと一ヶ月で完結し、それ以降ピヨッピーが元の人間の姿にもどる道は閉ざされてしまう。
わが身のふがいなさに、地べたに這いつくばる五郎...

しかし、それもつかの間...
五郎はすっくと立ち上がると、今から死ぬ気で猛練習し、なにがなんでもマルコに勝つことを誓う。

それを見て「この人こそは」と直感したピヨッピー、自身の小さな身のうちに数百年かけて育んだ神霊の力をすべて五郎に伝授する。

ピカーン!

ここに、ボクシング界は言うに及ばず、世界を震撼させることになる一撃必殺の左アッパーが誕生する。

その名もカナリアッパー!!!

ってそのままやん...

azisaka : 09:28

今日の絵(その45)

2012年06月28日

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「もう、いいの...大丈夫よ...」
「大丈夫って何が...?」
「わたし決めたの...」
「えっ...?」
「やっぱりあなたは姉と結婚すべきよ」
「な、何いってんだよ!」
「私は末娘...しきたりにしたがって家を守っていかなきゃ...」
「しきたりなんてクソくらえだ!」
「あなたはこの屋敷に養子として住むことになるでしょう...?」
「.....」
「私は毎日料理を作りあなたに食べさせるわ」
「.....」
「それでいいじゃない?」

と、50年前、大叔母の紀寿を祝うパーティの席で恋人のフリエッタと交わした会話を思い出してるエステバンさん。
その彼の思い出の中にあるフリエッタの顔を写し取ったのが今回の絵です。

BGMは鈴木常吉「思ひで 」

azisaka : 06:36

今日の絵(その44)

2012年06月27日

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「しょうがないのさ」
作詞・ウルフ竹串
作曲・未定

君が黄金の糸で
”無事に帰ってね”と
縫い付けた
真綿色のトランクス
今日も真っ赤な血で染まる

群れを離れた狼二匹
おれとあんちくしょうの血で染まる

君がばら色の唇で
”負けたっていいのよ”と
口づけた
小麦色のおれの頬
今日も青黒く腫れ上がる

街を追われた狼二匹
おれとあんちくしょうの拳で腫れ上がる

ああ ロンリー ロンリー
ロンリー ウルフ

おれの放った鋼の拳
空を切り裂き
あいつを切り裂き
おまけに君を切り裂いた

ラララララ~
ああ ロンリー ロンリー
ロンリー ウルフ
しょうがないのさ

...ってそりゃあ、入場曲としちゃあ、切な過ぎてやりきれんやろう。
つうか、サビの部分の”ロンリー ロンリー”ってとこが月並み過ぎ!
どうにかせんかい!

と後援会の年寄り連中につっこまれ「うう、昨日寝ないで一生懸命作った歌詞なのになあ...」としょんぼりひざっ小僧を抱えてる駆け出しボクサー、ウルフ竹串さんが今回初登場です。

そんな竹串さんが最近カーステレオで好んで聞くのはこんな曲!
(あら、意外ね)
Ornette「 Sur Le Sable 」

azisaka : 15:24

今日の絵(その43)

2012年06月23日

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えっと、今回登場はドクロディア消防団の団長、人呼んで”火消しのトモちゃん”です。
トモちゃん、真っ赤なレーザー砲型懐中電灯を片手に毎夜毎夜パトロール。
これをかれこれ20年、一度たりとも欠かしたことがありません。

昨年は区長さんからその仕事ぶりを讃えられ功労賞をもらいました。
今誇らしげに手にはめてるのは、そのとき授かったピンクのミンクのムンクの手袋です。

「でも、なんで上半身はだか?」

それは、むかしから、夜回りはこのような出で立ちで行うというしきたりだからです。
団長たる者、しきたりは守らなきゃなりません。
ちょいとばかしはずかしいですが(誇らしげに見せるような胸の大きさでもないし...)それで今まで万事、ことなきを得ているのですから(なんと20年間ぼやひとつだってありません)ずっと続けていくのがいいのです。

さて、ともちゃん、パトロールしながら口ずさむ歌があります。
こういうやつです。
ほんとうは紀伊国屋ライブのがいいんですけど...

azisaka : 05:41

夏個展チラシ

2012年06月21日

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夏の個展のチラシができたので載っけます。
写真はいつものように牧野さん。
描いた絵、いつも牧野さんに撮ってもらうのですが、毎回びびります。
なんでかというと絵が裸にされるからです。
つまり、彼の手にかかると、肉眼では見えなかった筆のタッチや色の混ざり具合なんかが露になり、絵の生身が浮き上がってくるからです。
それで「あわわわ...」となりながら、写真に撮られたものと、原画を見比べながら新たに手を加えることが多いです。

デザインは、これもいつものように押見さん。
今回、仕上がったものをまずは大きなファイル専用メール便で送ってもらったのですが、画像開いた時、思わず「おおーっ!」と感嘆の叫びを発してしまいました。
めちゃくちゃ扱いにくい構図の絵に、よくぞ見事に文字を並べたものだと、うなってしまいました。
まるで、イタリア製のスポーツカーみたいにしゅっとしたデザイン。

今回は、絵より写真とデザインが勝っていたと思います。
ううう、ちくしょう、くやしいぜ...

azisaka : 05:51

今日の絵(その42)

2012年06月18日

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一年以内に描いた絵ならば、しばらくたって見てみて、なんか釈然としないなぁ、腑に落ちないなぁと少しでも感じたら、あんましためらうことをせず消してしまって別の絵に描きかえてしまうことが多いです。
(今回の絵もそうやって新たに描いたものです。)

消すときはアクリル絵の具剥離材(いつかもこの場で説明しましたけど)を使うのですが、消しゴムで何回も消すと画用紙がガサガサになるように、キャンバスも傷つき擦れ、赤ちゃん肌だったのが鮫の肌みたいになってしまいます。

この鮫肌キャンバス、筆に強い抵抗があって、絵の具がとっても付きにくいです。
けど、付きにくいからといって力を入れると逆にびたっとくっ付き過ぎてしまいます。
力の加減がなかなか難しく、描き進んでいくのが物理的にとっても困難です。

こんな”重荷”を抱えながら、鮫肌に新たな人物を描いてると、不思議なことに描かれた人物も、何かしら”重荷”を抱えてるようなたたずまいになることが多いです。


消されてしまった人間の、果たせなかった思いを課せられ、それを引き受け、全うすることに自分の人生を賭しているような感じになります。
(大げさですけど、そんな感じ)

それでみんなどことなく、老いも若きも男も女も、”鶴田”度高い、陰影を帯びた顔つきになります。
鶴田度って何やねん?
といいますと鶴田真由でもジャンボ鶴田でもなく、鶴田浩二度が高いということです。
(古いやつですまん...)

なんで意識してないのにそうなってしまうのかっていったら、たぶん、そんな顔が好きなんだからでしょう。
”心ここにあらず”っていった感じの、”自分を何か自分とは別のものに放り投げてしまってるような風貌”ってのにとても惹かれるからだと思います。

(今回の曲)
Donny Hathaway「The Ghetto」
大学に通い始めて間もなくの頃、近くのレンタルCD屋さんで借りた「ソウル名曲集」に入ってたこの曲聞いて(それまであんましソウルなんて聞いたことなかった)、なんじやあこりゃあああーっとびっくりしてしまいました。
今聞いても、やっぱり、なんじゃあこりゃああああーって思います。

「でも、いったいなんでまた今頃この曲なん?」っていうと、夕方から降りしきる激しい雨によく合ってたからです。

azisaka : 21:34

今日の絵(その41)

2012年06月14日

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見た目とはすっごくうらはらに茶碗蒸し作るのが得意なアドリアナさん。
彼氏のために銀杏五つも入った茶碗蒸しを作り、あつあつを食べてもらおうとスクーターで家を飛び出しました。
ところが最初の信号にひっかかったところで、彼氏の家にまだいったことがないことを思い出しました。
それでちょいとばかし頭の中が真っ白になってるところです。

(今回の曲)
Day One「I'm Doing Fine」
フランスのFMラジオをネットで聞きながら絵を描いてたら、いきなりこの曲が...
ひやあああ、なんやこりゃあ、知らんかったー、かっちょいいーっ!
しかも12年前の曲....

azisaka : 21:48

夏個展のお知らせ

2012年06月09日

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アジサカコウジ夏個展巡業2012「クミン」

みなさん、こんにちは。
夏の個展の詳細が決まりましたのでお知らせします。
今回見ていただくのは、去年福岡で展示した「自治区ドクロディア」シリーズの続編で、昨年の秋より今年の初夏まで描きためたアクリル画50数点です。

タイトルの「クミン」というのはカレーやスープによく使う香辛料の”クミン”のことではなく
(それでも別にいいんですけど...)”区民”のことです。
つまり、前回は”自治区ドクロディア”と名付けられた近未来の架空の街、その俯瞰図みたいなものを描いて発表したのですが、今回はその街で生活する人々、それぞれのポートレートを描いて展示するというわけです。

というのは後から考えたことで(すまんっ)、今回展示の作品は毎日気の向くままに描き、このブログの場を借りて「今日の絵」として見ていただいてた一連の作品です。
( あと10枚ほど描き足さないといけませんが...)

絵のサイズはすべてF4(33×24)で、なんと現代美術作家である坂崎隆一の手によるオリジナルの額縁に入っています。
そのいかした額縁とともに展示販売いたします。

個展の場所は7月が福岡で昨年同様、九州日仏学館5Fギャラリー、8月が熊本で、いつものカフェ・オレンジです。
オレンジでは2階のギャラリーだけでなく、1階のカフェや隣接の橙書店のスペースもつかってばばばんと展示します。

福岡展については展示の空間を例年のように、先で紹介した坂崎隆ちゃんにお願いしました。
この坂崎、今年はなんとアジサカの個展が終わった後、同じ空間を使って「after an exhibition」と題した自らの個展を行います。
どんな内容かを聞いたのですが「うっひゃあーっ!」とびっくりして椅子から転げ落ちて腰をしたたかに打ってしまいました。
ほんっと、すごいです。アジサカの個展と合わせてなにがなんでもご覧ください。
期間は8月1日~28日(詳しくは日仏学館のHPをご覧ください)

また福岡展については4日にオープニングパーティ(無料です。誰でも参加できてうまいオードブルとワインが飲めます!)、さらに7月21日には特別企画として永山マキ×イシイタカユキのライブを行います。
マキちゃんの歌とイシイくんのギター、うううーっ、とてもいいです。
ライブをさらっと心良く引受けてくださってほんとうにありがたいです。
でもって個展に合わせた選曲でやってくれるとのこと、もうめっちゃくちゃ楽しみです。
みなさんぜひとも万障繰り合わせまくってお越し下さい。
ライブの予約は九州日仏学館(092-712-0904)まで!

(福岡展)
九州日仏学館
7月4日(水)~24日(火)
10:00-13:00/14:00-19:00(火~金) 10:00-13:00/14:00-18:00(土)
(日祝月は休館。入場無料)
福岡市中央区大名 2-12-6 ビル F 
Tel:092-712-0904 

オープニングパーティー:7月4日(水)18 :00(入場無料)

特別企画:永山マキ×イシイタカユキ ライブ
7月21日(土) 18:00 ~
カフェ・パンテロー(九州日仏学館ビル1F)
料金(ワンドリンク付):一般2,500円 学生・学館生2,000円 
予約・お問い合わせ:九州日仏学館 Tel :092-712-0904

(熊本展)
オレンジ
8月10日(金)~26日(日)
11:30~21:30(入場無料)
熊本市新市街6-22 
Tel:096-355-1276

(今回の曲)
永山マキ「銀の子馬」

azisaka : 07:45

パトリックのワイン

2012年06月07日

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パトリックはベルギーに住んでた頃、一番仲の良かった友人のいとこだ。
友人によるとこのパトリック、十代の中頃にはすでに一生の伴侶となる女性を見いだした。
高校1年のときつき合い始めると、大学に入ってからも、ずっとその関係は続いた。
誰が見てもお似合いで仲睦まじく、大学出たならば互いに職を得てしばらくしたら結婚して...という幸福な階段を登ってくはずだった。
が、卒業間際にお釈迦になってしまった。
彼女に別の男ができちまったからだ。
彼はたいへん傷付き、傷付いた者の特権として旅に出た。
インドや東南アジアやアフリカなど、いろんなとこをまわった。
そうして3年後、ベルギーに舞い戻ってくるとワイン作りを学び始めた。

5年前のある日、友人が「おまえワイン好きだろ?いとこがワイン作ってるんで会いに行こう」と言いだした時、パトリックはすでに36歳、南仏はプロヴァンス地方で葡萄畑をもちワインの製造業を営んでいた。

その数日後、まだ日が明けぬうちブリュッセルを出ると、友人と代わりばんこに運転しながら高速を南へ南へとひた走った。
なかなか遠い道のりだった。
もうあとしばらくで到着という道すがら、サント・ヴィクトワール山を見た。
初めて見るその名高い山は、初春の澄んだ空気の中に佇み、そりゃあすばらしい紫色に輝いていた。
垣間見るだけで、運転の疲れが一息に癒された。

10数時間かかってやっとこさ到着。
ブリュッセルは時として雪が舞う肌寒さだったのに、高速から下り田舎道をしばらく進んだその場所はすでに花の季節だった。
見渡す限りの田園地帯に降り立ち、ひさしぶりにコンクリートじゃなく土を踏む。
頭上からキラキラまばゆい陽光が降りそそいだかと思うと、ひたひたとゆっくり身体に染み込んでいく。

こんなにすばらしい光と空気と自然がありゃあ、葡萄じゃなくったってよく育つやろうなあ、と思われた。
鳥だって人間だって画家だって,,,
この土地に生まれさえすれば、なにもセザンヌじゃなくったって訳なくセザンヌに育ちそうだった。

“小さなワイナリー”と伝え聞いていた葡萄畑は想像よりかずいぶんと広大で、作業場や貯蔵庫も大きく、住居なんて立派なお屋敷だった。
うちのばあちゃん(急な山の斜面にいくばくかの田畑持っていた)なんかかが見たら腰を抜かすぞ、と思った。

パトリックは深みのあるよい声をもった大きな男で、握手をすると、それはしばらくぶりで触れる農民の手だった。
同じ歳の妻と4歳になる子供がいた。
その妻とは彼女が田舎暮らしが性に合わなかったせいで、一度離婚したんだけど1年前にまた寄りを戻したらしい。
子供はやんちゃ、というかいかにも甘やかせて育てられたという風なわがまま小僧で、苦手なタイプだった。
それが他人ではなく、自分のいとこの息子だったら2、3回、泣かしてやるところだった。

夕食の前に葡萄畑を散歩した。
畑仕事など無縁なものから見てもその土地はまるまるに肥えていて、靴の底通り越して土の養分が身体に浸透してきそうだった。
流れる空気にしても、evianとかvolvicのミネラルウォーターをでっかい加湿器で撒いてるみたい、とっても濃くて潤っている。

そして嗅いだことのない、言いようもなく心地よい臭いがした。
とてつもなく多様で複雑、でも同時にきっぱりと単純。
大げさだけど、”地球の臭い”とでも言いたくなるような臭いだった。

そんな精気に身を浸し、しばらくぼおっとしてたら日が暮れ始めてきた。
うっとり半開きにしてた視覚を前方に向けると、落陽に照らされた風景がまるで横たわる大きな葡萄の一房のよう、赤紫に染まる。
長旅の疲れが農作業の疲れに代わり、うつむいて眼を閉じるとどこからか鐘の音が響いてくる。
おおーっ、なんつーか、これって「ミレーの晩鐘」やぁーん!
彼が絵にしたかったのはこの感じなのだなぁ、とそう思った。

屋敷にもどったら晩餐。
晩餐...と呼べるような豪華な料理をその外見の暮らしぶりから勝手に想像してたんだけど、食事は意外に簡素なものだった。
パスタとサラダとパンにチーズ...
明後日、農場でワインの試飲会を開くのでその準備に追われているのか、久しぶりに合う従兄弟とその友人をもてなすものにしてはあっさりしていた。(横着な感想だけど...)
けど、献立がどうであれ食事は楽しかった。
妻はその子供同様、始終そわそわテーブルを出たり入ったりで、話すのはもっぱらパトリック、しかもそのほとんどがワインについてのものだったんだけど、これが面白かった。

彼は実にこの仕事が好きでたまらない様子で、おそらくはもう何百回も聞かれたであろう素人の質問にも、まるで初めてであるかのように答え、聞かぬことまで身ぶり手ぶりをまじえて熱っぽく語った。
聞きながら、「ああ、この男は幸か不幸かほんとうの”ワインばか”なのだな...」と思った。
いつだって頭の中はワインのことだけ、奥さんや子供のことは悲しいかな二の次だ。

そんな彼のワインはすばらしくうまかった。
ほんとうにうまかった。
うまかったが、初対面でもそれとわかる夫婦間のぎこちなさと、歳のこと差し引いても落ち着きのなさ過ぎる子供の有様を見るにつけ、彼のワインのうまさが、その家庭の不安定さ、によって醸し出されたものであるように思えた。
それでなんだか、自分だけおいしい思いをして悪い感じがした...
 
翌朝、若干二日酔いの頭でまだベッドの中にいると、クスクスっと笑いながら子供がぼくらが泊まってる部屋へ乱入してきた。
見知らぬ泊まり客に興奮したのか朝っぱらからテンション上がりまくってて、友人のベッドからぼくのベッドへと飛び移ってはしゃぎはじめる。
それを面白がって、よせばいいのに友人がはやしたてる。
と、何の拍子か、飛び上がったものの身体をひねり頭の方からダイビングするような格好でベッドの中にめりこんだ。
「わわーん!ひいいーっ...」狂ったように泣き始める。
どうも左腕をどうにかしたようだ、不自然に引きつらせている。
あわてて両親を呼びに行った。
パトリックは大股にやってくると息子を抱き上げ、なだめはじめた。
なだめながら「こいつよくやるんよ...この前も遊んでて足をひねっちゃってさ...」とぼくらに苦笑いをした。
それを隣で見てた妻が「何云ってんのよ、骨、折れてるかもしれないじゃない!」とヒステリックに叫んだ。

この朝、パトリックはラジオのローカル番組への出演がきまっていた。
明日のワインの試飲会を番組の中で宣伝するためだ。
それは決してはずせないので、子供は妻が最寄りの病院へ連れて行くことになった。
彼女はぐずんぐずん泣き止まぬ、4歳にしては大きな身体を抱きかかえると、まるでその痛手がぼくらのせいであるかのようにこちらには一瞥もくれず、キキキーっとタイヤ鳴らして出て行った。
それを見送ると「すまんなぁ...おれは準備したらラジオ局行かんといかんので朝ご飯はふたりで勝手に食べてくれ」とパトリックがいった。

食後にコーヒーを入れてると、風邪気味で鼻声になってるのを気にしながら彼がやってきた。
二口三口相伴すると、「ようし目一杯宣伝してくるぞーっ」と意気込んで出かけて行った。

さて、結局彼のインタヴューは放送されなかった。ローマ教皇が亡くなり、特番が組まれたからだ。
「随分当てにしてたんだけど、弱ったなあ...」とパトリックはちょっぴり顔を曇らせていた。

その晩はピザをとって食べた。
息子の左手は軽い脱臼で、夕食の時はすっかり復活、ピザをむしゃむしゃうまそうに食べていた。
妻はぼくらとあんまし話そうとしなかった。

さて翌日の試飲会は幸いよい天気に恵まれた。
それでも、人ちゃんと来てくれるんだろうかと心配だったが、昼過ぎに散歩から帰ってみると何十台もの車がとまっていたので安心した。

試飲会をやるということしか聞いておらず、集まったきた人たちにワインを飲んでもらうだけだと思っていたので中庭に出てみた時にはびっくりした。
大きなテーブルにはぎっしりといろんなオードブルが並べられている上、ボロンボロンパッパカパーとジャズバンドの演奏が催されていたからだ。

うわあ、こりゃあちょっとしたお祭り騒ぎだな...と思った。
見慣れたブリュッセルやパリの都会人らとは異なる、はしょって言えば”田舎の小金持”みたいな連中がワイン片手にあちこちで談笑している。
自分一人が唯一の黄色い東洋人だからか、やたらと視線を感じる。
「日本人はたくさんワイナリーを買収してるが、君たちほんとうにワインの味がわかるのかね?」とか話しかけられそうなので、できるだけ眼を合わせぬようオードブルに手をのばす。

と、グオオオオオ...ギュルンギュルン...ドギャギャギャギャ,,,
楽器の音とは違う、けたたましいエンジン音が耳にはいってきた。

見ると葡萄畑の方、ひとり乗りの四輪駆動のバギーが数台、畑の周りをまわってる。

個人的に、この四輪バギーとかジェットスキーとかが大嫌いだ。
でかい音たてて自然を傷つけてるという感じが強くしてしまう。
海泳いでるときジェットスキーが現れようもんなら、大きなサメになって体当たりしたくなるし、バギーなら、もぐらのバケモノになって土の中に引きずり込んでやりたくなる。
海は手で掻き、大地は足で蹴って進んでいくもんやろう、とその首根っこつかまえて凄みたくなる...

「ミレーの畑を...あのバギー野郎めがぁ...」
いわれない罵倒を心の中であびせつつあからさまに眉をひそめてると、それに気付いた友人がいった。
「こうじ、そんな顔すんなよ、あのバギーはパトリックが用意したものなんだ。最近こんな試飲会では人にたくさん来てもらうため、”葡萄畑をバギーで見学”というアトラクションが流行りなのさ。」

「いくら流行ったって、おれだったら、手塩にかけた自分の畑にあんな乗り物はいれないぜ!」
それを聞くなり、そう思わずつぶやいた。

「そりゃあお前、他人事だからそうも言える。あんなことまでしないとこの頃はお客がついてくれないんだ...」
友人がたしなめるようにいった。

南米やアフリカなどのワインに押され、彼のように小さな醸造業者の立場は日増しに苦しくなっているのだ。

azisaka : 06:34

今日の絵(その40)

2012年06月04日

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銀行でOLやってる蓑毛未来さん。
今んとこすこぶる健康で、さしてお金に不自由もなく、やさしい夫だっていて、誰が見ても幸せそう。
その人生に文句をつける筋合いなんてありません。
が、ある日仕事が終ってスーパーに並べられた厚揚げ豆腐、賞味期限の新しいやつとろうとして奥の方に手を伸ばしてるとき、ふとやりきれなくなってしまいました。
「このままこうして淡々と老いさらばえていくのかしら...」
と、そう思ったとたん、なんでか知らん、不思議なことに右目にものもらいができてしまいました。
上瞼に大きなやつで、まるでお岩さんみたいに腫れ上がってます。
「眼帯買ってつけなきゃ...」と薬局を目指す蓑毛さん。
が、その途中、「こういう機会に市販のやつではもったいない、自分で拵えよう」と思い立ちました。
それで、ハート型の眼帯を作りました。なかなか変です。
「これつけて明日いつものように銀行へ行き窓口に座ってたら、上司にきっと何か云われるだろう、咎められるかもしれない...」
「でも、そうしたら反抗しよう。許されぬのならば、とっとと銀行やめてしまおう...」
と、決意してる様子です。
(つうか、ドクロの刺青オッケーな銀行ならハートの眼帯も大丈夫やろう)

azisaka : 05:46

今日の絵(その39)

2012年05月31日

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ジャラジャラジャララン....というフラメンコギターにのってこんな歌が...

♪ああ~ここはバルセロナ~ロマンの国カタルーニャの都~
あたいはここの場末の踊り子~毎夜毎夜舞いを舞うよ~

そんなあたいに見とれちゃだめさ~惚れたりなんてしちゃいけないよ~
なぜならほんとはね~ほんとはあたい踊り子じゃないのさ~

なんならあんた~ためしにあたいの部屋へ来てごらん~
そうしてあたいを口説いてごらん~

くるくるカールの髪の中~きらり輝く一条の光~
それはいったい何でしょう?~

あなたはきっとわからない~いつまでたっても知りはしない
だって~だって~あたいがうなじに手を伸ばし~
それをそっとつまんだとき~

あなたの命は絶えるから~
あはーんあはーん~ルルルラララ~
ああーんあはーん~ルルルラララ~

それは〜それは〜金の毒針~
ロマンチックでしょう?~
あんたの脳天に突き刺さる~♪

と、こんな意味不明わけのわからんテーマ曲にのって登場し
今しも毒針に手をかけようとしてるステファニーさんが今回の絵のモデルです。

(今回の曲)
Anna Calvi「Rider to the Sea」
そんなステファニーが最近好きで聞いてるのが、ブライアン・イーノが「パティ・スミス以来の大物」と絶賛したAnna Calviさん。
うおおおーっ、ギター...

azisaka : 22:48

お知らせ

2012年05月28日

去年の夏、福岡は九州日仏学館にて展示をおこなった「自治区ドクロディア」の画像をサイトにアップしました。
トップページの自治区ドクロディアのところをクリックするとばばんと見ることができます。
最後らへん、眼がチカチカします。

azisaka : 06:25

今日の絵(その38)

2012年05月26日

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今回登場は九州の北方、玄界灘にある対馬島は厳原町曲で海女をやってる宮本常代さんです。
「えーっ、海女っていうのに色、白いじゃん!」
とつっこみたくなるお気持ち、わからないじゃあありませんが常代ちゃん、いくら陽にあたっても潮風に吹かれても焼けない体質なんです。
そんな美白が悩みの常代ちゃん(だって海女は海女らしく褐色がかっこいいですから)が今の仕事をするようになったきっかけですが、父方のおばあちゃんが島ではもう少なくなってしまった海女の仕事をしていたからです。

おあばあちゃんはなんと齢八十を過ぎてもヘコ(褌のこと)ひとつで海にもぐってアワビやサザエ、テングサやワカメをとっていて、幼い常代はその野性的な美しさに心はげしく打たれ、魅了されてしまいます。
それで、小学校に上がる前からおばあちゃんにくっついて磯へ行くようになり、だんだんと自らも海へ潜るようになっていったのでした。

そんな彼女の行動を福岡の市内からこの島に嫁に来た母親はあんまし心良くは思いませんでした。
それで何とか常代の海へと向かう心を他に逸らそうと、ピアノだとかお絵描きだとかを習わせようとするのですが、みな無駄骨に終ってしまいます。
学校が終わるやいなや、少々肌寒い日でも真冬以外はおばあちゃんといっしょに海の中、魚みたいな常代です。

さて中学に入ったばかり、庭の牡丹の花が咲き始めの頃、いつものようにおばあちゃんとふたり並んでスタスタと磯の方へ向かっていました。
すると海岸線に出た辺りで「ありゃあー」とおばあちゃんが素っ頓狂な声をあげて立ち止まりました。
常代が振り向くと、ゴロンと土の上に寝っころがるおばあちゃん。
お迎えが来たのです。

常代はおばあちゃんを担いでいつもの岩場へ行くと彼女を横たえました。
そうして、しばらくぼおっとしていました。
30分くらいそうした後、携帯を取り出し役場ではたらいてるお父さんに電話しました。

その日から以降、中三になる現在まで独りで海に潜っています。
ほんとうはおばあちゃんみたい、ヘコひとつで颯爽と飛び込みたいのですが、胸が膨らみ始めてきたころ、それだけはやめてほしいと母さんに泣きつかれたので、今は純白の磯シャツに腰巻き姿です。

常代は海で仕事をしていると、いろんなことを感じてこころがいっぱいいっぱいになります。
なんだか苦しいので外に出したほうがいいんじゃないかと思って、ノートに感じたことを書きはじめました。
たいていその日が終わり、お布団にはいってから書きます。
書いてると溜まってたものが外に出てすっきりしましたし、続けてるうち、ことばをさがすのが、貝や海藻さがすみたい、とっても楽しくなってきました。

ところが、それを母さんに見つかってしまいます。
大学で文学を専攻してたという読書が趣味の彼女、それを読んだとたん常代の天賦の才にびっくり仰天してしまいます。
そこには未だ彼女が読んだことがないような文章ー清らかで美しく、なおかつたくましくて大らかーな、詩としか呼びようのないようなことばが幾重にも並べられていたのでした。

彼女はこっそりそのノートを持ち出しコピーをとって、担任の宝亀先生に見てもらいます。
宝亀先生もたいそう驚き、感動するとともに、矢も盾もたまらず、ちょうどその時学校に募集が来ていた全国学生詩のコンクールに応募してしまいます。

数週間後、見事ぶっちぎりでグランプリ。
島の高校にとりあえず通いながら、それが天職だと信じる海女の仕事を死ぬまで続けて行こうと思ってる常代を、周りのものがよってたかって説得しはじめます。

「ここを出て、福岡の有名高校に行って本格的に文学の道を志すんだ」
「島の世界は閉じてて狭い、もっと広い世の中に出てたくさんの人に会い、いろんなことを学ばなくてはならない」
「今どき、海女なんて...」

そんなある日、とうとう、母親と言い争いになって家を飛び出してしまいました。
浜辺まで駆けてゆき、その場にすとんとしゃがみこむ14歳。

「おばあちゃん...」
思わず、口に出してそうつぶやきます。

とそんな感じの絵です、今回は。

azisaka : 09:02

靴みがき

2012年05月23日

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フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキがフランスで撮った「ル・アーヴルの靴みがき」という映画を見に行った。

客席で見ていたら、スクリーンの中の人物がやおらこちらの方を振り向き、名指しで「こうじ、ぼさっと見とらんで、こっちへ来て俺らに手を貸せよ」と言い出しそうだった。
そう云われても驚かないし、ごく自然に「おお、すまん、すぐ行く!」と答えて立ち上がってしまいそうな感じだった。
つまり、それほどまでに登場人物が、”まるで目の前に実際にいる”かのように活動していたのだ。
映画の中、隣人の行動をはす向かいのちょっぴり高い場所から監視する男(ジャン=ピエール・レオ!)が登場するけど、まさしく彼になって、現実に目と鼻の先で繰り広げられる事の成り行きをじっと見ているかのような気分だった。

こんな風に、登場人物のそれぞれに確固とした存在感がある新作映画っていうのはほんとうにひさしぶりだ。
なにしろ”顔”がいい。
俳優然とした、チンケで、作ったような、そんな薄っぺらな顔なんてのがひとつも出てこない。

靴磨きはまぎれもなく靴磨きの顔だし、食料品店のおやじはほんとうにそれが生業みたいだ。
人間だけではない、犬も車も黄色い花も赤い花も、ブリキ缶もブラシもオリーブも、出てくる”もの”すべてがみなすばらしい顔つきで、生き生きとしている。
それぞれが「さあ見てくれ、おれはここにいるぞ、存在しているぞ」と云っている。

このようなものたちが、無駄なくさっさと会話し行動する。

「説明するのは下衆だ」とは小津安二郎のことばだが、カウリスマキは敬愛するこの先達にしっかりと従っている。
映画の中で重要な、ヒロインが死に至るであろう病気の名前さえ明かされないし、ひとが自分の行動の動機を語る場面なんてものもいっさいない。
話しに”隙間”がたくさんあるので、観客はその隙間を埋めるべく自分で勝手に想像するしかない。

したがって、見る人によってはそれが下町の人情ドラマになるだろうし、あるいは移民の問題を扱うよりシリアスなものにも、または夫婦の絆を謳う恋愛映画にもなる。

つまり、「あんたは自分で立派に料理ができる。おれはできるだけ新鮮でいきいきとした素材を差し出すだけだ。」という風に料理人(観客)を信頼してくれているのが心地いい。

「おれがうまい料理作るから(事細かに説明してあげるから)、おまえはただだまって食べれてれば(見てれば)いい」っていう映画がいっぱいあるけれど、そんな映画見てもたいていはうまくないし、よしんば良かったとしても、腹(心)はいちおうその時だけ満たされはするが、心それ自体がなにがしか変化するということはない。
映画館を出たならば、世界がほんの少し違って見える、というような作品はめったにない。

ともかくこの映画、登場人物の気持ちや思いを語る場面なんてのがないので、ひとびとの心は、すべて個々の具体的な行動によってあらわされる。
事に当たってあれこれと思い悩んだりせず、何かあったら即座にそれに応じる。
電光石火の行動だ。
しかもその行動が、規則だとか思想だとか右とか左とか、そんな他所から当てがわれたようなものに、まったくもって従っていない。
従うといえばただ、ことばになる以前の自分の感覚だけだ。

人が決めた法の番人である警察官でさえが、逮捕すべき少年のその”顔”、つまりその存在に向き合ったとたん、彼を見逃すことを誰にも何にも拠らず自らの意思(というか直感)で決める。

登場人物の中、具体的なものごとでなく、思想のようなものを語るのはただ、靴を磨いてもらっている教会の神父たちだけだ。
ルカだとかマタイだとか神様についてあれやこれや話すその神父らは、天上は見ているが靴磨きのように足下は見てはいない。
靴を磨き、パンを売り、魚を獲り、日常のどうでもいい四方山話を飲んで話す巷の連中、低俗な彼らの方が、神父たちより神々しく見える。
その最たるものが、遠い北の国出身の靴磨きの妻で、そのたたずまいはまるで聖母マリアか観音様のごとくだ。
たどたどしいフランス語で紡ぐそのことばひとつひとつが、単純で確かで、まるで天上からこぼれてくるみたい。信じるに値する。

さて、ベルギー住んでた頃、フランス語の語学学校で教師をしている友人がいた。
長年、いろんな国の人に関わってる彼女に聞いて「ほお」と思ったのは、「日本人とフィンランド人は、性質が良く似ている」というものだった。
礼儀ただしさや謙虚で控えめなところなんかが共通していて、たとえば授業中(まあもちろん個人差ってものはあるけど)、他の国のひとが先を争うようにして意見や質問をなげかける時も、なぜかこのふたつの国の人は静かに黙ってるそうである。
あるいは、自国のものをなにかプレゼントする際にしたって、他が「これ、すごくうまいんすよー!」というところを「つまらないものですけど...」といった風に差し出すのだそうだ。
でもって、こんな共通性はどこから来るのかといえば、彼女の分析によるとそれは、郷土の地形が為せる業なのだそうだ。
つまり、日本は海、フィンランドは無数の湖に陸地が制限され、どちらも”水際”に暮らさざるを得ず、それが国民性みたいなものに強く影響を与えているに違いないという。

本当のとこはどうなのかわからないけど、それはさておき、フィンランド人である監督が撮ったこの映画に登場するフランス北部の港町の人間は、フランス人っていうよりか、むかしの日本人(映画や書物でしか会ったことないけど...)みたいだった。

だって不治の病を告げられた時、フランス女だったら「何とかしなさいよあんた!」って、医者につかみかかるだろうし、あるいは旦那の胸に大げさに泣き崩れるだろう。(まあもちろん個人差ってものはあるだろうけど)

しかし、この映画のヒロインは感情を表に出すことをせず「そうですか...主人には告げないでください」と云うのみだ。
そんな、己が運命を淡々と黙って受け入れるという振るまい方が、とても”日本的”に感じられた。
カズオ・イシグロが慈しみ、その小説で好んで描くところの人物の有様を思い出させるようだった。

さて、この映画の中、もっとも好きな場面は、黒人の少年が靴磨きの男から言付かったワンピースをその病床にある婦人に届けるところだ。
少年は初対面の婦人に、背筋をしゃんと伸ばし、相手の顔をまっすぐに見、礼儀正しくきちんとあいさつをする。
婦人は、「なんであんたが彼の代わりに?」「あなたはだれ?」「どっから来たの?」などと聞いたりしない。
「ボンジュール、マダム」と告げるその告げ方で、この少年の人物、器量がわかったからだ。

あれこれと素性を聞く必要などない、あいさつを交わすだけで充分なのだ。
身なりや肌の色や年齢、ましてや肩書きなどは、人を信頼するうえでほとんど役に立たない。
見るべきは、その人のたたずまい、”顔”だ、とうことをこの二人(そしてその他の登場人物たち)が教えているかのようだった。
そう、まるで黒人の少年が渡世人の高倉健で、病床の婦人がそれが初対面のいっぱしの親分、嵐寛寿郎みたい。
任侠映画のような、とてもきっぱりとした場面で、見てる自分の背筋もしゃきんととなった。

しかし、それにしても、最近見た映画でもっとも”日本的”なものが、フィンランド人の手によるフランス映画だとは...
”日本的”な日本映画とる日本人って今いないんかなあ...

azisaka : 10:09

今日の絵(その37)

2012年05月20日

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「オリンピックで金メダルを必ずとれる素質を持ってるよ君は、うん。とにかく早いとこ家を出て私のジムの門下生になりなさい。ご両親は私が説得するから心配しなくていい。」と、レスナーと名乗る初対面の男に云われたニコライ君が今回初登場です。

ニコライ君はグルジア生まれ。叔父さんがアマチュアレスリングのチャンピョンだったのが縁で3歳の頃からレスリングを始めました。
8歳のとき訳あってメキシコに一家全員(父母、おばあちゃんに7人兄弟)で移住を余儀なくされるのですが、辿り着いたその地でも街にひとつだけあるジムに通い練習はかかさずに続けていました。

ある日、そのジムに元全米アマレス選手権優勝者の肩書きを持つ初老の男が尋ねてきます。
旅行の途中にたまたま立ち寄ったというその男、ニコライ君のとんでもない資質を見抜くと同時にまったく惚れ込んでしまいます。
「育てたい、この子を、俺の手で...金メダリストだ...」
レスナーさんはニコライ君をアメリカに連れ帰ろうと固く決意したのでした。

「おお、それはいい話しやん!食い扶持一人分減るし、きっと両親も賛成するに違いない。よかったなーっ、少年!」

と、読者の方は思うかもしれません。

しかし、そう簡単には問屋が卸しません。
なぜならニコライ君、メキシコに来て間もない頃、近所に住む一人暮らしの老人の好意でルチャリブレ(メキシカンスタイルのプロレスリング)の興行を見てしまったからです。

ギラギラと異彩を放つルチャドールたちのたたずまい。彼らが織りなす華麗な技の応酬。それに答える観客のすさまじい熱狂。
とりわけ悪玉をやっつける善玉マスクマンの、巨大なアリーナの隅々まで照らす、その神聖ともいえる輝きに、少年は文字通り眼がくらみ身体の芯の芯まで魅了されてしまったのでした。

「ぼくは将来、エストラージャ(ルチャリブレのトップスター)になるんだ!」
ニコライ少年は、そう固く決意します。

そんなわけなので、ニコライ君、オリンピックも金メダルもあんまし興味がないし、アメリカなんてこれっぽっちも行きたくありません。
学校にはナサリンっていう好きな女の子がいるし、この場所や住んでる人がとても気に入ってるし、このままここでルチャドールになるべく修練をつんで行きたい、と、ただひたすらそれだけを願っているのでした。

しかしレスナー、ニコライ君の両親の前に札束バタバタちらつかせます。

正直言って一家の暮らしはかなりしんどいです、それだけでも心揺さぶられるのに、その上、我が子の未来に金メダルの栄光が待っているやもしれないのです。

レスナーと両親、学校の先生にまでアメリカへ行く事を強く勧められるニコライ少年...
頼りになるのはルチャを見に連れていってくれた老人ただひとりです。

「おじいさんに相談してみよう...」
そう思って訪ねていったものの、肝心要な時にどこへいったやら、老人の姿が見えません。
「......」
途方に暮れた彼はそのまま街はずれの平原までいっきに駆けてゆくのでした。

そんな場面にかぶさるのがこんな曲。
Rodrigo y Gabriela「Tamacun」

azisaka : 13:49

今日の絵(その36)

2012年05月17日

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ドクロのマークでおなじみの高級下着ブランド”DOCLOLA”、そこで広報部長やってるヨーコ姉さんから「次のコレクションで発表のニューモデルよ。新開発の絹と綿とLyclaの合成繊維でできていて、今までにないそれは素敵なはき心地なの。この品質で日本製にもかかわらず5千円を切る税込み4800円!どう、すごいでしょう?ねえ、あんたはいてみてよ」と勧められ無理矢理高級パンツ着けさせられたノッコちゃん。

しかし、千円以上の下着なんてつけたことない彼女、「ひゃあ何でこんなものにそんな大金かけるんだろう...他人に見られるわけでもないのに、着心地だっていつもの綿100%の方がいい感じ...第一そんなお金あったら好きなバンドのライブふたつ見て、残ったお金は困ってる人にあげるのになぁ...」となんとなく憂鬱になってるところです。

(今回の曲)
Gotye「Somebody That I Used To Know」
Gotyeさんはベルギー人。
ベルギー人が全米チャート1位になるなんてそうめったにあるもんじゃないので、ラジオや地下鉄などベルギーのいたるところで今この曲が流されてるそう。
「いいかげん耳にこびりついてうんざりやー」ってベル友は言ってたけど、日本人のシンガーが全米チャートに入りでもしたらそれ以上の騒ぎっぷりやろうなぁ,,,

azisaka : 06:01

今日の絵(その35)

2012年05月14日

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「工場長の唄」

くれない色の空の下
機械が打ち出すリズムに乗って
今日も俺は踊るのさ
労働の踊り

ギュルンギュルン
ガタタタゴトト
ギュルンギュルン
ガタタタゴトト

青い空なんて見たことねぇ
いつだってそれは真っ赤に染まってる
工場の熱で燃えてるからさ
俺らの汗で燃えてるからさ

ギュルンギュルン
ガタタタゴトト
ギュルンギュルン
ガタタタゴトト

熱くたぎる鋼の帝国
俺はそこの踊る王

そう、おれは工場長〜♪

と、そんな歌うたいながら今回登場は、マリリン鉄鋼の工場長、
茜銑三さんです。
そいでもって、歌に出てくる踊りっていうのは、こんな踊りです。

azisaka : 06:38

今日の絵(その34)

2012年05月11日

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「トッコちゃん、ごめん、母さん急いであと6枚ワンピース縫い上げなくちゃならなくなっちゃった。お得意さんからの注文なのでどうしても断れないの...だから明日はひとりでおばあちゃんちに行ってね」
と縫子やってる母さんに云われ初めて付き添いなしで特急電車に乗ることになったトッコちゃん。
隣の席には髪の毛がテカテカ光って変な臭い(母さんがポマードっていう男の化粧品だと言ってた)のする、大きな中年のおじさん。
しかもキツネ色の三つ揃いなんか着て、あちこちすり切れたねずみ色の大きな革の鞄を抱えてる。
挨拶しても知らん顔だし、ぶつぶつ独り言ってるし、とっても怪しい...
ガタンゴトンと電車が走り出すなり、トッコは不安になる。

それで父さんがいつかフィンランドから持って帰ってきてくれた森の精霊のお守りを手にぎゅっと握りしめた。
「こんな時は、楽しいこと考えよう。えっと、そうだ、おばあちゃんちのミー介のことがいい。あと一時間半くらいで会えるのよ。私のこと憶えてくれてるかしら...すぐに機嫌良く撫でさせてくれるかなあ...白くまアイス一緒に食べたいなぁ...」

と、そんな風にミー介のこと考えてたらトッコちゃん不安な気持ちはどこへやら、すっかり心和らいで、ぐーすか眠ってしまいます。
(昨夜は興奮してなかなか眠れなかった)
しばらくして目が覚めると、傍らにポマード男はおらず、代わりにおかっぱ頭で、痩せて肌が見たことないくらい白い女の人が座ってました。
「お嬢さんお目覚め?スヤスヤよく眠ってたわね...ところでどこまで行くの?」
トッコがまだしっかり開かぬ眼をこすりながら行き先を告げると、
「あら、その駅だったらもうとうに過ぎたわよ」

ががががーん!!!

しかも、のけぞった拍子に見上げるとなんと荷物棚に置いといた黄色いリュックが消えている。
「やはりあのポマード男は盗っ人野郎だったかーっ!」
「あわわわ、わたしどうしよう...」

と、こんな具合にトッコ10歳、その長い夏休みが始まったのでした。

(今回の曲)
早川義夫+佐久間正英+HONZI 「猫のミータン」

ジャックスと四人囃子とフィッシュマンズの合体技、うう...

azisaka : 08:26

今日の絵(その33)

2012年05月08日

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今回はドクローズ団の中でも異彩を放つ”港町影の五人衆”の方々に登場していただきました。
向かって左から、ベルギー王室の血筋を引くレース編みが得意なベアトリスさん。
薪探しと読書とコサックダンスが趣味の二宮キン子さん。
小型潜水艦をうまく使って鰯や鯵を獲るサブ真鱗さん。
海辺のゴミを集めていろんなものを作り出すトチローさん。
齢八十を超えてなお海にもぐって生計をたてているジョニー翁。

さて、ひさしぶりに集まった五人、今から海の神様に奉納するため一斉に踊りはじめます。

どんな踊りかというと、こんなやつです。
どんなに激しく踊ろうと決して舞い上がったりせず、常に足が地に着いてるのがいいですよね。

azisaka : 07:25

今日の絵(その32)

2012年05月05日

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南へと向かう高速道路のサービスエリア。
ハネムーン途中のルル子さん。
「のど乾いたね、抹茶アイス買ってくるよ」と言い残し車を出て行った新郎が、もう一時間半も経つというのに戻ってきません。
最初は「何か事故でも起こったのかしら...」と心配してた彼女も、だんだんと、「新妻のことほったらかしにして...」と、腹が立ってきました。
それで、「あんなやつほっといて独りで行っちゃおう」と思い運転席の方に移ったのですが、エンジンをかけようとしたまさにその時、その視界の端っこにアイス両手に走ってくる彼の姿が...  
「ふうーっ、何だかなあ...これから先、あたしたちって...」
としなだれながらも、なんとなく幸せ感じてるルル子さん。

azisaka : 06:29

今日の絵(その31)

2012年05月01日

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「しゅ、主任!」
「お、おれはもう、だめだ...」
「な、何言ってんですか!こんなことでくだばっちゃあダメですよ!」
「お、おれの読書室の...テ、テーブル...」
「テーブル?テーブルがどうしたんですか!?」
「テ、テーブルの横に黒い隠しボタンがある...」
「は、はい」
「い、いざとなったら、そ、そのボタンを押すんだ...」
「は、はいっ」
「そうしたら...」
「そうしたら?」
「げほげほ、うううう........」
「しゅ、しゅにぃいいいいん!!」

さて、今回の絵に登場は、息絶える直前、あこがれの主任さんから秘密のボタンの存在を明かされけっこう困惑しているエミリアさんです。
いったいぜんたい、このボタンを押すと何がどうなるというんでしょう?

01)黒いボタンを押すと何が起こるかがわかる。
02)死んだ主任が生き返る。
03)「そこ、勝手に押すなよな」とテーブルに怒られる。
04)ボタンに見せかけたただの飾りだったことが知れてがっくり。
05)天井に仕掛けられたバケツがひっくり返り、あわれエミリアずぶ濡れに。
06)椅子の下の床が抜け、なんとエミリア地下室に真っさかさま。
07)またたくまにテーブルが折り畳まれて片手で持ち運べるサイズになる。
08)400馬力のかっとびマシンでいかしたアイツが駆けつける。
09)主任さんの母親が田舎からみかん抱えてやってくる。
10)金木犀の香りたちこめ、ボタンのことで思い悩みすっかり疲れて果ててしまった心をなぐさめてくれる。

(答え)
こんな曲がかかる。
For A Minor Reflection 「Converge」

azisaka : 08:07

今日の絵(その30)

2012年04月26日

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今回まっぱで登場は、夜勤でくたくたになって朝の8時に自分ちに帰り着きシャワー浴びて身体拭いたとこで力尽きてそのままベッドに倒れこみお昼過ぎまで寝てしまった介護士のリリコさんです。来年90歳になる松本さんが彼女のためにと作ってくれた首飾りをいつもしてます。

azisaka : 20:37

今日の絵(その29)

2012年04月23日

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ところで、今回登場は、「ジェット教」の伝道師、鹿田喬(シカタタカシ)さんです。
ジェット教の伝道師になるのにはひとつだけ条件つうか決まりごとがあって、それは名前が上から呼んでも下から呼んでも同じであることです。
丹下源太とか、那覇花とか、横田蛸代とか...
なんでまた、そういう風になってんっすかぁ?
って聞かれても、そんなのどこにも何にも記されてないし、年寄り達も知りゃあしないんですけど、むかしからそうしてるので今もそうしてるそうです。
で、もってこの鹿田さん、伝道仕事はうっちゃらかしてバンド活動に夢中です。
担当はベースです。
好きな音楽はこんなやつだそうです。

CHROMATICS 「INTO THE BLACK」

azisaka : 19:59

今日の絵(その28)

2012年04月19日

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さて、この娘はいったいどういった素性のものでしょう?

01)ほっかむりをした昔風のどろぼうが盗品を包むようなふろしきを壁に貼るのをただひとつの生きるよすがとしているセキュリティ会社社長の娘さん。
02)Vネックの深さが絶妙よね!と洋品店やってる叔母にほめられたピンクのセーターを、その叔母の命日に着てる名門女子バレーチームの名セッター。
03)場の真ん中にいるよりか隅っこにいるほうがずいぶんと落ち着いて楽だと話す県立図書館司書のナツミさん。
04)さほど胸が大きくないので時々男の子と間違えられるのが以前はイヤだったんだけど、最近は間違えられたらどのように返してやろうかといろんなパターンを考えて楽しんでる粋な人。
05)「鼻がツンとしてリスみたい」と小4の頃好きだったジュン君に笑われたのをいつまでも気にしてひきずっていたのだけれど、その”リスっぽさ”をこそジュン君は愛していたのだと、昨日幼なじみのみよちゃんの報告で知り、とっても幸せになったエレベーターガール。
06)中也の「一つのメルヘン」みたいな”さらさら感”を出したかったんですよね、と、デザイナーにさらさら説明されてはいてみたら、なかなかにさらさらだったので、思わずさらさら買ってしまったスカートをはいてさらさらしてる更級沙羅さん。
07)わたしが手にしてるブレスレットは何でできてるでしょう?
イ)大瀬戸産のひじき
ロ)シチリア産のイカ墨
ハ)大牟田産の石炭
と、読者に変な質問して喜んでる若奥さん。
08)ベネズエラの女豹と恐れられた女子プロボクサーと異種格闘技戦を行い、勝利したもののバッティングによる事故で左眉の上に深い傷を負ってしまったシュートボクシング歴20年の歯科衛生士さん。
09)髪はほんとうは右分けなのに、無理矢理左分けにされて、いったいぜんたいあなたはどうしてこんな仕打ちをわたしに...?と、師匠の方を見てる茶人見習い。
10)桃のシャーベットでできた床に座ってるのにもかかわらず、ちっともお尻が冷たいという素振りをみせないので、アイスクリーム職人のオリヴィエにひとしきり感心されてる幼少の頃からよくすべって尻餅をついてる大豆山キナ子さん。

azisaka : 06:49

今日の絵(その27)

2012年04月16日

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えっと、今回の絵はドクロディアに古来より伝わる民間の宗教「ジェット教」にまつわる人物や光景を描いた「ジェット・シリーズ」その1です。
ドクロディアには、海辺だとか田畑の脇、街の真ん中などあちこちにこのような堂というか庵みたいなやつがあって、お供えや祈祷、寄り合いや飲み会、勉強や遊びや昼寝など、なんでもかんでもに利用されます。
今回、右手奥のじいさんはご先祖様を思いひとり酒、その後ろのメガネのばあさんは家のクーラー故障で夕涼み、手前の座ってる二人のおばさんはいつもの四方山話、奥の婦人は太鼓叩いてダイエット、白いワンピの女の子と猫はついさっきケンカしたばかりでそっぽをむいてるところ、右手の父子は突然いなくなった母をたずねる旅の最中、左手の青年はお堂に集まったひとたちのことを「昼間っから仕事もせんとまったくだらしないやつらやなぁ...」と思いつつ煙草を巻いてるところです。

azisaka : 05:52

今日の絵(その26)

2012年04月14日

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ポケットの携帯震えたので出てみるとそれは地元の新聞社からで、紙面連載のエッセイに挿絵を描いてくれないかという仕事の依頼だった。二年前のことだ。
「はい、いいですよ」と引き受けるとそれは、時代小説書く人の随筆で、内容は幕末の侍の生き様みたいなもんが中心になるだろうとのことだった。
「おお、それは面白そうだ、一気にやってしまおう」と、いくつか資料みたいなもの集めたら、原稿ひとつも読まないうち頼まれた十点さっさとやってしまって入稿した。
「え、もう全部!?」と驚かれたけど、ばっちり気に入ってもらえたので幸いだった。

さて、その時はいろんなお侍さんの姿(馬にのったり、会合したり...)をデジムナー技法で描いた。
「デジムナー技法って何やねん?」というと、随分とむかし編み出した技で、パソコン使って版画調のイラストを描くっていうものだ。
つまりデジタルな棟方志功、略してデジムナー!
なんか沖縄あたりの妖怪の名前みたいでいいでしょ?

と、そんなことすっかり忘れてたら、またその新聞社から電話があった。
なんでもこの連載エッセイを単行本化することになったので、ついては中の挿絵と表紙の絵を新たに描いてほしい。
絵柄はどちらも以前と同じ雰囲気のものを希望しているが、本のタイトルが連載時と同じ「たそがれ官兵衛」になるか別のものになるか未定なので、はっきり決まってからまた連絡します。とのことだった。

おお、久々のデジムナー仕事、しかも直木賞作家の初エッセイの表紙絵やん、うわーい、と小躍りした。
それで、連絡待ちながら、版画調でパキッとした表紙の絵の構想を練りまくっていた。
幕末の志士の顔のどアップ...馬で疾走する侍...寝酒する素浪人...

ところがいっこうにその連絡がない。
本のタイトルがなかなか決まらないのだ。
ありゃあ、もう出版予定の日にちにほとんど間がないやん...
と心配してたらやっとこさ打ち合わせしたいとの電話があったので、指定の喫茶店に出向いた。

「柚子は九年で」というタイトルになりました。
ついては、表紙の絵は版画調の具象の絵ではなく、抽象でいったほうが望ましいと思います。
と恐縮したような顔で言われた。

それ聞いて開いた口がふさがらなかった、ので自分の両手で無理矢理ふさいだ。
ふさぎながら、人の顔や車や草木など具体的なものなら頼まれりゃあいくらでも描くが、抽象画なんてもの描いたことないぞ、あちゃちゃーと困惑してしまった。

つうか、絵は絵なんだから同じだろうと、具象の絵描きに抽象画描いてくれって頼むのって、陸上は陸上なんだからと、砲丸投げの選手に棒高跳びに出てくれって頼むようなもんだ。

それで「ぼくは抽象なんてやったことないですし、やったとしても満足のいくものはできそうにありません。時間もほんの数日しかないし...ここは断らせてください。」
と、言おうとしたんだけど、言う前にそう言ってる自分の姿を思い描いたら「うっわあ、かっちょ悪ーっ!」っと思った。

思うと同時に、むかし読んだある茶人の話しを思い出した。
その話しってのはこんなんだ。
(けっこう長いので、さして時間に余裕がない人はここでいったん休憩)

~十七世紀の末近いころ、土佐ノ国の大名山ノ内候が江戸に参覲する際、自分の茶の宗匠を連れてゆこうと思った。宗匠はお伴したくなかった。第一彼は士分の者ではなかったし、江戸は土佐のように静かな自分の性に合ったところではなかった。土佐でこそ自分は人にもよく知られ多くの知己もあった。江戸に行けばなにか悪党と面倒をひき起して、自分のみならず主家の体面に関わるような事になりそうな気がした。そうとすればこの旅ははなはだ冒険になるので、彼は少しも引受けたくなかった。
 しかし、主君はしきりに随従を説いて、宗匠の異存を聞き入れようとしなかった。というのはこの者はその道で実際すぐれていたからだ。おそらくは主君は彼を大名仲間に誇示しようという密かな野心を懐いていたのであろう。主君の懇望に、それは事実上命令だが、この上逆らい難く、宗匠は自分の茶人衣裳を脱いで大小を携える侍姿になった。
 江戸滞留中、彼は多く主人たる人の屋敷内に閉じ籠っていた。ある日、主君は彼に外へ見物にゆく許しを与えた。侍の風をして宗匠は上野不忍池の畔を訪れたが、そこで石に掛けて休んでいる風体の悪い侍を見つけた。彼はこの男の顔つきが気にいらなかった。しかし、避けようもないので進んで行った。男はていねいに彼を呼びかけて『貴殿は土佐の侍と、お見受けするが、一手合せてお手並み拝見できればかたじけないと存じます。』
 土佐のこの茶匠は旅の始めから、こういった邂逅を心配していたのだった。いま、最も質の悪い浪人とぶつかって、彼はどうしていいか判らなかった。しかし、正直に答えた。
 『私はこういう服装はしているが正しい士分ではない。茶の湯の稽古を職としているもので、刀の技にかけてはとうてい貴殿のお相手ができようとは思いません。』しかし、浪人の真の腹は十分その弱点を知り抜いたこの犠牲者から金を強請(ゆす)ることにあったから、彼は土佐の茶匠にいっそう強くせまってきた。
 浪人の悪企みの爪牙からのがれられぬと観念した茶匠は敵の刃にたおれる覚悟をした。しかし、彼は藩公の名を傷つけるような犬死にはしたくなかった。不意に彼は、いましがた、上野の近くのある剣道指南の道場の前を通ったことを思い出した。そこで彼はその師範のところへ行って、こういう場合の刀の正しい使い方と遁れられぬ死の立派な遂げかたとについて尋ねたいと思った。彼は浪人にいった。
 『それほど強ってといわれるなら、おたがいに武道の腕を試そう。しかし、私は主君の御用を帯びているからまず復命しなければならぬ。ここに立戻って貴殿と会うまでには幾らかの暇もかかろう。それだけの余裕はぜひ戴きたい。』
 浪人は承知した。そこで宗匠は急いで前述の道場に行って、その先生に火急にお会いしたいと申し入れた。門番は彼が紹介状を持っていないのでその頼みを聴き入れることに多少躊躇したが、彼のどの言葉にも、どの身の挙動(こなし)にも、客の望みの由々しさがおのずと表われているのを読んで、主人のところへ通そうと意を決した。
 主(あるじ)は宗匠が一部始終を語るのを、ことに、侍らしい死にかたをしたいと真剣に述べるのを、静かに耳を傾けて聴いた。この剣士はいった。『私のところへくる弟子たちがいつも知りたがるのは、刀の使いかたであって、死にかたではありません。貴方はまことに特殊な例です。だが、貴方に死にかたを御教示する前に、御茶人ということですから、一服点てて戴きましょうか。』土佐の茶人にとっては、これがおそらくは心ゆくまで茶の湯を行える最後の機会と思えばこの主のために茶を点てることは願ったり叶ったりといってよかった。宗匠は自分の悲劇の近づいてるのもまったく忘れ、静かに茶の湯の支度をすすめ、茶の湯の順序をことごとく仕通した。まるで、いまその一事が陽の下においてわが身に最も由々しいかかわりがある唯一の仕事であるかのようだった。剣士は普通意識の皮相な擾(さわ)がしさをことごとく一掃した茶人の集注的な心境に深く感銘した。彼は膝を打って心から同感の意を表した。
 『その通りです。死ぬ技などおぼえる必要はありません。貴方のただいまの御心境はいかなる剣士と闘っても十分です。無法な浪人とお会いになったら、こういう風におやりなさい。まず、自分は客に茶を点てているのだと考えるのですね。鄭重に彼に挨拶をして、遅参をわび、勝負をする仕度がまったくできたことをお告げなさい。羽織を脱いだらこれを注意して畳み、貴方がお茶にかかる時なさるように、その上に扇子をお置きなさい。さて、鉢巻きをして、襷をかけ、袴の股立(ももだち)をお取りなさい。これですぐ仕事を始めてよいだけの仕度ができました。刀を抜いて頭の上にたかく上げて相手を打ち倒す用意をし、眼を閉じて闘うために心をお鎮めなさい。相手の掛声を聞いたら、その刀で相手を打つのです。おそらくこれは相打ちに終るでしょう。』茶人は主人の教えを厚く謝して、相手と会う約束をした場所に立ち戻った。
 彼は剣士の与えた忠告を周到に守って、自分の友人に茶を点てるときと同じ心構えをとった。彼が浪人にむかって太刀をかざして立ったとき、浪人は目前にまったく別の人格を見た。彼は掛声を掛ける機(おり)がなかった。どこからどう、この茶人に打って掛かっていいか判らなかった。茶人はいまや彼には「無畏」の、すなわち、「無意識」の体現者として現れた。浪人は相手の方に進むかわりに、一歩一歩後退って、ついに叫んだ。『参った、参った。』そして、太刀を投げ、身を地に平伏して、無体な願いひらにお許し下さいといって、急いでその場を立ち去った。
(鈴木大拙「禅と日本文化」より)

と、やたら引用がながくなったが、つまりこの話しを思い出し、茶人が剣術できるんなら、具象絵描きが抽象できるやろうと思ったのである。
(「そんなん、立場やレベルや格が、ぜーんぜん違うやーん!」というのは、この際置いといて...)

それで、「そうですよねーっ、このタイトルならやっぱ具象っつうより抽象的なもんがいいっすよねーっ、何とかやってみまーす」といって引き受けた。

と、いうわけで、今目の前に真っ白いカンバスがある。
ふつうならばその隣、今から描く絵のモチーフとなるべき、人の姿や静物、風景なんかの写真を切り貼りした厚紙が立てかけてあるんだけど、今日に限ってはそんなものはない。

「えっと、どうしようかな...」
「”柚子は九年で”だろ...」
「柚子の最初ってのは種か...種、種...」
「種は土に蒔くよな、土がないことには柚子も育たんよな、土、土...」
「おお、まずは、土を描いてみよう!」

と、そんなわけで画面いっぱいを土で塗り固めることからはじめた。

「土ってのは、葉っぱが腐ってんのとか、石っころとか虫の死骸なんかいろいろ混じりあってるから、いろんな色つかって深みのある茶色の面にせんといかんよなあ...」
「ううむ、しかしこれじゃあ、全面焦げ茶で暗いよなあ、ちょっと削って新芽みたいに鮮やかな緑を足してみようか...」
「おお、この緑はいい!いいけど、ちょっと明るすぎて落ち着きがないよなあ、彩度をさげてみるかなあ...」
「あらら、こんなになってきた...それならやっぱり...」
「ふんふん、そうか...」
「ははーん...」
「ほぉ...」
「.....」

だんだんと、ことばがなくなってくる。
思考が頭まで上らず、手の内でとまってきたからだ。
手が脳みそになった感じ。
こうなってくるとしめたもので集注さえしてれば、つったかつったか、筆だけが進む。

そうやってできたのが冒頭の絵だ。

まあ、どっかで見た風の、よくある感じの抽象画だけど、編集の人も装丁家の人も、そして作者もけっこう気に入ってくれた。

絵自体は付け焼き刃で、無論しょぼいのだけど、「柚子は九年で」という随筆集の表紙を飾るものとしては悪くはなかったということだ。

無法な浪人に斬られずにすんだ。


azisaka : 08:15

今日の絵(その25)

2012年04月12日

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今回登場は左官屋さんです。
「クオレ」に出てくるような左官屋さんです。

azisaka : 08:21

今日の絵(その24)

2012年04月08日

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午前中ひと仕事して、お昼になってソーキそば作って食べてたら、「せっかくこんなに良いお天気なんだからお風呂の掃除をしよう!」という心地になったので、食器洗って発酵ウコン茶飲んだあと、二時間くらいかけて、お風呂隅々までピッカピカにして、なかなか疲れて、ベッドに横になってたら、いつの間にやらまどろんで、夢を見たような見ないような、深く寝たような寝ないよな...とそんな具合にうつらうつらしてたら何やら気配がしたので、ゆっくり瞼開いたら、久しく会ってなかった恋人が微笑んで私のこと見てたの、って感じの絵です、今回は。

で、そんな二人にいきなりこの曲!
川本真琴 「1/2 」

azisaka : 21:27

今日の絵(その23)

2012年04月05日

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インディゴ染めの鹿革のパジャマ(胸の稲妻マークはソーダ味の砂糖菓子)を着た北川さんと紫色の腹巻きの中でハムスター飼ってる助手のエリザベットさんが、今回の絵のモデルです。

実はこの二人、あんましそんな風には見えないけど、今ベルギーはブリュッセルの場末にあるレコーディングスタジオで現地の若者からなるバンドのライブ演奏を聴いてるとこです。

どんなんかというと、こんなんです。

Newtown「Hide and Seek」

azisaka : 17:36

今回の絵(その22)

2012年04月02日

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今回の絵に登場は、スナイパーのモトコさんです。
狙撃を命じられた悪いお金持ちのクルーザーが浮かぶおっきな湖にどうにか辿り着いたのはいいのですが、3日間ずっと運転しっぱなしだったので、いい加減疲れちゃって、その間後ろでずっと寝てたのにもかかわらず、まだいっこうに起きる気配のない相方に堪忍袋の緒がプツリ切れてしまって、無理矢理揺り起こして、ひとこと文句を浴びせてやろうと思って振り向いたら、彼の寝顔がとてもきれいだったので、思わず勢いが削がれじっと見とれていたら、ふいに彼が眼を開けました。

その彼の瞳に映ったモトコさんの姿を写し取ったのが上の絵です。

さて、そんな二人の気配を感じたカーラジオが道路交通情報途中で止めて奏でるのはこんな曲。
Mirah「Don't Die in Me」

azisaka : 06:48

今日の絵(その21)

2012年03月28日

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さて、裸で春の庭先に座ってるこの人は誰でしょう?

01)裸で春の庭先に座ってる人。
02)長いこと変な格好で座ってたら左足のふくらはぎがつってしまった人。
03)衣類を纏わぬことを職業とする女性と結婚した電気工事士のお嫁さん。
04)ミツバチの八郎と蜜の取り合いをして負け、左の目尻を刺されて憤っているタイピスト。
05)オオカミの襲撃に備え苦労してレンガの家を建てた人。
06)さっき、ずいぶんと長く伸ばしていた髪を切ってしまい、首筋のとこがスースーする人。
07)四月初めに咲くピンク色の花に、「まあ、なんて美しい背中だこと...」と後方からため息をつかれている人。
08)自分が作った椅子のどこかに必ず大理石でこしらえたドクロの飾りをつける木工職人に弟子入りした青年を誘惑しようとしたけど失敗したので、けっこうくやしい。
09)胸やおへそより断然、足の先を人に見られるのがむかしから何となく恥ずかしい。
10)ジュンちゃんの叔父さんの別荘に招待されて行ったらあまりに庭の草木がきれいだったので浮かれ興じてたら池に落っこちてしまったので濡れた服を脱いで乾かしてたら芝刈り機とかが入ってる小さな小屋の陰でいちゃついてるジュンちゃんとそのいとこの姿が眼にとまったのでプイっとしてるリカ子。

(答え)
くしゅん!
風邪かな?
花粉症だったらやだなあ...

azisaka : 09:10

お知らせ

2012年03月25日

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ひさしぶりに、ホームページのpaintingsコーナーに作品を追加しました。
2010年の個展「クロアカキシロ」に展示したもののうち24点(上から三段目まで)です。
2、3年前に描いたものなので今見ると「あちゃあ、何でこの時にはこんな風にしか描けんかったっちゃろう...」とただただ思うばかりです。
上の絵はそんな中のひとつで、物語シリーズその1『タンゴ』です。

azisaka : 10:34

リルケ

2012年03月19日

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「リルケはいいよ」とひとこと言い残しその友だちは去って行った。
「いいよ」ってったって、~洋菓子店の抹茶ロールが”いいよ”ってんなら買って食べてみりゃあすぐに確認できるんだけど、リルケって読んだことないけどたしか詩人だ。
どんなにいいのか説明とかしてくんなきゃ、それだけじゃあ...と、とまどってしまった。

とまどい抱えたまま、家に帰ってパソコン立ち上げた。
「♪リールケー、リールケー、どんな人やねーん、あんたはさー♪」と鼻歌うたいながらウキペディアで引いてみた。
うん、うん、なかなかまじめで良さそうな人だ...
たたずまいもなんとなく、好きなゴッホに似た感じでとっても好感が持てる。
(”人柄は必ずその風貌に現われる”と実感することが経験的に多い)

と、そこに彼が自らの墓碑銘として書き残したとされる三行詩が紹介されていた。

読んで、
ピカッ!がががーん!
ひさびさに雷鳴が轟いた。
なんて、いい詩なんだーっ。

それで、さっそく近所のまあまあ大きな本屋さんに自転車飛ばして行った。
岩波文庫に「リルケ詩集」があったので、さっそく買い求めた。
帰って開いてまずは、その墓碑銘をさがした。

あった。
しかし、訳が異なっていて、この訳では悲しいかなぜんぜんグッと来なかった。
元は同じドイツ語の詩句だってのに、不思議なもんだ。
こと、この詩に限っては、訳者が異なれば雷どころか小さな鐘さえ鳴らぬ。

なんとしてでも、ウキペディアで紹介されてた墓碑銘、それを訳した人の手によるリルケ詩集を読みたいと思った。
そこには訳者の名も出典も記されていないので、自力でさがすしかない。
古本の検索で見つけ、注文して、さらに三つの異なるリルケ詩集を手に入れた。

その三つの詩集にも、むろん墓碑銘は訳され載っけてあった。
しかし、残念ながらそのどれもが最初に読んだものとは異なっていた。
そして悲しいかな最初の訳に比べ、なぜか三つともたいして心に響かなかった。

一番初めに読んだものだから、それが一番良いと思えるんかなあ...
もし最初に出会ったのが別の四つのうちのどれかだったのなら、
その訳が同様に雷鳴轟かしたんだろうか...

まあ、とにかく、その素敵な訳をした訳者のことはわかんなかったけど(あきらめるの早っ...)
おかげで、この年末から年始にかけては絶賛リルケ特集だった。
小説や評論、書簡集、たてつづけに集中して読んだ。
そうしたらいつの間にやら彼が世界でもっとも身近な存在となっていた。
なんだか彼とふたり、19世紀末はパリの、寒くて湿気ったぼろアパートに片寄せ座ってるみたいな冬だった。

ロダンやセザンヌについて書かれたものなどは、同じく(たいそう隔たりはあるけど)ものを作る人間として、「おおおおおーっ」と感嘆しまくりながら読んだ。
そして友だちが勧めたのは、こういうことだったのかーっと、感謝した。

「マルテの手記」とかは、学生時代に読んだんなら「なんやこれわけわからん」とおっぽりだしそうな小説だけど、今はなんでかとっても面白かった。
(つまり、ちょうどそういう時期だったわけだ。)

とにもかくにも、リルケの”たとえ”がすばらしい。
あるものを、別の言葉で言いかえる、その見事さに心がぐっとくる。
ああ、こんなのが詩的っつうんだろうなあ、とため息が出る。

たとえば、当時離れて暮らしていた妻クララ宛の書簡、ロダンに初めて会った日の感動を伝える次の文章...

「...昨日、月曜日の午後三時、初めてロダンのところにいった。ユニヴェルシテ街182番地のアトリエにね、セーヌを渡っていったのだ。モデルがいた。それは少女だった。ロダンは、小さな石膏像を手にして、あちこち掻きとっていた。仕事をやめると、ぼくに椅子をすすめ、ぼくたちは話し合うことになった。人の好い、優しい人だった。もう、前からの知り合いといったような気がして、また会っただけのことといった感じ。ぼくには、思ったよりも小柄に思えたが、ずっと逞しく、いかにも思いやりのある、上品な人だった。あの額といえば、鼻との関係からすると、ちょうど港から一隻の船が出て行くように、そこから鼻が出て行くといった具合の額、...それがまことに特徴的なのだ...」

どうですーっ!ねーっ!
額を港にたとえてんのが、すてきやろーっ、すごいやろーっ?

これだけで、F4サイズの絵がたちどころに10枚くらい描ける分のエネルギーになるもんなあ。
(あ、他の人は、「ふーん、そうなん?あたしは別に...」かもしらんけど...)

と、最後にここで問題です。
リルケの墓碑銘、アジサカに雷鳴轟かしたのは次の五つのうち、どの訳でしょう?

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.(これは原文)

1)
薔薇よ、おお純粋なる矛盾、
それだけ多くのまぶたの下に、誰の眠りも宿さぬことの
喜びよ

2)
薔薇、おお純粋な矛盾の花、
そのようにも多くのまぶたを重ねて
なんびとの眠りでもない、よろこび。

3)
ばらよ、おお 純粋な矛盾、
おびただしい瞼の奥で、だれの眠りでもないという
よろこび。

4)
ばらよ、おお、きよらかな矛盾よ、
あまたの瞼のしたで、だれの眠りでもないという
よろこびよ

5)
薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ
このようにおびただしい瞼の奥で なにびとのねむりでもない
という

(答え)
1)です。

(今回の曲)
Honey and the Bees Band 「Psychedelic Woman」

この冬、読むのはドイツの詩人だったが、聞くのはアフロビートだった。
両者、ぜーんぜん、合わない...(笑)
たぶん、それで心のバランスとってたのに違いない。

何はともあれ、リルケの孤独や苦悩も、この曲のあっけらかんとした生命力も、どちらも心を熱くする。

azisaka : 20:11

今日の絵(その20)

2012年03月14日

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今回登場は見返り美人コンテストの優勝賞金で、家の田んぼ耕す牛を一頭手に入れようと意気込んで、毎朝2時間見返り特訓をやり続けてたら首の筋を痛めてしまい、幼なじみの平八さんに勧められ隣村の整体師の元を訪ねていったらそこで”振り向き鶴吉”と名乗る浪人と出会い、彼より「振り返り」の術を伝授してもらうことになるミー子さんです。

なんで”ミー子”っていうのかというと、彼女の亡くなったおばあちゃんが生前愛でてた近所の野良猫の名前がミー子で、その猫が地主のドーベルマンと戦い相打ちで死んでしまった翌日、彼女が生まれたので、「おお、ミー子の生まれ変わりだ!」ということでこの名がつけられました。

さて、その人間の方のミー子ちゃん、偶然巡り会った師の元で2年間、振り向き特訓をするのですが、おしくもコンテスト、優勝を逃してしまいます。
順位はあれだけ苦労したのにも関わらず6位。
でも10位以内でしたので、その健闘が讃えられ鶏を1羽もらいました。

ミー子ちゃん、その1羽を元手に養鶏を始めます。
それが見事に大成功!
今では全国に百六十もの店舗を構える唐揚げチェーン「鶴吉」を経営する女社長です。

azisaka : 07:28

今日の絵(その19)

2012年03月08日

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さて、彼は何者でしょう?

01)君がこれより1年と3ヶ月後、近くの公園で偶然に出会い、人生の進むべき道をきっぱりと指し示してくれることになるであろうかつてひとかどの人物だった人。
02)学校へ行く道すがらバス停脇のベンチに腰掛けてたのを小3の時、ちらっと見て以来、なんでかずっと瞼の裏に焼き付いて決して離れない人。
03)~博士とか、~教授みたいな風貌をしてるけど、実は現役の長距離ランナー。
04)穴のない笛を吹きながらカルメンを踊る少し変わったフラメンコダンサー。
05)千人乗りの大きな葉巻型飛行船をつまんで、指で弄ぶ大巨人。
06)ひじきを固めて作った眼鏡の愛好者。
07)野菜が嫌いで、鯵のにぎり寿司の上にぱらっと乗ってる刻みネギでさえ避けて食べるほどなのに、肌がとってもきれいな人。
08)ピノキオの鼻に安いミルクチョコレートを塗りたくった上に、ドクロのシールを貼っ付けて、指でひねくりまわしていたぶるなかなか悪い人。
09)「ん、君何かぼくに用かね?」「用がないんだったらほっといてくれないかい」って1日30回くらい言う、けっこういそがしい人。
10)数週間前、「うるさいわね、もうやめてよ!」と持ってた柄杓で叩かれ額に深い傷を負ったばかりなのに、また性懲りもなく己が手作りのカンガルー革巻き特製握り手の綿棒で妻の耳掃除をしようとしてた耳かき職人見習いが、帰省中の娘にその行いをきびしく批難され、悲しくなっちゃってちょっと涙眼になったところ。

そんな彼が好きなのはこんな曲!
ECD「東京っていい街だなぁ」

ずいぶんと前ベルギー住んでた時、友人から送ってもらったCDに入ってた曲。
そん時はおそらくそんな心の状態だったんだろうけど、最後の「そんなことないって言ってくれよーっ!」ってとこで、目頭が熱くなっちまった。

オノ・ヨーコの個展に行って、天井へとのびる階段を3分の2くらい上ったジョン・レノンの心に宿る希望の感じ。
(って、意味わからんし!)

azisaka : 21:32

なまり

2012年03月06日

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先日、詩を書いてる友人が「これいいよーっ」と、気仙地方の言葉に翻訳された聖書とその朗読CDのことを話してくれた。
彼女が最初取り寄せようとして気仙沼の出版元に電話すると、「津波に浸かって外箱がぼろぼろですけどいいですか?」って言われたそうだ。

届いてみるとたしかにそうで、九州に暮らす彼女にとってはそれがはじめて、この震災の唯一具体的な手触りだった。

朗読は、こんな感じだ。
山浦玄嗣「放蕩息子のはなし」

で、これを聞いてたら、自分のばあちゃんのこと思い出した。

ある年のお盆のときのこと、親戚が集まり座卓を囲んで飲み食いをしていた。
座卓は人の数に比べて少なく、けっこうぎゅぎゅうだった。

飲んでると、上座に座ってたばあちゃんがふいに皆に向かって言った。
「切なっかろう,,,すまんなぁ...」

「は?」
「ばあちゃん、何のこと言ってんだろう?」ときょとんとしてしまった。
「何年もむかしに逝っちゃったじいちゃんのこと思い出してるのかな...」
すると隣に座ってた母が、ここら辺りでは人の距離でも心でも、”ぎゅうっと締めつけられる”ような状態はすべからく「切ない」というのだと説明してくれた。
例えば「このセーター、洗って縮んで首のとこが切なくなった」とか「電車が混んでて切ない」っていうふうに使うのだそうだ。

そうはいっても、こんな美しい言い回し、母の口から聞いたことはない。
母は理解はできるが自ら使うことはない。

この「切ない」は祖母の世代までで終わってしまった。

祖母の「切なっかろう」は標準語の「窮屈でしょう」とも英語の「small」とも違う。
その言葉には彼女自らの生活が反映されていて、耳にすると、言葉とともに彼女固有の生命の調べみたいなものも聞こえる。

このばあちゃんは随分前に亡くなった。
学生だったぼくは、英語なんて勉強する暇あったらばあちゃんに、彼女の身に付いたその言葉(己が祖先の話し言葉)を習うべきだったと今はつくづく思う。
それ習ったとて、生きてく上でとりたてて役に立つわけではむろんない。
しかし、生きることそれ自体の養分、肥やしみたいなものになったように思える。

そりゃあ、今の世の中、英語うまく話せた方が得で、右から左へもの動かすには便利だ。
けど、その動かす”もの”を生み出すのには、あるいは、生き生きと動くその力を養うには、その人固有の「訛り」みたいなもんがとっても大切なような気がする。

「って、なんばそがん偉そうに言いよっと、そりゃあ、あんたが英語へたっぴいで、そん上、絵描きとか変なか仕事ばしよるけんたいね!」
「まあ、そりゃ、そうばってんさ...」


azisaka : 00:07

今日の絵(その18)

2012年03月03日

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お金持ちの白人ばっか住んでるその地区の目抜き通り沿いにあるドーナッツ屋さんでうっすいコーヒー飲みながら、エクアドルの家族ひとりひとりにメール書いてたら、「隣に座ってもいいかな?」って聞く声がしたので振り向くと、あたしみたいに浅黒い肌の色した東洋人がにっこり笑って立ってんの。

店の中見渡すと、まあたしかに席はあたしの隣しか空いてないんで、「ええ、いいわよ、どうそ」って言って、またメールの続き書き始めたんだけど、そいつったら隣に座ったのはいいんだけど首こっちにかしげてあたしのことじっと見てんのよね。

右のうなじんとこに視線を強く感じてさ、なんかぞぞっとしちゃったんで「なんでじろじろ見てんのよ」って言ってやったわ。
そうしたらそいつ、自分で見てたのまったく意識してなかったみたいできょとんとしちゃってさ、はにかみながら「ごめん、だってここら辺、君みたいなタイプのひとあんましいないから...」って言うじゃない。

「だって、あたしここの人間じゃないから」って、思いっきりぶっきらぼうに言ってやったんだ。
だけど、そいつったら「あー、おれもここの人間じゃないんだーっ」って大げさな身振りでやたら嬉しそうに言うの。

まあ、でも、その時のしぐさや表情ってのがなんというか、とっても自然だし、あったかくて悪い感じじゃなかったのよね...

それで、メール書くのいったんやめにして、いっしょにおしゃべりし始めたの。

30分くらい、2人がこのドーナッツ屋にたどり着くまでのいきさつや何やかんやいろんなこと話したわ。
そしたら、いつの間にやらどちらからともなく「車さえあったら、ふたりで一緒にもっとずっと西の方へ行くんだけどなあ...」って言い始めたの...
「はーあ」っていっしょにため息ついて...ふと外のパーキング見たら窓開けっ放しのピックアップトラックが一台。

あたしたちそれ盗んで、一番近くの海へ行ったわ。
ひと泳ぎして、疲れちゃんたんで車のシートで昼寝して、目が覚めて、あ、そうだ、「あたしけっこう楽しくやってます」って写真とって家族のみんなに送ろう、ってそう思ったの。

思いついたら早速やんなきゃって、まだすやすや寝てたそいつを揺り起こして、アイフォン構えて写真を撮ったんだけど、その時の様子をアジサカさんが想像して描いたってのが、今回の絵ってわけなのよね。

で、言い遅れちゃったけど、あたしの名前はパッツィ。エクアドル人よ。
彼はタイ人で名前はトゥアン。
そしてあたしら盗んだトラックの持ち主はホークスって名前みたい。
免許証の写しがダッシュボードん中に入ってたの。
写真で見る限り、温和でやさしそうな感じね...

って、パッツィは言ってるけど、ところがどっこい、そのホークスさん、南部諸州に名を馳せるきわめて凶暴なピックアップトラック乗りの集団、ファイヤーエンジェルドラゴンのボスだったんだからたまらない。
560台ものトラック軍団に追われ彼らは全米中を逃げ回り(その間、当然のごとく二人は恋仲になり)、果てはメキシコ、パナマ、コロンビアを経て、エクアドルへ。

エクアドルでは、そこに太古の昔より綿々と固有の武術を受け継ぐ山の民(パッツィはむろん長老の孫)とファイアーエンジェルドラゴンの熾烈な戦いが繰り広げられることになろうとは、この時ふたりは知る由もありません。
トゥアンの頭の中は「ちぃいっ、眠てー」だし、
パッツィの頭の中は「あさってになったら、こいつに胸だけ触らせたげてもいいかな...」です。

今回の映像
Apichatpong Weerasethakul「Mobile Men 」

トラックの荷台に乗ってる二人の若者、じつはトゥアン君の幼なじみです(笑)

というか、なんちゅう生々しさ!
この監督以外にこんな風に撮れんっちゃんねー。

10年くらい前、パリの映画館でたまたま「ブリスフリー・ユアーズ」っていう映画を見た。
「なんじゃこりゃーっ、すっげーっ」っておったまげ、こんな変な映画、日本じゃそうそう見れんやろうと、しばらくして出たフランス語版のDVDを買った。
以来ひそかに友達とかに貸して見てもらってたんだけど、この監督、アピチャートポン・ウィーラセータクン、なんと一昨年、カンヌでパルム・ドールとっちゃったのでびっくりした。

彼の映画見てると、視覚や聴覚以外の感覚が呼び覚まされ震わされる、つまり臭いだとか湿り気なんかが画面から立ちのぼり見てるひとの身体全体を包む。
なにやら、ざわざわ奇妙な感じなんだけど、いつのまにやらタイの深いジャングルの中、薮の中に寝転んでるみたい。
わけがわかんないまんま、ゆらゆら夢見心地...すてきな気分。

azisaka : 22:50

今日の絵(その17)

2012年02月27日

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今回は”あの人の家族ってどんな感じかなっ?”シリーズ第一弾!
上の林檎かじってる女の子、実は「今日の絵(その4)」に登場のタコ獲り青年の妹です。

街の市場で、じいちゃんが育てたオリーブの実を売ってます。
ちっちゃな頃からイルカととっても仲良しで、今もイルカの背に乗っけてもらって、海を散歩してるところです。

一年半くらい経ったあと、トリトンやピピを助けてポセイドン族と戦うことになるんですが、そんなこと今は知る由もなく、その小さな胸の内を占領してるのは、ここんとこ毎週オリーブを買いにやってくる少し太めの青年のことです。

何度か言葉を交わして、とっても素敵な人だと思うし、彼も自分に少なからず好意を持ってくれてるのを感じるんだけど、ただ一つ気がかりがあって、それはいつもいっしょに手を繋いでやってくる無口な髭の男です。

「ひょっとして同性愛者なのかしら...よし、ここはひとつ兄さんに頼んで密かにさぐってもらおう...」と考えているところです。

さて、ここで問題。
彼女は今日、どんな服装でしょう?

01)イルカ革のつなぎ
02)コムサのゆかた
03)日本の中学の購買部で売ってるような濃紺水着
04)まっぱ
05)セントジェームスのボーダーTと白のホットパンツ
06)兄の海パン
07)わかめ
08)ムームー
09)秘部にオリーブの葉のみ
10)この時代はやった青銅の小さな板を組み合わせて作ったワンピース

(答え)
09
わお!

彼女が気になる青年はこんな感じ(ギター弾いてる黒長髪眼鏡の人)
Best coast「When I'm With You」

azisaka : 22:12

トートバック(その1)

2012年02月25日

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二年前、ひょんなことから福岡東区は箱崎の九州大学正門近くで、絵付けした小箱を売る店をやることになった。
それでせっかくなので、かっちょいい店名入りのシンボルマークを作ろうと思った。

頭をひねってると、絵柄と店名はすんなりと流れ出てきたんだけど、店名を書き表すいかした字体がうまいこと見つからない。
それで、自分で作ることにした。

なんてったって、手描きによる絵付けがなされた箱だ、民芸調のどしっとした感じのやつがいいよなあ、と思い、鉛筆動かしていろいろやってみた。

やってはみるんだけど、小学校のとき親の気まぐれでちょっとの間通わされてた習字教室は三級止まり、小4の七夕揮毫大会前にやめてしまっている。(つうか、”きごう”って”揮毫”と書くと今知った...)
アルファベットやカタカナならいざ知らず、漢字ってなるとなかなかうまいこといかない。

ううむ、弱ったなあ...
途方に暮れてると、傍らの本棚の中の一冊がピカーンと光った。
手に取るとそれは、白川静「文字遊心」であった。

そのなかの「狂字論」に、中国は清の時代の書家、金農(別号、冬心の名を以て知られる)のことが記されている。

「〜はじめて金農の書に接した人は、おそらく絶句するであろう。『字形の悄々長手な所に如何にものんびりして超脱的な気分』があり、『何処か間の抜けたような原始的な手法が全体を支配している』(金冬心之芸術)と青木迷陽博士が評されたように、眺めてるうちに思わず笑い出してしまうような狂気が、このうちにはある。」

おお!
でもって、その文章の傍らにわずかばかり添えられている金農の手による書、こーれがすごい!
一個々々の字がまるで鼓腹撃壌、腹鼓(はらづつみ)ぽんぽこ打ち鳴らし、大地をどんどこ踏み鳴らし、朗々と歌ってるじいさんの姿みたいだ。
よおし、これを、なんとかまねっこしてみよう。

と、そうやってちょとばかし苦労してできたのが”鰺坂絵箱店”の文字です。

そしてその文字が入ったシンボルマークを、鉄紺色でばばんとプリントしたオリジナルトートバックがついに完成!
しっかり厚手、生成りの生地で、使っていくうち、味が出まくりントイーストウッド!
アルカトラズからの脱出にも耐えうる頑丈さ!
日帰りセンチメンタル・アドベンチャーにうってつけの手頃なサイズ!

現在、絵箱展開催中の「亞廊」でひっそり販売中!。

azisaka : 10:18

今日の絵(その16)

2012年02月22日

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リトアニアに住み始めてふた月もすると、もってきた8mmフィルムを全部撮り終えてしまった。
調べたらヴィリニュス駅の近くにひとつだけ現像してくれるラボがあるということなので、持って行った。
そこで働いていたのが、ラーラで、何回か通ってるうち親しくなり、じき一緒に暮らすようになった。
季節は春だった。

ヴェトナムで生まれ育ったぼくとリトアニア人の彼女はへたな英語で話すんだけど、問題なんてこれっぽっちもなくて、何やってても二人ならすごく愉快で満ち足りていた。
仕事がない時はいつだっていっしょにいた。
手をつなぎ旧市街をあてどもなく散歩したり、一日中外に出ず本を読んで過ごしたり、むかしの映画見にいったり...
6月にはヒッチハイクでバルト海の方まで小さな旅行もした。

そうしてると季節が変わった。
南国育ちのぼくにとってこの国の夏は、春がほんの少しだけ背伸びしたみたい、おだやかでほんとうに心地よかった。
二人は春にも増して幸せで、どう軽く見積もっても今までのぼくの人生でもっとも輝くひと時だった。

やがて、秋になり冬が来た。
セーターやジャケットだけでは寒さが凌げなくなると、彼女はどこからか古い革のジャンパーを引っぱり出してきた。
華奢な身体に不釣り合いの、それは大きく重たい男物のジャンパーだった。
「どうしたの、それ?」と聞くと、薄く笑って3年前に死んだ恋人の形見だと言った。
「ふうん」と聞き流した。
けれどその時、ぼくの胸の奥らへん、暗い影がさすのがわかった。

ラーラはいったん取り出すと、外に出る時は、必ずそのジャンパーを身につけるようになった。
いつだってそうなので、とっても似合いそうな、深い緑のウールコートを買って贈った。
「まあ、素敵!」って喜んでくれたんだけど、2、3度着ただけであとは放っておかれた。

寒さから彼女を守るのは唯一、そのジャンパーに限られてるかのようだった。

ぼくはだんだんだんだんそのジャンパーが嫌いで仕様がなくなってきてしまった。
それで、彼女がそれを身につけてる時には、彼女を抱き寄せることも手を組むこともしないようになった。
そうやってたら、彼女がぼくの嫉妬に気付き、そのジャンパーを着なくなることを期待した。
しかし効果はなく、相変わらずいつもそればかりを羽織っていた。

年が明けた。
ラーラはぼくのそんな気持ちを知ってるのか知らないのか知らないふりをしてんのか、よくわからなかった。
そんなわからなさがとっても魅力的で、もっと愛おしくなって、さらにジェラシー心がつのっていった。
ある日、仕事の調子が悪くって、晩ご飯の後、ウオッカをたくさん飲んだ。
すると酔ったぼくのこころの内側が、革のジャンパーの焦げ茶色に染まり、そのずしりとした重みで垂れ下がり、染み付いた北の男の臭いで
膨張した。
それでもはや我慢ができなくなってしまって、とってもとってもバカで子供じみてるんだけど、「ぼくを捨てるかジャンパーを捨てるか、どっちか選んでくれ!」と彼女に面と向かって言ってしまった。

ラーラは見たこともない表情で黙ってうつむいた。
どうしていいかわからないぼくは、椅子に掛けてあったその憎いジャンパーを亡きものにしようと手を伸ばした。
彼女はとっさに遮り、奪い合いになっちまった。
無言で引っぱりあってるうち、どんな拍子かラーラは金具で額を切って血を流し、それを見たぼくははっと我に返って身動きができなくなってしまった。

そんなみじめな東洋人を残し、ちらりともこちらを見ることなしに彼女はアパートを飛び出していった。

ああ、なんてことしてしまったんだろうと打ちひしがれ、頭抱えてうずくまる...
そのうち、酔いの強さで眠ってしまった。

目が覚めると、あわててラーラをさがしに出かけた。
心当たりの友人宅やカフェを訪ね歩いた。

どこにもいない...

途方に暮れて、いつも散歩する公園へと行ってみた。

そしたら、ぼくらお気に入りのベンチ、彼女が静かに座っている。

近づいていった。
彼女がゆっくりと振り向いた。

と、そんな感じの絵です、今回の絵は。(涙)


「って、ええーっ、いったい何よーアジサカさん、この話し、わけわからんけん!」
いやあ、おれもわけわからんっちゃけど、晩ご飯食べてお酒飲んで、ふっとこの絵みたら、こんな話しが湧いて出てきたっちゃんねぇ...
でも、なんとなくそんな感じもするやん、この女の子...

と、そんな時には(ふさわしいかどうか定かじゃないが)こんな曲
The Megaphonic Thrift 「 Exploding Eyes 」
            
この人たちと会って飲んでみたいなぁとか、この場所に行って散歩したいなぁ、とか思うとやもんねー。

azisaka : 23:39

絵箱展のお知らせ

2012年02月20日

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けっこう面倒なイラスト仕事やりおえて、ふうっと一息、晩ご飯つくって食べてうまい日本酒飲んでくつろいでたら、小さなギャラリーやってる友達から電話があった。

「おー、ちょーひさしぶり!あけおめやーん、調子はどがん?」としゃべってたら話しの流れで急遽、絵箱の展示会をすることになった。(酔っぱらって気分がよかったのだと思います)

詳細は以下のとおりです。

みなさんこんにちは。
唐突ですが今月18日より、福岡は中央区薬院にあるギャラリー「亞廊」で、ここ数年絵画制作の合間々々に絵付けをした絵箱約30点の展示販売を行っております。
木製の箱にアクリル絵の具で絵を描いた後、ニスを数回塗って仕上げをしてあります。
(表の六面にしっかり絵付けがなされてます。内側は白木のままです。すみません)

(期間)2012年2月18日(土)~3月18日(日)

期間中、土、日、月曜日の開催で入場は無料です。
土、日が13時~19時、月曜が13時~17時の営業です。
日曜日はよっぽどのことがないかぎり、アジサカも会場(もしくは近辺)におります。

場所、ちょっとわかりづらいですが、どうか気軽におこしください。

「ギャラリィ亞廊」
〒810-0014
福岡市中央区平尾1-4-7
土橋ビル307
http://gallery-arou.com

ところで、サーバーの気まぐれかなにかで、一月と二月にアップした文章がどっかに消えてしまいました。
うっかりバックアップしてないものもあったので、その場合は思い出し思い出ししながら書いたんですが、むろん当時の自分と今の自分は(わずかひと月のことといえ)異なるので苦労しました。
というわけで、消えちゃった分、まとめて本日アップしてあります。
ちょっと変な感じですみません。

azisaka : 10:24

今日の絵(その15)

2012年02月20日

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さて、彼女は何をしてるのでしょう?

01)こういう風にしてたら隣のクラスのジュン君が私のこと振り向いてくれるんじゃないかと思った。
02)娘の保育園に提出する雑巾を手縫いしてこしらえたあと通学カバンにしまったら、なんだかふっとやりきれなくなっちゃって、しばらくぼおっとして、気がついたら糸を首に巻いていた。
03)ただの白糸と見せかけて実は新開発、スーパーオメガヒートテック素材からなるマフラーで、細いけどとってもあったかい。
04)首に巻いて指で弾くことによって、えもいわれぬ美しい音を奏でる弦楽器。
05)白糸と自分の首とどっちが強いか勝負してる。
06)相米慎二の映画「魚影の群れ」の佐藤浩市のまねをしてる。
07)「じゃあ、言ってくるからね」と会社に行ったっきり、もう6年も戻らぬ主人を想い、二人幸せにくらしてたころよく一緒に興じてた遊びを独りやっている。
08)「首5周分の胸の大きさが、理想の大きさよ」って言ってたテレビタレントにだまされてしまった。
09)最初は、いつどこでどんなきっかけで始めたのかわかんないけど、物心ついたときには、彼女特別のまじないになっていて、白い糸を首に巻くとどんな時でも心がすうっと落ち着いた。
10)白糸と思いきや、実は細い白色油性ペンで、首と壁に線が描いてある。

(答え)
たぶん、02か09あたりだとにらんでます。

(今回の曲)
St Vincent 「Surgeon」

うーん、かっちょ良すぎ!田かおる、じゃなくて二郎、というか玄白!

azisaka : 10:21

今日の絵(その14)

2012年02月20日

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上のふたつの絵についてたわむれに説明をします。

美容室やってる友人に依頼されて左っかわの女の子の絵を描いた。
赤いセーターのとこのスペースにカレンダーを書き加えDMをつくった。

人から注文を受け絵を描くというイラスト仕事はたいていパソコンでやるんだけど、ときどきアクリル絵の具で描くときがある。

イラストっていうのは基本的に、お客さんを呼び寄せたり、商品を買ってもらったりせんがためのものだ。
したがって、それを描く時にはいろんなことに折り合いをつけなくちゃならない。
たとえば、楽しくって明るい感じのものが好まれるし、わかりにくいものは敬遠される。

もちろん、何かに折り合いをつける(制約がある)ってのも、時と場合によっては、大いにものづくりの手助け(俳句のきまりごとみたいに)になる。
けれど、それが自ら選びとったものでないかぎり、たいていは制作の妨げになることが多い。

あまりにその制約みたいなものが多い時には断るけど、少々のことならばかえって自分のためになるので引き受ける。(ちょっと偉そうですまん)
そうして一枚、一旦若干不自由に描くんだけど、仕上がって印刷所などに写真データを届けたのなら、”自分用”に描きなおしてしまうことが多い。
その作業がとっても楽しい。

上に掲げた右っかわの絵はそうやって左の絵を描きなおしたやつだ。

「あー、でも最初に描いた方のコがキュートでもっと素敵やん...」

と、思われる方もいるかもしんない。
かくいう自分も、並べてみてちょっぴりそう感じた。

左側の絵はもはや原画は失われ写真データしか残っておらず、二度と同じものは描けない。
しかし、左の絵を葬りそれを礎にすることによってしか、右の絵は生まれなかった。

ううむ、これは人生の何かに似ている...

azisaka : 10:20

ハーモニーさん

2012年02月20日

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8年前の冬、どうしたものか縁あって沖縄で個展をやることになった。
あんましお金がなかったのか、それとも味気ないビジネスホテルがいやだったのか(もはや忘れちまったけど)、その期間中はトイレや洗面所が共同の一泊数千円の安宿に連泊した。
コンクリート打ちっぱなし南向きのやたらと明るいシャワー室、類を見ない独特な寝心地のでこぼこベッド、自分では買わぬ類いのマンガ本並ぶ湿気た談話室...それらすべてがその時分の自分の気分に随分合っていて、心が和んだ。
宿をしきってるロン毛の兄さんは、やたら「寒い、寒い」とぼやいていたけれど、前年まで3回続けてベルギーの冬を越した身体だったので、薄手のセーター1枚で事足りる気候はすこぶる快適だった。

滞在して3日ほどが経った。
観察してると、泊まり客は冬場ということで少なく、それもたいていが一泊きりですぐに入れ替わった。
ところが、一週間以上も泊まるのは自分くらい、と思ってたら一番奥の部屋、そこにすでに一ヶ月前から滞在しているという人がいた。

4日目、朝起きて洗面所へ立つと、それを息をひそめて待ってたかのように奥の扉がすっと開き、中からめがねの男が出てきた。
スラックス(パンツでもズボンでもない)に白シャツを入れ、ベルトをしっかり締めている。
男は隣の洗面台のとこまでくると無言で歯ブラシに磨き粉をつけ、それを口にくわえた。

ああ、何か挨拶しなくちゃ、と思ってたら、突然、踊り始めた。
自分同様、ただ単に歯を磨くものと思っていたのでびっくりした。

すすすすすーっと、軽快なスッテップで、数歩ごとに身体をひねりながら廊下を進んで行く。
突き当たりまで行くとそこでくるっと回転、またすすすすすーっと洗面台のある方にもどってくる。
眼前を通り過ぎ、もう一方の突き当たりへ、またそこでくるっと回転。
それを2、3度繰り返す。
那覇の安宿二階の廊下、ブラシは口にしたまま、ときにシャシャっと歯を磨き、ときにひゅんと身体をひねり、ときにピンと足を宙高くあげる。
うひゃあああー、なんやー、この人.....!
見てて、もうめちめちゃ奇妙でおかしい。

ところが、眼鏡の奥の瞳ときたら本気そのもの。
なので笑うことができない。
すさまじく滑稽なのだが、その滑稽さのレベルを、はるかにその真剣さが凌いでいる。
笑いの方が、有無を言わせず封じ込められてしまう...

そんなことがその日を最初に何回か続いた。
朝や夜、洗面所へ立つとその気配を察知して彼が登場し、歯を磨きながら踊るのだ。
あまりにも変だったので、関わるのはやめとこうと、はじめのうちは見て見ぬ振りをしたり、またはあいさつだけして部屋に逃げ帰っていた。
けど、何回も続くとさすがに声をかけずにはおれなくなった。

「あの、ここにはもう長く滞在してらっしゃるんですか?」とある晩、話しかけてみた。
するとそれまで全くの無表情だったのが、もう何年も前から心待ちにしてたかのように、にっこり花咲くよう笑って、「ええ、ここにはピアノがありますから。」と答えた。(その宿にはなぜか古いピアノがあった)

そうして彼は自分のことを語った。
歳は三十八。それまで音楽史や音響学、楽器やその演奏法、歌や舞踊、とにかくいろんな音楽にまつわることをずっと研究してきたらしい。
で、今は数年前からバーやクラブでピアノを弾いて生計をたてながらあちこちを放浪し、自分の理想とする音楽を追求しているのだという。

それはどんなものかと聞くと、一言で云うならば、”ハーモニー”なんだそうである。
とにかく音楽にはハーモニーこそが大切で、自分はそれを極めんがため、修行をしているのだという。
話しを聞いてると繰り返し取り憑かれでもしたかのように、その言葉が口をついて出てくる。
(内容は残念ながらすっかり忘れちまった...)
知識も経験もたくさんあって、大学に残って適当に研究したり生徒に教えてれば楽な人生だろうに、折れたのをセロハンテープで補強した眼鏡をかけ、くたびれたトランク一つを道連れに、安宿で暮らしている。

「いつも踊ってるのはなんですか?」と尋ねた。
「タンゴです」とおしえてくれた。
「ちょっと立ってみて」といわれたので立つと、頼みもしないのにじゃあ基本のステップだけおしえましょうと手を取った。

真夜中の廊下を行ったり来たり。
端までくるときゅっといさましく回転、向きを変える。
何回もくりかえす。
彼は大真面目。
他人に教えながら、自分も何かを学ぼうとしている様子だ。

しかし、折れたメガネに七三にきっちり撫で付けた髪、ぷりぷりしたお尻、見れば見るほどこっけいだ。
それが眉間にしわ寄せタンゴを踊っているのだからなおさらおかしい。
けれどもやっぱり、別にこらえてるわけではないのに笑うことができない。
彼がほんとうに真剣で、おのが人生をかけて何かを求めようとしている、その切実さがひしひしと伝わってくるからだ。
タン、タン、タタターッ、タン、タン、タタターッと彼が口で調子をとる。
合わさった手、自分の指か彼の指かわかんなくなってくる。
いつのまにやら、ぼくの心は頭上高く舞い上がり、眼下で踊る坊主と七三の奇妙な二人組を見てる。
ひとつになった身体が、すいすい動いててとっても気持ち良さげだ...

その時、この人を”ハーモニーさん”と名付けようと思った。
「大切な人」と記された心の中の箱、そこに入れて死ぬまで保管しておこう、と思った。

それから何年も立った去年の夏、人がたくさん登場する長い絵を描いて展示した。
個展会場にいたら、絵を見た人のひとりが、こんなことを言った。
「描かれてる人、めちゃくちゃ面白いかっこうで踊ったり、ポーズつけたりしてるんですけど、顔っていったらみんな真剣で、
それが不思議な感じでいいですよね」

それを聞いて、「おお、ハーモニーさんが...」と思った。
気付かぬうち、いつのまにやら心の箱からとび出し、踊っていたのだ。

(今回の曲)
どんと「トンネル抜けて」

azisaka : 10:18

今日の絵(その13)

2012年02月20日

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今回登場は、昆虫学者の蝶歌子さんです。
半年ほど前から、めずらしい蝶々を採集せんがためインドシナ半島をうろうろしていたのですが、先週ミャンマー奥地の森で見たこともない大アゲハチョウをつかまえました。
「きゃあ、やったーっ」ととっても浮かれていたのですが、実はそのチョウ、森に暮らす人々の間で古来より、採ったりしたのならばただちにたたりにあうと恐れられている信仰の対象だったのです。

でもって上の絵は、さっそく悪霊にとりつかれてしまったところです。(右上のとこ)
ひゃあ、そりゃあ大変、すぐにお祓いしなければ!と読者があわてふためくのも当然。

しかし、実は取り憑いたのは他でもなく、遠い昔この地に入植した歌子さん3代前のおじいちゃんの霊だったのです。
おじいちゃん、この後ふりかかるあまたの災難から彼女を守ってくれるのでした。

そんな歌子さんが好んで聞くのはこんな曲
Joanna Newson 「The Book Of Right-on」

azisaka : 10:17

今日の絵(その12)

2012年02月20日

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今回は「あの人は今」シリーズ第一弾!
上の絵の誇らしげに立ってるじいちゃん、実は「今日の絵その1」に登場の飛行機乗りの青年、50年後の姿です。
現在は自治区ドクロディア第3飛行場、中央管制塔の総司令官として日々働いています。
着てるジャケットは還暦祝いに孫からもらったもので、シャツは妻のイタリア土産、写ってませんが、下は裸足に雪駄履いてます。

azisaka : 10:12

今日の絵(その11)

2012年02月20日

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さて、このコは手に何をもってるでしょう?

01)トカレフ
02)れんげ草
03)掘ったばかりのサツマイモ
04)搾ったばかりの豆乳
05)ギンビス・アスパラ
06)肉じゃが入った給食のバケツ
07)ビクトリア・シークレットの新作下着
08)字統と字通
09)子猫
10)その他

(答え)
それは君次第!

azisaka : 10:08

今日の絵(その10)

2012年02月20日

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君は中3の男の子だ。
瀬戸内海に面した小さな街に両親と妹の4人で暮らしてる。
家はなかなか貧しくて、家計を補うため新聞配達の仕事をしている。
毎日毎日、陽の明けぬうちに起き、50件ほどに配って回る。

さて、そのうちのひとつに、それはそれは立派なお屋敷がある。
自分の身の丈の2倍くらいありそうな門戸、その右手に一文字の錆びた口が開いてて、君は毎朝そこに新聞をねじりこむ。
(寝たきりじいちゃんに無理にご飯食べさせてるみたい)

口の奥はどんな風になってるんだろうかと思うけど、高い塀に囲まれて中の様子はまったくわからず、遠目に洋風の屋根の先っちょが少しばかり見えるだけだ。

ある日のこと、学校が終わるやいなや足早に帰ってると(家の仕事の手伝いをするのだ)、いつも固く閉ざされているはずのお屋敷の門、分厚い扉がほんの少し開いてる。

あ、開いてる!
入れる!

しかし、
早く帰らなきゃ、父親にどやされる。
どやされて身をすくめる自分の姿が脳裏にありありと浮かぶ。

浮かぶが、好奇心がそれを一拭きで消し去ってしまう。

気付いた時には、すでに塀の内側、変な形の葉っぱのしげみの横に突っ立っていた。
(つうかふつう親父より、屋敷の人に怒られるのを心配するやろ...)

ぱちくり眼を動かし前方に焦点を合わせる。
うっひゃーっ。

こっ、これが、”クラッシック”かあーっ!
(えっ?)

音楽室でシューなんとかとか、モーなんとかとかいう昔の西洋の人が作った曲を聞かされるとき、閉じたまぶたの裏にぼんやりと映る風景があるのだが、それが今、ぱっきり高解像度で現われた。
(実は君は、クラシック音楽聞いてるとき、妹の少女マンガ(キャンディ・キャンディとか一昔前の)で見た風景を思い出してたわけなんだけどね...)

芝生、噴水、ベンチ、薔薇なんかのとにかくきれいな花々...

嗚呼...
(君は自分の”ああ”もいつの間にかクラッシックになってるので、ちょっと驚く)

感嘆の声をはきながら、夢見心地でふらふらとそんな庭園の中をさまよい歩く。
しばらく歩いてたら、のどか乾いたので、噴水に口をつける。
いつもは両手ぶらりなのだが、今は王侯貴族みたいに蛇口のとこに手を添えている。

と、うしろの方で、かさっと枝葉のすれあう音がした。

君ははっと振り向く。
女の人が立っている。
君を見ている。

と、いう感じの絵です、今回の絵は。(笑)

でもって君は、あわてて自分ちに逃げ帰るんだけど、
その時、流れてくるのがこんな曲だ。

Villagers「Home」


azisaka : 10:06

今日の絵(その9)

2012年02月20日

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12月、寝がけに布団でファッション雑誌パラパラめくってたら、とうもろこし畑の写真が出てきた。
さして気に留めず次のページをめくろうとしたら「兄さん、ちょっと待ったーっ!」っていう大きな声がした。
どきりとして手をとめると、とうもろこしたちが口をそろえて「なあ、おれたちのこと描いておくんなよー」と勧誘している。
「かんかん照りがこしらえた俺らの陰影、描いてごらんよ」とか「きりっと伸びた葉っぱの線に沿って筆滑らすの、気持ちがいいぜー」とか「あんまし使わないブリリアントな青色で俺らの似顔絵ものにしてみなよ」とか、しきりに訴えている。

それを聞いてたら、それほど熱心に頼むのならしょうがない(と、同時にとてもありがたい)、いっちょう描いてみるか、という気になった。
しかし、とうもろこし畑だけじゃあいささかもの足りない、というかそれだけで画面成り立たせる力量がない。

それで、とうもろこし畑を背景に人物が立ってる絵を描くことにした。
おそるおそるそう提案してみたら、意外とすんなりとうもろこしたちも納得したので、よかったよかったそれで行こうと安心した。

と、いうところまで翌日、朝ご飯食べながら思い出した。
(前夜は安心したとたん、ぐーすか寝入ってしまった)

さて、人物はどんな風にしよう...

あったかい豆乳飲みながら考えはじめた。
まもなく、ピカーン!
傍らの本棚の中の一冊が光った。
手に取るとそれは上野英信の「出ニッポン記」(読んでない人は読もう!)だった。

とうもろこし畑...南米...ブラジル...といえば、日系移民だ。

そんなわけで、とうもろこし畑を背景に、筑豊を追われブラジルに入植した炭坑夫の姿を描くことにした。

その際、とうもろこしを描くのを主体にして、炭坑夫はできるだけ片手間にやろうと決めた。

「私は何ひとつおろそかにしなかった」っていうフランスの画家プッサンの言葉がある。
(座右の銘のひとつになっている。)
それを、絵を描くっていう仕事に当てはめたとして、画面の中のすべてのものをみな等しく”おろそかにしない”でいるのはなかなか難しい。
たとえば普段、人物画を描くことが多いのだけど、やはり背景の空や草花、建物や車などを描くより、人物のほうに気持ちが入ってしまう。
さらにはその人物にしても、手足より顔のほうに、顔ならば、髪の毛や耳鼻などより眼のほうに、どうしてもより力を注いでしまう。

「別にそれでいいじゃん!それで何かさしさわりでも?」と思われる方がきっと大半だろう。
だって、龍を描くとするなら、鱗やヒゲやしっぽより断然、その眼を描くことにより気合いをいれるのが当然のように感じられるからだ。

でもちょいとばかしこの仕事を長く続けてると、”いい絵”ってのは、いつの間にか知らないうち、「よおし、ここは魂込めて描いてやるぞー」などど頑張ったりせず、”片手間”にやった時のほうが、よりうまく立ち現れてくれる、ってことに気がつくようになる。(あ、他の人は違うのかもしれませんけど...)

でも、気がついたってそんな芸当ができるのはすっごく調子が良いときだけで、たいていは時間経つにつれ、顔の表情ばかりに気を囚われ、そこだけ(他のとこはとうに仕上がってるのに)延々と描きなおし続けてる、っていうことのほうが日常だ。

そんなわけなので今回は、背景のとうもろこしを”持ち上げ”、人物をわざと”おろそか”にすることで、人物、ひいては絵全体をうまく描こうとしたのである。(うわあ、まどろっこしさーっ)

つまり、今回の絵が「とんかつ定食」だとするならば、とうもろこし畑がメインの”とんかつ”、その上に広がる空が”ご飯”、着てる服が”みそ汁”で、顔といったら付け合わせの”キャベツ”くらいの立場だということになる。

とんかつを、「うわあ、衣さくさく、中身はジューシー、ああうまかーっ」って味わって食べてたら、いつの間にやらキャベツもたいらげてた。って具合に、人物を仕上げようと思ったのだ。

そうやって仕上がったのが今回の絵だ。

しかし悲しいかな、”とんかつ定食作戦”みごと失敗...
やはり人物描くのに文字通り”囚われ”、さらさらっと描くこと能わずだった。

あいかわらず、”キャベツ”だけ残って、煮たり焼いたり、レモンしぼったりマヨネーズかけたり...

ぜんぜんうまくいかなくって結局、特製ドレッシング(サングラス)かけてしまったんだけど、ううむ...


今回の曲
les rita mitsouko 「les amants」

カラックスの映画「ポンヌフの恋人」の主題歌。
(映画版のとちょっと歌詞が違うけど)
雪が降ると、8回に2回くらいジュリエット・ビノシュがツツーっとポンヌフ橋に積もった雪の上を滑ってくるシーンを思い出す。
それ思い出すと、頭のてっぺん辺りにこの曲がかかる。

先日、日仏学館主催のイヴェントで、そのビノシュを受け止めるドニ・ラヴァンに会って握手してもらった。
おお、この手が...と思い感慨ひとしおだった。

azisaka : 10:03

絵箱展のお知らせ2

2012年02月17日

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みなさんこんにちは。
唐突ですが明日18日より、福岡は中央区薬院にあるギャラリー「亞廊」で、ここ数年絵画制作の合間々々に絵付けをした絵箱約30点の展示販売を行うことになりました。
木製の箱にアクリル絵の具で絵を描いた後、ニスを数回塗って仕上げをしてあります。

(期間)2012年2月18日(土)〜3月18日(日)

期間中、土、日、月曜日の開催で入場は無料です。
土、日が13時〜19時、月曜が13時〜17時の営業です。

場所、ちょっとわかりづらいですが、どうか気軽におこしください。

「ギャラリィ亞廊」
〒810-0014
福岡市中央区平尾1-4-7
土橋ビル307
http://gallery-arou.com

ところで、どういうわけか、ブログの一月と二月の記事がどっかへ消えてしまいました。
今、管理人の国東ジョニーに問い合わせてるところです。

azisaka : 15:06

今日の絵(その8)

2011年12月28日

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でぶっちょ少年、描いてはみたものの、期待してたほど心はぬくもらなかった。
それで今度はもっと光を!とゲーテ度を高くして、コート・ダジュールの浜辺に立つ女の子を描いたのが今回の絵です。

ちょっと見ると、ナタリーとかマチルダとか名のついた西洋人みたいですが、八重山地方は竹富島の出身です。
幼少の頃より泳ぎに長け、なんと素潜りを30分間することができます。

石垣島の高校を卒業したあとは家の漁業を手伝っていたのですが、ある日、その人間離れした潜水能力に目をつけた謎の組織に連れて行かれてしまいました。

最初は生まれた島から引き剥がされ泣いてばかりいたのですが、しだいに他の団員にも仕事にも慣れていきました。
でもって、2年間ずっと休みなしにとってもよく働いたので、組織より功労賞が贈られました。
それが二週間の南仏でのバカンスだったのです。

生まれてはじめてパスポートとって、まずはあこがれのジャンボジェットに、それからTGVへと乗り継いで、迎えにきたリムジンで昨晩おそくニースの高級ホテルに到着。
時差ボケもなくぐっすり寝て目覚めるとすぐに、朝日の照らすテラスで焼きたてクロワッサンを「こんなにおいしいパンが世の中にあったなんて!」と感激しながら12個も食べ、カフェオレは3回おかわりしました。
そのあと、歯を磨いたらさっそく水着に着替え、まだ人気のないビーチに走り出ました。
ところが、「さあ、南仏の海とやらで、思う存分泳いでやるわ!」と海に飛び込もうとした矢先、団員の証である右手中指のでっかい指輪がピカンと光ったのでした。

それは招集の合図で、何をさておいても直ちに帰還せねばなりません。
ああ無情!8個もパンを食べたのがいけなかったのか!

と、端から見るとすごくかわいそうな気がするのですが、本人はけっこう大丈夫です。
それでこの絵は、「あちゃあ、呼び出しくらっちゃったあ...でも飛行機はじめて乗って機内食おいしかったし、ふかふかベッドで眠れたし、短い間だったけどけっこうた楽しかったわよね...」と、その非情な仕打ちを受け入れたときの様子です。

さて、実はこの後帰りの飛行機の中でへんてこな髭のムッシュと同じ席になるのですが、その彼からブルターニュ地方で語り継がれる伝説の剣の話しを聞くことでにわかに彼女の人生が変わりはじめます。
そして、たちまちのうちにヨーロッパ全土の命運を左右するような歴史的事件の渦中に巻き込まれることになるのですが、そんなことこの時点では知る由もありません。

そんな彼女の心に鳴り響くのは、たぶんこんな曲。
四人囃子「ヴァイオレット・ストーム 」

azisaka : 09:43

今日の絵(その7)

2011年12月26日

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11月も後半になり、なかなか寒くなってきたので、「三月のライオン」の二階堂くんみたいな、ぽっちゃりあったかそうな人物を描こうとしてできあがったのが今回の絵です。

窓から射す陽に人や物が溶けこんで、ぼんやりまどろむような風にしたかったんですが、描いてるうちパキッと硬質な感じになってしまいました。

しかし、少年よ、何を想う...

azisaka : 14:34

今日の絵(その6)

2011年12月24日

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さて、"今日の絵その2”のとこで書いたように、最初にカレンダー用に描いた絵は、「人も色もごちゃごちゃしてにぎやか過ぎっ!」とはねつけられてしまったので、2回目はその真反対に、ひとりぼっちの女の子をほとんど色を使わずに描いてやる...と意地悪くたくらんで描いたのが上の絵です。

「うわあ、なんよー、今度はさみし過ぎやーん!」とまたまた却下されると思いきや、「うん、いい、ばっちグー!」と大丈夫だったので、ふうと安心しました。
けれど、実は内緒のことだけど、その六分の一くらいはがっかりした。

なんでかっていうと、この2回目に描いた絵もだめだったら、もうほとんど期日の猶予がないということで、そしたら”切羽つまる”ことができたからだ。
経験的に、この”切羽つまる”っていう状態は、絵を描くにはけっこう都合がいい。
「火事場のくそ力」とおなじで、日頃眠ってた感覚が突如目覚めるというか、新たな力が急に湧き上がるというか、とにかく能力が一時的に高まって、予想とかけはなれた、良いものが出来上がることが多いからだ。

そいじゃあ、わざと時間あるのにのんびりして、いつもギリギリの状態をつくるようにしといたらいいじゃん。
とそう思う方もおられようが、そこが難しくって、意図的に”切羽つまら”せても、お天道様はちゃんと見てて、すてきな力は授けてくんない。
ちゃんと外からもたらされた”土壇場”でなけりゃあ、うまくいかない。

とはいっても、ちょいとばかし長く絵を描いてると、あら不思議、絵をうまく描かんがため、”無意識に土壇場ギリギリを呼び寄せる”という術が知らないうちに身についてくる。

カレンダーに早いとことりかからねばならぬとわかってるのに、”じいさん”や”タコ漁師”や”女版ジョー”が無性に描きたくなるのは、そういうわけだ。
おそらく、たぶん。

今回の曲
Lisa Germano「Cry Wolf」
Lisa germane & OP8「If I think of love」

10年くらい前、ブリュッセルのFNAC(タワレコみたいなとこ)の試聴コーナーでたまたま出会ってときめいて以来ずうっと、いつだって聞いてるLISAねえさんです。
長らくデヴィッド・ボワイとかイギー・ポップなんかのアルバムやライブでギタリストとして活躍してて、ソロでのデビューは1991年、33歳になった時。
性に合うのか、8枚出してるアルバムのほとんどの曲が大好きで聞き飽きることがないです。

azisaka : 23:35

今日の絵(5)

2011年12月22日

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カレンダーについにとりかかって、描いてる途中にちょっと休憩して雑誌ぱらぱらめくってたら、ピクニックに興じる若者たちの写真が目に留まった。

その中の、ひとりの女の子の立姿(寝転んだ男の子を見下ろしてる)が、なんとなくジョーをアッパーでKOして「終わった...何もかも...」って言ってる力石徹を思い出させた。
それで、ああ「女版・あしたのジョー」ってのはいいなあと思って描いたのが今回の絵です。

舞台は未来の女子少年院でヒロインはスケバン、風吹サチ。
カツアゲの現行犯で連行中のダチを救出すべくマッポ8人を殴ってケガさせムショ送りに。
その彼女が、長きにわたってそこに君臨していた身の丈2メートルはある”ヒマラヤ”と呼ばれた大女をいとも簡単にやっつけて、「ふんっ」ってしてる様子です。
額の絆創膏は少年院の若き東大出の院長・白鷹葉二郎からの思われニキビがでっかくなってつぶしてしまったので貼ってます。

で、彼女のその尋常ならざる強さを聞きつけ、目下開発中の巨大ロボット(マリアンヌロボ)の操縦士に抜擢しようとやってきた人たちが上空の円盤形ジェットに乗ってます。

この場面の後、ビビーッて光線が下りてきて、女の子はヒュルヒュルヒュルって円盤にすい込まれていくというわけです。

今回の曲
Dengue Fever 「1000 Tears of a Tarantula」

スイス住んでる友達が、「こうじ、これいいぜっ!」て教えてくれたカンボジアのグループ。
たしかに、いいっ!かあーっっちょいい!
サチが、ドヤ街の屋根から屋根、追ってくる大勢の警官から逃げ回ってるシーンで使いたいもんだ。
しかし、どんな歌詞なんだろう、”タランチュラの千の涙”って...

azisaka : 10:12

今日の絵(その4)

2011年12月20日

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11月になり、もういいかげんカレンダーの制作にとりかからないと去年の二の舞になっちまうと焦っていたとき、イタリア帰りの友達からタコの缶詰をもらった。オリーブオイルに漬けたやつだ。
これ幸いとちょっとばかし高い白ワイン買って、日が暮れたらアンチョビもケッパーもあったのでプッタネスカを作った。
それ食べた後、ゆっくりタコつつきながらワイン飲んでると「地中海あたりでタコ獲ってる漁師ってのはどんなんだろう」?と思いはじめた。
それで、酔っぱらいながら資料集めて安心して寝て、陽が明けたらさっそく描きはじめ、数日してでできたのが上の絵です。

頭の鉢巻きはシルク100%で、ぜんぜん陽に焼けてなくてひ弱な感じですが、実はそうでもなくて彼独りで家族6人を養ってます。
腕の入れ墨は自分で彫ったもので、中世の人なので変な髪型。
「あ、そういえばあさって一番下の妹の誕生日やった...何贈ろうかな...」と船の上で思案してる状態です。

ところで、タコ漁師といって思い出すのは土本典昭の映画「水俣ー患者さんとその世界ー」だ。
大学2年のとき、視聴覚室で”勉強”のため見せられたんだけど、映画そのものにまったくもって魅せられてしまった。
その一本で、いきなり映画の見方が変わってしまった。というか豊かになった。
(それまでは、”お茶漬けの味”がわかんなかった小暮実千代みたいなもんだ。)

何かがきっと性に合ってたのだろうが、さっそく教授に頼み込み、研究室にあったその他の土本作品のビデオも借りて立て続けに見たんだけど、そのどれもにとても強く心を揺さぶられた。
それがきっかけで20代、映画をたくさん見るはめになった。

「水俣ー患者さんとその世界ー」には、タコそっくりの風貌のタコ漁師が登場する。
彼が、獲ったタコを腰に巻いた金具にひっかけ海の中をゆらゆら歩くんだけど、その時の映像、キラキラ輝く不知火海のひかりがすばらしい。
その後、けっこう映画見たけど、これ以上に美しいひかりには出会えなかった。

今回の曲
Boris Kovac 「Winter Song」

最初に彼のCD聞いたときにはバルカン半島の伝統音楽かなんかと思ったけど、大学で教鞭もとるセルビアの作曲家で、自分のバンド率いてサックス、キュルキュル吹きまくったりもしてます。
この曲はめずらしく静かな曲で、しんみりとなります。

azisaka : 11:22

今日の絵(その3)

2011年12月18日

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仁王立ちで立ってるじいさんのイメージがある日なぜだか不意に湧いて出てきて、頭の中に貼っついて離れないようになった。
それでほんとうなら、来年のカレンダーのために女の子の絵を描かねばならぬ時期だったのに、じいさんのポートレートをひとつ、ものにせねばならぬはめになった。
小林秀雄(おお!)風にいうなら、じいさんの絵を一枚”やっつけ”なければどうにも落ち着かなかったわけだ。
絵を描くっていうのは、ご飯食べたり、トイレ行ったりすんのと同じ生理的な行いで、その欲求は常にあってどうしようもないんだけど、うなぎが食べたいとかチキンラーメンすすりたいとか、食欲の矛先が変わるように、描きたいものも時によって変化する。
三つ編みおさげだったり、ヘッドライトだったり、葉っぱだったり...
そうやって、無性に描きたいものを描きたいように描くのというは、冬の寒さに打たれた夜、よく味の染みたおでんの大根食べたくてたまらない時、はふはふ食べるのと、同じくらいに快い。

したがって健康には気を使う。
病気になったら、食欲が失せるように絵を描く気力や集中力も萎えるからだ。
つまりものを喰らうことができるかぎりは絵を描ける、終わるときは両方同時ということだ。

そういう風にして描いたものを人に見てもらうんは、どんなもんだろうか?と、ときどき思ったりするし、ましてそれを買ってもらったりするのは何となくわるい感じがするときもある。
また、個展を見に来た人などに、しばしば「この絵にはどんなテーマがあるのですか?」とか「意味は?コンセプトは?」はたまた「どんなメーッセージがこめられてるのですか?」とか聞かれたりすると、ドキっとしてしまう。
そして、「おお、世の中には“そういう風に”して作品を作る人もいるのか」と気づかされる。

そんなときは、たいていまず「兄さんはどがん思うですか?」ってこっちが逆に尋ねるんだけど、その返事を聞くのが、そりゃあワクワク楽しみだ。
で、「おお、まさしくその通りです!」と答えることが多い。
だって、ほんとに、まさしくその通りでもあるからだ。
「ああ、あの時、これが無性に描きたくて描いたのには、こういう訳があったのだなあ」とわかって、うれしくなる。

ただ、そんな勝手気ままに何の制約もなしに描いてるのに、出来上がったやつはご覧の通り、悲しいかなうすっぺらだ。
ほんとうに申し訳ないといつも思う。
(だって、”あつあつの大根食う”ことで、まがりなりにも身過ぎ世過ぎができてるんだから...世間に顔向けが...)

けれど唯一の救いがあって、それは、ほんのちょっとづつだけど以前よりかは”まし”になっていると感じられることだ。
少しばかりでもいい絵だったら、それを見たひとも”うまい大根のおでん”食べた気になるんじゃないかと期待するからだ。

さて、今回描いたじいさんですが、手には出刃包丁を握りしめています。
捌いてる魚を横取りにした猫を追って飛び出してきたにしてはスニーカーちゃんとはいてるし、誰か人を刺してきたにしては、返り血なんての浴びてません、また、包丁売りの行商人にしては表情がなにやら険しいです。
いったい、何してんねん?このじいさん...

今回の曲
Louis Johnson 「bass lesson 1」

見て聞いてるだけで、こんなに”うわあおぉ”なんだから、やってる本人はいったいどれだけ”うわあおぉ”なんだろうかと、非常にうらやましくなります。

azisaka : 15:46

今日の絵(その2)

2011年12月16日

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まだ熊本で大学生の頃、恋人へのプレゼントさがしに街へ出て、たまたま入ったブティックで小さなきりんのピアスを買った。
以来ちょくちょく顔出すようになり、そこの女主人と仲良しになった。
その彼女が一番最初にイラストの仕事を注文してくれた人物で、以来20年近くDMを描く仕事をしている。
ここ数年はカレンダーも作るようになったんだけど、いつもぼんやりしてて師走ギリギリの仕上がりになるので、今年は奮起して早くも10月にそれ用の絵を描きあげた。

それが上の絵で、学生時代いつも買い物してた熊大近くにある子飼商店街、近未来予想図だ。
(年配の人がいないのは大切な集会があってるからです)

出来上がり喜び勇んで写真にとり見てもらった。
しかし、悲しいことに「こーちゃん、なんよー、ごちゃごちゃピンクピンクしとって、うちの店に合わんけーん」と無下につっぱねられてしまった。

それで、うううちくしょうと嘆きくやしがった。
くやしがったんだけど、あらためてよく見ると、たしかにカレンダーとして一年中壁に貼っておくには何やらさわがしいという気もする。
それで結局描きなおすことにした。

azisaka : 09:42

お知らせふたつと今日の絵(その1)

2011年12月14日

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夏の個展が終わり、またやおら新しい作品を描き始めました。
ここ数年、おっきなものに取り組んでいたので、今度はちょっと休憩という感じで、小さな作品をちょこまか一年くらい描いていくつもりです。

さて、絵を描いて見てもらうようになってから今までは、数ヶ月にわたって密かに描きためたものを年に一回の個展の時、おりゃあー、といっきに公に(ぷっ、おおげさな...)展示しするという方法をとっていたんですが、今度からは、絵日記みたいに、描き上がったはなから「今日はこんな絵描きました」という具合にこの場所で紹介していこうと思います。
そんな風に来年の夏までずっとやって、夏になったら個展して、描いたそれらの現物を見ていただこうという企てです。

なんでかっていうと、
その1)なんとなくそうしたほうがいいんじゃないかと思った。
その2)先の個展のとき、先輩がやってきて「おまえ、なんや、ブログ、いっちょん更新せんやんか、おれ、せっかく行って、いつもがっかりするとぜ」と言われた。
で、そんなに言われたって、そう書くことあるわけじゃあないし、こまったなあ、でも絵は毎日描くので、その絵をのっけることで、彼の期待にちょっとでも答えよう、とそう思った。

と、こういうわけで今回からけっこうひんぱんに見ていただくことになる作品についてですが、画面の中、どこかにドクロのマークがあることが多いです。(今回のはないですけど)
これは、いつかもこの場でお話しましたように、人骨の研究をやってる長崎の友人(早く赤ん坊の顔がみたい...)が常日頃「アジサカさんの頭蓋骨はよかー、縄文人そのままの形ばしとらす、美しかー、いつかぼくにぜひ譲ってください、うふふっ」と言ってることに端を発したもので、いわばサインの代わりです。
その他にこれといって特別な意味はありません。

あと、登場人物のどっかに傷があったり、絆創膏や包帯してる絵が多いです。
もともとそんな傾向があるので、よく「何でですか?」って聞かれます。
そしてたまに50半ばくらいの女の人から「これは、心に負った傷の象徴なのでしょう?」とか「この女の子はリストカットされたのですね...」などと言われたりします。
まあ、そうかもしれませんが、どっちかっていうと、あわてて出かけるとき玄関でずっこけたり、ガスコンロの裏に落っこちた里芋ひろおうとして鍋に触ってやけどしたり、無理に猫なでようとしてひっかかれたり、とまあそんな方が近いです。
マンガでいうなら丸尾末広の少女に巻かれた包帯というより、ちばてつやのマンガの主人公が「まあ、石田くん、ケンカするの今週何回目!?ふう...」と保健室の先生にため息つかれながらバチン!「いててて...」と貼られる絆創膏に似ています。

でも、ほんとういうと意味なんていうのはいつも後付けで、絆創膏とか描く一番の理由は、描き手、すなわち自分自身の感覚的なものです。
つまり、たいていはひとまず絵が全部仕上がったあと、まずはその部分の画面の絵の具をカッターナイフで削り落とし、その後、傷なり絆創膏なりを描き入れるんですが、これがやっててとても心地いい。
ふつう、日常生活においては何に対してもできるだけ「キズをつけない」ように用心するってのが習わしなので、いったんは完成したものをガリっと勝手気ままに傷つけるという、その手応えが快いのかもしれません。

おそらくはそれとおんなじ理由ですっすっと指すべらせるだけのタッチパネルというのが苦手です。
パチンと押すスイッチだとか、ガチッと引くレバーだとか、そんなので作動するスマホがあったらいいのにさ...

あ、それと、キズがあると、描かれた人物になんとなく深みがでるような気がします。
これは実際の人間でもおなじですけど。

さて、いらん説明が長くなりましたが、そんなこんなで紹介していく「今日の絵」シリーズ、そのいっとう最初を飾る冒頭に掲げた絵は、10月に描いたものです。

その頃は秋だっていうのに、夏みたいに暑くて、それでなんでか無性に寒さが恋しくなったので、こんな絵を描いたのだと思います。
”正月に津軽の実家に帰省した飛行機乗りの青年”の絵です。
(勝手にすこしだけ写真家の小島一郎に捧げてます)

ところで、はなしは変わりますが、福岡は薬院っていうとこに友達が地道にやってる「亜廊」っていうギャラリーがあります。
今度、そこのオンラインショップでオリジナルグッズの販売をはじめました。
今んとこ、ポストカードとバッヂだけですが、おいおい品数を増やしていこうと考えてます。
まずは近日中にトートバッグを作る考えです。
(オンラインショップへはこのサイトのトップの画面から行くことができます。)

今回の歌
松崎ナオ「雨待人模様」
松崎ナオ「川べりの家」

ずいぶんと前、デビュー曲がラジオから流れてきて、わあーとびっくりして以来ずっとCDが出たら買って聞いてます。
二つ目の映像の岸田森の顔がすばらしい。

azisaka : 22:31

ラルフ

2011年12月03日

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ちょうど日本がバブルっていう名の好景気に湧いていたのと同時期、幸か不幸かパリに暮らしていた。
大学出たあとすぐに職に就くのもためらわれ、縁あって住み始めたんだけど、何か特別な目的があるわけでもなかった。
絵で食べていく自信なんてなかったし、他に特技もなかったが、まあなるようになるさと思っていた。
(この時分、たくさん親に心配かけたので今はせっせとその償い最中)
ガイドや家庭教師、服の買い付けの手伝いや皿洗いなんかをして食いつなぎながら、ひとり絵を描いていた。
そうじゃなけりゃあ、あてどもなく散歩し映画を見た。
お金はないが、やたらと時間がたくさんあった。

住んでたのはむかしから移民が多く住み着いてるベルヴィルっていう名の街のおんぼろアパートだった。
エレベーターなし6階の屋根裏部屋で、バイトから疲れて帰った時など、上り始めるのに覚悟がいった。
緑の手すりが天へと螺旋に伸びていて、下から見上げるとまるで「ジャックと豆の木」の大木のようだった。

部屋へ入ると斜めになった小さな窓から北の方、モンマルトルの丘がほんの少しだけ見えた。
石を敷いただけの中庭にはいつも子供の遊び声や、夫婦のののしり合う声がこだましており、ときどき何かの割れる音が高く響いた。

通りに出るならば、そこにはフランス語よりかアラビア語や中国語の看板が多いくらいで、マロニエの枯れ葉の代わりに野菜のくずや鶏の頭なんかが落っこちていた。
もちろん日本の雑誌で紹介されるみたいな(栗毛の可愛いリセエンヌが寝ぼけまなこで手伝ってる)おいしいパン屋なんてのもなく、ひげのやたらと濃い男衆がやってるケバブの店がいたるところにあって、大きな串に刺さった羊肉の固まりが強い臭いを周囲に放っていた。
この臭いに、コリアンダー、ゴロワーズとペルノーの臭いを合わせるとこの街の香水ができあがる。

食事といったら朝はいつも固いバゲットパンにジャムつけたのをカフェオレで流し込み、(日曜だけ贅沢してクロワッサンやショコラパン買って食べるのがとても楽しみだった)昼は食べないか、サンドイッチみたいなやつ、晩はにはよくメルゲーズ(羊肉のピリ辛ソーセージ)を焼いて食べていた。

着る服はたいていが蚤の市か近所のアラブ人がやってる古着屋で買ったもので、山と積まれた中から良い品をさがしだすのが楽しみだった。
しかし、持ち込まれたものをそのまま放り出してあるだけなので、しみ込んだ強い体臭がにおい立ち、時々気分が悪くなった。

年に2回、プレタポルテのサロンの時、日本から人がやってきた。
彼らからちょっと高いレストランにつれていってもらうのがすごく楽しみだった。
同じくらいの歳の日本の若者がほんもののロレックスやヴィトンをもってるのでとてもびっくりした。
さっき買ってはじめて身につけたようなまっさらの服を着ていて、まるで金ぴかのおとぎの国からやってきた人みたいに思えた。

さてそんなパリ暮らしが2年くらいたったあと、妹の結婚式で東京へ行った。
この都会へ行くのはそれがはじめてだった。
着いた翌日、商社で働く旧友と5年ぶりくらいに再会することになった。
待ち合わせの場所に立ってたら、ガンメタのBMWがすーっと目の前に来てとまった。
窓が下り「よお、こうじ、ひさしぶり!」と笑いかけるのが、ちょっぴり太ったその友人で、そのまま高そうなフランス料理店に連れて行ってもらった。
「今日はおれがおごるから心配するなよ」
動揺してるのをさとられたのか、店に入る前にそう耳打ちされた。
(三千円くらいしか持ってなかったのでほっとした)

フレンチのコース料理というものを食べるの、それが初めてだった。
そわそわしてたらいきなり、いかにも高そうなラベルのワインが出てきた。
パリでいつも飲んでる一本300円くらいのワインが優に50本は買えそうだ。
「これ、この前、接待で飲んだんだけど、うまかったんだよね」
と、いつのまにか東京言葉を身につけた彼から注がれるままに飲んだ。

飲んだんだけど、何か変な味がした。
「ああ、こりゃあブショネだ..,」とそう思った。
(ブショネっていったら、コルク栓の臭いがワインに移っちまってる状態で、毎日ワイン飲んでたらたまに出くわす)
でも、飲めないほどきつくはなかったので、口には出さず「やっぱりおいしいよね、これ」って言ってる彼と最後まで空けた。

食べものはうまかった。
うまかったんだけど、特別ってほどでもなくって(だって”フランス直輸入”の鴨のロースト、ここで食べたってなあ...)、ああ、寿司食べたいと言っときゃあよかったと悔やんだ。

そのあと、またまた高そうなバーに連れていってもらった。
そこで、投資で儲けてるという話をたくさん聞かされた。
「こうじもやれよ、簡単に稼げるぜ、ふふふ」と勧められたんだけど、聞いてもさっぱりわからないし何となく気が進まないので「おお、すごかねー」と相づちだけ打って聞いてるふりをしていた。

東京には3日間くらいいた。
友人知人に会うのは楽しかったけど、ここはただただほんとうに騒々しく、その上道行く人の風貌がのっぺり魅力がなくて悲しくなった。パリにとっとと帰ってしまいたくなった。

そのあと実家のある長崎に行った。
そこは相変わらずのんびりしてたのでほっとした。近所のいつも米をわけてくれるじいさんの「やあ、帰っとったとね」と笑う自然な表情に安心した。

さて、パリではパリ生まれでパリ育ちのベルギー人の女の子と一緒に暮らしていた。
彼女は昼間大学に通い、夜はディスコでバイトしていた。
バイトの日は晩ご飯食べたあと出かけていって朝まで帰らなかった。
ピガールはムーランルージュの隣にあるでかい箱で、ときどきくっついて行ってただで入れてもらった。
踊るでもなし、ジンリッキー飲みながらぼさっと人が踊るのをながめていた。

ある晩それとは気がつかずに入ったらゲイナイトだった。
厚化粧で女装したおっさん、黒革ビチビチマッチョ兄さん、性別判別できないただきれいな人、普通のサラリーマンみたいな人、いろんなタイプのひとが、ひしめいていた。
メインホールの大きなスクリーンには、そういった類いのポルノ映画が映し出されていたんだけど、むろん映倫とおってないので、とっても迫力があった。
アジアの人間はめずらしいのか、独り飲んでるとあとからあとから声をかけられた。
中には、「こんなきれいな人となら一度くらい...」と思うような美しい顔立ちの人もいた。

ところで、何回かそのディスコに通ってるうち、ドイツ人の男と仲良くなった。
バーを仕切ってて名はラルフ、年は自分より10くらい、体重は20キロほど上で、髪の長さは30センチほど長かった。
真ん中分けの髪の下、狭い額はさながら固い岩場で、そこからびよーんと長く太い鼻の茎が生え垂れ下がっていた。
その先に分厚く赤い二枚の弁からなる花が咲いていて、ほとんど閉じたまんまだったけど、開くと酒とタバコと男と女の臭いがした。
目玉は...目玉はって言うと太い茎の両側にしがみつく一対の南洋の昆虫みたいだった。
背中が深緑色に濡れて光ってるんだけど、そいつときたら人喰い虫で、油断してるといきなり羽ばたき飛びかかってきそうだった。

と、やけに描写が長くなったが、誰かにたとえるなら映画監督のエミール・クストリッツァと原田芳雄を足したのにイギー・ポップをかけてミッキー・ロークで割ったような風貌だった。
とにかくまあ、このように尋常ならざるたずまいであったので、最初のうちはできるだけ近づかないようにしていた。

けど、それはシラフの時で、酔っちゃったら当然のごとく恐れよりか好奇心が勝る。
いつのまにか話を交わすようになった。
(とはいってもつたないフランス語で、あいさつに毛の生えたくらいの短い会話だったんだけど)

ちょっとばかし親しくなるとラルフは、すさまじく存在感があると同時に、そこに存在していない様でもあった。
なんとなく仕方なく、他に行くとこがないのでそこにいるという感じだ。
何やってても話してても真剣な感じがしなくって、同じホールで働くグラマー美人の彼女にしても、周りで一番いかしてるから、それじゃあそばに置いとこうかっていう風だった。
まあ、そんな所在無さげな、「この人いったい何考えてんだろう?」ってとこが彼の一番の魅力といえばいえた。

さて、フランスにはずいぶんむかしからLOTOという宝くじがある。
ある日アパートにもどると、奥から同居人が「ねえ、聞いてよー」と叫んでやってきた。
ラルフが”大当たり”を出したんだそうだ。

「おおそりゃあ、よかった」と軽くよろこんでたら、たいへん驚いたことに日本円にして1億円近くの金額だった。
来週末、セーヌに浮かぶ船を貸し切ってお祝いパーティを開くという。

パーティはドイツから呼び寄せた親戚や友人知人いりみだれ大盛況だった。
彼の母親が、「息子は辛抱してまじめに働いてきたのでその酬いがあったのだ」と泣いて挨拶したのが、失礼だけどおかしかった。
乾杯の音頭はラルフの兄ちゃんがとった。
紹介されて前に出てきたら何度かテレビで見たことあるお笑い芸人だったのでびっくりした。
実兄というのにぜんぜん似てなくて、わずかに残った後髪だけをポニーテールにした禿頭の下の顔は、古くなって捨てられた風呂場のマットみたいだった。
「いつ何時、彼らの面貌に違いが出始めたんだろう...?」
幼少の頃の二人並んだ写真を見てみたいなぁ、とそう強く思った。

そのあと高いシャンパン飲んでいい気分でいたら、日本の歌をと請われたので 「À bout de souffle!」と叫んで、ジュリーの「勝手にしやがれ」を歌った。
 
彼は、バーの仕事はとっととやめ、けっこう山盛りになっていた借金をさらっと返して、彼女にシャネルやヴィトンをどっさり贈って、ドイツの実家にまとまった送金して、おっきなメルセデスを手に入れた。
そうして最後にホンダのバイクを2台買い、バイクレースのチームをつくった。(知らなかったけど、かつてレーサーだったのだ!)
それで、「ははん、彼のほんとの居場所というのはサーキットを疾走するオートバイの背中だったのだな。」とひとり合点した。

それまで彼が乗ってたおんぼろフィアットは、ぼくがもらいうけることになった。
パリ市中を颯爽と駆け抜ける己が姿を想像し、うきうきとなった。
車をとりに行くと、彼らの郊外のうちは小さくみすぼらしかった。
大金あるんだからもっといいとこに引っ越せばいいのにさ、と思いながら中に入ると、金持ち連中がホテルの大部屋貸し切って乱痴気騒ぎやったみたいな散らかりようだった。
ソファーにふたつも女物のちっちゃな下着が脱ぎ捨てられててどきりとした。

車は、エンジンかけるにも、クラッチ踏むのでも、なんでもかんでもひとくせあって、そりゃあ運転しにくかった。
(今でさえ、ギアチェンジする時のコキンコキンしたシフトノブの感触が右手にしっかり残ってる)
しかも不慣れな左側走行でパリジャンの運転は傍若無人、さらには、車で出たはいいものの駐車する場所をさがすのに一苦労した。
(パリやベルギーではたいていが車は路上駐車)

車がないときは、行きたい時どこへでも地下鉄乗り継ぎささっと行って帰って来れたのが、ガソリン高いし、渋滞あるし、車持ったばかりに気苦労が多くなってしまった。
それで、だんだんと通りに置きっぱなしにして乗らなくなった。
廃車にしたり、貰い手さがすのは、ああ面倒だよなあと思ってたら、ある日駐車しといた場所に行って見るとそこには別の車が停めてあった。
ありがたいことに誰かが盗んでくれたのだ。
失って楽になった、よかったなぁと、しみじみ思った。
そしてもう一生、よほどのことがないかぎり車は所有しないことに決めた。

さて、そんなある日のこと、ラルフがディスコにまた舞い戻ってきた。
レースですっかりお金を使い果たしたそうで、何もかもすっからかんになり、またもとのバーテンダー生活に返ったのだ。
(お金、”運用”する道知らなかったのだ、ははは...)
グラマー彼女はというと、彼女はどこかに去って行ってしまっていた。

「よう、ひさしぶり、元気」と話しかけたら「おう、元気元気」と笑って返した。
肩にかかるほどだった髪がすっきり短かくなっていて、初めてその首筋が見えた。
そこだけ妙に線が細く華奢で、金色のうぶ毛がもにょもにょ波打っていた。
とても可愛らしくて、なでてやりたくなった。

いつもみたいにジンリッキーを頼むと、作りながら「ああ、そういえばフィアットどうした?」と聞いてきた。
「道に置いてたら盗まれちまった」って答えると、
「ありゃあー、知ってたらおれのメルセデス一台やるんだったのに、ざんねんだったな」と言うので、ギャハハハ...とふたり大笑いした。


今回の曲
豊田道倫with昆虫キッズ「ゴッホの手紙、オレの手紙」
豊田道倫「ギター」

ふたつとも、てっきり関根勤がふざけて誰かのまねをしてんだろうと思うかもしれませんが、豊田道倫が自分の歌を自分で真剣にうたってます。

azisaka : 21:09

道化師団

2011年11月18日

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三年くらい前のこと、初夏の陽光降り注ぐ五月の長崎を飛びたち数年ぶりにベルギーへ舞い戻った。
降り立つとそこは案の定、まだ冬で灰色で寒かった。
天気がもうちょっとましであれば十年でも住めたものを、絵を描く者にとって光のとぼしい国はつらい。
当時は三年暮らすのがやっとだった。

着いて二日目、友人に誘われるまま馴染みのない行き先の路面電車に乗った。
ガタンゴトンという心地よい調べに身をゆだねてると、時差ぼけもあって、いったいここが長崎なのかブリュッセルなのかわからなくなってくる。
 
しかし、心地よくまどろんでる身体をつつかれ開いた目に映ったものは、三菱の造船所ではなく、シトロエンの自動車工場だった。
いつのまにか北部の工業地帯のはじっこまで来ていたのだ。

埃っぽい通りをいくつか越え、連れていかれたところは大型トラックが百台も詰まりそうな大倉庫だった。
入ると真ん中に青紫の大きなテントが張ってある。
 
ベルギーにはフランスの名高いNGO団体「国境なき医師団」の着想を模した「国境なき道化師団」というのがある。
今日はそのブリュッセルでの公演日なのだ。
彼らはこうやって”豊かな国”で稼いだ資金を元手に世界各地の”貧しい国”へと赴き、道化や手品を無料奉仕する。
医師は医療を、道化師は笑いや感動を、彼の地の人々に届けるのだ。

テントの周りでは入場を待つ人々が飲み物片手に談笑している。
みんな顔見知りみたいで和気あいあいとした雰囲気だ。
よく見ると集まって来た人たちには何とはなしに共通性があるように思える。
ヴィトンさげて香水臭い金持ち連中がいない代わり、目つきがするどく汗臭い貧乏人もいない。
白人が多くて、有色はぼくもふくめわずか。
一言でいうとエコロジストとかニューヒッピーとかそんな風に呼ぶのだろうか...
さっきからこちらに微笑みかけてるマダムなど、当の男の好物が鯨だと知ると金切り声をあげそうだ。

開演時間がせまり入場して席に着こうとしてしていたら、いきなり大きく重たい声で「ノン!ムッシュ!」と注意された。

何の事やら訳がわかんなかったが、どうやら神聖な場を踏みにじってしまったらしい。
それとは知らず、舞台代わりに敷かれたシートの上を歩いていたのだ。

「あんな真顔で怒らんでもいいのになあ...」
と思いながら腰掛けるとまもなく暗くなり拍手喝采。
スポットライトに照らされて大柄で銀の長髪、五十歳半ばの団長とおぼしき人物が出て来た。
パイロットみたいな耳掛けマイクをつけている。
ゆっくりと180度、18秒くらいかけて客席を見渡した後、両手を天に高らかに広げた。
そうして「我々は国境なき道化師団!」と自分らを紹介した。

非常に誇らしげだった。

そのあと長い挨拶が続いた。
やっと終わって、さあ演目が始まると思ったいたら垂れ幕が下りてきて、途上国で彼らとたわむれる子供たちの映像が流れ始めた。
一組の男女が現れ、それを背に団の歴史や活動内容、見せ物の普遍性とかについて熱っぽく語った。

彼らが退いた後、ガラスの玉をもった男の人がでてきて、その玉を操る芸をした。
ガラス玉は男の手から手へ、背中から足に、頭上に宙へと動き回り、まるで生きているようだった。
すばらしい芸で、その後の出し物に期待がもてた。

二番目に登場の三つ編みの女の人はフラフープを上手にまわしてみせた。

三番目の二人の道化師はコミックショーをやった。

帽子をつかって芸をする人や風船手品のムッシュも出てきた。

そのどれについても会場は驚くほど湧いていたが、ガラス玉以外はぼくにとってはあんまし面白くなく、見続けるのがしんどかった。

休憩がはいったので眠気覚ましに外へ出て倉庫の周りを散歩した。
そこは場所柄、移民や低所得者の居住地で、アラブやアフリカからやって来た人がカフェのテラスや歩道にたむろしていた。
すっかり暗くなっていたんだけれど、子供らも通りのあちこちでおしゃべりしたり、街灯の明かりでボール遊びしたりしている。

ふつうの家を開け放しただけみたいなカフェに入ってビールを注文した。
ぼく以外はみんなアラブ人だった。
傍らの男の足が臭いし、ざわざわ話し声がするんだけれど、なぜだか落ち着いた。
入り口のとこに、ついさっきまで見ていた公演のポスターが無造作に貼られている。

休憩の終わりを告げる友人からの電話が鳴るまで、グラス片手にぼおっとしていた。
ぼおっとしながら、「私は他人(ひと)のために良い事をしてる」と胸を張っている人を見るというのは、あんまし気分がよくないものだなあ、と思った。

今回の曲
asa feat.NOBU & RUMI「白地図」

まだベルギーに住んでた6年前くらい、友達から「ECDが絶賛してる若いラッパーがいる」というので取り寄せて聞いたのがRUMIの「Hell Me TIGHT」というCDだった。
ヒップホップなんてなじみがなく、ほとんど聞いた事なかったんだけど、これはとっても良かった。
それで、生まれてはじめてファンレター(メールだけど)というものをだした。
そしたら数日して、RUMIさんから丁寧で飾らぬ、すてきなお礼の返事をもらった。

雪の降る季節のことで、こころがポカポカになりうれしかった。

azisaka : 00:19

金物屋さん

2011年11月01日

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長崎に住んでた3年くらい前のある日のこと、近くの画材屋さんで幸いにも、棚卸しのキャンバスを安く大量に譲ってもらった。
いえーい、よほほいとうかれつつ、よく見るとしかし裏面、布地のとこがみんなめくれてる。
それで、それを固定するための釘を買い求めようと数件先の金物屋に立ち寄った。

木造二階建てで日本が鎖国してた時代からあるような古い店だ。
入ると中はまるで金物でできた雑木林みたいだった。
四方八方から、柄杓(ひしゃく)や鎌やじょうろなんかが樹の枝みたいに突き出している。
中には錆びたものや袋がすっかり色褪せ文字が読めぬものもあり、果たして売ってるのかどうかさえ定かではない。
店は開いてるが商いしてる様子はないし、客が入ってきたというのに人の気配もない。
それでさっさと立ち去ろうとすると、金もの薮の中からぬっと黒い影がでてきた。
イタチかなにかと思ったら、くしゃくしゃで血色の悪いちっちゃなおじいさんだった。

「何かおさがしですか」とうつむいたまま顔も見ず細くかすれた声で聞くので、”小さな釘”だと答えた。
三秒半くらい反応がなかったので、もう一度言おうとしたら、「釘はこっちですばい」と言ってそろそろと歩き出した。
ついてくと奥の暗がりに傾いた棚があり、釘の入ったとおぼしき箱が無造作に並んでいる。
じいさんはよろよろ危なっかしげに箱を取り出すと、何通りか見せてくれた。
一番小さなものを選んだ。

勘定をすませようとした時、「こがん細(こま)かとば何に使うとですか?」とぼそぼそ独り言のように聞くので、手に提げてた袋の中のキャンバスを見せて説明した。

話し終わらぬうち、
「はあ、絵描きさんですかっ!」
いきなり大きな声を出すのでびっくりした。

見るとじいさん、マンガみたい、瞳に星がきらめいている。
そして口の中で三連水車が回ってるような、かたかたせわしい且つじんわりのどかな感じで話し始めた。

彼には生まれた時からずっといっしょに暮らす今春高三になる孫がひとりいるのだという。
その孫というのが、絵描きになるべく芸大をめざしているのだが、親をはじめ周囲はみんな反対してるのだそうだ。

けれども、自分だけは彼にはなかなか才能があると思っている。(なんとなれば、長年金物屋をやっており職人さんをたくさん見てきてるので、他人より少しばかり見る目がある)

それで、ひそかに(「見ての通りのおいぼれなので、大きな声じゃあ言えんですもんなぁ...」)彼のことを応援しているのだが、どうにもこうにも心配でならない。

とまあこんな訳なので、ひとつ兄さんあんたに、彼にはたして才能があるのかどうか見てもらいたいという。

唐突にそう言われて困ってしまったが、客が絵描きだと知るや、よぼよぼじいさんだったのが磨いた金(かな)だらいみたいにピカピカ生気をみなぎらせてにじり寄って来る。
それに圧倒されてしまった。
「たいした絵を描いてるわけじゃないですが、ぼくでよかったら」と生返事をした。
すると「しろうと絵描きは、そがんいっぱいカンバスは買わん!」といいながらさっさと店の奥に手招きをした。
住居に連なっているらしい。

じいさんの後について上がった家は古い町家で、中は昼なのに薄暗く、廊下だけが黒く鈍く光っていた。
そして、良いとも悪いともいえぬ、ただ単に懐かしい香りがした。
変なとこに段や出っ張りがあるのでそろりそろり注意しながら進んでいくと、暗闇をついて出てきたのは、別の世界だった。

本棚にはコミックと、けばけばしい色のミニチュアやプラモデル。
床には足の踏み場がないくらい雑誌やゲームソフトが散乱し、壁には知らないサッカー選手とアイドルのポスター。
汗と芳香剤の混じったいやな臭い。
絵に描いたような男若者の住処(すみか)だ。

「高校生の部屋に入るのって何年振りやろう,,,」その空間のあちこちからたちこめる青っぽさに頭がくらくらした。
くらくらしてると「これですばい」といって、最近美術教室でやったという石膏デッサンやクロッキーを取り出しぐいと差し出した。

ゆっくり丁寧に見ていく。

途中顔を上げると、少し離れたとこでじいさん正座している。
見て、はっとなった。
小さな身体のあちらこちらから、ここ十五年ばかりは奥に引っ込んでいたと思わしき”そわそわ”だとか”ドキドキ”といった感情が湧いて出て
うねって、じいちゃんを微かに震わしている。

ひととおり見終わった。
部屋の様子からして「じいさんにゃあ悪いがダメだコイツは..」と予想してたのとはうらはらに、どう見ても、ぼくなんかより上手だった。
びっくりした。

それで、そのように感じたままを告げた。
神妙に聞いてたじいさんは話しが終わるやいなや、一回大きく頭を垂れた。
”事切れたのかっ”って思うくらい見事な垂れ様だったので一瞬たじろいだ。
けれどすぐにその後、ひょっこり顔を上げ隙っ歯で微笑んだ。

そうして、「そうですかそうですか、ほお、そうですか、ほお、ほお、そがんですか...」と言いながら何度もうなずいていた。

青臭い部屋を出て、かび臭い暗闇を通り、錆くれた金物屋に裏の方からたどり着いて靴をはいた。
紐を結んでると、先に草履つっかけてニコニコ逆光の中突っ立ってたじいさんが「何かいっちょ持って行かんね」と松鶴家千とせみたいな身振りで言った。
(ここんとこ、わかりづらくてすまん)
はじめ何のことやらちんぷんかんぷんだったが、どうやら店のものを何かひとつプレゼントしたいらしい。
せっかくなんで、「じゃあ、これ」と言ってレジ近くにかけてあった灯油入れポンプを指差した。
すると、「千円くらいんとにしとかんね!」とどこか得意気にいった。
それで、金色の中くらいのヤカンをもらって帰った。

それから3年。
毎年季節が寒くなると仕事の合間、そのヤカンで湯をわかし、お茶を飲む。

お茶の熱さが、孫を語る時のじいさんの顔の火照(ほて)りを思い出させる。

情愛というものが自然に溢れ出てくる美しい様子がよみがえる。


今回の曲
Michael Nyman「Molly」

今の時期、お茶飲みながらM・ウィンターボトムの映画「ひかりのまち」のサントラを聞いてると、切なくなると同時になにやら不思議とやる気が湧いてくる。
あの映画はいい映画やった。
ときどきふっと、しとしと雨の寒い夜バスに乗る、そのためだけにロンドンに行きたくなる。

azisaka : 22:35

お知らせ

2011年10月26日

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今暮らしてる福岡市は東区の箱崎で現代音楽の催し物があります。
今回は二回めでエリック・サティの特集です。
ご都合よければ皆さんぜひいらしてください。
詳しくは以下のサイトをごらんください。

第二回筥崎千年現代音楽祭

サティといえば、6年前、福岡は天神のイタリア会館で個展をやった時のことを思い出す。
そのとき会場でずっとかけてたのが、現代版サティなんていわれたりするゴンザレスのCDだった。
名前も容姿も全然似てないんだけど...

Gonzales 「Gogol」

azisaka : 12:30

野球と水泳

2011年10月22日

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今回、ちょっと身上話ですみません。
 
幼い頃から祭り事が苦手で、文化祭や運動会が近づくと暗澹となった。
カウントダウンなどのイヴェントの類いも可能な限り避けつづけた。
ものづくりもスポーツも好きだが、みんなでやるとなると、とたんに楽しめなくなるのだ。
他人と同調したいという気持ちは人一倍強いと思うのだが、いざ隣の人間が自分ととおんなじ身振り手振りをしてるとなると、身体がそうするのを拒もうとする。

高校生になったとき、中学まで(皆がやるので)しぶしぶぎくしゃくやっていたソフトボールとおさらばして、部員わずかな水泳部に入った。
独りばしゃんと飛び込んで自由気ままにスイスイ泳ぐのがほんとうに気持ちよかった。

さて、数年前まだ長崎に住んでた時分のはなしだ。
友人に会うためひさしぶりに福岡へ行った。

日曜の天神(福岡の繁華街)は、まるでお祭りみたいな人混みだった。
やっとこさ約束場所に着いて、ほっと一息ついてると、携帯が鳴った。
友人、急用で2時間ほど遅れるという。
な、なんてこったい...

私事で恐縮だが、こんな風に少々まとまった時間が空いたら、どこであろうと迷わずプールへ行くことにしている。
それでたいてい遠出するときには、携帯の電話は忘れても水泳道具一式は携帯している。
東京でもパリでもバリでもウランバートルでもそうしてる。
(ウランバートルにはいったことないけど)
が、うかつにも今日に限って持って来てない。
それで、一式、新たに購入することにした。
知り合いが、天神の地下街に水泳用具の専門店ができたと言っていたのを思い出した。
案内板を頼りに、その店へと向かった。

わけなく着いた。
「ど、どひゃあああーっ」
着いたはいいが、びっくり仰天、小さなその店内や店のまわり、めっちゃくちゃな人だかりだ。

「ぬ、ぬぁんだあ、この大勢さんは....!」
バーゲンにしてもこの数は尋常ではない...
「あああ..なんと!」
見ると、店内奥の壁とショウウインドウの横に大きな画面があって、WBCの決勝戦、日本対キューバの9回裏が放送されている。
集まった100人くらいの人たちはみんな、日本のピッチャーがストライクとるたび一斉に大歓声だ。

「いつだっておれは”お祭りさわぎ”に行動をじゃまされる」
と、頭(こうべ)を垂れ苦笑いした。
 
野球がほんとうに好きなら、街に出てこないで、家でしっかり正座して気合いを入れて見ればいい。
あるいは、野球にあんまし興味がなくて、天神にショッピングに来てんのなら、買い物だけに集中すればいい。
この、中途半端な烏合の衆は一体なんなのだろう?と思った。
 
思ったが、そんなこと憤ってても時間がもったいないので、店内に押し入った。
人垣かき分け前進する。
場の空気を乱す乱入者に、ひとびとは眉をしかめる...

やっとこさどうにか男水着のコーナーにたどりついた。

が、あろうことかその場所は、ちょうど、野球中継映像の真下だった。
テレビ画面の下、それと同じ幅のハンガーラックがあって、そこにずらりメンズスイムウェアーが並んでいる。

何が悲しくて、100人の視線にさらされながら海パンを選ばなくてはならないんだろう...
しかも、「あー、見えなーい!」とか、「何ーっ、あの人ーっ!」とか、「ありゃあ、あの人イチローに似とらんかい?(時々何でか年寄りにだけそう云われる)」とか、罵声みたいなもの浴びながら、だ。

もちろん、(と、いうまでもなく、もちろん)その時買い物してるのはおれひとり。
一体全体どういうわけで、水泳道具屋さんで水泳道具を買う人間が、水泳道具屋で野球見てる人間にその行動をじゃまをされなければならないんだろう。

こっちはただ単に水着買って泳ぎに行きたいだけなのに...
 
そうぼやきながらも、くじけてはならんと吟味して、やっと自分サイズの素敵な柄を見つけた。
「うむ、これでよし」

と、ちょうどその時、ワアアアアアッと大歓声、続けてすっごい大拍手。
日本が勝ったらしい...

その時点で、「だめだ、これは」と、水着を買うのはあきらめることにした。
この轟々ざわめく人だかりの中から店員をさがしてたら、泳ぐ前からへたばってしまう。
運良く店員見つけたとしても「何だいあんたは!この感動をじゃまするなよ」と、迷惑がられるだけだろう。
抱き合ったり小躍りして、喜びを分かち合ってる人たちの波間をなんとか泳ぎきって店を脱出した。

そう、
もちろん誰がどう見ても、こんなとき水着買う男のほうが異常だ。
偏り屈折してんのはこちらのほうである。
それはよくわかる。

そりゃあ、自分の生まれ育った国のひとたちが活躍すんのはうれしい。
そして、その活躍に目を細める同胞達の姿を見るのも、きもちがいい。
でもそれがいったん、大勢で大声になったとたん、(心はいっしょに抱き合うことを欲していようと)
身体がどうしても彼から離れようとする。

クリスマスの晩に図書館で古今和歌集読みふけってたり、空港到着ロビーにダライ・ラマ出てくるのを尻目に、売店で土産物熱心に選んでたり、戦時中、敵国の音楽夢中に聞いてたりするひとたちなんかとも、ちょっぴり人間の質が似通っているのかもしんない。

「そら、あんた単なるあまのじゃくやろう!」
まあ、簡単に言うとそうかもしれない。
けど、繰り返すけど決して好き好んでそうあるわけではない。
そんな質(たち)なのだから仕方がないのだ。

小学校の3、4年の時だったろうか、部屋でマンガを読んでいた。
とっても面白くって夢中でページをめくっていた。
と、母が庭の方からおっきな声で呼ぶので、しょうがなくマンガ置いて出て行ってみた。
指差す方を見ると眼下の街の一角、もうもうと黒い煙が立っている。
「こうじ、火事よ!」
「うん...」
「なかな大きかよ!」
「うん...大きかねえ...」
そう言うと、とっとと部屋へもどってまたさっきの続きを読みはじめた。
そしたら母がすごい剣幕でやってきて、
「あんたーっ、なにたらたらやっとっとね、火事があっとるとよ!さっさと見に行かんねーっ!」
とどなった。

とっても、びっくりした。
(まあ母が声を荒げたのにはいろんな理由があったのだろうが...)

それで、「こういう時」には、きちんとおろおろやあたふたやそわそわをしなくちゃならないんだ、っていうのを学んだ。
以来、見せかけだけはできるだけ周りと歩調を合わせるようにこころがけている。

けど、もちろんそれは見せかけだけで、悲しいかな持って生まれた中身は変わろうはずがない。
あまのじゃくチックな難儀な性質は今もそのままつづいている。
それでけっこうしんどいことも時にはある。

でも一方、そのおかげで(おそらくは)人よりちょっとだけうまく絵が描け、こうしてどうにか生計をたてることができているのではなかろうかとも思う。

先日、個展やったとき取材を受けた。
インタビュアーの人から「あなたの絵は何が描いてあっても、見る人を突き放すような感じがしない」
と言われた。
「ああ。そうなのか」とたいへんうれしかった。
人と繋がりたい(でもうまくできない)という心が、無意識のうちに手からカンバスの上にこぼれ落ち、絵を比較的親密なものにするのかもしれない。なぁ、とそうと思った。


さて、ここで気っ風のいい詩をひとつ。

 富岡多恵子 「身上話」

 おやじもおふくろも
 とりあげばあさんも
 予想屋という予想屋は
 みんな男の子だと賭けたので
 どうしても女の子として胞衣をやぶった
 
 すると
 みんなが残念がったので
 男の子になってやった
 すると
 みんながほめてくれたので
 女の子になってやった
 すると
 みんながいじめるので
 男の子になってやった
 
 年頃になって
 恋人が男の子なので
 仕方なく女の子になった
 すると
 恋人の他のみんなが
 女の子になったというので
 恋人の他のものには
 男の子になってやった
 恋人にも残念なので
 男の子になったら
 一緒に寝ないというので
 女の子になってやった

 そのうち幾世紀かが済んでしまった
 今度は
 貧乏人が血の革命を起して
 一片のパンだけで支配されていた
 そこで中世の教会になった
 愛だ愛だと
 古着とおにぎりを横丁にくばって歩いた

 そのうち幾世紀かが済んでしまった
 今度は
 神の国が来たと
 金持と貧乏人が大の仲良しになっていた
 そこで
 自家用のヘリコプターでアジビラをまいた

 そのうちに幾世紀かが済んでしまった
 今度は
 血の革命家連中が
 さびた十字架にひざまずいていた
 無秩序の中に秩序の火がみえた
 そこで
 穴ぐらの飲み屋で
 バイロンやミュッセや
 ヴィヨンやボードレールや
 ヘミングウェイや黒ズボンの少女達と
 カルタをしたり飲んだり
 東洋の日本という国の
 かの国独特のリベルタンとかについて
 しみじみ議論した
 そして
 専ら愛の同時性とかについて
 茶化し合った

 おやじもおふくろも
 とりあげばあさんも
 みんな神童だというので
 低能児であった
 馬鹿者だというので
 インテリとなり後の方に住家をつくった
 体力をもてあましていた

 後の方のインテリという
 評判が高くなると
 前に出て歩き出した
 その歩道は
 おやじとおふくろの歩道だった
 あまのじゃくは当惑した
 あまのじゃくの名誉にかけて煩悶した
 そこで
 立派な女の子になってやった
 恋人には男の子になり
 文句を言わせなかった
  


azisaka : 21:19

インディア・ソング

2011年10月18日

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5年くらい前のこと、パリはサン・マルタン運河、北ホテルのはす向かいにある本屋さん付属のギャラリー(みたいなとこ)で個展をした。
30枚弱展示して7枚が売れた。買った人のほとんどが通りすがりの人だった。
けっして安い買い物というわけでないのに、展示場所がどこであろうが、知らぬ名前だろうが、気に入った作品は買い求める、っていうパリジャンのあり方にちょっと驚いた。
(一枚でも引き取り手が現れりゃあ幸いだと思ってた)

残った絵は、たたみ3分の2畳くらいある四角い布カバンに詰め込んで日本へ持ってかえることにした。
飛び立つ前日、レピュブリック広場の裏手の小さな安ホテルのベッドの上、四苦八苦してどうにか荷造りを終えた。

翌朝、パリとは思えないほど異様に蒸し暑い中、ゴロゴロでかい荷物を引いて駅へと向かって歩きはじめた。
すると間もなく雷鳴とどろき、すごい勢いで雨が降ってきた。
それで電車をあきらめ、仕方なく空港までタクシーで行くことにした。

パリでタクシーをひろうのは難しい。
雨ならなおさらだ。
身体をはってでも止めてやるぜと覚悟を決めた。

が、手をあげてると、ほどなくするするっと一台やってきてとまってくれた。
なんという幸い。
降りてきてトランク開けてくれた車の運転手は短パンに草履、野球帽を斜にかぶった小さな男だった。
同じ顔つきと肌の色、東洋人だ。

どしゃぶりが呼び寄せたのだろうか... 
豪雨が町並みを消し去った車の中、バタバタと激しく屋根を打つ音を聞いてると、サイゴンかどっかで人力車に乗ってるような気がした。

走り出してすぐに、強くなまったフランス語が前方から聞こえてきた。
この湿り気に似つかわしい、インドシナ半島らへんのなまりだ。
彼はヴェトナム人だった...  

パリへは知人を頼って十年前に来たらしい。
半年経ったころ同胞の集まりでラオスの娘と出会い、3カ月後には結婚した。
着いてしばらくはフランス語もままならず、さりとて語学学校へ行く余裕もなく、とても苦労したそうだ。

中華料理店で働きながらタクシー運転手をめざしたが、教官が何をいってるのかわからない上、無数にある通りの名を覚えきれず、何回も試験に落っこちた。

それでもやっとこさ受かり、仕事をはじめたけど、最初の3年くらいは道を聞き違えたり迷ったりと苦い経験がつづいた。

ぼくが同じアジアの人間だということだったのであろうが、彼のおしゃべりの主題はずっと、「フランス人はバカだ」というものだった。

よほど日々、腹に据えかねることがあるのだろう、空港に着くまでの一時間あまり、これ幸いと一方的にまくしたてた。
こちらはこちらで、程度の差あれ似たような印象もってたので、「うん、うん、そうそう、その通り!」と、相づちを打ちつづけた。

曰く、
あいつらはろくに身体動かさず口先ばかり達者なだけでたくさん稼いでる。
外見だけで人を判断するんで、短パンはいたアジア人なんて犬っころ同様の扱いだ。
道徳ってものがまったくなくって、小学生でタバコを吸い、人前で抱き合い、親を全然大切にしない。
慎み深さが皆無で、自己主張ばかり、常に自分が大将だ。

しかし、おれたちアジアの人間は違う。
慎み深く勤勉で親孝行、人間の本質を見る目をもっている。

実際彼は、仕事以外、フランス人と接することはほとんどないようだった。
家では母国語で会話し、友人もみな同郷のものたちだ。
「もし、自分の国で仕事があり、家族を養って生きていけるのであれば、こんなとこにいる必要などこれっぽっちもないのだが」としみじみ言った。  

どしゃぶりの高速道路。時に身振り手振り、時にふり返りながら話すので、ひじょうに危なっかしかった。
幾度もひやっとした。
けれどそのスピードと大声とはうらはらに、車内は奇妙な親密さで満たされていて、「いっしょに死ぬ相手としては、そう悪いほうではないよなあ」などと思ったりした。

そうこうしていると空港が見えてきた。
すると最後、ふと我に返るように彼がぽつんとつぶやいた。

「でもフランスは何だかんだいっても大したものだ...だって外国人に仕事を与えてくれる。」
「おれたち望んでも、日本では働けないもの...」

Jeanne Moreau 「India Song」

azisaka : 20:50

ペンネーム

2011年10月12日

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高校時代、在籍してた水泳部は弱小で部員も少なく、一つ上の先輩は男女各1名だけだった。
女の先輩は器量も性格も部に不釣り合いなほど良かったが、一方、主将である男の方は、姿はずんぐりむっくり、性格は妙ちくりんだった。
みんなブランド物のスニーカーなのに彼だけ購買部で買った運動靴(しかもマジックで自分の名前を書いていた)で、校則通りのストレートズボンを履き、頭は丸坊主だった。

そんな風に我が道を行くひとであったが、その反映かいつも虚勢をはっていた。
”潜水で50m泳ぐのは困難”と誰かが言えば、精一杯無理してそれをやって見せ、ぜえぜえ言いながらも”あーん、調子良かったらまだあと25mはいけるばい!”とうそぶき、世界文学の有名どころはほとんど読んだと豪語し、どう見ても童貞なのに”女というものはなぁ”とどこかで読んだ性的な話を後輩に得意げに語った。
まったくもって自分を飾ること能わざるの、愚朴で、野っ原の土塊みたいな人間だった。

ある日のこと部員の誰かが、まったくの冗談で「先輩たち2人はつきあってるんですか?」と彼に聞いた。
真に受けた彼は赤面してうつむくと、「ははははは、おまえらにゃあそう見えるかもしれんが、俺たちは何もなかとばい」と甲高く言いいながら、額の上で何回も手を振った。
女の先輩にいかした彼氏がいることを学校中で彼だけが知らなかった。
 
高総体が終わり、2人の先輩の送別会が顧問の先生の下宿で行われた。
ワイン(その先生が葡萄酒党だったので)がたくさんでた。
先輩は「俺はいつも親父の焼酎ばくすねて飲みよっけん、これなんかジュースのごたる」といいながら注がれるまま(そうじゃなけりゃあ自分で勝手に注いで)ごくごく飲んでた。
そうしてみんなチェッカーズだとか松田聖子のはずんだ歌なのに、彼だけが長渕剛の誰も知らない暗い曲(”堕ちてきた~堕ちてきた~”っていうやつ)を絶唱した。
 
夜が暮れ宴の終わり、最後に別れのエールをすることになった。
部員全員で肩を組み円陣をつくり、最初に主将の彼が「佐南(佐世保南高校の略)ーっ!」と叫んだ後、「ファイト!」「オーッ!」と全員で叫ぶのだ。

広間の畳の上、真ん中に円陣を組んだ。
みんな感無量で涙目だ。
先輩がひとりずつゆっくりと皆の顔を見回す。
そして一回、目を強く閉じると一転カッと見開き、「じゃあいくぞおまえら」と静かに言った。
つづいて、どでかい声で「佐、南~!」

ゲボゲボゲボボボボボーッ...
 
彼は叫ぶと同時に円陣の真ん中、畳の上に今まで飲み食いしたものを全部吐いてしまった。

酔った眼に、それはスローモーションで落ちてくる無数のガラス玉に見えた。
キラキラと輝いて、ほんとうにきれいだった。

彼は高校3年間の虚勢を全部そこに吐き出したのだった。
気付くと女子部員たちが汚物を手ですくっていた。

この先輩の名がアジサカである。
ぼくの本名は別にある。
イラストレーターとして食べていこうと思った時、この彼の名をつかうことにした。

azisaka : 07:14

お知らせ

2011年10月03日

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イラスト描いてる友達が古いマンションの一室でひそやかにギャラリーをやっています。
今週末からちょっとの間そこで行われる企画展に参加することになりました。
期間は2011年10月8日(土)~23日(日)で、
期間中の土日月曜日開催です。

「少女採集」(ちょっとどきっとしますけど)というテーマということで、そんな感じがしないでもない絵を6枚展示販売いたします。
どんなんかといいますと、上に添付したみたいなもので、サイズはすべてF4(33X24)です。

さて、アンニュイな少女の絵ばかり描いてるそこの主人ですが、作品とはうらはらに、メガネとお笑い好きのひょうきんな女性です。
場所が若干わかりづらいですが、どうぞみなさん気軽に立ち寄ってみてください。

詳細は以下のサイトをご覧ください。

「ギャラリー亜廊」

azisaka : 18:54

まなざし

2011年10月01日

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「あずみ」っていうマンガがある。
主人公の女の子らは生まれた時から人里離れた山奥で共同生活、
忍術や武術、剣術なんかの特訓をひたすら受ける。
そしてしかるべき年齢になったとき山を下り、殺しを命じられるのだが、敵が相当な使い手なのにもかかわらず、あっけなく斬り殺してしまう。
山の中の閉じた世界、その忍術仲間の内においては、獣よりも素早く駆けたり、飛んでくる矢を紙一重でかわしたり、猪を一刀両断にしたりするのは、他のどの仲間でもできるごく普通の当然のことだった。
しかし、そこから一歩出てみたらそれは人間離れした特別な能力で、対する剣客の動きがやたらとのろい。
まるでスローモーションでも見ているようなのだ。
自分の強さはごく当たり前と思っているので、相対した敵の弱さのほどに主人公のあずみはただただあきれ驚いてしまう。そのくだりが面白い。
 
さて、むろん、彼女らなんかとはまるっきり桁が違うのだけれど、ちょっぴり似たような経験がある。
大学に進学し、中国拳法の部活をはじめて間もなくの頃だ。
他の連中はほとんどが武術は未経験だったけど、こちらは中高あわせて5年間、週末だけとはいえ空手の道場に通っていた。
そこではまあ、強くもなけりゃあ、かといって負けてばかりというわけでもない、普通の空手やってる兄ちゃんだった。
しかし、大学の部活ではけっこう強い兄ちゃんになっていたのだ。
寸止めではなくグローブはめて実際に殴っていい、ってのが性に合っていたのかもしれないが、とにかく楽に勝ててしまう。
パンチパーマのケンカでならしたというやつ(なんでこんな輩が国立大学に通るのか不思議だったけど)も、見た目は非常に怖いが、組み手やると突き蹴りはぜんぜんしょぼくって、その弱さ加減にびっくりした。

そんなわけなので、さしてまじめに練習したわけでもないんだけど、最初の大きな大会(つまり新人戦)は一回戦、二回戦と勝ち上がり、いつのまにやら準決勝まで勝ち上っていた。
「ほう、これは優勝するかな...」とちょっとだけ思った。
それで「よっしゃあ」といつになく気合いを入れて試合に臨んだ。
ところが、「おりゃーっ」と放った拳はいとも簡単にかわされ、代わりに見たこともない早さでパンチが飛んできた。
しかも重い。
ズバーン。
なんだあこりゃあ!?いってえーっ、頭ぐらぐらやん、ひゃあ!
と、あっけにとられてるうち、さらにズバーン。
たちまち2本とられあえなく敗退。

後で聞くとそいつは高校時代ボクシングで鳴らした強者だった。
まるっきり格が違ったのだ。
まあ、それでも三位決定戦には勝ち入賞を果たしたので、その後しばらくはクラスや同郷の仲間内ではちょっとしたヒーローだった。

しかし良かったのはそれっきり。
その後ずっと華々しいものはなかった。
せいぜいが小さな大会で2、3回勝ち、準々決勝に進むくらい。
高校までの武道貯金はすぐに使い果たしたし、大学での生活に慣れ夜のバイトをはじめ、練習あんまりまじめにやんなくなったからだ。

さて、そんな風に生きてたら若い3年間なんてのはすぐに過ぎ、大学最後の大きな大会が数ヶ月後に迫ってきた。
するとなぜだか無性に、このまま卒業してしまうのは良くない、という思いが強く湧きあがってきた。
一花咲かせなければ、いろんなものに対して申し訳がたたない。
いろんなものって何やねん?っていうと、かつて通ってた道場の先生や、生んでくれた親や、お天道様とか、そんなもんだ。

その頃、部の実権はとうに後輩に移って半分引退の身であったし、卒論や就職活動で忙しい時期だったので、部活には行っても行かなくてもよかった。
けど、そんなわけ(申し訳がたたぬ身の上)なので他の部員が不思議がる中、毎日真剣に練習した。
部活のない日は自主特訓と謳い裏山を走り込んだ。

”別に誰かに頼まれたわけでもないのに、勝手に自分を追い込み、ただひとつのことだけにひたすら打ち込む”のが非常に心地いい!
ってのはこれはかつてむさぼり読んだスポ根マンガ、とりわけ梶原一騎の強い影響だ。(たぶん)
人生の端々でちょこっとは生活を”ジョー化”しないことには生きているという実感がわかないのだ。

だんだんと、なまってた身体がひきしまり、心身が野性的になってくるのがわかった。

そうこうするうち日は流れ、最後の大会がやってきた。
身体がとっても軽い。
なんにしても同じだと思うんだけど、調子がいい時っていうのは、その実感があまりないもんだ。
つまりうまくやってるときには、うまくやってるというという意識がない。
事に当たって計画だとか戦略だとかをたてる前から身体が勝手に動いて、気がついた時にはすでに事は終わってしまっている。
したがって、自分でやったっていうより、誰かにやってもらったみたいな感じで、充実感はあんまし得られない。
たとえば、ふと顔を上げたら、眼前にいつの間にか素敵な絵が出来あがっていたりとか(時々ある)、はっと気がついたら想っていた女の子が隣で眠っていたりとか
(ほとんどない...)

さて、その時、つまり先ほど話してた大学最後の大きな組み手の大会の時は、すぅーごーっく!調子がよかった。
したがって、(笑っちゃうけど)はっとわれに返ったら決勝戦の舞台に立っていた。
いつの間にやら4、5人に勝っていたというわけだ。
(なんとその中には驚いたことに、その頃負け知らずの現主将の後輩や、よく練習試合やる隣の大学随一の猛者なんかもいた。)

でもって今、対峙してんのは、なんと伝説のあの人だった。
学生時代、無敗の天才として九州中にその名を馳せた人だ。
かつて彼のライバルといわれた人で、うちの部にときどき指導にやってくる、これまた名うてのすさまじく強い先輩がいるのだが、
その先輩といえど、ただの一度も彼に勝てなかった。

今は社会人になってるそんなレジェンドな人が、なんでまたこの大会に出てるのか不思議だったんだけど、彼には彼の理由があったのだろう。
むろん、彼が出場すると決まった時点でその優勝は約束されてんのと同じだった。

さて、伝説の彼の、そのライバルであった先輩とは何度か拳を交えていた。
交えたっていうか、あんまり桁外れに強いので、交える以前にたちまち突き蹴り入れられて完敗した。

そんな先輩より彼は数段強いっていうんだから、あれこれ考えてもまあ無駄なことだろう。
第一、目の前に立つそのたたずまいの、深い森のような静けさが「ここは頭を使うとこではありません」ってこちらに告げているではないか。

頭を閉め、こころをすっかり身体にゆだねる。
”はじめ”のかけ声があがる。
それとともに、すーっと前に出て行く。
気負いなんてものはなく、無防備でふてぶてしいことこの上ない。
皇室に招かれて、やおらパンツ一丁、縁側に寝そべって池のでかい錦鯉見ながらアイス食べ食べマンガ読んでるみたいだ。

スパーン!と伝説男の左の胴、きれいに蹴りがはいった。
さして重くはなく、実践であるならば痛手なんてのはほとんどなかろう...
が、タイミングが良かった。
審判は三人とも即座に旗をあげ、一本となった。
会場はみんなびっくり仰天、すさまじい歓声。

伝説は「あれ?こんなので一本?」と少し眉をあげ、驚いた風な顔をした。
が、それももつかの間、その眉間のとこが、ぴかーんと輝いた。
わあ、本気になったのだ。
すっと、構え直すのだが、ほうとため息をもらすほど、かっちょいい。
今まで実際に対峙したことのある立ち姿の中で、最も美しいものだった。

見とれていたら、左の脇腹のとこが、ちょこっとだけむずっとした。
そのむずっとしたところが、相手の右足をすさまじく大きな吸引力で引き寄せる。
びゅううううううーっ!

ど、す、ん!
それは明らかに、部活で武道やってる学生の蹴りではなく、武道家の蹴りだった。
胴を巻いておらねば、あばらが数本折れていたであろう気がした。

ほわあ、こんな人、こんな世界もあるのだなぁ、とすっかりぼんやり夢心地になった。

そうやってて数十秒たち夢からさめると、伝説の男がさらに一本とって勝ち名乗りをあげているところだった。

閉じてた耳が開き、そこに拍手が鳴り響く。
わあーっ!
拍手はこちらに向けられたものが多いような気がした。
なぜなら、聞いたこともないやつが決勝まで勝ち上がり、さらには伝説の男から、へなちょこ蹴りだとしても一本とったからだ。

と、前置きがずいぶん長くなってしまったが、以上はちょっと格好つけた自慢話で、別にあえて語るほどのことでもない。
語りたかったのは以下のことである。

勝っても顔色一つ変えぬ伝説男と主審に礼をして自分の大学が陣取ってる場所へもどると、拍手と歓声が出迎えてくれた。
ふうと、腰を下ろし気がつくと汗びっしょり。思わず声が漏れた。
「誰かタオル...」
するとすぐさま、斜め前から「押忍!」といってタオルが差し出された。

差し出した男の、その瞳を見てびっくりした...

彼は同じ大学の人間ではない。時々練習試合をする近くの私立大学の2年か3年で、何となく顔を覚えてる程度の目立たぬ存在だ。
その彼が向けるまなざしの質が、それまで経験したことのないものであった。
それが、たいへん好意的なものであるというのはわかった。
しかしそれは、お乳飲ませてくれる母の目でもなければ、チョコレート渡す女の子の眼でも、口づけ交わす恋人の瞳でもなかった。

ああ、これは”尊敬”のまなざしだ!

生まれてはじめて向けられる、「あなたは、ほんとうに立派です、すごいです!」という声明だ。

彼の瞳にはいっさいの曇りなくガラス玉のようにピッカピカで、
ほんとの真心だけから生じる光を放っている。
まったくもって信ずるに値するものなので、その輝きが望むのであれば、たいていの規則は犯すことができるであろうし、己が腕の一本や二本くれてやってもまったく惜しくはないという心地がした。
あるいは、その輝きのエネルギーによってどんなことでもできそうな気がした...

さて、それから二十数年が経つ。
不思議なはなしだが、四年間の大学生活の中でもっとも繰り返し思い出されるのは、というより絶えず身近にあり、ときおり強く感じるのは、
他でもないこの名も知らぬひとりの青年の、一回限りのまなざしだ。

例えば、パリ暮らしの時代、貧しい身なりの黄色いアジア人というので邪険に扱われた時、福岡へ帰ったもののイラスト仕事がなく途方にくれてしまった時、ベルギーに住み始めたけれど人付き合いがいやになり孤立した時、自信をなくし冷えた心を暖めてくれたのは、
他ならぬ彼の瞳に灯るあかり、つまり”こんな自分でもかつて一度はたしかに人に尊敬されたことがある”という経験の小さな輝きであった。

そしてまた、それ以上に驚くべきことには、絵を描きはじめてしばらくしてからは、彼のそのまなざしが、最も信頼のおける批評家となったことだ。
どういうことかというと...

大学出てバイトしながら絵ばっかりひたすら描いてたら、しだいに、他の絵描きのことは気にならなくなってきた。
どのみち自分よりはるかに優れてるので、比べてみたって己のふがいなさに嘆くだけだし、あんまし為にはならないからだ。
さらにはだんだんと他人の評価というのもそれほど大切なものではなくなってきた。

問題は自分だ、他人は関係ない、と思うようになった。
周りがどうであろうと、自分が充分に力を尽くしたと納得したならそれでよい。
そうしてできた作品の横に並べて比較するとするならば、それはただ唯一、自分の過去の作品だ。
今描き上がったものが、昨日描いたものよりもちょっとでも良くなっている、と、そう自分が思えばそれでいいんだ。
(以上、大仰な言い回しで恐縮です。)

ところがしかし、それだけでは、何かが足りない...

”自分”だけではなんだか不十分なのだ。
自分以外の別の何かが”良し”と言ってくれないことには、納得し先へ進むことができない。

その”何か”に、彼のまなざしがなったのである。

つまり、「うむ、今日はけっこういい絵が描けた」と筆を置くとする。
その時、ほんとうに力を尽くし良くやったのであれば必ずや彼が登場し「押忍!」と言ってあのまなざしを向け、タオルを差し出す。
しかし、自分が良くやったと思ってても、実際に(どんな実際かまったく謎だけど...)そうでなけりゃあ、彼は現れない。

このように、自分以外のもので、現実にはいないのにもかかわらず、その行いを、何がしか尊いものとして承認してくれる存在、そんなものに、もはや彼と、その瞳はなっちまったのである。
ひゃあ、びっくりだ...

先に話した最後の大会の時、その時は、誰がどう見たって主人公は準優勝した人間の方で、2回戦かそこらで敗退しタオル差し出した人間の方ではない。
しかし、その後の人生ではなんとすっかり立場は大逆転してしまった。

タオルは、準優勝のことなどすっかり忘れ去ってしまっているだろうが、準優勝にとってタオルは今や、その生活を時に励まし、時に律する、輝けるヒーローみたいな存在となっている。

まったく人の世のしくみというのはちんぷんかんぷんだ。

彼は、映画とか小説とかそいうった芸術作品をつくったわけでもなければ、講演や論文で自説を説いたわけでもない。
もちろん権勢を笠に大きな声で命令したわけではさらさらない。
他人を一度、ほんとうに敬っただけである。

人を動かすには、真心から生じた敬意のまなざしを向ける、ただそれだけで事足りる。

他の人はどうか知らないけど、少なくとも、ぼくの経験はそう物語っている。


と、書いて、けっこう満足して筆を置く。
「押忍!」と言って彼がタオル差し出す。

おお、やったーっ!
でも、彼について書いたものだからなあ、点数が甘いのは当然やもんね...

今回の曲
小川美潮「夜店の男」

パリに暮らしてた頃、ベルヴィルっていう移民街のぼろアパート、中庭挟んだはす向かいの住人はファンキー野郎だった。
しょっちゅうバカでかい音で、J.Bやスライやパーラメントを聞いていた。
それに対抗して負けじと大音量で聞いてたのが、ちょうどその頃友人に送ってもらった小川美潮のCDです。
パリを舞台に日米戦!(笑)
なので、この曲聞くと、なんでか屋根裏の窓からほんのすこし見えるモンマルトルの丘のことを思い出す。
彼女の歌声はあの街の長い夕暮れによく似合ってた。

azisaka : 22:44

お知らせ

2011年09月27日

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みなさん、こんにちは。
先週末、夏の個展が終了いたしました。
お越しいただいた方々、手助けしてくださった方々、ほんとうにありがとうございました。
けっこう評判がよかったので、今回展示の作品に3、40枚ほど関連した小さな作品を加え、
一年後くらいに東京あたりで個展が開ければいいなあと思っています。

ところで今週の金曜日、一日だけですが、福岡は天神にありますソラリア一階のゼファという
会場でおこなわれるグループ展に参加いたします。
先の個展の間に描いたF30号のアクリル画の新作(上に添付した画像のやつです)を一点だけですが展示いたします。
合わせて、このアクリル画とおなじモチーフをPCイラストで描いたものをプリントしたオリジナルTシャツの販売もする予定です。
SとXSの2サイズ、色はホットピンク、サムライブルー、杢グレーの3色です。
なかなかいかした感じで、秋の澄んだ空にお似合いです。

もしその日たまたまお近くにお越しの際には、ふらり寄ってみてください。

azisaka : 13:19

絵箱店終了等のお知らせ

2011年09月04日

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みなさん、こんにちは。
去年の秋より一年と期間を定めてやってまいりました絵箱店ですが、その一年が過ぎましたので先日、お店を閉じました。

わざわざお越しいただいた方、さらにはお買い上げいただいた方、ほんとうにありがとうございました。

たまたま作り始めた絵箱ですが、やってるとけっこう楽しいので、お店はなくなりましたがこれからもぼちぼち作り続けていくつもりです。
とりあえずは今残ってるものに新作を付け加え、30点くらいにして冬くらいにどこかで出張絵箱店を開ければいいなと考えています。
そんなわけですので「おいらの町にも来ておくんなよう!」「私の島にもおいでくださいな」とちょっとでもお思いの方は気が向いたらメールください。

一方、現在開催中の新作絵画の個展についてですが、展示作品を素材としたトートバックやTシャツ、ポストカードや缶バッジなどの販売もおこなっています。
意外と素敵ですのでここはひとつ奮発して一式揃えてみてはいかがでしょう。

と、手前勝手な連絡のみの文章ですみません。

azisaka : 13:55

個展のお知らせ

2011年06月28日

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「おれはゲーテなんだ。おれの学問には体系はない。おれは窮屈なシステムなんか持っていない。しかしあらゆることに共鳴する豊かな感情を持っている。」北一輝

夏の終わりに3年ぶりの新作展をおこないます。さぼっていたわけでは決してないのですが、自他ともにいろいろあってこのような運びとなりました。冒頭、大仰にかかげた文章は、今回展示の作品を描いてる間中、ずっと懐に抱いていた言葉です。ゲーテのことも北さんのこともたいして知ってるわけではないのですが、絵を描き進める時の足場として、とってもしっくりいったもんですから、この言葉を役に立たせていただきました。

展示作品は2008年冬から2011年の春にかけてイラスト仕事の合間にせっせと描きためたアクリル画です。
最初一つ描いて、あとはしりとりみたいに、繋げて描いていきました。
結局、F30号(73X91cm)の大きさのものが24枚仕上がって、繋げると20メートルくらいの大きな作品になりました。
個展のタイトル『自治区ドクロディア』というのは、全部描き終わった後、数日してふいにひらめいたものです。

展示して見ていただく絵は、個展というものを始めた当初からいつもそうなのですが、描かれているものはどうであれ、日々の生活から生まれたものです。いわば絵日記みたいなものといってもいいかもしれません。
そんなわけですので、見る人も、それぞれ自分の生き方にもとづいて好き勝手に見ていただけるとうれしいです。(ちょっと、大げさですけど...)
会期中、金曜と土曜の午後は会場におりますので、「よう!」と気軽に声をかけてください。

今回も、いつものようにチラシやポスターのデザインは押見保やん、写真は牧野マッキー、展示空間は坂崎隆ちゃんにおねがいしました。
個展の初日にはオープニングパーティがあります、けっこうおいしいワインとかがあります。みなさん気軽にいらしてください。

そいでもって、その後には、ライブがあります。
ライブはツジコノリコ姉さまに歌っていただくことになりました。かなり、いいです。

個展の詳細は以下!

会期:8月27日(土)~9月24日(土)
開館時間 火〜金 10:00-13:00/14:00-19:00 土 10:00-13:00/14:00-18:00(日祝月は休館)

場所:九州日仏学館5Fギャラリー
福岡市中央区大名 2-12-6ビル F Tel:092-712-0904  http//:www.ifj-kyushu.org地下鉄赤坂駅
3番出口を出てすぐカステラ本舗福砂屋さんがあるビルの 5階

オープニングパーティー:8月27日(土)18 :00-20:00 入場無料

オープニング特別企画ツジコノリコライブ
日時:8月27日(土) 20:00 九州日仏学館多目的ホール
料金(ワンドリンク付):一般前売 2,500円 学館生前売 2,000円 当日 3,000円
チケット販売・お問い合わせ:九州日仏学館 Tel :092-712-0904

ツジコノリコは、フランスを拠点に活動しているミュージシャンです。
今までソロをはじめ、エレクトロニカで名を馳せるピーター・リーバーク、青木孝允、イギリスのローランス等とのコラボレーションでアルバムを作っています。
そのほか、映画やダンス、アニメーションの音楽も数多く手がけていて、そのオリジナリティ溢れる音楽は、国際的に高い評価を得ています。
ライブはとってもいいと思います。手前勝手な言い方で恐縮なのですが、そんなに会場が広くないので、チケット、ばばっと早めに買っといたほうが、無難だと察します。
http://tujikonoriko.com/

azisaka : 22:23

2011年06月01日

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みなさんご存知のように、にがつ如月というのははひじょうにすばやい。
脱兎のごとく、瞬きする間に眼前を駆け抜ける。
毎年何も手につかぬまましてやられるので、今年は用心してなまけ心をおこさず、家にこもって黙々と絵を描いた。
その甲斐あってさんがつ弥生ねえさんが、レモン色の薄手のカーディガン着て「一緒にたけのこ掘りに行きません?」ってやってくる前に、2年がかりのおっきな作品(24枚の連作)を仕上げることができた。

ブラボーだ、よくやったぞ。
あとは、春の間のんびりと連載のイラスト仕事こなしたり、個展の会場やオープニングで歌ってくれる人なんかをさがしつつ、ちょっと高いブルゴーニュの赤とか飲みながら、一枚一枚取り出してはうきうきとタイトルをつけていくのだ。
ああ、安くんぞこれ以上の幸せがあろうか、いやない。

と、いうようにいささか浮かれていたら、地震と津波がやってきた。
九州に暮らしてるので直接ではないが、やってきた。

3月いっぱい、ぼうっとしていた。
4月になったらずいぶん前からチケット買ってたので父とふたりベルギーへ行った。
しばらくいて帰って来て、たまってたイラスト仕事を時差ボケ頭でぬめっとやって、ふうってけっこう重たい溜め息をついた。
その後、おお、そうだった絵のタイトルをつけようと、押し入れから絵を取り出して並べてみた。

見てみたら、まあ、ちょっぴり予想はしてたんだけど、まるっきりだめだった。
だめになってしまっていた。

「は?いきなり、そう言われてもなんのことやら、わかりませんよーっ私たち」って皆さんおっしゃるに違いない。
それはもっともなので説明をします。

二年と半年くらい前、一枚の絵を描いた。
近未来の高速道路みたいなとこを、二人乗りの車ともオートバイともつかぬ一台が疾走してるっていうものだ。
座席には、あんまり幸せそうではない男女が座ってる。
さて、その絵を描いてしばらくしたら、ある朝ふいに、この道路の先を描いてみたくなった。
いったい彼らの行く手にはどんな風景が広がってるんだろうか、と興味が湧いたからだ。

それで、左側に同じ大きさのキャンバスを置き、道を繋げ、心の向くまま別の登場人物や背景のビルを描いた。
これがやってみるとなかなか楽しかった。
それと同時に苦労も多く、得るものも大きかった。したがって、しばらくの間続けてみることにした。
一枚描いたら、また次の一枚、それが終わるとまた新しいやつ、という具合だ。
他の仕事もやりながらなので、だいたい一枚にひと月くらいかかった。

その時々の心や身体や周囲の状況によって描きたいものを、しりとりみたいに描いていく。
今描いてる最中の絵の先ににどんな絵がくるのかは、今の絵が終わってみなけりゃあわからない。
テーマや伝えたいものが明確にあってそれに従って描いていくわけではない、従うと言えばただ、筆をもったその時々の正直な感情だ。

そういう風に描いてったので、道はずっと続いており、それなりの統一感はあるものの、一枚一枚の雰囲気が異なっている。
限りなくモノトーンに近い墨絵のようなものもあるかと思えば、色彩豊富なまるで縁日みたいなやつもある。
湿った感じのもあれば乾いたやつもあるし、人が少なく寂しいものが2、3枚続いたかと思うと唐突にたくさんの人が登場しにぎやかになったりする。
描いてる時には意識なんてしなかったけど、後から見ると不思議なことに、人と別れたり失恋して悲しい時にはにぎやかな絵、満ち足りて幸せな時にはモノクロで硬質な画面になっている。
ううむ、自分で言うのもなんだが奥が深いぜ。
まあ、とにかく一枚一枚ががてんでばらばらで、独立した小さな世界が、数本の道を介しなんとなく繋がっているという趣だ。

そんなわけなので、これを大きな一枚の絵として見れないことはないけれど、申し訳ないがそうしたときの完成度は低い。
きちんとした作品(商品)とする気持ちがあったのなら、ぱきっと一貫したリズムやメロディを奏でておかなくちゃならないのだろうが、それらをないがしろにしてでも即興演奏をやりたかった。
しかし同じ人間の手からでてきたものだから、その人特有のこころの響き、ハーモニーみたいなものは終始あるはずだ。
そのおかげでなんとかぎりぎりセーフ、一枚の大きな絵としてだって成り立つだろう。(たぶん)

おおっと、前置きがたらたらたいそう長くなっちまったぜ、すまん。

さて、そのように、その時々の”今”に誠実に(ちょっと大げさだけど)描いていった24枚なのだが、それを”今”見ると、どうにも良くないのだ。

なかんずく、描かれたほとんどの人の顔がだめになってしまった。
こういうことは、7年も8年もむかしに描いた絵を取り出してみるときにはちょくちょくあるのだけど、わずか1、2年前、それどころか数ヶ月前に描いたものさえも唐突に力を失ってしまった。

3月を境に。
去年描いた笑顔は今の笑顔ではないし、二月の悲しい顔は今の悲しい顔ではない。
おどけた顔、夢見る顔、無表情もおんなじだ、以前のものはずいぶんと古くなってしまった。

描きなおさなくちゃならないな...
情けないが、宮崎駿が製作中の新作について「震災の前と後とで内容が変わるようなことは一切ない」とコメントしてたのとは大違いだ。
(比べたりしてすまん、駿ファン...)

それで身勝手なことこの上ないが、人物の首から上だけ、あらかた描き直すことにした。
手始めに、もっともしっくりこない頭を下地塗り用の白絵の具で塗りつぶし、乾いたらその上にまた絵の具をのせていった。

が、絵の具がうまくのっかんない。
そりゃあそうだ。今となってはしっくりこないその頭も、それを描いた時には精一杯苦心して絵の具を何度も塗り重ねてる。
その上にさらに下地剤を塗ったものだから、キャンバスの目がすっかりつぶれてしまったのだ。

もちろん、描いて描けぬことはない。が、細部の表現はままならなくて単純な表現になってしまう。
つまり頭部だけがルオーが描いたみたい(たとえにつかってはなはだ恐縮だけど)になる。
これでは身体は井上雄彦だが頭は赤塚不二夫みたいな人物ができあがってしまう。

それじゃあ、いくらなんでも変過ぎだ。(それも時には良かろうが...)
うう、どうしたものか...と頭を抱えこんでしまおうとしたとたん、ああそうだ、こんな風に困っているのは世の中おれひとりではないはずだ、きっと苦難を同じくする仲間がいるに違いない、ということに気がついた。
そこでこういう時こそ便利なインターネットで探したら、「アクリル絵の具剥離剤」なるものが見つかった。アクリル用の液体消しゴムだ。
鉛筆は手にしたとたん消しゴムがついてくるが、アクリル絵の具は手にしてから四半世紀くらいたってようやく消しゴムの登場だ。
(他の人はもっと早い時期と察するけど...独学なので仕方ない)

さっそく画材屋さんから買って帰りキャップを回すととっても強いシンナーみたいな匂いがした。
窓をちゃんと開けとかないと自分の頭が消されてしまいそうだ。
ためしに、画中のひとりを選んでその頭の上にぽたぽた剥離剤を垂らし、布でこすったら、べろっとあっけなくはがれ落ちた。
液が飛び散ったとこもまだらにはがれてしまった。
この感じ、どっかで経験したことあるよなと思ったら、陽に焼けた皮膚を剥がすのによく似ていた。

さらに、跡形もなく引き剥がされる様は、まるで津波のようだとも思った。
そこだけが、瞬きする間もなく何もない真っ白な場所になってしまう。

画面の中、道の上にうごめくひとびとのその首を次から次に手当たり次第、液体ギロチンで刈っていった。
刈ってはまた新たに首を描いていく。
そういう、昼間は死刑執行人、夜はお産婆さんというような作業をしばらくやっていた。
やりながら、何かこんな作業に意味があるんだろうか、と自分に問うた。
で、はっと、”道”という漢字の語源を思い出した。

「~道は人が識られざる神霊に挑むことを意味している。道の古い字形は、首を携えて進む形であり、いまの字形からいえば、導と釈すべき字である。
識られざる神霊の支配する世界に入るためには、もっとも強力な呪的力能によって、身を守ることが必要であった。
そのためには、虜囚の首を携えていくのである。道とは、その俘馘(ふかく)の呪能によって導かれ、うち開かれるところの血路である。」
(「道字論」白川静)

おお、そうだったのか、道(の絵)を(描き)進むのだから、そのためには誰かの首が必要であったのである。
ということは、24枚の異なる絵(世界)に次々進むのだから、少なくとも24個以上の首が必要だったのだろうか?
それとも一首持ち回しで3つくらいの神霊に対抗できるんだろうか?
どっちにしろ、30くらいの頭を捧げたから大丈夫だろう。

さて、はなしは若干おどろおどろしくなったが、ともかく描き直した絵を並べて見てみた。
とっても奇妙だ。
首を無理矢理すげ替えてしまったのだから無理もない。
消えてしまった顔のほうがつきあい長い分なじみが深く、新しい顔の上にぼおっと立ち現れてはこちらにまなざしを向ける。
悪かったなあ、すまんなあ、とこころのなかで手を合わせる。

首を半分くらい描き変えたら、24枚目、つまり最後の絵が今あるものではふさわしくないという気が強くしてきた。
消されてどっかにいった首と、生まれ出てきた首が、みな口をあわせて「それが結末じゃ、ちょっとなあ...描き直さんといかんやろう」と言っている。

それで最後の絵だけは全部新たに別のカンバスに描き直すことにした。
うひゃあ、夏の個展に果たして間に合うのか?
ちょっとやばいぜ...

さてしかし、描いてる絵についてだらだらと話したところで、そんなこたぁ他人が知ったことじゃない。
見る人は、見えるものがすべてだ。
あいかわらず成りはでかいがマンガみたいな絵で、「あらまあ、けっこうお考えになって苦労して描き直しとかされてるみたいですけど、できあがったものは、へなちょこですよねえ、おほほほ...」って言われたって、ただうつむいて苦笑いするより術がない。


個展は来る8月27日から4週間、九州日仏学館で行うことに決定いたしました。
27日はオープニングパーティとすごくいかしたライブです。
詳細はおってまた連絡いたします。

ところで、ここのところずっと、枕元には生首が置いてある。

もちろん本物ではなくって、辺見庸の詩集「生首」だ。
(昨年の中原中也賞受賞作)
読むと、その言葉に身がひきしまる。
西の街に住まう自分が、ほんの少しだけ、テレビや新聞に映し出されることのない死者の姿を見たような心地になる。
その最後に納められた一編。

「世界消滅五分前」
懺悔するな。
祈るな。
もう影を舐めるな。
影をかたづけよ。
自分の影をたたみ、
売れのこった影は、海苔のように
食んで消せ。
生きてきた痕跡を消せ。
殺してきた証拠を消却せよ。
しずやかに、無心に、滑らかに、
それらをなすこと。

いまさらけっして詫びるな。
告解を求めるな。
じきに終わることを、ただ
てみじかに言祝げ。
消失を泣くな。
悼むな。
賛美歌をうたうな。
すべての声を消せ。
最後の夕焼けを黙って一瞥せよ。
折りもおり、五分前に誕生した赤子を
心から祝福せよ。
もしもまだ時間があったら、
もっとも罪に縁遠い顔をした
あの幸せな老詩人を
ぶち殺しに行け。
なーに構うことはない。
やつが真犯人(ほんぼし)なのだ。

次のことどもが
まもなく証されよう。
──生と死の両岸のあわいには、
川も海も、じつは、
溺れいたる時の
真っ白い浜辺さえもない事実が。
なのに、高い通行税を払いつづけてきた滑稽が。
十万年の不可逆的変化が、
水蛸一ぱいがへらへら笑ってなしとげる
吸盤の脱皮ほどの
意味すらもちえてないことが。
愛でも慈しみでも謀反でもない、
ただ資本の甘い酖毒(ちんどく)に
酔いしれていただけのことが。
この百年の
始値と終値の差が、たんに
雲脂(ふけ)のひとかけらであることが──。
だから、神に詫びるな。
母に詫びるな。
赦しを乞うな。
さあ五分前、
無表情に一発、放屁せよ。

このおならの”ぶりっ”という大きな音で毎日目が覚める。

かすかに希望の匂いがする...

azisaka : 06:31

お知らせ

2011年04月08日

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こんにちは。
いきなりで恐縮ですが、今月4月の第2と第3、第4の週末、絵箱店をお休みさせていただきます。再開は30日土曜日からとなります。勝手を申してすみません。

azisaka : 02:11

ばあちゃんの女の子

2011年02月15日

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カツンカツンと、聞き慣れぬ音が階段の方から聞こえてきた。
ちょっと寒くなりかけの秋の日曜、絵箱屋さんでイラスト仕事しながら店番してる時だ。
まもなく入り口のドアが開く気配がしたのでパソコンの画面から顔を上げると、でっかい茶色の毛糸玉で斜め下から編み棒が突き刺さってるようなものが見えた。
カツンカツン鳴ってたのはその編み棒だ。
何だかわからなかったが、とりあえず「こんにちは」とあいさつをした。

ぐるぐる巻きのその固まりは、だまったまま部屋のちょうど真ん中あたりまでくると、空いている椅子を見つけてゆっくりと着座した。
その時「どっこいしょ」だか「おいっさっさ」だかの声を発したので、それが人間の女で、たくさん着込んで杖をついたおばあちゃんだということがわかった。

ばあちゃんは「ふひぇーっ」とか「ひゅあー」とか、は行で始まる年期の入りまくった溜め息をいくつか漏らしながら、
その身体に巻いたショールやコートやカーディガンやニット帽らを剥がしていった。
それらをとなりの椅子に積み上げてしまったら、ばあちゃんとまったく同じ色合いと体積で、分身の術つかって二人に増えたみたいだった。

2秒くらい何も起こらなくて、その後やおら「よっこらさ」と立ち上がったのだけれど、背中がとっても曲がってるので、見た目には立ったのか座ったまんまなのか、あんまり違いがわからなかった。

さて、こちらはというとその時くらいまでは、ばあちゃんはここをどこか別の場所と間違えて入ってきたのだと思っていた。
あるいは、どこでもよくって、ただふらふらとさまよい歩いていたら、たまさかここに行き着いたのだと思った。
さらに、巾着をでっかくしたような頭陀袋下げてたので季節柄、柿とか栗を行商してまわってるのかもしれんとも思った。

いずれにせよ、きちんとあいさつをせんといかんので、「わあ、おばあちゃんこんにちは」と立ち上がって言うと、「ふひゃあ、やっとたどりついた」といって、力石徹のアッパーカットみたいな急な角度で下から見上げた。
その眼を見てどきりとした。
「つぶらな瞳ってのは、俺らのことを言うんだぜ小僧!」と何でか知らんけど、男言葉でキラリと輝いて、たいへんに魅力的だったからだ。

そんな両の眼にかかる白い髪は、おかっぱをほんのすこし短くしたみたいな形状、そいでもって、手を見ると手は、幼少の頃より慣れ親しんでる自分の田舎の祖母らと似たような面構えだった。
太くて短い黒かりんとうのような指、その先のギョロリ睨んでるような爪、しみの星を湛え天空みたいに奥行きのある甲。
野良仕事用の手だ。
裏を返すなら手のひらは、きっとたくさんの力強いしわだらけ、まるで五月雨あつめて早い最上川みたいだろう。

「わたしは、絵はがきば集めるとが趣味とやもん」と、ばあちゃんは話し始めた。
「きれか絵はがきのあるごたっとこなら、どこでもさろいて行くと」
「ほら、絵は高かけん買えんけどハガキなら150円くらいやけんね。買うて集めていつでも見れるやろう」

つまり、ばあちゃんはそんな風なので、いかした絵はがき求めあちこち杖つき歩いてまわる。
先週は若手の絵描きが天神(福岡の中心街)でやってるグループ展を訪ねていった。彼らの手による絵はがきが展示販売されてると聞いたからだ。
そこに縁あって絵箱も数点出品されていた。ばあちゃんはたまたま絵箱を見、そのかたわらに置いてあったDMの地図をたよりにこの場所にたどりついたのだと言う。

「うひゃあ、ばあちゃん、わざわざこがんとこまでたいへんやったでしょう?」
「ぃやあ、あたしゃよたよたゆっくりばってん、電車とかバス乗り継いで遠かとこでもひとりでいくとやもん」
「おお、達者かですねぇ、すごかですねぇ」
「ははは、そーげんこつなか」
と話しながらもばあちゃんは机や椅子の上に並んだ絵箱らを見渡していたが、「あーっった、これこれ!」と言うなり、その中のひとつに近づいた。

そして手に取るとそうっと撫でながらしばらく見ていたが、顔を上げると唐突に言った。
「これは、おいくらですか?」

うっく、と思わぬ質問に息を詰まらせた。
そしたら「ほら、この前のとこでは値段ば書いとらっさんかったでしょう?」とことばを続けた。

さて、その絵箱はグループ展の少し前、同じく天神近辺の画廊で行われた「少女採集」という企画展のために描いたものだった。
黒の背景に白いワンピースを着たお下げの女の子が座っている。左の手足が白いひもで結ばれている。
その画廊に置いてたときには5万という値段がついていた。オーナーと話してそれくらいが妥当だということになったからだ。

しかし、ばあちゃんは、ばあちゃんだ。
どうみても戦前の生まれで、その顔や背や手を見るならば、戦の最中、前後には木の実や雑草を喰らって凌いできたような人間だ。
今だって、1パック128円のしめじでは高いからと、少し歩いてでも別の店へ行き、98円のやつを買い求めるような、贅沢することを知らぬ類いの、土の香のするばあちゃんだ。
150円の絵はがきを、方々出歩きせっせと集めているのだ。

何も描かれておらねば数百円でもありそうな小箱に、何万もの値段を付して言うのは、その人生に対し礼を欠いているのではなかろうか....
(「じゃあ、あんた、見た目が若者や金持ちなら、平気でぼったくるんかい!?」というような話しではない、ここでは)

そんな印象が、0.8秒くらいかけて脳内で生まれ固まって形を変えて口から出てきた。

「あ、う、その箱ですか...それは箱ばってん、絵を描くのはなかなか大変で、それで、あの、高かばってん、2万円くらいすっとです...」

それを聞くとばあちゃんは、箱を元あった場所に置き、自分の分身の剥いだ衣類の山のとこまでもどると、埋もれてた頭陀袋をひっぱりだした。
中に手をつっこむとしばらくごそごそやっていたけど、じき利尻昆布みたいに大きなサイフを見つけ、お札を2枚取り出した。

そして差し出した。
「はい、どうぞ...ちょうどでよかですか?」

とてもびっくりおったまがった。
てっきり、「ひゃあ、そがんすっとですか、やっぱり高かとですねえ、手描きじゃもんねぇ、ほわーっ...」という嘆息が聞こえるものと思っていたからだ。

その時になってようやくわかった。
ばあちゃんは、この少女の絵箱を求めんがため、ただそのためだけに、真っ直ぐにここへやってきたのだ。

「うっかり5万と言わなくてよかった...」
なぜならば、その箱を求める様子があまりに確然としていて、ためらいとか揺るぎといったものがぜんぜんなかったからだ。
よっぽど桁外れでないかぎり、言われたとおりの金額を銀行へおろしに行ってでも差し出したという気がする。

それに「これ、おまけです」と手渡した小冊子が、売りものとわかるや否や、頑としてただでは受け取ろうとしなかったところを見るならば、あわてて値段を下げることも、よしとはしなかっただろう。

しかし、何でまたいったいこの絵箱をそれほどまで...
ばあちゃんは、白いワンピースの女の子に何を見たのか、想ったのか...

絵箱を包みながら、ふたつのことを思い出した。

その1「ガンダム」
長崎の実家からちょっといったとこの煎餅屋さんのそのまた先にリサイクルショップがある。
もと鉄工所か倉庫だったような吹き抜け天井のだだっ広い建物の中、食器や衣類、電化製品や家具など中古の日用品がなんでもかんでも売られている。

三年前くらい、煎餅を買いに行ったついでに、めぼしいものはないものかと入ってみたらなかなか素敵な有田焼の小皿があった。
なます盛りつけたらさぞかし映えるだろうな、とか思いながらレジらしきものの方へ行くと、腕時計やライターなどの小物が並んだガラスケースに囲まれた小さな空間があり、その端の方にうまく染まってないような茶髪の頭が見えた。

「これ、お願いします」といって声をかけるとそれは、”若干太った”と”がっしりした”の狭間にあるような体つきの30半ばくらいの兄さんで、60歳くらいの雌猫みたいなやさしい笑顔で「いらっしゃいませ」と応じてくれた。

「おお、好みのタイプだ。目写真とっとこう!」と思い、記憶せんがため兄ちゃんの姿に目を凝らそうとしたら後方の棚の上にずらーっと、色とりどりの細かい絵が描かれた箱が並んでるのが見えた。
それで今度はそっちに焦点を合わせた。

それらはすべてガンダムのプラモデルだった。
しかも、そのどれもが20年以上前、このロボットアニメが最初にテレビ放映された当時の古いものだった。

「うおーっ、ガンプラ、すごかですねーっ!」とでかい声あげて嘆賞する男に向かい、小皿を一枚ずつ新聞紙に包みながら彼が言うのには、「はい、でもこれは売りもんじゃなかとです...」

「ぼくんとこはむかし家が相当に貧乏やったけん、プラモデルのごたっとは子供んときは一個も買ってもらえんやったとです。」
「友達とか、持っとんのが、うらやましくてですねぇ...」

「今は大人になって、まあ、ちょっとは小遣いもあるようになったけん、ネットとかで買ってこうして集めよります。」

その2「田んぼ」
作家の水上勉が1986年に水俣をおとずれたとき、その講演の中で貧しかった少年時代の思い出を語った文章だ。
図書館行って彼の全集さがしても、どこにも見つかんなくって、あれーどこで読んだんだったっけ?と思ってたら石牟礼道子さんのエッセイの中だった。彼女がその講演を聞き後日そのエッセイの中でとりあげていたのだった。

「~日暮れになりましても、お母(か)んが戻ってまいりません。ひもじゅうて、お母んのいる田んぼに迎えにまいります。畦からこうのぞいて、呼ぶんでございますが、お母んはまだ、田んぼの中に漬かっておりまして、狭い田んぼで、胸までも漬かるような湿田でして、そこから、子供たちの居る方へ上がってくるのでございますが...胸から腰から、田の泥にまみれておりまして、蛭がびっしり、付いているのでございます。
それをこう、濡れた泥をかき落としながら、取り外します。外さないと子供たちのところに来れません。あちこち食いついておりますのを、一匹一匹引っぱって、取って外すのでございますが、泥水をかき落としますと、お母んの肌は、子供心にもお母んの肌はまっしろで...その白い肌に、蛭をひき外しますと鮮血が...さあっと流れまして、体じゅうに鮮血が...。
ものを書くようになって、お母んのその田んぼを買い戻しました。そこに文庫を建てました。いつかひとりの少年が、本を読みに来てくれる日を待っております」

と、いうふたつのことを思い出した。

ガンダムや田んぼにくらべれば、むろんその絵箱はまったく取るに足らないものだ。
しかし、その絵箱を希求するばあちゃんのたちふるまいは、リサイクルショップの兄さんや水上勉のものに負けぬほどの、なにがしかの強い思いで削られており、宝石みたいだった。

絵箱包みながら、なんだか申し訳ないような気がした。
ばあちゃんからだましとったものを、高値で買い戻させてるような気がしたのだ。

このおさげの少女の絵の中に溶け、ばあちゃんの心を惹き付けた物質、粒子みたいなものはもともと、ばあちゃんの中にあったものだ。
でも、ずいぶんむかしにその体の中から流れ出て行って、世界のいろんなとこをめぐっていた。
ロシアやメキシコ、海や山、鰯やカラスや、大根やひなげし、煙草の煙や泥水の中。
そいでもってたまたまある日、ひとりの絵描きに流れ着き、先月その筆の先から、ひょこんと出てきた。

そういう心持ちが強くした。

包み終わる頃、「あーっ、そうやった、箱にサインばしてもらわんばいかん」とばあちゃんが言った。
「ええっ、ボールペンしかなかですよ。ちょっと、かっこう悪かですよ」
「よかと、よかと、別に人に見せるわけじゃなかけん。息子にはこげんものば買うたってな、言わんとじゃもん。秘密にして、ひとりで、見るとやけん」

聞きたいことや話したいことがたくさんあったのだけど、ばあちゃんは「そいじゃあ、日暮れんうちに帰ろうかねっ」といって箱をしまうと、さっさと帰り支度を始めた。
「あの、もし良かったら名前と住所ばおしえてくれんですか?今度、個展とかするとき案内状とか出しますけん」と言ったけど「いやぁいや、よかよか、あたしゃあ、こげなばあちゃんやけん、よか」と言って受け付けてはくれなかった。

断るのを無理に、駅への道がわかるとこまで送って行った。
別れ際「握手ばしともらっとこう」と手を差し出すので握手した。
冷たくも暖かくもない、自分と同じ温度の手だった。

白いワンピースの女の子は、ばあちゃんにとっていかようなものであったのか。
(ばあちゃんは他の箱にはほとんど目もくれなかった。)

その絵は「少女」をテーマにした企画展をやるというので、そいじゃあと、そこら辺にある雑誌の切り抜き見ながら描き始めたものだ。
描いてるうち、仕草や表情、服装が変わっていき、いつの間にかそう苦労もせずに絵が完成した。

何か特別なメッセージを表現したわけでも、ましてや強い想いや魂なんてのは微塵も込めたつもりはない。

そんな”軽い”絵が、あるひとにとっては、とても”重たい”ものとなる。
むろん、逆もあるだろう。

なんちゅうこの世のなやましさ。

そしてそれはまったくもって信じるにあたいする。

azisaka : 08:56

お知らせ

2010年12月26日

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絵箱屋は、年内は12月19日までで終了しました。
しばらくお休みして年が明けての1月は15日の土曜日より、またはじめます。
年末年始、実家で10点ばかり新作を作ってこようと思っています。
今年はありがとうございました。
ひきつづきよろしくお願いいたします。

azisaka : 06:07

11月18日、ミゾグ。

2010年12月14日

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 いつものように朝から絵を描いてると、胸ポケットの携帯が震えた。取り出してみると連載仕事一緒にやってる仲良しの編集者だったので「いよーっっす!」と勢いよく出た。が、返事がない。あれ?切れちゃったかなと思ってると受話器からとぎれとぎれに黒くてバサバサした固まりが耳の中に入り込んできた。
「う、わ、何だこりゃあ」と不意をつかれてまぬけ顔で突っ立ってると、やがてそれらはゆっくりと脳の中の言語を司る部分あたりにたどり着き、パラパラと崩れ落ちてことばになった。
ことばを解するに、「ミゾグが昨晩、事故で死んだ」らしい。

ミゾグはイラスト仕事をしはじめた時からのむかしなじみだ。耳の先でボロボロ泣いてる彼女にとっては仕事仲間、姉貴分にあたる。そんな内容の知らせをやっとのことで引き渡すと、彼女は耳元からすぐに消え去った。そりゃあそうだろう、とっとと自分のなみだに専念せねばならないからだ。

仕事場から四畳半の小さな畳敷きの部屋の真ん中に場所を移すとその場にへたり込んだ。30秒ばかしたつと両の目からぽたんぽたん温かな雫がこぼれ落ちてきた。正座して拳を膝の上にのせ肩を震わす。窓の外のカラスの目には、でかい幼稚園児が障子破いてしかられていると映っていることだろう。やがて、ひっくひっく、えーんえーんと声をあげて泣きはじめた。音声ありの涙にびっくりした。ドラマや映画を見てのことなら4、5年に一回くらいはあるが、現実のことでは相当にひさしぶりだと思った。たぶん小学校以来だ。

そういう具合にしばらくの間メレメレと濡れそぼっていた。しかし8分ぐらい経過すると、ぴたりとやめていきなり立ち上がった。ずっと様子を見ていたカラスは、のぞいてるのがばれちまった!とギクリとし、カーと一声叫んで飛び去った。

立ち上がったのは、「こうしちゃおれん」と思ったからだ。
40数年生きながらえてきた甲斐あって、たいていどんな別れの痛みも、やがて当初の激しさをやわらげ形を変え、こころのどっかに納まるものだとはわかっている。
時の経過、時間っていうのは、たまにじれったくて文句もいいたくなるが、それでも信頼できるただ唯一の処方箋だ。
しかし今回はそういうわけにはいかなかった。どうしてかっていうと四畳半で震えてる背中に誰かの声が届いたからだ。声は「時間に頼らんで、自分で何とかやってみなよーっ」と言っている。
カラスにしてはやわらかいな...おお、ミゾグの声だ!

そんなわけで取り急ぎ立ち上がってみた。けれど、「いったいどうしろっていうんだ?」と途方に暮れた。しかしそれもつかの間のこと。絵描きなので絵を描くことにした。そうだ、ミゾグ、あいつのポートレートを描いてみよう。写真、どっかにあったっけ?デジタルになる前とった写真が何枚かあるがあれは実家だ。パソコンの中に最近のは入ってない。共通の友人にメールで送ってもらおうかとも思ったが、今は誰とも彼女について話したくない。ううむ、しまったなあ。
それでネットの画像検索に彼女の名を入れてみた。そうするとすぐに酒場で笑ってる小さな画像がほんの数枚見つかった。それ見たらまた四畳半で正座したくなったがこらえた。残念なことに写真が見つかったはいいが小さすぎるし求める表情ではなかったのでパソコンをぱたんと閉じた。そしたら、そのぱたんという音でひらめくものがあった。
そうだ、なにも新たにミゾグの絵を描く必要はない。今描いてる絵をミゾグ化しよう。

この場にたまに書きなぐってる文章読んでる方々はご存知の通り2年前から大きな長い連作を描いている。今はその21枚目で、下描きが終わり濃淡をつけはじめたところだ。画面には近未来風の高層ビルが立ち並びその真ん中に高速道路、道路の上では祭りかなにかの行進がおこなわれている。
午前中の仕事場である台所(昼前はここが一番陽がさすのでここで絵を描く)に立ってるイーゼルの前に復帰すると下地用の白絵の具をとりだし、描かれてるビル群をさっさと塗りつぶした。
そうしてぽっかりあいたその真ん中に鉛筆で大輪の花の形をした建物を描き、その図太い茎に当たる部分に彼女の命日と名を書き込んだ。まわりにはやはり、蓮やマーガレットなど花の形のビルを並べた。すると少しだけ安心した。
だいたいこの大きさのキャンバスだと完成するのにひと月半くらいかかるだろう。そのくらいの期間、毎日彼女と向き合っておれば、それなりに生きてた頃とは別の関係が育まれ始めるだろう。

昼を過ぎたので仕事場を居間(西南向きで日没寸前まで明るい)に移しそのままずっと描き続けた。携帯が5、6回鳴ったようだった。やがてすっかり陽が落ち手元が暗くなった。少しだけお腹がすいたのでバナナとりんごを食べ、豆乳を温めて飲んだ。普段なら自然光が費えた時点で筆を置くのだけど、その日はデスクライトを側に運んできて夜中も描き続けた。そうやって10時を過ぎるころ、疲れて眠くなった。それで歯をみがいて布団をしいて横になった。すぐ眠りにおちた。

夢には誰も出てこなくて深く寝て目が覚めてトイレに行った。ついでに炊飯器に付いてる時計見たら5時だった。「おお、朝か」と暖房のスイッチを入れ部屋が暖まるまでと布団に舞い戻ったとたん昨日のことを思い出した。そうしたらぎゅっと切なくなってきたので、それをバネとし起き上がり布団をたたんで、パソコン開いてメールを見た。すると週一回連載のマンガの原稿が送られてきていた。「こんな心持ちのときにお笑い考え出さんといかんのかよぉ」と嘆いた。しかし仕事とあらば仕方がないのでとりあえず読んだ。ところが読み終わる頃にはなかなか面白く笑えるマンガのネタが頭に浮かんできていたのでびっくりした。脳のしくみはいったいどうなってるんやろう?まったくチンプンカンプンだ。
せっかくなので忘れないうち、さっさとノートに下描きを描きつけた。描いてて自分が情のない人間のような気がした。終わると陽がのぼり光が射してきたので、悪事をもみ消すようにそそくさと台所へ行き、新しい水を汲みまた昨日の絵の続きを描きはじめた。

数時間くらい描いてるとトイレに行きたくなった。行ったついでに炊飯器見るとすでに12時を過ぎていたので、何か食べようと思ったがいっこうに腹がすいてない。たいていは何があっても食欲だけはあるのに、身体はきちんと悲しんでいるのだなぁと感心した。まあいいや、「エーゲ海」でも食べよう。「エーゲ海」というのはトーストにオリーブオイルぐるりと垂らして上から摩った岩塩ふりかけて食べる、最近慣れ親しんでいる食べもののひとつだ。なんとなく地中海っぽいのでそう勝手に名付けた。
エーゲ海2枚食べて温めた豆乳飲んだら今日はプールへ行く日だったことに気がついた。それで歯を磨き風呂場の窓際に干してある水着や水泳帽をとりに行った。洗濯バサミからはずしながら、ああこいつらを夕陽に向かって干したときには、まだミゾグは生きていたのだなと思った。
とことこ歩いてプールへ向かった。素足にサンダルはもはや冷たかった。

あいかわらず人はまばらで、コースがひとつぽかんと空いていた。泳ぎ始めて驚いたことに、水を掻く腕も蹴る足も軽くしなやかに動き、泳いでるっていうより誰かに引っ張られてるような気分がした。身体がまるで名うての船頭さんに操られる川船みたいにすーっと進んでく。とってもいい気分だ。しかしどうしてだろう?ああ、そうだ昨日からほとんど何にも食べてないからだ。それで身体が軽いのだ。しかし、ということは最初の数百はいいがじきにへたばるな...
思った通り、普段だったら調子が上がってくる千メートル越したあたりで手足のキレがどろんと鈍くなってきた。でれでれカップルに足で漕がれるアヒルボートになったみたいだ。それでも今年は一回に3千と決めているのでアヒルのままガァガァと最後まで泳いだ。
中華料理店の店先にぶらさがってる北京ダックみたいな態でプールから上がり、よろよろとシャワー室に向かった。途中、見慣れぬインストラクターの人が「お疲れさまでしたーっ」と笑いかけてきた。整った容姿の女の人で素敵な笑顔だったので、ちょっとドキドキした。ドキドキとしたあと、昨日人が死んだのに不謹慎だなあと思った。

そのあと最寄りのディスカウントスーパーへ行った。香典袋を買うためだ。朝メールを見た時、今晩のお通夜、明日の葬儀の案内がきていた。ふたつとも彼女の実家のある大分でおこなわれる。お通夜には行かないことにした。自分がお通夜に出るほど近しい友人ではなかったような気がしたからだ。葬儀の後ろの方にこそっと座るのがよかろうと思った。
店に入るとあいかわらずいろんな国の言葉が飛び交っていた。今住んでる辺は留学生や海外からの出稼ぎ人が多く暮らしてるのだが、この安売り店は彼らの一番人気なのだ。独特の活気があって、買いものに来る度むかし住んでたパリの移民街を思い出す。真っ直ぐに文房具コーナーへ行ってみると、黒いひもで巻いた封筒はいくつか種類があった。何しろはじめてのことなのでどれが葬儀用にふさわしいのかわかんなかった。けど見るとそれぞれ裏にちゃんと説明がなされていたので、相応のものひとつとって買いものかごの隅に置いた。
その後食品売り場へ行った。ピーマンと挽き肉を買うためだ。泳いでる時ふと、今晩はミゾグとゆかりのあるものを食べようと思い立ったのだが、それが生のピーマンに炒めた挽き肉を詰めたものだった。彼女が博多にいる時分よく行ってた居酒屋、定番の品だ。シャキッとした肉厚のピーマンなかったし肉の種類も味付けも適当だが、それなりの感じは出るだろう。
他の雑多な買いものもついでに済ませ、いつものごとく混んでるレジへと進み列のしんがりにならんだ。やがて順番がまわってくると、つい最近までお姉さんだったようなおばさんがいた。置いたカゴからてきぱきと品物をとりあげるとピッピッとバーコード読んでとなりのカゴへ移していく。最後に底に香典袋がのこった。それを見つけると少しうごきがゆるやかになり、後方から取り出した小さなビニール袋の中にいれた。そのあとコクンとほんの微かにおじぎをするとかごの上にそっとおいた。「ああ、この国のこういったとこは、ほんとうにいいよなぁ」とそんなふるまいを見てしみじみ思った。
帰ると水着洗って干して、また絵の続きをはじめた。日暮れまで描いて風呂に入り肉詰めピーマン作って食べた。意外にうまかった。

ミゾグに最初会ったのはパリから帰って福岡に住みはじめた頃だ。彼女は大学出たてのタウン誌の編集者、こっちはかけだしのイラストレーターで、他の二人の編集者とともに北九州へ街の取材に行った。京都の大学を出たというがなんとも不器用で、田舎にずっといたような純朴さがあった。それに惹かれ見ていると、格好つけで弁ばかりたつパリジャンに慣らされ固くなってた眼が、ほぐれていくみたいだった。
それから彼女は熱心に働き経験を積み、10年ほど前、福岡から大阪へとその編集の仕事の場を移した。

さて、明日の葬儀、せっかく彼女の生まれ育った町へ行くのだから、その片鱗にだけでも触れようと、町を取材し絵地図を描く心持ちで臨もうと思った。つまり車で一緒に行こうとの誘いを断り、ひとり始発電車で行くことにした。着いたら葬儀のある午後までカメラ片手に彼女の故郷をめぐるのだ。ダンボールの奥から、絵地図の仕事やってた当時いつも着てたジャケットも引っ張り出してきた。気合い十分だ。一張羅のスーツとネクタイのセットをリュックに詰めると安心し、シャワーを浴びて早々に寝た。

朝起きて駅へ行くと、彼の地へと向かう特急列車「ゆふの森号」は始発も次も、その次も予約で満席だった。「え、あの、立ったままでもいいんですけど」と食い下がったけれど、それはダメだと断られた。鈍行で行くと遠回りになり葬儀には間に合わない。秋の真ん中の晴れた土曜日なのだから、由布院行きの特急が満席であるのは仕方ないことなのだろうが、行楽客ごときに進路をふさがれようとは。ううう...ちくしょう...とうなだれてしまった。うなだれてる背中に「うひゃはははーっ、感傷旅行やろうと自分に酔ってたのが覚めたやろーっ、ちゃんと取材は前もって準備しとかんとね!」とミゾグの声がつきささった。

あわてて昨日誘ってくれた友達に電話すると、こころよく同行を了解してくれた。ほっとし、待ち合わせまでだいぶ間があるのでとぼとぼ家へ舞い戻った。しばらくお茶飲んでぼおっとした。それから、車で行くんならはなから着用やなと、スーツを袋から取り出してみたらしわくちゃだった。着る機会2年もなくて畳んだままにしといたのでもっともなことなのだが、困った。ひとつしかもってないネクタイさえ折れ曲がっている。ひゃあ、そのまま電車で行ってたらたいそう礼を欠くところやった。やばかったぁ。
近所の友達に電話してアイロンを借りることにした。ありがたいことにすぐに持ってきてくれた。ほんとうは彼にやってもらいたかったのだが、忙しそうだったので自分でやることにした。小学校の家庭科以来で、思い出の中の古いやつと違ってすぐに熱くなったのでびっくりした。熱くなった後たくさん種類がある目盛りにたじろいだけど、どうにかめぼしをつけカチリと合わせ、ぐいと手に持ちスーッとアイロン走らせた。が、ぜんぜん走んなかった。家庭科でやったのは真っ平らのハンカチ、スーツの造形は立体だ。なんとか苦心してアイロンあてるものの返って強いしわができてしまう。肩や袖の部分なんて実に微妙な曲線で、ピンと張らせるのは不可能に思えた。そしたらクリーニング店をやっているいとこのことを思い出した。訪れるとニコニコ話しながらも、手は休まず次々と軽快に、まるで花に水撒くようにアイロンがけをしている。すばらしく高い技術だったのだなと感心した。
けっしてピンとはしないが、なんとかしわがそんなに目立たないようにはなった。汗だくになったのでシャワー浴びてたらすでに待ち合わせの時間になってたのでいそいで家を出た。

乗っけてってくれたのは、ミゾグと初対面の時の北九州取材を仕切っていた編集者で、その大先輩に当たる人だった。彼女に最初に会ったときも最後に会うときも、同じく彼の車に乗っているということがたまらなく不思議だった。高速を走りながら、とぎれとぎれに思い出話をした。2時間かそこらで彼女の町の名の標識が見えてきたので高速を出た。少し下ると、ぱあっと視界がひらけた。どちらともなく「いいとこやぁ」とため息がもれた。小春日和のこの上ない演出差し引いても、なだらかな山々に抱かれたその土地のたたずまいは美しかった。
道の駅があったので、おにぎりかなんか食っていこうということになり駐車場へとはいった。するとすぐさま、ひげもじゃで赤黒くて斜めに帽子かぶったおじちゃんが跳ねるようにやってきて、満車だからしばらく待ってるようにと言った。山丈がいたらきっとこんな風だと思った。見てるとだだっ広い駐車場、方々から次々入ってくる車に跳ねてって、おなじことを繰り返してる。あんな味わい深い顔と動きの人は自分が今住んでる街にはいない。いいなあ、と思った。結局とめる場所がないのであきらめて葬儀場へと向かった。

彼女が横たわる建物は盆地の真ん中、川沿いの田んぼの中にちょこんとあった。少しだけ時間に余裕があったのでいったん前を通り過ぎ、川向こうへ出てみたら天然酵母のパン屋さんがあったのでそこに車を入れた。引き戸を開けて中へはいると小麦のいい香りがする。くるみパンとと抹茶あんパンを買った。彼はくるみパンだけだった。店の裏手にまわり川辺に出ると前方、晩秋の山の景色が広がる。樹々も果実も家も人も陽光に溶け、黄金色に塗られた一枚の大きな絵を見ているようだった。その一色で塗られた絵の底、中ほどに小さな長方形の穴がぽっかり空いていて、それが葬儀場だった。そんな絵の前で立ったままむしゃむしゃパンをかじった。ふたりとも何も話さなかった。やがて食べ終わりお腹は満ちたが、四角い穴はくっきり黒く空いたままだった。

到着するとみんなすでに着席し、式がはじまろうとしてるところだった。末席に腰を下ろすと、目前にたくさんの喪服でできた大きな灰色の固まりがあった。そのてっぺんにちょこんと遺影が乗っかっている。その顔はなんだか会ったことない知らない人みたいだった。やがて誰かが低い声で何か言ってるのが遠くの方で聞こえ、お坊さんらしき人がお経を唱えはじめた。けれどその音声は耳の中に入り込む重さをもたず、頭上をすらすら通り過ぎると田んぼの上へ散っていった。なんだかすべてが絵空事のよう、歯医者の待合室のテレビで芸能人の葬式でも見てるみたいだった。
と、突然耳に聞いたことのある名が流れ込んできた。我に帰り身をのりだして見ると、弔辞を読むべく立ち上がる一個の背中が見える。ミゾグの訃報を最初に知らせてくれたなじみの編集者だった。その時、その彼女の背中だけが自分とミゾグを繋ぐ生身の具体的な存在であった。なのでそれをよすがとし両の目はいきなり涙を生産しはじめた。こういう場所では泰然としとくもんだと構えていた心がぐにゃぐにゃになった。
とてもいい弔辞だった。

式が終わりぱらぱらと外にでた。たくさんのなつかしい顔に、あいさつするでもなく少しだけ頭をさげ続けた。それぞれの顔の、額に落ちた深い影を見ながら、絵を描かぬ彼らはこの二日間をいったいどのようにして乗り切ったのだろうかと思った。許されるのならば個々に聞いてみたいと思った。
なんとなく立ち去りかねていたら「彼女が最後にやりとげた仕事です。この本、たったひとりで編集したんです。」といって本をもらった。”お惣菜とおつまみ”という題名だった。

家へ帰り着くと、筆箱の中から油性マジックを取り出し、イーゼルの支柱の突端に”ミゾグ”と名を刻んだ。絵を描くことを自分の仕事だと決めて以来、大切な人が死ぬとそうするのが習わしとなっているからだ。彼女は5人目。一昨年亡くなった伯父のとなりだ。

絵を描いてると、話し声が聞こえる。

ミゾグ「こんにちはーっ、はじめまして」
伯父「おお、こんにちは。いらっしゃい」
ミゾグ「うわあ、牡蠣と日本酒ですかぁ」
伯父「癌が見つかってから酒類は絶っとったけん、こっちへ来てまたこうして飲めるのは幸せですばい...」
ミゾグ「しかも小粒で濃厚な九十九島の牡蠣と波佐見の純米酒!」
伯父「あなたも、いっしょにいかがです?」
ミゾグ「あ、どうも...」

「くーっ、うまい!」

azisaka : 07:34

鰺坂絵箱店開店のお知らせ

2010年10月17日

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9月の25日からしばらくの間、箱屋さんをやります。
まずは、この夏仕事の合間をぬって描いた大小様々の絵付きの箱25点からはじめます。

あとは週ごとに1、2個新作を付け加えていこうと思っています。

場所は九州大学箱崎キャンパス正門近くの古いビルの2階です。
扉を開けてはいると手前が服のブランドGROUのショウルーム、
奥が絵箱の店になっています。

営業時間は、毎週土曜と日曜の 13:00~19:00

住所は、福岡市東区箱崎3丁目9-38 明石ビル2F です。

azisaka : 08:23

ゆく夏。言いわけ。絵付きの箱。

2010年08月31日

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ひさしぶりに近況を報告します。一昨年から描き続けていた長いパノラマ状の作品(以下略して”長絵”)は、屋外プールがオープンする6月末の時点で予定していた20枚を描き終え、かねてより吹聴しまくってたように8月の半ばには個展開いて皆さんに見ていただくはずだったんですが、いくつかの理由でとりやめにしました。
(って、そうかしこまっていうことでもないのでしょうが、楽しみにしてらした方もちょびっとはいると想像するので、若干かしこまります)

以下そのいくつかの理由ってやつを力が強いものから順に記します。

その1)
足掛け2年も同じシリーズもの描いてると別れが惜しくなってしまった。ので、あと4枚描き足して24枚にすることにした。
つまり、この長絵描いててすごく楽しいし、発見(学ぶこと)がきわめて多いのでもうしばらく描き進めることにした。
その2)
春に予定外の旧作展をやっちまったため、対外用一年分のエネルギーの大方を使い果たしてしまった。
その結果、夏の個展のための場所探しや告知活動、搬入搬出する力が潰えてしまった。
(絵を”描く”のは疲れないが、絵を”見せる”のは非常に疲れる)
その3)
箱屋さんをすることになったので、とりいそぎ箱の制作をしなくちゃならなくなった。

「あん?」「はこや?」

と、いうことで箱屋さんのことについて書きます。

前回お話ししましたように今春から福岡は東区の箱崎ってとこで暮らしてるんですが、近所に服を作ってる友達が住んでます。
その彼がアトリエ兼ショールームとして使ってる場所が今度半分空くことになったというのを6月初めくらいに耳にして、当初は他人事だとさして気にしなかったんですが、2、3日すると、その場所は好きだったしこれも何かの縁なので、なんかできんかなあ、と思うようになりました。

そいでもって思いついたのが、箱崎で箱(空間)があるんだったら、やっぱり「箱屋さん」をやるのがいいやろう!ということでした。
あこがれのショップオーナー、専門店の店長です。

「おお、そりゃあいかすやん」「しかし、箱はどうするん?」
そう、売るもんないと、店ははじまらんです。どっかで箱を調達してこんといかん。

そんなわけで、その場所を貸してもらうのは9月からということで了承を得、夏は箱の制作に専念することにした。
制作というのは、白木の出来合いの箱(けっこういいやつ)を買い求め、その表面を磨いて下地を塗り、その上に絵を描いて、最後にニスを塗って仕上げるというものです。
が、これがなかなか大変。ヤスリがけやニス塗りなど手間がかかるし、木材なので絵の具が着きにくい。それに何てったってキャンバスと違う立体で、6面もあるので見た目ちっちゃくても絵を描くのにたいそう時間をとられる。

わあ、おろろんおろろん、今夏は長絵(長いパノラマ状の作品)とプールと抹茶ソフト三昧の日々だと思っていたのにぃ、何てこったい、この唐突な試練は...うう。

と、出だしはそう思っていたんですけど、あらまあ、やってみるとこれがまた楽しい。
何が楽しいって、まず身体が楽しい。いつもはイーゼルに置いたキャンバスに向かい真っ直ぐ立って絵筆を動かすのに、箱の絵付けは椅子に座り箱を片手に持ってやや背を曲げながら。やってると、輪島塗りだとか博多人形とか伝統工芸にたずさわってる人って感じで、何気に風格が増したようないい気分になる。加えて、木に描くのは麻布に描くのとはまた異なった感触と画面の表情で味わい深い。描く面が変わる度に絵がねじれたり、一方向からだけでは死角になる部分があるので、それを生かして構図を考えるのが面白い。さらに、うふふ、仕上がった箱をこう、ひとつずつちょこんちょこんと、並べていくのが相当心地いい。気分はすっかり洒落たフランス雑貨屋さんで働くセントジェームスにエプロンの娘だ。

と、そんな感じであの暑い最中、怒濤のごとく描きまくり、今やっとこさ18個完成。
「怒濤のごとくってったって、一ヶ月半もかかってたった18個かよ!」
うっく、すまん。しかしこの季節はあっちいったりこっちいったり、けっこう他にやることあるんでなかなか制作の時間がとれんかったです。
しかし、あと何個かさらに仕上げ30個くらい(希望)にして9月の25日あたりにいよいよオープン!というジェットな作戦だぜ。

箱の大きさは6種類、一番小さいのがi-phoneを3つ重ねたくらいの大きさで、最もおっきいのが中くらいの巨峰の房がひとつ納まるくらいの大きさです。
値段はひとつ8千~2万円くらになる算段です。

店の名前は「鰺坂絵箱店」(なんや、そのままやん!)場所は箱崎3丁目の古いビルの2階。土曜と日曜のみの営業で、ひとまずは、入って手前が先の友人の服「GROU」のショールーム、奥が箱の店という仕切りです。”ひとまず”っていうのは、時と場合によってこの空間をいろんな形で自由に使っていこうと話し合っているからです。

開店の日にわせてオープニングの催しをGROUと共同で開催する予定です。
店の場所や開店時間、その催しのなどの詳細については後日、お知らせいたします。

この店は毎週1、2点新作絵箱を発表しながら、来年の8月まで1年間だけ続けてみようと思っています。
(箱作り、1年は飽きんやろう、たぶん)

azisaka : 21:23

クールミントな誕生日

2010年05月20日

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去年の春のことだ。いつものように誕生日がやってきた。日頃世話になっている手前、何かとびきりいかしたプレゼントを自分に贈ろうと思った。けどプレゼントといっても、靴や本といった物でもなけりゃ、フランス料理とか温泉旅行などの娯楽でもない。そんな、もらったら心がうきうきするようなものではなく、どちらかというと反対にずんと沈んでしまうようなやつだ。つまり漢字の書き取りノート十冊!だとか、素振り千回!とか言った類いのけっこうきびしい試練、それを自分に贈ろうと思った。(”贈る”というより、”お見舞いしてやるぜ!”ってのが近いかな。)
でもまた、なんでなん?というと、自分ができるかできんかわからんくらいの難題を課してそれをやり遂げた瞬間の、あのとびっきりすがすがしい気分を味わいたかったからだ。久しく遠のいていたけど、そりゃあなんてったって気持ちがいい。生きてる手応えみたいなものがギラリきらめき、年をしっかり重ねたという最上の証しとなるだろう。(たぶん...)

そんなわけで、仕事場兼住処のある長崎市内から実家のある佐世保まで歩いて帰ってみることにした。60キロくらい離れてる。その前の年、自転車で帰ってみたら半日かかった。徒歩なら一日あれば大丈夫だろう、夜明けに出発し日没くらいには着くだろう。マサイクッションのついたMBTサンダル(「何なん、それ?」という人は自分で調べてみよう)ですたすた行けるとこまで行き、しんどくなったら自身にもっとも快適なニューバランス1700に履き替える作戦だ。リュックにその1700、途中で食べるおにぎり、手ぬぐいと靴下を詰めて10時には寝た。

5時ちょうどに出発した。なんてったってしだいに明るくなっていく景色の中を風切って歩くほど心地いいことはない。もしそれがちょっとした冒険の始まりであったのならなおさらだ。このはじめの数キロの、でっかいわくわく感を味わうために60キロを歩くのだと言えるくらいだ。さて、履いたことある人はわかると思うがMBTで歩くのは気持ちがいい。タンタンタタタンと太鼓たたいてるような軽快なリズムで身体が前に進んで行く。

「おお、なんっちゅうすがすがしさやあ...」といい気分で歩を重ねていたけれど、そこは所詮サンダル、平和公園の近くまで来たあたり、まだ5キロさえ満たないのに足の甲と踵のとこが擦れて痛くなってきた。それで1700に履き替えた。「かつがつ暮らしの風来坊ごときが、そんな高いスニーカー買うのはけしからん」と母にひどく腹を立てられたことのある一足だ。たしかにスニーカーにしちゃあたいそう高価だ。高価だが、足の甲が高くそんじょそこいらのスニーカーではピタリ合わぬので多大な出費も仕方ない。「1700、1700、おまえはおれの最強の味方、頼りになるぜ、かっこいいぜ、おれら供に地の果てまでも駆けていく~ラララ~」と鼻歌うたいながらまたすたすた歩き始めた。

快晴!しかし快晴過ぎる。五月晴れというやつらしいが、泳ぐのじゃあるまいし、あんまり過ぎると延々歩く定めの身にとっては不快晴になってくる。強い陽射しで腕や首が焼けてヒリヒリ、空気の乾燥で目と鼻はシパシパ、真夏みたいな熱さで汗がダバダバダーだ。しかし、それはいい、曇った日に歩くよりか数段いい。問題は、まだ20キロそこそこなのに強烈に痛くなってきた足の裏だ。地面に触れる度に、じぐぐっと図太い釘で突かれたような痛みがはしる。どうやらあちこちに豆ができてるらしい。なんとか早急に溜まった水を出さないと、じきに歩行が困難になるだろう。それで、豆に穴空けるための尖ったものを探し始める。こんな時、小学生だったら名札のピン、OLであれば裁縫セット、パンクロッカーだったらピアスやピンズを持ってるのであろうが、絵描きなのでそんなの携帯していない。まったくもってサバイバルな状況では女子供以下の役立たずだ。

さて、困ったぜ。上り下りの続く海沿いの道にはしばらくコンビニや商店らしきものもなさそうだ...その時、しゃららららんと閃いた。そうだ、あれだ!クリスマスのケーキなんかによく広げて挿してあるギザギザの葉っぱだ。名はなんと言うか知らないが、あの葉の尖り様なら豆に穴を空けるなんて造作ないだろう。それで、キョロキョロ探しながら歩きはじめた。だけどしかし、こんな肝心要の時にかぎって見あたらない。ちっちゃいとき、人差し指と親指の間に挟みヒュウと吹いてくるくる回して遊んでた時にはどこにだってあったのに...ちくしょう、ううう...
それでギザギザ葉っぱはあきらめ今度は、針金かなにか尖ったものがひょっこり落ちてやしまいかと、足元をさがしてみることにした。けれど「そんなもの拾って刺したらバイ菌入って犬塚信乃みたいに破傷風になるぞ」と、坂本九ちゃんがが天の上からいうのですぐやめにした。(ここんとこ、若者には意味不明ですまん)

足を踏み出すごとに、足裏から脳天めがけて逆さに激痛の雷鳴がとどろく。いつもの一歩が3ボルトなら、今の一歩は1万ボルトの激しさはあるだろう。普段夕食の買いものに行く時のステップがラン、ララ、ラララ、タリラリラーなら、今の状況はぐっ、ぎょえっ、うが、はあっ、もぐぁあ、といった有様だ。しかも、足の痛みに心を奪われうっかりないがしろにしていたが、気がつくと手がミシュランの人形みたいに膨れ上がっている。ずっと下に下げて振り続けていたからだろうが、このふくらみっぷりは四つ星だ。足ばっかり労って、すまん手よ...

と、その時ひょんと気が付いた。何もクリスマスギザギザ葉に頼ることはない。日本には古来から松という立派な鋭い葉を持つ植物があるではないか。しかも竹や梅より一段偉いたいへん尊い葉っぱだ。見るとちょうど「いったいどんな悪事はたらいたらこんな豪邸建つんだよ、おい!」と痛みも忘れて言いがかりをつけたくなるようなでかい家のでかい庭から通りにおりゃあとはみだしてる松がある。舞踏家の腕のように力強くしなったその枝から松葉の何本かをぶちりと引きちぎった。でもって、さすがに天下の公道で素足をひょろんとさらすのは気が引けたのでちょいと脇道に逸れ、靴脱いで足にむぎゅうと貼り付いた靴下ひっぺがして足の裏を見た。赤くて白くて筋が入ってちょっと透き通ってて、ぱっと見は何となくフランスの砂糖菓子みたいだった。「おお、ガトーシュクレアラフランボワーズやん!」
しかしフランス菓子ならば、ほんのちょっとつついただけで甘い香りにすっという微かな音たて松葉がすんなり突き刺さろうが、足の裏の皮は鏡餅みたいに固くって、あわれ松葉はくにゅっと曲がってしまった。

それであきらめて、桃白の足にまた靴下かぶせ、「お、おい、またこのまんまで歩くんかよぉ」と嘆くのを、すまんと心で言いつつ知らぬふりして、そっと靴の中に置いた。そして、きちんと人の手によって作られた先の尖った工業製品をどっかで調達せんことには、この苦しみは未来永劫続くらしい、ということに遅まきながら気がついた。しかし、時は平成、おれはモダンなイラストレーター。元禄や明治の行商人みたいに通りすがりの家の戸がらっと開けて「ちょいと、針を一本貸してくんないかい?」というわけには簡単にいかぬ。それで、白桃色フランス菓子にはもう一踏ん張り地獄の試練に耐えてもらうことにした。しかし、それにしてもこの痛み、足裏の皮と肉の間に5ミリくらいの高温に熱したネジ釘が数本詰まっててギュリギュリ回転してるみたいだ。

黒布被って修学旅行の記念写真を撮影する写真技師のような腰の角度でよたよたと、それでもなんとか前へ進み続けていたらまずは大きなゴルフ場入り口の看板、そしてそのはす向かいにコンビニが見えてきた。店舗の10倍くらいの広さの駐車場を構える堂々とした田舎のコンビニだ。国道から店へ入るまでが気が遠くなるくらい長い。よろめきながら入店し、鋭利かつ安価なものを求め、まずは裁縫針をさがす。が、予想どおり針は単独では売ってはおらず、裁縫セットが480円。うわ、高っ!あきらめて今度は文房具コーナーへ。画鋲一箱258円、安全ピン50本入り255円、カラークリップ30本入り298円。うひゃあ、人の弱みにつけこんで、ぼったくりの値段やん!それで今度は菓子コーナーへ。おまけにバッジが付いてるキャンディとかがあるかもしれない...

結局、そんな気のきいたお菓子なんてなかったので随分迷ったあげく、先の尖り方を優先し安全ピンセットを買い求めた。そうしてもったいないが、がちゃがちゃ音立ててうるさいし、少しでも重量を減らしたいので5本だけ抜き取って、箱と45本はゴミ箱に残した。ゴルフ場の入り口付近が芝生がきれいに手入れされちょっとした公園みたいになっていたので、踏み入って木陰に腰を下ろした。何という名前かさえわからないので申し訳ないのだが、いきなり身体を寄りかからせてきた男に、木は木漏れ日と冷たく澄んだ空気の心地よさを恵んでくれた。

安全ピンひとつ取り出して、足裏の豆にブスブスブスブス突き刺し、ぎゅっと押さえ水を出していく。手や顔に比べて足の裏なんてのは日頃めったに表舞台に立つことないので、水ぶくれした上に刺されてさぞや痛かろうが「ぎょっ」「あたたっ」とか叫びながらも何となくうれしそうだ。しかし、この豆の中にたくさん溜まってる液体はいったいどんな成分でできてるんだろう?涙と汗ならどっちに近いんだろうか?無駄な知識はたくさんあるのに、草木の名前にしろ、自分の身体のことにしろ、ちっとも知らんよな、と思った。

両足とも、豆をぜんぶ潰してしまったら随分と楽になった。しかし足裏の状況は改善したものの足の甲やスネ、膝やふくらはぎなどその他の部分は揉んだりさすったりしても痛みはとれない。まあ、なんとか耐えていくしかないなと、またやおら歩き始めた。
しばらく進んで峠道にさしかかったら先の方に湯気があがってて近づくと酒饅頭屋さんだった。ほんとうは4個くらい買いたかったが、1gだって重量を増やしたくなかったので2個にした。5月の峠で饅頭を売る女というのはこうあるべきだという見本のような、化粧っけのない30半ば、深い二重で鼻筋のとおった姉さんだった。こういう酷な旅の道中でなければ「そのエプロン、いかしてますね」とかなんとか話しかけ、いったいどんな声と言葉遣いと表情で話したものか見てみたかったのだけど、「ぎょえーっ、饅頭2個分も重くなるんかよぉ」と不満の声をあげる足腰の手前、そんな勝手なことはしておられなかった。それで、万感の思いを込めて「さよならぁ」と言うとまた歩きはじめた。

しばらく行くと陽が空のてっぺんまで登って12時になって、お腹がすいてオランダ村に着いた。それで、かつてオランダの町並みを模したテーマパークがあったその場所で昼食をとることにした。家を出て6時間で約30キロ、やっとこさ半分だ。素敵な木陰を見つけて座るやおにぎりを食べはじめた。すると草むしりのおばちゃんが通りかかったので挨拶をすると、「あらあ、おいしかごたるねぇ」と近づいてくるので「ひゃ、まずいっ」とあせった。日没までに実家にたどり着かんがため数分でも惜しいのに、こちらの素性をとことん聞かれたあげく、孫や持病や老人会のことを延々聞かされるはめになるだろうと思ったからだ。ところが予想に反し、徒歩で帰省してるという話しを聞くと「そりゃあ、すごか!」と言って麦わら帽子の陰の目を一瞬強く光らせただけで、天下の大義のじゃまをしてはいかんとばかりに立ち去った。ただ、別れ際に作業着のポケットをまさぐるとガムを取り出し「クールミントガム」とつぶやいて一枚くれた。

またおにぎり食べ始めてると、かつてベルギーの田舎町に遊びに行った時のことを思い出した。友人の家に泊まった朝、ひとり早起きして散歩してたら畑仕事をしてるじいさんと出くわしたのだが、そのとき彼からミントキャンディーをもらったことがあったのだ。労働をする人々のポケットの中には万国共通、ミント味の何かがしのばせてあるのだなあ、と感心した。同時になんでか笑みがこぼれ、疲労が20%くらい消し飛んだ。けど、ガムは苦手なので後で誰かにあげようとポケットに仕舞った。

おにぎり平らげ饅頭2個食べたら、とびきりうまかったので(饅頭類の味にはうるさい)さらに元気がでてきた。それでまた歩きはじめた。太陽同様西へ西へと進む。相手が地平線に沈むのが早いかおれが実家に帰り着くのが早いか男と男の勝負だ。(フランス語で太陽は男性名詞なのでここでは勝手に男にしときますが、女だったらすまん太陽)競争相手はでかいほどいい。しかし、おれは独り黙って歩くのに、野郎ときたら頭上からまばゆい光と灼熱で攻撃だ。ひきょうだぜ、まったく。と、ぶつくさ言いながらもなんとか、ゴールに次ぐ最大の目標地点である西海橋にたどり着いた。眼下のうず潮と大怪獣ラドンの衝撃波に破壊されたことで有名なアーチ橋だ。3時ちょうどだった。家をでてから40と数キロ。マラソンの距離くらいをやっとのことで歩きおおせたことになるが、手はトムとジェリーのトムがドアにはさんでギャーッと叫ぶときのように腫れ上がり、足はぶつかり稽古半日やった新米力士のように真っ赤でパンパンだ。体力は幸いまだあるけど、四肢の痛みに最後まで耐えきれるかどうか...ひと休みするべく欄干のそばのベンチに腰を下ろしたものの、果たしてもう一度立ち上がることができるのかと不安になる。

それにしても、てくてく呑気に歩いてさえこうなのだから、この距離を走った時のしんどさっていったら、そりゃあメガトン級だろうと思った。タイムはどうであれマラソンを完走する人達への畏敬の念が眼下のうず潮のようにぐるぐる心に湧き上ってきた。それで、ビキニ着て肢体くねらすグラビアアイドルだろうが、まったく面白くない冗談大声でわめき散らすお笑い芸人だろうが、マラソンを完走したと知るならばテレビの前に背筋をただし黙礼するくらいのことはせねばならぬと思った。思ったとたん、傍らの観光土産屋の店先に宮崎県産品のポスターが貼ってあり、知事がはっぴ姿で写ってたのでこくんと礼をした。

十分ばかりそのままベンチでぼおっとしてたら陽の光が和らいだ気配がしたので、あわてて出発した。もはや歩くというより上半身が下半身を引きずっていると言ったほうが適切で、スタスタではなくズズッズズッといった趣だ。それでも何とか先へは進み、少し行くと鯛焼き屋さんがあった。ちらり見やると、きちんと白い調理衣着た兄さんが焼いていた。酒饅頭は色っぽい女だが鯛焼きは仕事熱心な男のバイト学生がいいよなと思った。ついでに言うなら、今川焼ならやはり深沢七郎(今時あまり人は読まないが読んだ方がいい)みたいな一風変わった初老の男が似合う。ところで、甘いものは欲しないが喉がすごく乾いていることに気がついた。昼食時にお茶を飲んだだけで何ぶん水分ずいぶん長いこと補給してないので、あたりまえだ。しかしもう後ちょっとだけ我慢することにした。なぜなら、こんなにしっかり照らされて動いて汗かいて、どこに出しても恥ずかしくないくらい立派に乾ききっているのに、自販のジュースごときを流し込んだのでは身体に申しわけないと思ったからだ。数キロ行くと農産物の直売所みたいなとこがあり、そこにたしか自家農園でとれたブルーベリーの果汁100%ジュースが売ってあったはずだ。いつぞやドライブ途中に立ち寄った時はその高価な値段に断念したが、今回なら買って飲んでも誰も文句は言うまい。

その甘酸っぱく芳醇な濃い紫の液体が五臓六腑に浸透していく様を想像する喜びだけを力として、乾燥してるのに重たいピラミッドの石みたいな身体をえんやこら押して進ませた。そうして到着し店へ入り500mlのやつ一本つかみレジへと向かった。向かいながら念のために値段を見た。「ううっく...」高くとも600円くらいだとあなどっていたが1500円だった。180mlが500円だけど、これでは乾きがとうてい癒えぬ。どうりで前回見送ったわけだ...絶望し店内に立ちすくむ姿に向かい「こうじ、ずばんといっちまえよ!今いかんでいついくんや!」と誰かが叫ぶ。しかし、やはり今回もやめにした。”高級”すぎると感じたからだ。たとえば、仁義に反した組長たたき切って入れられた刑務所から15年ぶりに娑婆に出てくる兄貴分にフランス料理のフルコースをふるまうようなものだし、あるいは、昼間は一家を支えんがために重労働、夜になると夜間で勉強、そんな苦労をしてやっと受けた国立大学に合格した青年にフェラーリを褒美にやるようなものだ。前者にはすき焼き定食、後者には自転車くらいがちょうどいいし、彼らにしたってその方がありがたかろう。それで結局、店先の自販のジャスミン茶を買って飲んだ。うまかった。

また歩きはじめる。まるで40女を背負ってるように足取りが重い。甲やスネ、膝やふくらはぎはこれ以上ないほど固く腫れあがり、足裏は豆だらけでもう何回安全ピン突き刺したかわからない。一歩一歩が重要だ。普通の一歩が30円くらいなら今の一歩は2千円くらいの値打ちがあると思った。50キロを過ぎるころになると、もはや数百メートルごとに休みをとらないことには膝から下が言うことをきかなくなってきた。一歩踏み出すごとにロシアのコサック兵士の強者がやってきて、膝下をぎりりと力の限り絞り上げるみたいだ。人目がないのなら、這うか逆立ちして進んで行くほうがはるかに楽だろうと思ったし、陸地ではなく海ならばすいすい泳いでいけるのだがと幾度も嘆いた。

しかし、意外なことにコサック兵のことを思いついたおかげで状況が一変した。つまり、おれの荷物はちっちゃなリュックひとつだが、行軍の兵士や難民の人々なんかは武器や家財をたくさん抱えて飲まず喰わずで何百キロも歩くのだということに気がついた。そしたら、「こんなことでぶつくさ文句言ってたらダサいぜ」と(兵士や難民の人たちには勝手に利用してすまないが)なんとなく元気になってきた。歩む速度を何時間かぶりに速め、うなだれていた顔をあげた。すると山間から見える西海が夕陽に染まり紅く輝いている。なんちゅう美しさやぁ...
ここにきて太陽はおれの競争相手から、互いにはげましあって歩く同伴者になった。この土地、西海は父と母が生まれ育った場所であり、祖先は何代もこの落日の光に照らされ育まれて生きてきた。つまりおれの中に脈打つ血はこの夕陽の紅でできている。夕陽に身体が呼応して、力が湧いてくる。
憔悴しきってるのに今朝出発した時と似た晴れやかな心地になった。紅から茜色へと変わる光の中、足の痛みをすっかり忘れ、このままずうっと歩き続けていたいよなぁとさえ思った。

「ただいまーっす!」7時過ぎに家に着いた。すっかり暗くなっていた。「あらぁ歩いて来たん?電話すれば駅まで迎えに行ったのに」「いや、駅からじゃなく長崎からずっと歩いてきた」「あん?」
それからさんざん「あきれてものも言えん...」「身体壊す!」「いい年こいて何者や」などと小言をいわれた。

いたるところ、じんじんひりひりがくがくする身をそおっと湯船にしばらく浸けたあと、やさしく撫でるように洗い、赤ん坊拭くように拭いて、着替えて食卓に着くと、なかなか豪華な刺し盛りが用意されていた。「やっぱ、こんな時は刺身やろっ?」風呂にはいってる間に買いに行ってきたらしい。ありがたくたらふく食わせてもらった。酒は、もうほんとのほんとうにうまかった。こんなにうまい酒が飲めるんなら60キロでも70キロでもいつでも歩いてやるぜと思った。やはり、この充足感や達成感は誕生日のプレゼントとしては最上級だ。
食べたら歯を磨いて二階に上がり布団のなかにぶったおれた。身体が大きな瓶で中にぎっしりにしんの酢漬けがはいってるように重たかった。布団の中に沈んでいって畳も天井も通り抜け階下にどさりと落ちてしまいそうだった。とても深い眠り...ミシシッピーとかメコンとかそんな大河流域の、この世で最も肥沃な土に厚く厚く覆われてるみたいだった。

翌朝目覚めると、がくんがくんだった。昨晩は疲れて朦朧としていたので痛みを感じる気力もなかったのだが、それが回復したためいたるところが疼いた。水を飲まんがため一階へ行こうとするものの階段は立っては下りれず、腰掛けて一段づつそおっと下りた。壁をつたいながら台所に向かってると洗面所の方から母の声がした。「あんたぁ、洗濯物出すときは気をつけなさいよー」「ポケットにガム入っとったよー」
ああ、そうだ、クールミントガムのこと忘れてた。

さて、今年の誕生日には何を自分に贈ったのかというと、それは”引っ越し”だ。
4月半ばから長崎を離れて福岡に移り住んでいる。筥崎宮の近くだ。一月たってようやくどこの店の野菜が安くてうまいか、どこにいい酒が売ってあるのかがわかり始めてきた。

今回の曲
Ultra Orange & Emmanuelle 「Don't Kiss Me Goodbye」

長崎から佐世保まで歩いてる間、もっとも鼻歌に登場したのがこの曲だ。なんでだろう?

azisaka : 21:20

かきなおし

2010年03月23日

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ひょんなことから、今年は春に旧作を中心とした個展をやることになった。一月末にベルギーから帰国するとすぐさまその準備にとりかかった。展示する作品を選出すべく実家の押し入れからむかし描いたやつ引っ張りだして畳の上に並べる。ひさしぶりに古い絵(といっても4、5年前だけど)を手に取る。なつかしい...
ってなことなんかは全くなくって「あれ?」「なに、これ?」という感じだ。頭の上にははてなマークがいっぱい。その姿を誰かが見てたなら「こうじさんは、その時きょとんとしてました」と報告したくなるような状態だ。

つまり、絵を見てたしかに自分が描いたものだというのはわかるんだけど、いったいなんでそんなもの描いたのか、こんな色つけたのか、あんな形にしたのかがわからない。ぎくしゃくしてバランスが悪いし、手を抜いてて粗雑に見える、しょぼいったらありゃあしない。しかし同時に、それらを描いたその時々こと、誠心誠意全力出し切って描いたこと、はしっかり覚えてるので、注いだもの(時間やエネルギー)と眼前の作品のはげしい格差にあっけにとられてしまう。

あっけにとられてたって仕様がないので、手当り次第に描き直してゆく。描き直し方は様々だ。人物の表情をほんの少し変えるだけのこともあれば、微かにしか原型をとどめぬほど手を加えたり、時には全部塗りつぶして最初っから描き直すこともある。で、変な話しだが(当人は全くそうは思わないけど、聞いた人が大方そう言うので...)これがとっても楽しい。

雑誌広告なんかの気取ったモデルの顔に髭や変な衣装を落書きしてるような感じでもあるし、冷蔵庫の中の余りものをつかって料理してるようでもある。あるいは、昔の彼女と歩いたのと同じ街を新しい彼女と歩いてるような心地もする。なんというか、この絵は一回ちゃんと日の目を見てそれなりの生をまっとうしているので、失敗したっていいやっ、という安心感が筆をすいすいと進ませる。かといって、軽快なだけでもない。なぜなら白く塗りつぶしたとはいえそこは絵画。消去したらほんとの無になっちまうデジタルイラストとは異なり、その下には幾重にも絵の具が重なっている。それらの色や形の層が筆を下からぐいと引っぱる。そりゃあ強い抵抗力で、その手応えがまた心地いい。真夏のプール、図太い陽光が何百も降り込んで水が黄金色に濃くなるんだけど、それをざっぱざっぱと掻いて泳いでるみたいだ。

とはいっても、絵を描きだしたはなっからそんな具合に”描き直し”を楽しんでいたわけではない。当初は一応描き終わったのならそれはそれとして遠ざけて見ないようにし、次々に新しい作品を描き連ねていた。一回描き終わった作品に関わってたってあんまし学ぶことはないだろうと決めつけていたからだ。
しかし、あることがきっかけでそんな態度が変わった。今回はそれについて書きます。以前、ある新聞にエッセイを連載してた時に書いた話しの”書き直し”です。「話し」も「絵」と同じで、ひさしぶりに読むと「なに、これ?」で、書き直したくなります。つまり、以下は「描き直し」のはなしの「書き直し」というわけです。

5年前、ベルギーに住んでた頃のはなしだ。パリでの個展が決まりそれに向けて懸命に絵を描いてたら、ニューヨークで編集業に携わっているという女の人から突然連絡があった。なんでも今度ファッションイラストの画集を出すので作品を掲載させてくれないかという。初めてだというのにヘイとかヨォとかたいへん気さくだし、エクセレントとかスパースターとか持ち上げることはなはだしい。アメリカの人にはこういった感じの人が比較的多いと経験的に知ってはいたけど、それにしても軽率でなんとなくうさんくさい感じがした。ファッションなんてのに関わってる人ってのはちゃらちゃらしていかんよなあと思った。それでその時は適当に気のない返事をしておいた。すると間もなく、当時ちょっぴり世話になっていたパリのイラストエージェントの人から電話がかかってきた。彼が言うには彼女、VOGUEアメリカの編集部の人でその業界(ファッションイラストの業界というものがあるらしい)では有名なのだという。そりゃあ断ったりしたらもったいないと、掲載を承諾した。当時は(というか今でも)注文の来るイラストっていったら、ひとコママンガや食べ歩き文章の挿絵なんてのが主だったので、奇妙な感じがした。
するとしばらくして今度は「絵を買いたい、原画を見るのは困難なのであんたのHPに掲載されてるものから選ぶのでよろしく頼む」という連絡があった。

一方、そんなメールが来た時点でパリの個展まであますところあと2日になっていた。その時まで39枚の新作を描いていたのだけれど、告知していた枚数まであと1枚仕上げなければならない。しかし、買い置きのキャンバスが底をついてしまった。買いに行く時間さえ惜しいので仕方なく前回展示した絵に手を加えて出品することにした。物置から適当な大きさのやつを1枚選んで持って来て数ヶ月ぶりに見てみる。「ううむ、つまらん絵やぁ」「なんでこんなの展示したんだろう...」とため息が出る。しかしため息着いてる間も時はいっちまうので、あれこれ考えず感じるままにさっさと描き直しを始める。色や形なんて意識してる暇なんてないので、手の中に脳みそがある状態。ここをこうしようと思うのと筆を動かすのが同時だ。
さて、そうやってしばらく休むことなく筆を動かしていたら”ここをこうしよう”というのが尽きて見当たらなくなったので筆を置いた。そうやって目の前の絵を改めて見たら、髪型や背景などをほんの少し変えただけなのに、ぜんぜん違った印象を与える絵と成り代わっていた。さらにびっくりおったまげたことに新作40枚の中でも最も良い絵になっていた。  

もともとの絵を描いたのは一年前である。その時に髪型や背景変えたらもっと良くなるなんてこと、まあぁーっったく気付きはしなかった。したがって、その”ほんの少し”の変更ができるようになるために1年もかかったということになる。ありゃー、何てこったい。求めるものは足もとに転がっていたのに、そこに辿り着くまであちこち迷い、遠回りをし、こんなに長い道のりを要してしまった。しばしの間ずしんと落ち込んでしまった。

しかし、それじゃあその遠回りがあんた辛かったのかい?というと、そうではない。それどころか、その道程こそが生きているという確かな実感を与えてくれる唯一のものだ。そういえば三國連太郎扮した阪田三吉が浜辺に這いつくばって「将棋の神様よぉ、お願ぇだーっ、おれを日本一の将棋さしにしておくんなせーっ」と咆哮する伊藤大輔かだれかの映画があった。それを見た時、「三吉さん、ひょいと願いが叶って苦もなく日本一になったりしても楽しかあないだろうに、なんで願いごとなんてするんだろう」と不思議に思った。
高度なナビシステムついた自動車でさあーっと目的地に辿り着いたとしてもあんまり楽しくはない。長い道、自分の足でてくてく汗かいて歩いていくのが楽しい。目的地にある名勝の景色より以上、通りすがりに見る路傍の草花が美しいし人の心を豊かにする。したがって目的地は遠ければ遠いほど、道のりは長けりゃ長いほどいい。
と、そんなことあえて望まなくったって、この描き直して今は輝いてる絵だって数年後には「あれ?なんでこんな絵描いたん?」と感じられるようなしょぼい絵に立派に成り下がっているだろう。そうしたらまた描き直す。終わりはない。

さて、話しがいささか大業になったが、こういう風にして40枚目の絵が完成したので、さっそく写真にとってサイトにアップした。

しばらくして先のニューヨークの人から連絡があった。買いたい絵が決まったという。彼女が数十枚ある中から選んだのは驚いたことにその描き直した絵だった。ぼくは背筋がぞっとした。さすがプロだ、なんという目の確かさだと畏れをなした。そして彼女のこと、ファッションかぶれのお調子者だとあなどっていた自分を深く恥じた。

と、まあ以上が前に書いたはなしの書き直しだ。

ところで、今回この春の個展には100点近くの作品を展示したのだけど、それらは大きく4つのカテゴリーに分類される。
1)全くの新作
2)旧作の中で「しょぼいぜ」と思い描き直したもの
3)旧作の中で「けっこういかすぜ」と思いそのまま出品したもの
4)旧作の中で「しょぼいぜ」と思ったけど描き直さず出品したもの

さて、4)は全然期待してなかったのに、1)~3)と変わりなく好いてくれる人がおり、それどころか中には一番気に入って買ってくださる方もいた。
ということは、おれの”しょぼい”は誰かの”いかす”になり得るということだ。
だとするとおれは、たくさんの誰かにとっての”いかす”を自分の楽しみだけのために描き直すことによって”しょぼい”にしてしまってるのかもしれない。
だれかにとっての菜の花畑を勝手にコンクートで埋めてしまい、そこに今流行りのカフェかなんか立ててるのかもしれない。
いったん描き終えたやつは誰かの花畑たることをそっと祈り、野に放っておいたほうがいいのだろうか...それともそれこそ身勝手な余計なお世話なんだろうか...うう、わからん。
しかし、わからんからこそこの世はいかしてるってのだけははっきりわかる気がする。
そのおかげで、おれのようなものの立つ瀬がある。

今回の曲
Metric「Sick muse」
ここ数年、絵を描きながらほとんど毎日聞いてるのが彼らMetricの曲で、なんで聞き飽きないのかとても不思議だ。ブリュッセルでのライブをうっかり行きそびれたのが今でもたいそう悔やまれる。

azisaka : 20:14

不毛地帯

2010年03月04日

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今は現代美術館なんてものに変わり果ててしまったけど、むかし熊本は上通りアーケードの入り口に、”いきなり団子”(熊本名物)屋さんがあった。いつだってもうもうと湯気をあげており、すぐれた絵画や彫刻に劣らず人の心を豊かにしていた。先月、個展の搬入のためひさしぶりに大学時代を過ごした熊本へ行った。街をふらついてたらその団子屋さんがあった場所に行き着き、そうしたら思いだしたことがあるので書きます。話しの都合上、出だしがちょっと荒々しいですが勘弁してください。

大学受験ってのはでかい鉄のポンプみたいなやつだ。朝取り大根のようにみずみずしい若者の水分、すっからかんに吸い取って茶色の切り干しにしてしまう。逃れる術を知らずただ生真面目に勉強するしかなかった高校最後の半年は、潤いのないまるでタクラマカン砂漠みたいな生活だった。そんなわけだったので大学入ったら、軽いサークル掛け持ちし女の子らとはしゃぎ、勉強は適当にやって気楽に暮らしてゆこうと計画していた。ところが、新歓コンパなんかで実際そういう風に気楽にやってる先輩見たら、こんなだらっとした人間にはなりたかないよなあ、と強く思った。強く思ったまさにその隙を付け込まれ、勧誘され、気がついた時には道着きて帯びしめて、中国拳法の練習に励んでいた。
励んではいたがあんまり他の部員にはなじめなかった。一言で言うと汗臭く野暮ったい人間ばっかりだったからだ。だから部活が終わるとミーティングもそこそこに、すきっとシャワーを浴び夜の街へバイトへ出かけた。だからといって、学部にいる流行りのポストモダン本読んでるお洒落連中とは仲良かったのかというとそんなこともなく、彼らにはもっとなじめなかった。ひ弱でいかんと思った。(あ、どっちとも少し言い過ぎなので、もし誰か読んでたらすまん)
無理して一言でいうのなら、”フランス製のワークウェア粋に着て畑を耕し(あるいは魚を捕り)、その合間に分厚いロシア文学読んで「人とは何か」と自答してるような若者”たることを自分にも他人にも強く欲していた。
が、そりゃあ無理ってもんだろう。
ないものねだりで、どの場所に身を置こうともけっして深くは溶け込めず、独りぼっちだった。それで大学時代はあんまし幸福ではなかった。形は違えど、高校時代のタクラマカン砂漠同様、草木も生えねば花も咲かぬ不毛の時代だった。
 
さて、そんな大学生活3年目のある夜のことだ、部活の忘年会か新年会だったか忘れたが、全員しこたま飲んだ。たいそう酔っぱらって血の気が増し熊本のアーケードいっぱい横に広がり皆で肩いからせメンチきりながら歩いた。上通りの入り口にはいったとこで前方から同じくらいの年格好と人数の一団がやってきたので、これ幸いと真っ直ぐ進んでって身近なやつにごつんと肩をぶつけた。「気いつけろよぉ」と言い残しそのまま何歩か歩いたのだが、どうしたことかいきなり目の前が真っ暗になった。数十秒して気がついたら地べたに這いつくばっていて、顔上げてみたら大乱闘が繰り広げられていた。
 早速立ち上がろうとする姿を皆が変な顔で見てるのでわかったのだが、あごの下からぼたぼたと血が流れ落ちていた。「ひゃあ、凶器攻撃受けたプロレスラーみたいやん」とおかしかったが、それより頭にきて「どわぁれやあぁあ!(誰だ、おれを後ろから殴った野郎は!)」とわめいた。「こうじ、こいつやぁあ!」と間髪入れずに誰かが叫んだが、それをかき消すようにパトカーのサイレンが鳴るのと「逃げろー!」「おい、兄ちゃん、こっち来い!」と腕を引っ張られるのがほぼ同時で、ありゃりゃりゃあーという感じだった。

「学生が警察の厄介になったらいかんやろ」とその男は言って、入ったことない裏通りのビル一階奥のスナックに連れて行った。なじみの店なのだろう。「ちょっと隠してやっとって」とママさんに告げるとすぐにどこかへ出て行った。ママさんに言われるがままカウンターの後ろに屈んで座ってるとパチンパチンパチンとビニール裂いて「傷口に当てときっ」とおしぼり3枚手渡してくれた。ふつうは「いらっしゃい、どうぞ」っと、1枚きりなので、特別扱いでうれしかった。他にお客さんいなさそうだし、わりと好みのタイプなので何か話しかけようとしたら「警察回ってくるかもしれんけん、しばらくじっとしとき」とやさしく強く言われた。それで黙って、やることないのでママさんの足を見ていた。1万ちょっとくらいの鶴屋(熊本にある百貨店)の1階に売ってありそうな靴だった。女の人の足をこんなに長い間見るのはそれがはじめてだった。なんでハイヒールなんて履くんやろうとか、サイズは24くらいかなとか、かけっこはそんなに速くなさそうだ、とかいろいろ考えた。まだ考えつくさぬうちに、さっきの兄さんがもどってきた。そしてカウンターごしにひょいとこちらをのぞきこんで「おい、病院いくぞ」と言った。間近で見るその顔は、腕の立つ左官屋さんのようだと思った。
「ありゃ、けっこう深かねえ、骨の見えとる...」と夜勤の医者が言った。続けて「麻酔する?」と聞かれたが、たいそう酔ってて全然痛みを感じてなかったので「あ、いいっす」と断って5針ほど縫ってもらった。

翌朝目覚めたら周囲が真っ白で、一瞬雪の中かと思ったが、真夏の病室のベッドの上だった。めちゃめちゃな二日酔いで脳みそがまるでひからびたレモンみたいになっていた。そんなパサパサ脳ミソから昨晩の記憶を最初から順番に絞り出してたら、飲み会が終わりアーケードをわがもの顔で歩き出したところ、まだその登場場面までたどり着かないうちに「よう!」とあの兄さんがはいってきた。
誰だか思い出すまで、2秒くらいかかった。あわてて、「おはようございます」と挨拶をし、続けて「きのうは、ありがとうございます」とお礼をいった。しらふで見ると彼がその筋の人間であることがアホな大学生にでもはっきりとわかった。それでひょったしたら、たくさんお金とか請求されるんじゃあなかろうかとびびった。びびってたら「ほら、アイス」といってアイスクリームをくれた。
いっしょにアイスを食べながら10分くらい話しをしたけど、アイスの種類も話しの内容もすっかり忘れてしまった。「ここ、おれの顔きくけん、心配せんでよか」と言うと名も告げぬまま去って行ってしまった。

そんなことがあったので、あごの左下のとこには傷跡が残っている。そこだけ白く細長い線が引かれていて髭が生えてこない。あんまりいいことがなかった大学時代を象徴するような不毛の場所だ。仕事柄、一週間に一回くらいしか髭をそらないし鏡もめったに見ないので、その不毛地帯を意識することなんてめったにない。めったにないんだけど、今やそれなくしては顔も人生も成り立たぬ、大切なものだ。

今回の曲
Grace Jones 「La vie en rose」

エディット・ピアフの原曲を聞く前にこっちを聞いた。「人生はばら色だ!」と何度も繰り返し絶唱するのを聞いてたら、なぜかしらん自分の未来をぎゅうと抱きしめたくなった。そのことが大学卒業後パリに行くきっかけのうちのひとつとなった。


azisaka : 15:55

春個展のお知らせ

2010年02月06日

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 アジサカコウジ新旧作混合春個展「クロアカキシロ」 

2003年より2008年までの6年間毎年夏に行った個展で発表した旧作品と、2009年に描いた未発表の新作数十点を合わせて展示します。個展のタイトル「クロアカキシロ」というのは”黒赤黄白”のことで、ベルギーと日本の国旗の色からとってつけました。なぜならこれらの展示作品を描いてた6年間のうち、はじめの3年がベルギー、あとの3年が日本にいたからです。
個展はまず熊本、つづいて福岡と巡回します。
熊本はいつもの”カフェOrange"で、選りすぐりを40点ほど展示する予定です。
福岡については、今回縁あって同時に3カ所で展示を行います。それぞれの場所に合わせて作品を選び、各場所30点くらい展示するつもりです。
以下、おおまかに説明します。
1)亞廊(あろう)
中央区は薬院にできた新しいギャラリーです。ここでは、何となくかわいくてキュートな、女の子度数が高い作品を展示します。
2)QULTEROOM(キュルトルーム)
福岡を拠点にコレクションを発表する服のブランド"GROU"のアトリエ兼ショールームです。ここでは比較的切れのいい、スタイリッシュな(と勝手に自分が感じる)作品を展示します。
3)キューブリックギャラリー
JR箱崎駅近くの本屋さん”キューブリック”の2階にあるギャラリーです。ここでは、物語性の高いものやコミカルなものを展示します。

<熊本展 >
2010年2月18日(木)~3月14日(日)
・カフェOrange
熊本県熊本市新市街6-22
096-355-1276
11:30~21:30(金・土曜日22:30)
定休日:ナシ

<福岡展>
2010年3月20日(土)~4月18日(日)

・ギャラリィ亞廊
福岡市中央区平尾1-4-7 土橋ビル307
092-523-7736
11:00~19:00
定休日:火、水曜日

・QULTEROOM
福岡市東区箱崎3-9-38 明石ビル2F
土、日のみ営業
12:00~21:00
 
・ブックスキューブリック箱崎店 2Fギャラリー
福岡市東区箱崎1丁目5-14ベルニード箱崎2F
092-645-0630
11:00~20:00
定休日:月曜日

*個展期間中はよっぽどの事がない限り週末は、各会場またはその周辺におりますので、「よう!」と気軽に声をおかけください。
とはいっても福岡は3つの場所でやりますので、それは困難。したがって、土曜日は「ギャラリィ亞廊」のある薬院、日曜日は他の二つの会場がある箱崎界隈にいるつもりです。熊本はオレンジで猫と遊ぶかアーケードを散歩してるはずです。

*展示作品は販売します。大きさなどによって値段が異なりますが、小さいものが4~6万、中くらいのが8~12万、大きいのが15万~といった感じです。もちろん、後払いや分割払いオッケーです。

*一昨年より描いてるパノラマ状のでっかい作品はまだ制作途中で、今年の夏に行う個展で発表するつもりです。

*浅川マキの歌の中では「紀伊国屋ライブ」のB面の最初に入ってる「少年」という歌が最も好きです。薬院の「木賊」のカウンターでイタリア娘3人相手に日本の代表曲だといって歌ったことがあります。

azisaka : 09:15

エタベックブルー

2010年01月30日

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ベルギーに来て幾日かが過ぎ、年が明けるとちょっぴり寒さが和らいだ。雪が溶け始め通りが黒く澱んでくる。歩くとぐっちゃぐっちゃで不愉快になってしまうので、あんまし外出する気が起こらない。しかしその晩は友人宅に招かれていたので、泥雪の深みにはまらないよう、右へ左へとぴょんぴょん跳ねるようにしてトラム(路面電車)の駅へと向かった。今回一足だけ持参のお気に入りのスニーカーが中の踵のとこまでぐっちょりになる頃、彼らの家に着いた。
ワイン飲みながらひとしきり話した後、レンズ豆のグラタンを食べた。熱々でたいそううまかった。ところであんまし大切な事ではないけれど、フランス語ではレンズ豆もコンタクトレンズもどちらも”lentille”という。なので、「しまった”lentille”落とした!」と言うと、落としたのがコンタクトか豆か判別がつかなくて困る。ついでに言うと、サラダで食べるアボカドも裁判所にいる弁護士もどちらも同じ”avocat”なので、発音する度に変な感じがする。
さて、会わないでいた1年半分の話しを次から次にやっていて気がつくとトラムの最終が出そうな時間になっていた。半乾きの靴履いて「そいじゃあまた来年か再来年なー」と抱き合いビズして(言うまでもなくこちらの人々は、会ったり別れたりする度にビズ(キス)し合う。)停留所へといそいだ。
歩き始めると間もなく、こめかみから首すじにさらさらさらさらと流れ落ちてくるものがあるのに気がついた。そんな感じ今まで経験したことないので何かしらんと夜空を見上げると、街灯にほんの小さな白い粒が無数に照らし出されている。雪にしてはあまりに細かいが、かといって霰(あられ)でも雹(ひょう)でもないだろう。ともかく九州育ちのおれがまだ知らぬ雨冠のついた何物かに違いない。それがあとからあとから落ちてきては坊主頭をやさしく撫でている。いったいなんだろ、このさらさらした粉状のものは?
「ああ、そうか...ははは」生まれて初めて見る粉雪だった。

翌朝目が覚めると、溶け始めた雪で濁ってた街がまた真白になっていた。しかし、なんか普段と違う。
いつも目にする積雪の光がキラキラまばゆく輝く蛍光灯なら、今朝積もった雪が放つ光はおだやかで白熱電球みたいだ。いつもの雪の白がパソコンの画面で見るよな白だとしたら、昨晩降った雪が積もって作る白は、古い8ミリフィルムで見る白みたいだ。
つまり、雪の肌が普段見知ったものよりもっとあたたかで柔らかい感じがする。水でこねて上等のシフォンケーキができそうだ。
粉雪っていうのは、なんとふんわかしてるものなのだろう。
まあそんな具合なので、通りは純白で上等のカシミアセーターまとったみたい、停まった車はきちんと整列してる大きな白猫のようだった。

上機嫌になり朝ご飯食べたらすぐ、その白猫らの背中を手のひらでパンっとたたいて雪の粉舞い散らせながら、地下鉄の駅へと向かった。プールへ泳ぎに行くのだ。初泳ぎはやっぱ、こんな特別の日じゃあなきゃあ納まらんやろうと思った。
今回の滞在中は過去に通い慣れたプールじゃなく、意を決して雰囲気がいいと評判の新しくできたプールへ行くことにした。
スタバ同様、プールは世界中どこいったってそれ自体は同じだ。(たいていは大きな四角い箱に水が溜めてあり、縦にロープを渡すことでコースに仕切られている。そのコースを左回りに泳いだり歩いたりする。)しかし、その四角い箱にたどり着くまでがそんなに簡単ではない。プールごとに独自のしくみというか作法みたいなものがあり、慣れないととまどってしまう。今までけっこういろんなとこで泳いでるんだけど、おおかた最初の場所ではうまくいかずあたふたしてしまう。

そのプールは街中から幾分離れたなじみのない地区にあった。トラム乗り継いで近くまで来たはいいが見つからないので登校中の小坊つかまえ「おはよっ、プールどこか教えてくれ」と聞いた。すると、「ああ、エタベックね、それなら、あそこ左曲がったとこ」と指さすのでその方に向かった。向かいながら、ああ、そうやった、ここベルギーでは市民プールに”カリプソ”だとか”マリブ”だとか名前をつけ、その名で呼び習わしてるのだということを思い出した。このプールの名はエタベックというわけだ。エタベックよ、どうかおれをすんなり泳がせてくれよ。

中へ入り階段のぼるとエントランスホールがありその奥に受付らしきものが見えた。どこにも券売機はない様子なので、入場券は受付で買うのだろう。近づくと髪の短いジョニ・ミッチェルのような女の人が爪の手入れをしていた。このような場所ではたいてい、ベルフラ人(ベルギーやフランス人)は自分の仕事以外のこと(おしゃべりとかクロスワードパズルなんか)に熱中してるので、じゃましてごめんねという感じで、「ボンジュール、大人一枚お願いします」と声をかけた。すると目は爪を向いたまま「地区内?」と聞くので「地区外」とすかさず答えた。以前、どうせばれやしまいと何サンチームか得したいばかりに「地区内(に現住所がある)」と答えた結果、滞在許可証の提示を求められたので今回は正直で通した。言われるがまま3ユーロ払うと、ぼんっとプラスチックでできたカードを渡された。
「ははん、最新ってったって前通ってたとこと同じだな...」このカードが今日ここに入ってから出るまでのおれのパスポートとなるわけだ。つまり、このカードを機械に通して入場ゲートを通過。通過したら出てきたカードを受け取り、更衣室へ。水着に着替えたら、脱いだ服やバッグを持って行ってロッカーへ入れる。個々のロッカーにはカードの挿し入れ口があろうから、自分のカードを挿して鍵を閉める。鍵を足首に巻いてシャワー浴びたら、あとはすいすい泳ぐだけだ。泳ぎ終えたのなら、今の手順を逆にやれば無事、泳ぎ初め終了だ。
「無愛想なジョニ~、そんなんじゃモテないぜベイビー、ラララ~」と鼻歌うたいながら、シュタッとカードを機械に通しクルっと回転扉抜けて第一関門突破。サッと出てきたカードを受け取り、サッと出てきた...あ、う、カードが出てこない。というか、カードの排出口が見当たらない。一般的には、挿入口の反対側に排出口があるはずなんだけど...しかし、ここはベルギーで、ジョニが住む土地だ、おれの中の”一般的”は通じない。それで、ひょっとしたらカードは長い滑り台みたいなものを通過して三方にある壁のどこからか出てくるんじゃあなかろうかと目を凝らす。が、それらしきものもない。やや不安になる。いや、まてよ、そうだ、奥のドアを開けて更衣室に入って、そこでカードを受け取るのだ、さすがに最新式は違うぜ、と納得して扉を開けた。
更衣室は見慣れたものだった。長方形の部屋の真ん中に左右に扉がついた着替え用の個室が並んでるやつだ。こちらから入って水着に着替え、あちら側からでる仕組みだ。しかし、カード取り出し口が見当たらない、ロッカーはどう使うんだろ?あ、掃除のおじさんがいる、聞いてみよう、とあちら側に渡ったら、「ムッシュウ!チッチッチッ」と人差し指立て怒られた。うわ、なにか間違えたのか?とびびってたら、メトロノームみたいに揺れてた人差し指が今度は足元を指した。ああ、そうかあちら側は土禁なのだ。「今きれいに拭いたばっかりなのに、新参者めが土足で歩きやがって」というような形相で睨んでる。「いやあ、初めてなもんで申し訳ない。ところでロッカーはどうやって使うんですか?」と謝りかつ尋ねた。すると「1ユーロ!」とまた人差し指を立てたので、ああ、そうかカードじゃなくてコインを使うのだなと合点して、「メルシ!」と礼を言い足早に個室に入った。すでに五百泳いだくらい疲れてしまった。
が、へこんでたって仕様がない。気をとりなおすとすばやくベルプル用(ベルギーのプール用)にと新調したオーシャンブルーの海パンに着替えた。間髪入れずに脱いだ衣類や靴、バッグをてきぱきとまとめ、右端の一番上の51番のロッカーに放り込む。そしてサっと財布から1ユーロ取り出し、サっと財布から1ユーロ...う、げ、1ユーロがない...
それでオーシャンブルーのまま回転扉から外へ出て、まだ爪やってるジョニに頭下げ両替してもらわねなければならなかった。が、当然のごとく彼女は小銭を切らしている。めんどくさそうに併設のカフェに両替しに行った。そしたら彼女と入れかわるように、中学生の団体が体育の授業でどやどやと入って来た。
エントランスホール。無人の受付。海パンいっちょうのアジア男がひとり。
ジョニはなかなか戻ってこない、中坊らがクスクス笑いながらこちらを見る...

まあ、そんな若干しんどい出来事があったものの、シャワー浴びて軽く準備体操しプールサイドへ出たとたん、すっかり忘れてしまった。どこもかしこも新しくてピッカピカ、水は透き通り泳いでる人が宙に浮いてるみたい。しかも早朝のことで人は少ない。「ジョニ~、ジョニジョニ~、君のプールは最高さぁ」と歌いながら誰も泳いでない一番端の7コースへちゃぷんと入った。その途端、ピーッ、ピピピーッツ!とけたたましく笛が鳴った。
びっくりして見ると監視員のひとりがまたまた人差し指を立て、チッチッチッとやりながらこちらに近づいてくる。そうして、とてもとーっても偉そうに「学校用!」と一言いった。このコース、さっきの中坊たちが授業で使うらしい。ゴボっともぐって隣のコースへ移動した。

泳いでたら、ひどい時差ぼけと寒さでささくれていた身体にやっとこさ生気が戻ってきた。


今回の曲
Sparks and Rita Mitsouko 「Singing in the Shower」

プール行ってシャワー浴びるとき口ずさむマイ鼻歌ベスト10の常に上位にランクされる名曲。なんちゅうギターのかっこよさや。

azisaka : 09:07

ふぶきのなか

2010年01月12日

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こんなにとてつもなく寒い冬は50年ぶりだというベルギーに年末から来ている。着いた日がちょうどその極寒の始まりの日だった。

先の晩秋、長崎はとってもあたたかで11月末だというのに南東向きの仕事場は、お陽様キラキラ空気ほかほか、暖房なしのスウェット一枚で作業をすることができた。このまま年末までどこにもいかず淡々と仕事をこなし、正月は前の年と同様、実家でこたつで猫とごろんして読書三昧だ、ふふふ。と思ってたらひょんなことから急遽ベルギーに行くことになった。冬のヨーロッパはだいっきらいで叶うことなら関わりあいになりたくなかったのだが、仕方がないので腹をくくってホッカイロをたくさん買って飛行機に乗った。
機内食を食べる度おなかの調子が変になるので、今回はたわむれに生野菜のベジタリアンメニューを頼んでみておいた。そしたら出てきたのはほんとのほんとに生野菜を切ったのとパンが一個だけだった。その野菜もサラダボールにいっぱいというわけでは無論なくって小さなトレイに落ちた花びらみたい、はらりとほんの少しだけ盛られてる。ちょっと悲しくなった。けれども、まあそりゃあそうだよなと納得して栄養素をあらんかぎり体内に取り込もうと、これ以上ないくらいゆっくり噛んで食べた。そうしてたら、坊主頭と生野菜と妙にゆったりとした動作がほんとの坊主に見えたのか、かしこまった口調でスチュワーデスさんの一人が、「それではあまりに少ないのでご飯をお持ちしましょう」とささやくように言った。
しばらくしてレトルトご飯を運んでくると「このままじゃあなんですので空いたトレイによそいましょう」と腰を低くするので、あわてて「私、自分でやります、結構です」と辞退した。”私”なんて日常で使うの生まれて初めてだったので、レタスをおかずにご飯たべながら独り笑った。そいでもってせっかくなのでこの機会にこの機内の中では、ほんとうの坊さんみたいに振る舞うことにした。つまり食べ終わったトレイをきちんと片付け、歯を磨き顔を洗い、身の回りをスッキリ整頓し靴を脱いできれいに揃えた後、毛布をきっちり半分に折って膝から下にかけ、背筋をしゃんとして目を閉じた。
ふふっ、誰がどうみても修行僧の佇まいだな,,,とひとりごちてると、まだ早い時間なのにえらくすんなり眠気が訪れてきた。不思議に思いながらもまどろんでてはっと気がついた。それもそのはず、野菜食べながらワインの小ビンおかわりして4本も空けたのだった。酔った坊主じゃあ話しにならん。ぐーすか寝て起きた時には毛布がだらしなく床に落ちていた。

そんなささやかな事件がモンゴルかロシアの上空であった後、経由地であるアムステルダムに到着した。乗り継ぎの時間が少ししかなかったので足早に入管ゲートに行くとすごい人の数だ。近所のスーパーだろうが郵便局だろうが、最も進むのが遅い列に吸い寄せられるように並んでしまうという難儀な習性をもっているので、この非常時に選んだ列も、動作が緩慢で無駄話の多い間の抜けたような管理官が担当している列だった。遅い、とにかく遅い。となりの列の先頭ではずいぶん後からきて並んだブルーネットの娘がもうすでに笑顔でパスポート出している。こんちくしょう、あっのいんちき売女野郎めが...はなはだ理不尽なことではあるが、こんなときには他の列の人たちがなんだか嘘つきで卑怯なやつに見えてしまう。でもって、自分の列の人々は正直で誠実な人間に見える。ううう、あと搭乗時間まで10分しかない...
それでもなんとか入管を通過して数分遅れで搭乗ゲートにたどり着いた。が、あたふたと駆け込んだというのにまだ手続きは始まっていなかった。どうやら出発が遅れているみたいだ。いったいどうしたんだろう?しかし、あわてて損しちまったよなあ、とため息をついてなにげに窓の外をみて驚いた。

吹雪だ。それも、古いロシア映画でしか見たことないような正真正銘の、ビュウウウぅうううーっ、っていうすごいやつだ。うひゃあ、これじゃあ飛行機、飛ばんやろう。しかし、どうなるんだろ?
と、責任者らしき人が前に進み出てきた。美しい青のオランダ航空の制服着た、太ったシャーロット・ランプリングみたいな女の人だった。なかなか頼りになりそうで安心した。彼女は手をあげ「えっとー、バスでブリュッセルまで行く人は私について来てくださーい」といった。うひゃあ、12時間飛行のあと4時間半、バスに乗るんかよぉ、荷物はどうすんだろ?飛行機なら数十分でひとっ飛びなのに何てこったい...
背中に容量80リットルのリュック、肩に10キロのショルダーバック、右手に20キロのトランク引いて、その吹雪の中をバス乗り場まで歩いた。(なんで乗り場が外にあってしかも離れてるんだよ!と全霊をかけて呪った)とにもかくにも寒い。薄いセーターにパーカーだけの身体は何とか凍るまいと全力で対応するのだけど、いきなりの氷点下にパニック状態、鼻汁と涙があふれ、手足がしびれ、はげしい悪寒にかがみ込んでしまいそうになる。ようやくバスに乗り席に着いても、氷でできた服を着てるような寒気はなかなかとれなかった。
まもなく分厚いコート着たシャーロットが乗ってきて名簿と人員を照らし合わせた後、サンドイッチが配られた。パサパサのパンにチーズが挟んであるだけのかなしいやつだった。「こんなことになって、ごめんなさい。では、みなさんお元気で」と言い残すと彼女は職場へともどっていった。

吹雪の中を高速バスが走る。
ようやくあたたかくなって丸めた身体をのばしてふと見ると、通路を隔てた向こう側、黒人の少年がひとり電灯に照らされている。彼以外はそれぞれの長旅に憔悴し消灯し寝息をたて始めているというのに、彼だけが窓を覆う雪の真白を背景に黒く浮かび上がっている。雪の世界をそこだけ深くえぐったみたいにくっきりと力強い。背筋をしゃんと伸ばし、本とノートを脇に広げ何やら勉強をしている。そういえばベルギーではクリスマス前に期末テストがあるはずだ。まだ12、3歳くらいだろうに一人旅。故郷のコンゴへ帰省した帰りだろうか...それにしても、疲れてるだろうに、偉いなあ...と感心してたらいつのまにかうとうとしてしまった。数十分は寝たと思うが、目を覚まし見やるとまだ勉強を続けている。
たいしたもんだ...そう強く感じ思わず「よく勉強するなあ、すごいなあ君は」とフランス語で話しかけた。すると顔をあげてにこっと笑ったが、本の表紙の文字はオランダ語だった。それで英語で同じこと繰り返すと、またにこっと笑った。こちらも笑顔を返して彼の手元をよく見たら持ってるのはポケモンの柄の着いた鉛筆だった。ポケモンはドラゴンボールなどと同様、ここヨーロッパでも大人気なんだけど、それを見たら急に親しみが湧いてきて、彼に何か自国のものを無性にあげたくなった。
それで、リュックの中に何かマンガキャラクターのついたものがなかっただろうかと思い返してはみたものの、筆箱もお菓子もキーホルダーもこれといったものは何にもない。ちくしょう、こんな肝心な時にあげるものがなんにもないなんて情けない。何かないかなあ何か...とさらに頭をひねってようやっと見つけた。
「ちょっと待っててくれ」と言ってリュックからホッカイロひとつとって袋をやぶいてシールをはがし、おなかのとこに貼って見せた。そうして彼にも同様にするようにと手渡した。手渡すと勝手に安心して、また眠気がずうんとおそってきた。今度のは本格的だった。

周囲のざわめきに目を覚ますと、バスはすでに到着地点であるブリュッセルの空港の敷地内に入っていた。まもなく停車すると、前の人から順に下り始めた。
先に立ち上がった少年はまだ座ってるぼくのほうに少し近づくと、お腹のとこをぽんぽんとたたいて「ホット、ホット!サンキュー!」と言って笑った。それでこちらも笑って「ヤァー、グッドラック!」といって握手した。
ほんとうに、グッドラックよ彼に訪れよ!だ。
深夜吹雪のバスの中、とぼしい明かりで勉学にはげむ、こんな少年こそ幸せにならんといかん。
そうでなきゃあ、世界がうまく立ちいかんだろう、と思った。

今回の曲
Ersatz Musica「winter 19...」

ブリュッセルのCD屋さんで試聴し惚れて買った今年最初のCD。その9番目にはいってた曲。
Ersatz Musicaはベルリンへ亡命してきたロシア人からなる楽団で、東欧やジプシーの音楽専門のドイツのレーベル“Asphalt Tango”から数枚CDを出している。
この曲は冬を歌ったものだろうけど、ボーカルIrinaさんの何とも味わいのあるロシア語の歌声が大地踏みしめゆったり歩く馬の蹄みたい。ポッカポッカと響いて耳の穴からしみ込んで身体全体をあっためてくれる。

azisaka : 05:59

トニオ・クレーゲル

2009年12月01日

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 中学2年のころのはなしだ。母の知り合いにO先生という人がいた。空手の有段者で、地元の商業高校で数学を教える傍ら部活で空手を教えていた。ある日曜の午後マンガ読んでたら「あんたO先生のとこ空手、習いに行かん?~くんと、~ちゃんもいっしょよ」と長電話終えた母が言った。「げげー、やだよー」と反抗してはみたが結局そのふたりの~らと毎週末、空手を習い始めることになった。
3人して緊張して高校の小体育館に行くと部員はたったの5人だった。男3人に女がふたり。アスパラガスみたいな中坊のおれらに比べ、男らはじゃがいもみたいにどっしりたくましく、足に毛がいっぱい生えていた。女らは朝穫ったばかりの大根みたいにふくよかで色っぽかった。
何回か通うと、組み手もやるようになった。受けたり受けられたりするのだが、とても痛かった。高校の兄ちゃんらの腕や足というのはどうしてこうも太くて固いのだろうと閉口した。姉ちゃんたちも、所詮女だと見くびってたらやはり痛かった。手足はよくしなる竹の棒みたい。ひゅんと飛んできてぱんっと打たれ骨身がきしんだ。けれどもその胸の部分は言いようもなく柔らかく、放った突きが誤って当たろうものなら何とも言えぬ感触にたじろいだ。拳の先にまだ知らぬ豊かな世界が存在するのを実感し、一瞬気が遠くなった。
そんな風にして毎週末続けてたら稽古がけっこう楽しくなってきた。痛いしきついし型をやるのは退屈だったけど、組み手が面白かった。間の取り合い技の掛け合いに熱中し、一本をとったときの爽快さに気分を良くした。
かといって週に一回の稽古にあきたらず本格的に町の道場に通いだしたのかといえばそうでもなく、その場にとどまった。O先生に習うというのが心地よかったからだ。彼の人柄を好いた。
この空手の集まりは高校の正規の部活動としては認められてはおらずO先生が個人の意思でやっていた。だから彼の都合でいつ消えてなくなってもよかった。しかし集まりが数人でも、ひとりのときでさえも、毎週O先生は自分の空手教室を開いた。数年して高校の小体育館が取り壊され使えなくなると、はじめ貸し倉庫、幼稚園の講堂、町の公民館と場所が移って引き続き行われた。そうこうするうち教室のことはしだいに口から口へと評判となり、人が多く集まるようになった。いつの間にか小中学生が増え、高校生はぼくらだけになった。
高2になると学校の部活が忙しくなって足が遠のき、いつの間にか行かなくなった。

大人になってから、なんでO先生はあんなにまじめに毎週毎週、教室を開いていたのだろうかと不思議に思った。月謝なんか最初はなかったし、それを見かねた父兄が相談して集めるようになった”お礼”の金額も微々たるものだった。そんなことより大切な日曜日の午後のこと、他の用事や自分の家族へのサービスなんかがあっただろうに。空手教えるのを優先していたのにはどんな思いが胸中にあったのだろう。いつか機会があったら聞いてみたいもんだと思った。

ところでこの空手の教室について、冬になる度思い出すことがある。始めて2年目、雪の日の稽古のことだ。その時分道場としてつかっていた貸し倉庫に行くと、集まったのはぼくら中学生3人だけだった。O先生は少し遅れてやってくるなり真顔で唐突に、ようし今日は公園で特訓だ!といった。ふり返れば、このとき彼に何か自分を律する必要があったのかもしれぬと思うが、その時はただおのが身を案じるより他なかった。だって晴れてるとはいえ、雪の上を裸足で稽古だ。
強烈に寒かった。しばらく動いてたらなんとか身体は火照ってきたけれど、とにかく足が冷たい。というか、冷たそうだ。なにしろ感覚麻痺してるんで、熱いのか冷たいのかわかんなかった。ちょっと涙目になったが、誰も泣き言をいわなかった。体力も学力も好きなマンガも異なる3人だが、こういう時に弱音を吐くのは意気地なしだとの思いは共通していた。白く濃い息と気合いだけを吐き続けた。
そうやって淡々と突きけり繰り返してたら、わあ、何だいこの感じ!たいへん気分が高揚し、すごく清々しい心持ちになってきた。頭上の青空みたいにこころが澄んできた。とっても心地よく、いつまでだって続けられそうだ。
しかし気づくと、いつのまにか時はたち稽古は終わりになった。
「正座ーっ!」「神前に礼!」「お互いに、礼!」「あれ?」「だれ?」
礼をして顔を上げると、前にしわくちゃのじいちゃんが立っている。
じいちゃんは「よお寒かとにがんばったねえ、芋ば食べに来んね?(よく寒いのにがんばったね、芋を食べに来ませんか?)」と言った。

公園の地続きに小屋みたいな家がたっていた。案内されるがままお湯で足を洗い、干し柿の色と匂いのするこたつにはいった。こたつの中でしもやけの足と足がぶつかって、ぎゃっと悲鳴をあげた。
芋は熱くて甘くてうまかった。じいちゃんは空手の教室のことやぼくらの学校、O先生の身の上など、いろんなことについて質問し、「ほぉ、ほぉ」「近頃はなあ」「そがんですかぁ」と熱心に聞きいっていた。年寄りというものはだいたい自分のこと、かつての仕事の苦労話や戦争や持病のことをのべつまくなく話すものだと思っていたのに、このじいちゃんは何でもかんでも聞きたがった。はなしを聞くのがこの上もなく楽しそうで、ぼくらを離すまいと芋の次はじいちゃんお菓子(つまり、甘納豆やカンロ飴や横綱あられ)を運んできた。ぼくらも依然として興奮していたので、我先にといろんなことをはなした。しかしものの30分もしないうち、親が心配するからということでおいとますることになった。
「ごちそうさまでした」「ほんとにありがとうございました。また、遊びに来ます」といって立ち去った。
もちろん”また”なんてなくって、じいちゃんとはそれっきりだった。もうとうにこの世にはいないだろう。なんであの時ぼくらばっかり話して、じいちゃんのことを聞かなかったのだろうとその後何遍も後悔した。ぼくらの前に現れ芋をさし出すまでに、いったいいかなる人生があったものか。聞いたのならおそらくはどんな小説よりも味わい深いものだっただろう。しかしそうしなかったので、じいちゃんはただの芋のじいちゃんだ。でも同時に、芋といえばそのじいちゃんだ。後年、蒸かしたさつまいもを食べるたびに彼の姿が眼に浮かんだ。干し柿こたつとしもやけと澄んだ青空を思い出し、ほっこり、いかした詩の一編でも読んだ心地になる。

ところでここで話しはいきなり最近のことに飛ぶ。去年の師走のことだ。久方ぶりに実家に帰省した。マンガ読んでたら「あ、こうじ、ちょっとごめんみりん買って来て」と母がいうので、スーパーに買いに行った。支払い済ませてふと見ると一番向うの端、買ったものを袋に詰める作業台のとこにO先生が立っていた。持参の買いもの袋をひろげ、レジに並んでる妻を待っている。背筋がしゃんと伸びて道場にいるみたいだ。おだやかなまなざしで妻を見守っている。その姿によって、数年前定年退職されたこと、二人の子供はそれぞれ結婚し今は夫婦ふたり暮らしであること、ごく最近まで空手の教室を続けられていたこと、などが想像された。会わないでいた25年間の彼の人生がくっきりとその姿に見てとれた。
あっちこっちに移り住みあっちこっちに駄作や駄文を連ね、ころころ変化して生きてるぼくが小さなデジタル電化製品みたいなものだとするなら、ひとところにとどまりひとつの仕事を為しそこで自分の生を充実させてきた彼はぼくの目には大きな銀杏の樹のごとく映った。そのはっきりとした輪郭に向かって遠くから一礼をすると黙って立ち去った。
帰ってそのことを母に告げると「あんた相変わらず変わりもんやねえ、話しかけたらそりゃあ先生喜ばれたやろうに」と言われた。

ときどき、影響を受けた人物を教えて下さいと聞かれる。よく知られた人の名を上げ連ねるのは簡単だけど、特には答えないことが多い。自分の生活の中で実際に会った人たち、空手の先生や芋のじいちゃんみたいな人たちに比べると、著名な人々からの影響はさして大きくはないと感じるからだ。

今回の曲 
Broadcast 「 Winter now」

むかし犬養道子が「世界」かどこかに「外国の人を日本に招待するとしたら季節は冬にかぎる」というようなこと書いてるのを読んで、「ふん、お金持ちのお嬢さんが何をたわけた事を、季節はいつだって夏に決まってるぜ」と思ったが、ヨーロッパに7年ほど暮らしてみて日本の冬の類いまれなすばらしさが身にしみてわかった。一言で言うなら、キッパリしているのだ。とっても寒いが空はどこまでも青く空気は澄んで光に満ちている。西洋のどんより暗くて重たくてただただ寒い冬とは大違いだ。もしも、宇宙「冬」選手権大会とかがあったのなら、地球代表は日本の冬を置いて他にはないと思う。カナダやオーストリアなんかの冬も少しは健闘しそうだが、ベルギーやパリの冬なんてのはまるっきり予選落ちだ。
そんないかした本邦の冬が訪れる今頃になると、この曲がひんぱんに鼻歌にかかる。冬のキラキラした感じがよく出てると思う。

azisaka : 18:10

奇長山

2009年11月11日

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ベルギー暮らしの後、長崎の地を新しい住処に選んだのには36個ばかり理由があった。1から5までは秘密で(ふふふ)、20以降は話してもさして面白くはない。それで今回は、その6とその11のことを書こうと思う。

まず、長崎を選んだ6番目の理由。それは、買いものをするのに心地がいい商店街(市場)がいくつかあったことだ。魚は魚屋、野菜は八百屋、金物は金物屋で買うことができる。すなわち、食べものは食べ方を、金物は使い方を、売ってる人に聞きながら買いものすることができる。「生姜の酢漬けってどうやるんだっけ?」とネットでさがせばレシピがすぐにでてくるが、八百屋のおばちゃんにそう聞くと、「にいちゃん2、3日待たんね!新生姜が出るけん」と助言される。あるいは、「こっちも食べてみんね」と自家製ラッキョウを買わされる。他の人はどうかしらないが、生姜求めて行ったのにらっきょう下げて帰宅するといような予想外の出来事は生活の中に必要だ。むろんネットサーフィンでも、当初検索したのとはまるっきり違うものにたどり着くという醍醐味はあるだろう。しかし、それはいかんせん単なる情報に過ぎない。らっきょうの匂いと味がしない。

とはいっても、会社勤めの人であったらそんな悠長な買いものの仕方は難しかろう。第一、仕事終わる頃には小さな個人商店は閉まってるし、開いてたとしてもおばちゃんの話し聞く気力なんて残ってない。何でも揃うスーパーでさっさと済ませるのが普通だ。自由業者のみ為せることで、それはなんだか申し訳ないと思う。しかしこちらとしても、毎日のんびり買いものを楽しんでるわけではない。仕事の合間、人の少ない午前中にぱぱっと梯子してささっとすませる。

さてつづいて、長崎に住みたくなった11番目の理由。それはここの街並みに惹かれたからだ。入り組んだ土地に神社や寺、洋館や老舗、古くて美しいものが比較的たくさん残っている。歩いてて気持ちがいい。しかし、とりわけ心を動かすのはそのような「名所」ではない。それは、無名の民家の数々だ。急な勾配のわずかばかりの土地にへばりついて立っている、人の住む家だ。それはまるで、断崖絶壁をよじのぼる登山家のように見える。なんでそうまでしてこんな場所に建ってるんだ、と問いかけたくなる。土地がいびつなので、それに合わせてつくられる家屋の形もへんてこ、奇妙でどれひとつ似たようなものがない。平坦な土地にすらっと居並ぶ建売り住宅とは大きく異なる。しかも年数を経たものが多い(最近ひとは”下界”のマンションを買って住む)ので、あちこち建て増しつぎはぎだらけだ。強い風で屋根が飛ぶ、激しい雨で裏の土手が崩れる、子供が成長する、じいちゃんが逝く、定年して野菜作りはじめる、その度ごとに家の造形が変わる。少々のことは専門家には頼まず住む人自らが修繕するので、ありもの利用で規格外、つたないが破天荒だ。
そのようにして手のかかった家の有様は見る人を感動させる。なぜならその形や色に、住む人の心が現れているからだ。その点において、その家はすぐれた芸術作品となんら変わることがない。
美術館に行き”絵”を見るのにはお金がいるが、散歩にはいらぬ。ちょいと坂を駆け上がりひょいと角を曲がると突然、どの画集にもサイトにも載ってない、どでかい”絵”がズババンと空中に掛かっている。最初のうちはひゃあとたまげてひっくり返り、坂を転げ落ちそうになった。しかも、よく見るならそれぞれの絵にはおのおの固有の、風変わりな額縁が周りを囲んでいる。囲んでいるというか、ぐるぐる回っている。木や金属ではない、もっと柔らかいもの。猫だ。いかした家にはいかした猫が数匹住み着いてて、その家の見栄えをさらに良くしている。

ところが非常に悲しいことに、そんなふつうの家々は保存されはしない。保存されるのは、神社仏閣や教会、貿易商や文学者、幕末志士の旧居なんかで、歴史にちょっとばかし名を残した人たちの暮らしぶりだけだ。しかし、彼らは他人。おれが知りたいのは自分と直接つながる先祖、つまりそこらにいた普通のおじちゃんおばちゃんのたちの生活だ。名もなき彼らが如何に生きていたかだ。手に触れたいのは宮大工が為す美しく反り返った梁(はり)ではなく、おっさんが100均ショップの材料駆使して補修した雨樋(あまどい)だ。

と、いきりたってみてもまあしょうがない。”昭和の懐かしい風景”とか”レトロな建築”とかいう言葉からさえこぼれ落ちてしまうようなそんな建物は、こぼれ落ちてしまうがゆえに、人のこころを惹くのだろう。保存されずただ朽ちて壊されるゆえに、とっても愛らしいのだろう。

こんな心持ちで4年前、長崎に住み始めた。そうしてまもなく、住むからにはまずこの町にあいさつ、というか仁義を切ることが大切だという気がした。覚悟を見せて了解を得なくちゃいけない。それで次の個展には、長崎の町並みを描くことにした。町並みの中、人物がひとり立っているという連作を試みることにした。日頃、人物を描くのは好きだが背景描くのはあんまり心がときめかずおっくうだったので、いやいや始めた。
谷川俊太郎さんがどこかで、詩を書く時は「”書きたい”と同時に”書く必要がある”と感じたことを書きます。どちらかひとつじゃ、いけません」という風なことを話されてたけど、そのときは、長崎の町を描く必要性がとても高かった。
「気があんまし進まんけど、あんたがそこまで言うのなら、描こうじゃないか」という感じだ。
”あんた”って誰やねん?というはなしだが、おれにもどこの誰かわからない。とにかくどっかに”あんた”がいてときどき指図する。

黙々と描いた。撮ってきた写真を見て頭の中でいろんな要素をコラージュしながらせっせと描き進めた。そうするうちあらまあなんて不思議、最初はただ面倒なだけだった背景を描くのが楽しくなってきた。無意識に背景の大半を占める家々をまるで人の顔を描くように描くようになってきたからだ。人の額(ひたい)に陰影をつけるように家の軒下に陰影をつけ、髪の毛描くように屋根瓦を描き、唇に紅色さすように郵便受けに紅色をさすようになった。
描きながら、”あんた”がおれに町を描くのを勧めたのはこういうことやったのかぁ、と納得した。
そんな絵を40枚くらい仕上げて展示した。
個展のタイトルは「長崎」という字を分解して「奇長山」だった。

当時、好きだった家のひとつが今回の冒頭に掲げた写真の家だ。あたかも生きた人間のようだった。先日行ったらきれいさっぱり取り壊され、跡地は黒いアスファルトの駐車場になっていた。まるでそこだけ小さな原子爆弾が落っこちたみたいだった。県とか市は、長崎”ゆかり”のスペインやポルトガルの現代美術の作品買うより、このような家を残すのにお金をつかってほしかった。
しかしおそらくこんなふうに思うおれのほうが変なのだろう。多くの人にすればきっとボロ家はたんなるボロ家に過ぎない。
心の中にボロ家を好むかたよりがある。そのかたよりがあるからこそ少しだけ絵を上手く描くことができるのだろう。

今回の曲
Jacques Brel 「Amsterdam」

ベルギーに移り住み最初に得たお金でジャック・ブレルの10枚組CDを買った。ビールとチョコレートとワッフルが束になっても敵いやしないシャンソン歌手、作詞作曲家、この国の宝だ。デヴィッド・ボワイやスティングはおろかニルヴァーナさえもその曲のカバーをし、セックス・ピストルズのジョン・ライドンは「ブレルはパンクだ!」と賛辞をおくった。その彼の歌の中で一番好きなのがこの「アムステルダム」だ。港町の人間臭さ、人の生が凝縮されたような町の姿をこんなにまざまざとうたった歌を他に知らない。そして歌う人間も知らない。おそらくは今後も生まれないだろう。なぜなら、彼よりも才能がある曲の作り手、偉大な歌手は今後いくらでも現れようが、歌うべき「港町」は無くなってしまってるからだ。港町がなくなり、シーサイド何とかやベイプレイス何とかになるのはかまわんが、このような歌が生まれない世の中というのは困る。シーサイドをうたう歌では人の心はあんまし動かず、心震わせる歌がその時々にないと人は生きづらい。
しかし、それにしてもこのブレルの凄みはいったい何だろうか。まるでムルナウの吸血鬼ノスフェラトゥが港町のあばずれの血を吸って生き返り熱唱してるみたい。

azisaka : 21:12

無礼無花果

2009年11月01日

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「おおい、そこの坊主頭ぁ」
いつもの商店街を歩いてると、どこからか呼びかける者がいる。振り返ったがそれらしき人物は誰もいない。ふたたび歩き始めた。
「そこのぉ、変な赤いズボンの男おぉ」
と、またしわがれた声がする。坊主頭も変な赤いズボンもたしかにおれのことだが、いったいだれだ?
今度は、視界に入るやつは何一つ見逃すものかと、可愛い飼猫に巣食う虱をさがす真剣さで目をこらした。

見つけた。
おれを呼ぶのはてっきり1人だと思っていたが、それは10人、というか10個だった。
5個入りのイチジクが2パック。

お「なんだよ、イチジク」
イ「買えよ」
お「やだよ」
イ「買えよ。2パックで350円だぞ」
お「10個も独りじゃ食べきれんだろう」
イ「買えよ。残ったらジャムにしろよ」
お「やだよ。最近、おれパン食べんもん」
イ「ソース作れよ。豚や羊によく合うぜ」
お「やだよ」
イ「むかしからイチジク好きだろ。買えよ」
お「おまえら、人に頼みごとしてんのに、その命令口調の話し方が気にくわん」
イ「買って下さい」
お「よし。わかった」

文章にすると長いが、この間、わずか0コンマ8秒。
靴やカバンを買うのは遅いが、野菜やくだものを買うのは早い。
ここらあたりじゃ名が通っていて「マッハK」あるいは「ジェットK」(Kはコウジの略)と呼ぶものもいる。

じゃがいも、いんげん、羊肉に赤ブルゴーニュを買い足して、家路へと向かう。
神社の長い階段登ってると、買いもの袋の中で赤紫色のでかいラッキョウみたいなやつらが浮かれ、ざわざわしている。
さわがしいので、おれとイチジク族が最初に出逢った時のはなしをしてやることにした。

じいちゃんの家の裏庭にかつて小さなイチジクの木があった。思い起こせばものすごく幼い頃だ。まだ、漢字で無花果と書くということを知らないどころか、自分の名でさえ漢字で書けぬ、いや、それは、文字さえ書けない遠いむかしのことだった。
だから、このくだものはあっぱれ、おれの人生で最初に登場したくだものだ。ということはそれ以後の記憶や思い出は全部、この果実の香りをしとねとして積み重なっているということになる。したがって、おれがイチジクが好きなのは当然だし、たとえば、パリでガイドのバイトをやってた時、観光客案内して入った百貨店で、衝動的にdiptyque(めっぽう高価な香り付きローソク)のいちじくの匂いを買ってしまったのも、無理からぬことだ。

さて、そこは裏庭といっても、庭というにはあまりに貧相な、母屋と納屋、そのとなりの風呂小屋をつなぐ数平方メートルの空き地だった。しかしどうしたものか、なかなかいい「気」が漂っていた。そこにいると子供のおれは落ち着いた。後年、沖縄は久高島に行き初めて御嶽(うたき)を見た時、なぜだかこの庭のことを思い出した。
風呂は、むかしのこととて、薪や石炭をくべて沸かす五右衛門風呂だった。風呂小屋のとなりを水路が通り、湧き水が流れていた。秋になると、ひんやり冷たいその流れにイチジクの実をもいでつけておき、夕方、風呂に入る時、熱い湯船の中で皮ごと食べた。食べたというより、親か祖父母かに食べさせられた。
夕陽、湯けむり、膝の上、いちじく。一分の隙もなく完璧だ。もしも、ことばをうまく操れたのなら「世界よ申し分なし!」と言ったことだろう。だけどできなかったのでキャキャキャと笑い、傍らの人間を和ませた。
五右衛門風呂もイチジクの木も、じいちゃんもばあちゃんも、もうこの世にはない。というか、今日、市場でイチジクたちに話しかけられるまで、もうずいぶん長い間、それらのことを思い出したことさえなかった。じいちゃん、ばあちゃん、すまん。今度、仏壇に線香あげに行くけん。

イ「おお、なかなかいいはなしやった。それにしても、おまえのじいちゃんちのイチジクは幸せもんや。さぞかし、気持ちがよかったやろう」「冷たい湧き水というのは難しいだろうが、おまえ今晩は冷蔵庫でいいからおれらをしっかり冷やせよ。そして風呂に入った時食べろよ」
お「むう、だから、その命令口調はやめろっつの...」
イ「冷やして風呂で食べてください」
お「いいぜっ!」


今回の曲
We Were Promised Jetpack「 Quiet Little Voices」

グラスゴーの4人組。礼儀正しい感じがとてもして、いっしょにピクニックとかに行きたい気持ちになる。
「 Quiet Little Voices!」と叫びまくるのも、よし。

*お知らせです
けっこうたくさんの作品を載せていただいた小さな本が出版されます。予約すると、デジムナー(デジタル棟方志功の略)シリーズを手ぬぐいにしたものがオマケでついてきます。意外と買って損はないと思います。じゃなくて、できれば、買ってください。お願いします。
詳しくは以下!
http://f-d.cc/books/tenranvol1.php

azisaka : 17:52

SWR

2009年10月20日

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 ことしも生真面目にだんだんと涼しくなって、律儀に草木が枯れ、日に焼けた肌がそっけなく褪せてきて、長崎はそわそわし始めた。10月7、8、9日と長崎くんちがあるからだ。でっかくて深い中華鍋のようなこの街全体で、無数のゴマを煎ってるみたい、パチパチシャカシャカとそこいらじゅうがざわめきはじめる。
 さて、目下の仕事場はその、おくんちの舞台である諏訪神社のとっても近くにある。この喧噪の時期、一昨年は他所に逃避した。去年は、桟敷席の券をもらい観覧した。(とってもよかったです、ありがとう)でもって、今年は、SWR状態のレベル2で行こうと思った。
 「は?なんやねん、それ?」
っていわれても、おいおい今さら困るな...
SWRとは、これを読んでる皆さん相手であれば改めて説明する必要もないことだと思うのだが、”Silent White River”の略だ。
翻訳すると、静かで白い川。つまり、白川静先生のことを表す。
 
 白川先生は、いうまでもなく漢文学、古代漢字学で高名な学者だ。
そいでもって、(”そいでもって”なんてぞんざいな物言いは、たいへんに不遜だが、ここでは読みやすさのため以後もそういう風にします)彼の良く知られた逸話に、大学紛争の頃のものがある。(S教授は白川先生)
 つまり、「S教授の研究室は立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていた。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜遅くまで蛍光がともった。」(高橋和巳「わが解体」より)
 このことを知ってから、周囲が何かに浮かれてわいわい騒がしいとき、それに頓着せずに独り自分の日常を黙々と続けることを、SWRと名付け、事に際しては覚悟をきめてあたることになった。
 それで、おくんち前日に、ゴミ出し以外は家から出なくていいように3日分の食料を買いに行った。ミュズリー1袋、食パン1斤、豆乳2本、ヨーグルト500ml、キャベツ、人参、玉葱、じゃがいも、かぼちゃ、クレソン、ピーマン、里芋、ニラ、たまご、豆腐、りんご、バナナ、さんま3匹(3枚におろしてもらい、刺身と塩焼きにする)、きびなご(揚げて酢漬けだ)、鶏ミンチ200g、ワイン2本、酒一升、よもぎもち、これで3日分、計9食ばっちりだ。

 翌日早朝、「もってこーい、もってこーい!」というかけ声の中で、かぼちゃのポタージュ作ってパンつけながら食べると、濃いコーヒー飲んで仕事を始めた。それからずっと7、8、9日、笛や太鼓や銅鑼の音、威勢のいいかけ声や歓声聞きながら、10日に市民プールいくまで籠って、淡々と絵を描いていた。
 
 「そりゃあ、あんた、ちょっと変だ。おかしいぞ。第一、伝統的な祭り事を浮かれ騒ぎなんて言うのがふざけてる。それに、ふつう、ちょっくら祭のぞきに行って、出店でイカ焼きとか梅が枝餅なんか買って食べるやろう、あまのじゃくっていうか、カッコつけっていうか...気にくわんな、そういうやつは」
 たしかに、そのとおりだ。おれもそんなやつが身近にいたらちょっとやだなと思う。このように一風変わってるので、絵とかイラストだとかで身を立てざるを得ない。
 そんなSWRチック(説明はぶく)な体質はむかしからあった。皆が何かに熱中しさわいでるとすっと退いて独りになるくせがあった。大学入る頃にはさらにそれが顕著になって、オリンピックだとか、カウントダウンとか、そんな”盛り上がる”ことに背を向けるようになった。ベルギーにいた頃なんて、なかなか独りのときが多かったので、いつのまにかワールドカップが始まって終わってたり、絵を描いてて気がつくと年が明けてたりしたこともあった。
 「ほお、そうかい、あんたが、ちょとばかし隠遁者風なのはわかったが、そこで白川静の名をだすなよな」「白川さんがその生涯をなげうち研究し実証してきた事柄はいわば人類全体の宝としておれらの前にあるが、あんたが頼まれもしないのに勝手に描いた絵なんて、誰の何の役にも立ちやしないやん」「それにさ、白川さんの置かれていた状況と、おまえのをいっしょにすんなよおっ。彼が学問をするその窓の外には、戦火があり紛争があったろうが、おまえの窓に外にあんのは平成の世の、単なる浮かれ騒ぎやん」
 うう、返す言葉全くなし。たしかに、おれと白川先生では天と地の差がある、っていったら天と地が「け、おまえら二人に比べりゃ、おれら双子みたいにそっくりだぜ」と憤慨しそうなくらい、かけ離れている。
 しかし、10年ほど前、彼の「回想九十年」を読んで以来続く、さしあたっての一身上唯一の希望が「白川先生が学問を続けたように、絵を描き続ける」ということなので、ときおり彼の名を口にして、身を律するのは大切なことなのだ。

 ところで、彼の名前を初めて意識するようになったのは、まだ20代、パリから一時帰国していた時だったように思う。友人に連れられて熊本は石牟礼道子(誰だか知らない人は、自分で調べ、できるなら著書を手にとったがいいと思う)さんの、お宅におじゃました。以前何回かお会いしていたが、面と向かって話すのは初めてなので固くなってると「近頃はみなさんすっと簡単に外国に行かれますねえ」とおっしゃられた。すぐさま、「自分がフランスに行ったのは、それなりののっぴきならぬ事情がありそうしたので、観光とか語学留学あるいは自分探しの旅みたいに”簡単”に行ったわけではないのです」と言おうとした。けれども、できなかった。
 なぜなら、根の付いた故郷を棄てざるをえず、彼岸に行くようにして海を渡った「からゆきさん」や幾多の移民たちの具体を肌で知る彼女にとってみれば、ぼくの事情とて、物見遊山の観光とさして変わらぬ、同様に”簡単”なものであるだろうからだ。ただただ下を向いて恥じ入るばかりだった。しかし、友人が「彼の場合は...」とちょこっと助け舟をだしてくれので、すぐさま復活して、みなでおでんをいただいた。
 おでんをもぐもぐ食べながら、お家の中をそっと見回した。意外にも本があまりないことに驚いた。少ない中で目についたのが、ラス・カサス、高群逸枝、そして白川静だった。前二者は(社会学やってたので)読んでたが、白川さんの名はふがいなくも気にとめたことさえなかった。男?女?誰だろ?「甲骨文の世界」「字統」...うう、なんかわからんが、異様な迫力があるな...
 けど、それっきり忘れてしまった。

 数年後、福岡に住み始めイラスト仕事で生計をたてるようになった。ある日、絵地図描きの依頼があり、日田へ行った。取材を終え宿に帰る前、寝がけに何か読もうと街の小さな本屋に立ち寄った。そこで手にしたのが、中公新書「漢字百話」(日本人に生まれたのなら必読だと思う)だった。多くの人と同じく「サイ」の出現にびっくりおったまげた。頭がぐらぐらした。(知るのが遅いっ!)その後「詩経」「孔子伝」を読み、ほどなく先に述べた「回想九十年」が刊行された。
 彼の著作物は、三つの字書はいうまでもなく、みな、象みたいにどすんとでかい。しかし、それを成した人物本人は、くじらみたい、もっとでかい。その存在自体に畏れ、おののいた。

 生まれてこのかた、もっとも多く読み返したのはきっと以下の文章だ。幾分長いが、いわゆる「座右の銘」みたいなものだろう。
ぼくの千倍以上本読んでる松岡正剛も、その著書「白川静」(平凡社新書)で同様の箇所を紹介していた。呉智英が白川さんにインタビューして、その最後の質問に答えたものです。
 呉「先生は学界にあって、学閥抗争にも巻き込まれず孤高の位置にいらっしゃったと思いますが、それはなぜでしょうか。
 白川「私が学界の少数派であるという批評については、私から何も申すことはありません。多数派とか少数派とかいうのは、頭数でものを決める政党の派閥の考え方で、大臣の椅子でも争うときに言うことです。学術にはなんの関係もないことです。学界にはほとんど出ませんから、その意味でならば少数派ですが、そもそも私には派はないのです。
 詩においては「孤絶」を尊び、学問においては「孤詣独往」を尊ぶのです。孤絶、独往を少数派などというのは、文学も学術もまったく解しない人のいうことです。私の書きましたものは、ずいぶんと読みにくいものが多いのですが、それでも多数の読者を得ているのです。「棺を蓋うてのちこと定まる」という語がありますが、棺を蓋う前に、このような共感を得ていますので、私自身は、そのような言い方でお答えするとすれば、絶対多数派であると思っているのです。しかし学問の道は、あくまでも「孤詣独往」、雲山万畳の奥までも、道を極めてひとり楽しむべきものであろうと思います。」
 呉「今日はどうもありがとうございました。」

 呉さんでなくとも、白川さんの足跡を少しでも知る者であれば、この返答を耳にしたら、ただ頭を垂れ、「ありがとうございました」と礼をいうしかないだろう。
この文章の中の「学問」を、「絵」に置き換えると、すなわち、ぼくが(非常に心もとないが)目指すところの生き方となる。(すまん)
 しょんぼりしてる時に、これ読むと、暗いアトリエに光が射す。荒野に虹が燦然と輝き、枯れ木に花が咲き、実がなって、鳥がついばみ、声高く歌う、それを猫がシュタッと跳ねてとっつかまえて、のどぶえをがぶっと引きちぎって、口にくわえ、誇らしげに歩く。
 つまり読後、こうしちゃおれん、とやる気が出て、すっくと立ち上がる。

「はあ、そりゃよかったですね。でも、そんなやって描いた絵がなんで、あんな、なよなよした女の子だったり、へんてこな乗り物だったりと、しょうもないんですかー?」
そうやろー、そこがなんでかおれにもさっぱりわからん。ほんというと、鎌倉時代の仏像みたいな絵が描けりゃあ描きたいんだけど...ままならん。90くらいまで続けたらちょっとは何とかなるんやろか...
「ところで、それはさておいて、ちょっとひとつ質問いいですか?」
はい、どうぞ。
「今回のこの長ったらしい文章の最初に、”SWRのレベル2で行こう”っておっしゃってましたけど、ってことは、レベル1もあるんすよね?
レベル1と2っていったいどう違うんですか?」
ナーイスクエッショォーンッ!
レベル1は、すごいぜっ。
ゴミ出し日にさえ外へ出ません。
「そりゃ、いかんやろう」

*今回の曲
Mi and L'au「BINGO」

Cat PowerやFeist, Hope Sandovalなど、くぐもったような声で歌う人が好きでよく聴くが、最近愛聴は彼らだ。
この曲は、曲だけでなくビデオ・クリップもとても良くて、見てると「道」という漢字の字源をなんとなく思いおこさせます。
 すなわち「~古い時代には、他の氏族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられていたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を祓い清めて進んだ。その祓い清めて進むことを導(みちびく)といい、祓い清められたところを道といい、「みち」の意味に用いる。~」(白川静「常用漢字」、「道」の解説文より抜粋。)

azisaka : 21:10

くじらとボニーとクライド

2009年10月05日

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 6月、よんどころない事情で実家に帰ってて何日目かの朝、新聞とりにでた庭で飼い猫よしよし撫でながら、ふと気づいたのは今日が父の誕生日だということだ。十中八九、父も母も忘れてるはず(老いるとはだいたいこんな感じだ)と思い朝食の時きりだすと、案の定「あー、そういえばそうやった」と無頓着だった。けれどもせっかく何十年ぶりかに夏休みでもないこの日に親子がそろってるので、3人で誕生会をしようということになった。「うわあ、ひさしぶりやあ」と父が喜ぶ。
 母と買い物にでかけた。街一番の洋菓子屋さんでピスタチオ味15センチのケーキを、酒屋でちょこっと高い芋焼酎を買った。さて、夕食の献立は何にしようかと相談した結果「もう長いことくじらを食べさせとらんけん、ふんぱつしてくじらにしよう」ということになった。それで、冷凍の赤身と、おばいけ(尾びれの薄切り)を買った。ベーコンはさすがに高級すぎて手が出ず、次回の祝いの席にとっておくことにした。
 くじら食べながら、いろんな話に花が咲き蝶が舞い鳥が歌った、つまり、ひどく楽しかった。ただ単に、こうやって自分の親と宴を囲むのがなんでそんなに心地いいんかいなと、不思議で仕様がなかった。こんな風な時も訪れるのであれば、年をとるのもそう悪くはない、皆に勧めようと思った。
 ふつうは9時には床に着く父が11時過ぎまで飲んでいた。遅く寝たのに、翌朝はやはり6時に起き、散歩にでかけた。散歩といっても、3キロ歩く。毎朝だ。
 そんな彼が数年前亡くなった幼なじみの秀やんの話しをしてくれた。なんでも、秀やんは80過ぎてもすごく元気で毎日野良仕事をやってたそうだ。けどある朝「じゃあ、いってくるけん」と畑に出て行ったっきりもどってこない。それで、家人がさがしにいったら、畑に行く途中の路傍にころんと倒れて死んでいた。
「秀やんみたいにすっきり逝くには、元気でおらんといかんけんね!」ということで、父は毎朝歩く。良く死ぬために歩く。こんな気の持ちようは一風変わってるが、とてもいいなあと思った。おれも見習おうと思った。
 ところで、くじらといえば、パリに暮らしてた20代の頃、フランス人に「くじらって相当うまいっちゃんねーっ」とぽろっといってしまおうもんなら、一様に目を見開いてびっくりされ「うわあ、かわいそーっ」とか「おそろしい、なんてやつだ」などとしっちゃかめっちゃか言われ野蛮人あつかいされた。あるいは、インテリムッシュには「そりゃあ食文化の違いは尊重せんといかんけど、他の動物と違って知能が高いし数が少ないので、やめたがいい」風なことを言われた。
 それで、「そーんなん、くじらだろうとあんたら好物のうさぎだろうと、ほかの生きものだろうと、いのちはいのちやろう。あんたら勝手に区別つけるんかい」「他のいのちを、うまいうまいと喰らわんことにはうまく生きれん、おれらみな悪人やろう」「そんな業を苦しく思って心のどっかでいつも頭を垂れるんが精一杯やん」「しかも、おれらちゃんと”いただきます”(あなたのいのちを頂きます)って手を合わせて食べるけど、あんたら”Bonappetit"(よい食欲を!)って叫ぶだけやん!」と、怒濤のごとくまくしたてようと思ったが、言い争っても勝ち目はないのでやめにした。なんでかというと、彼らはとにかく何にしても、自分が知らない事についてさえ、弁が立つからだ。仏語圏に計7年あまり暮らしたが、彼らの誰かと議論して「こうじ、おれの考えが間違ってた、ごめん」というようなことを言われたためしがない。しかも、おれが何かで「すまんかった」とあやまったりすると、「ほんとはそう思ってないから簡単に謝るんだろう」と咎められたりする。うひゃあ、だ。
 それで、在仏中なかなか苦労した。ということはすなわち、非常にためになった。きっぱりと歯切れはいいが、口先だけで中身のあんましない人間というものが、意外とうまく見分けられるようになった。たいてい、国や人種がどうであれ、人間の格がほんとに高い人は静かだ。けっして多くは語らず、すっと黙って行動する。
まあ、ブログなんてものはやらないないだろう。

*今回の曲
「ボニーとクライド」

年をとるのも、こんな風にだったらちょっぴりやだなと思う動物愛護運動家ブリジッド・バルドーさんが、まだ女優やってた時、当時愛人だったセルジュ・ゲンズブールと歌ってる曲です。声も姿も匂い立つよな恋する女の艶やかさ。セルジュの醸し出す色気も尋常じゃない。ふたりとも、なんちゅうかっこよさだ。でも、ブリジッド、そのベレー帽、アザラシの毛皮じゃないよな。
 

azisaka : 05:16

レギュマン

2009年09月24日

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 ひさしぶりに会って飲んだ友人が「いいぜーっ、こうちゃん、絶対いいけん、燃えるばーい、読んでみなよー」と何回も連発するので、貸本屋でそのマンガ本、3冊だけ借りて読んだ。そしたら、止まらなくなって既刊の39巻、数日で読んでしまった。「頭文字(イニシャル)D」は、公道で最速を目指す走り屋の若者たちを描いたマンガだ。その場面のほとんどが深夜の峠でのカーバトルで、闇夜を疾走する2台の車と、”ギャン”とかギャギャギャ”とか”グオングオン”とかの擬音語が、ページから飛び出さんばかりに炸裂する。読み続けてたら、身体がだんだんページに呼応して、直線では背中が壁ににおしつけられ、ヘアピンカーブでは上半身が揺さぶられ、急ブレーキの時には下半身にぐいと力がはいってしまう。それが非常にここちよい。
 さてこの物語、主人公は豆腐店を営む父を持つ18歳の青年だ。父親はかつて名うての走り屋で、息子である彼は中学生の頃から峠を越えた先の旅館へ豆腐の配達を命じられる。毎朝毎朝、雨の日も風の日も来る日も来る日もだ。そうやって彼はいつのまにか神業的なテクニックを身につけ、ふとしたきっかけで公道バトルをするようになると、どうみても圧倒的に速いやろうという車と勝負し、勝ち続ける。
 そんな様を目にしたまわりの皆が、「すごい!なんでそんなに速く走れるんだ?おまえは天才だ!」と驚嘆するのを前に、きょとんとした彼が発する言葉というのがとてもいい。曰く「走る事は顔を洗うのと同じ日常なんだ」
 つまり、彼の天才たる所以が「どれだけ長い期間、弛まずに毎日それをしつづけけたか」というただ一事によって説明されている。
 365日あったら、365日、峠を走る。
あるいは別の天才であれば、365日バットを振る。写真を撮る。歌をうたう。鮨を握るだろう。
 要するに毎日の積み重ねが大切だということだ。しかし、これが単純だけどなかなか難しい。
 うわわわっ、おれ、マンガなんか読んでる場合やないやーん、絵を描かんといけんんっ。
 
 と、思ったが、夏休みだし実家にいるので、常々気になっていた押し入れのマンガ本の整理をすることにした。ほんとうに大切なものだけとっといて後は売りに出し、得たお金でぱーっと鯉のあらいでも食べに行こうと思った。
 岡田史子や永島慎二、真崎守、あるいは、手塚治虫や白土三平などの作品は大切なのでとっとくことにした。かたづけ途中でうっかり「がんばれ元気」第一巻のページを開いてしまって、はっと気がつくとたちまち5巻まで読んでた。こんなことじゃあいかん、いつまでたっても終わらんと気をとり直し、集中して売り払うやつを選んでいく。しかし、どれもこれもが繰り返し読んだもので愛着があり、選別に心が痛む。
 そんなんなら、別に場所あるし、とっときゃあいいやん!うむ、たしかにそうだ。しかし、人は何かとふいにきっぱり決別せんといけんくなる時というものがある。それでやっとこさ200冊くらい選り分けダンボールに詰め古本屋さんに持って行った。査定に一時間ばかりかかるというので、近くの新しくできた古着屋さんに行った。そこで、いかしたシャツを二枚買った。もどると、おれのマンガたちは3950円に成り代わっていた。シャツが合わせて3800円だったので、ちょうど同じくらいだ。
 そんないきさつがあって、帰りしな、この二枚のシャツに”マンガシャツ”という名を与えた。大切なマンガ本たちの生まれ変わりなのだから、生涯大事に着ようと心に誓った。
 
 ところで、マンガ本の整理をしていたら他の本もいっぱいでてきたのだけど、その中にパリにいる時、シュールレアリストの出版物を蒐集してる友人にもらった、ローラン・トポールの画集が数冊あった。さがしてたのが見つかってうれしかった。「でも誰やねん?そいつ」うーん...フランスやベルギーではけっこう名が通ってて今でも信奉者が多いんだけど、日本では知ってる人はそういないという気がする。かつて澁澤龍彦がちょこっと紹介して、ポランスキーの映画の原作にもなった小説の翻訳本「幻の下宿人」が今はでてるくらいじゃなかろうか。画風はルネ・マグリットを拙くしたみたい。主に鉛筆を使い、自虐的でブラックユーモアに満ちた絵を描く。たとえば、「涼しげな顔をして自身の太股に刺繍をする女」とか「口に当てたラッパから自分の内蔵が飛び出ている男」、「プールの飛び込み台からプールと反対のコンクリートに向かって飛び込もうとする男」っていった具合だ。
 さて、いらん前置きがながくなってすまんが、そんな彼が、1980年代、子供向けにつくったテレビ番組(全20話)というのが相当におもしろい。
 タイトルは「レギュマン」!
でも、”レギュラー満タン”の略ではなくて、フランス語で”léguman "と書く。”légume”が野菜なので、翻訳すると”野菜仮面”といった感じだろう。主人公のヒーローが子供が嫌いな野菜でできてるっていうのが、いかにもトポールらしい。そんなレギュマンが、毎回登場して悪事をはたらく怪人をこらしめるのだけど、その怪人達も奇妙奇天烈なことこの上ない。「泥靴の足跡つけてまわる運動靴怪人」とか、「ドアやシャッターなど開いてるものはなんでも閉めてしまう真っ暗怪人」なんかだ。しかも、レギュマンが登場する時、かならず毎回「にんじんは煮えたか?」「ノン!」と入るのも、わけがわからずぶっとんでいる。主題歌だって、そうとうにへんてこで、一度聞こうものならしばらくは耳から離れない。(アジサカ訳す)

レギュマン、レギュマン!
君は大地の子
太陽は君の父
悪いことするやつをこらしめる
レギュマン、レギュマン!

友達のフランス人が懐かしんで言うのには、幼い時、毎回見てたんだけど、見るたびになんか恐ろしくなって見なきゃ良かったと後悔してたそうだ。

レギュマン

azisaka : 21:17

新米の季節

2009年09月12日

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 その日は9月に入ったというのに真夏みたい、ぐらぐらたぎりに暑かった。家で絵を描いてるとだらだら汗が出てかなわないので、市民プールへ行った。休み明けでがらがらだろうとの予想どおり、子供用にはまばらに人がいたが50メートルはぼくだけだった。聞くと最終日で、明日から来夏まで長い休みに入るという。飛び込むと、真夏になりすましていようとそこはやはり9月、水は思いがけずひんやりとしていた。泳ぐのにはうってつけで、心地良さにどうしようもなく笑みがこぼれ、ゴボゴボゴボ...最初のうち、息つぎするのに苦労した。
 500メートルくらいすると、今年の夏もお天道様の下で泳ぐのは今日限りやなあ、とため息がこぼれた。1000になると、死ぬまでにあと何回、こうやって夏泳ぐことができるやろかと儚く思い、涙がこぼれそうになった。
 ところが1500になると打って変わって何やら力があふれてきて、ようし今日は5000泳いでやるぞ、と気合いが入りはじめた。普通は2000、調子が良くてもせいぜいが3000なので、5000というのは尋常ではない。高校以来、今世紀では初の試みだ。 
 夏の果のでかいプールにただの独り。3時間近くかかって、なんとか5000泳ぎきった。泳ぎはきったが予想の通り、身体が若干変になった。脱衣場によろよろと向かってると、風がやさしく身体をなでるのだが、それを感じる皮膚は十七娘の頬みたいに張ってピンピンなのに、その内側にある肉は太った50女の乳房のよう。垂れ下がりブテブテしている。そいでもって身体の中を通ってるいろんな管は、90ばあさんの白髪を編んでできたみたいにパサパサだ。
 そんな身体に服を着せ、どうにか車のシートにたどり着く。エンジンかけると、母の小さなポンコツ車が「ドドドドド...そんな身体にはジェット豆乳しかないぜ」とつぶやいた。コンビニに並んでる調整したまがいものでも、スーパーで売ってる大豆100%無調整でもない、豆腐屋さんが朝しぼった、勝手に名付けてジェット豆乳。200mlで168円ととても高級だが、こんな時に贅沢しないで、いつするのだ。
 ポンコツに言われるがまま、二本買って飲んだ。なんちゅう、うまさだ。いっきに全身が潤う。まあ、イメージとしては、あめ玉になってエリザベス・テイラーかソフィア・ローレンの口の中で舐め回されてる感じだ。するとどうしたことか、もうずいぶん前に買って読んだ本の、ある文章が無性に読みたくなった。たしか、実家の二階にあるはずだ。
 さっそく帰って、探してみると、二階の隅の押し入れの奥のダンボールの底にその本は貼り付いていた。ドキュメンタリー映画監督、小川紳介の「映画を穫る」という本だ。その中に記録文学作家である上野英信が、彼に話してきかせたという実話が紹介されている。以下がその文章です。
*残すはなし*
 江戸時代が終わる頃、筑前で起こった一揆の指導者が、刑場に送られる道中のことと思って下さい。刑場への往還最後の峠には一軒の茶店があり、急坂を登ってきた護送の一行はここで休むことになりました。常より厳重に警護されている唐丸の内の人を、先頃の一揆の指導者と知った茶店の老夫婦は、ものものしく取り囲んでいる武士らの制止をものともせず、その囚われびとに一杯の渋茶を振るまいました。すると、それを押し頂いた囚われびとは「この一杯のお茶は、私の全身にしみわたりました。これを末期の水にできたいま、私は安らかな気持ちで刑場に立てます。私自身でお返しできないこのご恩に必ず報いるよう、私は、あなた方が今日ここで私にして下さったことを、しっかりと子孫に伝えていきます」といいました。
 現在、峠の老夫婦の子孫は福岡市内で小さなタバコ店を営んでいますが、毎年秋になると、その店先にはあの一揆の指導者の子孫から新米が一俵届きます。百数十年の間、一度も違わずに。それはつづいているということです。

うくうっっ、ほんとうにいいはなしや...
今回の曲。
松倉如子「セミ」

azisaka : 11:18

晩夏。「ドクロのマーク」

2009年09月01日

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 数年前、パリはサンマルタン運河沿いのギャラリーで個展をやった時、おっきな眼鏡でいかにも賢そうなそこのオーナーに、「君は好んで、ロボットだとか、近未来風の建物、乗り物を描くけど、なんでだい?」と尋ねられた。そんなこと聞かれても困るが、パリジャンつうやつはうやむやな返事を好まんので、とっさに「そりゃあ、それがおれのサント・ビクトワール山だからさ。」と答えた。「はん?」と眉間にしわよせる彼につけ加えたのは、つまり南仏のこの山が、19世紀の画家セザンヌが慣れ親しんだ「自然」であるなら、ロボットやスーパーカーは、20世紀末の日本に生まれ、アニメやマンガに浸って育ったぼくの「自然」だ、ということだ。したがって、形とか色なんか、そんなに苦にならずに出てくるし、描いていて楽しい。野山を描くより、ロケット描く方が心地いいのだ。小学校のスケッチ大会のとき、もらった画用紙にれんげ畑をさっさと描いた後、その裏に、ドガーン、ババババーッって飛び回るロボット軍団嬉々として描いてたのを思い出す。
 
 3年前、ベルギーより帰国してちょうど一年経った頃、このように自分にとって身近であるロボットを中心に据えて作品を作ろうと思い立った。ロボットものにはやっぱり、秘密組織みたいなものが必要だろう。秘密組織にはかっこいいシンボルマークがないとはじまらん。ううん、何にしようかな。そういえば昨日の飲み会のとき、解剖学やってる友人が、おれの頭蓋骨見て、すごく形がいいと褒めてくれたな、ようし、マークは骸骨にしよう。組織の名前はドクローズ団で決まりだ。
 こういう具合にはじまって、ドクロマークがあちこち散らばった絵を8ヶ月で50枚ほど描き上げた。そしてその夏、九州の各地で個展をして回った。
 長崎は、出島のすぐそばに建ってる築60数年のとても古いビルの一室を借り、そこに展示した。ビルは軍艦島にあるのを引っこ抜いてきてそこに据えたみたい、外も内も異彩を放ち、熟れたまま腐らず乾燥した巨大な果実のようだった。表に看板を出してたら、観光客のひとたちもちらほら見に来てくれた。時は8月はじめ、おりしも反核反戦運動の団体の集会が市内各地で行われていた。
 展示しはじめて何日目だったろうか、おばちゃん(と、おばあちゃんの中間くらいかな...)数人が上ってきた。イラストだとか現代美術なんかとはあんまり関わりがなさそうな感じだ。身ぎれいで学校の先生とか町内会の役員みたいなたたずまいをしてる。彼女らは最初とまどった風だったけど、にっこりあいさつするとそれぞれ静かに一枚一枚ていねいに眺めていった。そうやってひととおり見終わった後も、小声で話したり指を差したりしながら行ったり来たりしている。こんなに真剣に見てくれてありがたいよなあと思ってると、その中のひとりがすっとそばに寄ってきて尋ねた。「あの...しゃれこうべが、いっぱい描かれてますけど...これはやはり原爆で犠牲になった方々を象徴されてるんでしょうか?追悼の気持ちが表現されているんでしょうか?」「えっ...?」意外で不意な問いかけに、絶句しかけた。けれど、口はなんとか動いて「ま、まあ...そんな感じでもあります...」とひどくあいまいな返事をかえした。おばちゃんは、何回か黙ってうなずいたきり、それ以上はなにも聞かなかった。
 それからまた数分、彼女らはそれぞれ静かに絵をながめ、「どうも、いいもの見せていただいて...ありがとうございました。」とお辞儀をして去ってっいった。まるでこの世でない彼岸の人といたみたいだった。夢心地からはっと我にかえると、蝉がジミヘン百人ギターかき鳴らすみたいに叫んで、太陽が窓ガラスぶち破りそうな勢いで燃えていた。
  
 その夏、長崎につづいて個展をやったのは、学生時代を過ごした熊本だった。雑貨屋とカフェがいっしょになった店の2階(といっても屋根裏みたいなとこ)に展示させてもらった。この店でやるのはもう3回目。あいかわらず、キュートな雑貨目当ての女子学生から、本好きの主人を慕う中年おじさん、おいしいランチを求める奥様連中と、やってくる人はさまざまだ。さいわいな事に、作品をひいきにして毎年個展を心待ちにしてくれているお客さんも少なからずいる。
 始まって最初の日曜日。休日にしては、人があんまし来ないよなあとぼおっとしてたら、がちゃがちゃと話し声が階下から聞こえ、ぎしぎし階段を上ってくる音がして、きゃあきゃあと女子高生が3人はいってきた。見ると全員、服やアクセサリーの色が白と黒と赤の3色しかない。3色しかないがギザギザフリフリクルクルと複雑な形をしてる。そいでもって、服の模様やバッグのアップリケ、鈴なりのキーホルダーは、ドクロ尽くしだ。なんでも、表に貼ったチラシの絵を見て駆け込んできたらしい。「こんにちはー、おじゃましまーす!」「わあ、いーっぱいドクロ!きゃあー!」「わたしたち、ガイコツ好きなんですー、ドクロもの集めてるんですぅ」「ナイトメアー見ましたーっ?!」「絵の前で写真とってもいいですかー?」「ドクロってかわいいですよねーっ?」と、たて続けの連射攻撃に、なごんでた心は蜂の巣だ。くうぅ、いかん、押されっぱなしじゃ...こっちも何か話さんと。と思ってたら、リーダー格の娘が「ドクロ、好きなんですかぁ?いつも描いてるんですかぁ?」とニコニコ顔で聞いてきた。ぼくは「あ、そ、そうです、なかなか好きです」と答えた。
 答えた後、長崎で会ったあのおばちゃんたちを思い出し、これを聞いたらさぞかしがっかりするだろなと、彼女らになんだか申し訳ない気持ちになった。その気持ちのせいで、そのあと何十秒か女子高生の言葉が耳にはいらなくなった。
 写真を何枚かとって、ノートに感想書いて握手して、「次回の個展、楽しみにしてまーす!」と彼女らは下のカフェに下りていった。残されてひとり絵に囲まれてると「ねえー、何飲むー?」「こないだ学校の帰りにさー」と階下から話し声が聞こえてくる。話題はもうドクロからすっかり遠ざかっている。
 そんな会話を聞きながら、さらにおばちゃんたちのことを考えた。「うん、でも、まてよ...」あのおばちゃんたち、長崎に反核運動しに来てる最中、朽ちかけたようなビルでおれの絵を見たのではないとしたら、どうだろう?熊本に観光で来て、阿蘇で温泉はいって馬刺食べてカラオケ熱唱した翌日、街中のかわいらしいカフェの屋根裏で見たとしたら、どんな風に感じるだろう?
 「ひゃあ、兄ちゃん、あんたのガイコツ、目がクリクリして、可愛いかなあ、うちのじいちゃんにそっくりばい。」って、もしかしたら言うかもしれん。熊本の女の子にしたって、修学旅行で長崎に来てたとしたら、どうだろう?その口は「きゃあ、かわいい!」とは別の言葉を発したかもしれない。そう思うと、不思議とこころがやわらいだ。
 すると「みゃあ」といってそこの飼い猫が入ってきた。おお、よし、なでてやろうと手をのばしたけれど、何かを確認するとさっさと出て行ってしまった。

azisaka : 11:16

ふと、夏プールで思ったこと

2009年08月01日

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 いきなりで恐縮なのですが、一枚の絵を描くっていうのは、ぼくにとっては、一遍の小説を書くのと読むのとを同時にやってるようなもんだという気がします。なんじゃあそりゃあ?といいますと、ちょっと長くなりますが、説明してみます。 
 絵を描く時は、大まかなストーリィなりイメージなりはあらかじめ持って描き(書き)はじめるんですが、それ以外はその時々の気分や体調や天候にまかせっぱなしで、後でどうなるのか先が見えません。完成までの道のりをきちんと指し示した設計図があり、それに従って模型をつくっていくというのとは、おおきく異なっていて、描き進んでみなけりゃあ、どんな結末になるかはわかりません。
 もちろん、真っ白いカンバスの前に立ったとたんに、色や形が身体の中から湧きあがってくるよな天才絵描きではないので、ちょっとした下描きやら、雑誌の切り抜き、写真なんかを見ながら、それをとっかかりにして描いてはいきます。けれども、それをそのまま写し取るということはなく、(やろうと思ったとしてもできやしませんけど)筆にまかせて描いてると、頭では思い描くこと、想像することのできなかった物の形や色、人物の表情なんかが、筆の先からでてきます。
 そんな風にやってると、描いてる時は、初めて読む小説をを読んでるみたい。おお、そう来たかー、とか、うわ、この形、味があるよなあ、とか、ひゃあ、こいつってこういうやつだったのか、とか、何が出てくるのかはわからないので、やっててわくわくします。
 要するに絵を描く時には、描く自分と、読む(描いたものを見る)自分のふたりがいます。(ところで調子がでてくるとこれに別の人間も加わります。たいていが、亡くなった親戚とか遠くに住んでる友人で、そこはちょっと違うんじゃないかいとか、おお、なかなか上手く描けてるやんとか、口をはさんだり指図したりします。)
 さて、こんな具合に自分で小説を書き、書いたはなから読んでいってるような感じなのですが、自分をある程度はよく知った人間(つまり本人)が、自分ただ一人に向けて、これを楽しませようと懸命に書いた小説を読んいるようなわけで、そんな読みものがおもしろくないはずはありません。
 他の人が作った小説を読んだり映画を見たり、あるいは旅行したり、おいしいもの食べたり、友人らとおしゃべりしたり、そんなことやるより、ずっとたのしいのです。だから、絵ばかり描いてます。(もちろん、これはちょっと言い過ぎで、ようするに、生活のもろもろの中で絵を描くことの優先順位がかなり高いということです)
 ただ、描いててたのしいけど、読んでてつまらない時や、反対に、描くのはしんどいけど、読んでておもしろい時、はたまた、どちらも心地いい時、どっちもきつい時があります。どっちもきつい時というのは、病気だったり寝不足だったりして体調が良くないときで、精神的なものは、描く(と同時に読む)よろこびそれ自体には影響がないみたいです。悲しいときは悲しいなりの、苦しいときは苦しいなりの、描くよろこびがあるようです。
 こうやって、一枚の絵が一応仕上がります。一応というのは、たいていが数日も立つと、描き直したり手を加えたくなり、そんなことやってたらいつまでも次の絵が描けないので、この絵はこれぐらいでやめとこ、ひとまず完成したことにしよう、と筆をとめるわけです。その時ちょこっとだけ、解放感みたいなものはあります。ありますが、充足感や達成感、つまり完全燃焼などにはほど遠いです。だから、すぐに次の絵にとりかからないと、身の置き場がなくて不安になります。
 さて、こうやって”完成”した絵は、読み終わった本、みたいなものです。描く(読む)ことによって、よろこびを得、何か少し学び、ものの見方がちょっぴり変わり、人間的にやや深みを増した(笑)。だから今目の前にある絵(本)自体はぼくにとっては、もう用なしです。
 ただ、もしかしたら、ぼくだけではなく、その他の人が読んでも、少しはおもしろいかもしれん、ためになったりするかもしれん。それに、ほかのみんなは、ぼくとは全く異なる読み方、もっと豊かで深い受け取り方をしてくれるに違いない。それを聞いてみたい。よし、せっかくだから他の人にもできるだけ多く読んでみてもらおう。
そう思って毎年、やってるのが個展の巡業です。
 ときどき、読んで(絵を見て)気に入って、手元に置いときたいなあ、という人も現れます。作品を買ってくれます。ほんとうに、ありがたいです。そんな方々が何人かいてくださるので、ぼくは生計を立て、絵を描いて独り楽しむことができます。
 
 って、たいそうなこと言いよるけど、肝心の絵はたいしたことないやん。
あうう、すみません、実はぼくもそう思います。
なので、また絵を描き続けます。

azisaka : 11:10

'09夏個展について

2009年07月01日

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 みなさん、こんにちは、たいへんごぶさたしております。非常におおざっぱで恐縮なのですが近況のお知らせをいたします。
 去年の夏個展が終わり、秋はちょっぴりしょんぼり読書やイラスト仕事をしておりました。暖房が必要になるくらいから、次の個展へ向け、アクリル絵画の制作にとりかかりました。これまでは、比較的小さな作品を数多く描くということをやってきたのですが、今回は、ひとつ気分を変えて大きな作品をつくろうという心持ちになりました。
 具体的にいうと、F30(70X90cmくらい)の大きさのキャンバスが横に20枚連なったもので、パノラマみたいになってます。ひとつの大きな横長い作品としても見れますし、それぞれ一枚一枚を独立した絵として見ることもできます。
 さて、そんな風な絵をいつものように、けっこう休まず、意外とまじめに描いてるのですが、でかいし入り組んでるしで、半年過ぎてもまだ半分ちょっとしか完成しておりません。
 そんなわけですので、昨年まで5年間、毎年欠かさずに個展をやってまいりましたが、今年は(ちょうど区切りがいいですし)ひと休みしようと思います。
 うっわあ、これだけを楽しみに、心の支えに日々を暮らしてきたのに、何てこったい、くううう、と落胆された何人かの方々、そんなに心待ちにしてくださっていて、ほんとうにありがたいです。ごめんなさい。でも、来年の個展では、ほお、さすがに2年かけただけあって、なかなかいいじゃん、と、数回うなずいていただける、そんなものがお見せできるという気がしております。

 さて、以上のようなわけで、いつもより若干不在の期間が長いです。それで、すこし奮起して、これから月に2.3回、このお知らせコーナーに何かしらの便りを書こうと決めました。別にことさら伝えたいものがあるというわけではないし、読む人だって、そんなの大して気にはしないと思います。なのでこれは、ちゃんと生きて、仕事してますよーっ、というあいさつの代わりです。したがって、それが確認できれば、中身はすらっと読み飛ばしてください。たいていは、読んだ本とか、気に入った曲の紹介になるのではないかと思います。

azisaka : 09:45

azisakakoji

 
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